イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

白薄荷 黒薄荷

2017-05-27 23:59:55 | 海外ドラマ

 『CSI:科学捜査班』=ベガスCSI終了後をうけて、同じ制作チームで放送開始された『CSI:サイバー』、こちらも早くもDVDが出ています。本国では、ベガスCSIの、ラス前第14シーズン終盤に『サイバー』のメインキャラクター=エイヴリー・ライアン捜査官がゲストインしているので、後継シリーズとして育てることは一年以上前から既定路線だった模様。

 こちらはベガスやマイアミといった所謂”所轄”ではなくFBI=”連邦”捜査局のサイバー犯罪部門が舞台なので、全米各地の同種犯罪捜査に携わりますが、中枢はあくまで首都ワシントン。OPにオベリスクが映るだけでワシントン感が高まりますなあ。リンカーン記念堂でリンカーン像の足元に腰かけるエイヴリー。スケール感はたっぷりです。が、一方では”快楽と欲望の都”=ラスベガス、”エンドレスサマーのビーチリゾート”=マイアミ、“ファッションとビジネスと人種の坩堝”=NY、といったローカルカラーが事件にも、人物にも稀薄なのが痛し痒しか。

 主任のエイヴリーがもともと臨床心理士で、診療データファイルに侵入され患者を殺害された過去があり、その件がきっかけでFBI捜査チームに加わったというところが設定のキモらしい。ネットやオンライン・システムを捜査する要所要所で、犯人像のプロファイリングや、事情聴取時の表情リーディングが効いてくる。やはりデジタルだけじゃ机上過ぎて、ドラマとして躍動感がないですもんね。

 エイヴリー率いるSEでプログラマーでもあるメガネヒゲ巨漢のダニエル、元ブラックハッカーのベビーフェイスなアフリカ系ブロディ、同じくギャル風金髪のレイヴン。現場でコラボするのは元・海軍で格闘逮捕術にも長けた良きパパ、でもバツイチのムンド捜査官。みんなそれぞれひとネタ過去に持つ顔ぶれと見える。

 そしてサポートする上司のシフター副長官役で、おや『NUMB3RS:天才数学者の事件ファイル』の自由人な物理学者役で出たり入ったりしていたピーター・マクニコルさんの顔も見えました。この人、幾つになるのかなぁ。『ソフィーの選択』でオスカー女優メリル・ストリープさんのアナザー相手役をつとめていた頃から、なんとなーく額が広くなりそうな予感はただよわせていましたが、気がつけばさほどの”伸展”はないような。アメリカ人にしては小柄だから若く見えるのかな。

 ベガスCSIの最終エピで、「オファーがあって東部へ」と去って行ったDB主任がこの『CSI:サイバー』にレギュラー参入すると聞いていたので、どんな形での活躍になるのか、ベガスへのリスペクトのつもりで見とどけようと思っていましたが、その前に、「DBのレギュラーは第2シーズンから」「第2シーズン限り」で、それどころかシリーズごと第2シーズンをもって打ち切りになってしまったという情報が。

 嗚呼。やはり、デジタル主軸のお話では視聴率が取れなかったのかしら。はたまた出演者と制作サイドの不協和音か。なんか、”DBの無駄遣い”に終わった・・というより、ベガスCSIでも働きのわりにはラストエピの見せ場をグリッソムの一時帰還にあらかた譲らされてしまったし、DBってつくづく不遇なキャラですねぇ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Who are you?

2017-05-26 01:00:47 | 海外ドラマ

 『CSI:科学捜査班』、同シリーズの親シリーズ=ラスベガスCSI。本国USAでは一昨年9月に第15シーズンをもって放送終了していますが、月河も先日、最終エピソード『終わらない街ラスベガス』をDVD視聴終了しました。ふぅーーー。

 本国での1stシーズン放送スタートが2000年10月だそうですから、まる15年、"CSIの新シリーズが秋になると始まる"年が続いたことになります。これはもう”放送期間”というより、ひとつの”時代”を作り上げたといってもいいのではないでしょうか。

 視聴率的には第5~6シーズン(2004~5年放送)辺りがピークで、以降は右肩下がりだったようですが、所謂警察捜査ドラマにおける”科学捜査”や”物証主義”を、脇役ではなく主役にもってきて、昔ながらの聞き込みや過去ファイル再読などのアナログ捜査と、ときに対立させつつも乖離はさせず一体化してフィクションドラマに織り上げるというやり方を確立させた点、まさにエポックメイキングなシリーズだったと思います。

 ちなみに、我が日本製の『科捜研の女』は『CSI』より一年早く、1999年10月から放送を開始して2017年の今日まで17シリーズ継続していますが、あえて言えば先輩シリーズのこちらの長持ちも『CSI』が長く続いたことの、ある意味お蔭ではないかという気がします。一度でもこちらのレギュラーエピソードかSPを見た事のある人ならすぐにわかると思いますが、同じ科学捜査を主軸に据えたドラマでも、こちらはある時期から「USA製の『CSI』ではやらない事」を選んで選んで作っているうちにアラ不思議、長寿シリーズになりましたという感じ。科学捜査の衣はまとっていても、基本はやはり昭和から続く”日本の刑事ドラマ”なんですよね。

