イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

そろそろ収束していいコロナ ~ジャガジャガ感染フォドフォドに~ 

2020-03-31 16:28:54 | お笑い

 この前の、2月の記事がなんと正月番組『新春テレビ放談』がらみで、2月は逃げるの喩え通り、一年十二か月の6分の1が逃げ去ってしまいえらいこったと思ったら、日本全体がたいへんなことになってしまいました。

 まず「勝ちに不思議の勝ちあり」ウンヌンかんぬん図々しく引き合いに出させて頂いたら、何をどう刺激したもんか、野村克也元監督(←監督歴が多すぎて列挙できない)が、月河の記事の三日後に他界されてしまいました。八十四歳。うーーーん。無断借用引用、ご無礼の段はヒラにお詫びしますが、何も死ぬことはないだろうに。「人生とは今日一日の事である」。懲りずに今後も何かと参照させていただき、ここでも引き合いに出していきますので何卒ご寛恕の程を。名言、多過ぎなんだもの監督。「三流は無視され、二流は称賛され、一流は非難される」。いいなあ。月河も三流から脱皮して、二流を飛び越えて一流のブログを書こう(←四流以下は認識もされない)(・・・・)。

 しかし月日の流れは待ってくれない。いろんなものが流れて来る。野村さんの最期は動脈硬化をかかえた高齢者にありがちな、入浴中の虚血性心不全だったようですが、そこからわずか二週間ほどで、うっかり軽い体調不良でも病院にかかれないような事態に、日本全国が陥るとは思ってもみませんでした。

 当地でも“不要不急の”外出自粛は続いておりまして、年度末ですから金融機関やATM前はお構いなしの混雑ですが、心なしか皆さん、老若を問わず「早く終わらせて帰ろう」という目の色になってますね。当地も先週、彼岸明けとともに積雪ゼロになり、例年よりだいぶ早めのポカポカ陽気なんですが、公園ではまだ稼働してない噴水の周りの人たちもかなーり間隔を置いて腰かけて休憩しており、やっぱり怖いんですね、“三密”甘いのはあんみつ色っぽいのは壇蜜(・・ポカポカ陽気をあえて寒くする)。

 人が家から外に出て、屋内空間に入って、多数の人と接触し親しく会話したり食事をともにしたりする機会が多いほど感染リスクが高くなる、まさに“都市型”の感染症。屋外での活動が増え、冬は寒冷な当地でも積極的に窓を開けて換気できる気候になってきたこれからはちょっとウイルスとも離れられるのではないかと期待していますが、ウイルスってやつはゴキブリ以上に生命力しぶといですからねぇ。月河もささやかながら、春のお返しギフトシーズンのデパ地下及びショッピングモール内での販売応援のオファーが飛んで、微量、経済損失をこうむっています。

 志村けんさんの訃報は、いまあまり語りたくないです。17日に倦怠感を訴えて、19日に発熱し呼吸が苦しくなり、20日に主治医の訪問診療を仰いだときには、9日後に帰って来られなくなるとは志村さん自身思っておられなかったでしょう。70歳。60代半ばでドクターストップがかかるまでヘビースモーカーで、全盛期は“開店前に来て明け方まで”の酒量を誇って(?)おられたとはいえ、肺炎で命を落とすのが“やむを得ない”お年ではない。収録途中のNHK朝ドラや、クランクイン間近の初主演映画のことを考えながら「早く体調を戻して、いい仕事をしよう」と念じていたに違いない。希望が理不尽に断ち切られる、この無情さがやりきれない。

 お笑いの人としては、月河は志村さんがどストライクではありません。ザ・ドリフターズも、月河にとっては荒井注さんがいたころが“ザ”・ドリフで、志村さん加入後は、ドリフの名前と体裁は続いているけど違う物になった気がします。おもしろいことはおもしろかったですけどね。のちに数々“夫婦ネタ”のコントをやってくれた志村さんですが、個人的には桜田淳子さんと組んだネタが好きでした。まだお澄ましアイドルだった、でも曲のセールスでは同期デビュー山口百恵さんに水をあけられかけていた頃の淳子さん、女優としてひとつ殻をやぶる片鱗は見せていました。

