「黒澤村長像」
「慰霊の園」
(写真は平成20年8月本人撮影)
映画「沈まぬ太陽」を見ました。3時間を超える長編ですが、小説の緊張感がよく維持され、飽きることなく見終えました。渡辺謙演じる主人公が余りにも一徹に過ぎ、他方で敵役の会社がどうしようもなく犯罪的という、極端なデフォルメのされ方に違和感があるというものの、十分見ごたえのある出来のドラマというべきでしょう。
冒頭から最後まで、JALの500余人の生命を奪ったジャンボ機墜落事件が基調となっています。それだけに御巣鷹山の斜面に林立する墓標のシーンに、遺体の処理や救助隊の活動を、村を挙げて支援した上野村村長のことを改めて思い出した次第です。
黒澤丈夫村長。大正2年生まれといいますから、一昨日亡くなった森繁久弥と同じで96歳となります。昭和60(1985)年の事故当時、自身が海軍の零戦のパイロットであった経験も生かし、極めて優れた陣頭指揮を執ったことで有名です。遺族からもJALからも信頼されていたともいわれます。
10期40年を村長として過ごし、平成17年に辞職。その村長を昨年の8月末、村の自宅に訪問しました。御巣鷹の慰霊の園にお参りするとともに、かなり高齢となっている黒澤村長の、往時の生の話を直接聞きたかったからです。
折悪しくも風邪をひいて伏しておられた村長でしたが、しかし話がいったん市町村合併の件に及ぶや、声高に反対論を展開し始めたのです。こんな小さな村を合併したら、住民はとても生活していけなくなる。合併は都市の論理であり、金持ちの論理であると憤然として語り続けられたのです。
黒澤村長は墜落事故の後、その優れた行動力が評価を受けてでしょう、全国市町村会の会長に推挙され、任に就くことになります。しかしその立場にたっても彼は、当時どたばたと進められようとしていた市町村合併推進の政府の動きに、断固として異を唱え続けるのです。
JAL事故に伴う犠牲者慰霊事業への粘り強い働きもさることながら、村人の視座から一貫して市町村合併に反対し続けた黒澤村長。その姿には、映画「沈まぬ太陽」の主人公にも通じる、信念の一徹さというべきものを感じさせられたものでした。