イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

アナザー『VACATION』 ~輝く太陽背にうけて~

2020-08-15 19:23:54 | 音楽

 弘田三枝子さんの訃報で、歌手、特に女性の歌手にとっての“歌がうまい”は、どれくらい強力で、加点が高いのか・・というようなことを考えているうちに、当時「弘田三枝子、歌うまいよねぇ」とベタ褒めだった大人たちのうち、少なからぬ割合で「でも私は、オレは、伊東ゆかりのほうが好きだなあ」という声があったことを思い出しました。

 時は昭和40年=1965年になったかならないかぐらいで、月河は小学校上がったか、来年上がるかというぐらい。近所や親戚のおねえさんたちが遊びに来るとき持参の『少女フレンド』『週刊マーガレット』『なかよし』『りぼん』等を拾い読みしてはオトナ文化の摂取吸収(?)に余念ないさかりでした。

 前の記事でも触れた『VACATION』は、1960年代初期に複数の日本人歌手が日本語でカヴァーして歌っていましたが、いちばん耳にする機会が多かったのが弘田さんで、その次が伊東ゆかりさんヴァージョンだったように思います。ちなみに日本語歌詞はどちらも同じ。

 オリヴィア・デ=ハヴィランドよりジョーン・フォンティンが好きだった実家母も、伊東さん派のひとりでした。

 「声量とかパンチは弘田三枝子すごいけど、伊東ゆかりのほうが、声が低めでなんか可愛げがあるのがいい」みたいなことをよく言っていました。いま思えば、オリヴィアさんよりジョーン・フォンティンさんに好感を持ったのと通底する、彼女独特のアンテナだったなと思います。ちょっと地味め、と言って悪ければおっとりして、女子としては早熟か晩生かで言えばオクテな感じが、親近感がわいて好みだったみたい。

 弘田さんについては、「歌はうまいけどおテンバだねあの子は」「男の子に話しかけるとき“ねぇ”じゃなく“おぅ”とか“よお”とか言いそうなタイプだわ」とも言っていました。

 伊東さんも弘田さんと同じ1947年=昭和22年生まれで10代前半でデビュー、『VACATION』の頃には結構なプロ歴を持っていました。どちらのヴァージョンもいま動画サイトで聴けますが、伊東さんの歌唱版もリリース時15歳とは思えない、実家母の好んだちょっと低めの甘いヴォイスで堂々たるもので、かりに弘田さん版と二つ並べて「どちらがより“歌がうまい”ですか」と訊けば、それこそパンチと声量と、♪ ま゛っちぃどっうぉおしひぃのわぁ あ゛っきやすふぅみ~と、第一音節に濁点が付くかのようなド迫力の唸りシャウトで圧倒する弘田さんが水をあけるでしょうが、「どちらが“好き”ですか」と質問を変えたら、かなり拮抗すると思います。

 当時の日本の流行音楽シーンで、元来日本土着の演歌や唱歌の流れに属さない、洋楽ポップス、カヴァーチューン、洋楽“風”和製ポップスを歌う歌手は、お手本がアメリカヨーロッパにあるわけですから、「日本人離れしてる」が最高の誉め言葉でした。

 この理不尽なスタンダードは、戦後長く日本の音楽土壌に根を生やし続け、洋楽(“っぽい”)曲を歌う歌手はリズム感であれ歌いまわしであれ、地声の声量であれマイクの使い方であれ、振り付けアクションであれ、衣装デザイン着こなし、体型や髪型、メイクに至るまで「日本人離れしてる」とどこかで言われなければ「歌がうまい」うちに数えてもらえないみたいな縛りがありました。

 伊東さん版の『VACATION』は、何と言うかそういう縛りから自由なんですね。アメリカからの輸入物のカヴァー曲ではあるんだけど、当時の日本語の、日本人のティーンエイジャーの、ガール・ポップとして成立しているんです。

 ♪冬は楽しく スキーに行きましょう の“しょう”を「いきましょおー」と、煮え切らない彼氏にハッパかける掛け声のように伸ばして抛り出す歌い方。

 ♪寒さなんか忘れ すべるの の後は、弘田さんが♪Go Go  Go  Go!と、仮名表記すれば「がうがうがうがうッ!」になりそうなバタ臭いシャウト四拍で次節につなげているのに対し、伊東さんは♪hi  hi  hiと三拍、声で手拍子取る感じ。「アラ、一拍余るわ」と気がついたのか、セカンドコーラスでは四拍めを「・・はい」と小さめに合いの手のように入れていて、ガール・ポップというより“トレッキング部の女子マネポップ”みたいな、こそばゆい味わいがあります。これこそ弘田さん版にはないもので、当時の伊東さん自身や制作スタッフがどんな意識だったかはわかりませんが、2020年令和のいま、当時の世相や流行りを振り返りながら聴くと、「曲はアメリカものでも、日本人に聴いてもらうために日本人が歌うんだから」という、開き直りというか、誇りにも似たものが感じられるのが不思議です。

 一方で♪hi  hi  hiの直後、 ♪マッシュポテトを水辺で あの人と踊ろう と続くところ、弘田さんが「ッシュポテトをみずべで」と、カタカナ英語ふうに第一音節の“マ”にアクセントをおいて、平均に譜割りして歌っているのに対し、伊東さんのほうが「マシュポてぃとをぅみずべぃで」と、よりオリジナル寄りの譜割りで歌っているのも面白い。

(ちなみにここでの“マッシュポテト”は、「母親なら自分で作れ」と通りすがりのおっさんに言われるアレのたぐいではなく、当時アメリカで流行したダンスステップのひとつだそうです。これも動画サイトで検索すれば見られるらしいですが、月河の任ではないのでここはここまで)

 弘田さんも伊東さんも団塊世代ですから、幼い頃、昭和30年代から洋楽ポップスをむさぼるように聴いて、あちらの歌手の真似してみたりしながら咀嚼吸収して、おそらくはおもに進駐軍キャンプをオーディエンスとして現場で磨きながら自分のスタイルを形づくっていったのでしょう。

 伊東さんも昭和40年代、自身が二十歳を過ぎたあたりから歌謡曲調にシフトして、『小指の思い出』(作曲鈴木淳さん)『恋のしずく』『知らなかったの』(同平尾昌晃さん)など、洋楽ブームをくぐり抜けた日本人作曲家の手になる、良く言えばしっとりとオンナらしく洋物ビートやファンクとは距離を置いた曲が代表ヒットになりましたが、いい意味で唱法にも、容姿、存在感にもアクが少なかった分、弘田さんよりは摩擦抵抗少なく、広く好感持って受け入れられる大人の歌手に着地したように思います。

 お若い頃から、当時所属していた渡辺プロのタレント顔見世みたいなドラマ『S・Hは恋のイニシァル』でマドンナ役を演じたり、歌唱以外でも、いい意味でツブしのきく力量があり、月河が未だ記憶に鮮明なのは2011年のNHK朝ドラ『おひさま』での、ヒロイン(井上真央さん)の国民学校教諭時代の教え子の“成人後”役。なんでここで懐かしい伊東ゆかりさん?ひょっとして挿入歌とか歌ってくれるのかしら?と思いましたがそれはナシでした。

 本業でも、やはりナベプロ時代に人気を分けた“三人娘”の中尾ミエさん園まりさんと、精力的にライブ出演など続けておられるようです。

 個性で勝負する世界ですから比べるものじゃありませんが、『VACATION』の頃、あれほど「歌がうまい」一本でのして歩いている感のあった弘田三枝子さんが、売れ筋のうつろいに合わせて舵を切り模索しながら、結果的にはその、“「日本人離れ」してこその「歌のうまさ」”に殉じたように見えるのに対し、伊東ゆかりさんは「歌がうまい」では競作フィールドで一歩譲った分、あとが粘り腰だったなと思います。よく言われる渡辺プロの庇護と独立後の荒波など“芸能人”としての環境変化の得失プラスマイナスも関係なくはないのでしょう。

 改めて歌い手さんにおける「歌のうまさ」の意味というか、意外なほどの“万能でなさ”を思います。・・なんだか一周して結局前回の記事と同じ場所に戻ってしまいましたが、要するにそういうことです。

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弘田三枝子さん永遠のVACATION ~あれはかりそめの~ 

2020-08-10 22:43:54 | 音楽

 弘田三枝子さんの訃報は先月の末、新聞か、ネットニュースサイトで拾って脳内にありました。

 ここのところの情勢から、ひょっとしてコロナ?それほどご高齢じゃないはずだけど、でも団塊世代ではあるよね?志村けんさん岡江久美子さんの例もあったし、70歳代ならあるいは・・と思いましたが、報道によれば前日まで変わったところもなく、心不全で救急搬送、ほとんど突然死のような最期だったようです。

 報道後一日、二日経ってから、現役の同年代ベテラン歌手さんたち、もう少し若い、邦楽ポップス界クリエイターの皆さん、山下達郎さんや桑田佳祐さんらからも惜しむ声が数々上がって、こんなに幅広い層にリスペクトされていた人だったんだ・・と驚いた向きも多かったのではないでしょうか。

 近年はマス媒体への露出がほとんどなかったので、いまのアラフォーより下で弘田さんの名前を聞いて、楽曲と歌声が一致する人はいないでしょう。ヴィジュアルはなおのこと。

 しかし1960年代初頭、というより昭和30年代中盤から40年頃にかけて、日本でジャズやアメリカンポップスを好んで聴いて憧れていた人なら、歌手弘田三枝子に惚れない人はいなかったのではないでしょうか。月河はリアルタイムではまだ子供だったし、弘田さんの歌のすごさが実感できるほどの観賞力もなく、レコードプレーヤーもスピーカーも縁遠く、テレビさえ白黒、あまつさえ受信状態が悪くてNHKしか映らないような環境にいましたから「弘田三枝子ってすごかったんだよ」と実感をもって語ることはできません。

 ただ、周囲の大人たちの「弘田三枝子、歌うまいねえ」「パンチきいてるねえ」「声量あるよねえ」という絶賛、定評がすごかった記憶が鮮明なのです。この人歌うまいなアと自分が思うより、「歌がうまい」と褒められている、そのベクトルがすごかった。熱量ではなく、「弘田三枝子と言えば→歌がうまい」への、まっしぐらな一直線収斂のし方がすごかったのです。

(月河が、1947年生まれ弘田さんを含む団塊世代ベビーブームが終わって「世の中静まってから」の生まれなことが大きいと思う。前にも何かの話題でここに書きましたが、何でも月河が認識して好きになったり、あんまり好きになれなかったり態度を決める頃には“固体化”“客体化”していて、ワーワーキャーキャー、熱っちっちでなく、おおかたから冷静に評価され整理順列されているのがつねでした)

 月河が物心ついて初めて知った弘田さんの歌唱曲は『VACATION』、次いで『夢みるシャンソン人形』。どちらも洋楽ヒット曲の日本語歌詞カヴァーで、この分野に関しては弘田さんは、同年代(『VACATION』日本盤リリース時15歳)はもちろん、同時代のほかの歌手の追随を許さない、前人未到の野を駆けるパイオニアでした。

 いまでも動画サイトなどで他の彼女の代表曲とともに聴くことができますが、歌い出しの有名な♪う゛いえいすぃえいてぃあぃおえん~ がすごいだけじゃなく、ここと同じメロディーで♪待っちぃどっうぉうしひぃのわぁ~ と、原曲にはもちろん無い日本語詞を歌うリフレイン箇所の、それこそ“パンチ”のきき方が、日本人の女性歌手離れしていると言うより、ほとんど人間離れしているのです。これは弘田さんの、原曲の音程を聴き取る耳の良さであり、日本語歌詞を外来の音程に沿わせてはじけさせる、歌いこなしの才でもある。あの時代、日本的歌謡曲や演歌に飽き足らず、新来の洋楽にふるいつきコードやビートをスポンジのように吸収していた世代にとって、弘田さんという天才が切りひらいて見せ、歌って聞かせてくれた世界の広さ高さ輝きは唯一無二のものでしょう。たとえば桑田佳祐さんは、自身80年代にリスペクトソング『Mico』(ミコ=三枝子さんの愛称)で歌っておられたように、弘田さんがいなければ恐らくサザンオールスターズをやらなかったしシンガーソングライターにならなかった、少なくともああいう一連の曲想でああいう歌詞の当て方歌いまわし方で世にうって出ることはなかったはずです。

 だからむしろ60年代中盤以降、若者の洋楽志向が英国発のビートルズに接し、GSブームが起きて、世の中猫も杓子もの勢いでエレキギター・サウンドに傾斜していった時代からの弘田さんが、音楽的には大人しくなり、筒美京平さんや川口真さんの和製オリジナル曲を専らにして歌謡曲寄りになって行ったのは物足りない気がするのです。

 1969年=昭和44年リリースの『人形の家』は彼女にとって久々の大ヒットになったのですが、これ以降の弘田さんはどちらかというとダイエット本ベストセラーや美容整形イメチェンのほうで世の興味関心を惹く“タレント”“芸能誌物件”化して、「弘田三枝子と言えば→歌がうまい」のベクトルの明晰さは色あせていきました。ヒットチャートは日本人作詞家作曲家のオリジナル作品中心になり、彼女の稀有な日本語洋楽歌いまわしのテクがもてはやされる時代ではなくなっていたし、そうでなくても彼女が「歌がうまい」ことはもう十年来既定の事実になりすぎて、砂にめり込んで飽きられてしまっていたのかもしれません。

 『人形の家』でのあまりに瞠目すぎた変身イメチェンについてはいまだによくわかりません。1968年頃のジャケ写から、前髪を下ろしアイラインと付け睫毛を強調したバービー人形風メイクになってきているので、あるいはその少し前に渡米しジャズフェスに参加したことが心境の変化につながったのかな、とも想像します。言っては何ですが日本は敗戦国ですから、60年代はまだアーティストでも海外、特に欧米へのハードルは高く、カルチャーギャップも大きかったようで、短期でも欧米滞在経験がきっかけとなってイデタチが一変する人は少なくなかったように思います。

 そうでなくても、60年代の所得倍増時代、中学生でデビューして、休みもなく、(たぶん)ほとんどまともな学校生活もなく歌い続けて二十歳を迎える頃には、「自分を変えたい」「このままじゃいけない」的なことを考えるには違いない。「→歌がうまい」の直球一本鎗な呪縛、まるで歌がうまい事以外何も長所がないかのような見られ方に嫌気がさしてきて、「歌がうまい、だけじゃなくて美人でもある」にしたかったのかもしれません。

 ただ歌唱法まで変える必要はなかったのではないかと、陰に陽に「イメチェン前のほうが良かったのに」という意味の論評も、当時から聞こえてはいました。前述の桑田さんのリスペクト・ソングも歌詞ではっきりそう言っています。

 しかしこればっかりはなんとも。音楽シーンの変遷ははやく、十代の弘田さんの唱法での洋ものカヴァーに往時の需要が無くなっていたのだし、弘田さん本人の自分史、ダイエット等も含めた“芸能人”キャリアも、巻き戻すことはできなくなっていましたから。

 先週、8月7日にBSテレ東で追悼番組が放送され、何とか滑り込みで“最後のシングルリリース曲”だけ聴けましたが、ロマンティックバラード調の、訃報のあとで聴くと一層“乙女な老女の晩年感”に満ちた楽曲ではありながら、♪おンもいひぃっでへェだっけをぉ~ と、ともすれば歌いまわしのオカズ満載にする気満々なのは弘田さん、変わっていませんでした。最盛期を大人たちの会話からの仄聞で知ったレベルの月河が聴いてさえ、切なくなるくらい変わっていなかった。ヒットした楽曲だけ拾えば大人しく、コンサバ寄りになっていたとしても、晩年まで、“攻めて歌う”情熱は失っておられなかったのです。

 月河も一応(一応かい)女性なので、外観の“造作替え”イメチェンにネガティヴなことはあまり言いたくありません。令和のいまでこそ美容整形の敷居は低く、芸能有名人だけでなく一般の勤め人や主婦でもカジュアルに選べる選択肢になっていますが、1960年代の一般常識の中で、当時の外科技術レベルでの造作です。二十代前半で一度ガツンと直したとしてそれで“一生モノ”になるわけもなく、二度も三度もそれ以上も手を加える必要が加齢とともに絶えず生じたはずです。

 あれが無ければ、晩年いま少し露出して歌声、歌魂(だましい)を、『VACATION』時代を知らない皆さんにも伝えられる機会があったのではないかと、そこだけは残念です。皮肉にもいまは、放送画質も60年代の比ではなくリアルに、鮮明になっている。歌声を披露しても、往時を知る視聴者の、お茶の間からの視線や所感が“顔”“造作”にどうしても行ってしまい、歌を聴くことに集中できない事態は、番組制作側より視聴者より、誰より弘田さん本人が望まなかったでしょう。

 「歌がうまい」ということは間違いなくギフト、幸福な天賦であるには違いないのだけれど、それ単独では意外に儚く、流されたり飽きられたり、摩耗したり埋没したりしやすいものなのかなとも思います。

 ナマ身、あるいは近影を晒さずとも、盛りの頃の画像と音源で堪能可能なサイト、アプリ、サブスク・・等々が行きわたった時代に旅立てたことだけは弘田さんラッキーでした。あの歌唱は不老にして永遠です。ご冥福をお祈りいたします。

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いやいやいやいや

2013-09-15 01:57:52 | 音楽

 『あまちゃん 歌のアルバム』を本格的にヘビロテする前に、ポータブルオーディオに使っていたイヤホンがあっけらかんと断線。 

R=右からの音が最近“沈んで”聴こえるなと思っていたら、ノイズるとか途切れるとかの末期症状を呈することなく、すぽーんと、竹を割ったように一瞬で断線。
 

度重なるイヤーピース脱落紛失→捜索発見事件を乗り越え、最近はMサイズのそれをL=左に着けていたのですが、今般思い切ってお色違いを新調。レタスグリーンからバナナクリームへ。一気にカロリー、糖質アップ気分。色名付けるメーカーさんのセンスもアレですが、ブラックやシルバーなど、身近の持ち物に同類の多い色にすると、家の中やバッグの中で行方不明になったとき見つけにくいのです。選択肢の中でなるべく突飛に思える色を選ぶのが最近のイヤホン選びの公式。
 

誰でも多少はそうだと思うのですが、月河もRLで耳穴のサイズがかなーり明白に違います。LはイヤーピースMサイズでも可なのに、RLでないと、どんなにしっかり装着したつもりでも秒殺で抜けます。このたび新品で久しぶりにLRともにLサイズで(わかりづらいな)装着すると、まーーー聴き心地の良いこと良いこと。音が一滴の漏れもなく、吸い込まれるように鼓膜に届いてくれる感じ。早く新調すべきでした。今週発売の『あまちゃん』サウンドトラック2を、これで耳から血が出るくらい聴くとしよう。
 

・・ところで、LとかRとか書いてるうちに思い出しましたが90年代にLRという、パッと見どう読んでいいのか戸惑う音楽ユニットがいましたよね。紙媒体でユニット名を見かけて、何とアナウンスされるかを知りたいためだけに一生懸命深夜の音楽番組を録画したりしました。真ん中の“⇔”は、“つのだ☆ひろ”“ダイヤモンド☆ユカイ”の“☆”“つんく♂”の“♂”並みにさくっと無視して普通に「えるあーる」でいいんじゃん!と知ってずっこけた頃には、♪ばばいばばいばばい とか曲も普通に覚えてしまいましたっけ。最近FMラジオ等でもめっきり名前を聞かなくなりましたがまだ活動しているのかな。 

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ピースなイヤーでありますように

2013-01-16 01:18:03 | 音楽

『八重の桜』のサウンドトラックが楽しみだけれど、OPテーマ(だけ)がいまや反原発・自然保護アーティストの旗手みたいになった坂本龍一さんなので、また『不毛地帯』サントラのようなエコジャケになるのかしらん、アレCD出しにくいし、入れ戻しにくいし、そのくせ戻してもともすれば外れてくるんで、棚から抜いた途端ハダカのCDがバラッと落ちて、つけなくてもいい傷が盤面についたりしてえっれー勝手が悪いんだよねぇ、という話を書こうと思っていたのですが(あらかた書いてしまいましたが)、そんなことを考えている一週間ほどの間に我がオーディオライフに一大事件が。

 デジタルオーディオ、ラジオ、PCぜんぶに適応して大活躍中だった密閉型イヤホンのイヤーピースが、突然片方、行方不明になってしまいました。

 ……一大事件っつったって何度めだ。イヤーピース脱落行方不明事件。しかし現行使用中のコレは、イヤーピースとその付け根(ハウスって言う?)部分が“ライムグリーン”なる結構個性的な色。バッグに入れて持ち歩く小さいグッズ、パーツは、なるべく自分的に突飛な、ほかの持ち物と紛れない目立つ色を選ぶほうがゴソゴソ探さずにすむと思って選んだ次第です。“ライム”グリーンと銘打ってはいるものの、果物などの植物系よりはむしろパワーストーンのプレナイト(=ぶどう石)かネフライト(=軟玉)を思い出させる、翡翠っぽい、鉱物っぽい黄緑色で気に入っていたのです。

 バッグの中、コートのポケットの中、家の中で外れたとしたらありそうなところはぜんぶガサ入れました。目立つ色だから床の上に落ちていたら、狭い家だしラクに見つかるはず。無いということは、外で落としたか?だったら99パーセントもう諦めるしかない。

それにしても片方外れるだけで非常に困ったもので、買ったときに付いていたスペアは皆サイズが違うのです。この前、この前の前、この前の前の前に使っていたイヤホンのときも思ったのだけれど、あの、イヤホンのスペアイヤーピースって、人によってLであれMであれSSSであれ、“当たり”は1サイズなわけだから、当たりじゃないサイズが何種類スペアとして付属していても全然親切じゃなく余計なお世話、無駄骨なわけですよ。「どれでも好きなサイズから試し装着してみて、いまいちだったら違うサイズにつけ替えて、いちばんフィットするサイズを見つけて下さいね」ってことで複数サイズ付属してくれてるんでしょうけど、どのメーカーのどの品番の機種でも「密閉型カナルタイプならL」と結論の出ている月河には、M以下のサイズのスペアは無用の長物、ありがた迷惑です。

イヤーピース無しよりちょっとましかなと思ってMをつけてみましたが、まー面白いように耳穴からスポスポ抜けてくる。

 おまけに音の聴こえまでLサイズからMサイズに縮小。ていうか矮小化。耳穴にしっくりみっちりフィットしてなくて隙間が有り有りだから、そうなる道理です。

 こういうときのために、イヤーピースは複数サイズ付属じゃなくて、サイズごと1コずつバラ売りしてくれたほうがユーザーにフレンドリーってもんだよねえ…等とぶちぶち言いながら過ぎること数日。厳寒の本日、はちみつにんにく生姜湯を作ろうと思って生姜生姜…と冷蔵庫下段の野菜室を漁っていたら、野菜室の底に小さな野菜くずらしきものが。「あらら、悪臭とカビのもと、いかんいかん」とつまんで拾ったところ、イヤーピースそのものだったの巻。

 ライムグリーン。なるほどねー。さすがに野菜室に落ちていても違和感がない。感心してる場合か。

いつからここにいたのだろう。て言うか、どういう外れ方をしてここに落ちるに至ったのだろう。台所。冷蔵庫。野菜室。探し物が見つかるといつも不思議に思うのですが、まぁ、“ライム”だけに野菜たちが呼んだのかもしれません。めでたくL復活。矮小でない音。

元に戻っただけで何もトクはしてませんが、ちょっとラッキーな気分になりました。

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もそもそももそっとおいで

2009-08-23 00:16:10 | 音楽

デジタルオーディオのおもしろ機能のひとつに、おまかせチャンネルってのがありまして、手持ちCDの中で「これは携帯して聞きたいな」と思うアルバムまるごとや、楽曲単体を、バコバコ転送して行くと、勝手に読んで解析して、“アクティブ”“リラックス”“アップビート”“スローバラード”“ソファラウンジ”“アコースティック”“エレクトロニック”“クラシック”“エクストリーム”といった曲調ごとのチャンネルに、曲を振り分けてくれるんですね。

これら曲調基準のチャンネルのほかに、入れた楽曲ぜんぶの“全曲シャッフル”と、もうひとつ時間帯ごとに“朝のおすすめ”“昼のおすすめ”“夕方の~”“夜の~”“深夜の~”というチャンネルもあって、スイッチオンした時刻なりに選曲してくれるわけです。

あまり考えなしに転送しているんだけれど、気がつけば自分の好みがはしなくも円グラフのようにあらわれるのがおもしろい。外回りの移動中や出先での待ち時間、もしくは在宅なら家事作業中など、どちらかというとのんびりゆったりとはしていられない時間帯を想定して購入した音響媒体なのに、現時点でいちばん曲数が多いのは“リラックス”で、全曲の6割近い。

次いで“スローバラード”と“アコースティック”が同数ぐらいで3割少々(もちろん複数チャンネルに跨っている“汎用性の高い”曲もありますが)。

自分がいま、“携帯する音楽”に何を求めているかが改めてわかりました。

図抜けて少ないのが“エレクトロニック”で全体の34%。別に打ち込み系が嫌いと言うわけじゃないんですが、ここに入った“顔ぶれ”を見ると原因がわかる気も。ヴォーカル曲、特にJポップJロックをほとんど入れてないんです。

8090年代の邦楽チューンを入れたら、かなりな率でここに振り分けられるはずですが、出先待ち時間や家事中に日本語歌詞の曲は結構邪魔くさいので避けたということもある。ひと頃、湿っぽい曲でも甘っちょろアイドルポップでも、なんでもかんでもとにかく打ち込みシャカシャカ鳴ってりゃ新しいと思って売り出したり、出されりゃそれなりに新しがって聴いたりしてた時代がありましたよね。アナログ盤でしか持ってないタイトルも多いんですよね。

“エクストリーム”も比率としては“エレクトロニック”よりちょっと高い程度ですが、ここに入ったのは月河の場合ほとんど特撮ヒーローソングでした(呆&納得)。

でも、『デカレンジャー コンプリート・ソングコレクション』での白鳥スワン(石野真子さん)『MOTHER UNIVERSE』なんかは“ソファラウンジ”、同じく朝川ひろこさんの『私だけのぬくもり』(←ホージーの恋人テレサがEpisode 37で弾き語ってた曲ですね)やウメコ(菊地美香さん)のキャラソン『すなお ~今を信じて~』などは“スローバラード”に入るわけです。なかなかわかりやすい。

それにしても“エクストリーム”=極端、末端、ってすごいジャンル名だ。

またおもしろいのは、いままでのところ“本物”のクラシックCD1曲も入れていないにもかかわらず、“クラシック”に振り分けられた曲が2割ちょっとあるんです。ヴォーカル/インストを問わず、ピアノやストリングス、ホーンといったナマ楽器主体の音で、特に出だしがそれらの楽器のどれかのソロでそろっと始まると、たとえ“具”“あんこ”の部分がかなりポップでも、こう解析される率が高い様子。

左柱←←←のオールタイムベストの中では、コーニッシュさんの『愛の迷宮』や、岩本正樹さんの最近作で、この柱にも今日載せたばかりの『夏の秘密』は、とりわけ“クラシック率”が高いです。井上陽水さんの『カナリア』もここに入ったのにはちょっとびっくりしました。

“本物”のクラシックで、あんまり長尺だと容量を食うのでたくさん入れられませんが、ジャンル別小曲集とか作曲家別シリーズならいけるタイトルがあるかもしれないので、今度試しに入れるだけ入れて振り分けさせてみようかと思っています。

ちなみにいま1630を少々回ったところ、“夕方のおすすめ”チャンネルをチョイスすると、陽水さんの『なぜか上海』。

次に『夏の秘密』から『暗い階段』、『愛の迷宮』から『丹花の唇』、『白と黒』から『ひた走る』、『金色の翼』から『空の匂い』、『ゴーオンジャー ソンググランプリ』からケガレシア様(及川奈央さん)『桃源郷』、『美しい罠』から『波紋』…といったところが流れてきます。ここらへんはまったく異議なし。もしデジタルオーディオのおまかせでなく、自分が任されて“マニュアル分け”したとしても“夕方”に入れるでしょう。『桃源郷』は“夜のおすすめ”にも入れるかな。

こうなると、全体の地合いから、あからさまに浮くに決まってるようなヤツも悪戯で転送してみたくなりますね。アニメソングやみんなのうた系なら、アレンジ次第で結局“アクティブ”“アップビート”、さもなきゃ“エクストリーム”に入りそう。

長唄とか転送してみるかな。雅楽とか。“ソファラウンジ”に入るかな。究極の“クラシック”かな。陽水さんの『カナリア』の次にいきなり雅楽が来たら、目が醒めるかもしれませんが。

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