オルハン・パムク、『無垢の博物館』

 まず、タイトルに惹かれた。『無垢の博物館』の感想を少しばかり。

 素晴らしい読み応えだった。全てを読み終えてしまった今、もう一度冒頭にある1975年のイスタンブルの五月、潮とシナノキの香る春風に包まれたあの美しい刹那の情景に戻ると、泣きたいような笑いだしたいような思いが交叉して、胸がつまる。

 この物語は、テロの時代からクーデターを経て経済的に発展していく近代トルコを舞台に、主人公ケマルの一人称で語られる。イスタンブルの富裕層であるケマルは30歳にして理想的な婚約者を得ていたのだが、ある日遠縁の娘18歳のフュスンと再会し、その美しさに魅惑されて抗えず彼女との情事に溺れていくことになる――。

 小刻みな章を追う毎に、私の中でこの物語から受ける様々な印象が層を成すように折り重なっていくのが自ずとわかり、そのことが嬉しくて何度も胸がふるえた。その度に少しずつ少しずつ、物語の深みへと嵌っていくようで、その感覚が素敵だったから。官能的な不倫の恋の、もっとその先。恋人を失い狂気の中を彷徨った、更にその先まで。
 実のところ読み始めてからの暫くは、いったいここで何を見せられているのだろう?本当にこれが愛と呼べるものだったのだろうか…? だって、無責任なことは言うはストー〇ー(何と言えばなんと…)はするは…で、この主人公ってちょっとどうなのですか…?という戸惑いが、私の中からなかなか拭えなかった。
 けれども読み進めていくうちに、それまで見えていなかった全く別のものが見えてくる。もしかしたらこの人は、こんなに馬鹿げたことを何処までも貫き通すことで、いつかちゃんと望み通りの場所にたどり着くのではないだろうか? 一番欲しかった本物の幸せに、いつかは手が届くのではないだろうか…?と、そんな気がしてくる。情けない不誠実な男にしか思えなかったケマルに対して、驚嘆と賛辞の念が少しずつ湧き上がってくるのだ。例えば、ケマルがフュスンとフュスンの家族たちと共に過ごす時間の積み重ね、あらゆる一瞬一瞬を、愛おしげに慈しむように語る文章から伝わるひた向きで一途な愛情の吐露に、心が摑まれずにいられようか……ということ。

 興味深かったのは、フュスンにしても婚約者のスィベルにしても、どうしてもトルコという国に根強く残る女性の純潔性と言う問題に縛られて、人生すら左右されてしまうというところ。個人個人がどんなにヨーロッパ人の真似をして近代的な振る舞いをしていても、そんなこととは別の次元で屹然とそびえ立つ純潔という掟。それを乗り越えることの困難さに苦しまなければならないのが、新しい魅力を身に付けた女性たちである…と言う…。うーん。
 あと、ケマルの視点で語られているのでフュスンの気持ちがなかなか見えないのだけれど、かつての恋人や夫に人生を狂わされ夢から遠ざけられ、それでも足掻いてもがいて一人で傷付いていたのだろうなぁ…と思う。そして、どんなに愛していてもケマルには、そんな彼女を救うことは出来なかっただろう。可哀想にとは思っても、その鳥籠から放すようなことは決してしなかっただろう…。それは、フュスンも知っていた。


 無垢の博物館とはどのような場所のことなのか。架空の建物なのか、それとも…? 
 それについてはなかなか明らかにされないまま、物語はどんどん進んでいくのだが、この博物館の展示物を蒐集したのが誰であり、どんな理由によってそれらを蒐集することになったのかの経緯は、割と始めの方で詳らかにされている(その偏執気味な蒐集熱は個人的には好ましかった…)。この物語の素晴らしさ稀有さを際立たせているのが、それら蒐集品の存在であることはいうまでもない…と思う。
 そして、ラストが見事。ぐっとくる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

1月26日(水)のつぶやき

07:16 from web
おはようございます。こーしーなう。ところで、いつも眼鏡は定位置に置いて寝るようにしているのですが、時々見付からないことがあります。そういう時は、「あれっ。昨夜呑み過ぎた…?」と思うのでした。今朝がそれです。さっき見付かりました(古い眼鏡でお弁当を作っていた)。やでやで。
07:19 from web (Re: @catscradle80
@catscradle80 『のけ者』ではありませんの。て言いますか、『のけ者』って面白いのですか? と訊き返してしまう私(笑)。
07:36 from web (Re: @catscradle80
@catscradle80 ダメ人間小説!それ面白そう!(爆) まあ私が読んでいるのも似たり寄ったりと言うか(笑)、主人公の変態ぶりストーカーぶりが愛おしいです。ふふ。
07:48 from web
ダメ人間小説と言えば、先日豊崎さんが紹介されていた「タンナー兄弟姉妹」(作品集なのよねー)も面白そうだったなぁ…。て、同じ日の堀江さんが『のけ者』を!惹かれる!(てか忘れてた!) ううう、まず『マビヨン通りの店』は必ず読もうと思っていたのじゃが、じゃが……いも。
08:33 from web (Re: @catscradle80
@catscradle80 『マビヨン通りの店』って、渋面白そうですよね。私も図書館かなぁ。あ、私が読んでいる変態ストーカー小説は、そんなこと言ってたら叱られそうなノーベル賞作家の…………もごご(ひい、すみませんすみません・汗)。
09:07 from web
雪がざんざか降っている。こうなると、本が今日中にちゃんと届くのか心配。まあ、開けたらすぐに読むってわけでもないのだけれど、早く見たいし早くねぶねぶしたい。
11:42 from web
タイミングを逃したようで、朝ごはんも食べていないのにあまりお腹が空いてこない。楽と言えば楽。
13:57 from web
生協の宅配で届いたビールとチューハイが、いきなり冷え冷え。冷蔵庫から出したみたい(呑んだんじゃないのよ)。 いや待てよ? 冷蔵庫のよりもずっと冷たいじゃん。
14:21 from web
今、今読んだところ、とても素敵な章だった。数えきれない“あるとき”を集めた、「あるとき」という章。
16:42 from web (Re: @catscradle80
@catscradle80 うっ、ごめんなさい、これらの~がわかりませんっ(笑)。焦らすつもりではなかったのですが、ずっとパムクの無垢~を読んでいるんです。変態などという発言が申し訳ないくらい(ま、途中でちょっと…)、今読んでいるところが素晴らしいんです。もう残り僅かですが。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )