エリザベス・ボウエン、『エヴァ・トラウト』 再読

 『エヴァ・トラウト (ボウエン・コレクション)』の感想を少しばかり。

 “エヴァは愛については、それが存在するということ以外に何も知らなかった――つまり、愛を見たことがあったので、知っているはずだった。” 19頁 
 
 やっと再読。素晴らしい読み応えだった。
 誰かが誰かを完全に理解するということはあり得なくて(自分を含めたとしてさえ)、それは小説に描かれた人物であっても当然そうなのだ…と、しみじみ思わせてくれるのがエヴァ・トラウトの造形だ。硬い言葉しか使えず、他者との対話を軽んずる彼女の独特な自律志向は、巨万の富を相続した若い女性であるが為に、望んでもいないのに周囲を巻き込む。勝手に流れを決めてしまう。
 彼女の魅力は捉えにくく、そもそも魅力的な人なのかどうか…よく伝わってこないけれど、“エヴァは愛は見たことがある故に、愛は知っているはずだった”…というような文章にぶつかると胸を衝かれた。

 訥々と話すエヴァ(母語が身に付かなかった)には、不器用な子供を思わせる危なっかしさがある。その特異で孤独な生い立ちが落とす翳りとか、予測不能なところも、不思議な魅力になっていたのかも知れない。だから彼女を取り囲む人たちは、利害絡みだけで関係を続けていたわけではなかった。と、そういうことかしら。そして最後にはちゃんと皆が、エヴァの幸せを願っていたのだと…。
 とりわけエヴァとイズー・アーブルとの結び付きには、看過できない、こだわり続けずにはいられない強さと深さがあったので、そこはまだまだ読みたいくらいだった。

 初読時は、読み難さに戸惑った第一部の印象ばかりが強く残ってしまった。今回は、美しい情景(とりわけ第二部の)をより堪能できてとてもよかった。ヘンリーの手紙も素敵だ(『感情教育』にさらっとふれるところとか、きゅんですね)。
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