多和田葉子さん、『カタコトのうわごと』

 『カタコトのうわごと』、多和田葉子を読みました。
 
 “型にはまった物の見方をうまく引用できないから、何もかも自分の頭で考えないとならない。だから、嫌でも真剣さが出る。滑稽さも出る。おかしくて、直接的で、映像の鮮やかな「外国語文学」がわたしは好きだ。” 130頁

 “二〇四五年ともなれば、妻は食パンで出来ている。前夜に材料を揃えておいて朝の四時には自動的にパン焼き器のスイッチが入り、サラリーマンでもせめて出勤前に一目、妻の姿が見られるようにする。” 214頁

 私にとっては、目から鱗がごろごろ落ちる一冊でした。多和田さんがドイツ語で作品を書かれていることは知っていたのですが、それが不思議だったのです。何ゆえにドイツ語で…という、素朴な疑問でした。そしたらば、その答えがこの本の中に用意されていて思いもよらない内容だったので、目鱗…でした。
 なるほど。言われてみれば、そういうものか…と得心がゆくけれど、言われなければ絶対に私にはわからないことでした。母語のようにはあやつれない不自由さが、必ずしも枷であるとは限らない。言葉って本当に奥が深い…。“外国語文学”と言われてもぴんと来ないかもしれませんが、有名な作品では『悪童日記』が挙げられていました。 

 他にもはっとさせられることの多い一冊でした。書評や劇評も収められていて、大変面白く読めました。特に笙野頼子さんの『硝子生命論』と水村美苗さんの『私小説 from left to right』の書評が読めたのは、想定外の収穫です。むふふ。

 新装版の装幀も好きです。翳りのある白に、タイトルの周りにはうたかたのような加工。カバーを外すと、一面に銀鼠の泡沫があらわれるのです。
 (2007.6.20)

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