ハンス・ヘニー・ヤーン、『岸辺なき流れ』

 『岸辺なき流れ』の感想を少しばかり。

 “わたしたちだけのものだった罪をいつまでも賛美する。” 481頁(上巻)

 素晴らしい読み応えだった。憑かれ、眩暈し、時には受け止め兼ねしばし立ち尽くした。その全てが快感だったのだから世話がない。類を見ない大河を読んだ…という満腹感で、今は倒れそうよ。しだいては渦をなす語りに押し流され、馴染みのない展開を繰り広げる思惟の言葉たちに巻き付かれるばかりで…濃ゆかった。過剰で異様な熱を孕み、どこか腫れぼったい歪みを見せてくる物語だが、その底流にあるのは深くて真摯な思いであり飽くなき問いなのだと、いつとはなく気付いた。そうしたらもう、幾日でも憑かれるしかない。

 第一部「木造船」は、全体からみると序章といってよい内容で、第二部「四十九歳になったグスタフ・アニアス・ホルンの手記」との繋がり上も重要な謎を積み込んでいる。まだ若かりし主人公グスタフは、船長の娘である許婚に乞われて密航者となった。それは老匠の建造による見事な全装帆船だが、変わり者の手による仕掛けといい、冷淡で口の重い上乗人や秘密の積み荷といい、端から謎めいた航海なのだった。一人グスタフだけが垣間見た船主の姿も不可解なまま、そして遂にあることが起きてしまう…。
 ケバット・ケニヤの挿話「二百年のあいだ墓に埋められていた男」にも見られる生と死、棺、そして復活…の不気味なイメージは、第二部からも執拗に繰り返されていく。

 例えば帯にもある、血液交換、吸血鬼、分身、死体保存、天使、妖怪…とは、唱えるだけで陶然としてくる羅列だ。でも、それらがこの物語の中でどう繋がり合い、どう描かれているかという点では、全く思いもよらない(まさに“不意打ち”続きの)驚異の物語だった。おどろおどろしい幻想の…などと期待しているとそれは違うし、結構気持ち悪い。その特異な気持ち悪さにも、魅入られた。
 そして今また、主人公の数奇な人生に思いを馳せる。彼が本当に望んだこと…わかりにくい。放埓と悪は、罪は、愛は…とぐるぐる。でも最後に手紙を読んで、そういうことか…と少しわかった気がして泣きそうだった。

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