イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

Two run ドッと

2008-08-31 00:32:28 | 昼ドラマ

久しぶりにNHK朝ドラ『瞳』を観たら、ダンスビート落選後の瞳(榮倉奈々さん)が“プロのステージダンサーはひとまずあきらめて、地域の人たちにダンスの楽しさを教えることを仕事にしたい”と目標を切り替えているのはまあいいとして、画面的には中一になった友梨亜(森迫永依さん)ちゃんとその同級生たちのセーラー服姿、短パン&トレシャツでのダンスレッスン姿で、すっかり“ロリ萌えニーズ”御用達ドラマになっていました。

頑固なお祖父ちゃん(小松政夫さん)からのプレッシャーもあって“君はtoo shy”だった境野涼子ちゃん役山口愛さんは、笑うとクシャッとなるクチもとやアーチ型に細まる目もとが、80年代初頭の『金八先生』などで活躍した名子役伊藤つかささんにそっくりですね。当時伊藤さんファンだったおじさまたちが目をハートにして観ていそう。 

やっぱり、コレ言っちゃお終いというか敗北宣言になっちゃうけど、TVは子供と動物と料理」ですかね。いくら本職の眞木大輔さん連れてきても、ダンスだ何だ大人のやることは、キラキラ子役さんたちがウフフキャッキャし出すと色あせて見えてしまう。料理と言えば相変わらず、一本木家は夕食にバケツほどのボウル一杯サラダ食べてますな。

月河の年代では何と言っても“シラケ鳥”“(伊東四朗さんの)マイナー息子”が代表作だと思う小松政夫さんは、確か95年の朝ドラ『走らんか!』では加藤晴彦さんの父親役だったと思います。13年で中学生の孫を持つお祖父ちゃん役に。

この間には96年『age35 ~恋しくて~』で中井貴一さんの、オフィスラブ経験者上司ってのもあったな。あまり本数見てないため思い出せるのはこれぐらいですが、実年齢の加齢と仕事の役柄とのシンクロ制御に苦労している役者さんが多いと思う中(つい昨日も、46歳寺脇康文さんの『相棒』卒業がセンセーションを巻き起こしたばかり)、珍しいほどうまいこといっている人ではないでしょうか。コメディアンとしての芸歴が長く、本格的な役者スタートが中年になってから、というのも“加齢に振り回されない”勝因かもしれない。

体型や風貌が激変されていないのも強みでしょうね。お若い頃の“小モノ・頼りなキャラ”の片鱗をとどめたまま、白髪交じりが似合う、孫ラブお祖父ちゃん俳優へ。ある意味理想形ですよね。お身体に気をつけて長く活躍していただきたいものです。

さて、一昨日(28日)に、予約していた『白と黒』サウンドトラックCDがめでたく届きました。

まずはドラマタイトル映像そのままの、境界がうすらぼやけた白/黒のシンプルな表面と、広げると灰色のグラデーションになっているジャケデザインがクールで好感持てます。「どんなドラマのサントラ?」というところに予断も言質も与えない“閉じた”感じがいい。

もうひとつ、聴く前の段階で嬉しいのは、全27曲の各演奏時間が裏ジャケに明記されていることですね。これは本で言えば目次に相当するので、アルバムの編集上、必修だと思うのですが、なぜか、特にサントラ盤で演奏時間を載せていないタイトルが多いのです。なぜ?最近は音楽通販・試聴ダウンロードサイトで調べられるからでしょうか。

岩本正樹さん作曲のアルバムを聴くのは一昨年『美しい罠』、昨年『金色の翼』に続いて3作めです。『美罠』を象徴するのが湖面のようなさざめき感と揺動感、『金翼』が浮揚感・リゾート感だとしたら、今作は“光の移ろい感”だと思います。

ドラマ公式サイトで岩本さんご自身が今作のテーマを“情熱”と“視線”に置いてみた…と答えておられますが、主要人物のひとりが(挫折した)画家志望であり、物語の随所で“絵画”がキーポイントになっていることも念頭におかれていたかもしれません。

深い水を湛えた淵の、日向と日陰。昼と夜。黎明と黄昏。対立するふたつの姿としてではなく、あわいに無数の諧調を含む動態として、岩本さんの曲はとらえています。音楽上の長調/短調とは別の意味で、“これは暗い曲”“こっちは明るい曲”と二分法で考えないで、軽快な音の下に諦観と哀調を、深閑とした音の中に強靭な決意を、悲愴な音の奥深くに希望と祈りを、覗き込むように、掬い取るように聴くべきアルバムでしょう。

無理矢理単体で言うと、M‐3“綴れ織り”の祝福された豊潤さ、劇中で初めて流れたときに「今年もマストバイ」を確信したM15“棄てられた絵画”の沈潜した弧絶感が格別たまりません。後者はヒーローものやギャングスタ映画にもマッチしそう。

後半に入ってのM20“白いブラウス”~M24“枯れた花と小さな瓶”に至る、痛ましい明澄さ、うまく表現できないのですが「匹夫の勇」「朝雨女の腕まくり」とでも言うべきか、「頑張ってるけど人間って弱いものだよね」「でもその、弱くても頑張るところがいいんだよね」と微笑とともに呟いてしまう美しさも催ヘビロテ性が高い。

また、ラストM27主題歌『ひかり』インストヴァージョンが、こう言ってはなんですが意外な拾い物でした。この枠のドラマ以外のサントラも含めて、いままで聴いた“主題歌のインスト”の中でいちばん充実していると言えるかも。いつも砂川恵理歌さんのヴォーカルで、タイトルかぶせでちょっと流れてから本編に入ってフェードアウトしていく形で聴き慣れている部分の、後に入る所謂“(イントロならぬ)中トロ”がすばらしい広がりを見せるのです。原曲であるプッチーニ『トゥーランドット』の主題が、歌詞の当たっている部分よりも活きている。光あり影あり、日の出あり日没あり、闇夜あり炎昼ありのアルバムの締め括りの位置に入れるのにふさわしい曲だと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よいしょ よいしょ

2008-08-30 00:20:25 | CM

極楽加藤…と呼ぶのがそろそろ似合わなくなってきた“狂犬”“若頭”加藤浩次さん、“ウコンの力”CMずいぶん長くなりましたね。

もう78年前になるのか、商品名知ったときにはユースケサンタマリアさんがやっていたと思いますが、その後V6年長組になったり、一時は木の実ナナさんに黒谷友香さん、あと山川豊さんだっけ?演歌の人。NHKかどこかの廊下で行き会った順番に声かけて起用したとしか思えない顔ぶれもありました。いま考えれば、おっさんおばさんお肌の曲がり角と、健康食品コンシャスな層をうまいことカバーした絶妙のキャスティングでした。

最近よくオンエア見かける加藤さんのヴァージョン、ホームで終電目の前に酔い潰れちゃった先輩社員を加藤さんが「マツモトさん!!」っつって揺り起こすのがおもしろいですね。どうしても事務所の先輩の、高額納税者常連のアノ人を思い出しますもんね。CMの中の役者さんは坊主頭でも、ポール・スミスのスーツでもない普通の小メタボなおっちゃんですけど。

しかしね、高齢家族に随伴して昼間のTV見てると、この、健康食品業界のCMってのはえらいことになってますな。出稿量的にも、風圧的にもね。黙ってっと何飲まされるか、食わされるかわかったもんじゃないですよ。ローヤルゼリーに豆鼓(とうち?)エキス、黒酢ににんにく卵黄、ブルーベリーにグルコサミンになんたら青汁。