 主役=榊マリコ役の沢口靖子さんが、夜8:00台に使える主演級女優さんの中でも稀に見る”私生活・所属芸能事務所との関係ともに無風”女優なのも非常に大きい。ロングランTVシリーズの存続を危うくする”大人の事情”をいっさい発生させない主演。しかもヴィジュアルも(異論はあるかもしれませんが)すでにover50にして劣化最小限。理想的です。

 さて、月河が『CSI』とTVではじめて出会ったのは2008年初めぐらいだったでしょうか。日曜の午後1:00~という、超・敷居の低い、というかチカラの抜けた時間帯で、いま振り返れば第4シーズン終盤辺りからの途中乗車でした。ちょうど月河家に地デジの大画面液晶テレビとDVDレコーダーがやって来た頃でもあり、それこそまさに「アメリカの”科学捜査”はさすがに『科捜研のオンナ』とかとはだいぶ違うね~」というノリで嵌まって行き、そのうち「コレそもそものスタートから見たいね」「DVDなら出てんじゃない?もうウチでもDVD見られるし」とレンタル店にかよって、1stシーズンから探し出し、1年あまりかけて、放送に追いつくまで見ました。

 そのうちいつの間にか放送のほうが平日昼の時間帯に引っ越してしまい、何回か録画を逃すと、しまいにはじれったくなって全部DVDレンタルに出てからまとめてぶっ続けに見る様になりました。一時期は、昼間に2エピ見て夜に3エピ見て・・と、リアルタイムのニュースも天気予報も見ずに”『CSI』DVD漬け”だった頃もありました。

 月河の特撮好き、(往年の)昼ドラ好きにはまったくノータッチ無関心の高齢家族も、不思議と『CSI』にはガン嵌まりなんですよね。彼らの言うには、「一件終結(←”解決”ではなかったりすることも)後に、被害者家族や刑事たちの後日談的な描写がなくボン!ブツン!と終わるのがいい」「アメリカらしくドライだし合理主義だし、プロ!って感じ」だそうです。

 月河も、これでもう『CSI』の未見新作エピは見られなくなるのか・・と思うといささかしみじみしてしまいます。最終エピはやはり”創立メンバー”であるギル・グリッソム主任とキャサリンがしばしのカムバックをしてくれないと格好がつかなかったか。FBIに転身したキャサリンは相変わらずキリッとして、コンマ一秒を争う爆弾解除現場でもしっかりグレッグとモーガンを指揮していましたが、昆虫博士だったはずのグリッソム主任が海洋生物保護のほうに行ってすっかり加山雄三さんみたいなボートマンになっていたのは意外でした。 

 1st~第5シーズンぐらいまで、警察組織ドラマにもれなく一人は居る”出世亡者のイヤな管理職”の典型だったエクリーが、娘モーガンの捜査官としての成長と歩を合わせる様に、いつの間にか”いちばんのCSI理解者”になってきたのも不思議といえば不思議。最終エピでレディ・ヘザーの関与が浮上すると「それなら彼女を最もよく知るグリッソムを呼ぼう」と即、サラに連絡を取らせる。グリッソムとそれこそいろいろあったサラの気持ちを斟酌しないやり方が彼らしいと言えばらしいけれども、序盤でのグリッソムとの”現場vs官僚”そのものな先鋭対立を思うと、シリーズの継続とともにキャラも深化してきたんだなー・・とひときわしみじみです。

 ただ、最終エピのラストシーンが、”ベガスを離れて行く船出”で終わるのは如何なものでしょう。ざっくり言ってシリーズ全体がサラの成長と葛藤→進化の物語に集約され、時に殺されかけもしたCSIの仕事を通じてグリッソムと”最高の友”となり生涯のパートナーに・・というまとめ方は嫌いではないし否定はしません。しかし最後はやはりベガスのシーンで、ベガスに残る、あるいはベガスに戻ってきたメンバーをフィーチャーして、15年間のグランドフィナーレにしてほしかった。あの美しい船出がラストカットなら、なんだか”欲望と犯罪の街=ベガスを出て行ける者勝ち”に見えてしまうのです。

 グリッソム退任後ともすればぐらつきがちだったチームを、第12シーズン以降ほとんど孤軍奮闘でまとめたDB(ディービー=ディーベンコーン)の、最後の扱いもいささか冷たかった。フィナーレのためにグリッソムが召喚されたにしても、現チーフはあくまでDBなのですから、もっと見せ場あって、グリッソムと両雄並び立つぐらいの活躍をして終わらせてあげないと気の毒ですよ。ラストシーズンで例の”双子=ギグハーバーキラー事件”というクライマックスを用意してくれたのはいいのですが、長い付き合いだったジュールス(フィン)が双子の(邪悪なほうの)生き残りに襲われボコボコに殴られた挙句「意識不明の重体」のまま、最終エピでいきなり”殉職=絶命していた”と判明する辺りも含めて、DBってなんだかロングシリーズ終盤のそそくさとした空気の犠牲になったキャラのような気がして仕方がありません。