 あと、いかりや長介さんが鬼上司、加藤茶さん志村さんたちメンバーがダメダメ社員に扮する定番コントで、上司が「商談に行ってくる」と事務所から出て行った途端社員たちがいっせいに遊んだり飲み食いを始めたり居眠りしたりするのですが、長さんが「そうだ忘れ物が」と急に戻ってくると、志村さんが靴を電話のように耳にあてて「あーどうもどうも、ハイ分かりました」と会話しているふりをしたり、しまいには胸の前で駅弁売りみたいに「えー靴はいかがですか、脱ぎたての靴はいかがですか」とごまかすくだりがめちゃくちゃ過ぎて、全然ごまかしとして成立してないところが好きでした。

 高倉健さんが6年前に亡くなられたとき追悼放送で1999年の映画『鉄道員(ぽっぽや)』を見ましたが、志村さんがまったくコメディリリーフでも何でもない、笑い抜きのせつない役で、家族全員で驚いたことがあります。まだまだ引き出しがあったはずだし、ご自身も“引き出してみる”のをわくわく楽しみにされていたに違いないのですが。

・・あまり触れたくないと言いながら結構触れてしまった。「個人的にどストライクではない」と自覚していてもこれだけ思い出せて尽きないんだから、やはり大きい人だったんでしょうね。ご冥福をお祈りいたします。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女性宮家あるいはキヤノングローバル研究所、もしくは時を戻そう

2019-12-23 00:54:58 | お笑い

 令和になって代替わりに伴う諸行事が一段落してまたまた浮上してきたイシューがもう一つ、“女性宮家”アリかなしか?を書こうとしてはや一週間。

 いやもう一旦お休み、この話。いつでも書けるわ。

 M-1おもしろかったなぁ!オイ!M-1グランプリ2019(22日)、掛け値なし過去最高。

 有馬記念アーモンドアイとともに散った人もお元気ですか。生きていればこんなおもしろいこともあるさ。

「あれは自分の得意な項目だけで勝負しとるからやとにらんでる」

「生産者さんの顔が浮かばへん」

・・「もう誰かのせいにするのはやめにしよう」

 特にぺこぱ、優勝のミルクボーイ、1stラウンドも最終決戦も、ネタのいたる所ぜんぶオカズ。白ご飯見えない状態のイクラ丼状態。

 からし蓮根オズワルドもおもしろかった。和牛も一部で「期待し過ぎたか?」と言われていますが期待分のハードルは余裕で越えてた。ただここまですでに準優勝3回で、キャラ・芸風ともに好き嫌いというか、好かれ嫌われが或る程度かたまった中での新ネタ演りというのが、今年の顔ぶれに入ると思った以上にきつかったと思う。

 女性宮家に関しては今日はこれだけ言っとく。“女性宮家”、このネーミングは好きではないです。短期間ですっかり定着した“あおり運転”とか“無断キャンセル”と同じで、内実が抱える問題の体温に比べて、言葉が無機質すぎる。安易だし、なんか皇室に対するリスペクトが感じられない。

 それに字ヅラがどうもね。女性宮家、女性宮家・・ってじっと見てると、国際政治の話題でよくコメンテーターをしてる、外務省OBでキヤノングローバル研究所研究主幹の宮家邦彦さん、あの宮家さんがさ、女性化したヴィジュアルが浮かんできませんか。フッサフサになって、たてロールで、ピンク系リップで「うふッ」みたいな。女性宮家。・・・・・おかしいかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK『コントの日』 ~やることはどこまで?~

2018-11-10 22:40:14 | お笑い

 11月3日、文化の日というと、結構テレビで豪華特番が多くて、平成初期までは確かフジテレビで、日本IBMの一社提供で海外ロケもありの大型美術番組を放送していたものですが、バブル崩壊してしばらくすると、見事に無くなりました。

 今年も何もないのかなと思ったら、こんなのがありました。NHK総合『コントの日』(PM7:30~)、なんとニュースをはさんで二時間半枠でまるごとコントっていまどき贅沢じゃない?と、冒頭から見たんですが、コレ実に面白くなかった。

 “コント協会会長”役にビートたけしさんを筆頭に、東京03、サンドウィッチマン、ロッチ、ラバーガール、ロバート秋山・・と、ことコントに関しては鉄板の顔ぶれだと思ったんですが、呆れるくらい面白くなくて、ニュースをカットして正味2時間20分の再生の間、面白くないと思う自分がおかしいのかと何度か自問自答したくらい。

 何が面白くないって、まず一本一本が長い。8分から10分弱。コントってこんなものでしたっけ?もっとサクサクサクッといってポンと落とすか、ポッと投げ出すかしてパッと終わるのが、月河の中でのコントのイメージだったんですが。

