マルグリット・ユルスナール、『ハドリアヌス帝の回想』

 古のローマへと、櫂を漕ぐ。 
 ためらいを捨てて思い切ってこの手を、その水面の下へと潜らせてみたなら、決して手が届かないようにしか見えなかった水底の宮殿にさえ、本当は触れることが出来るのかも知れない。そして、そこにかつて住んだ人々の姿、彼らの思いや秘められた内面の襞にだって、自分の意識がどんどん寄り添っていってしまう…ことすら、きっと起こり得る。というのが、優れた歴史小説を読む醍醐味なのかなぁ…と、ぼんやり思った。 

 『ハドリアヌス帝の回想』、マルグリット・ユルスナールを読みました。


〔 わたしが一九二七年ごろ、大いに棒線をひきつつ愛読したフロベールの書簡集のなかに見いだした、忘れがたい一句――「キケロからマルクス・アウレリウスまでのあいだ、神々はもはやなく、キリストはいまだない、ひとり人間のみが在(あ)る比類なき時期があった」。わたしの生涯のかなりな期間は、このひとり人間のみ――しかもすべてとつながりをもつ人間――を定義し、ついで描こうと試みることに費やされた。 〕 314頁 「作者による覚え書き」より

 素晴らしい読み応えだった。豊富な史実を繋ぎ合わせていく、緻密で繊細な美しさを持ちつつ凛とした文章。おろそかにされた無駄な文章など入り込む隙間もない、揺るぎなく整合された文体。それらが見事に再現させているのが、ハドリアヌス帝の内面世界である。その、信じ難いほどに説得力のある確かさと言ったらどうだ。再構成された皇帝の人間性が、その内省の声が、真に迫った体温を帯びながら伝わってくる感覚は、本当に凄くて圧倒された。 
 ふうっと気が遠くなりそうな時間の隔たりを、悠々と横たわるそれはそれは遥かな時間の隔たりを、ほんのひとっ飛び。そんな事を可能にしたのは、ユルスナールの類稀な筆力と、ハドリアヌス帝に惹かれてやまなかった彼の人の情熱に他ならないのだろう…と。

 天に与えられし役目からも遠のき、死を待つばかりのハドリアヌス帝が、病の床から己の人生を振り返り書き連ねていくこの手記は、未来の若き後継者へと宛てた形を取っている。目前に控えた死と向かい合わなければならない日々にあって、皇帝の波打つ心が徐々に平穏を得るまでの思惟の流れをたどる。
 素晴らしい洞察力によって肉付けされた皇帝の人格は、非常に興味深くまた、魅力に満ちたものだ。そこにいるのは、高邁であり高潔であり、若かりし頃には伸びやかな野心を、そして老いて後には唯一絶対なる覇者としての孤独を、その胸の内に一人抱え込んでいた偉大な皇帝である。だがその一方で私人としての彼は、あくまでも誘惑に弱い快楽主義者であって、時にその愚かしさはひどく人間臭い。そんな彼がこよなく愛したこと、それは、優れた文学や芸術の中から美を見いだすこと。そして忘れてはならないのが、美少年の存在…!

 とりわけ、皇帝の寵愛を欲しいままにした美少年アンティノウスの造形は、秀美である。哀しいかな、美少年に与えられし美しさとは、いつかは失われるという約束の上に、束の間開花したものに過ぎない。言ってみれば徒花で、神様の気まぐれな贈り物だ。それ故にこそ、彼らが身にまとう美しさには、哀切な翳がいつも落とされている。その陰影を、ユルスナールの筆が丁寧に描き出している。
 アンティノウスを悼む皇帝の思いを綴ったくだりは、この物語の中でも白眉な個所だ。神のごとく崇められた皇帝が、身も世もなく涙にかき暮れ悲嘆の海に溺れているのに、その文章はどこまでも冴え冴えと美しい。 

 特に前半は、本文と訳注の頁を何度も行ったり来たりでなかなか進まなかったし、人名が多いのにも閉口したけれど、こつこつ読んでよかった。
 60歳のハドリアヌス帝の息遣いと、胸の内。私はそれらに寄り添いながら、時には若かりし頃の勇姿に思いを馳せ、友情と愛情と栄光を勝ち得た稀有な人生を、心から称えたのだった。

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