オルガ・トカルチュク、『昼の家、夜の家』

 とっておきな一冊になって、嬉しいばかり。『昼の家、夜の家』の感想を少しばかり。

 “もしも人間でなかったら、わたしはキノコになりたい”――。ここで、この後に続く文章で、この作品の虜になった。しかもこの物語の語り手は、どんなキノコも食べてしまうのだ…! 
 隅々まで本当に好きだな…と、読みながらうっとりと何度も思った。少し不思議なようで、何も不思議なことなどないのかも知れない、少し哀しいようで、本当は哀しいことではないのかも知れない、小さな町のそんなお話たちが色々にゆるゆると繋がっていく作風が、私にはしっくりと合うのだった。土地に埋もれた古い記憶や、町の人々が見た夜の夢の記憶が、まるで紗のようになって世界をやんわり包んでいるのも、幻想的でとても素敵だ。待ちわびていた慈雨に手を差し伸べる心地すらしつつ、つらなった言葉たちがすとんすとんと胸に落ちては素直に沁み渡っていく気持ちのよさに浸った。

  ポーランドとチェコの国境地帯にある小さな町、ノヴァ・ルダ。どんなキノコも食すとさらりと言う語り手は、“うかつにも地下水脈の上に建てられていて、いまとなってはどうしようもない”家に、パートナーと共に移り住んだ作家である…らしい。彼女が紡ぎだす文章からは、時に独特だけれど共感の持てる思惟があふれ、とりとめもない空想が広がっていく。どこかしらキノコにも似通った静の雰囲気をまとう、風変わりな隣人マルガとの会話は、噛めば噛むほど…奥が深い。そして少しずつ差し挟まれている聖人伝にも、何とも言えない味わいがある。一応聖人伝としての体裁で書かれているのだが、たぶん教会側から見ると異教的なところがあって、そのはみ出し方が面白いと思った。

 それから忘れてはならないのが…もちろんキノコ、である。滋味豊かでぷっくりとした姿も愛らしい、そのキノコのことである。美味しそう(?)なキノコ料理のレシピには大いに惹かれたものの、それ以上に、森の掃除屋さん…としてのキノコのことを思った。そのままでは土に帰ることが出来ない倒木や元生き物たちの骸を、地道に確実に分解してしまうキノコ。森の其処彼処に死が訪れた痕跡を、隠さんばかりにキノコが生える。にょきにょき生える。
 死のイメージの隣には、こんなにもぴったりとキノコが寄り添うけれど、なんて優しくてなんて静かな受容としてのそれだろうか。そしてそれはそのまま、この物語そのものに感じた印象でもある。家の形のような人の意識も、繰り返す死と再生の大きな輪っかも、果てしない夜の夢も昼の家も…全て、気負いなくありのままを抱きしめている。だから、沁み渡るのだ。
 
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