イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ジンジンがんがん

2011-03-31 23:49:23 | CM

日本に住む日本人で、鎌倉幕府を何年に誰が作ったかを知らない人はいても、仁科亜季子さんが37歳で子宮頚がんを発症したこと、娘さんと2人で毎年検診を受けていることを知らない人はもういないんじゃないかってぐらいの勢いになってますな。

特に異状を自覚していない限り、女性にとって婦人科受診は敷居の高いものだし、「早期発見早期治療で、女性として健康を取り戻せる人がひとりでも多くなってくれれば」と、有名女優さんなりの使命感で了承したオファーだったのでしょうが、まさかまさかの大災害、通常企業CM自粛で、これほど、ほとんど天文学的な頻回オンエアになるとはね。

「しきゅうけいがん。」「にゅうがん。」と、昔のピンクレディーの「ミーでーす」「ケイでーす」みたいに輪唱している、娘さんの仁美さんも、映るたび全国のお茶の間で「やっぱり親父にもそっくりだねぇ」と言われまくりでしょうな。実際、ご両親のどちらにも本当によく似ておられる。2世・3世有名人が親・祖親に似ていることへの食いつきにかけては人後に落ちないウチの高齢家族も、オンエアのたび液晶画面をたたき割る勢いで太鼓判捺し続けています。若い頃は団塊世代の妹キャラ的アイドル女優だったお母さんはともかく、お父上のほうは銀幕時代劇役者の血統だけに、顔パーツくっきり系ではあるものの、“(特に女の子が)ヘタに似ると面倒くさい”アクのある、言ってしまえば暑苦しいお顔立ちですが、うまいこと良いトコ取りミックスされた。

そのお父上は亜季子さんとはすでに離婚して久しいはずですが、愛嬢がこんだけ全国で四六時中「そっくり」「そっくり」認識再確認されてると、こそばゆくて、陸に居辛くて当分マグロ釣りに専念するしかないかもしれない。

おもに山口県、関門辺りを釣りのベースキャンプにしておられるようですが、今般の地震で海底のプレートもだいぶズレたらしいし、海流、潮流事情もかなりの変化があったのでは。いつも釣れた場所で釣れなくなったり、思わぬところで釣れたり。いっそナマズが釣れたりして。

まぁそちらはともかく、この良いトコ取りの娘さん、気がつけば本名“美”って、姓にも名にも“仁”のある、取りようでは修業モノ漫画の師匠キャラみたいなすごいインパクトのお名前ですな。離婚されたお母さんとともにお母さんの旧姓に入ったからこうなった(お父上の本名の姓は“目黒”)んでしょうけど、名づけるときにお母さんが「実家の姓から1文字を」との親ごころもあったのではないかと拝察します。

当時のワイドショーや女性誌で騒がれていた記憶がおぼろげながらありますが、松方弘樹さんには亜季子さんとの交際時にはすでに奥さんがおり、言わば不倫略奪婚の格好で、ご実家仁科家=十代目岩井半四郎家でも猛反対だったらしい。長男の克基さんが1982年に誕生し、仁美さんはさらに2年後の84年生まれ。半四郎丈も孫は可愛くないはずはないし、この頃には両家、雪融けも成っていたかもしれませんが、亜季子さんとしては“心配かけた実家への、娘としての思い”もあっての命名だったかもしれません。その時点では、“目黒仁美”で、“目”←→“ヒトミ”にやや野暮ったいイメージ近接感はあるものの、普通の姓名でした。まさか10余年後、離婚して“下の名前と字かぶり”の姓を愛娘に名乗らせるはめになるとは亜季子さんも思わなかったでしょう。

同じような話で、昭和30年代後半~50年代にわたって“昼メロの女王”として知られていた、和服の似合う美人女優の葉山葉子(はやま・ようこ)さんもおられます。お母さんのご実家が“葉山”家で、1文字取って葉子と名づけてくれたまではよかったものの、その後わけあってご両親は離婚、母方の姓に入った葉子さんは、ご自身が「花(華)がないんですよね」と苦笑される、ありそでなさそな不思議な字ヅラの本名をそのまま芸名としてご活躍されることになりました。

ネタにしていると言えば漫才のますだおかだのおかだ=岡田圭右さんのオカンは「鈴木すず子、しかも旧姓」。結婚されて“岡田すず子”になった模様。こちらは、実家の親があまり考えないで名づけ“気がつけば、そうなってた”か、逆に、考え過ぎてドンずべったかどっちかかな。