王侯貴族でも大富豪でもない、普通の人の、日常の食卓にも世界各地の食材があふれ、飽食の時代と言われて久しい日本ですが、ここへ来て未体験ゾーンに突入したような気がします。“狂食”“惑食”の時代とでも言うのでしょうか、輸入農産物の残留農薬や表示偽装などの問題も含めて、「何を食べたらカラダにいいのか、安全なのか誰もわからない」ため模索しまくり、それに付けこんで煽りまくりなのが現状のような気がします。

CMとして、もう行くところまで行っちゃってるなあと思うのは“皇潤(こうじゅん)”でしょうね。84歳で棒高跳びやってるとか、91歳で山岳スキーとか「撮影中に死んだらどうするんだ」と心配になるようなシロウトさんを次から次出してきたかと思うと、八千草薫さんや三國連太郎さんと“Around 80(エイティ)”の大物俳優さんがカメラ目線で「こうじゅん。」…ちょっと、昨年のひと頃平日昼によく流れていた宗教系啓発団体のCMを思い出す“ソフト洗脳”を隠さない空気感です。

慢性の膝関節炎でこの商品を通算5万円相当分購入して飲んだという高齢家族の高齢お友達の話。整形外科の先生に「ヒアルロン酸をいくらクチから飲んだって、膝になんか行きませんよ」「そんなに(CMで言うほど)効くなら、病院でウチら医者が出します」と一笑に付されたそうです。わはは。おっしゃる通り。

その高齢お友達はその病院の、他科の医師からダイエットを推奨され、1年間で8キロダウンに成功したらそれだけで膝痛は嘘のように軽快したとのこと。加齢してからの膝の痛み、軋み、水が溜まるたぐいの症状は、あらかた“体重オーバー”が主因、と指摘されたとも。

しかし、だからこそ出来合いの何かを買って“クチから飲むだけ”“ガマン、辛抱無し”のイージーさには、5万円投じても(その時点では)惜しくない洗脳的な魔力があるんですな。

再放送の『その灯は消さない』は第40話。

堀口家長女律子(吉野真弓さん)と川合(大橋吾郎さん)の結婚前提松本行き問題が一服するかしないかの間に、藤夫(柴俊夫さん)がひとときの現実逃避を求めた役員秘書・桂子(麻生真宮子さん)は事後ゆっくりと粘着ダーク化し、健一くん(芦田昌太郎さん)が一度だけデートした風俗嬢・晴美(有沢妃呂子さん)からは気を持たせる電話がかかってきて、その晴美には塀の中から出所間際の男(=“エイジ”)がいて、その件で客の貸金業者から取り立てを食っており、一方伊東で智子の長兄夫婦と同居の実母は嫁との折り合い悪く認知症がすすみ突然の家出上京…と、12話の間にこれだけの人物の抱える物語をよくぞ手広くカバーしていると思う。

「あの人物のアノ事情、放置だけどどうなったっけ?」となる“お客さん伏線”がなく、漏れなくなんらかの拡大延長が見られるのです。

舞台背景も堀口家の居間・律子と健一の各個室・藤夫智子夫妻の寝室のほか、藤夫が室長をつとめる建設会社、桂子が陣取るその専務室、OL律子の職場イワタ電機販売課、川合の生活感薄いマンション、川合が寄稿し編集長田中(まだ小メタボな斉藤暁さん)が目をかけてくれてる“週刊トップ”編集部、その応接室、川合の行きつけで律ちゃんも常連になった寡黙なマスター日野(不破万作さん)のバー、智子の大学時代からの親友弘美(山村美智子さん)のジュエリーショップ、藤夫御用達の座敷つき小料理店、智子の伊東の実家、松本のお祖母ちゃんが仕切る造り酒屋高瀬家…とセット数も豊富、街頭ロケもかなり頻繁。

これに比べると現行本放送中の『白と黒』を筆頭に、最近の同枠昼ドラはずいぶん舞台が狭く少なく、屋外ロケ回数も僅かで、“行きつけの店”も1軒限定なら、1話の中でカバーし、消化し、前に進めるサブストーリーの本数もえらく細ったなと思います。ひと組のカップル、ひと組の三角関係にスポットを当てると、ほかの脇キャラは何も物語を背負わず展開する機会も持たず、主役たちに茶々を入れるだけの単なる“置き道具”化。ここらにバブル崩壊後の“失われた10年”が表れているということでしょうか。

