イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

そこんところ

2008-08-19 12:24:31 | テレビ番組

昨日(17日)は初めて出先で携帯でワンセグ視聴してみました。『たかじんのそこまで言って委員会』前半戦。いつもFMか、アナログTV音声を聴いてるラジオ用のイヤホンをアダプタで装着。音声よーし。電波も届く、と。

この時間帯のお題は“いまの日本の皇室は危機だと思いますか?”…この番組で皇室皇族話になると必ず“立ちゲスト”インする京都産業大学・所功教授の、ミョーにくすぐりハイトーンヴォイスが月河わりと好きなんですな。人文科学系で結構いるのよ、こういうタイプの先生。授業も質疑応答も、大したこと言ってないのにねっちりこってり粘着風味で、でも二~三学期にいっぺんぐらいキレると怖い。でもって、物腰ソフトさに騙されて甘く見てると、あんまりいい評点くれなかったりする。違ったりして。いかがですか京都産業大生の皆さん、所教授は。

お題冒頭のVBGMが『ラビリンス』(←99年日テレ系ドラマ)サウンドトラック収録のアストル・ピアソラでしたがそれはさておき。

私見では“いま”事改めて皇室危機だとは思いません。ただ、“危機”ではなく“問題”は延々抱えていると思います。

問題は大きく三つある。

第一は、天皇家・皇室はジンム・スイゼイ・アンネイ・イトク…の紀元前から連綿と継承されてきたような錯覚を多くの人が持っていますが、それは神話伝承の昔から、武家封建政権の飾り物時代を経て明治憲法下と前近代の“君主=天皇”を含んでの話であって、実は現行日本国憲法に拠る、いまの日本国民皆が知り、識者・自称識者たちの議論の対象でもある天皇としてスタートしたのは、今上=平成天皇のアノかた、美智子皇后のダンナさまが“初代”なのです。

先代の昭和天皇は即位後20年間は神様だったのであって、諸般の事情で人間になられてから43年在位された。言葉は悪いが、言わば横すべり・出向象徴天皇です。

天皇になったその日からずっと日本国憲法に基づく象徴天皇であった天皇ってのはいまのアノかたがパイオニアで、言わば前例も規範もお手本もいない、未踏の荒野を走っているのが現存の天皇であり、皇室・皇族なのです。何かをやる、あるいはやらない選択をするにも、「そういう時は先代、先々代、先々々々…代は皆こうして来た」踏襲例は、あるようでない。

第二は、第一から派生する問題ですが、現状をサポートすべきセーフティネットがあまりにも手薄、あるいは皆無に近い。すべてが一方通行片道切符で、通常のレールで進めたことが頓挫した場合の、救済措置や、撤退の手段、あるいはバイパス的脇道が用意されてい無さ過ぎる。

例えば現皇太子殿下が小和田雅子さんと成婚された93年時点で、月河実家親類の中高年女性軍などは、「もうすぐ30になるような嫁じゃ子供をあんまり産めないだろうに、昔会ったときの印象を引きずって何年もコトを遅らせて、皇太子はバカだ」「ハタチ前後の若いコを嫁にすれば56人は産めるから、そのうち最低2人は男の子で後継安泰なのに」と酷評していたものです。

当時30代だった月河としては、三十路過ぎの初婚で元気な男児を2人以上産んだ先輩も知っていますから苦笑スルーしていたのですが、彼女らの懸念が現実になったいま、せっかく授かった愛子内親王を後継にできないか、どうしても男系男子にこだわるなら若い側室を侍らせたらどうか…いやこれはまさか極端としても、皇太子殿下の生殖能力に問題がなければ人工授精で男児誕生を試みる、あるいは皇籍離脱した旧皇族から男児の養子を迎えるなどの手も考えられるはず。

また、あれやこれやで雅子さんが心身に支障をきたし皇太子妃の役割を“休職”せざるを得なくなった現状、では“辞職”して自由になっていただいて“次”を募集採用するというのも方法論としては考え得るのに、それを提示する者はない。

“普通に行って頓挫したらこの次善策、それもだめなら緊急避難、抜け道を”というサブの選択肢があまりにも無さ過ぎる。第一の問題に挙げた“踏襲例の無さ”が然らしむるところですが、これでは普通の会社や組織ならとっくに滅びています。