 NHK総合で、SPでやるからこうなるのか。セットや美術もしっかりしているし、専業俳優さんの助演もきたろうさん、田中美奈子さん、風間トオルさん、山田裕貴さんなど豪華でしたが、そのせいでますますムダに濃厚になって、コントというより『世にも奇妙な物語』の短い版みたいノリなんですよ(『残留バブリスト』『何時だと思ってんだ』辺りは最初からそういう路線狙いのようでしたが)。

 ネタの中身も、不倫撲滅戦隊とかオタサーとかLGBTとか、ムダに特殊過ぎる。コントってもっと軽妙洒脱な芸で、なんてことない日常の平板な世界から何気なく切り取って展開した切り口を、サッと見せてスッと閉じてパッと撤収する、古典落語や漫才が中~長編小説だとしたら、俳句ぐらいまで語数を抑制してスリムに笑わせるのがコントの醍醐味だと思うのに。

 本ネタの合間の、劇団ひとりのCMパロディーがいちばん笑えたから皮肉なものです。パロディーですから、“似せて似せて作り込む”ほど、ねちっこくやるほど笑いのクォリティが上がっていく芸なので成功した。一連のこのパロにロッチコカドが「NHKで(CMネタやって)大丈夫なんですか?」と心配して見せ、たけしさんが「NHKは来年民放になるから」とムチャ返しした。そこらへんが番組的にピークでしたかね。

 この、スタジオで演者が一堂に会して、ネタVを見てツッコミ駄目拾いをしていくのも番組化するというスタイルも全体を冗長にした。ビートたけしさん来演ということでNHKがBSプレミアム不定期放送の『これがホントのニッポン芸能史』を意識したのかな。何十年も前の、すでに伝説になっている芸のVを肴にしていろいろ語るのならいいけれど、いまのいま、未公開の新ネタを、笑い取ったか取らないうちにスタジオで腑分けしちゃいかんでしょう。鮮度が落ちるに決まっている。採点して勝ち抜け決めるとかそういう番組でもないし。とにかくコントはサッと演って「あ、なに、いまの!可笑しくね!?」と思わせるうちにサッとハケてなんぼです。その“サッ”の間に美術や装置、カメラワークなどすべてを集中する。これこそ贅沢です。10分近く尺取るやつを何本も、長時間の枠でやるのがコントの贅沢ではないし、洗練でもない。ましてネタへの論評や演者たち同士のウラ話まで番組にするなら、後日の別枠でやらなきゃダメです。

 このなくもがなのスタジオトークで期せずしてわかったのですが、東京03豊本がたけしさんに「せっかくの(共演)機会ですから、我々メンバーをほめていただけませんか、今後頑張る励みにしたいんで」と水を向けたとき、たけし師匠、速攻「うまい!」とアゲたあとで、結構まじめに「03のDVD持ってるけど(←ここで三人最敬礼)、いまのテレビではあの面白さなかなか出ないじゃない。出て30秒で爆笑取るようなやり方してない、だから、それでいいんじゃないかな」と答えていた、まさにこのたけしさんの志向が直球で表れ過ぎた番組だったのかなと思います。

 もともと浅草の舞台芸人から1980年代の漫才ブームに乗り、テレビでブレイクしテレビで輝くと同時に、テレビで悩まされテレビで苦しんできたたけしさんにとっては、“テレビの何分何秒縛りに拘泥しない芸”というのが、芸の中で至高であるらしいのです。

 これ、超ベテランの言うことだけに正しいか正しくないか即決はできませんが、たけしさんの年代とお笑いキャリアを考えれば確かにそうなるだろうなぁとは思います。

 良くも悪しくも時代を感じます。番組の終盤近く、たけしさんが「コントの進化」という話をしていて、「笑わせる、落とすことに集中するのもいいけどそればっかりになっちゃって、“個人芸”がなくなってきてる」と言ってその個人芸の例に引いたのが、由利徹さんですから。昭和も昭和、昭和過ぎ。東京03やひとりクラスでも知ってるかどうか。しかもたけしさんが由利さんの得意芸について語ってる間ワイプで流れたVでの共演者が星セント・ルイスさん。この時点ですでに由利さんは伝説の大御所、つまりは過去の人だったのです。

 ビートたけしさんもこうして、芸能界サイクル的には何世代も後輩相手に、テレビであからさまに懐古トークをする人になった。当代有数のコント師、コントユニットのほやほやの新ネタを堪能しつつコント界のこれからを思うより、いろんな意味で時代と、時代の中で年を取る人たち、年を取る自分を思った文化の日の特番でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そこにはただ風が

2017-12-05 00:12:46 | お笑い

 昨日書いたとおり、“ネタ”と、“芸”もしくは“芸風”との相関あるいは逆相関問題に切り込むには、今年の月河は体温が低すぎるので、上沼恵美子さんの奔放発言でも改めて注目を浴びたM-1グランプリにおける審査員”に限定して少しだけ考えました。

 今年の7人のうちオール巨人さん、博多大吉さん、中川家お兄ちゃん、松本人志さんはバリ現役の漫才の人、上沼恵美子さんは元・漫才。渡辺正行さんはコント師で、金髪豚野・・じゃなくて春風亭小朝師匠は落語家。全員、テレビ・ラジオ番組メインMCとしても活躍歴があります。

 こうして眺めると、確かにバランスはとれています。中川家は2001年第一回大会のチャンピオンでもあり、現役活躍年代的にも1970年代~2000年代まで広くカバーしている。

 ただ、並んだ絵ヅラを見ていると、どうも息苦しいというか、饐えたような臭いがきつい気がするのです。“お笑い村”の“長老”あるいは“庄屋さん”“庄屋の番頭さん”の集まりみたいじゃないですか。“お笑い汁”がしみ込み過ぎて、洗って干しても落ちないくらい色が変わっちゃった集団です。客席は満員で、相応の盛り上がりや爆発も見せているのですが、審査員席だけなんだか空気が薄茶色いんです。上沼さんの顔がいくら白塗りでも埋め合わせつかないくらい煮しまっている。

 もちろん、漫才の技量、漫才のネタとしての質を競い、優劣つける番組ですから、みずからが演者としても、演者を仕切る司会者としても、演者を育成する師匠としても経験があり、「優れた漫才とはどういう漫才か」「どういう漫才がダメな漫才か」「漫才のネタとは」「漫才師とは」「ボケとは」「ツッコミとは」・・等々についてしっかりしたヴィジョンを持っている人でなければ、審査をする資格はありません。観客と一緒になって笑ったりしらけたりブーいったりして終わり、次のネタが始まる頃には前のを忘れてるような、ヘタしたら笑うタイミングすら二拍遅れになる様などシロウトでは困るわけです。

 しかし、これだけ“笑い汁臭さ”に浸かっている審査員席ってのもどうなんでしょう。司会の今田耕司さんはなるべくバランスよく、全員のコメントをかわるがわる取ろうとはしているのですが、誰が何を言っても、いちいちどよよーんと意味を持ちすぎる。

 そこでどうでしょう、まるっきりお笑いのシロウトではないけれども“お笑い専業”ではない、MC専業、それもお笑い番組ではなく報道や情報メインのキャスターやインタヴュアーを審査員の一郭に入れてみては。ちょっと具体的に固有名詞浮かばなくてすみません。・・昨日のスパークリングワインが残ってるかな。290mlぐらいで翌日に持ち越す様なタマじゃなかったんだが。それはどうでもいいのですが、こういう職種の人は、ネタや芸人トークオンリーで仕切ったことはあまりなくても、“ゲスト(たいてい複数)に言いたい事、得意な事を言わせて、番組的に面白くなる方向に引っ張っていって、時間内に着地させる”プロです。ボケがどう、ツッコミがどう、ツカミがどうだこうだという視点とはまったく別の、“番組を構成するコンテンツ”としてネタを見聞きし、芸人を評価してくれるのではないかと思う。

 なんかね、昨日の顔ぶれだと、決勝進出するくらいの組はみんな若手の域を超えていて、上下関係、いままでのM-1歴を含めて先輩後輩の序列もきっちり出来上がっているし、審査員の皆さんが“(いま演ったネタ以外の部分も)知り過ぎている”“コイツらの芸の底の深浅なんかとっくにお見通しさ”という閉塞感、ムラ内完結感がどうにも拭えないんですよ。“お笑い村”の中に生業を持っていない、お笑いで衣食していない人の感覚を入れてほしいのです。

 それも視聴者審査員のような、贔屓の芸人にだけネタがカスでもキャーキャー言う“ファン”ではなくて、たとえば本日のゲストインタヴュー相手が個人的に嫌いなタイプの人物や、情報のないポッと出のアイドルや、語彙が少なく口の重いアスリートであっても“喋らせて面白い面を引き出す”という姿勢で向かい合うのが仕事の人なら、同じネタ、同じギャグ、同じキャラでもお笑い村の長老たちとは違う感想を持ち、優劣をつけてくれるのではないでしょうか。

