イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

オリヴィア・デ=ハヴィランド礼賛 ~良き時のみを記憶に留めよ~

2020-07-28 19:22:10 | 映画

 昨日(27日)午後にネット上で一報を目にして、あれッ?“妹さんのほうが先になったか”と思ったのは、ついこの間だったのでは・・と思いましたが、調べるとジョーン・フォンティンさんが旅立ったのはもう7年も前、2013年だったようです。ハリウッドビッグネームの訃報はここのところ毎年少なからず耳にするので、あっという間のような錯覚がある。

 姉のオリヴィア・デ=ハヴィランドさん死去、104歳。長生きもここまで来るとレジェンドの域ですな。妹ジョーン・フォンティンさんも享年96歳でしたから、長寿の血筋なのかもしれません。

 オリヴィアさんと言えば日本では何といっても『風と共に去りぬ』(1939年)のメラニー・ウィルクス役でしょうが、あの映画に年代的にあまり高体温でない月河にとっては別の作品での役のほうが強い印象を持っているんです。

 13年ほど前に、このブログで当時の昼帯ドラマのヒロイン像とのかかわりでも触れた『謎の佳人レイチェル』(1952年)。ここでのオリヴィアさんは謎の美女です。ニュートラルに見ればしとやかで才気ある貴婦人、怪しく思って見れば不詳な過去と、夫殺しの疑惑を秘めるファム・ファタール。

 月河は原作者のダフネ・デュ=モーリアを偏愛しているので原作小説は何度も読みましたが、作中には「絶世の美女だ」という様な短絡的な描写はひとつもないのですけれども、映画のオリヴィアさん(当時36歳)は目いっぱい美しく、過不足なくしとやかで知的で、なおかつ申し分なく怪しくて、物語の主人公で語り手でもあるリチャード・バートンの身になって見れば途方に暮れるほど、悪女っぽさと無垢さの間をスウィングするのです。これはオリヴィアさんの持ち前の美貌と演技力だけでなく、演出と助演陣の力も大きい。

 月河は原作の邦訳初読から約20年余、原語のペーパーバックで読んでからも7~8年後に民放TVの名画劇場で観たのですが、“52年米(=アメリカ制作)”という新聞ラテ欄の番組表を見て、本編を観て、VHSで録画したのをまた観て、「こんなにド嵌まりのキャスティングで映画化されてたんなら、先に観ればよかった」と思ったものです。

ちなみに翌1953年のアメリカ・アカデミー美術賞・撮影賞・衣装デザイン賞と、当時27歳のバートンが助演男優賞の候補になり、オリヴィアさんはこの作品ではオスカーノミニーにはなりませんでしたが(46年『遥かなる我が子』、49年『女相続人』で既に主演賞2回受賞済み)、ゴールデングローブ賞ドラマ部門の女優賞にノミネートされています。

 奇遇なのは、同じデュ=モーリアの長編作で『謎の~』の原作『レイチェル』(初版1951年)よりはるかに人口に膾炙している『レベッカ』(同1939年)の映画化(1940年アルフレッド・ヒッチコック監督)で、オリヴィアの実妹ジョーン・フォンティンが主演していることです。

 作者デュ=モーリアは、ノーブルでたおやかな筆名に似ず一筋縄でいかない作家なので、構想時の意図は必ずしも「『レベッカ』の鏡像もしくは裏焼きを書いてみたい」というような、わかりやすい所には無かったかもしれない。しかし語り手=主人公の男/女を入れ替え、境遇や暮らし向きを対称にし、親しい人の変死にまつわる主体と客体を入れ替え、謎の降りかかり方の受動と能動を入れ替え、すべてが写真のネガとポジのように対照的かつ補完的なこの二篇の、それぞれ初の映像化が、妹と姉、いずれ劣らぬ美貌の人でありながら、姉妹だよと言われなければそうとは判らない強い個性のスター女優二人をそれぞれヒロインに迎えて成立したのですから、小説以上に小説的なめぐり合わせです。

 『レイチェル』の原作映画化権を入手した当初の監督は、レイチェル役にヴィヴィアン・リーを望んでいたのが、少なからぬ(たぶん)曲折あって最終的にオリヴィアさんに決まったようで、これもまた奇遇な話です。月河は断然、「曲折あって良かった」と思う派ですが。

 光の加減で剛にも柔にも輝いては翳るあのヌメるようなレイチェルの怪しさ、ヴィヴィアン・リーは起用されれば演技力で組み伏せるでしょうけど、なんか違うのです。

 先日、刑事コロンボ『偶像のレクイエム』について書いたとき触れたように、月河の実家母は若い頃メル・ファーラーとオードリー・ヘップバーンの『戦争と平和』に嵌まっていたのですが、もっと若い頃観た映画の中では妹ジョーン・フォンティンさんのほうが贔屓だったそうで、『レベッカ』はもちろん『断崖』(1941年)も、のちにLDを買って何度も観ていました。

 「キュッと片眉を上げると左右非対称な顔になるところがいい」「美人さんってああゆうアンバランスな表情あんまりしないよ、この人ぐらい」とよく言っていたので、月河が「歌手の荻野目洋子ちゃんがいつも少し眉を段違いに引いててこんな顔するね」「剃らないで自眉なりにかいてるからああなるのかも」とジャケ写を見せたら、荻野目ちゃんも贔屓になって『コーヒー・ルンバ』のカヴァーなどよく聴いていました(期せずして彼女も姉・慶子さんと美人姉妹)。

 「お姉さん(=オリヴィアさん)は妹よりととのった顔立ちだけど、ちょっとエラが張っててケンのある顔だ」「メラニー役はアレ、演技でしょう。きっと地の性格はキツイはず」とも。さらに「そもそもあのメラニーってオンナがぶりっ子で好きじゃないし」と、最後は月河も同感でした。

 オリヴィアさんの、彼女曰く“ケンがある”ところがうまく引き出された作品として、月河は『謎の~』と、やはり当時のTV名画劇場から録画した『暗い鏡』(1946年)を見せたのですが、彼女の感想「・・やっぱり妹さんのほうが綺麗」。

 この『暗い鏡』も、オリヴィアさんが一卵性双生児の姉妹、どちらか一方がサイコ連続殺人犯・・という難役の二役をこなす、オスカー主演賞持ちの女優さんとしてはなかなかの冒険作で、“女性の持つ二面~多面性”表現に、この時期彼女自身演技者としてかなり意欲を燃やしていたのではないかと思われるふしもあります。

 104歳大往生、『謎の~』ともどもこの機会にリマスターしてDVDなりBDなり今様の技術でパッケージソフト化、ぶりっ子メラニー役でしかオリヴィア・デ=ハヴィランドを知らない現代のファンにも観賞可能にしてもらえないかな・・と切に望みます。

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『バルカン超特急』~邦題で盛るか盛り下げるか

2018-03-07 21:38:31 | 映画

 『ベルリンへの夜行列車』(1940年)を観たら、このジャンルの先輩格ともいうべき『バルカン超特急』(The Lady vanishes)(1938年)も間髪入れず観ないわけにはいきません。もちろんかのアルフレッド・ヒッチコック監督作品でもあり、こちらは戦後の1970年代になって遅ればせながら日本でも劇場公開されていますからよりメジャーでしょう。

 この作品は今回が再見です。1980年代後半~90年代前半の個人的レンタルビデオブームの頃、モノクロのクラシック、特にヨーロッパ製映画ばかり観ていた一時期に、『第三逃亡者』や『逃走迷路』等ヒッチコックのイギリス時代の他作品と一緒に観た・・はずが、再見すると忘れてる箇所の多いのなんの。原題と、車窓のガラスに指で書いた文字と、何かの証拠物件が飛ばされて進行中の列車の窓に貼りつく場面と、あとはラスト前に、重要な楽曲を口ずさもうとしてもウェディングマーチしか出て来ないくだりだけは結構鮮明に覚えていましたが、あとは見事に忘れていて、ほとんど初見気分の鑑賞になりました。

 不思議なのは、この邦題とはかけ離れて、本編に“バルカン(半島)”感も“超特急”感もほとんど無いことなんですよ。舞台はバンデリカという中欧の架空の国。もちろんナチスドイツの活発化で、風雲急を告げるヨーロッパ情勢を下敷きにした足掛け三日ほどの物語で、中盤以降は食堂車つき急行列車内での捕物、銃撃戦が主体になるのですが、“超特急”というほどのノンストップ密室感、そこから噴出する切迫感でもたせるたぐいのサスペンスを期待するとちょっと違う。

 アルプスっぽい急峻な山容の俯瞰から、ミニチュアの鉄道と駅に隣接する別荘街のパノラマへと下降し、、カメラはとあるこじんまりしたリゾートハウス風のホテル内に入る。

 序盤は、話がどっち方向に行こうとしているのか、と言うより“何が、誰がどうなれば解決なのか、ハッピーエンドなのか”がすぐには掴めないので、わりとのんびりしたスタートです。

 鉄道が雪崩で一日運休となり急な足止めでホテルはごった返す。長く滞在しているらしい高齢のイギリス婦人と、独身さよなら旅行の若い娘(『ミュンヘンへの~』でも主演のマーガレット・ロックウッド)だけが早くに部屋をキープしてあったらしく余裕で、イタリア語・ドイツ語・英語が飛びかうフロントは押すな押すなの騒ぎ。とぼけたイギリス紳士二人組(これまた『ミュンヘン~』でも大活躍のおなじみコンビ)は「いよいよイギリスも危ない(開戦)らしい」となかなか届かない情報にやきもきしながらも、結局クリケットの試合結果ばかり気に懸けている。

 足りない部屋の割り当てでひと揉めしたあと、夕食にもありつけなかった二人組はイギリス老婦人と相席し、この国に六年滞在して音楽の家庭教師をつとめてきたが教え子の卒業で退任し母国に帰ること、ここバンデリカは小国だけど、窓から山が見え月も見える良い所であまり離れたくないのよ・・と問わず語りに聞かされる。老婦人と若い娘がそれぞれの部屋に戻ると窓の下でギター弾きが甘く切ないセレナーデを弾き語っているが、階上からはクラリネットとダンスの靴音でドカスカうるさい。若い娘がたまりかねてフロントに苦情を言い、支配人が文句を言いに行くと、民族舞踊音楽研究の旅をしているという鼻ヒゲの軟派そうな男だ。「下の階のお客かが怒っています、うるさくするなら立ち退いて」と支配人が頼むと、鼻ヒゲ男はなんと娘の部屋に押しかけてきて、キミの苦情で上を追い出されたから僕もここで寝る、部屋シェアしようととんでもない提案をする。娘は憤激して上の部屋を使うことを許す。

