嶋津隆文オフィシャルブログ

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裁判員には死刑執行の現場を見せるべき

2008年12月01日 | Weblog

写真:“赤いクメール”に殺された白骨の山 黒服は本人

昨日今日、いよいよ最高裁判所から裁判員候補への通知が全国で一斉に郵送されたといいます。その数29万人余。350人に1人の割合といいますから、30年くらいのタームで捉えると、国民の10人に1人が該当する高い確率です。大半の人が強制的に数日間、司法の場に参加させられることになります

あっ、うちにも来た! こういってブログに書き込んだり、友人に話すと守秘義務に違反するとして罰せられる実に窮屈な制度です。裁判所とは一通の手紙で国民の口を封じ連行するほど、そんなにエライのかと不快になるというものです。その観点から今日、とくに記したいのは、その司法素人の裁判員に、死刑判決の可能性ある訴訟にかかわらせる残酷さについてです。

上の写真をご覧下さい。数年前に、カンボジアを訪れた時、内々に案内されて目にした白骨の山です。70年代に “赤いクメール”が共産主義化に阻害となると称して、100万人を超える人たちを虐殺した跡の一つです。出来るだけカネが掛からないようにと、①撲殺、②生埋め、③餓死の3つの方法で大量処刑を行ったと聞きました。私が遭遇したのは、頭骸骨のへこみ具合からみて、撲殺された遺体の数百人分でした。思わず息をのみました。

言いたいことは、ポルポト派の“赤いクメール”の残忍ぶりではありません。死刑とは本質的に残酷なものだということです。その残酷な死刑の言い渡しを、昨日今日選ばれた裁判員は、明日にも行うのだという事態の深刻さを、どこまで承知しているのかということです。

テレビドラマでの裁判劇を楽しむのと違います。確実に生身の人間一人を殺めることになるのです。そうであれば裁判員となった人は、自分の行動には責任を持ちたいと思うに違いありません。いや責任を持ってもらわねばなりません。そして責任を持つというならば、言い渡す死刑判決がどういった結果をもたらすのか、現実にその人の目で絞首の場面をしかと見届けてもらうことも必要ではないでしょうか。

裁判員制度は天下の悪法です。刑罰という司法制度を通すと言いながら、人の生命を奪うということは大変な負担を強いるものです。ある日突然に裁判員となった人が、なぜこれほど残酷な仕組みに直接組み込まれなくてはならないのでしょうか。職業軍人で行ってきた戦争を、民主主義の名のもとに国民皆兵に切り替えるようなものです。

最高裁判所が、自らの理念のために国民を死に向けて総動員した“赤いクメール”の所為のように思えるといったら、それは言い過ぎになるのでしょうか。それにしても虐殺されたカンボジア国民の数が、裁判員に選ばれる確率と同じ10人に1人の割合であったという偶然の一致も、皮肉といえば皮肉なものです。


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