カルロ・エミーリオ・ガッダ、『メルラーナ街の混沌たる殺人事件』

 『メルラーナ街の混沌たる殺人事件』の感想を少しばかり。

 “そして考えたのだが、それはこの都会の金メッキをされ、湯気の出ている謎であった。衣装、首かざり、薫りが壜から……。金の薄板が、夜半に明るい光を放つシンボルのように、オルフェウスの神秘的な儀式に向かう旅券のように。生命がこれを最後に成就されるあの場所へ入るために。” 246頁
 
 地図もなく読む、まさに混沌たるローマ。すったもんだに引き込まれつつ、文の一つ一つ、言葉の端々、一見無関係な細部への拘りを楽しんだ。面白く読んだエピソードは幾つかあれど、物語として全体を眺めてみようとすると、しばし言葉を失い途方に暮れそうになる…そんな作品だった。いやはや変梃りん。なるほどポストモダン。例えば、前触れもなく始まる突拍子もない脱線などは、慣れてくるとそれはそれで面白く、にやにやしながら堪能した。のだが、とりわけ、遺書の朗読の最中に挿入される“双眼鏡をもったアザラシ”の件などは、あまりのインパクトにどうにも呑み下せず、いつまでも喉に引っかかっていたのが忘れられない。あれは何だ。

 ローマはメルラーナ街219番地の「黄金の館」(成金たちの館)には、新興ブルジョアの家族ばかりが入っている。敏腕刑事ドン・チッチョ(曰く“おれがよばれりゃあ、きっと……難事件なんだ”)は、館の四階に住む友人のバルドゥッチ家で、午餐の招待に応じ、美しいリリアーナ夫人の控え目なもてなしにあったばかりだった。ところがその翌3月、同じ建物で、“三日の間をおいただけで”二つの事件が起こる。強盗と、殺人だ。
 強盗の被害にあったメネガッツィ伯爵夫人の宝石は、叙事詩化されるほどの評判で、女たちの欲望や妬みをあおり続けていた。中でも大きなトパーズ(人によっては“どぶネズミ”と発音する)の指輪は、過去の紛失事件でも有名だったらしい。大胆不敵な強盗にそれらが盗まれ、犯人も捕まらないうちに、同じ階のバルドゥッチ家で次の事件が…となるわけだ。二つの事件の間に共通点がないと考えたドン・チッチョは、別個に検討した方がいいと先ずは判断する。しかし…。

 一応(?)主人公のドン・チッチョ(ずんぐり刑事)の風貌が、その呼び名の通り、敏腕の割にあまりぱっとしないのだけれど、時折出てくるその屈折ぶりを読むのは存外面白かった。美青年への嫉妬が激しくて、勲等にやたらと敏感だったりするあたりも、恰好悪いようで憎めない。でも実はそれは、卑劣な輩を憎む心根と表裏一体なのだ。その反骨精神も推して知るべし…と、途中からは見直した。捻りと皮肉の効いた地の文の痛快さとも、似つかわしい。

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