 この後初めてサスペンス・スリラー映画らしい事件が密かに起こる。深夜まで美声を聴かせていたギター弾きが背後から首を絞められ姿を消す。口ずさみながら聞き惚れていた老婦人はそれを知る由もなく小銭を投げてやり窓を閉める。拾う者のいない硬貨が石畳にむなしく残る。

 翌朝、無事鉄道は復旧し客たちは乗車。実はここまでの約23分間(全編94分)に、本筋の伏線はほとんどすべて過不足なく埋設を完了している。互いに母国語の違う行きずりの客たち、イギリスに帰朝する“音楽”教師の老婦人、こちらは趣味で演奏もよくする民族“音楽”研究家。この両方と知己を得たのは当時のイギリス良家子女の例に倣う、嫁入り前の箔つけ欧州旅行も終わり名門子息の婚約者が待つ帰国途上で早くもマリッジブルーな若い令嬢。欧州諸国情勢とイギリスとの緊張した空気をちらつかせ、客たちがそれぞれの事情を抱えつつ、内心は先を急いでいる。一刻も早く目的地に着きたいと願っていないのは、令嬢と風来坊の音楽家だけだ。

 乗車の直前に老婦人が手荷物を見失い、令嬢が手伝おうと並んで身をかがめると、テラスから何者かが落としたプランターが誤って令嬢の後頭部に当たる。令嬢は見送りの女友達に大丈夫よと安心させて、老婦人に介添えされて乗車。劇中人物たちは誰も気づかないが、これで観客にははっきりする。老婦人が狙われている。このお話の焦点は老婦人だ。

 令嬢はタラップから友人たちに手を振るが、列車が走り出し見えなくなるとさっきの打撲で意識がぼやける。老婦人が介抱してくれて車室に入る。

 ここから列車内でのミステリアスな事態が始まるのだが、“令嬢の意識混濁による錯覚かもしれないし、そうでなくても(他の劇中人物に)そう思われても仕方がない”というミスリードが付けられた。令嬢は何を見聞し何を知る?味方はいるのか?老婦人の運命は?

 月河が初見以来二十年余りを経ても記憶していた“車窓ガラスの手がかり”を謎解きの転換点に、“超”は付かないけれども機関車的な驀進力で、ときに轟音と悲鳴のような汽笛とともに物語は走ります。

・・・・・・・・・

 ・・・・欧州大陸鉄道の車内密室ミステリーというと、日本でもたいていの人がアガサ・クリスティ『オリエント急行の殺人』を思い出し、令嬢が直面した事態に「これ、『オリエント急行』のアレ式のトリックじゃないの?」と一度は考えるはずです。調べたのですが『オリエント~』の本国イギリス初版はこの映画に先立つこと4年の1934年。ヒッチコック御大ともあろうお人が(当時はまだ39歳の新鋭ですが)、4年も前の小説とかぶる結構にするわけがないじゃありませんか。心配めさるな。密室で完結する典型的列車ミステリーと見せかけて、典型を打ち破りちゃんと外に“も”敵はいます。列車から外に出てちゃんと解答があり解放感のうちに着地します。車窓の手がかりと並んで月河が奇跡的に記憶していた“どうしてもウェディングマーチしか浮かばない”くだりが何ゆえ、どんなふうに出て来るか、くだんのクリケットマニア二人組は(二年後に別の映画でミュンヘン~スイス国境とどえらい冒険をさせられるはめになるとはつゆ知らず!)無事念願のクリケット観戦に間に合うのか?・・・

 ・・・・・・・・・・・

 ちなみに本作にも小説の原作があります。映画化の2年前1936年刊『The Wheel spins』(エセル=リナ・ホワイト作)。“車輪は回る”という意味で、ここにも“バルカン(半島)”も“超特急”も出てきません。

 思うに、この邦題、“欧州でつねにいちばんキナ臭い所”として、火薬庫バルカン半島のイメージがよほど強かったから、当時の映画配給会社が命名したのかな?と思います。劇中の架空の国バンドリカは、例のおとぼけ二人組の会話の端々からしてオーストリア~ハンガリーからチェコ・スロバキア辺りが国境を接し“もうちょっと西進すればスイス”という地帯付近に想定されているように思え、ブルガリアや旧ユーゴスラビア諸国っぽい匂いは漂ってこないのですが。邦題のいきさつ、ご存知のかたがおられたらぜひうかがいたいところです。 

 もうひとつ。本作は1979年に、日本ではTVシリーズ『こちらブルームーン探偵社』のヒロイン役で知られるシビル・シェパード主演でリメイクされていますが、こちらの邦題は、題だけでオリジナルごとネタバレしてしまう酷いものです。日本人専用とはいえ、題を付けるということは、作者をさしおいて作品に名前を付けるということですから、オリジナル未見の人への気遣いという意味でも最低限の敬意は払ってほしいものですがね。

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『ミュンヘンへの夜行列車』~やっぱり敵役が光ってこそ

2018-03-05 23:31:37 | 映画

 日本経済新聞2月25日付の日曜版“名作コンシエルジュ CINEMA”(芝山幹郎さん)を読んで、キャロル・リード監督『ミュンヘンへの夜行列車』(Night train to Munich)をレンタルしてみました。

