イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

青インクで恋文

2009-06-29 23:02:15 | CM

先週KIRIN“コクの時間”を試飲した話を書いたとき、TVCMにウッチーこと内田恭子さんとは、人選がちょっと微妙では…と触れました。

あの時点では、自宅の21インチのアナログTVでしか当該CM、見てなかったんですが、先日、出先の推定46インチフルハイビジョン液晶TVで偶然見たら、微妙どころじゃなかった。人選っちゅうか、演出間違ってるだろう。ナニユエあんなに化粧が濃いんだ。

濃くの時間”というシャレか(盛大倒爆)。

内田さん、若干顔が長めのため、新人アナ時代からやや実年齢より上に見えて好悪が分かれる惜しさはありましたが、普通にじゅうぶん美人さんなのにもったいない。

ビールに何が似合わないって、厚化粧の女ぐらい似合わないものはありません。仕事流れで何人かとお店で飲むときも、ちょっとコテコテ系の、みのもんたさんが“オジョウさん”と呼びそうな年代のママさんがカウンターで注いでくれる類いのお店入っちゃったら、勧められてもビールは飲みません。焼酎の泡の出ないもの割りか何かにします。

あれかな、素肌“地”の部分はそんなにコテ塗りじゃないのに、あの壮大な極太アイラインと、ミクロなオブジェのように立体感ありありのマスカラが醸し出す厚化粧感なのかな。「♪ぱんぱかぱーん」とか、ヒダヒダの透け物ミニスカでジャンプとか、「まいりました。」とか演出イメージ全体に内田さんの“任”とは違う気がします。

この商品で、タレント女子アナを起用という縛りがあるなら、現役になるけどNHKの神田愛花アナなんかいいと思うなぁ。ここで「要らない」ってさんざん駄目出させてもらった「今週のオンエアー!」(@『爆笑オンエアバトル』)のコーナーでやってた萌えメガネ顔に白シャツブラウスの女教師ルックとかも、ビール系飲料に合うと思いますよ。文字通りすごい“天然”感がある。

フジテレビ出身なら、だいぶ先輩になるけど西山喜久恵さんも好きだったな。最近見かけませんがまだ現役かしら。ちょっと腹黒そうだけど“なっちゃん”小島奈津子さんとか。やはり化粧は濃いめな気もしますが、なっちゃんの場合「化粧濃いね」と正々堂々ネタにできそうなキャラなんだな。

………それにしても、年齢が上すぎますかね。自主却下。

とにかく夏のビールシーズンだからって、なんでも、誰でも、青空の下、露出多い服で走ったりクルクルしたりさせればいいってもんじゃない。広告代理店さん、顔洗ってビール飲んで出直し。

『夏の秘密』は第5週、21話へ。柏木さん(坂田聡さん)の振幅が大きくなってきました。いまや謎の引きこもり博士じゃなく、ちゃかちゃか顔出しまくりで普通に挙動不審の小心者と化してますな。容疑者龍一(内浦純一さん)の初公判が近づき、みのり殺害現場を再訪した刑事たちにわかりやすくビクついている様子からいって、プロの覆面潜入捜査官のセンは消えたようです。

「あの男(=伊織)には気をつけたほうがいい」「あなたのことが心配で」と、味方する素振りも見せていた紀保(山田麻衣子さん)が、刑事たちから「羽村紀保さんですね」と話しかけられるのを見かけたときの反応が半端なかったので、いっそ事件に自身が思いっきり関わっていて、その自己防衛のために警戒してドタドタ逃げたり嗅ぎ回ったりしてたのかも。

「捕まった犯人、やはり罰を受けるんでしょうか?」は地味に爆笑しましたね。罰を受けるから犯人っつうんだっての。博士号とか研究の真偽はともかく、おっそろしく世間常識無いことだけは本当らしい。

このドラマ、“謎”は多くて、真相は何か?いつ明らかになるのか?の引きは強いのですけれど、ドキドキはらはら綱渡りの“サスペンス”は思いのほか少ないのです。紀保が“前職カーテン縫製業、上司と不倫して失業中の諏訪杏子”ではなく、“吉川みのり殺害事件容疑者の婚約者で、彼氏の無罪証明のため現場に潜入した羽村紀保”であることは、伊織(瀬川亮さん)にあらかじめ知られていただけでなく、みのりの行動解明の過程で加賀医師(五代高之さん)にも蔦子姐さん(姿晴香さん)にもあっさり自己カミングアウト、部分的にせよ味方についてもらえました。

紀保に恩を売ってアトリエ専属モデルにしてもらった代償に、杏子(松田沙紀さん)の羽村社長(篠田三郎さん)との結託をスパイしていたセリ(田野アサミさん)も、21話で赤子の手を捻るように杏子にバレ、「紀保さんが早くアトリエに戻ってくるように、私に手を貸さない?」とまるめ込まれてしまいました。

バレるか、バレないか、あぁバレるバレる…よしうまくいった!ホッ…と思ったら次の危機!という、サスペンス王道の引きはあまりありません。バレる/バレない、うまくいく/いかないで引っ張りそうに思えたポイントは、結構早めに片がついています。これはドラマ全体のためには良いことなんだか残念なんだか。

目下のいちばんの拮抗戦線は、実は相愛のフィアンセ同士なはずの紀保と龍一です。

“ボランティアのハシダタモツと名乗る男は、殺された吉川みのりの恋人だった男で、しかも紀保はそれを承知”と、杏子に告げられた龍一。「怖い顔で近づいてくれば誰でも警戒するけど、本当に怖いのは笑顔で、善人そうに言葉巧みに近づいて来る悪意」「ボクはいま囚われの身だけれど、キミを目に見えない悪意から守りたい」と暗に“伊織は疑ってかかれ”と拘置所のガラス越しに紀保に強調しますが、すでに「違うわ、彼は…」と、最愛の婚約者に抗ってでも伊織のための弁明をしたい気持ちになっている紀保。

しかも夕顔荘に帰って伊織と顔を合わせるや、「善意の顔で近づいてくる悪意には気をつけろと龍一さんに言われたわ、あなたが被害者の恋人と気がついて疑ってるんじゃないかしら」と速攻打ち明け相談、完全に“龍一を仮想敵に、伊織と示し合わせている”構図になっている。

客観的に見れば、紀保は逮捕前から、遡れば高校時代から家庭教師として勉強を見てくれた信頼できる龍一、拘留の身で外から断片でもたらされる情報に内心気が気でないにもかかわらず、懸命に精神の平衡を保ち正しい判断をくだそうとしている知的な婚約者のほうにこそ全幅の信頼を置き従うべきなのに、昨日今日偶然行動をともにすることになった、素性も知れなければどこまで本音を言ってるかも定かでない伊織のほうに軸足を傾けかけているわけです。

本当に、冷静に醒めた目で見れば、紀保がなぜ長く交際してきた龍一の真摯な諌めに従って、得体の知れない伊織を遠ざけ、公判傍聴も避けないのかわからないのだけれど、ここまでの物語が紀保視点で進んでいるために、観ているほうも70パーセントぐらい“伊織に気を許し、信をおいても当然”みたいな気持ちになっているから不思議。「龍一さんに、私たちが何をしようとしているか、何もかも話したほうがいいかしら」と紀保が問えば、「よしたほうがいい、話したところで俺への疑いが消えるわけじゃない、余計心配するだけだ」と伊織ははねつける。“この人、怪しい”“用心しなければ”と思うべきなのは火を見るより明らかなのだけれど、どっちを取るかの局面で伊織を信じるほうを取る紀保の気持ちも非常によくわかる。

何度もここで引き合いに出してきたダフネ・デュ=モーリアの『レイチェル』に、このドラマも結構がよく似ています。惹かれるべきでない、信じるべきでない人にどんどん惹かれ、味方だった人をいつのまにか仮想敵に回していく主人公。信頼できるはずだった人の、地に足のついた真っ当な諌言にも、実は純粋な善意と良識だけでなく“嫉妬”“私欲”が混じっていたりするから、ことはかなり厄介です。

“誰を信じていいのかわからない”“わからないということの厄介さに、本人も気がついていない”……追いつ追われつの綱渡りとはちょっと違った、これがこのドラマのいちばんのサスペンスどころかもしれません。

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オヒメサマみたい

2009-06-28 17:45:29 | 昼ドラマ

『夏の秘密』4週=~第20話は、前週よりちょっと引きの弱い週末になってしまいました。殺されたみのりが手を染めていた“ヤバいこと”は、顔を変える整形資金工面のための、薬物横流しだったらしいのですが、どうにかして加賀医師(五代高之さん)からカネを強請り取りたい護(谷田歩さん)が匂わせていたように、この話自体、加賀が自分の横流しを死んだみのりの仕業にするためのウソという可能性も残されていますね。

引きがもうひとつなぁ…と思ったのは20話のラストシーン。浮舟で蔦子(姿晴香さん)が使っていたのと同じガラスペンと青色のインク、みのりが殺害される前、誰かに手紙をしたためていたらしいことを知って「なんだか怖い…」と紀保(山田麻衣子さん)が伊織(瀬川亮さん)の腕に手を載せ、伊織が自分の手を重ねて、みのりの部屋だった6畳間で2人佇んで終わりましたが、そろそろか?そろそろかっ?というボディタッチだったのに、いまいち色気が不足なんだな。

