七里の渡しの一の鳥居
東京からの夜行バスで名古屋に6:10到着。JRに乗り換えて桑名へ。桑名駅から歩いて、前回の佐屋街道終点で、東海道の再出発点となる七里の渡しへ到着。
そばにある本陣跡の船津屋。現在は高級料亭。
42番目の桑名宿は、七里の渡しの船着き場として栄えた宿場である。桑名と言えば「焼きはまぐり」である。しかし、今では桑名産のものは、船津屋などの高級料亭でしか食べられなくなったそうだ。
いよいよ8:00出発と張り切ってスタートしたは良いが、見たことのある景色だなと思った。なんと、前回歩いてきた佐屋街道を逆に歩いたようだ。慌てて戻って、8:20仕切り直し。
後で気づいたのだが、ガイドブックの方角表示が90度間違っていた。北が東になっていたことも方向を間違えた原因かも? おまけにGPSの地図の佐屋街道にも東海道と同じ色が付いていた。
さらに、桑名の市街地を歩いていたら、T字路でガイドブックと反対側に東海道の道標があり、GPSの東海道もその道標と同じ方向だった。結局、GPSの方を進んだ。途中で地元の人に聞いたら、旧道は先で合流するまで2本あったらしい。
桑名城址の石垣。堀が船溜まりになっていた。桑名城址は九華公園になっている。
「左江戸江 左京いせ江」の標石。
桑名宿の端の大きな常夜灯
国道1号に並行してひたすら狭い旧道を歩くと四日市宿に入っていく。
四日市宿は、今では工業都市だが、かつては浜辺の美しいところで、諸国の物産が集散する港町として栄えた宿場である。
三滝川を渡ったところに名物の「なが餅」を売る笹井屋がある。創業天文19年(1550年)という老舗。実はその手前にも新しい大きな店があり、そこで先に買ってしまった。
文字通り、長い餅に餡が入っている。バラ売りはしていないので、7個入りで680円を買った。加佐登駅で列車を待つ間に食べた。
「すぐ江戸」とは、まっすぐ進むと江戸という意味らしい。裏には京いせと彫られていた。この辺りが宿場の中心地だったらしいが、面影は全くない。本陣跡の標識すらなかった。
諏訪神社の前から、アーケードの商店街になっていた。
昼になったので、その中のうどん専門店へ。なんと「はまぐりうどん」が500円だった。他のメニューもほとんど500円。汁が抜群に旨く、全部飲み干してしまった。
町外れに来ると、古い民家が並ぶところがあった。
伊勢街道と東海道の分岐となる日永追分の立派な道標。「左いせ参宮道 右京大坂道」と彫られている。
弥次さん喜多さんは、ここから伊勢参りにいった。自分も4日後には、ここから伊勢街道へ進むことになる。
急坂の難所杖衝坂。日本武尊が剣を杖の代わりにしたと伝えられる。芭蕉は、馬で越えようとしたが落馬したらしく、そのことを詠んだ句が残っている。
峠を登り切ったところに建つ日本武尊の血塚社
峠を越えて、国道1号から離れると、石薬師宿へ入っていく。
明治期に建て替えられた小澤本陣跡。
この宿場は、四日市宿から亀山宿までの間が長かったのでわざわざ設けられた宿場である。宿場の入口に古い家がわずかに残っているだけで、当時の面影はない。
この宿場の名前のもとになった古刹石薬師寺
石薬師宿を抜けて、しばらくすると、庄野宿へ入っていくが、庄野には宿がないので、1kmほど手前のJR加佐登駅を今日のゴールにした。
15:55、加佐登駅到着。16:38の列車で南四日市駅まで戻り、17:10、素泊まり2700円の旅館みやま荘に到着。早速風呂に入る。疲れが抜けていくようだった。
ブログをアップし終えたら、外に出て夕食の予定。
春以来の歩き旅の初日は、スタート時にもたついた感もあり、前半は辛い感じだった。しかし、午後からはペースを上げて快調に歩くことができた。
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