つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

書の見方

2020年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム
このところ、自宅ではずっと書に関する本を開いています。

書を習い始めたからということもありますが、書を見る力はすなわち絵を見る力だということを
実感できているからだと思います。

書の練習をして、お清書をして、提出をする作品を決めるときは、必ず佐橋に見てもらうようにしています。

彼が出来の良い1番に選んでくれる作品は、決まってお稽古の際、先生が1番に選んでくださる作品と同じです。

佐橋は確かに長く書道を習いましたが、書を見る力はその時に養ったのでなく、きっと画商の仕事を通して養ったものだろうと
思えます。


私が書道を習おうと思ったのは、「書く」という行為そのものが好きだということも大きな理由ですが、
高村光太郎が「書がわかれば、芸術全般がわかるようになる」とその著書に書いていたからです。

上手い字を書こうなどとは思ったことはありません。
私の「書」を探したいと願うだけです。

そして、御舟も華岳も、梅原も安井も、藤田も国吉も、セザンヌもルノアールも
一生涯筆を持って、ひたすら絵を描くことだけに時間を費やしたのだな、この辛い孤独な道を黙々と歩んだのだなという
共感を得られることは私にとってとても大切なことだと思えます。







王羲之 蘭亭序


中国、唐朝の2代皇帝太宗は、その政治力でも歴史に名を残していますが、能筆家としても知られ、臣下にも初唐の楷書を完成させた書の大家を登用するなど、書に対する関心が強かったといわれています。
特に現代でも「書聖」として高く評価されている王羲之の真筆に対しては、異常なまでの執心ぶりを見せ、手を尽くしてその代表的な作品である「蘭亭序」の真筆を手に入れ、死後に自分の墓に納めさせたというお話があります。

この太宗の王羲之に対する執拗な関心は、「書聖」王羲之の名を更に不動なものにしたとも言えますし、またその真筆作品を後世に伝えるすべての道を閉ざしたとも言えるのだと思います。



王羲之の書は、こうした伝説も含み、空海をはじめとする日本の書家にも多大なる影響を与えてきました。




本阿弥光悦 赤壁賦巻

美しいと感じる心、その美しさを一人占めしたいと願う欲望、権力、資力、、
いつの世の中にも美術品は私たち人間の孤独の心を救い、また狂わせ、見事に生き延びてきました。

この感染問題を超えて、きっと私たちの美意識にも少し変化が生まれるだろうと思っています。

「時間」を埋めるだけであった現代アートと言われる美術品は、きっと少しベクトルを変え、
「個々の孤独」を埋める本来の芸術作品の使命を取り戻すのではないかと考えています。

そして、その取り戻す作業の基本、指針となるのが過去の美術作品たちであることに間違いはないだろうと思います。
おうちにいる今のうちに、、歴史に学び、美しい古典に学んでおきたいと思います。








コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝顔 | トップ | コメントをありがとうございます »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
空海さん (k)
2020-08-25 12:35:14
空海の聾瞽指帰(ろうこしいき) の実物を見たときに、若干二十歳そこそこでこういった字を書いた人が過去にいたのかといたく感動した覚えがあります。
空海は伝説が多い人ですが、あの書を見る限り伝説の一部は史実に基づくのであろうと。

返信する
Unknown (なつみ)
2020-08-25 17:33:09
コメントをありがとうございます。
ろうこしいき、折角なのでブログにご紹介させていただきました。
やっぱり日本人っていいなぁと感じます。
返信する
Unknown (KY)
2020-08-26 14:59:50
Kさんお詳しいですね
大成する人はたいてい皆さん若年のうちから
すごいですね
川合玉堂も松岡映丘も 10代前半時の素描画帳は
トリハダ物でした
段々上達するのではなく 一気に駆け上がって
その後 熟成しています
返信する
Unknown (なつみ)
2020-08-28 13:31:22
表現力、描写力もさることながら
自然、人間、世の常。。その作家がこれらをどう感じ、捉えているか?
筆は一瞬にして語ってくれますね。それは年齢というより、人の器、個性というものだろうと思います。

玉堂は、書もよくし、清々しい作品を残しました。けれど、何か一つ、神様に近づく道に壁を作ってしまった。。そうした感が残ります。

「聖」と呼ばれる道は、芸術の道とは少し違っているのかもしれません。が、私はどうしても全てをひっくるめて「美」を捉えたいと思ってしまいます
返信する

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事