たかが名前されど名前。“親のセンス・価値観”“親の生きざま”が陰にも陽にもかかわり、のしかかるのが名前というもの。誰もが自分の名前を名乗るとき、極論すれば「自分の親はこんな名前を子につけ、背負わせる人間だったんですよ」を自己申告していることになります。

その意味では、仁科仁美さん、重ーい有名ご両親の間に生まれたけれど、“一度覚えたら絶対忘れない”、芸能人として願ってもない訴求力のある字並びの名前をゲットされた。回り回ってラッキーではないでしょうか。

禍(わざわい)転じて福となす。いや禍ではないけれど。母上の、身をもっての貴重なご経験のおかげで、検診も毎年受けられることだし。

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ケツそしてペーパー

2011-03-29 19:30:49 | ニュース

「それ、本当に必要ですか。」と、松たか子さんにフリップ持って忠告される筋合いもないと思うんですけどね。被災したわけでもないのに、生活必需消耗品の、不要不急の買いだめは確かに愚かだし、誰のためにもならない。“必要でないモノを好きなだけ買える=裕福、金持ち、セレブ”と、戦後~高度成長期からついこの間まで、日本人が最もあこがれ目標とするライフスタイルではありましたが。とりあえず皆さん、よほど収納スペースのたっぷりある広壮な邸宅にお住まいなのか。

そもそも、今回のように家ごと津波に呑みこまれて流される級のメガ天災になったら、水洗トイレ用、それも温水洗浄便器適合のふっくらやわらかトイレットペーパーなんざあ、なんぼ買いだめてたってもろともに波のモクズと消えるだけだってば。百歩譲って、命からがら、ふっくらやわらかトイペ持って避難所に辿り着いたところで、上下水道も電力供給もズタズタですよ。体育館の床に直寝しながらウォシュレットで用を足し、潤沢に噴き出る温水でケツが洗えるとでも思っておるのか。

ましてや、ペットボトルのミネラルウォーターやパウチサプリならともかく、缶ビール買いだめしてどうするんだ。いやホント、311後の一週間ぐらい、当地のコンビニでも冷蔵ケース半端なく空いてましたからね。店主が“来たるべき特需”でも幻想して倉庫に隠したのかな。

しかしそれにしても、スタジオの識者づらしたコメンテーターが「被災地で苦しんでいる人たちに少しでも行きわたるようにと、同じ日本人として思いやるべき」「自分だけ、人に先んじてモノを確保しようという精神が浅ましい、恥ずかしい」なんて言っていると、なんだか無性にムカムカしてきます。

40年前、昭和40年代前半の第一次オイルショックのときスーパーに殺到し、トイペや洗剤の棚をカラにしたのは、戦中戦後の食糧難、生活用品窮乏を肌で知る中高年の主婦たち、お母さんたちでした。ひもじさや寒さの記憶だけではない、“いざ国難という時、この国は国民の生活と安全を絶対守ってくれない”という経験の痛みがカラダにも脳内にもしみついていたのです。

欧米の大国を敵に回し、下手くそな外交で孤立し、もともと資源のない国が経済封鎖されて、石油も鉄も銅も入って来ない状況になっても、この国は戦争をやめず、三度のご飯をイモに代えて耐える国民から、鍋や釜に至るまで供出させて戦争を続け、結局は核兵器を落とされ焼け野原にされました。国を代表し、上に立ち治める立場の人たちの体面とプライドを守るため、「間違っていなかった」「良かれと思った」という嘘を歴史につき通すためなら、この国は何度でも平気で国民を騙し、飢えさせ傷つけ寒空に放り出すのです。

40年前の主婦たちにスーパーのトイペを奪い合わせた国は、その娘たち、息子の嫁たちが主婦となる時代でも、依然ひとつも変わっていません。見せガネならぬ見せガソリン、見せトイペ、見せミネラルウォーターでいいから、「痩せても枯れてもわが国にはホラこんなに備蓄があります、国民の生活のためならいくらでも放出します」「心配無用ですガハハ」と胸ドンと叩いて啖呵のひとつも切ってから、無用の買いだめに走る小市民を叱ればいい。松たか子さんやアントニオ猪木さんの威を借りないで、国の名のもとに「自分の母国を信頼し尊敬しない、料簡の狭い利己主義者、根性入れなおせコラ」と、上から目線で厳父のように叱ればいいのです。

別に、国に税金使って何でもかんでも面倒見てもらおうなんて思いませんが、一丁難題が降りかかったときに、この国の政治には“豪胆さ”というものが本当にない。国民を安心させてくれないのです。先日も、菅総理が福島原発視察に入ったおかげで、放射能漏れの初動対策が遅れたのではないかなんて野党に揚げ足取られていましたが、国のトップが似合いもしない作業着着て、作業もできないくせにちょろちょろ鉄火場うろついて「何もしなかったわけじゃない」のアリバイ作ってんじゃないよ。

トップがチキンでケツの穴スモールだから、国民もトイペ買いだめる小心者の集まりになっていくんじゃないか。嗚呼民主主義。

トップが望み薄ならせめて我々国民、庶民が先行で、肝っ玉ふっとくドンと構えて、イベント、娯楽、エンタメばりばり消費しながら、募金なりボランティアなりやってこうじゃありませんか。

……ところで発泡酒の備蓄はじゅうぶんだったかな。あとチョコレート。ガソリンより月河はまずコレなんですけど。……電気が止まって冷蔵庫がダウンしたらアウトなものばっかりだな。小心者め。

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話をズラす

2011-03-28 19:56:15 | テレビ番組

原子力保安院っちゅうとこの、あの、「ココほかに人いないのか」と思うくらい何回も何回も記者会見に出ては肩綴じの原稿読んでいる、10円硬貨に焦がし入れた様な顔色に眼鏡の男の人は、やっぱりアレ、○゛ラなんでしょうかね。

TVの、特に報道系番組が軒並み震災特別体制を続けて、同じ顔が繰り返し繰り返し画面に出てくる中、アノ人だけが髪の質感や横分けの分け目が、不自然なまでに一定なんですよね。

NHKのスタジオで、おもに朝~昼までの時間帯に原発事故の解説している科学文化部の山﨑淑行記者は、小泉純一郎さん風の長めパーマヘアですが、先週末、少しカットされましたな。額付近の両サイドの厚みが少し減ってました。

話がそれますけど、この山﨑さん、月河はこの一件で最初にお顔を拝見したときから、『相棒』の内村莞爾刑事部長(片桐竜次さん)に見えて仕方がない。お互いに、どこかをどうにかすればもう一方にもっとそっくりになるんじゃないでしょうか(なったところで放射線量が減るとか、そういう問題ではないが)。専門解説としては、ほとんど発言者の言ったことをなぞって「だからそういうことです」とフォローしているだけで、先輩の水野倫之解説委員の域には未だし。現場汁(じる)の沁み込みが足りないか。パーマのメンテも大変でしょうがいま少しお励みを。

その水野さんは、基本的にはJCO東海村臨界事故レポートの頃と変わらないショートですが、さすがに12年前よりは頭頂部の“線量”が減ってきたと思われ、“本日初のスタジオ解説”のときなど、横から映りだと小ぶりのニワトリの尾っぽ風になっていることがある。メインがニュース読みの武田真一さん、野村正育さん、横尾泰輔さんなどの報道アナ諸君や、最近当地の局から東京に“召集”されて行ってしまった登坂淳一アナなどは、“横から”の絵を気にする必要はほとんどないですけどね。

ちなみに、みずからTV出演を3月いっぱいと線引いたにもかかわらず、“震災特需”で駆け込みオファーが急増してしまったNHKOB大先輩・池上彰さんは、ゲストもホストも何でもありになって、本来ならあの年代の男性にとってタブーであろうはずの後方上からのアングルでも映されまくりで、ちょっと気の毒。しかも照明まともに食らうと光ってることも。少し遠慮せんか民放。

…何の話だっけ?…そう、だから、あの原子力保安院の焦がし硬貨の眼鏡さんも、もうちょっと“崩し”がときどきあれば、地髪なんだなとおおよそ納得できるんですが。いや、会見の内容のほうが毎日毎日、結局はじわじわ崩壊の一途をたどってるんで、髪だけいまさら崩してくれてもそれほどは嬉しくないけど。うちの高齢家族が、TV見るたび「○゛ラだろう」「いややっぱり○゛ラだ」とその一点に引っかかって引っかかって、お顔が映ってる間じゅう、せっかくホワイトボード背に肩綴じ原稿、彼なりに一生懸命読んでる内容をさっぱり理解しようとしないもんで。なるべく早く実態を明らかにして下さい。て言うか、会見しなくてもすむ状況に早く戻して下さい。

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ソドレミお墓の前で

2011-03-27 18:55:26 | テレビ番組

『どれみふぁワンダーランド』の“英語に聞こえる日本語の歌を作ろう”足かけ3年プロジェクトと言えば、番組のヘッド企画兼MCでもある作曲家・宮川彬良(あきら)さんの、一貫して距離を置いた姿勢も印象的でした。

言い出しっぺであるRAG FAIR土屋礼央さんが、そもそもの「来年度予算案(らいねんどよさんあん。礼央さんによれば“いちばん英語っぽく聞こえる日本語熟語”)」からずっと、このプロジェクトのコーナーになるたび口角泡を飛ばす勢いでノリノリ、RAGの他メンバーや戸田恵子さんもそこそこウケたりツッコんだりしている中で、彬良さんだけは“(音楽家歴の先輩として)好意的なニュートラルで見守る”という佇まいを崩さず、オンエア画面を見ていてあからさまな前のめりになることが一度もなかった。

以前の放送の“音楽の深読み”コーナーで、唱歌『早春賦』(=吉丸一昌作詞)『うみ』(=林柳波作詞)を採り上げておられたときにも思ったのですが、“伝えるべき意味を抱えた歌詞”というものに、音楽家、楽曲の作り手として、彬良さんもずいぶん縛られ苦しんだ経験がおありなのだと思う。

この“英語もどき歌”プロジェクトの過程をざっとなぞった25日(金)放送の総集編で、「桑田(佳祐)さん以降、こういう(着想したコードやメロディをピアノなどで試し弾きながら出まかせ英語歌詞でヴォーカルつけていく)作曲法は普通に皆やるようになった」と淡々と説明しておられたように、彬良さんにしてみれば“曲に沿うヴォーカルが英語っぽい”のは、曲創作のプロセス中の一段階で発生する、当たり前の状況のひとつにすぎないのではないかと思います。

その状況を敷衍して、造形して固めて、その状況自体を“完成製品化”するという試み。みずからも作曲をよくするけれど、基本的には歌い手である土屋礼央さん発のアイディア、彬良さんにとっては当初から“面白いよ、面白くなくはないけど、でも別に…”という気分が一抹はあったのではないでしょうか。

英語に聞こえようが何語に聞こえようが、音楽を着想し構想し、音楽で表現しようという者にとって、歌詞と称される“言葉”、それも“発音と意味のある言葉”というのは、「こんなモンさえなければ、もっともっと自由闊達で広やかな音楽が作れるのに」と悩ましい桎梏であると同時に、「コレがあるから、より多くの人の心の琴線を、文学的言語的な角度から揺り動かして、結果的に楽曲のアピール力がより高まる」という、“味方につければ最強のツール”でもある。ピアノの前にいつものように座って、礼央さんたちの盛り上がりを半笑いで眺めていた彬良さんの表情には、音楽イコール生きることである人の、“歌詞”というものへの対峙の苦しさと蜜月、両方があらわれていたような気もします。

でも決して、足かけ3年の一連の歩みを冷笑したり肩をすくめたりしていたわけではない。総集編では、完成した『風鈴買いに行こう』のフルオケへのアレンジ、リハーサルやコンソールルームでの音入れに、完全な“音楽の作り手、送り出し手”の顔で前のめりになる彬良さんも見られました。「これぞオレの仕事」「こういうことをやらせるなら任せなさい」という自負とプライドに満ちておられた。

『どれみふぁ~』を不定期ながら視聴し始めた当初は“中途半端にお父上(故・宮川泰さん)の面影のある、メッシュボブにピエロチックなチョッキのキショいおっさん”という印象しかなかった(失礼だ無礼だ)彬良さんですが、出ばるべきところと、そうでもないところとを結構弁えた人だったことが、このプロジェクトを通して遅ればせながらある程度わかったの巻、でした。

NHKBS4月からチャンネル統合して出直しとなりますが、またやってほしいですね『どれみふぁ~』。

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でもお金減る

2011-03-26 13:29:09 | テレビ番組

当節、街中にも媒体にも音楽っちゅうものは溢れかえっていますから、聴きたくなくても耳に飛び込んでくるということは年じゅうあるもので。

或る時飛び込んできたソレが、一日じゅう脳内でループし続け、気がついたらハミっていたりテキトー歌詞で口ずさんでいたりすることもあるでしょう。

最近ならば、♪こんにちは(こんにちワン)ありがとう(ありがとウサギ)まほおのことばでたのしーなーかまーがポポポポーン♪というアレがソレになってしょうがなくて、自分でイライラしている人も多いのではないかと推察します。言ってることは間違ってないんだけどねアレ。しつこいにもほどがあり過ぎますよね。「そんなんで“なかま”になんかなってたまるかケッ」と事実上のネガキャン化しているかも。

頻繁に耳に飛び込むからそうなるというわけでもなく、月河などは、週一、日曜にしか聴かないはずのスーパーヒーロータイムソングのほうが、月~金の昼帯テーマよりソレ化しがちです(昼帯が2008年春から、テーマ曲を1コーラス流さなくなったことも原因か)。

『爆竜戦隊アバレンジャー』の放送中は、EDの ♪アバ アバ アバ アバ アバレンジャー~が、ヘタしたら土曜の昼ぐらいまで水面下でソレになっていたし、翌年の『特捜戦隊デカレンジャー』では、OPEDより、劇中では数えるほど、それも冒頭~前半しか流れなかったはずの♪と~くそーがーったい デカレンジャーデカレンジャー ロボーー!(『ビルドアップ!デカレンジャーロボ』)が脳裏を離れませんでした。

『炎神戦隊ゴーオンジャー』ではED『炎神ラップ』の中の、特にバルカ篇=♪曲乗り悪乗り 時にはガッカリ それでも明日がアルデンテ と、バスオン篇=♪曲~がった道でも 真っ直ぐ進むでぃ お乗りのヤローはお早めに が、とりわけソレ化が著しかった。いちばん多回数流れたはずのスピードル篇はあまりそうならなかったから、本当に頻度の問題ではなく、脳内の何かの回路に、何かが反応を起こさしめるのでしょう。

んで、ここのところ頑迷に、もはや脳内“作りつけ”的にソレ化している楽曲と言えば、NHK BShi『どれみふぁワンダーランド』で、RAG FAIRの土屋礼央さんが、2009年から足かけ3年のプロジェクトで完成させた“英語のように聞こえる日本語の曲”=『風鈴買いに行こう』

“ゆるめの短いフレーズをリエゾンさせながらリフレインすると洋楽っぽく聞こえる”というベーシックを徹底的に踏襲したこの曲、先週の放送でめでたく宮川彬良さん編曲によるフルオケ&フルコーラスつきヴァージョンが披露されましたが、ずるいよ。♪ふーりんかいにこー ふーりんかいにこー とか、♪もう穏便に そーおんびんに よあおんびんに とか ♪大家請求しない おーやせいきゅーしない とか、陰謀的にソレ化狙いみたいな作りになってるんだもの。

“読むと日本語の歌詞だけれど、歌うと英語のように聞こえる”を目標にしたとすれば、わりと微妙です。土屋さん以下RAG FAIRメンバーはじめ番組レギュラー出演者の皆さん、及び視聴者からのアイディアを盛り込みまくって、“アホな横領犯(おーりょうはん)”を主人公に、“幼少時代(ようしょうじだい)”の“家(いえ)の遺影(いえい)の伯母(おば)”の思い出などを垣間見せる、トム・ジョーンズの名曲『思い出のグリーン・グラス』をホウフツとさせないでもない、結構、意味のある歌詞ワールドになってしまいましたから。

“英語のように聞こえる日本語”なら、日本語としてはもうちょっとはちゃめちゃナンセンスなほうがよかったんじゃないかな。♪強引(ごーいん)な聴取(ちょーしゅ)に荒んでく心情(しんじょう)~なんて聞くと、月河など速攻『相棒』の捜一トリオ、特に三白眼で睨む伊丹刑事(川原和久さん)の濃いフェイスが具体的にありありと浮かんで来てしまいます(横領容疑なら一課の出番ないけど)。

 意味なく意味なく作っていったつもりでも、気がつけば回り回って“感動路線”の軌道にはまっている…というところが日本語の、演歌チック歌謡曲チックで、それはそれでおもしろいのかもしれませんね。もう穏便に、そう穏便に。

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