『その灯~』の本放送は96年1月期。ロケ費、セット製作費など物的な面より、やはりソフト面の貧困化を感じてしまいます。過去の恋を封印してきた人妻の物語、実家親の介護問題に悩む主婦の物語、よき夫・父たらんとする会社人間の物語、女に目覚めた娘の物語、エロス覚醒を持て余す受験生男子の物語、平和で真っ当な家庭人ワールドに背を向けて都会を漂泊するお水、カタカナ職業男女の物語…複数の価値観と世界観を描き分けつつ最終的に統合するドラマ作りの技法が、わずか10年少々でこれほど衰退してしまうとは。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

座れば釦

2008-08-29 00:39:40 | スポーツ

この一両日、帰国メダリストたちが地元、出身校・職場などで帰朝報告のニュースを何度か見ましたが、人前に出るたびいちいち“証拠物件”みたいにメダル首からぶら下げてかなきゃいけないってのもしんどい話ですな。

競泳の北島選手なんかは2個下げなきゃならないから、『ジャンクSPORTS』の浜ちゃん流に言えば「上も金2つ、下もキン2つ」でバランスはとれているけれど(何のバランスだ)、結構、首が疲れるでしょうね。

アメリカのマイケル・フェルプス選手にいたっては8個ですよ。あちらでは日本のような凱旋メダル御披露興行ツアーみたいのはないかもしれませんが、まともにいったら頚椎損傷だね。ますます顔が長くなっちゃう(失礼だ)。

『白と黒』は第43話。身元保証人となった大貫(大出俊さん)を抱き込んでの聖人(佐藤智仁さん)の研究所機密に関する企み、最初に知らされてショックを受けた一葉(大村彩子さん)ですが、“自分にとって苦痛なこと、受け容れがたいことは、無いものとして扱う”“自分に都合のいい虚構に作り変えてアナウンスする”という、得意の方法論で対処すると決めたよう。「破滅型なんて人間はこの世にいないわ、愛で人は変われる、変われないのは愛が足りないからよ」と強弁して、更生などしていないとわかった聖人に“私の愛で更生させるんだから、もう更生したも同然”という理屈で服従し、頼まれていた契約書の盗撮を試みます。

しかし、ファイルロッカー開けるだけでガタガタ音たてて怯えまくり、デジカメ持つ手も震えまくりのトウシロ工作員・一葉の犯行のバックに流れていたBGMは、本編中どっちかと言うとお間抜けなシーンに多用されていた系の曲で、ストーリー的にも、聖人の目論見としても“主眼”ではないのだろうなという気がします。むしろ聖人は、一葉がどこまで自分の手駒になりきってリスクを冒す勇気があるか、瀬踏みしてみたかったのでしょう。

ただ、父・秋元の言葉として一葉が引用した「破滅すると自分でわかっていてもそっちにしか突き進めない、破滅型の人間というものがこの世にはいる」はちょっと生煮えでいただけなかった。“聖人というのは世間一般的にはこう捉えられる人物です”と説明し過ぎなように思いました。こういうことは客が観て感じ取り、頭の中でしばらく転がしているうちに初めて“破滅型”という言葉に行き着くようでなければいけない。感じ取る前に「コレです、コレ」とばかりアンチョコが差し出されてしまっては台無しです。坂上かつえさんほどのベテラン脚本家でも、やはりこういう解説台詞使ってしまうかな。

『白と黒』というタイトルですが、第二部に入ってから、“白”については“理想や目標に向かって勤勉に努力すること”“家族や恋人を尊敬し大切にすること”等と、第一部以来の定義が一貫して明確ですが、“黒”ってのはどうイメージされているのか、何をもって“黒”と表現したいのか、もうひとつはっきりしてきません。