 1940年イギリス製作。前年にイギリスはナチスドイツのポーランド侵攻に対応して宣戦布告しており、本編も「この映画の舞台は第二次大戦前夜と1939年9月3日である」と冒頭に宣言して始まりますから、性質は純然たる反ナチス映画なのですが、そこは紳士の国らしいというべきか微妙に余裕ぶっこいた、ユーモラスな諜報サスペンス映画です。

 話が脱線しますが、アメリカ映画『カサブランカ』は1942年製作、日本で公開されたのは当然戦後の昭和21年=1946年です。月河の実家母はそれからさらに3~4年ぐらいたってから地方の町の映画館で伯父に連れられて見たそうですが、軍隊経験ありの伯父が「俺たちが麦飯やイモ食わされてた頃、こんなロマンチックな映画を作ってたんだから、アメリカと戦争やったって勝てるわきゃなかったな」と笑ったのが忘れられない・・と言っていました。映画は国の文明度、民度を表すサンプルでもある。

 『カサブランカ』が、あくまでアメリカハリウッドらしいヒーローとヒロインの物語なら、こちら『ミュンヘン~』はジェントルマンとレディの物語とでも言いましょうか。

 ナチスドイツがチェコ進攻に先立ち市民に第三帝国服従を求めるビラを撒く。プラハのチェコ人科学者ボマーシュ博士は、研究が装甲材に最適なことからナチスに狙われ、連合軍は娘のアンナとともに博士をイギリスに亡命させようとするが、間一髪でアンナはナチスに身柄を拘束される。博士はギリギリまで搭乗口で娘の到着を待っていたが追手がかかり、やむなく一人で先に渡英。

 アンナは収容所で医務室の助手をさせられる。ナチスはなんとしても博士の技術が欲しいので、愛娘は人質に使えるから他の被収容者より待遇がいい。

 アンナはナチスに反抗的な態度で拷問されているカール・マーセンという男と知り合う。国境地区の学校教師でドイツ語での授業を強制され拒否して逮捕されたという。学者の娘であるアンナは好感を持ち、父が先に亡命し自分も後を追いたいが・・と苦境を打ち明ける。監視兵にかつての同僚がいるというマーセンは脱走を持ちかけ、夜間探照灯にトラブルを起こさせて首尾よく鉄条網を破り、貨物船に密航して見事、イギリス上陸に成功する。アンナの表情は目に見えて明るくなる。次は何とか父と連絡を取り合流したい。マーセンは先に渡英している友人に協力を仰ぐからと、アンナを郊外の眼科開業医の家に連れて行く。

 アンナを待合室に置いてマーセンが診察室に入る。ここからマーセンの正体を観客に知らせるくだりがなかなかの手際。友人だという眼科医が禿頭丸眼鏡のいかにもドイツっぽい風貌なのでまず一抹不安が兆すのだが、マーセンは視力検査表を差されてまったく違うアルファベットと数字を暗唱し、眼科医がファイルロッカーを探すとその文字番号のカードにマーセンの姓名が載っている。文字番号はファイルコード兼合言葉で、マーセンはナチスの諜報員だったのだ。友人どころか覆面工作員だった眼科医とともに暗室でハイル、ヒットラー!の唱和。もちろん待合室のアンナは知らない。観客はヒヤヒヤする。志村後ろ後ろ―!お嬢さん早く気がつけ、逃げろー!

 しかしマーセンも慎重だ。眼科医の指示通り新聞広告を出させ反応を待つ。深夜、広告に応じた英国情報部らしき匿名の電話がアンナ宛てに来る。マーセンは階段の上で聞き耳を立てる。ここで観客が少しホッとするのだが、アンナは電話で聞いた接触の方法を「誰にも言うなと言われたから」とマーセンに漏らさない。マーセンは若干失望の色を見せつつもここで焦っては元も子もないので「心配なら言わなくていいよ」と泳がせる。

 アンナに送られてきた切符は海浜の保養地へのもので、会うように言われた男ガス・ベネットを訪ねると、何だか浮ついた、カンカン帽に蝶タイで観光客相手に歌う芸人だった。アンナは半信半疑で父親との現況を相談するが要領を得ないので立ち去ろうとする。そのとき「あれ?」とベネットが沖を指さすと、魔法の様にモーターボートが現れ、護衛のついたボマーシュ博士が乗っているではないか。待ちわびた父娘感動の再会。ベネットという男、軽薄そうな歌い手はカムフラージュで、なかなかデキる本物らしい。

 博士とアンナはそのまま保養地の店の二階に潜伏するが、実はあの眼科医があとをつけていた。この時点ではアンナはマーセンを疑っておらず、むしろまだ信頼している。ベネットはマーセンへの郵便物を転送させ、こっそり開封して彼の正体を知るが、アンナたちに告げる前にイギリス提督の使者を装った二人組に隙をつかれて昏倒させられ、父娘は連れ出される。

 提督が晩餐を共にという旗艦まで父娘はボートに乗せられるが、イギリスの海岸、霧が深い。なかなか旗艦の灯りが見えないので父娘は疑念が兆す。やっと輪郭が見えた船影は、接近するとUボートで、砲塔に思いっきり鉤十字の記章がある。いけない、罠だった・・とアンナが痛恨の思いで甲板を見上げると、見下ろすナチス軍服軍帽の将校姿はマーセンだ。霧に腕章のハーケンクロイツが浮かび上がる。

