お花屋さんが黄色いカラーとモンステラを持ってきてくださったので、早速飾らせていただきました。
今はあまり季節に関係なく色々なお花が出回っていますが、暖房の効いているお部屋ならこうしたお花もなかなかカラフルで良いように思います。
いよいよお寒さが増し、日の暮れるのも早くなり、「師走らしさ」が増して参りました。
師走といえばこの作品。
東山魁夷の「年暮る」です。
この作品を間近に見ると、心がシーンと静まり返ります。
喜びの多かった一年を過ごされた人の心にも、お辛いことの多かった一年を過ごされた人の心にも
どんな心にも寄り添ってくれるのが東山魁夷の作品の素晴らしいところだと思います。
色々調べてみると、画家として大きな仕事を残された人々は、幼い頃、またはお若い頃に深い哀しみに出逢われたり、大きなご病気をされたりしていることが多い事に気づきます。
その作品からはなかなか想像できませんが、東山魁夷も戦争を挟んで、人生上でも画業でも大変な苦労をされたようです。
「どん底」
そこからはもう這い上がるしか道が残されていなかったと東山自身が書き残してもいます。
今月の当店のHPの画家の言葉は東山魁夷の言葉を選ばせていただきました。
それと同時にいくつかの言葉を拾ってみましたので、ここにご紹介させていただこうと思います。
若いときに苦労をするのは薬だとよくいわれているが、それは結果的に見てのことであって、苦労は薬というよりも毒であると私は思う。
ただ毒にあたっても、なんとか耐え抜いた身心は免疫性ができるというか、苦労に対して強くなる
私は人間的な感動が基底になくて、風景を美しいと見ることはありえないと信じている。風景はいわば人間の心の祈りである。
私は清澄な風景を描きたいと思っている。汚染され、荒らされた風景が、人間の心の救いでありえるはずがない。
風景は心の鏡である。庭はその家に住む人の心を最も良く表すものであり、山林にも田園にもそこに住む人々の心が映し出されている。
河も海も同じである。その国の風景はその国民の心を象徴すると言えよう。
無常と流転。流転とは生きていること。
帰着点は出発点。
東山魁夷は、大変言葉少なく、またお喋りになられてもそのお声を聞き分けることが出来にくかったと佐橋から聞いていますが、
その心の奥には、ある種の荒涼とした諦観とそれを超える強い信念をお持ちでいらしたのだとその作品と残された文章から察せられます。
どんな一年を過ごそうとも、その経験は過去につながる物語の一部であり、新しく迎える未来を支えていくものだろうと思えます。
「年暮る」は私たちが自然の営みの中に生かされていることを語り、そのさだめのなかで、慎ましく、あたたかく生きていく人の命の尊さを示してくれる作品だろうと感じています。