あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

所謂 十一月二十日事件

2018年03月27日 19時59分09秒 | 十一月二十日事件 ( 陸軍士官學校事件 )

         
村中孝次            磯部浅一      片岡太郎         辻正信                  片倉衷                   塚本誠


昭和九年十一月
陸軍特別大演習
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(一)  発端
昭和九年十一月
群馬県高崎市附近に於て行われた陸軍特別大演習終了直後
東京の 料亭 宝亭 に於て陸軍青年将校ニ、三十名が会合した。
其中には在京の皇道派と目される急進派的青年将校多数と
金沢聯隊市川中尉、丸亀聯隊江藤中尉、小川中尉等の顔触も見え
皇道派の急進分子が会合し、何事か謀議したるものと思はれた折柄、
其一味の 陸大学生村中孝次大尉が来訪した士官候補生数名に不穏の計画を話した為め、
十一月二十日早朝 村中大尉、磯部浅一 一等主計 外数名の現役軍人が検挙せられ
軍法会議の取調を受けた。

(ニ)  事件の内容
同事件は遂に其の詳細が発表されずに終つたが、
村中、磯部自身取調べを受けた際の被疑事実として
『 粛軍に関する意見書  』 に記載する所によれば次の如くである。
一、事件の全貌
 概ね五 ・一五事件と同様の方法を以て元老、重臣 及警視庁を襲撃し 「 クーデター 」 を決行
ニ、決行時期
 当初は臨時議会前の予定としありしも臨時議会中 又は通常議会の間に決行することに延期したりやの聞込あり
三、襲撃目標
 第一次  斎藤実、牧野、後藤文雄、岡田、鈴木、西園寺、警視庁
 第二次  一木、伊沢、湯浅、財部、幣原
 第一目標襲撃後 首相官邸に集合 更に第二次目標襲撃に向ふ予定
四、首謀者と認むべき者 及 参加者
 軍部側    陸大---村中   砲一---磯部    戸山---大蔵    戦車---栗原
               歩一---佐藤竜雄    歩一---村田    歩一---佐藤操    歩三---安藤
               近歩三---飯淵    歩一八---間瀬惇三
 地方側    西田税
 歩兵学校補備教育中の左記将校 
              歩三八---鶴見    歩三---北村    歩一三---赤座    歩七三---池田
              歩五---鈴木    歩二五---高橋    歩三一---天野    外氏名不詳数名
五、実行方法
 歩一    両佐藤  ニケ中隊・・・・斎藤
 歩三    大蔵  村田  一ケ中隊・・・・後藤
 近歩三    飯淵  磯部  ニケ中隊・・・・牧野    一ケ中隊・・・・岡田
               鈴木  間瀬  不詳・・・・西園寺
 陸士予科 片岡  戦車ニ 栗原  三台・・・・首相官邸  四台・・・・警視庁

(三)  事件の処分
磯部、村中は斯る計画は架空のものなりと主張し、
却って軍内一派の皇道派弾圧の奸策なりとして、
強いて処分するに於ては三月事件、十月事件を公表し是非曲直を明かにすべき気勢を示し、
部内の暗流に絡んで複雑なる関係を生じたものの如くで、
遂に事件は嫌疑不十分の理由を以て不起訴処分に付せられた。
・・リンク→法務官 島田朋三郎 「 不起訴処分の命令相成然と思料す 」
併し 俗間にてはこの事件を目して皇道派による空前の大規模なるクーデター計画なりとした。
陸軍当局は翌十年四月 当局談の形式を以て左の如く発表した。
( 陸軍当局談 )
昨年十一月中旬在京青年将校及び士官候補生若干名が
不穏の企図をなしあるやの疑ありしを以て
厳正調査のため軍法会議において関係者を取調べたり。
その結果によれば これ等将校及士官候補生は予てより、
我国の現状は建国の理想に遠ざかり宿弊山積し 国家の前途憂慮すべきものあるを以て、
速かにこれを刷新改善して我国体の真姿を顕現せざるべからずとの考を懐き、
これに関し談合連絡等をなしたることあり。
然れども不穏の行動に出づるの企図に関しては徹底的に取調べたるも
その事実を認むべき証拠十分ならず、
軍法会議においては本件を不起訴処分に付したり、
然るところ、これ等青年将校及士官候補生の言動において軍紀上適当ならざるものありたるに因り
それぞれ適応の処置を講じたり。
( 東朝昭和十年四月五日 )
同事件に関し
左記の三名に対して四月二日附行政処分が行はれ
四日附官報に発表せられた
歩兵第二十六聯隊大隊副官    村中孝次
陸軍士官学校付陸軍歩兵中尉    片岡太郎
野砲兵第一聯隊付一等主計    磯部浅一
停職被仰付 ( 各通 )
尚 停職処分は行政処分として最も重きものであつて、六カ月間は復職出来ず
又 一ヶ年以内に復職せざるときは自然休職になる規定となつて居る。
(四)  余波
村中、磯部 両名は三月事件、十月事件に対し何等の処置をも講じなかったのに拘らず、
単なる聞込を以て現役将校を三ヶ月余拘留して取調べたるが如きは
全く偏頗なる処置にして
一に永田軍務局長を中心とする統制派が正義を以て立つ皇道派を弾圧せんためにしたるものと断じ、
軍内攪乱の本源を中央部内軍当局者の間に伏在するものとして
『 粛軍に関する意見書  』 なる一文を作成し、
三月事件以来の諸事件 青年将校一団の行動 及 之に対立する一等あることを暴露し各方面に配布した。
これがため両名は同年八月二日附を以て部内の統制を紊すものとして免官処分に処せられた。
此後 斯る諸事情が因をなして益々部内の暗流の争闘激甚となり、
同年八月の人事異動に関連し
真崎教育総監更迭問題
永田軍務局長刺殺事件
となり、
更に
ニ ・ニ六事件
に迄至つたのであつた。

「 右翼思想犯罪事件の綜合的研究 」
第四章  十一月事件
現代史資料4  国家主義運動1  から


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