第一部では“社会規範や倫理を踏み外し、他人を傷つけても己の欲望に忠実に生きる”が黒とされていたようなのですが、毒殺未遂以降の聖人は“白に充足する人々の価値観を蹂躙し平和を乱し、不幸にする”という、もう一歩進んだ黒を体現しているようでもあります。

もちろん、一歩進もうが百歩進もうが、すべてが聖人にとっては“本能的欲望の充足”であることには違いがないのでしょう。

昨日42話からの続き、聖人がわざと礼子(西原亜希さん)の寝室に落として行った上着の釦をめぐる攻防の語り口はエピソードとしては見応えがありました。

章吾(小林且弥さん)に問われて“聖人の仕業”と直感し、「玄関先で拾った」と咄嗟に言い抜け、ちょうど大貫を案内して来訪した聖人が、これ見よがしに脱いだ上着を見て確信し、急いで台所に駆け込み、お茶を出す手伝いにかこつけて部屋の掃除をした家政婦路子(伊佐山ひろ子さん)にも同じ嘘を言いつつ、どこで見つけたか聴取。

大貫との応対の間じゅう聖人に問い質し釦を押し返す機会を探る礼子。礼子が気づいたなと察して弄ぶように反応を見る聖人。「寝室のCDコンポを見てくれないかしら」「俺が?電気なら兄貴のほうが詳しいよ」と互いにガン飛ばし合う。ここのイヤ~な緊張感がたまりません。

続いて和臣(山本圭さん)が入室して同席すると、もう礼子は手もクチも出せません。辞する間際に送って出ようとすると和臣に「部屋のノートを取って来てくれ」と頼まれ、聖人と2人だけで接触することは結局できずに終わる。

一方章吾も玄関先で聖人の上着の釦がないのに(礼子同様、見せられて)気がつき路子さんに「あの釦どこで拾った?」と尋ねます。路子さんはもちろん「寝室のベッドの下に落ちていたんです」と答えますが、ついさっき礼子に「研究所の玄関先で拾って章吾さんのものだと思い部屋に持ってきたんだけど、どこに置いたかわからなくなっていたの」と聞かされていますからその通り言い添える。章吾は一応納得。大貫来訪の間だけ3人が隔てられていたことで、路子さんを抱き込んだ礼子の嘘がタッチの差で辻褄が合った。

気の毒なのは、安心して「そろそろ子供を」なんて寝室でやる気を出している章吾のほうで、礼子はある意味聖人より狡猾な嫌な奴なんだけど、この数分間のくだり、なぜか礼子の身になり“切り抜けられますように”と思ってしまうんですね。言わば観客視聴者の“黒”部分を触発するような語り口になっている。

礼子は釦の件でシメることができないまま聖人に帰られて、章吾との寝室に入っているわけですが、章吾からの子作りの誘いにためらわず応じている。聖人への“見せないあてつけ”のようでもあります。

CM明け、一夜明けて聖人からの盗撮指令を帯びて出勤した一葉に「聖人の上着の釦、なくなってないか、うちの母屋の寝室で見つけたんだ、研究所の前で礼子が拾ったって言うんだけど」と章吾が訊く。一葉は「聖人がこの辺で落としたらしいと言っていたけど、探しても見つからなかったの、礼子が拾っててくれたのね、よかったわ」とすんなり答える。ちょうど来合せた礼子に章吾が「あの釦聖人のらしいよ、一葉をここへ送ってきた時にでも落としたんだろう」と言えば礼子は何食わぬ顔で「ソウナノ?じゃ後で持って来るわね」…いろんなことが整合して章吾ホッと顔を撫でる。「志村、うしろ、うしろー!」じゃないけど、“お人よしの章吾さんに本当のこと教えてあげたい”と観客の大半が歯がゆく思ったでしょう。