第三は、天皇制・皇室皇族を支持すべき日本国民の認識・理解が薄すぎる。そもそも天皇・皇室皇族が「こうあってほしい」「あるべき」という、日本人せめて過半数に到達する共通意識が現状、存在するでしょうか。

番組中、レギュラーパネラーの政治記者出身三宅久之さんは「被災地キャンプなどを跪いて視察慰問される陛下に“おーおー”と(TVタレントに対するように)握手を求めるなど問題外」「開かれた皇室、という意味がこれなら私は反対」といたくお怒りでしたが、72年札幌冬季五輪に先駆けた昭和天皇・良子皇后行幸を見て日の丸を振った小学生月河の記憶の範囲内で、「天皇は日本国民統合の象徴、主権は国民」と義務教育で習った記憶はあるけれど「天皇や皇族がたはこれこれこういう存在だから、接する機会があったらこういう態度をしなさい」という教育指導を受けた記憶はまったくありません。

国家や法制の名のもとに「こう感じろ」「こう尊崇しろ」と強制することは全体主義体制でない(であっても)限り、個人の心、感性、精神の問題である以上無理な相談ですが、“認識”“態度”だけは“教育”でどうにかできたはずです。新憲法、教育基本法下の日本人の公教育はむしろそこを避けてきた。

避けられて育った戦後育ちの日本人に「天皇が日本国民統合の象徴であることは習ったと思いますが、それでは皇室はどうあるべき?」なんて問いかけたって、答えらしい答えは返って来ないに決まっています。そんなぐずぐず、ほにょほにょの土壌に「皇室も宮内庁も血税で支えられているんだから、公務だ外遊だ、公務休んで外食だ保養だは関心持ってウォッチし、場合によっては駄目出すべきだ」なんて面白半分の刺戟与えるからわけわからないことになる。“血税無駄遣い”は最近のワイドショー、週刊誌大好物ですからね。

でも、ほらよ、ほらよと煽られても、ぐずぐずほにょほにょの無知な日本国民としては「そうかそうか」としか言いようがないわけです。官公庁や教育福祉医療分野などでの無駄遣いなら、「医療機関はこうあってほしい」「役所のサービスはこうであるべきだ」とのイメージや脳内理想形態があるから「けしからん」と具体的に怒ることもできますが、天皇や皇室に関してはそれすらない。

“意義”や“本質”がわかっていないから、“理想”も描けないし、“取り扱い方”“運用”もわからない。

そもそも天皇家・皇族とはどんな発祥で、どんな由来で、こんにちの「日本国民統合の象徴」との規定に至るまでにどんな歩みをされてきたのか。怖れず、つつみ隠さず、余分な修飾もせずにきちんと整理整頓して提示して、公教育でも広報宣伝でもいいから国民に叩き込むべきです。

砕いて言えば自国の歴史を国民に、正確に、丁寧に教授し学ばしめよということ。千代田区の一等地にあの一族が住んで、陛下とか殿下とか呼ばれ遇されるのにはこれこれこういういわれがあり、これだけの正当な事由があるのだなということが広く理解されれば、枝葉末節の、例えば高級公務員のご家庭で育ったキャリア女性を気に入って数年がかりのアプローチで嫁にすること、そのお嫁さんが家風に合わず“家業”を十全にこなせないことなどをひとつひとつ単体で取り沙汰論ずる必要はなくなり、“何より天皇を国民統合の象徴として後世まで存続せしめるにはどうするのがいちばんいいのか”“最善の策がとれないならば次善、次々善…の策はどれか”に向けて、国民も代議士たちもベクトルを定め、それに要する血税がどうたらこうたらについても、少なくとも“考える前”“策を講ずる前”に駄目が出ることはなくなるはずです

所教授は「皇室の問題は日本人の問題」「他人事と思わず、“身内”の問題として考えるべき」と、数年以内に政治主導の皇室典範見直し改正をと強調しておられましたが、いち歴史学者として“日本が日本国民に日本の歴史をじゅうぶん教え伝えてこなかった”罪深さを、内心如何ほど重く受け止めておられるのでしょうか。

コメント
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