【田原市博物館ポスター】
杉浦明平((大正2年~平成13年)。渥美半島が生んだ作家であり戦後知性の一人です。この郷土の先人を語る集いが15日の日曜に渥美図書館でもたれました。参加者は60人ほどで立ち見が出る盛況でした。
テーマは「明平さんとスローライフ」。パネリストは同志社大の井口貢教授、別所興一前愛大教授、そして教育長の私の3人。そこで私はこんな話をしました。
「明平さんは近所の大存在。それだけに物心の付いた高校時代から渥美に稀有な知性(東大、作家)として憧憬の対象であった一方、地元の人々の欲望を容赦なく実名で描く人として強い反発も抱いたもの」。
「この反発が50年間も私のトラウマになった。30代後半に「どこで、どう暮らすか日本人」を執筆した時も、60代になって「伊良湖岬村長物語」や「成田の大地と渥美の空と」で渥美半島の近現代史を書いた時も、明平さんの攻撃姿勢とどう異ならせるか、常に大きな壁として意識させられた」。
「それにしても明平さんは基本的にはアグレッシブであり、「スローライフ」=田舎暮らし=好々爺の明平さんという田舎幻想に収斂するのは間違い。退屈を拒否し、生涯に及んで挑戦をし続けたのが杉浦明平ではないか」。
しかしこうしたちょっと気負った発言に、思わぬ反論がフロアから出たのです。「いえいえ違います」と口火を切ったのは明平さんの長女のミナさんです。「父は晩年、野菜作りをひたすら愉しんでいただけですよ」。
得てして人物評価というものは、その人の思い込みによって展開されるものかも知れません。しかし読者は作家の現実像は知りえないだけに、書かれたものだけで勝負されるのが宿命です。文は強いものでもあり、また怖いものでもあるのです。