「母屋の寝室?」と一葉が引っかからないのが不思議と言えば不思議ですが、この時点では一葉、盗撮指令で頭がいっぱい。もしもこっちの方向へ行けばこうなる、あっちの脇道に入ればああなるといろんな展開こじれの可能性を示唆しながら、章吾ホッへ落とすまでの語り口はなかなかスマート。さすがに事件もの・刑事ものを書き慣れている坂上かつえさんです。

聖人にしてみればこの釦、さほどの“命中確率”は期待せずに放ったダーツの矢だったかもしれません。一葉を研究所に送ったあとドア越しに手でおはよう挨拶交わしたしたときの章吾の屈託ない表情で“命中はしてないな”と悟ったはず。後から「そう言えばあのときの釦…」と思い出されて、章吾なり一葉なりに毒が効いてくればめっけもの、ぐらいのハラだったのでしょう。当面、礼子を刺戟し、意識的に章吾に嘘をつかせ隠し事を持たせることさえできれば、聖人としては第一段階クリアです。

こういう形でしか自己表出、自己解放のできない聖人に、礼子はこれからどう対応していくのか。「お願い目を覚まして」なのか「あっちへ行って邪魔しないで」なのか、はたまた「私も一緒に行くところまで行くわ」なのか。

釦一個でこれだけ腹の探り合い。もうこうなるとどっちが白でどっちが黒…なんて世界じゃないですな。人間ってしょうもない存在だなと思うばかり。

なんかね、かつて昭和40年代、高倉健さんらの仁侠映画が人気だった頃、「映画館から出てくる客がみんな肩いからせて左右に揺すって歩いて来る」というジョークがありましたが、このドラマ、観た後は、観る前より確実に人相悪くなってそうなんだな。“黒”の淵を覗き込むと言うか、覗き込んでいる人を物陰から盗み見るというか、そんな隠微な“禁断感”が何とも言えないんですけど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

侵略なんかするかいのぅ

2008-08-27 20:11:38 | 四季折々

そろそろ洒落になんないくらい涼しくなってきたので、着るものの夏→秋入れ替えをしようかと思ったら、昨日長袖で出かけてひと汗かいてしまいました。「早まりめさるな」と自分で自分を止めたものの、今日はまた五分袖でも肌寒いくらい。風邪をひかないことが奇跡のようです。

毎年この時期になると思うのですが、北国の夏、“短い”と言うより“儚い”と言っていいほど実働期間があっという間なのに、何でこんなに夏物の半袖フレンチ袖のTシャツ、トップス、やたら数持ってるんだろう。一年の大半は箪笥の詰め物だっちゅうの。

洋服関係で働いていた頃は、東京本社での展示会にほぼ毎季、出張して発注かけていたのですが、5月下旬~6月展開の盛夏物は当地では売れる時期が短く、当時の人気商品で京都店や大阪店のバイヤーさんが山のように取っていくレゲエカラーのタンクトップや、麻混のマイクロミニスカ、リブカットソーのヘソ出しチューブトップなどは月河の店では営業日にして710日ぐらいしか売り上げになりません。

当然控えめにとるようにしていたら、「展開日数短いからこそ意欲的に取り入れなきゃだめです」と先輩から叱られました。

「たとえプロパーで7営業日しか売れなかったとしても、夏全開の見せ方をきっちりしておかないと、秋冬物に切り替えた時にはずみがつきません」…「単価の低い盛夏物より、ウチが主力にしているのは秋冬の重衣料(=ドレス・コートなど)ですから、盛夏物がプロパーで点数行かないことは気にしないで、“沖縄やハワイに行くとしたら何着たいか”考えて取ってください」「夏の展開が大胆で露出度高いほど、秋物が新鮮に魅力的に見えますから」「夏は秋のためのタネ蒔きです」とハッパかけられたものです。

北国の夏は、“元気に秋に行くための通過儀礼”みたいなものなんですね。冬来たりなば春遠からじ。夏来たりなば秋遠からじ。常に“次に来る季節”を思い続けて、いつになったら“待望の季節”が来るのだか。

