イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

朋輩の名はモニカ

2007-07-31 16:46:34 | テレビ番組

 安倍晋三さん、以前に“部下運”に恵まれない人だと思ってここで書いたことがありますが、それプラス勝負運、なかんずく政治家に必須の“選挙運”も弱めな人らしいなぁ。

 地方遊説で街宣車上に立てば結構、聴衆集めるし応援の声もかかるし、まだまだいける、閣僚の失言や年金問題の失点ぐらいは安倍さんの人気で巻き返せると選対本部は見ていたようだけど、こういうミーハー的な“人気運”とは別に、1票を争う勝ち負けには弱い人って、本人の能力努力とは別に、居るもんなんですよねぇ。

 学生時代、クラスに1人ぐらい、“全然賢そうじゃないし勉強嫌いで遊んでばかりなのに試験となるとそこそこの成績をとって、もっと上位の人が軒並み落ちた高ランクの学校にも受かっちゃった”ってヤツがいたと思います。こういうヤツは“試験運”という名の勝負運が強いのです。

 もちろん、真逆の人もいますね。本人もご両親も担任も「頭いい」をもって任じていたのに、ずっと下ランクの学校しか受からなくて、それを悔やんで性格も悪いほうに変わっちゃったり。

 こんな例は他にもあります。

 健康運はない(病気がち・事故や怪我が絶えない)のに病院運、医者運が強い(偶然かかった医師が屈指の名医で難手術成功、病院で世話になった美人ナースと結婚)とか、異性運は弱い(どこ行って何してもモテない)けど結婚運、家庭運は抜群(あきらめた頃に見合い話が持ち込まれ、ブサだが身体強健な相手と子だくさん)、あるいは配偶者運は悪い(生活力なくDV)が子供運に恵まれている(全員大出世し親を大切にする嫁が来る)など。

 昨年引退したプロ野球の新庄剛志選手がメジャーリーグ挑戦で「宇宙人NYへ行く」の見出しがスポーツ紙に躍った頃、雑誌『婦人公論』の占いページを当時(最近読んでないので、いまは?)担当されていた占星術の銭天牛Jr.さんが「野球は全然知らないが、あまりに騒がれているのでこの人の生年月日と出生地を調べホロスコープを作ってみたら、財運(年俸)や勝負運(プロアスリートとしての成績や記録)、異性運(ゴシップとか)の波とは別に“人気運だけは一生ある”人だとわかって、なるほどと思った」と書いておられました。

 安倍さんも、9月改造内閣で“これからが正念場”と見られ、ご本人も周囲もそう言い張っているけれど“人気運はあるけど勝負運はない”人をトップに戴いて延々引っ張っている国自体どうなんだ、という話ではあります。

 何だかんだで10ヶ月。近いうち潮時は来るでしょうね。

 『金色の翼』第22話。

 修子の結婚前の前身が旅行添乗員。これは、迫田ならずともウソ臭いと思っちゃうね。義務教育中に両親を失って辛酸を舐めた女性の就く職業として(イメージが)きれい過ぎ、知的過ぎる。

 かと言って迫田が示唆する“いかがわしい店のダンサー”っちゅうのもにわかには信じがたい。ブラジルってサンバの国、カーニバルの国じゃないですか。褐色の弾丸!ミサイル!トマホーク!みたいな、ボンキュッボンな女性が闊歩する中で、修子さんのような、美人だけどいかにもか細い人が腰振ったところで、どんだけ訴求力あったのか。

 日系人も多いから、柳腰のニーズも根強かった、ってことなのか。

 「物事は見る角度を変えるだけでがらりと違ってくる」と迫田が不気味に言い置いた言葉を思い出して、本当にコップを傾けたりひねったりして見てる槙が哀れ。病(やまい)膏肓。重体。「オマエはすでに死んでいる」(>『北斗の拳』)状態。

 迫田弁護士、今日はほかにも「女性は両手両足縛られていても、涙と笑顔で男を騙す」、昨日は「結婚は愛の掛け算であると同時に、財産の割り算である」ってのもあった。こういう、アフォリズム(箴言)のような、文学作品から摂取したらしきフレーズをバンバン台詞に入れられるキャラって、脚本家さん、書いてて楽しいだろうな。

 昨年の『美しい罠』ではレイ(剣幸さん)がもっぱら名フレーズ担当でしたが、今作は同じ剣さん扮するセツに、修子もときどき加わって、この手の“お文学”台詞出る出る。

 そういう書き方に淫されると、視聴者としては「気取り過ぎ」「生煮え」とちょっと鼻白む。いま程度なら、まぁ、まだ許容範囲かな。

 それにしても、迫田が槙に「修子未亡人は怪しいですよ」と盛んに吹き込む意図が不明。迫田は顧問として雇ってくれていた故・日ノ原氏亡き後、氏の一族、修子に全財産を相続されたくない連中の依頼で来ていると思われるので、槙が警戒して修子と距離を置くよりは、どんどん間違いをしでかしてくれたほうが都合がいいんじゃないかと思うんですけどね。

 

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モンラッシェ93年

2007-07-30 21:23:03 | テレビ番組

 今日もちょっと駆け足で。『金色の翼』第21話。

 19話から参入の迫田弁護士、修子と玻留の夕食のテーブルにお邪魔虫。いつもの通り高価な酒をためらいなく水のようにガブ飲みする玻留にチクチク嫌味を言ったあと、修子に「再会を祝って乾杯を」と促された彼が最高級のシャンパンをオーダーしようとすると、あてつけのように「次の次のランクので結構、分相応をわきまえて生きる、それが私の信条でして」…この台詞が良かった。

 このドラマの主要登場人物全員、と言うより物語世界全体に対する痛烈なアンチテーゼ砲“隙あらばラクして上昇志向、成り上がり志向”は昨今のリアル格差社会日本をスモッグのように覆ってもいるので、“分相応”という言葉の切れ味は際立ちます。

 さらにドラマ的におもしろいのは、それを撃ち放つ迫田自身が、お世辞にも清廉、謹厳実直そうに見えず、胡散臭さキザったらしさ全開の俗物タイプで、あわよくば故人の顧問弁護士という地位を利用して甘い汁吸いたい、吸うチャンス探してる気配満々なこと。

 しかも、小判ザメ呼ばわりされて爆発寸前の玻留に「挑発に乗ってはダメよ、あの男、私を探りに来たに決まってるんだから」とキレ気味に釘を刺す口調や、いまいましい同席者にイラつきながら夕食をもくもく頬張る所作など、修子が、迫田登場以来、迫田のほのめかす通りの卑しく淫靡で腹にイチモツある女に見える場面が(第1週からサブリミナルのように挿し込まれてはいたけど)ちょっとずつ増えてきている。

 もちろん演出がそう見えるように組まれているのでしょうが、やはり迫田に扮する片岡弘貴さんの力が大きい。

 『女優・杏子』では落ち目女優につけ込む詐欺まがいの芸能マネージャー、『風の行方』ではよき夫よき父であろうとしつつ女でしくじるサラリーマン、『美しい罠』では汚れ仕事を一手に仕切りながら出世の機会を耽々と狙う辣腕経営顧問と、この枠のドラマでは見るたびに全然毛色の違う役どころで、その都度ちゃんとその役に見える。主演の俳優さんにとってももちろんでしょうが、特にドラマを製作する側にとっては、脇についてくれると頼もしい俳優さんのひとりだと思います。

 修子が両親を火事で失って弟と2人親戚を転々とした淋しい少女時代から、故・日ノ原氏とのセレブ婚に至るまでの経緯、明日本人のクチからある程度語られるようで楽しみですが、このドラマにひとつ物足りない点を挙げるとすれば(ふたつ挙げろと言われればふたつ、三つと言われれば三つ、10と言われれば10、挙げることはできるのですが)、「次回が楽しみ」と思うその楽しみの中身が「物語の先を早く知りたい」にとどまっていて、修子、あるいは槙でも理生でも「この人物(たち)に早くまた会いたい」にならないことです。

 たとえば(あまり連続ものドラマを観ないので例に出せるタイトルが少ないのですが)、今年1月から放送していた『わるいやつら』などは、脚本は『金翼』に比べてはるかにゆるく、起きる事件のほとんどすべてに伏線が見当たらなかったり、逆に伏線埋めっぱなしだったりにもかかわらず「早く豊美(米倉涼子さん)と戸谷(上川隆也さん)に会いたい、彼らの結末を見届けたい」という気持ちが、毎話エンディングテーマ曲のたびに絶えることがなかった。

 これはやはり、1話で、豊美の心が戸谷に惹き付けられていく過程をフラッシュ的にながらきっちり切り取ったこと、戸谷に「僕ら、足して二で割ればちょうどいいな」と言わせ、夜明けの魚河岸で2人、患者の話をしながら朝食をかきこむシーンを入れて「何かが邪魔しなければ、何かが欠けなければ、お似合いの恋人同士になれたかもしれないのに…」という“残念さ”を視聴者に刷り込んだことが大きいと思うのです。人間、残念だと思ったものはとことん追いかけずにはいられません。

 『金翼』には、それこそ残念ながら、そういう瞬間と言うか“取っ手”がなかった。

 槙が修子に対する策略モードになる前、唯一の善意での2ショット=2話のガレージでの中古ジープをめぐる会話ですら、わざわざ下ろしたてのタオルを出してくる槙の素朴さは微笑ましいけれど、修子が(視聴者には予備知識として与えられている)(金満の)身分を伏せる真意が不明なこともあり“お似合い感”はきわめて希薄でした。

 なぜ希薄になってしまったのか、月河も実はよくわかりません。

 “取っ手”のシーンとして脚本に不備はないと思うし、槙と修子、趣味や興味がある程度一致し、同じものをおもしろがれる2人だということをきちんと提示できている。「この2人くっつけばいいのにな」と視聴者が思えなかったのは、その前日、1話で槙が理生と(設定以上に)深い仲に見えたからかもしれないし、極端な話、槙役の高杉瑞穂さんと修子役の国分佐智子さんの体型が違い過ぎるからかもしれない。

 まぁ、だからこそ、とことん“物語のおもしろさ、入り組み→解きほぐされ具合””波瀾万丈さ”が純粋に楽しめるという側面もありますが、物語には緩急というものが絶対に必要なので、秘密暴露や陰謀、謎解明のプロセスが“ちょっと一服期”に入ったときにいまの吸引力を保てるか、心配なところでもあります。

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初対面は喪服

2007-07-29 21:15:35 | テレビ番組

 先日の記事で触れたダフネ・デュ=モーリア『レイチェル』最後に読んでからもう3年以上経つので、いま再読したらどんな印象かと思って本棚から出してみました。

 昨今のミステリやホラー小説と異なって、ことさらに切迫感を煽るような仕掛けはひとつもない、むしろゆったりと悠揚迫らざるリズムで書かれているのにページを繰る手を休ませない、常に次が気になる空気を湛え続けたまま終幕まで引っ張る筆致は何度読んでも飽きません。

 何より作者が、“宿命の女”レイチェルを、ステレオタイプな記号でなく、生身の女性の長所も短所も兼ね備え活き活きとした、しかしたっぷりと不気味なキャラに描いているのが素晴らしい。

 初読ではわからなかったことで今回強く感じたのは、この従兄弟には父子以上、というより男性同士の恋愛感情に近い絆がありますね。もちろんそのことが物語の純度を下げる疵にはまったくならず、むしろテンション補強に貢献しているわけですが。

 とにかく揃っていい年になるまで女とまったく無縁で来たこの従兄弟、2人の男の危なっかしさや滑稽さ、世間標準とのズレ方のさりげない描出も見事です。

 特に、兄のほうは物語序盤死んでしまうので、もっぱら回想や会話引用で生前の人となりが叙述されるのですが、そういう話法上のハンデすら、少しも伝えるニュアンスの豊かさを減衰させません。

 それにしても、年譜によればこの作品の発表は1951年、これも前の記事で触れたリチャード・バートン、オリヴィア・デ=ハビランド主演の映画『謎の佳人レイチェル』が52年作品ですから、出版後、ほとんど間髪を入れず映画化されたことになりますね。現代のようなメディアミックス・タイアップの時代ではないだけに、当時のデュ=モーリアの人気作家ぶり、この作品の世評高さがうかがい知れます。

 もとより好きな作家さんなので、ついでのようで失礼だけど←左柱←に載せてみました。月河がヘタに内容ウンヌンするよりも、この04年版改訳を担当された務台夏子さんの“訳者あとがき”が、過不足なく作品の魅力を要約しています。

 何度も読み返したい作品ではあるけれど、その時間がないときは、このあとがきだけでも読み返したいもの。“こんなに魅力的な物語が、時間さえあればまた読める”と確認するだけで少し心に余裕ができる。それくらい的確でイメージ喚起力に富む要約です。

 さて、3年ぶりに読み返してみる契機になった『金色の翼』のほうは、まったく別ものとして、明日からまた録画視聴するとしましょう。

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郷さん、式ではしゃぎ過ぎ

2007-07-28 18:24:37 | テレビ番組

 『金色の翼』における槙の視力の末路を妄想している場合ではないのでありまして、ネット環境になって1年半、PC画面と接している時間が増えたこともあり、眼鏡の度がモロに合わなくなりつつあります。

 もともと右がよくある中程度の近視、左が極度の遠視で、どちらにも微量乱視が入っているとの診断で、89年から眼鏡常用者になったのですが、それから05年の直近作まで、4組の眼鏡がどれもここのところ、どれをかけても場面次第でしっくり来たり来なかったり。

 原因ははっきりしてます。左右関係なく老眼が加速度的に進行してきたのだ(情無)。

 こうしてPCに向かっているときも、ディスプレイ画面を見ている分には“従来作”で無問題なのですが、キイボードに目を落とすと、微妙に違う。

 さらに、データ的なことを参照するために手帳や新聞雑誌の細かい文字を見るときは、いっそ裸眼じゃないと捗らない。

 こんな状態でプラス、TV画面でVTR再生してチェックしながら書こうなんて思ったら、もう大変。

 昭和のコント「赤上げて、白上げて、白下げないで、赤上げない」みたいなことになります。

 やっぱり、次回検眼したら、遠近両用かな。両用かけてると目つきがえらく高齢者っぽくなるから、避けたかったんですけどねぇ。

 『爆笑オンエアバトル』(27日24:10~)、先週に続き石川県津幡町での公開収録ですが、地方収録によくあるお祭り的なテンション高さが、今回は心なしかあまり感じられませんでした。

 最高kbがハマカーン485。うーん、これでもかなりインフレだなぁ。浜谷得意のロボットネタ一本押しも、密度があまり高いとは言えない。「このカルテ、シュレッダーかけといて」「もみ消しじゃねーか」でのオチは悪くなかったけど、彼らの力量、実績から言えば、450そこそこの評価が妥当だと思う。

 地方収録に限らず、最近どうもこの人たち、ネタ・出来のわりに玉入り過ぎのような気がしていたんですが、今回、出からじっくり見ていて少し理由がわかったような気がする。「どもーーよろしくーー」と、出で持って来る雰囲気が別格なんですよ。

 特にボケ浜谷の、一見客席なめてるみたいなヘラッとしたたたずまい。たぶん、ネタ本体より、ここで若干笑いの下駄履いちゃうんだと思う。これは決して悪いことではない。ツッコミ神田の微量低体温も、浜谷の“1割ヘラヘラ遊んでる”感があって活きる。

 イワイガワは反対に、ジョニ男のアナクロなボケ演技を、ツッコミ井川がガシッとつかまえて煽り切れていない。今回のネタで、ちゃんと客席への笑いサインになり得たのは「好きになれるだろうかー」「(オレンジレンジ)知らんな?」だけ。ボケから「バカヅラしてる」「クリソこっち」「愛し合ってるんだから」など、鋭いツッコミさえあれば笑い倍増できるキューが山のように提示されてるのに、ほとんどスルーでもったいない。いまのままでは、ジョニ男のピン芸と大して変わりません。

 ジェニーゴーゴーはゆるキャラ、ゆる芸という看板になってはいるが、心地よいゆるさというよりメリハリなさだけが目立った。どちらも腹から声が出てないし。

 彼らと16kb差なら、オフエアになった末高斗夢“寒可笑しさ”のほうが観たかったな。また前回のミズノミキのように、ネットオークションで買いつけたネタ持ち込みで石川まで来たのだろうか。敗者コメントでも泣き入ってた通り、日が当たらずに終わった小道具ちょっとかわいそう。

 弾丸ジャッキーは、月河は初見だったので新鮮さはありましたが、とにかくコストパフォーマンスが悪い感じ。漫才やるのかコントか?って観客が予期してるところで本格的徒手体操やって見せれば、そりゃ新鮮なの当たり前ですよね。これは、見慣れていくごとに磨り減るタイプの笑いだと思う。

 ネタ本体より「たぃそせんーしゅの」という“名乗り”のほうが笑えました。自衛隊のほうが内容的に弱かったね。「地雷がひとつ」の毒気はよかったけど。

 今回進歩を感じたのはオオカミ少年。前回オンエア観たときはいかにも単調で、息切らして燃費悪い笑いだなぁと思ったのですが、運動量の多い本編より「ブレイクターイム」「マジ休憩となっとります」「ウエンツウエンツって疲れたよ、オレ結構ウエンツ好きだし」のくだりが良かった。何より、声と振りを揃えて演る芸風だからこそ、2人のキャラの違いがくっきり出るようネタを作ってきてるところに前進を感じました。

 いちばん気になったのは、実は司会の神田愛花アナ。新年度からの担当で徐々に慣れて味も出て来ているとは思うのですが、計量前の「こんばんはー!…」で始まる振りで、フレーズごとに頭を振り過ぎる。

 おデコを出さない髪型が主流になってきてから、アナやタレントに限らず若い女性全般に言えることなのですが“目にかかる長さの前髪ではないのに、払うのがクセになっている”みたいな動きが、会話中やたら目立つのです。くだけたフリートーク中ならともかく、司会MCのアナが、正面カメラ目線で決まりフレーズを言うときぐらいはなるべく頭を動かさないよう心がけるべきだと思う。見やすさが何割か違うんです。

 ……なんか、おシュウトメさんみたいなもの言いになってるな。老眼も進むわけだ(焦)。

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うつけ者

2007-07-27 17:19:53 | スポーツ

 フィギュアスケートの織田信成選手。酒気帯び単車運転で赤切符だそうです。

 まぁ大学生だし、20歳になったしね。

 アレかな、やっぱり、ご先祖様の血が騒いだかな「馬を引けい!」ってわけにもいかないから、バイクだったのかな。

  フィギュアスケートの織田信成選手(20)=関西大3年=が27日未明、酒を飲んでミニバイクを運転したとして、道交法違反(酒気帯び運転)容疑で大阪府警高槻署に摘発された。織田選手は大学関係者と大阪市内で酒を飲み、高槻市内の自宅に帰る途中だったという。

  (中略)

  織田選手は26日午後8時から同10時半まで、大阪市北区のサウナで大学関係者とビールジョッキ2杯、焼酎の水割りを1杯飲んだという。関西大は「教職員3人と、競技活動と学業の両立について懇談していた」と説明している。

  (時事通信7月27日)

 昨今、酒気帯び運転に関しては厳罰化の傾向にありますからね。単車と言えども、人身事故でも起こす前にチェック入って、かえってラッキーかもしれませんがね。

 でも普通に、世界タイトル狙うフィギュアスケーターが、深夜ミニバイクで移動してちゃ、酒気抜きでもまずいような気がするけどなぁ。

 それよりこの記事で気になるのは後半。

 「サウナで教職員3人と、競技活動と学業の両立について懇談」って、「織田くん、いまのままじゃ単位足りなくなるけどどうする?」「こういう手もあるけど?」みたいな話じゃなかったんかなぁ。

 て言うか、教職員、飲ましてバイクで帰すなよ!未明だろ?本人持ちでいいからハイヤーぐらい呼んでやれよ!って思いません?

 さて、いまやバイクと言えば、“弟と2人でバイク一台分解した”修子さん。そうです『金色の翼』第20話。

 月河が勝手に重ね合わせてる『レイチェル』(創元推理文庫)で言えばライナルディ氏に相当する?顧問弁護士迫田(さこた)役で昨日から登場の片岡弘貴さん、「よく覚えておかれるんですねアミーゴ」とか「お久しぶりですセニョーラ」なんて台詞、舞台でもない限り役者さんなかなか言える機会あるもんじゃないだけに、『美しい罠』での経営顧問川嶋役以上に気合い入ってます。

 昨日の、槙が修子相手に“計算された芝居”を披露した鳥のアトリエ裏手での忍者隠れに続き、今日も、玖未と奥寺と理生がワイワイ出て行った後撞球室に、修子の後を追って槙がアトリエから飛び出すといきなり目の前にと、まさに神出鬼没。

 彼が「ブラジルから修子を追ってきた」と聞いて、どういう関係なのかと気をもむ槙に「彼に嫉妬しているの?だったら嬉しいわ」「いいから、あなたは何も心配しないで」と修子。初めて“攻めてくる槙”を“攻撃的に防御”しました。

 抱きたそうな槙から、自ら身体を離して、「修子!」と名前呼びさせてしまった。

 やっぱり、槙は修子に翻弄され最終的に身も心も骨抜きにされて、一敗地にまみれそう。

 だだ、修子も決して、初めから目論んで“人を破滅させよう”と計算ずくで行動しているわけではなく、根底には純粋に「幸せになりたい」と願う平凡な女性の側面があります。

 なんとなくですが、いろいろあった後、なんらかの形で修子は、槙の危機を自分の身命を投げ出して救い、そのとき初めて槙も、たぶん理生ら他の関係者も「いろいろ疑惑はあったけれど、彼女の槙への想いは真実だった」と思い知らされることになるような気がします。

 そのカタストロフを経て、修子が存命のまま最終回を迎えるかどうか。これ次第で、ドラマの後味が大幅に変わってきますがある意味、視聴者が、ある程度修子にシンパシーを持てた上で、「この女性は、生きていればいるほど周りを不幸にして、自責の念で自分も苦しむだけだから、死んだほうがラクになれるかも」ぐらいに思えるようになれば、“宿命の女”像として、ある意味、成功かもしれません。

 まぁね、放送回数の三分の一まだ終わってませんからね。いまの段階で「こんな最終回になるのでは」「なってほしい」なんて野暮ですけど。

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