ミシェル・トゥルニエ、『メテオール(気象)』

 まず、全篇を貫く双生児のテーマの壮大な展開に驚いた作品。訳者の後書きによれば、哲学研究をする一つの手段として小説を書き始めた作家なのだそうな。なるほど納得、さもありなん…。
 ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』の感想を、少しばかり。

 双生児の持つ〈奇形性〉、それは例えば隠れ言語(風の言葉=エオリアン)。隠れ言語と崇高な遊戯と儀式とに守られた二人の完璧な〈卵形の愛〉。その、常軌を逸した共生関係の自己完結した形から、怯えた一人は振り切るように逃げ出した。残された一人はどこまでも追っていく…。
 そうして幾つもの国境を越えどこまでもさすらっていく双子の軌跡を追いつつ、物語の終着点が全く見えなかった私にとって、最後の最後の一行がそれこそいかづちのような一撃となった。そこにたどり着いてしまったのか…!という思いだけで、ただただ言葉を失くして息も絶え絶え突っ伏した。双子の愛の究極の形は、あまりにも想像を絶するものだった。何しろ最後にはこの地球を覆ってしまうのだ…。

 何ともかんとも不思議な小説で、読んでいる間は終始して、ジャン=ポールが両極を成して作りだす双子の磁場に捕り込まれているみたいな心地だった。それはまた対峙する双生児という合わせ鏡が作りだす、特異な奥行き故の罠でもあった。快とも不快とも決め付けかねる、纏わりつくようなその感覚の中に身を置いて、双子の片われポールが時に尊大に時に切実に語る輝かしい〈卵形の愛〉について、私も幾度か思いを馳せたみた。
 そしてまたその一方では、彼ら聖なる双子が呼ぶところの“単独者”側の人間であり同性愛者でもある叔父アレクサンドルの、単独者でありながら双子性への希求を秘めているかのような語りの内容にも心惹かれるところがあった。彼は主に異性愛主義の輩たちへ向けて毒を吐いているのだが、その体内の毒が孤独に侵されて自家中毒を起こしていく過程から目が離せなかった。個人的には特に前半の、風変わりな伯爵令嬢ファビエンヌと束の間心を通わせる「フィリピンの真珠」の章のエピソードなどが好きだった。
 すべての単独者が生前の兄弟殺しの烙印を押され、孤独にうちひしがれ後悔に苛まれている存在であるのに対し、双子だけが潔白なのだ――というポールの説もなかなか興味深かった。しかし何と言っても圧巻なのは、双生児の関係性〈卵形の愛〉を天空の現象〈メテオール〉につなげてしまう圧倒的な語りの技であることは言うまでもない。
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