 そうねえ、徳光和夫さんや辛坊治郎さんじゃ本人がお笑い寄り過ぎるし、宮根誠司さんじゃ出場芸人が「隠し子ネタを演りにくい」と嫌がりそうだし、安住紳一郎さんじゃ「なんでアンタなんだ、たけし師匠連れてこい」と怒られそう。

 個人的には、局の垣根が高いでしょうが、NHKの武田真一さんか高瀬耕造さんに審査員やってほしいんですよね。垣根がスカイツリー級か。大爆笑してるところを月河が見たいだけだったりしますが。

 ・・・・・・それから、誰に審査員オファーするにしても、放送演出上の問題をひとつ指摘しておきます。ネタ見せの最中に、審査員の顔をひとり映りで抜くのはやめたほうがいいと思う。笑いが起きた瞬間に、風景として客席を抜くのと違って、何度も言うけど、意味を持ちすぎる。「あ、いまのとこ引っかかったな」「いまのは鼻で笑う笑い方だったな」等と脳裏をよぎって、ネタに集中できません。松本人志さんみたいに、ときどき、演じ中のネタよりこの人の顔のほうがおもしろいなと思う顔をする審査員もいるし。

 大物、ベテラン、制作陣に貢献度大の顔ぶれがずらっと並んでいるから、ディレクターさんもカメラさんも気遣いたくなるのはわかるけど、ネタ中はネタに集中しましょうよ。ネタが終わってから、ゆっくり映してしゃべっていただきましょう。さっき書いた審査員メンツチョイスの件も含めて、もっと風通しのいい番組でお願いします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつもより早く回っております

2017-12-04 02:26:31 | お笑い

 先日、ちょっとしたアニバーサリーのためにと、セブンイレブンでブラン(白)のスパークリングワインを買っておいたのですが、その日は開けている暇がなくて冷蔵庫で休眠。

 でも泡ものはナマモノと一緒だし早めに・・と今日(3日)満を持して開けてシュワ~と注いで飲んだら、これが予想外にさっぱりして美味しい!ボトルには5段階の2で“辛口”と表示されていたのですが、ほぼ白葡萄のジュースのよう。プラス泡。キレがいいんですこれが。

 残さず泡がきれいなうちに飲み切れるようにいちばんプチな290mlを買ったのですが、もうほとんどひといきにクイクイ飲んでしまいました。

 泡ものだから炭酸ガスでアルコールも底上げされて、回るのが早いのなんの。改めて見たら“アルコール分12%”で、普通の、食事と一緒にお上品に飲むワインと変わらないのね。それをビールみたいにクイクイいっちゃったんだから回る回る。

 おかげで、『M-1グランプリ 2017』の、決勝ではなく敗者復活戦生放送の途中で寝てしまいました。だははは、面目ない。決勝が始まる頃には覚醒しましたが。

 NON STYLEパンクブーブーの頃まではかなり高体温で見ていたM-1も、最近は自分の中で、“ネタ”を評価しているのか“芸”を評価しているのかがよくわからなくなってきて、ちょっと遠ざかっていました。

 ネタはおもしろい、ユニークなんだけど、なんかこの人たちをもう一回、もう一ネタ見たいと思わないんだよなぁ・・と思う組が高得点をとる場面が増えてきたのです。「ここでどの組が選ばれるにしても、その人たちが“見てほしい、ウケてほしい”と頑張る客の中に、自分は入ってないな」と、ふと思うと、あっという間に視聴体温が下がって行った。

 今回優勝のとろサーモン、結成年次(2002年)的に今回がラストチャンスだったそうで、お疲れ様アンドおめでとうございます。ラストチャンスでなくても、この組が“勝ち抜け”してくれて、笑い飯の時とは別の意味でホッとしました。かねてから大方の評価は高いし、高い事自体には月河もさしたる異議はないんですが、苦手なんです。この人たちの芸風、空気感。敢えて言えば、目つき、顔つき。何年も見ていますがずっと苦手で、どのネタがとは言わず苦手でなくなったことはないので、これからも苦手のままでしょう。ちゃんと通して見た中では、決勝1stラウンドのスーパーマラドーナ、敗者復活戦の天竺鼠和牛は決勝1stもファイナルも良かった。やはり“漫才”なので、アクションやギャグや変顔の面白さじゃなく、“2人の会話から生まれる状況”の面白さで笑いたいと思います。来年はどうだろう、見るかなぁ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする