イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

やさしくやさしく引き上げる

2010-05-30 19:29:34 | 朝ドラマ

もうずいぶん長くTVBros.に細野晴臣さんと対談形式のコラムを連載している“ミュージシャン/俳優”星野源さんが、『ゲゲゲの女房』布美枝さん(松下奈緒さん)の安来の実家の弟・貴司役だったということに、実家シーンがほとんど無くなってから気がつきました。遅い。遅いにもほどがある。あのコラム、毎号載っている細野さんとの2ショット写真がスーパー小さいので、“ダイエットした古舘伊知郎”にしか見えないんだもの。肩書きも“ミュージシャン”との両論併記だし、曲作って歌って演技もする系の小劇場芝居でもやっている人だろうぐらいに思っていました。眼鏡有る無しと、あと特に男性は、前髪分ける分けないで正面顔の印象がずいぶん違いますね。たいへんご無礼を。

安来の大人篇に入った第2週の前ぐらいの号に、軽く告知載せといてくれればよかったのにね。第8週、源兵衛さん(大杉漣さん)上京事件(事件って)の週も出番何回かあったのに。

まあ、あのコラムは、大御所細野さんに息子ほど年齢の離れた星野さんが訊きたいことを訊きながら音楽や、いま興味を持っていること、食べ物飲み物、時事の話題も含めてトークしていく方向なので、朝ドラレギュラーの情報はあえて触れなかったのかも。リアル水木先生夫人布枝さんのご実家の酒屋さんはいまも安来で盛業中と聞きますが、劇中、前垂れ掛けて営業に仕入れにと奮闘しているらしい貴司くんの出番はまだあるかな。

さて、20105月も残すところあと2日となって、5月と言えば鳩山首相はいろいろと感慨深いものがあると思いますが、月河は今月に入ってからのここの記事、ほとんど『ゲゲゲ』の話しか書いてなかったことに気がついていささか驚いています。“次回が楽しみ、見逃せない”体温をいちばん高く保って継続視聴する作が、昼帯でも特撮でもなくNHK朝ドラになる、そんな日が月河に来ようとは。

特に熱心な昭和の漫画ウォッチャーではないし、その中でも水木しげる作品がとりわけ贔屓だったわけでもない。漫画が一気にメジャーになり、子供だけではなく大学生や社会人までが漫画を公然と愛読するようになって、おもに大正~戦前生まれの親や教師世代からはとかくの言われようで、そういうバッシングも含めてさらに漫画への社会的関心が高まって行く、そんな時代に物心ついて、モノを読むことを覚えたために、たまたま漫画も読んでいたという、月河と漫画との付き合いはその程度です。

放送前に布枝さんの、ドラマ原案となったエッセイ本を読んで感動したというわけでもないし、もちろん松下奈緒さん、向井理さんら出演俳優さんに釣られたクチでもなし。むしろ松下さんなど、どちらかと言えば「朝の顔にどうなの?」と疑問視していたのに、意外な大健闘で日々「お見それしました」と微量謝罪しながら(大袈裟か)見守っているくらいです。

にもかかわらずなぜ『ゲゲゲ』にここまで嵌まったのかとつらつら考えてみるに、いちばん大きいのは布美枝の“前向き度”“ポジティヴ度”が非常に手ごろでオサマリがいいということにあるみたい。ポジティヴはポジティヴでも、「夢に向かってまっしぐら!」式のそれが、月河心底苦手なんですよねえ。世間が思う以上に、これ式を苦手にしている人って、いまの日本に多いと思う。

布美枝ちゃんも一貫して前向きなんだけど、職業なり技術なり地位なり、勝手に思い定めた目標への、ピンポイントな狭い前向きさではなく、他者から与えられた状況、好むと好まざるとにかかわらず遭遇した局面で「苦境でも、悪い方にではなく、いい方に考える」「オールオアナッシングではなく、いま自分にできるエニシングを考える」という、非常に柔軟でひろーい、汎用性の高い前向きさなんですな。

年中「前向き前向き!」「努力努力!」とハリネズミの様に、トサカの様にツンツクおっ立てて進んでいくというのは、本人も疲れるだろうけど、傍から見ている者に「あの子があんなに頑張っているから自分も」と元気や向上心を分かち与えてくれるより、「あーあ、やれやれ」「参るよなあ」と、頑張る前から疲労感をもたらすケースがはるかに多いのです。

布美枝ちゃんが、前向きで汗をかくことを惜しまず、辛抱するところはグッと辛抱して、自分がラクすることより家族や夫、隣人など周囲の人々の幸せをまず考える、非常にNHK的優等生な性格ではありながら、基本“内気”“引っ込み思案”設定なのも思いのほか見やすい結果につながっています。見ててイライラするくらいすべてにビクビクオドオドではないけれど、何かっつったらワタシがワタシが!と出しゃばって、善意で人の神経を逆撫でするたぐいの、ありがちヒロインでもない。

先週第9週最終話(29日)でも“手形の期限の3ヶ月先まで現金収入は見込めない、節約だけではもうどうにもならん、私も働きに出たい”と考えて考えてこみち書房の前を通りかかり、銭湯おかみ靖代さん(東てる美さん)の化粧品実演販売を見かけて“私も…”と思いながらクチに出せず、「じゃーワタシ営業所に顔出してくから」と辞去しようとする靖代さんの腕を、金色夜叉のお宮みたいに掴んで「なぁーによ?」と訝しがられる場面など、布美枝の“内気な頑張り屋さん”ぶりがよく表れていたと思います。

この回、化粧品営業所長(吉田羊さん)から「クチ八丁手八丁の人より、アナタのような素朴な人のほうが信用されるわ」、靖代さんから「あんたセールスに向いてるかも、いざッてときに力を出す人間だと思うよ」と象徴的な表現が出ました。朝ドラヒロインは、全方位元気いっぱい、四六時中明朗快活より、平時はおとなしくて受け身で、必要なときにさくっと点火するぐらいのほうが心地よく応援できる。

もちろん、茂(向井理さん)との結婚および結婚後の夫婦生活において、気苦労を重ね辛抱するのが一方的に布美枝のほうばかりなのに心穏やかでない観客はいるでしょう。茂もたまにフトコロに余裕があるとき好物の甘い物やコーヒーをたしなむ以外、飲む打つ買う的な道楽は皆無でひたすら漫画描きに打ち込んでいますが、世間的な意味で妻を幸せにするなら同じ漫画でももっと収入に結びつく売り方を考えるとか、せめて自分の実家への贈り物を控えて貯金するとか、家庭に向かうベクトルでの努力がほとんどみられないにもかかわらず、布美枝がそれに対して文句を言わず「お仕事に専念できるように」と全肯定的なのも、おもに月河より年下の、男女雇用機会均等法が定着してから社会に出た世代は釈然としないと思う。

このドラマが成立するのは、リアル水木しげる先生が長い貧窮期はあってもある時点からめでたくメジャーになり、アニメやキャラクター商品でも成功をおさめて、押しも押されもせぬ斯界の大物となり、2人のお子さんも成長して、愛妻布枝さんと健康で恵まれた晩年を送っておられることを、観客が百も承知しているからでもあります。ってことは貧乏しても辛抱しても、夫が成功しさえすれば万々歳、「夫の成功のために身を粉にしても、成功しなかったら粉にし損なわけで、成功したことがわかっている人を題材にして、妻の一方的な辛抱を称揚するお話なんて」ともやもやする視聴者も少なくないと思われます。

だがしかし、そういった、いま流のリクツに照らすとどうにも割り切れない部分をチカラずくで割り切る勢いで、布美枝の“内気ポジティヴ”ぶりが新鮮かつ輝いている。

いや、スパッと鋭利に割り切れないまでも、ほら、あの、タクアン一本輪切りに切ったつもりが切りきれてなくて、ひと切れつまんだらダーッとぜんぶつながってきて「テヘッ♪」みたいな、そういう詰めの甘さはあるんだけども愛嬌と身長で(身長かい)カバーしてるぐらいのとこ。「こんな奥さん、当節いるわきゃないけど、まあドラマだし」と、夫役向井さんの“こんな(変わり者で、かつアラフォーなのに童顔小顔イケメンの)ダンナいるわきゃない度”と妙にハモって、回り回って「続きが楽しみ」な作品になっていると思います。

ところで、29日のエピできりりと夜会巻きアップが“昭和の働く女”らしく凛々しい営業所長さん役、何処かで…と思ったら07年の昼帯『愛の迷宮』の別荘番妻・吉田羊さんでした。素朴であまり賢くない、都会生活にあこがれる田舎の奥さんから、暴行妊娠未婚の母、子を残して失踪→再会も難病に冒されていて、子の出生の秘密を胸ひとつに秘め…と、転帰がしかと思い出せないくらい、知的レベルも人間性も振り幅の広い役でしたが、あのドラマで脚本上の役柄豹変に振り回されず演技力で制御し切った数少ない女優さんでした。

布美枝ちゃん妊娠発覚、端緒につきかけたセールスレディへの道はお預けになりそうですが、羊所長、布美枝の長所を見抜いて味方になってくれそうな人物だったので、ちょっと惜しい。

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ロザンヌレディ

2010-05-29 18:02:41 | スポーツ

先日軽い気持ちで大相撲升席暴力団観戦のことをここで書いたら、翌日すぱっと厳しい処分が下りましたね。親方たるものはやはり責任者として仕方がないかなというところですが、部屋まで閉鎖して弟子諸君も他部屋に転属となるとえらいオオゴトになったものです。これを機会に相撲の道をあきらめ、というか見限る若い衆もいるのではないでしょうか。上の立場の、年くってる人が処分されるについて、斯界の将来を担うべき若い世代がワリを食うようなやり方は賢明なのかどうなのか。

とにかくお芝居でも歌でも踊りでも、漫才漫談でもマジックでも、大道芸でも、興行と名のつくもので、“地廻り”と無縁で全国でご披露して回れる様な演しモノはないし、商売にすることもできません。紫綬褒章や文化勲章もらったような人が主宰するメジャー劇団でも、“昔売れてたこともある”みたいな演歌歌手の温泉歌謡ショーでもまったく同じです。或る地方の或るステージで一定日時に集客して木戸銭取るについて、“地元の親分さん”に挨拶なしということはあり得ない。大手プロダクションは大手なり、零細個人事務所は零細なりに、有形無形の仁義を通して興行しているものです。

ただ、日本相撲協会というところは民間の置屋さんではなく、国の肝煎りで存立運営している団体だけに、そういう方面との交流、接点は、何が何でも“存在しないこと”にしたいらしいのです。JRA中央競馬会なんかは、券売って、賭けてもらってなんぼの演しモノだけに、もっと露骨にそういうことに神経質です。

今回降格・部屋解散の処分を受けた親方についても、こういう事態になってから「かねてから黒い交際の噂が絶えなかった」なんて書かれていますが、だったらこんな、TVの画面に映っちゃうような事案になる前にお灸据えておけばよかったのにね。結局、やおら処分決めた側も処分された側も長年ずぶずぶと「これくらいは普通だろ、セーフだろ」ぐらいの感覚でいたからこうなったのです。

さて、昨日、非高齢家族が珍しく、レンタルDVDをいそいそと借りてきました。昨秋公開の映画『沈まぬ太陽』。上映時間3時間22分。ひえーーー。聞いただけで腰痛。

月河はインターミッションまでで就眠し、後半は後日、PCでゆっくり鑑賞し直すことにしましたが、御巣鷹山に墜落する羽田発123便のスッチー(←“客室乗務員”“キャビンアテンダント”よりやっぱコッチがいいよね)役で、我らがゲゲゲの女房・松下奈緒さんの顔が見えましたよ。他のスッチーさん役に混じって乗務員搭乗口に立ってもひときわ背が高いたかーい。先輩・松雪泰子さんのお休みピンチヒッターで被災してしまうのですが、搭乗口で松雪さんと向き合っても相当の落差。松雪さんも公称165センチで、お若い頃は水着のジャケ写なども出しておられたし、小柄というイメージはなかったのですがね。『ゲゲゲ』で公称162センチの松坂慶子さんと向き合ったとき以上に凸凹でしたよ。撮られ角度にもよりますけどね。

N本航空ユニホを模した制服衣装のお帽子効果か、現放送中の布美枝ちゃんよりちょっこし頬っぺがふっくらして見えました。1985年のあの事故では重傷を負いながらも生還した乗務員さんもおられましたし、ダッチロールを始めても一人旅の小学生に「大丈夫だからね」と酸素マスクを装着してあげる気丈な布美枝ちゃん(違う)、生きて救出されてくれないかな…と前半そればっかり考えてました。

残念ながら後の出演シーンは遺影になってしまいました。松雪先輩が献花に訪ねる、実家のお母さん役が烏丸せつこさんとはねえ。美人母娘。ヴォリュームが遺伝しなかった。画面に出てこなかったけど、お父さんが長身で細身で濃顔だったのかな。

……阿部寛さんとかかな(年齢が合わない)。

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屈辱的講和条約

2010-05-28 20:26:31 | アニメ・コミック・ゲーム

ぬうむ、しげる(向井理さん)が請け負ってきたのは少女漫画でしたか(@『ゲゲゲの女房』)。

リアル水木しげるさんも貸本時代は別名義で、女性のアシ使って少女漫画を発表していたというし、史実に基づいたエピなのですが、“原稿料を半額値切られたことより、古くさいとケチつけられたことより、「あなたの名前では売れないから別名、従って新人扱いのギャラでなら仕事あげる」まで貶められながら黙々と描いてきた夫の気持ちが傷ましい”と帰途の境内で涙する布美枝さん(松下奈緒さん)の妻心の話にまとめました。

でも帰宅するときには、吹っ切って笑顔で夫の好物のコーヒーを買い、夫も「あれ(=変名)も作戦のうちだ」「名前を変えても、漫画を描いて生きて行くことは変わらんのだけん」とさらっと前向き。この夫婦は揃って、手詰まりかなという局面で次善の策、次々善、次々々善…の策をとって、まずは打開して前に進むことにためらいがないのがいいですね。

それでいて、“本当に自分が描きたい、自信のある漫画はこれだ”という基本線を夫は崩さず、“うちの人が打ち込んでいる大事なお仕事、心ゆくまでやってもらいたい”という妻の思いも不動。朝から貧乏苦労物語なんてこのご時勢にどうなのよ?という当初の大方の懸念を、いまのところ、“とにかくぶれない”という爽やかさ一本で押し切っています。

そういや布美枝さん、安来時代に、チヨちゃん(平岩紙さん)に頼まれてインスタントラーメン実演販売をお手伝い、人だかりにテンパっちゃって散々な結果に終わり、「外でお仕事も難しい、このまま家事手伝いでもいけん」と、新製品のインスタントコーヒーで休憩しながら「ニガいなあ…」と溜め息ついていたこともありましたっけ。いまは愛する旦那さまが淹れてくれる“砂糖幾つ入れたか忘れてしまった”あまーいコーヒーで乾杯。商店街の“純喫茶・再会”もなんだかんだで重要な場面転換、心理スイッチ切り替えスポットになっているし、しげるさんの好物“コーヒー”は今後も小さなキーアイテムになりそうです。

昭和37年の貸本漫画界の記憶は月河もさすがにありませんが、昭和40年代前半の週刊・月刊の少女漫画誌なら、結構、男性の漫画家さんで思い出す名前や絵柄がありますよ。手元に資料が無いのですが、週刊マーガレットでは学園もの、戦争体験ものの鈴原研一郎さん、怪奇ものの古賀新一さん。ギャグでは石森(←当時)章太郎さんの『さるとびエッちゃん』なんか好きでしたね。

週刊少女フレンドではいまもご活躍の楳図かずおさんが『まだらの少女』『ミイラ先生』などでトイレに行けない夜を幾晩も作ってくれたし、あしたのジョーのちばてつやさんはスターを目指す少女の芸能界バックステージものを描いていた。ちょっと後の年代では実写ドラマにもなった望月あきらさんの『サインはV』も。

月刊の、りぼんでは松本零士さんが愛犬・動物ものをよく描いておられたような。のちに牧美也子さんが奥さんだったと知って驚いたっけなあ。ちょっと脱線。

同じく月刊のなかよしでは、手塚治虫さんの『リボンの騎士』が読めましたが、完結までは行ったのかどうか。

子供心に、男性名前の漫画家さんのは総体的に「地味だなあ」という印象はありました。『ゲゲゲ』のスーパー嫌味・春田社長(木下ほうかさん)の言うように「古くさい」と論評する目は、いままさに漫画読み始めたばっかりのガキですからもちろん無いのですけれど、どうも“華”がないのですね。少女漫画の代名詞“おメメに星キラキラ”も少なめで、女の子があこがれるようなかわいい顔、真似したいおしゃれな服装髪型のヒロインが出てこない。とりわけ月河が好きだった、国籍不明時代不明のお城や洋館、舞踏会やお姫さまドレス満載のお話が、男性漫画家には無理だったようです。唯一『リボンの騎士』でシルバーランド王室や貴族を描いた手塚さんは、例外的に宝塚少女歌劇が近隣だった幼児体験が役立ったのでしょう(それでも女性漫画家の諸作に比べればかなり地味でしたが)。

いま考えてみれば、昭和40年前後にすでに大手誌に寄稿していた漫画家さんで男性ならば、軒並み戦争体験世代だったはずです。ちょっと年かさならば水木しげるさんのように従軍経験があっただろうし、もう少し若ければ軍国少年、軍国青年として、お国のために立派な兵隊さんになりなさいと教育を受けたはず。

こういう男性たちが戦後、好きで志して、あるいは成り行きで漫画描きになった場合、「女の子にうけるようなものを」と要求されたって、やはりお話もキャラも絵柄も、リアリティや切迫感、切実さの桎梏から逃れられないのは当然だろうという気がする。恐怖怪奇もの、戦争体験もの、動物もの、スポーツ根性もの…といった、少女誌内での男性漫画家さんたちのテリトリーは、“女の子向けでも、この方向性で、ここまでなら自分の持てる技でどうにか”という、彼らのギリギリの打開策であり妥協ラインだったのかもしれません。

さて我らがゲゲゲしげるさんは、ガード下で落ちぶれた富田社長(うじきつよしさん)と再会、国交断絶したはずなのに背に腹はかえられず虎の子の新作『河童の三平』を預けてしまいましたよ。シリーズで8巻出すから10万円、支払いは3ヶ月後にって、豪快というよりホラ話みたいな約束、どう考えてもスベるような気がするんだけどなあ。富田書房、事務所のドアのガラスもなくなって、ハトロン紙みたいの貼ってるし。手形に弐拾円の収入印紙貼って割印してあったけど、あの印紙さえ本物かどうか怪しい。よく事務所の電気が止められなかったものだ。

デビュー作を出してくれたとか、過去の恩義に関してはしげる、妙に義理堅いからなあ。

布美枝さん、いっそのことその手形、街金に持ってって割り引いてもらって現金に換えたらどうでしょう。社長がガード下でやさぐれてるような会社が振り出したんじゃ、落ちても割れない鉄板手形かな。

そう言えば、今年度下期の朝ドラのタイトルは『てっぱん』だそうで…って、さすがに関係ないか。

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同体とみなして

2010-05-27 16:49:14 | スポーツ

大相撲砂かぶり席チケが暴力団関係者に?の報道の解説で、相撲協会に390万円以上寄付した人だけが入手できる“維持員”席なるものが存在することが明らかになりましたが、「イジイン」という音の響きを耳にしたとき、意味なく「伊集院光」を思い出した人が全国にざっと、ええと、39万人はいると見ました。

いや、それを言うなら「伊集院静」だろ、一応直木賞作家だし、故・夏目雅子さんの旦那だし、と注文つけた人がざっと31万人。

ここは相撲ネタだけに(ネタって)、体格的に光の勝ち。押し出し。

冗談じゃないよ、“いじーん”と聞いたらいの一番に思い浮かぶのはBillie Jeanだろマイコーだろムーンウォークだろキング・オブ・ポップだろ、ととったりかます人が93千人。えーっ、ビリー・ジーンならキング夫人だもん世界女子テニスのパイオニアだもん、と待ったかける人が19千人。

…それらを尻目に「日本ではメールマガジン略してメルマガなどと言うようですが、欧米ではemagazine略していーじーんと言うのがぽぴゅらーなんですよ」と立ち合い変化する野郎が53百人。

どうでしょう。45パーセントぐらいは当たっている自信があるんだがな。検証する方法はないけど。

もちろん、「耳にしても何も思い出さない」「てかそんな報道知らない」と物言いつける人が11千ウン百万人はいるでしょう。こっちは68パーセントは当たってるな。たぶん。

………無意味に数字で浴びせ倒してみました(倒せてない)。

しかし、国技とて、そこらの小劇場、劇団芝居同様、興行である以上キップ売ってなんぼの世界、買って下さいと一生懸命アタマ下げて売って、めでたく買ってくれた相手本人ではなく、回り回って別の人が当該キップの席に座ってた、それがたまたまアッチの世界の人だったからといって、アタマ下げて売って営業に貢献した親方が処分されるんじゃきつくないですかね。売る都度、「アッチの世界の人にだけは譲渡しないでね」とクギさすわけにもいかないだろうし。相撲はスポーツのコロモをまとってはいますけれども、あくまで芸能界、花柳界の一角に位置するわけだから、完全にアッチの世界と絶縁して、無色無臭透明になるまでアッチの臭いを排除して、それで存立できるとも思えないのですが。

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ここらで熱いお茶が一杯怖い

2010-05-26 00:14:28 | 朝ドラマ

登場いきなり強い味方全開の深沢社長、なんか話がうますぎるなーと思ったら倒れちゃいました(@『ゲゲゲの女房』)。

25日(火)の放送では画面に登場しないまま、長野の療養所に入っているとの説明だけで、回復にはかなりかかりそう。どうするしげる(向井理さん)&布美枝(松下奈緒さん)。どうなる村井家の国家財政。

まあ深沢社長、ポッケから名刺出そうとすると「あれ?…アレ?」といつも見つからないとか、昨日の漫画家志願はるこ(南明奈さん)と連れ戻しに来たお父さん(昼帯セミ常連・野添義弘さん)と、行きがかり上しげるもまじえた四者会談でも、ずーっと酒らしき小グラスを切らさないとか、キャラ立てフック満載だったので、これきり薬石効無く永のお別れということもないでしょう。このまんまじゃ「漫画には大きな可能性がある」「漫画が世の中を動かす時代が必ず来る、一緒に風を起こしましょう」と“惚れてまうやろー逃げ”になっちゃうもんね。

布美枝ちゃんが今日言っていた通り、昭和37年なら、戦前戦後に国民病と言われた結核は、特効薬の抗生物質が国費で処方でき、治せる病気になっていたはず。月河実家父も、確かこの頃にやってたはずです。一般的なストレプトマイシンでは効かず、もう一段強力なカナマイシンが投与され、叩いて叩いてめでたく完治したものの、副作用の聴覚障害、所謂ストマイつんぼにはかなり悩まされ、復職にも時日を要しました。

村上弘明さんの深沢社長があまりにさわやか好漢っぽくて健康的なので、「人の2倍仕事もするが、酒も2倍飲む」ようには見えにくいのが難点だけど、信州の療養所でアルコール抜いたら肝臓にもプラスで、逆に寿命が延びるかもですね。

それとも、「これ(=酒)が私のガソリンですよ」って言ってたから、結核菌よりむしろ“ガス欠”でしおれちゃってるかしら。月河も他人事とは思えない。

……こちらのガソリンは泡出てますけど。冷えてますけど。

今日は深沢の三海社が廃業して、せっかくの『鬼太郎』完結篇の原稿まで紛失、またまた原稿料が途絶え失意のしげるが、本当なら深沢のもとで長編連作として出版する予定だった『河童の三平』のパイロットを持ち込んだ春田出版の社長役・木下ほうかさんが圧巻の味でした。大事な手描き原稿に「熱っつ」とお茶ボトボトこぼしたり、のっけからずばり「ウチで…は、出せないね」と切って捨てた後、「…てんでズレてんだよなぁ」と独り言で駄目押ししたり、「ホラ、センセイの漫画、売れないでショォ?」と半疑問形など、作り手の神経を逆撫でし落ち込ませる方法論の教科書みたい。

たぶん春田も、純粋に編集者が作家を見る目でなら、水木しげるに余人をもって代えがたい個性を見出すことはできるし、一緒に仕事してみたい気持ちもあるのです。三海社からしげるが出した『鬼太郎』シリーズも、ウロ覚えなふりをしながら、ちゃんと読んでいた。

しかし弱小零細貸本出版社の悲しさ、商売になる見通しがなければ組もうとは言えない。水木しげるの漫画が「版元も取次も、印刷屋も万々歳」な結果をおさめていないことも知っている。

「気の毒だなあ、深沢さん」は、“センセイの漫画が売れないおかげで、他人まで悲劇にしてるじゃない”という底意地悪さのコロモをまとっていますが、底で2割ぐらいは“深沢さんのように太っ腹に、利益度外視した本は出せないワタシが悔しい”も含んでいる。

だからこその「短篇1本ぐらいなら、頼んでもいいヨ?」なのです。“河童の話はいまの時代受けない”“名前自体取次から売れないの烙印押されてる”と、どん底まで突き落とした上でどれだけしげるがこっちの事情に合わせて歩み寄ってくれるか、彼なりの瀬踏みであり、賭けでもある。まるっきり要らない、関わりたくない作家なら、ねっちらねっちら言う間も惜しく追い出したことでしょう。

作家にも修羅があるが、作品を商品にすることで生計を立てる編集出版にも作家の知らぬ茨の道がある。意に沿わぬ、おまけにケチ臭い仕事を背に腹かえられず請け負ってきて、ヤケ酒ならぬヤケ饅頭を、不安顔の布美枝に付き合わせるしげる、春田社長のねじくれた依頼に、どんな作品をひねり出すのでしょうか。

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