前週末、15話での着衣シャワーと腕ギプス抱擁が色っぽ過ぎた反動ということもありますが、紀保が「無実を明らかにして見せる」と主張してやまない最愛の婚約者龍一(内浦純一さん)との仲は、よしんば彼がきれいさっぱり無罪放免になったとしてももう事件前には戻れないということに、彼女自身潜在的には気がついているのです。どんな悪だくみで、どんな薬物を使って嵌められたにしても、自分以外の女性と行為をして身ごもらせ、そのことを逮捕まで沈黙していたということは、紀保の心に深い喪失感を残したはず。「龍一さんを信じているわ(でも…)」のカッコの中のいわく言い難い心理が、山田さんの紀保にいま少しにじみ出てほしい。山田さんの演技表現の成長と、演出にもうひと頑張り期待しましょう。

その点、フキ役の小橋めぐみさんが、秘めた感情の表現においてやはり一枚ウワテかな。紀保が流れでデザイン製作を頼まれた、神社祭礼の織姫彦星の衣装を伊織とお揃いで披露する場面の、恥じらいの中にも得意げな表情は、華やかに着飾ってほめそやされる機会が乏しいまま青春を終えつつある女性独特の、殺気に近い痛々しさがありました。「私キレイかしら、ドキドキ」感にしても「やったね!」感にしても、慣れてないから表出のコントロールができないのね。しかも、上等の生地でのオーダーメイドを業としている紀保が、有りもの素材で知恵絞ってどうにかこしらえたコスプレだから貧乏臭いわ田舎くさいわ。そんなん着てさえ、照れる伊織と並ぶとテンション上昇ではちきれそうになるフキの痛いこと。

フキにしてみれば、14話で紀保が「結婚を約束している人がいる」と打ち明けてくれたので、伊織を挟んでのライバル関係ではとうになくなってひと安心のはずですが、「あちらは両思いの彼氏がいるのに、私は好きな伊織さんに振り向いてもらえない」と、別角度での対抗意識に油を注がれてしまったわけです。一難去ってまた一難。同年代同性が近くにいると、誰もそんなこと強制も言及もしないのに、何がどうしても“向こうを上回らなければならない対立抗争”の思考回路になってしまう人って、女性にはいるものです。容姿、ファッション、親の職業や家柄、学歴、モテ度。既婚なら夫の地位、年収、夫婦仲、子供の容姿や学校での成績、住居、余暇の旅行先。ひとつ優越してめでたしになると、すぐ次の項目にエントリー。

働き者で堅実しまり屋で、親思い。近隣のおばちゃんたちが「ワタシが男なら迷わず嫁にもらうのに」と惜しんでやまないフキですが、彼女たちの息子世代未婚男子なら伊織ならずとも「ちょっと勘弁」と思うに違いない重さ、もっと言えば、“心に着た貧乏”が、ちらちら覗く瞬間がある。ここらの表現が小橋さん見事だと思うのです。

この週最大の具体的な謎は、加賀医師が語ってくれたみのりの、“顔を変えることへの異常な執着”でしょうね。別人と見まがうレベルまで顔を変えたがるということは、過去を捨て出自を隠したい、あるいは過去にかかわりのあった人物や状況から逃げ去りたいなんらかの事情があったと考えるのが普通でしょうが、それプラス、これまでのストーリーから、吉川みのりという女性は、ジェンダーに関する悩みを何かしら抱えていたような気がしてならないのです。性同一障害というモチーフはここ10数年で頻繁に映画やドラマに採り上げられていますから、いまさらという気もしますが、元はちゃんと資格のある看護師で、薬剤横流しが発覚する前までは加賀医師の診療所で働いていたというみのり、女性の服装やヘアメイクで女性の言葉遣いで、女性としての社会生活はじゅうぶん送って行けはするけど“本当は、心身ともに男性になりたい女の子”だったのでは。

回想シーンで「女モノは作らない」伊織から手作りシルバーリングを贈られて、抱きついて喜んでいたみのり。女性のフキから見て「目の下の泣きボクロのせいか、伊織さんより5つ年下というわりには大人っぽく見えて、どこか人を寄せ付けないような影があった」みのり。何者かに毒物で殺害されるという衝撃的な最期だったにもかかわらず、新潟の実家とは音信不通だったため「(夕顔荘の部屋にあった)遺品などはそっちで処分して」という冷たい返事しか返ってこなかったみのり。

4話で、素性を隠して夕顔荘に越してきた紀保が「同じ鍋の味噌汁は飲めても、見ず知らずの男と同じ風呂の湯はイヤ」とキレたとき、“ホテルじゃないんだから贅沢言うなよ”と憤懣をあらわにした伊織でしたが、翌5話では黙ってシャワーを取り付けてくれました。「考えてみれば、家族でも恋人でもない異性と同じ湯につかって身体を洗うのは、普通の女の子なら幾許の抵抗があって当たり前だ」「みのりは“普通”ではなかったから…」と考え直したから、伊織はあの行動に出たのかもしれない。もしみのりが、伊織とカラダの関係まで持っていたとしたら風呂一緒でひとつも構わないでしょうが、どっこい夕顔荘には“20年選手”の柏木引きこもり博士(坂田聡さん)もいてバリバリ入浴しています。みのりは柏木も含めて平気だったわけです。

紀保との同志関係が結ばれても、伊織は「幸せになってほしいと思っていた」みのりの名誉を思って、その点についてだけは沈黙を守っているのかも。

だいぶ前の記事で、“イオリ”と“ミノリ”、周囲がそこはかとなく恋人関係と思っていただけで、実はなんらかの事情で他人を装わなければならない兄妹だったのでは?と書きました。その可能性もいまだ消えたわけではありませんが、伊織が“自分をオンナとして強要しない”からこそ、みのりはフキやセリ(田野アサミさん)や雄介(橋爪遼さん)から「仲がよさそうで、よく笑い声が聞こえていた」「あの2人、デキてたんじゃない?」「みのりさんのこと好きだったんだろ」とも見られる関係になり得たのかも。

みのりにそういう性向があったとしたら、近隣のおっさんおばちゃんたちはともかく、医師である加賀ぐらいは何か“普通の妙齢女性とは違う”感じを察してもよさそうなので、月河の個人的考え過ぎかもしれませんが、紀保が“みのりさんの過去・人となり”に踏み込もうとするたび伊織がブレーキをかけるのも不思議。

あんまり“謎解き重心”なドラマになってほしくはないのですけれど、タネ蒔かれれば刈り取りたいですしね。

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スピトニーブリアーズ

2009-06-28 00:42:23 | ニュース

どこかの局の深夜番組で『ジャイケルマクソン』ってありましたよね。TV誌の番組表で見かけて思わず笑ったんですが、一度も見たことはないんですけど、まだ存続してるかな。

…どうするんでしょう、番組名。「どうするんでしょう」ってこともないか。そんなこといちいち気にするんなら、『リンカーン』『ノブナガ』なんて“まるごと”じゃないかって話ですしね。『誰でもピカソ』とか『ソクラテスの人事』とか、死んじゃってる人なら抗議の電話もかかってこないだろうってんで使い放題です。『ソロモン流』なんて、ご遺族の許可もらおうにも全地球上に散らばってるでしょうし。

で、このたびめでたく……いやいやっ!めでたくはありません。断じてめでたくはありませんが故人の仲間入りをしてしまいましたKING OF POPS

ジャクソン・ファミリーのボーイソプラノの頃からちらちら知っていますから、まぁ同世代ということになるのでしょうけれど、いまさら言うまでもない図抜けた音楽センスやダンステクニック、PVにおけるセルフプロデュース能力より、晩年は“お騒がせ芸能人の悲喜劇”の生きたサンプルみたいになってしまわれましたね。それも“喜”の要素が肌の色とともにどんどん薄くなって、ガチで笑えない感じになりまさっていました。

最近とみに思うのですが、どうもUSAという国、日本以上に“若さ”、とりわけふにゃふにゃぐちょぐちょの“思春期”を終えて、澄んだ目で“大人”を仰望するような時期の若さを過剰に称揚賛美して、結局そこに殉ぜしめて使い潰すような傾向が、特にショービズ界で顕著な気がします。「○歳の若さで、この完成度」「大人ビッグネーム顔負け」「未完成の中に底知れない可能性」みたいなイメージが好きで好きでたまらない国民なんでしょうね。“天才○○少女”“天才△△少年”はたまた“天才子役”などのカンムリしょって、ローティーンで世に出てきては、脚光浴びた果てに惨めな転帰をたどったケース、俄かに固有名詞ポンポンッとは出てきませんが、ずいぶん見聞した気がする。

くだんのKINGもファンで、実際交流もあったらしいマコーレー・カルキンさんなど、いまどうされているのでしょう。ブリちゃんことブリトニー・スピアーズさんなんかも、出て来たときにはジューシーでつやっつや、夢みるシャンソン人形ならぬポップ人形みたいなルックスだったのに、ずいぶん早い段階で“お騒がせが主力商品”の常連入りしてますね。あの国の場合、フィジカルが早育ち早仕上がりだということも大きいか。

10年ほど前、FMで初めて歌声を耳にしたときジャクソン・ファミリーを思い出した『キラメキ☆MMMBOP』のハンソンの末弟くんなんか、元気かな。ラジオだけでヴィジュアル知らないけど。あの頃ボーイソプラノなら、もう20代中盤にはなっているはずですが。

…………なんか、惨めな転帰をたどってない(少なくとも、そう決まったわけではない)事例まで、たどったみたいな文脈になってるな。

ジャクソン・ファミリーと言えばちょっと前後するデビューのオズモンド・ブラザーズなんてのもありました。“~ブラザーズ”と名乗っていたのは、結局全部で何人いたのか思い出せないきょうだいの、年長の男の子たち限定で、カルピスのCMに出ていたのは彼らプラス末妹のマリーちゃんと、末弟でやはりボーイソプラノのジミーくんでした。お茶の間のマスコット的なポジションだったジミーくんは声変わりする頃を境に見かけなくなりましたが、“ブラザーズ”でいちばん若かったダニーさんはかなり長い間アイドル的人気を保ち、70年代中までは日本の洋楽誌や芸能誌で名前を見かけていたように思います。

最近はFMでも洋楽懐メロ企画ででもなければ聴けなくなりましたが、便りがないのは良い便りってやつで、日本にまで届くほどの赤っ恥スキャンダルや悲報がないというのは結構なことです。ジャクソン一家と様変わって、こちらは白人一家なため、音楽ショービズファミリーに決まってつきまとうリスクを、いくつか免除されたかもしれない。

このほどみまかったKINGに関して言えば、話題の中心だった美容整形手術由来だけではなく、近影が公開されるたびに激化する痩せ方が、普通に病的でしたよね。拒食症というのもUSAこそが世界に伝播させた病です。あの病気の根源には成熟拒否、“時間を止めたい、逆行させたい”という願望と言うか妄想があり、古くはカーペンターズのカレン・カーペンターさんが命を落としたことで知られていますが、自意識の人一倍強い人が多い上、凡人の何百倍・何千万倍も他人の視線を浴びる芸能人に、この病気が好発するのは容易に想像がつきます。KINGも自由になれなかった。

まぁ死因の特定にはなお数週間を要するとのことで、正確には“特定および、どう公表するかの判断”に数週間必要なんじゃないかという気もします。USA地元のニュースをBSで見かけたところでは、各地のアフリカンアメリカンのファン、特にもう若者とは見えない、おっさんおばちゃんのファンまでが悲しんでいるのが印象的でした。アフリカンアメリカンの大統領が誕生した年に、もうひとつの褐色の…いや元・褐色の巨星墜つ。

日本でも『スリラー』のブーム以降、ファンというか信者は多いですからね。ご本人も来日時にはアキバでセレブ買いしてたなんて話も聞いた記憶が。

最近観てないけど、TVモノマネ番組で彼のネタ得意にしてた人、柳沢慎吾さんを筆頭に多いじゃないですか。全国の小中高校、町内会や職域レベルにまで草の根的に広げたらたいへんな人数がやってると思うんで、どうでしょう、どっか広ーい会場に集まって追悼モノマネ大会ってのは。神宮球場とか。よく知らないけどお台場とか。競馬場でもいいし。オーロラヴィジョンに10万人のムーンウォーク。

そう言えば、この訃報がなければ思い出すこともなかったと思いますが、確か95年頃、THE YELLOW MONKEY吉井和哉さんの『オールナイトニッポン』に、“ビバ!マイコー”というネタハガキ募集コーナーがありました。

いまはどうかわかりませんが、当時の吉井さん、彼の音楽やPV、とりわけキャラクターをいたく愛しておられ、オマージュとして?マイコーの架空の奇行や奇声を考えて、あの「♪フォオー!」のハイトーンかけ声とともに披露する、という、確かそんなような主旨のコーナーだったのですが、吉井さんのシャイな偏愛ぶりがラジオで伝わりにくかったのか、はたまたその頃からマイコー自身、ネタにしにくい“硬化”が進行していたのか、いくつかあったハガキコーナーの中で、突出して投稿数が少なく、吉井さんから泣きが入るのを一度ならず聴いたものです。

当時イエモンの曲も吉井さんも結構好きで、いつ以来か思い出せないくらい久しぶりにAMラジオの深夜番組に周波数を合わせるようになっていた月河は、「このコーナーなら頑張って書けばハガキ読まれるんじゃないか」とふと思い、恐らくは同番組のリスナー平均の、軽くダブルスコアな年齢で、深夜のハガキ職人にもうちょっとでなるところだったのですが、実現しないうちに、次に聴いたときにはコーナー終了していましたね。

……本当に思い出さなくてもいい思い出でした。

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トマジューはトマトジュース

2009-06-27 00:03:59 | デジタル・インターネット

2006年からPCがネット開通、遅まきながら知ったネット用語・ネットスラングの中で、最近なかなかいいトコついてるなぁと思ったのが“リア充(じゅう)”という言葉です。2007年の流行語大賞にもランクインしたそうですから、遅まきにもほどがありますけどね。

日本経済新聞土曜版“日経プラス1”の福光恵さんのコラム“コトバの鏡”で読んだのが初だったと思います。たぶん今年に入ってからですね。あのコラムは、誕生ほやほやの新語ではなく、コトバとしての輪郭が明確になり、日経読者のおじさまたちにも説明可能なツッコみどころもできてから採り上げることが多いですから。

リアル(=現実生活)が実している」の略だとのこと。ネット住人から見て、ネットライフ以外の、現実の異性関係や家庭生活や仕事や余暇が順調で忙しい状態をさすのだそう。SNSでの交流やブログ更新がご無沙汰なネット仲間について「○○ちゃんは最近リア充だから」と、相変わらず頻々とネット漬けな面々がやっかみ気味に表現したりするようです。

一方で、自分で自分を「私いまリア充なんです」と直球で自称することはあまりないようですね。各界で活躍する友人たちとの交遊やペット自慢、行列店のグルメ探訪やキルト・スイーツなどの手作り披露、赤ちゃん自慢や恋人配偶者とのラブラブ旅行記などでびっしりのブログ、あるいは投稿書き込みなどに「はいはいリア充乙(おつ。“お疲れさま”の略)」なんて、外からコメントがつく場合に使われるのだとか。

この言葉、おもしろいなと思ったのは、「人間、現実生活が充実して多忙であれば、ネット上での交流や発信なんかに長時間や多大なエネルギーなんか振り向けないものだ」「ネットに熱心でマメなのは、現実生活がカスカスで淋しくてヒマだからだ」という、ネット側からのものすごい僻み根性に立脚した造語なんですよね。弱者から強者への、あるいは負け組から勝ち組への、ネット上での攻撃的ルサンチマンであり、腹いせであり、“せめてもの唾ペッ”みたいなもので、普通に考えれば、あまりポジティヴとは言えない、悪意寄りな言葉です。

でも、この“リア充”という概念、いろんなところに汎用できると思うのです。リア(ル)=“現実生活”って、いったい何だろう。どこまでが、どこからがリアルなのだろう。逆に、リアルでないものとはどこからどこまでの、何と何と何だろう。

たとえば、小学生や中学生によく教師たちが「本を読みなさい」という指導をします。

「感性のやわらかいうちに、古今東西の名作に触れ、美しく正しい伝統ある日本語に親しみなさい」。教師たちとしては、文章読解力や言語表現力、想像力などもっぱら“知的能力”の向上に期待してそういう指導をするのでしょうが、月河、自分の小・中学生時代の、自分自身や周りの同年代を思い返してみても、“身体健康で勉強も順調で、家族の愛をたっぷり受け友達もいっぱいいて皆に好かれていて、なんなら思う異性ともいい感じで、部活でも大活躍している”リア充の生徒さんなら、まず小説や文学の本なんか熱心に嵌まって読んだりしないと思います。自分に何の関係もない、見も知らぬ時代や国の、しかも架空の人物のすったもんだなんて興味が湧かないもの。自分が充実していて、充実している自分が大好きで、周囲の誰もがそんな自分を好いてくれている現実が眼前にせっかくあるのに、その現実と違うフィクションに心惹かれる余地があるわけがない。

断言しますが、小・中・高校時代に、浴びるように本を読みまくっていた人、休み時間だろうと何の時間だろうと本を手放さなかった人、クラス会で「○○さんはいつも本を読んでいたよね」と言われるような人に、性格がよく人あたりがよく、学校生活を明朗に謳歌していた人はまずいません性格が良くて好かれていて人気者で、「学生時代って楽しかったなぁ」と笑顔で振り返るのは「先生や親からはよく本を読めと言われたけど、ほとんど読まなかった」「だって本なんか退屈なんだもん、外で友達と遊ぶほうが楽しかったし」という人です。

断言ついでに、小中高生なんて甘っちょろい限定加えずに、どこらへん年代だろうと、「三度のメシより本読むことが好きで好きでたまらない」という人間に、性格円満で、つき合って気持ちのいい人間はいません。金輪際いません。何度でも断言します。

まぁ、それはともかく、人間生まれてから死ぬまで、一本調子で高原状態に谷間なく“リア充”であり続けることはない。出世街道を驀進していても、大勢の友達と毎晩飲み会に盛り上がり、合コンでお持ち帰り放題な毎日でも、徒労感、虚無感や、他人との距離やすれ違いを感じる場面、時期は必ずあります。

そこに“非・リアル”の出番があり、意味がある。

小中高生推奨の名作文学でもいいけれど、逆にPTAが悪玉扱いするコミック、アニメでも、アーティストやグラビアアイドルでもいい。成人限定で言えばパチンコ、ギャンブルでも、成人女性なら韓流ドラマでもいい。もっと成人な女性なら歌舞伎や宝塚歌劇もありでしょう。

月河個人ベースなら、昼帯ドラマや特撮変身ヒーローを録画視聴、関連書籍やCDを買い集める、出演俳優さんやときにはプロデューサー・監督さん、製作スタッフに関する情報をも読みふける、あるいはパワーストーンをためつすがめつするのが、直球で該当するでしょうね。もし「仕事が繁盛していて、毎日モテモテで飲み会のスケジュールびっしりなら、そんなことやってないだろ」と言われたら、速攻白旗全面肯定もしないけれど、明晰なる理由をあげて否定するなにものもありません。

自分が終始主体で、主語で、主役である“リアル”に対して、主体でありながら第三者=観客でもある“仮想現実”は、ネットのなかった時代にも存在し、機能してきたのです。

“リア充”の反対に、仮想現実に夢中になっている状態をかりに“カソ中”とでも呼びましょうか。“耽溺”のタンをとって“カソタン”でもいいけど、耽=“耽(ふけ)る”の読みと字義が一致しない向きもあるでしょうから、“カソチュー”でいいでしょうね。

あるいはこんなことを考えてみたらどうでしょう。本業が数学者、哲学者、物理学者、天文学者などである人たちは、高度に抽象化された、現実には存在しない理想の世界での因果律を日々研究し思索しているという点で、「リアルがカソ中」な生活を送っているわけです。

有名大学の教授などの地位にあり社会的には安定していても、そういう職業の人の奥さんなんかは、年中数式や顕微鏡や望遠鏡とにらめっこしている夫に、休日ぐらいは子供と遊んだり、外食に連れて行ってくれたり家事を手伝ったりしてほしいと、“リア充”のご近所さんや女友達たちを羨ましく思っているかもしれません。

またそういう学者先生も、ひょんなことからマスコミに注目されて一躍名物教授となり、TVのお勉強バラエティなどで人気が出たりなんかして、おバカキャラのアイドルや巨乳女子アナと六本木辺りで連夜チヤホヤ盛り上がる立場になると、「これが噂に聞くリア充ってやつか」と認識を新たにしつつ「……なんだバカバカしい、全然“充”じゃないな、やっぱり実験室の顕微鏡のほうが楽しいし落ち着く」と、結局“職業的カソ中”に戻って行くのではないでしょうか。

職業的カソ中の研究者が発見した新薬や治療法や力学原理で、リアル世界の難病の患者さんが治療可能になったり、二酸化炭素を排出しないエコな自動車や輸送機器が開発されたりもするわけですから、こういう人たちを「リアルがカスカスで淋しいからカソに嵌まってキノドク」なんて評する輩はいないはずです。

また、特に女性ならわかるのではないかと思いますが、乳児・幼児期の子育てなんかは、大人では想像もつかないような、ほとんど人間離れした鋭敏な五感と、日一日と変化する途方もない肉体的成長力のカッタマリとの、言語を超越した対話交流、意思疎通の試みですから、かなりの勢いで“カソ中”です。

一日じゅう子供“だけ”と接していると、配偶者を含む大人との、抽象的概念的な話題に関しての論理的整合性のある会話が困難になることすらある。

子育てというのは多かれ少なかれ、醒めて一歩引いていてはいけない、ある程度まで“他のことが目に入らなくなるくらいの耽溺性”を要求されるジャンルです。お母さんが、旦那さんとのワインデートや手作りキルトやホームパーティー、あるいは職場でのキャリアアップ、はたまた同性異性の友人たちとのパチンコや麻雀などで“リア充”だったら、幼い子供としては「はいはいリア充乙」と苦々しいことでしょう。子供にとっては、母親の“自分に構うことに没頭してくれてる”以外の時間とエネルギーは、ぜんぶ「リア充乙」です。

結局、人間にとっては“リア”と“カソ”は隣接しつつ、入れ子のように互いに内包し合ってもいて、誰もが両方に片足ずつ入れ、入れ替えたり重心を換えたりしながら生きている。

ある時期、ある局面の“リア”も視点を変えれば“カソ”だし、また別の局面限定では、“カソ”こそが“リア”であることもある。写真のネガとポジのように、リアとカソは本来如何様にも反転するのです。

この世に生を受け、生きるということは“リア”ですが、“カソ”が皆無でも、人間は生きられない。

“リア充”という、僻み含みの揶揄語は、ネガティヴ寄りの視点で発した言葉だけに、忌憚なく、仮借なく人間のそういう在りようを照射してくれてもいると思います。

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整列!

2009-06-26 00:35:51 | CM

さてお待たせしました。…って誰も待ってないか。24日リリースのKIRIN“コクの時間”を試飲。

近所のコンビニに並んでるかどうかが、飲んでみる/みないの分かれ道だったのですが、24日深夜、並んでましたよ。350ml141円也。これはスーパーや安売りドラッグストアで今後どうにでもなるでしょうね。

 飲んでみた感じ…………これは良くも悪しくもSUNTORY‘金麦’のKIRIN

キャッチで謳っている“清冽さ”という名のクチあたりの好さを、KIRIN流に追求したらこうなりましたという感じでしょうか。

元祖純ビールの持つ峻厳さと言うか、男っぽいカドカドしさを極限まで取っ払って、クチあたりよさに特化したのが“金麦”で、この“コクの時間”はそれに、KIRIN的な“おじさん好み”“リーマン味”を残してみましたというところですかね。後味に微量、ほんの心もち、シュッと苦味がある。例の“デコクション製法”ってやつ由来でしょうか、濁りみや粘りみの、イヤな苦味ではなく、キャッチ通りの清冽と言ってもいい、澄明感はあります。

お値段がお値段ですから、SUNTORY金麦や、Asahiクリアアサヒ、あるいはSAPPORO“麦とホップ”でも、別にいいんだけど、なーんかひとつ物足りない、あるいはひとつ過剰な気がする、という向きには騙されたと思って一度お薦めします。お薦めしますが、「必ずや、前飲んでたのより美味しいですよ!」と保証はできません。ここまで来ると純粋に“好み”“嗜好”の微調整レベルですからね。

もちろん、「金麦大満足」「クリアアサヒ最高」「麦とホップ以外考えられない」という、各社のマワシモノ…ではなくて、えーと、何だ、熱烈なファンの方々にははなから何も申しません。無理言って方向転換していただくほどの何ものでもありませんから。

ツヤありベタ金色地に麦穂の輪っかというパッケージも、いまやさほど新鮮というわけでもありませんが、クレリックシャツを思わせるオレンジのピンストライプが、ちょっとトラッド風味です。ここらも、若めのホワイトカラーリーマンを意識しているのかな。

差別化されにくいこの新ジャンル分野で、SUNTORY金麦がやや先んじたのは一昨年、第三のビール各ブランドが一斉に値上げしたときに同年9月一杯までお値段据え置き、「最需要期の78月に“安いならこちらを”と価格で選んでいただいて、味を覚えてもらう」という、同分野後発であることを自覚した上での戦略のたまものでした。これぐらいやらないとアタマひとつ抜け出るのはむずかしいかもしれません。

そんなことを考えていたら、待ちうけていたようにTVCMにも遭遇。あのストローハットのちょっと面長な女優さんは誰?と思って調べたら、元フジテレビアナウンサーの内田恭子さんでした。わはは、『ジャンクSPORTS』ではまだダウンタウン浜ちゃんと共演してるのかしら。あちらはクリアアサヒですが。

やや微妙な人選ですね。フジ局アナ時代は“ウッチー”と渾名され女子アナファンの人気を支えたようですが、もう既婚者ですしね。“金麦”の檀れいさんのような“嫁にしたい系”戦線からは降りているし、いま同系統の商品のCMキャラをつとめている菅野美穂さんや相武紗季さん、香椎由宇さんのような“ナチュラル系”“庶民派”でもない(香椎さんはむしろ対極の、浮き世離れキッツめお嬢イメージでしたが、オダギリジョーさんと結婚されてからちょっと動きました)。

慶大卒の帰国子女、月河が男ならむしろ“カネのかかる女”と、敬して遠ざけたいくらいのタイプです。

同性から見ても、ひとりでもお子さんを産んで、子育て露出でもされない限り、ママタレとして親近感を手探りできるタイプでもない。

結局この商品、どこ層向けに発信されてるんでしょうかね。考えながらもう1缶いってみるか。

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