イエローフローライトを探して

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本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ズンゾウきらり

2013-05-06 01:01:12 | 朝ドラマ

 『あまちゃん』の驀進につい影が薄くなりがちだけれど、朝のBSプレミアムのひとつ前の枠『純情きらり』もなかなかいいですよ。本放送は20064月~9月、すがすがしいまでに朝ドラと縁のなかった時期なのでもちろん初見。

 ヒロイン宮﨑あおいさん当時20歳。朝ドラ恒例のオーディション選抜ではなく、すでに女優として確たる実績あってのオファーキャスティングですが、劇場映画中心のキャリアだったので、お茶の間レベルで国民的女優認定されたのはここからでしょうね。ここから2年後の大河『篤姫』へとつながっていった。

 
イヌ顔ネコ顔、キツネ顔タヌキ顔と言うより、宮﨑さんは“ウサギ顔”ですね。褒め言葉になってるかどうかわからないけど、「美人じゃないけどかわいい顔」の教科書的作品。演じる桜子ちゃんも、しっかりきっちりの長姉・笛子(寺島しのぶさん)と従順でつつましい次姉・杏子(ももこ。井川遥さん)の下で、活発自由人の女学生ですが、やはりNHKヒロイン、男勝りとかはみ出しアウトロー性はあまりなく、結構イジイジちゃんで、可愛げがある。しかも昭和3年に8歳、9年後の昭和12年に17歳と、ドンズバ“ド戦中”“ド戦後”適齢期直撃世代。朝ドラの時代設定としていちばんハズレのないところに立地されていて、当然相手役候補の、大手八丁味噌屋の跡取りお坊ちゃま(福士誠治さん)も、元いじめっ子ガキ大将、いまは気のいい若手醸造職人(井坂俊哉さん)も出征好適世代ですから、もう盛り上がらないほうがおかしい。

 
(『あまちゃん』が並行放送進行中ですが、こうして見ると『純と愛』にしろ『てっぱん』『ウェルかめ』にしろ、現代もの朝ドラは苦戦する道理ですね。ヒロイン成長ものという点では大差なくても、戦争を挟んでさえいれば、ありがち女子のありがち人生行路をダダ語りするだけで普通に起承転結ついてしまう。

現代ものだと、とにかくべたーーっと平和で、ヒロインの人生を変転させずにおかない、誰もが共感する普遍的な“歴史の荒波”というものがありませんから、実親と生き別れとか勘当とか、難病もしくはトラウマとか、人物固有の事情、“仕掛け”を作為的に張っつけて進めなければならないので、「感情移入できない」「応援できない」というブーイングが往々にして出ることになる。
 

快調『あまちゃん』にしても、実は20087月時制で物語がスタートしているため、北三陸「あぁアキ(能年玲奈さん)の愛する海も浜も28ヶ月後には…」という観客の“共通予知”=登場人物の誰もまだ知る由もないけれど観客だけは全員熟知している悲劇の予感が根底のところにどすーんと鎮座しているわけです。
 

脚本宮藤官九郎さん流の乾いた、意識的にズレたドタバタ笑いの連打また連打が「何かしらける」「しっとり情感が無い」と拒否されずに観客を乗せ続けていられるのは、この“共有できる悲哀予知”が大きく貢献していると思う。まだ洋ものクラシックをピアノで弾いて音楽学校を夢見ていられた昭和13年の桜子を見る痛みと同じものを、2008年の北三陸で「海さ潜りてぇ~!はやぐ来年の夏になれ~~!」と叫ぶアキに、観客は感じることができる。“戦中・戦後を挟んだヒロイン苦難の成長記”という朝ドラの王道構図を、震災という禁じ手モチーフの援用で現代ものに見事に“移築”した、実はきわめて巧緻な作品が『あまちゃん』なのです。余談ね)
 

『きらり』に戻ると、宮﨑さん起用にひとつ難点があるとすれば、タイプとしてあまり“音楽傾倒少女”に見えないことぐらいか。ピアノ実演奏シーンが付け焼刃くさいとかそういう意味ではなく、音楽、それもアメリカ発のジャズに夢中になる顔ではないような。どう見ても白樺派的な文学少女か、チェーホフ系の演劇少女の雰囲気なんですよね。
 