 ここからスッと場面が変わりイギリス情報部らしきオフィス。ベネットの本名はランドール、せっかく身柄確保に成功した父娘を奪回されて悔しくてしょうがない。上司は「マーセンを見くびっていた、君の落ち度ではない」と慰めてくれたが、ランドールは独自に再奪回計画を立てた。自分はベルリンに3年駐在し土地勘がある、博士父娘がミュンヘンに尋問に送られるまでの四十八時間以内に接触し連れ出そう。ドイツ軍はすでにポーランドにも侵入しており奪還は難しかろうと上司は難色を示すが、「一週間ぐらい療養休暇でも取れば」と暗に支援してくれることになった。

 かくしてガス・ベネットことランドールは勇躍ベルリンに潜入。ナチスドイツ陸軍将校の軍服軍帽とアルセーヌ・ルパンばりの片眼鏡で変装し、ヘルツォフ少佐と名乗って、いざ父娘が軟禁されているドイツ軍司令部へ。伊達男らしく軍帽がちょっとアミダかぶりになっているのがナチス将校としてどうなんだと観客は心配だ。大丈夫かな、頼むぞ。

 上司は博士に接近できるよう紹介状を偽造してくれたが、その紹介状を見せる文書室に入るための通行証がない。この辺り上司も大概だなと思うが、ここらへんからイギリス流ユーモアが徐々に全開し、マーセンとのくだりのピリピリしたダークな空気は一旦後退して、ヒッチコックともちょっと違うキャロル・リード印の軽妙なスリルへと変わって行く。

 玄関ロビーの身分証チェックラインで機会を窺ったヘルツォフ少佐、文民の老職員がうっかり失言で守衛と揉めている隙にちゃっかり守衛の背後に回り「職務熱心でご苦労」といけしゃあしゃあと身分証無しで潜り込んでしまう。紹介状を改める、頭の固そうな文書将校が「署名が読めない。陸軍の何と言う将軍からの紹介?」と質問すると「いろいろ回されたので覚えていないが、キミの事を優秀だと褒めていたよ」とおだてて、なんだかんだで博士が軟禁されている部屋にまんまと取り次がせる。

 部屋ではアンナがマーセンに憤懣をぶつけている。収容所で拷問の傷を手当てしてあげた時点からずっと自分をはめる芝居だったのだ。「哀れ過ぎて憎しみも湧かない、間違った思想を吹き込まれて洗脳されているなんて」とバリバリナチス批判を述べ立てるので、マーセンの上司は呆れて「博士が我が軍に協力を決めて下さるまで娘さんは強制収容所に行っていただこうか」と脅し、博士は「娘は関係ない」と慌てる。チェコ人だから祖国を侵略するナチス軍にくみしたくないが学者として研究は続けたい、しかしそれ以上に一人娘の命が大事だ。

 そこへヘルツォフ少佐が入って来る。がっつり軍服でもアンナはすぐに気づき父の手に触れて合図する。博士も気づいた。まさかあのベネットさんまで罠?ヘルツォフはきびきびと軍隊式の挨拶をする。「博士、私をご記憶でしょう、ここで会えるとは」、どういうこと?どうすれば・・と反応しあぐねているアンナには「アレから・・四年ぶりですね」。目が合って、アンナはここでハラを決めた。罠じゃない、ベネットさんは私に演技を求めている、助けに来てくれたのだ。このアンナというお嬢さんは要所でなかなか勘がよく度胸がすわっていて、本編のさくさくテンポに貢献している。

 父娘が別室に移されるとヘルツォフ少佐は「博士の協力取り付けに手間取っているんなら、少し痛めつけたらどうだ、工兵隊は急を要するんだよ」とマーセンたちに揺さぶりをかけたあと、「私はプラハで何度も博士に会っている、アンナとは“親密以上”の仲だった」「私なら少し時間をもらえれば博士を協力させるようアンナを説得できる」と自信満々で持ちかける。マーセン君はイギリス情報部を出し抜いた功労者だが女性の扱いには長けていないようだ、コツがあるんだ私に任せなさい。偽造の紹介状に騙されたハシンガー将軍という上官が結構その道に理解のある人物で、「キミは隅に置けん男らしいからな、目を見てわかった」「数時間で説得できるのか?」→ヘルツォフ「四年のブランクは長いから、なんならひと晩」。傍らでマーセンは憮然としている。イギリス上陸でアンナの心をつかんだと思ったのに、保養地に出向く際何も告げずに消えられた。“女の扱いは無能”呼ばわりされて、見慣れぬ工兵隊少佐に対し闘争心が湧いている。

 この後ヘルツォフはアンナの寝室に入り込んでラブラブ芝居を続けるが、総統本部からの指示で博士父娘は急遽ミュンヘンに護送されることになり、舞台はタイトル通りの“夜行列車”に移る。ベルリンから南ドイツのミュンヘン、欧州大陸の奥深くに入って、果たしてヘルツォフは正体が露見しないうちに父娘を逃がせるのだろうか?というスリルでラストまで突っ走る。また全然露見しなければスリルも中ぐらいで終わってしまうので、そこはいい具合に列車内でランドールを見知るおとぼけイギリス人旅行者二人組に声をかけられて絶体絶命の危機も来る。ついにはミュンヘン駅からまさかの大芝居で軍用車を乗っ取ってアルプス国境に到達、中立国のスイスに渡る山岳ロープウェイで追手に追いつかれ銃撃戦に至る・・