現実的には、夏物の、特にトップスは単価が低く、かつ色目が鮮やかでキャッチーなため、目について気に入るとつい買ってしまう、買えてしまう、の積み重ねが現在の箪笥の詰め物の稠密状態につながっていますね。

東京に住んでいた頃のように、肌着同然に一日何度も汗にしては着替えて洗濯、干してはまた着て…という生活に戻らない限り、もう死ぬまで足りるくらいある気がする、夏物Tシャツ。バーゲンで心惹かれても、金輪際買わないぞ。買わないったら買わないぞ。

24日(日)の『炎神戦隊ゴーオンジャー』GP27では、恒例の男性メンバー女装イベ。今年はグリーン範人(碓井将大さん)に来ましたなぁ。めっきり高身長なことをどうにかクリアすれば、いちばんキャラ的には女装向きでしたわね。『スーパー戦隊』ではどっちかと言うと戦略的に使われることの多かった女装ですが、お世話になった人(=実はガイアークに騙されて組んでいた魔女博士オーセン=お仙さん)を喜ばせるため、というところが範人らしいですね。

それよりメンバーの「そういう趣味があっても僕らヘンな目で見たりしないッス」(ブルー連)「その可愛さ、同期として自慢できる」(ブラック軍平)「あんな妹がいてもいいかと思った」(ゴールド大翔)といったそれぞれのリアクションがおもしろかった。

造形まで「グゥ~」ポーズに合わせたダウジング蛮機の声、エドはるみさんが演っていたのですが、無難にこなしただけで、顔出し木野花さんのオーセンほどのキャラ立ちはみられなかったですね。「さらば!異次元の我が孫娘よ!」と去っていくオーセンは、メアリー・ポピンズのようでした。

グリーンつながりじゃないけどちょっと『デカレンジャー』のシンノー星人ハクタクさんを思い出しました。最終話前の大詰めでもう一度、ゴーオン応援団として出てくれないかな。

範人メイン回だとケガレシア=汚石冷奈(及川奈央さん)がもう一度からんでくれてもよかったかなと思うのですが、全体的に“年上女性”と相性がいいのが範人なのね。

「探さないでくれナリ、新たな自分を見つけて必ず帰ってくるナリ」と手書きの書置きを残して行方をくらましたヨゴシュタイン様の帰還も待たれる上、来週GP28はテレビ朝日ならではの『相棒』パロ回らしい。

右京さん役は“エステー消臭プラグ”お殿様役でおなじみ今井朋彦さん。ふたりだけの特命係と“愛すべき天敵関係”のトリオザ捜一・イタミンズ、生活安全課の窓の外・ノッポとヒゲのコンビのパロも登場するのかな。『相棒』ラブな高齢家族とそのお友達たちにも必見のエピになりそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あ、本気じゃないぜ

2008-08-26 23:45:11 | CM

“ファンタゼロ レモン”CMが面白いですね。「3年○組 革ジャン先生」とか「将軍先生」「昼メロ先生」などの“ファンタ学園”シリーズで押してきましたが、今度は転校生。

OLから転校してきた…」「里中れもんです」。…授業中に睫毛カーラー、体位計測に黒シュミ、中学生の、特に男子がイメージする“オトナのオンナ”を苦笑もんのパロ。いやはや、いまの“オトナ”はイメージ悪いねぇ。「里中さんのオイル塗り2時間待ちでーす」って日没プール閉鎖するって。先生がたも並んでるし。

オトナのオンナ。中学生のお友達には心ときめく響きでしょうが、元OLの月河から言わしてもらうと、意外と“オトナのオンナ”の血中オンナ度は、中高校生より低かったりするのよ。キミたちの同級生や上級生の教室のほうがずっと“オンナのギュウ詰め”“発酵寸前”状態だったり。おカネ貰って働くってことは、ときに“女”と両立困難なものなのだよ。

