西崎憲さん、『ゆみに町ガイドブック』

 タイトルを知ったときから“ゆみに”という、不思議な響きが気になっていた。声に出してみたくなる。“夢見”をぼかしたようでもある。
 『ゆみに町ガイドブック』の感想を少しばかり。

 “人はみなそれぞれ重要な架空の物語を、人目を憚るようにひっそりと抱えて、生きているものではないだろうか。” 11頁

 とてもよかった。自分の周りのありふれたものを見つめ直したくなる、清々しくて泣きそうな読後感。最後の一文にも、ぐっときた。
 一歩、また一歩と、ゆみに町の懐へと足を踏み入れていたはずが、ふと気が付くといつの間にか怖い話になっていて、はっとして自分の来た方を振り返った。その時の感じも忘れがたい。あの怖さは何だったのだろう…と、今も思う。ただ怖いだけではなく、理不尽で、どこかしら心が惹かれる眺めでもあった。ゆみに町のガイドブックの書き手である“わたし”にとって、あれが必要な物語だったのだろうか。そして或いは私にだって、当たり前の日常のごくごく薄い上っ面を剥がしてみたら、あんな風な怖さを生み出す元みたようなものが、其処彼処にあったりするのだろうか(ああ、それはそうかも…)。
 日頃読み親しんでいる小説とは一風異なる読み心地でもあり、そうかこの言葉たちは詩のそれに近いのか…と考えると、すとんと得心がいった。語り手自身の言葉の中に、“詩を使って記す”とある通りだ。

 以前にも少し感じたことだけれど、女性の描かれ方も興味深い。少し残酷じゃあないかしら…と思う箇所もあるのに、説得力があると言うか。端からその言動を見る限りにおいては、いつも安定していてある種の冷やかさを纏っている女性が、本当は己の内側にある溶鉱炉を危なげに見守っている…ということだってありうる。内と外がひっくりかえったらどんな姿になるのか、それは誰にもわからないのだから。巧く言えないが、そんなことに思い当った。

 クリストファー・ロビンを探しながら逃げ続ける、片耳をもがれたプーさん。読み手には何故なのかわからないけれど、町を改造したり記憶子を操作している雲マニア。“わたし”の元恋人イプシロンのこと、軽い妹とデスティニーランドのこと、ゆみに町を満たした気配のこと…。
 たどり着く場所もなく、この先もただ流れ続けるのだとしても、時々こんな風に、ゆみに町から世界を眺めていられたら、いい。

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