あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 年寄りから、先ですよ 」

2018年05月07日 06時09分51秒 | 相澤中佐事件 ( 永田軍務局長刺殺事件 )

「 四年前の夏のことでした、
福山の海岸に一家そろって海水浴に行ったことがありました。
そのとき、『 オレのいのちはこの春、耳の病気のときすでに亡くなっていたと思っている。
それなのに若い人たちの一途な厚意によって助けられたのだ。
その尊いかけがえのない若い人たちの身代わりになってこそ、 
一度は死んだはずのオレのいのちがほんとうに生きることになるのだ 』
と、相澤が私にしみじみといったことがあります 」
という話を、私は相沢夫人から聞かされたことがある。
相澤三郎
相澤中佐は
西田ら家を辞してから、まっすぐに陸軍省に向かった。
裏門に車を止めて、
裏門に近い棟にあった整備局長山岡重厚中将の部屋に入った。
相澤は型どおりの転任のあしさつをした。
しばらくよもやまの話をしているとき、休仕がお茶をいれてきた。
「 君、永田軍務局長が居られるか、ちょっと見てきてくれないか 」
相澤は給仕に頼んだ。
「 永田に何の用事で会いに行くんだ ? 」
山岡中将は心配そうに聞いた。
「 転任のごあいさつに参りたいと思います 」
相澤が静かに答えた。
「 相澤、その必要はない。よした方がいいぞ 」
「 ・・・・・・ 」
相澤は黙っていた。
一ヶ月まえ、辞職を勧告したときのことを思い出しながら・・・・
「 どうしても行くのか 」
「 ハイ、参ります 」
こんな問答を繰り返しているとき、給仕が帰ってきた。
「 永田閣下は居られるようです 」
「 有難う 」
給仕は去った。
「 閣下、これで失礼します。帰りにまた寄せて頂きます 」
相澤は一礼して局長室を出ようとした。
「 相澤、行くのはよせ 」
山岡は、相澤を永田に会わせたくなかった。
悪い予感が山岡を襲った。
「 相澤、無茶するんでないぞ 」
山岡は相澤の後ろ姿に呼びかけていた。

相澤は勝手知った廊下を、ゆっくりした足どりで歩いて行った。
相澤は軍務局長室にノックをせずにスーっとはいった。
部屋の正面には、ついたてが立っていた。
相澤はついたての手前で抜刀した。
抜刀するやすり足でついたての右側から突入した。
そのとき永田局長は、大きな事務机の向こう側にすわっていた。
机の前には憲兵隊長新見英夫大佐と兵務課長山田長三郎大佐とがすわっていた。
新見憲兵大佐の風呂敷包みの中には、
苦心して回収した 「 粛軍に関する意見書 」
が はいっていた。
間もなくくるはずの軍事課長橋本群大佐を待っているときであった。
突入した相澤は両大佐の後ろを回り、
机の向かって右側から永田の左に襲いかかった。
永田はとっさの出来ごとに驚いて、
ついたての反対側から腰を浮かして逃げようとした。
相澤は追いすがるようにして、
永田の右肩から けさ掛けに
「 天誅 」
と 心で叫びながら一刀を振り下ろした。
その一刀はイスが邪魔になって、
永田の背中にかすりきずをおわしたにすぎなかった。
永田はよろめきながら隣の軍事課長室のドアまで近づき、
かろうじてハンドルに手をかけた。
相澤は第一のけさ掛けをしくじって心穏やかでなかった。
第二刀は無意識に斬撃の姿勢はとらなかった。
左手で軍刀の刀身のなかほどのところを握り、
銃剣術の直突の構えで永田少将の背中からブスリと満身の力をこめて突き刺した。
剣先は前胸部を突き通し、ドアーに達していた。
永田のからだには、おのれを支える力がすでに抜けていた。
相澤は一歩さがると同時に剣を抜いた。
とたんに永田のからだは 二、三歩よろめいて崩れるように倒れた。
相澤は止めの一刀を忘れなかった。
アッという間の出来事であった。
気がついたときには、部屋の中には兵務課長山田大佐の姿はなかった。
ただ新見憲兵大佐が腕に負傷して、気を失って倒れているだけであった。
相澤が永田を刺したとき、相澤の腰にしがみつこうとして、
相澤の怪力に降りまわされて気絶したものらしい。
相澤は静かに軍刀を鞘に収めて部屋を出た。
一瞬にして修羅場と化した軍務局長の部屋には、
変をきき知ってもだれ一人駈けつけるものはなかった。
根本大佐が去り行く相澤中佐に近づいて握手を求めたこと、
廊下で山下奉文少将が
「相沢おちつけ」
と いったということが伝えられているだけである。

相澤は、再び山岡中将の部屋にはいった。
相澤の姿を見て山岡は驚いた。
左の掌から血がしたたっているではないか。
「 相澤、どうしたんだ、その血は ? 」
相澤が永田を背中から突き刺したとき、軍刀を握りしめたその力によって、
親指を除いたほかの四本の指が、骨膜に達する刀創を負っていたのだ。
相澤は今まで気がついてなかった。
山岡にいわれて初めて気がついたのであった。
「 早く手当てをしなければ・・・・」
いいながら山岡は、ハンカチを出して傷口を押さえた。
「 すぐ医務室に行け、オイ給仕、中佐を案内するんだ 」
相澤が部屋を出ていったあと、
「 とうとう、相澤がやったか・・・・」
と 山岡は感慨無量であった。
真崎追放のあと、きたるべきものがきたという感じであった。
医務室で治療を受けているとき、かけつけた憲兵によって相澤は逮捕された。
そのとき相澤は、どこかに軍帽をおき忘れているのに気がついた。
「 軍帽をなくしているから、偕行社で買いたいんだが 」
「 その必要はありません 」
と、憲兵は相澤の頼みをしりぞけた。
憲兵と同道しているとき、相澤は担架で運ばれる将校の姿を見た。
担架の人はまだ生きているらしい。
相澤は、永田はまだ生きていたのかと思った。
軍帽を置き忘れたり、一刀のもとに果たし得なかったり、
相澤はおのれの未熟さが恥かしく心が痛かった。
しかし担架の人は永田少将ではなく新見憲兵大佐であった。
・・大蔵栄一  著  二・二六事件の挽歌

昭和10年8月12日  午前9時40分のことであった

「日本暗殺秘録」・・東映(昭和44年10月)
俳優・高倉健が演じる、相澤中佐が永田軍務局長を斬殺する一場面
リンク
・ 昭和10年8月12日 ・ 相澤三郎中佐 1 
・ 昭和10年8月12日 ・ 相澤三郎中佐 2 


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