まぁどんな会社でも、ブリブリしてたりウフフキャッキャしてたり、アンニュイ浮遊してたりの子はいたけどね。職業や環境を問わず、容姿や、年齢すら問わず、“女”って天性の素質でほぼ決まるんでしょうな。

『白と黒』41話。第9週入りした昨日~今日でだいぶ持ち直しました。

聖人(佐藤智仁さん)の書いたシナリオ。“許す人、許せる自分でありたいと願う人”である章吾(小林且弥さん)が、一葉(大村彩子さん)の送迎日参して見せれば早晩助け舟をくれるだろうことはわかっている。和臣(山本圭さん)も、3年前の事件の当事者である自分が直撃しては拒否されるだけだが、思い込み尽くし型の一葉を研究所で忠実に働かせ外濠から埋めれば必ず軟化する(「ここは職場だ、“おじさま”呼びはやめなさい」←職員としての容認を示す)。

聖人(佐藤智仁さん)の計画は、桐生家の人間ひとりずつに自分を受け容れさせて行き、然るのちに最終的に礼子(西原亜希さん)を孤立させること。“夫にも義父にも、義妹となった一葉にも、誰にも本音が言えない”状態に礼子を追い込みたいのです。聖人は“秘密を共有する”ことで礼子を縛り、心ならずも家族に隠し事を持たせ、彼以外味方を居なくするという手管に味をしめている。

嘘くさい改心姿・一葉との純愛姿を繰り返し見せられても退屈だけれど、こうして手筋が読めてくると俄然物語に生彩が出てきます。すでにノーガードでせっせと所内を働き回る一葉から、ベテラン研究所員中村(久ヶ沢徹さん)が企業研究員と接して年俸差などから忠誠心を失いかけていることも聴取。服役中に和臣が誇る新薬効成分“A115”について情報収集し「親父の偉大さや、兄貴たちの努力の尊さがわかった」とうそぶいていましたが、もちろん“自分にとっての利用価値”をいろんな角度から鑑定評価し、利用策を練ってもいたのでしょう。

礼子・一葉のそれはもちろんですが、研究員たちや新薬開発のために出入りするようになった製薬会社のスタッフらも含めて、“人間なら暗部が必ずある”ことを熟知しているのが聖人の強み。

家政婦・路子さん(伊佐山ひろ子さん)に「親父ものにしたか?」「結婚すればいいのに」「いつでも“母さん”って呼べるよ」などと、彼女の和臣への、尊敬と忠誠心以上のほのかな気持ちを微妙にくすぐる発言をし続けているのも気になります。路子さんは早くに夫に先立たれ、あまり嘆かないが子供に恵まれなかったことは残念がっていますからね。

ただ意外に「ミトコンドリアがどったらこったら」の和臣のほうがより強く路子さんにラブ?な示唆もあり、偽善者親父に、女性に優しい視線向けるイメージが描けるはずのない聖人、ここらがちょっと読み違えてそうで心配。

ところで、第二部に入って章吾礼子夫妻が「東京の一等地に事務所を構えた」設定になり、聖人が章吾の口利きでワインを納品するなど東京が舞台になる場面も増えてきましたが、場面転換して“次のシーンは東京だかんね”を示すための都心の交差点や雑踏のイメージ3カットほどが、05年『危険な関係』から変わってないように見えるのは気のせいでしょうか。『危険~』は季節が盛夏ではなく初夏だったから、ちょっと違うかな。06年『美しい罠』からかな。

イメージですから脳内で「ハイハイ東京来ました東京ね」と切り替えができれば別にいいのですが、3年経つとさすがに走ってる車種も微妙に新しくなってて当たり前だし、イメージカットのたびに強い既視感をおぼえるのもやや脱力もの。いきなり東京タワーや都庁舎や六本木ヒルズなど“田舎者でも(ほど?)TVで知ってる東京アイコン”を挿入されるよりは、まだ良しとするべきか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする