エステルハージ・ペーテル、『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし』

 何にうながされたと言う訳でもなく、ふと読んでみたくなった。
 「これこれ其処行く者よ…」と呼びかけられ足を止め、気付いたらこのタイトルに大いに惹かれていた。まあ言ってみればそんな次第で、手にとった一冊。

 「東欧の想像力」シリーズの三冊目にあたる。 
 『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし ―ドナウを下って― 』、エステルハージ・ペーテルを読みました。
 
〔 私はだんだんと女流作家になっていくようです。ご存知でしょうか? 片目を紙の上に置きつつ、片目は男性を追いかけているのです。そう、隻眼のハーン=ハーン伯爵夫人だけは別ですが。 〕 24頁

 ハンガリーを代表する作家による、ハイブリッド小説。中央ヨーロッパを貫く大河ドナウ川を、“プロの旅人”を名乗る主人公が下っていく。でも、雇い主への旅の報告書の内容は、奇妙なものばかりだ。歴史、恋愛、中欧批判、レストラン案内、ドナウの源泉、小説の起源…。
 この物語、読みだしてすぐにとても好きになったけれど、途中はちょっと手こずった。とりわけ後半で言及の増えるハンガリーの歴史とか、次から次へと出てくる固有名詞のオンパレードとか。いや、それはそれで大変に興味深い内容ではあったものの。

 少年らしい語り口から始まる、滑り出しはとても軽やかだった。主人公の“僕”と、どことなく秘密めいていてかっこいい遠縁のおじさんが、いっしょに内緒の旅をすることになる。ドナウ川の流れに沿って、最後まで。時は1963年、少年が住んでいたのは東ハンガリーの小さな村だった。

 滔々と流れ続けるドナウを挟んで 物語は二つの時間を行き来する。どうやら大人になった後の“僕”と思われる“私”が、もう一つの旅を語りだすのだ。おじとの昔の旅をたどり直しているらしい“私”は、プロの旅人でもあり、旅程におけるあれやこれやを雇い主にむけての報告文として綴っていく。…のだが、誰とも知れない雇い主の要望に対して、雇われ人である旅人の報告文の内容は、まるでわざとそっぽを向いているかのように噛み合わない。頓珍漢なやり取りになってしまう。 
 そうして繰り広げられるエピソード、いずこへとも知れず逸れていくウンチク話の数々が、時空間の枠からどんどん溢れだしていく。ハイネからマルクスに宛てられた手紙がさらりと差し挟まれるかと思えば、フナ(!)を所望して駄々を捏ねるヒットラーと、その愛人エヴァ・ブラウンにゲッペルスの可笑しな会話(更にそこに口をはさむドナウ川…)が突如始まったり。カルヴィーノの作品からの引用がふんだんに盛り込まれた章は意外にも読み易かった。あとは、ダニロ・キシュへのオマージュも。  

 先にも言った通り読みにくいところもあったものの、途中からは吹っ切れて楽しめ。エステルハージ家とはハンガリー最大の名門貴族なのだそうで、その末裔である作者と“私”はかなりの部分で重なっているらしい。

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