 ・・・・・・・ 

 スパイスリラー、“脱出サスペンス”の定石を過不足なく押さえながら、気がつけばドキドキハラハラの合間にクスッと笑いも絶えない、ナチスドイツの脅威が迫る1940年当時の世情でもイギリスの映画界で求められていたのはこういう味だったんだなあと改めて思います。余裕ですね。

 俳優さんに目を移すと、クレジット上の主役はアンナ=マーガレット・ロックウッドとランドール=レックス・ハリソンの二枚看板になっていますが、敵役マーセンのポール・ヘンリードの印象が別格に独特です。ハンサムで柔和だが妙に冷やっと、ヌメッとしていて、ランドール役ハリソンのサバサバした剽軽さと好対照。

 日本ではそれこそ『カサブランカ』の、イングリッド・バークマン扮するイルザの夫であるレジスタンス運動家ラズロ役がいちばん有名でしょう。この人は戦前のオーストリア=ハンガリー王国領の貴族の生まれで、舞台俳優としてウィーン劇場でデビューしてから映画に転じイギリスに渡った人で、第二次大戦が勃発しドイツが敵国となってからは何度も微妙な立場に立たされたようです。本編でもOPクレジットでは“Paul von Henreid”と、オーストリア貴族の冠号つきの芸名になっていて、これはこの作品の中での、ナチス情報将校という、当時のご本人としてはあまり気持ちよくはなかったであろう役柄に寄せたものだったのかもしれません。収容所でことさらに反ナチスを唱えて拷問されて見せたり、紳士的な態度で亡命者の令嬢を安心させたかと思うと冷徹に本性を現し、挑戦的なヘルツォフが現れるとまだ敵のスパイと判らないうちから粘っこい敵愾心をのぞかせる。この人の“端正な不気味さ”が無ければ、本編の持ち味の飄々とした、根アカな娯楽性も空振りに終わったでしょう。

 イギリス情報部が反ナチスの科学者を奪還するのに“ミュンヘンへの”列車に乗られてはドーバー海峡を離れ敵のふところのますます奥深くになってしまう・・と思いきや、アルプスを突っ切れば天下の永世中立国=スイスというフリーポートに着ける。ナチスドイツがいくら第三帝国だなんつって欧州をのして歩いても、どっこい悪が栄えたためしはないんだよ、俺たち民主主義の連合軍には必ず味方が居るのさ・・と、時流に乗った反ナチス広報宣伝映画として見ればなかなかの“上から目線”も感じる。

 この映画の公開後、約五年にわたる欧州での数々の悲劇を途中で止めることができなかったわけですから、イギリスでこういう余裕な映画が作られていたことを無心に喜んでもいられませんが、平和になって結果がわかってから観る戦争スリラーとして、後味が良いことは残念ながら(?)認めざるを得ない一編でした。レンタルして良かった。 

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A(エース)でJ(ジャック)

2010-08-22 14:45:02 | 映画

遅まきながらUSドラマ24(トゥウェンティ・フォー)』のプチ・マイブームが来ています。

そもそもは2004年の春頃、当地のローカルフジテレビ系で深夜に、シーズンⅠが週一、2エピソード=2時間分ずつ放送されていたんです。DVDですでにはまっている人も多いと聞いていたので、第2週から途中参入して、一応、最終話まで録画視聴しました。

 そのときの印象というか、読後感がいまいちだったんですよね。「USでヒットした理由はわかるし、DVDではまる人の気持ちもわかるけど、あまりにも“はまらせ狙い”であざといなあ」「人物が次から次“出しては退場させ、出しては退場させ”で“あの人、あの後どうなっただろう、こうなっていてほしい”という観客の心情を掬い取ってくれないし、ドラマじゃなくてむしろゲームのテイスト」、何よりホラ、ジャック・バウアー妻にしてキンバリーの母親=テリーの妊娠とそのカミングアウトが、土壇場に来て事態を一変させる、まあそれだけが文字通りの“引き金”ではなかったのかもしれないけど、女性の妊娠、子供を身ごもったことをああいう展開のためのツールとして使う姿勢が、「大枚の製作予算かけて、結局、日本の昼帯と思考が一緒じゃん」と思えて、言わば生理的に受けつけず自分の中では“要らないタイトル”入りをしていたのです。

当然その後の、シーズンⅡ以降の放送もノーチェック、ノータッチで何年も過ぎていました。

しかし、脱税も年金未払いも不正受給も、5年経ちゃ時効になるわけですよ(関係ないにもほどがある)。この暑さですからねえ。うちの高齢組がふらふら外出して熱中症になられちゃたまらないので、インドアにつなぎとめておくためのハラモチのいい、ヴォリュームのあるソフトを何かしらあてがっておく必要がある。特に春以降は、ウチじゅうでいちばん録画っ子だったはずの月河のレギュラー録画視聴番組が、実質『ゲゲゲの女房』だけなので、レコーダーも休眠時間が多いのです。

ネコにかつぶし、高齢者には時代劇……とは言えヤッコさんたち、『鬼平犯科帳』も『剣客商売』も、『仕掛人梅安』の小林桂樹さん版も渡辺謙さん版も、緒形拳さん版も気がつけば踏破してるのね(年が年だからシリーズの最初のほうもう一度見せたら忘れてるかもしんないけど)。

そこで、試しに『24』の、月河は放送録画で視聴済みのシーズンⅠ序盤を見せてみて反応をみていたところ、思いのほか食いつきが良く、「早く続きが見たい」と言い出したので、プチブームの始まりとなったわけです。

懸念していた「展開が速すぎ複雑すぎてわけがわからない」「誰がいい人で、誰が悪人なのかわからない」のたぐいの不評も出ませんでした。とにかく主人公のジャック・バウアーが毎話、毎局面、即断即決で話を前に進めていくのが気持ちいい様子。

月河が「うわぁ…」と思った終盤のテリーの運命も、DVDでは“もうひとつのエンディング”が収録されていたり、テリー役のレスリー・ホープが、劇中の蹌踉たる挙措とは真逆のつやつやきれいめメイクでインタヴューにニコニコキャッキャと答えていたりで、だいぶ救われました。たぶん早い段階で、ふた通りのエンディングが書かれ撮影されていたのでしょうが、シーズンⅡの製作が決まり、ジャックが罪悪感喪失感に悩み自己処罰願望にとらわれている状態でⅡをスタートさせたほうが作りやすい…ぐらいの経緯で、放送されたほうのエンディング採用になったのではないでしょうかね。

そんなこんな“内輪事情”に想像を逞しくする脇道方法論も覚え、初見から6年以上過ぎて、月河も“あざとさ耐性”ができたようで、再生中の三分の二ぐらいは高齢組と一緒に楽しめていますね。

「腰抜け野心家ロス支部長メイソン役の俳優さんと、東欧系般若顔のニーナ・マイヤーズ役の女優さんは共演が縁で結婚してもう子供も2人いるらしいよ」「“第二の波”のサイエド・アリ役の俳優さんは『道』のアンソニー・クインの息子だよ、顔似てね?」とか紙媒体の立ち読みやネット覗き見で拾った豆知識を投下しながら、どうにか高齢組の興味をつなぎつつシーズンⅢまで来ました。

「トニー、ヘリで現場入り似合わないなと思ったら速攻撃たれてんの」「キムはどっか座敷牢閉じ込めといたほうがいいな」など、高齢組なりにレギュラーキャラの人となりを掴んできたようです。本家USではラストシーズン放送済みのようですが、ウチも早晩ラストまで踏破できそう。

でもキーファー・サザーランドと言えば月河にとってはいまだにジャック・バウアーよりは『スタンド・バイ・ミー』のエース・メリルなんですよね。1983年、初めてのUS渡航時、サムソナイトに詰められる限りのペーパーバックを土産に買い込んだ中にスティーヴン・キングの『Different Seasons』があり、帰りのユナイテッド機の中で不眠で読んだ『FALL  FROM  INNOCENCE   The Body』でひと目惚れならぬ“一読惚れ”したエース・メリル。85年にこの小説の映画化情報を知り、87年、「どんな俳優さんがどんな演技でエースに扮するんだろう?」だけが興味で『スタンド・バイ・ミー』公開の劇場に飛び込みました。

クレジットを確かめずとも、登場ファーストカットで「あーーーコイツがエースだ!」とピンと…と言うより、ドッカーンと来ましたね。ちょっとレッディッシュなブロンド短髪、“栄養の良いめのオオカミ”みたいな風貌。主人公の年少組ボーイズにジャックナイフを構える姿勢は、いま思えばバウアー捜査官から「ワキが甘い!」と駄目が出そうでしたが、“中学生でオープンカーを乗り回してたブラックシャドウズ時代の花形満”みたいな危ういカッコよさがバチバチ放射していて、「よくぞこんなにぴったんこのエース役を…」と月河、ほとんど泣きそうでした。

大御所性格俳優のドナルド・サザーランドの二世。いま思えば、コネオファーだったのかもしれないんですけれどね。エミリオ・エステベスやチャーリー・シーンらブラット・パック仲間と共演した『ヤングガン』『ヤングガン2』のドクも魅力的な役で、「オレにもっといい場面よこせよー」「オマエ前のシーンでくさい台詞あっただろ、ここはオレだよ」「さっきもオマエアップとったじゃんずるいぞー」みたいな同世代俳優くんたちのやりとりがあったっぽくて、映画としての出来とは別に興趣尽きなかったですね。

ジュリア・ロバーツと婚約→ドタキャン以後は、いちいち食いついてやきもきするのもバカバカしいぐらいのやんちゃゴシップ製造機ぶりを発揮し続けているキーファーですが、エース・メリルは永遠なり。おそらくはやんちゃの度が過ぎたがゆえに、ややしばらくメジャー映画界のメジャーな役に縁が薄かったのでしょう。

映画界で干されたがゆえに格落ちのTVで開花し全米的人気を得るというのもよく聞く話。ヒョウタンからコマ。災い転じて福となす。ロバーツドタキャン事件以後二度ばかり結婚はして、娘さんもあるようです。

映画原作『The Body』のラストでは、映画で描写された晩夏から18年後、顔まで太った冴えない四十路男になったエースが再び登場し、成人した主人公少年たちのひとりと対面して、昔を思い出すこともなく背を向けて去ります。拷問シーンなど見るにつけいささかメタボながら、24時間は飲まず食わずで走れる戦える高燃費ヒーロー、ジャック・バウアーが、くたびれたエースを見たらどう言うか。