 まぁ、チェックを入れて行けばまだまだ限りなくあるけれども、「とりあえず”リ・スタート=ハッピーエンド”感のある幕切れにしよう」という意志だけはじゅうぶん伝わってきたので、こちらもそこのところは汲んで「お疲れ様でした」と言って送り出したいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

餓えた狼

2017-05-03 01:22:06 | ニュース

 ”あしがら”と聞くと連想するのは、くーまにまーたがりお馬の稽古するハイシどうどう足柄山の金太郎か、『艦隊これくしょん』の女教師キャラ、妙高型三番艦の足柄さんですよね。

 アメリカ原子力空母カール・ビンソンを中心とする空母打撃群を護衛。平成の日本の海上自衛隊で就役中の”あしがら”は重巡洋艦ではなく純粋な護衛艦だそうです。ちなみに今般ともに就航する”さみだれ”も護衛艦で、青髪ロングにセーラー服の白露型駆逐艦六番艦ではないとのこと。当たり前だ。でもちょっと残念だ。

 ”あしがら”の夕食はカツカレーではないのだろうか。やっぱり残念だ。

 このニュースを聞くにつけても思うのは、日本という国はアメリカ合衆国という国と同盟している限り、「武力は持たない」「事実上持っても行使しない」「威嚇しない」「戦闘地域には行かない」「行っても攻撃しない」と言い張ってもいずれ無駄ですな。

 同盟だもの。同盟国が「戦争するかもしれない前提で行動開始するからな」と言ってきたら「そうですか、どうぞ」で済まされるわけはない。彼方の大将がオバマさんのように「我が国は世界の警察ではない」「核兵器を世界から無くそう」「イエスウィキャン」とニヘラ笑ってノーベル平和賞貰っちゃうさわやか平和主義者なうちはいいけど、今度のヤッコさんみたいな挑発上等、そっちがその気ならこっちから行くゼというジャイアン系の武闘派トップに代わったら、「ウチは武力ないので」「自衛隊あるけど先に向こうが撃ってきてからじゃないと」では済まされない。「そういうわけでウチからは先制できないので、撃たれそうになったら守ってね」となると、筋が通らないどころか、同盟という名のタカリ、寄生だろうと言われても仕方のない話。

 戦争の永久放棄、武力非保持、交戦権の否定をうたった現行第九条は日本が世界に誇れる平和憲法ですが、国の武力というものは一国が幾ら胸を張って「持ちません」と言っても他の諸国に「立派な考えだね、偉いね、でもウチは持つから」「行使もするから」と言われればお手上げなわけです。

 月河は第九条の条文を読むたび、宇野千代さんの小説『おはん』を原作にした市川崑監督の映画(1984年)を思い出します。

 これは、ざっくり言ってしまうと石坂浩二さんが本妻吉永小百合さんと愛人大原麗子さんとの間でふらふらするという、故・大橋巨泉さんなら「ヘーちゃんこのヤロ―」とばっさりいって終了なような映画なのですが、最後のほうで麗子さん扮する手練れの芸者おかよが誰にともなく宣言のように言い放つ「男のいらんおひとは どこの國なと行たらええ あては男がいるのや、男が欲しいのや」という台詞があります。ほぼ一字一句原作通りです。

 最終的に正妻おはんは身を引いて何処へともなく姿を消してしまうのですが、愛人の芸者おかよは”奥さんに悪いから”なんてことはつゆほども考えません。自分には男が要るのです。武力は持つのです。持って必要とあらばいつでも空母発進するのです。ここぞと撃ち放ち殺戮し焼け野原にするのです。「要らん」「持たん」と日本がいくら言い張っても、持つ国は持ち続けるし行使し続けます。いちばん持つ国、行使したい国と日本は同盟なのです。

 足柄さんと五月雨ちゃん・・じゃなくて護衛艦”あしがら”も”さみだれ”も、ステッキガールならぬ護衛たる以上は重火器の一つや二つや三つ装備しているはずで、空母打撃群にどこからか砲弾が飛んで来たら応戦ぐらいするはずです。「飛んで来るまでは手を出さないから」でアメリカは了解してくれるでしょうか。安倍総理が「あの時OB見逃してあげたじゃない」とか言っても「オルタナティヴ・ファクトだ」って蹴られるに決まっている。

 もう認めたらどうか。現行憲法九条と、アメリカ合衆国との同盟は両立しません。両立させているように見えても、別々の方向を向いてるものを無理やり一点で、ご飯粒か何かで接着させているだけです。九条を何としても守ろうというなら、アメリカともどこの国とも同盟しない、誰も守ってくれない状態で「武力持たない」を貫く肝っ玉と気概が日本人にあるかどうか、そこを問うてからにした方がいいと思います。

 年に一回の憲法記念日なので考えました。明日から向こう一年は考えません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする