【愛宕の念仏寺】
嵯峨野の愛宕(おたぎ)の念仏寺に足を運んだのは、化野の念仏寺に行った帰りのクシー運転手の一言でした。「あのお寺さんの住職は昔、京大生が指を折った広隆寺の弥勒菩薩を修復した人ですよ」。
愛宕の念仏寺は渡月橋から北へ3km。京都のはずれにあるだけに参拝者は多くはないようです。しかし全国から集められた五百羅漢が並ぶことで知られています。その上での運転手の一言です。すぐにタクシーをUターンさせ、その境内に向かったものでした。
住職の西村公朝仏師は昭和15年東京美学校卒。三十三間堂の千体観音像の修復に従事したことで有名です。彼は全国に羅漢像を造ることを呼びかけ、平成3年に念仏寺に「千二百羅漢」を完成させます。
狭い境内と崖にびっしりと立ち並ぶ1200体は圧倒的です。おどろおどろしくもありユーモアもあり、素人づくりだけにどれもが稚拙なのは否めません。しかし稚拙だからこそ見る人の気持ちを思い切り和ませるといってよいようです。
それにしても昭和35年の広隆寺弥勒菩薩の指骨折事件は今も強烈に思い出されます。「あまりにも美しくつい手を触れてしまった」と当時の新聞に京大生の弁がありました。三島由紀夫の『金閣寺』を想起させるようなこの事件に、当時京大受験を目指していた自分はことのほか動揺したものでした。
西村仏師はこの弥勒菩薩の修復に際し、三つに割れ捨てられた指の破片を道端の草むらから捜し出し、完璧な修復を施したといわれます。壊れたものを元に戻す。そうした地道で誠実な作業が昨今ひどく尊いものに思われるのは、私自身の加齢のなす所以に違いありません。