一段落したら高齢組に『スタンド・~』と『ヤングガン』正続シリーズも見せてみたいですな。ルー・ダイヤモンド=フィリップスは見分けがつくかな。

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要塞賢母

2010-06-02 18:54:55 | 映画

懐かしいな『ナバロンの要塞』。

「胎教に悪いわ…」なんて言いながら布美枝ちゃん(松下奈緒さん)も結構ノリノリだったじゃないですか(@『ゲゲゲの女房』)。

グレゴリー・ペック。それよりアンソニー・クインが渋かったな。確か70年代の終わり頃に、蒲田か中野か、それこそ池袋かどっかの名画座で観たのがお初で、その後80年代末のレンタルビデオ全盛期にも一度観たような気がしますが、同じアリステア・マクリーン原作で数年後の製作『荒鷲の要塞』(こっちはリチャード・バートンとクリント・イーストウッド共演でした)と話が混じっちゃってるような気もするし、今度DVDで復習してみないといけんですな。

USもしくはUK製の、“連合軍勝ち、ナチスドイツ・枢軸軍負けわかってる前提”の第二次大戦映画って、基本線、テイストが似かよっているので、1020年経つと記憶がうすぼけてしまう。

TVの『コンバット』なんかもおもしろかったなあ。アメリカは勝ちいくさ映画ですからね。悲惨で犠牲を伴う戦争も、底のほうで“自分らだけはカッコよく強く生き残る”とドンと構えて作っている。戦時中も地方在住で裕福で、空襲や食料不足にあまり苦しめられず、家族や親しい友に戦没者もいなかったらしい布美枝さんはともかく、傷痍帰還兵で戦記漫画家でもあるしげるさん(向井理さん)もUS製の連合国戦勝映画に興じるとは、ちょっと意外。

布美枝ちゃんは、「あっちでヘップバーンの映画をやっとりますよ」と言っていたから、『ティファニーで朝食を』を観たかったのかしら。こちらではしげるさんは寝てしまうかもしれませんが。ミッキー・ルーニーのユニオシさんに、「アズキ洗いみたいな外人がおる」と意外に食いついたりして。

ヘップバーンはヘップバーンでも、ノッポつながりでキャサリン・ヘップバーンかな。彼女のひとつめのアカデミー主演女優賞(←生涯3度受賞)作『招かれざる客』は、ドラマの昭和375月時点ではまだ日本で封切られていませんね。1955年の『旅情』は布美枝ちゃん、まだ独身だったから実家地元で観たかな。「あのジェーンいう人、一生懸命働いて、お金を貯めてあげな綺麗な街に旅行しとるのに、ノッポだから結婚できんだっただろうか?」と複雑だったかな。

「カネがないところに子供ができて、これからどげなるかわからんが、まぁなんとかなるだろう」じゃ産まれてくる子供もたまったもんじゃありませんがね。本当になんとかなるんかいな。妊婦さん、カルシウムたくさんとらなきゃいけないのに。

新婚旅行も行ってない夫婦が期せずして初めての映画館デートの後“もち米じゃない節約お赤飯”でささやかにお祝い。「祝う気持ちが大事だけんな」の後のハニカミ「…大事にしえよ。」も良かったけど、間にはさまる「おい」とも「ほい」とも「ふぉい」ともつかない布美枝への呼びかけ方が、しげるさんはいつも、なんかいいんですよね。昭和のなんちゃって関白亭主の「おい!」はムカッとくるけど、しげるさんは微量〔-h-〕ないし〔-(h)w-〕音が含まれているので、とても耳当たりがやわらかい。

演じる向井理さんの、底のほうで理系おたくっぽい、うっすらマッドサイエンティストの弟子のようでもある白い歯スマイルが、太縁メガネ越しでやわらげられて、リアル水木しげる先生の“怪巨人”ぶりとは違った、ドラマの村井茂像を活写しています。ふんわり涼感。でも無味無臭じゃなく、キモくない程度にしっかり奇矯さも。水木先生役ならエキセントリックで容貌魁偉なくらいの俳優さんがいいと思ったけれど、いまとなっては向井さん以外考えられませんね。水木先生役がというより、松下さん演じる布美枝さんの旦那さま役が考えられない。

今日は「子供が生まれるんですぅーー!」しげる実家ご両親の夫婦漫才が癒してくれましたね。しげる夫婦が修復したとは言え前途多難チックな分、境港村井家の、水と油なのに奇跡的に乳化したかのような磐石の安定感が嬉しい。修平さん(風間杜夫さん)「そげか!おお、男か女か!」で、書いてあるわけないのに絹代さん(竹下景子さん)も一瞬、調子合わせてハガキ覗き込んでから、ペチッてツッコんでるんですよね。ノリツッコみ。

「はぁ~こうしちゃおられん!」ポン、「ほんならまず、手紙!」パン、といちいちゲンコツで手叩いて自分にも相手にもハッパかける絹代さん、なんだか金田一耕助ものにおける加藤武さんの「よし、わかった!」みたいなのね。

ここで何度も書いてきたけど、風間さん竹下さん、1985年のSPドラマ『受胎の森』でのイタ悲しいカップルが忘れられないのですが、それぞれ抱かれたい男チャート、お嫁さんにしたい女優チャートの常連上位だったおふたりが、年齢を重ねて、こういう、味のしみ込んだご夫婦役で楽しませてくれるベテランさんになっているというのは観客として喜ばしい限りです。

『受胎~』と言えば樋口可南子さんも忘れてはいけん。こちらもナイスご夫婦役を日々見せてくれていますが、旦那さん、犬ですね(@softbank)。

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