対して、おとなしい杏子姉ちゃんの井川遥さんはとてもおさまりがいい。本当は気乗りのしない、エゴい資産家子息との縁組を、弟妹たちの進学費用のために応諾して、案の定女中扱いでこき使われ、夫からはDVされまくるという、現代の女性視聴者から見ると「ほら見たことか」「どうにかしろよ」と言いたくなるじれったい役どころなのですが、井川さんの芸風というか存在感というか、起伏が明確に出ないほのか~な感じの芝居が見事にはまっている。
 

メリハリがバチッと効いて風圧のある、ザ・役者!な演技力が必要な役って、実はドラマの中にそんなには無いのですよね。井川さんのように、なんとなくそこにいてなんとなくその時々の状況に反応しているような、ふわっとした存在感だけ出していてくれたほうが役として活きる、たとえば杏子姉ちゃんのような役が結構あるもの 。言葉は悪いですが井川さんの演技が頼りなければ頼りないほど、見てるほうとしては素直に「杏子頑張って」「もっと強腰でホレ」と肩入れすることができる。
 

反対に、長女としての責任感が強すぎて背負い込み性の笛子役は、いささか紋切り型のうざキャラで、すでに『剣客商売』シリーズなどで剛な女子を当たり役にしている寺島しのぶさんには役不足気味か。今後笛子さんには生涯のパートナーとなる重要人物との出会いが待っているようなので、先の展開に期待ですな。
 

2週から家計補助のための下宿人として登場した師範学校教師の斉藤直道先生役が劇団ひとりさんなのにはちょっと、いやかなり、文句がある。こういう、コメディリリーフでもなんでもない、笑いを必須とされない役どころになぜわざわざ芸人を持ってくるかなあ。ここ一点で一気に全体が安くなっているのです。
 

なぜ飄々と浮世離れした学者肌を得意とする、宮﨑あおいさんと釣り合うような釣り合わないような、微妙な持ち味の二枚目半専業俳優さんを探さないのでしょう。そこそこの認知度のパドックに、いくらでもいるでしょうに。

2006年当時のひとりさんはすでに小説も売れて、“お笑いだけではないお利口さん系で、絵ヅラもきれいめのマルチタレント”として、NHK的に安定株だったのでしょうが、「人気(?)芸人を出せば、日ごろバラエティしか見ない層も食いついてくれる」と本気で思っていたのだとしたら、局の看板枠のドラマ制作者としてあまりにプライドが無さすぎるし、そもそもひとりさんがお笑い畑の中でそんなに集客力のあるタマだったとも思えない。ひとりさんが、ちょっとずれてて世知に疎いが気の優しい先生役を、演技的に格段の無理はなく無難にこなしているためにますます「何故この人でないといけなかった?」と引っかかってしまう。
 

まぁ本放送から何年も経ってから、“完成品”として、流通済みのウラ話やネタバレも込みで、ある程度突き放して視聴するのと、リアルタイムで、ホン書いて撮って編集して出しのほやほやにああだこうだとナマでリアクションしながら賞味するのとでは“ライヴ感”という決定的な差がありますからね。いま醒めた目で眺めるといただけないところや噴飯ものなところも、2006年春当時の世相ではそれなりにウケていたのかもしれません。 

 

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2 コメント

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卓見ですね (ヤキウ)
2013-05-06 14:48:10
卓見ですね

「あまちゃん」は、視聴者を「木更津キャッツアイ」のぶっさんの位置に立たせようとしているのでは…
返信する
>>ヤキウ様 (月河たびと)
2013-05-11 00:09:27
>>ヤキウ様

 コメありがとうございます。
 宮藤さんの他作品をちゃんと視聴したことがないのですが、『あまちゃん』の“おもしろうてやがてかなしき”味わいは、『砂の器』や『白い巨塔』『人間の証明』等、結末のわかっている古典的有名原作のドラマの視聴感にも、一抹近いかもしれません。

またお立ち寄り下さい。。。
 
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