イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

間違いはあの時生まれた

2012-01-29 01:19:40 | 朝ドラマ

旧聞に属するにもほどがありますが、男性側からの告白フレーズとして「好いとった」って、いいと思いませんか。ほとんど反則だと思いませんか。長崎弁(@『カーネーション』1691話=121日)。周防さん(綾野剛さん)。

何事も前へ前へ、先んじて先んじて、自力突破主義の糸子(尾野真千子さん)からの「好きでした、ほんなけ(=それだけ)です」の告白をまず受けてやおら、というのも男として、据え膳ウマー過ぎてズルいけど、「オレも好きでした」「ワシも好きやった」より、かなり来ますよ。何と言うか、ほわらかズシン、という感触。ほどほどに古めかしいのがいいし、「好き(だ)」という形容動詞でなく、「好く」という動詞になっているのが格別なんですよね。状態でなく動作。気分よりアクション。

「男から告白するときは、ドコ出身者がドコで告白しても、全員長崎弁でなければならない」という法律を作るべきだね。国会で通ったら、かなり晩婚化少子化の流れも食い止められるのではあるまいか。まず対・女性で“打率”が飛躍的にアップすると思います。男が女に惚れるなんちゅうプリミティヴな感情は、古くさく不器用に表現してくれたほうがいいんですよね。今週(第17週)は奈津(栗山千明さん)に惚れた中年紳士桜井(ラサール石井さん)の“風鈴アタック”ってのも見せてもらえました。♪風鈴買いに行こう。中央林間の商店街に作務衣で買いに行こう。大家請求しない大家請求しない。かつはにかんでる。懐かしいな『どれみふぁワンダーランド』。英語に聞こえる日本語の歌。

長崎弁、あるいはもすこし緩めて九州弁の告白って、受けたことがあっただろうか。その昔、月河に告白しようという剛の者も、まるっきしいなかったわけではないのですが、と言うかまぁ正直なとこ、ほとんどいなかったのではありますが、出身地の“西限”は静岡ぐらいだったような。分布図つくれるほどサンプル数は無いけど、どうも西日本方面の人とはご縁がない気が。そういう雰囲気にならないのでしょうな。特に大阪近辺の人は普通に話しっぷりがおもしろいので、負けないでおもしろくしようと月河もツッコみやら振りやらがんばるもんだから、いつの間にか告白どころじゃないテンションになってしまう。

今後、告白したい長崎弁の長崎出身者、期限を定めずに募集しときましょう。一生にいっぺんぐらい言われてみたいやね「好いとった」。

初めての抱擁、見いちゃった見いちゃったの北村(ほっしゃん。)の男の嫉妬がからんだ流言で失職した周防を、組合長(近藤正臣さん)の進言で雇い入れ、見交わす目と目で静かに愛を確かめ合う日々も、人のクチに戸は立てられず「妻子持ちを囲っている」噂が町内をかけめぐり糸子は一転窮地に。以前の記事でも書いた様にNHK朝ドラは“家族”と“勤労”と“地域社会”の三本柱価値観で成り立つ世界ですから、“家族”“地域社会(=ご近所)”をまるごと敵にまわしたヒロインが、“勤労(洋服作りの技能才能と、店の盛業という事実)”だけで逆転突破なるか?という、言わば「朝ドラヒロインが(“家族”と最も相容れないところの)恋愛に本気になったらこうなりますよ」を敢えて、朝っぱらから白日のもとに提示する、なかなかチャレンジングな展開となった第17週の『カーネーション』

しかも、相手の周防は自分の“家族”を傷つけ、糸子自身は縫い子や帳場(六角精児さん)ら雇い人の肩身をも狭くさせているという点で、唯一の武器“勤労”もくすませ気味。意地でも“家族”“地域”と融和しないぞという、根性入れて減点ロードを進む“恋愛”です。

家族の中でも最強である“子供たち”が大人家族、大人ご近所さんたちを向こうに回して糸子の味方をしてくれた(96話・127日)おかげで、糸子は負けるよりつらい“局地戦勝利”をおさめたのですが、その際糸子のクチから「申し訳ないと思てます」「犯している罪の重さ」という言葉が出たのは、当初ちょっと意外でした。「人の噂がどうだろうと、うちは周防さんと疚しいことは何ひとつありません」と言うかと思ったけれど。

しかし思い出すべきは、93話(24日)に、糸子が組合でばったり周防と出くわしたさらに後日、電話での呼び出しで珈琲店太鼓で再会した場面です。失職のため慣れぬ日雇い現場仕事に就いていた周防は足の骨にヒビが入る負傷で松葉杖持ちでした。

このときだけ周防をケガ人にしたのは、負傷=日雇い仕事も無理=糸子の店に雇ってもらうしかない、という状況を作るためだけではありませんでした。松葉杖は、図像的にステッキや刀剣、槍やナイフ同様、シンボルとしては“突いて使う、棒状のもの”の仲間です。まして“松葉~”が付けば、四十八手の中のアレを一瞬連想する向きもあるでしょう。

もうひとつ、珈琲店太鼓で糸子と差し向かうとき、本当に1カットしか映りませんでしたが、右足の包帯のため、周防は“例の”革靴を履くことができない状態だった。糸子にとって、あの靴を履いた周防は、妻の着せた鎧に守られているのと同様でアンタッチャブルなのです。それが、予期せぬ負傷で素肌の足の周防と会える機会が訪れた。触れることができる生身の足。糸子にとっては思い鎧戸が、たったひととき開いたのです。糸子は心中、躍り上がったでしょう。

93話の最後、帰宅して盥で自分のナマ足を洗いながら、うちは周防さんと居れるのをこの2年ずっと夢みていたんやな…としっとり感慨に浸る場面は、周防の松葉杖がこじ開けたと言っていい。“温かい湯をたたえた盥”も、“足を浸ける”行為も、“足指と足指の間の水けを拭きとる”行為も、見ようによっては非常にシンボリックなものです。

状況的に考えても、帰宅する前、糸子が、不自由な足を杖に頼る周防の背中に背を向けて、右と左に別れてきたと考えるのはむしろ不自然。周防の当地での根城である下宿であれ貸家であれ、あるいは少し別種の、屋根と床と人目を遮断できる戸のある場所であれ、付き添って、上がり框で身体に触れるような介助をしたかもしれない。実際どんなやりとりやセッションがあったにせよ、なかったにせよ、この93話以降は糸子と周防を“一線を越えたカップル”として見てくださいねというサインが、ちゃんと脚本上示されていたのです。

ひとつ前の第16週、夜の家路、父や幼なじみや夫ら愛した男性の顔を順に思い出しながら、米兵とパンパンのいちゃつきを寂しく見送る場面と併せて、要するに糸子は、朝ドラ史上たぶん初の“性欲を持ち、性器を使い性行為をするヒロイン”として堂々とプレゼンされている。別に、脱衣して一緒に布団に入り、声を出したり動いたりする場面を入れる必要はない。

期せずして帳場さんも、「よろしいわぁ~」「さすがの春太郎サマでしたわぁ~」とクネクネ、手をモミモミ。終戦後3年が過ぎようとしている頃で、そろそろ皆さん本性、本能、全面解放したい時期なのです。

“何もしないでいきなり子持ち”になったみたいなヒロインの多い朝ドラで、もちろん性愛描写もカケラもなく、それでもしっかり見ていさえすればわかるようにヒロインの身体性、肉体性を打ち出した上で、“家族”“勤労”“地域”との真っ向勝負を演出。胸のすく挑戦的な展開は、“職人、職業人としての夢と誇りを土足で踏み荒らしてはいけない”という、糸子の同じ職業人としての慮りが、“恋愛”オーバードライブを止めた…という転帰で幕を閉じることになりました。糸子の知らないところで、いちばん訳知れる長女優子ちゃん(野田琴乃さん)は周防の子供たちと対峙し複雑な思いを味わったが、糸子自身は“家族”に負けて折れたわけではない。周防を雇い続けた半年間も、売り上げは伸び続けたのだから“勤労”も鉾を収めなかった。1230日、年末の挨拶も通行人と昌ちゃん(玄覺悠子さん)がにこやかに交わしていましたから、“地域”も根性と才覚で組み伏せた。

しかし、糸子が周防のためにと善意で、好調の財力にものをいわせテーラー周防を開店させたことで、周防の表情は逆に沈んで行った。腕一本で自前の看板を揚げる職人の喜びと達成感を、周防から奪ってしまったと気づき、「うちでは周防さんを本当に幸せにはできない」と自覚して、糸子は身を引くと決めた。朝ドラヒロイン糸子の、“三本柱”相手の“恋愛”闘争は、“敗れざる撤退”で終息したのです。

もともと糸子のようなキャラの女性は、惚れた男性と深くかかわればかかわるほど“ひと肌脱ぐ、面倒見る、庇護する”というタームに変化していきがちで、本人のテンションとは別に、傍目からはどんどん“恋愛らしさ”から遠ざかっていくものです。しかも、相手の周防は、糸子から「好きでした」と言われるまでは手ひとつ握らず、町内の噂がピークに達してはじめて、それも「辞めます」ではなく「辞めましょか?」と言って糸子に「そばにおって下さい」と抱きつかせるような、すべてに女に先手を取らせて言質を与えぬ“細いが屈強な筋金入りの、狡い男”で、なおかつ妻子持ち。

これでもかというくらいの非・恋愛体質なヒロインに、いやがうえにも“応援できない要素”をふんだんに添付した“恋愛”闘争ですから、この程度で決着してしまうのも仕方がないととるべきか、いやいや「意外に拮抗した好勝負だった」と見るべきか。

周防の糸子への本気の恋心、原爆症の妻への責任をどう捉えるかというのっぴきならぬ覚悟を、本人のクチからでなく、聴取した組合長からの又聞きにして糸子を涙ぐませた場面(92話・123日)で、周防のオスとしてのひそかなしたたかさを伝えた叙述法。そして周防のため準備中の紳士服店を「開店したら覗いて」と無神経に宣伝する糸子に八重子さん(田丸麻紀さん)の「ウチとこはほら、背広着るような男いてへんしな(=未亡人2代と子供たちの家に、他人の男性を引き入れるような真似はしていない)」のソフト釘刺しで、“叱ってくれる人もなく前進あるのみの糸子の、傲岸な孤独”をさらっと浮かび上がらせたりもした。これまでにも増して中身の濃い第17週でした。

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周囲を防ぐ男

2012-01-22 01:32:21 | 朝ドラマ

世の中には、画面に映らなくても、とても多くの男性がいるのに、糸子(尾野真千子さん)は何ゆえ周防さん(綾野剛さん)を好きになったのでしょうか。

ここで以前の記事に書いた「ヒロインが恋愛し出したら、朝ドラの例にもれず途端に精彩なくなった」という感想を、『カーネーション』にだけは持ちたくないので、先週来じんわりと、しかし真摯に、折りにふれ考え続けているわけです。

1.コテコテ、ガチャガチャのおっちゃんじゃない、幼時から糸子の身近にいなかったタイプで希少感、新鮮さあり。

2.憧れだった泰蔵兄ちゃん(須賀貴匡さん)をホウフツさせる、寡黙で涼しげ。

3.自分と同じ服作り職人。仕事ぶり、作り手としての思想やセンスが尊敬できる。向こうもこちらを尊敬して、そう言葉で言ってくれた。

4.戦争で多くを失ったが、失ったものを多くは語らず、前に進もうとする姿勢が共通。

5.まじめだけれども遊び心がある。長崎訛りを自覚しながら、わからながられること、アウェイ感を楽しんでいるふしも。

6.そもそも“言葉が、どうしようもなくはない程度に通じにくい、耳新しい”“異人さんの町として知られ、洋裁師の糸子にとってはリスペクタブルな土地の言葉”というのも高ポイント。

7.訛りをカバー(?)するべく宴席に三味線持参などかなり粋で遊び慣れている、というか、遊ぶ“場”にいることに慣れている。物静かにネアカ。

 …もうひとつ、周防さん個人の属性ではなく、“タイミング”というのも大きいと思うのです。気の進まなかった繊維組合の月会合に糸子が恐る恐る顔を出してみたら、たまたま自分と同じような“アウェイ感”を漂わせた人がひとり、近くの席にいた。現代の合コンでも、“員数合わせで、いちばんしぶしぶ来た”同士が、ノリノリの連中をさしおいて真っ先に雰囲気良好カップルになってしまうのはよくあることです。あのとき三浦組合長(近藤正臣さん)が周防さんを残して先に退席しなかったら、糸子と北村(ほっしゃん。)との飲みくらべは勃発しなかったかもしれないし、周防さんにおんぶで送り届けられることもなかったでしょう。いつ以来か思い出せないくらい久しぶりの、男の大きな背中が、亡きお父ちゃん(小林薫さん)との幸福な子供時代の思い出の引き出しを夢うつつに開け、「あぁ恥ずかしい」「もう二度と会いませんように」と思ったら、もうあらかた持って行かれている。

 また、タイミングというものは相手のほうにも当然あって、所帯持ちの周防さんにも、何かしらの隙があったことは否めない。自分で語ったように、ピカドンのパニックの中でも、夫の宝物の舶来革靴を持って逃げてくれる(見たところかなり大ぶりの深履きブーツで、女の手で慌ててこれを持ったら、他の物はほとんど持ち出せなかったはず)ような奥様とお子さんをお持ちなのは確からしいのですが、生活感、所帯感のなさが異常なのです。親戚の伝をたよって土地勘のない大阪に来て、いったいどこに寝泊りしてどんな所帯を構えているのか、繊維組合へにせよ糸子の店へにせよ、北村の新会社へにせよ、どんな手段で通勤しているのか、子供さんは何人いて幾つなのか、風采や挙措からいっさい窺い知れない。極端な話、「今日はこれで」と挨拶して角を曲がったら、ポッと雲霧のごとく消え失せてもおかしくないくらい。竈で煮炊きし布団を上げ下ろす所に帰って行きそうもない雰囲気なのです。

 「事情があって、家庭に関する話を意識的に避けている」と受け取るのはあまり当たっていない気がする。避ければ避けるほど、隠せば隠すほど、こういうことは言動の端々に、濃厚にバレていくものです。

 周防さんはむしろ、“家庭生活というものがそもそも存在していない”のではないでしょうか。存在しないから、話題にのぼせようがない。服装や挙措にもあらわれようがない。けなげな奥様は、身体はどうにかピカドンを生き延びたものの、あるいは通常の夫婦生活が無理な精神状態にあるのかもしれないし、見知らぬ大阪の地での生活が合わず、親戚宅にでも身を寄せ別居状態なのかもしれない。

要するに、周防さんも糸子と同じ“空っぽになった部分を持つ人”だった。半永久的にではないかもしれないけれど、人生の、そういうひとこまにある時期だった。そんな気がします。こういう同士が、同じ時間、同じ場所に居合わせた。↑↑上のほう↑↑で、じんわり真摯に考えて箇条書きしてみたけれど、タイプ的に、性格的に、能力的にどうだったこうだったと分析してもあんまり意味はなさそうで、“心の凹凸のかたち”がしっくり、惹き合うべくして惹き合ったような気がする。

だからこそ、“性格やタイプや容姿のレベルが近似した、他の誰か”を連れて来て代わりにするわけにはいかないのでしょう。親族や上司など周囲の人々が選んで見つけ出してきて、お似合いと判断して、いい相手だいい話だと盛り上げる“縁談”とは真逆の、不合理なまでの唯一無二性、これこそ恋愛というものです。

組合長、北村、周防たちと酒席をかこんだ夜の家路、「お父ちゃんが好きやった」「勘助が可愛いて仕方なかった」「泰蔵兄ちゃんに憧れとった」(少し間があって)「勝さんを大事に思とった」と、それぞれに少しずつ異なる思いを向けてきた男性たちを順に回想した後、米兵とパンパンのいちゃつきを見送る糸子が切ない。父と娘、姉貴分と弟分、擬似兄貴と擬似妹、そして家つき女房と婿養子。男と女の関わりように様々ある中で、「抱かれたい、抱いてほしい」というタームだけは、糸子は三十路半ばのこんにちまで、経験したことがなかったのです。勝さんとの間には3人の子をなしたけれども、“夫婦らしいことをする”のと「抱いてほしい」との間には、地上から仰げば指幅ほどの隣でも何億光年も離れた星同士ぐらい隔たりがあるのです。

糸子にとっては生まれて初めて「抱かれたい」と願った男性は、しかし人の旦那さまだった。欲しいものは何でも努力して、知恵を使い汗をかいて引き寄せゲットしてきた糸子が、努力でどうにもならないものを初めて欲しがった。

家に帰れば3人の娘の「ピアノこうて♪」攻撃で箪笥が埋め尽くされている糸子、いまは自分が「すおうさんこうて」と書いてどこかに貼りまくりたい心境か。しかしまあ糸子の幼い頃は、あこがれの“ドレム”が神戸のお祖母ちゃんから思いがけず送られてきたものの小さすぎて妹のものに…なんてこともありましたが、ピアノどうすんでしょうね。3人、束になってかかってきただけに。「ほれ、あんたらの好っきなピアノやで!」と卓袱台に乗るくらいのおもちゃのピアノ買って見せてドヤ顔、ぐらいかな。

ところで、画面に映らない部分は深い謎に包まれた周防さんですが、年齢だけはほぼ推定できます。周防“一”という名前からして、辰年の生まれと思われる。辰年の、特に男の子には、“龍”“竜”“辰”の字を名に持つ人が結構多いんです。有名どころでは、作家村上龍さん、作曲家坂本龍一さん、俳優峰竜太さんは1952年=昭和27年壬辰、俳優の鶴見辰吾さんは1969年=昭和34年甲辰。遡ると1928年=昭和3年戊辰にはフランス文学者澁澤龍彦さん、俳優金田龍之介さん、『太陽にほえろ!』のチョーさんでおなじみだった下川辰平さんも生まれておられます。

我らが(誰らがだ)周防さんが設定1913年=大正2年生まれの糸子から見て、恋愛対象になり得るゾーンの辰年生まれとすると、1916年=大正5年丙辰か、もうひと回り遡って1904年=明治37年甲辰。後者だと、糸子より9歳上で、初めて会った月会合の昭和21年にすでに41歳だったことになり、いくらなんでも若く見え過ぎですから、やはり前者でしょうな。初出会い時30歳。お誕生日が来ていなければ29歳だったかもしれない。演じる綾野剛さんの実年齢ともしっくりマッチ。月河としてはこちらでいきましょう。糸ちゃんの3個下。きゃあー(←千代さんか)、“イケナイコト”感が増して、なんかムラムラしてきませんか。

……もっとも、龍や竜や辰の字がついてても、辰年にかすりもしない人も大勢いることはいます。ジャイアンツの原辰徳監督は1958年戌年、ミュージシャン石井竜也さんは1959年亥年、『特捜戦隊デカレンジャー』デカレッド載寧龍二さんは1981年酉年、『美味(デリシャス)學院』のイタリアン・河合龍之介さんも1983年亥年。坂本龍馬は1836年=天保7年丙申の生まれぜよ。

………なんだ、結局考え過ぎで、見当違いか。周防さんナニ年なんだ。糸子の大正2年が丑(うし)年だから、せめて鶏口となるも牛後となる勿れ。心配するところが違っちゃったな。

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望み叶え玉枝

2012-01-21 01:09:09 | 朝ドラマ

「言いない。」のきっぱりと、殺気さえ漂わせた遮り方からすると玉枝さん(濱田マリさん)は相当、泥水のんでますな(@『カーネーション』16日放送=第86話)。

 自分は体を売った女だから、もうオモテの世界では生きられないと言う奈津(栗山千明)の唇に指を当て「金輪際言いない」、思えば玉枝さんは、童顔若声であまりそう見えませんが、髪結いの細腕で泰蔵(須賀貴匡さん)・勘助(尾上寛之さん)、二人の息子を育て上げて来た根性と辛抱の人です。

勘助(尾上寛之さん)が最初の召集時へこんで「父ちゃんも青島(チンタオ)で赤痢で死んだわし」と糸子(尾野真千子さん)に泣き言言っていましたが、日英同盟に基づくドイツ領青島攻略戦は191410月~11月ですから、この最中か直後に死んだとするなら、大正2年=1913年生まれの糸子と同級生の勘助はまだ満1歳になったかならないか。泰蔵兄ちゃんがやっと4歳か5歳ぐらいでしょう。こんな幼い子らを抱えて、手に職有りとは言え若かったであろう玉枝さんはたいへんな苦労をしたに違いありません。子らに満足に食べさせられるだけ稼ぐ自体が大仕事だし、女ひとりとなれば良からぬ誘惑も多かったでしょう。結髪美容業だけに、苦界に身を沈める女性も多く見てきたでしょうし、彼女らが舐める苦汁も他人事ではなかったはず。女にとっての“オモテ”と“ウラ”もしくは“闇”の世界、そこに横たわる深い淵をイヤというほど熟知しているからこその奈津への「金輪際言いない」だったのだろうと思います。

 必死に育ててやっと一人前にした息子が二人とも戦争に取られて死んでしまい沈鬱のどん底にあった玉枝さんでしたが、八重子さん(田丸麻紀さん)に「糸ちゃんに仕事用の服作ってもらい」と言ったとき、もう大丈夫!と思いました。糸子が「奈津を助けてほしい」と手をついてくれたことでわだかまりが晴れた、と言うより、玉枝さん自身、誰かを助け、役に立てる、自分の出番を待っていたようでもありました。玉枝おばちゃんが「糸ちゃん」と呼んだらもう安心です。

奈津もめぐりめぐって初恋の泰蔵兄ちゃんの遺影のそばで働き、泰蔵兄ちゃんの家を自分の帰る場所にすることができた。太郎くん(倉本発さん)以下3人、泰蔵兄ちゃんの遺児たちの成長も間近で見守れる。夜逃げの後亡くなったと思われるお母ちゃんの小さな骨壷があばら家にありましたが、これで地元岸和田に埋葬することもかなうのではないでしょうか。黒眼鏡の人買いに拾われて、顔見知りの多い地元でのパンパン稼業は、跡取り娘の自負の強かった奈津にはどれだけ耐えがたかったかと思いますが、せめてお母ちゃんの骨だけは岸和田の土に帰してやりたかったのでしょう。

晴れて“安岡美容室”の看板のかかった日、リニューアルの功労者である糸子の手を玉枝さん八重子さんとともに「入り!」と引いて記念撮影に加わらせる姿は、女学校時代からの本領発揮を思わせました。若女将時代はパリ!シャキ!ポンポン!ときっつい感じだったけど、一度底辺を舐めたことでしっとりと、月影のような憂いのあるいいオンナになりましたなあ。手を使う仕事で袖口が邪魔にならない、糸子製の五分袖白衣ユニホもよく似合う。めっきりお父ちゃん=泰蔵さんに似てきた太郎くんも眩しそうです。

ヒロイン糸子のメインロードに比べると、奈津のパートは実在人物の実人生モデルがないぶん、なんだか昼帯ドラマのような浮沈テイストになっていますが、与えられた環境で精一杯まじめに生きてきたのに、戦争に振り回されて奈津にやや近い人生迷走を経験した女性は多かったことでしょう。奈津が近くで奈津なりに頑張ってくれることで糸子の、糸子フィールドでの頑張りも輝きを増す。期せずして、ともに女性を美しくするお仕事です。小学生坊主の頃から、「色の白いほうが別嬪さんに見える」「料理屋の女将は別嬪さんやないと」と日傘を手放さなかった奈津の努力も、回り回って無駄にはならなかったわけです。

いつか糸子と奈津が、女学校時代のようにああでもないこうでもないと言い合いながら、髪型とドレス、一緒にモードをデザインするような場面があると楽しいですね。

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ちょっと何言ってるかわかんない

2012-01-14 00:47:38 | 朝ドラマ

そんな、糸子(尾野真千子さん)が「……え゛?」顔でポカーンとなるほど、通じなくはないと思うんですけどね、周防さん(綾野剛さん)の長崎弁(@『カーネーション』

「バッテン、ピカデ、ミセデンイエデンヤケシモタケェ」「フンサ、ホイナコテネェ、ソイバッテン」と一気につぶやかれると戸惑うかもしれないけど、その後の「長崎弁はワカリニクカですか?」が通じるから、全然OKじゃないですかね。繊維組合長さん(近藤正臣さん)にも、千代さん(麻生祐未さん)にまで「何言うてるのかさっぱりわからへん」と言われるとは。サンドウィッチマン伊達ちゃんになったような気がするのではないか周防さん。

まあ、訛りがあっても、なかったとしても、あまり立て板に水と喋るタイプではなさそうな周防さん。だから宴席で間がもつように三味線を持ち歩いているのね。別に高杉晋作に心酔しているわけではないのだ(どんな狭い高杉だ)。

ただ、劇中の昭和21年当時、糸子の地元・岸和田をはじめ地方都市では、かろうじて東京発の標準語のラジオ放送が受信できる程度で、“音声で耳に入る、地元以外の方言”に接する機会がほとんど無かったということは考慮すべきかもしれません。まだ放送媒体、マスメディアの時代ではないし、地方出身者が積極的に(或いは泣く泣く)離郷就職し、都会が各地方言のルツボになる高度経済成長時代にも足を踏み入れていない。戦後1年足らずで旅客交通機関も混乱していたはずで、地元育ち、地元汁(じる)のしみこんでいない、まったく遠く離れた地方の言葉を普通に話す人と会話する機会はいまよりずっと少なかったでしょう。出身地の遠い人と初対面のときは、軽いカルチャーショックを皆おぼえていたのではないでしょうか。

北国産の月河も、南国九州出身の、ナチュラルに九州弁が出る人とナマで会話する機会を持てたのは東京に引っ越してからです。それまでは、九州弁と言われる言葉の片鱗を教えてくれたのは、漫画アニメ『巨人の星』の左門豊作だけ。「どげんしよっとかですか」「~しとってほしかですたい」とかなんとか、御御御付(おみおつけ)みたいな、「馬から落ちて落馬した」かのような、重ね着した九州弁。豊作にいちゃんは熊本設定でしたが、実際のところどうなんでしょうね。九州でも、北の博多と南の薩摩じゃ小さからぬ違いがありそうで、宮崎でも皆が皆「どげんかせんといかん」とか言ってるわけでもないでしょう。

周防さんは長崎。長崎出身のいい男というと、月河は速攻『百獣戦隊ガオレンジャー』のガオレッド走(かける)先生・金子昇さんを思い浮かべますが、同じスーパーヒーロータイムから『仮面ライダー555(ファイズ)』出身の綾野剛さんが来ましたな。スパイダーオルフェノク澤田。髪型、て言うか頭部が、散髪直後の優子ちゃん(花田優里音さん)みたいだった。人間体の澤田はいつもDJ風のキャップを目深にかぶってでかいヘッドホンを着け危ない感じでしたが、綾野さんも今年満30歳。2003年の555で覇を競った他のヒーロー・ダークヒーロー俳優さんの誰よりも“翳りを帯び青さも残した、渋い寡黙な大人”の似合う俳優さんになって帰ってきてくれました。

オランダ通商の歴史と異人さんの町・長崎で紳士服職人をしていたのに、原爆で家も店もなくなり、どうにか妻子ともども命は無事だったものの、職場に窮して親戚の伝を頼り岸和田にやってきたという周防さん、岸和田も紳士服の店はまだどこも再開しておらず、やむなく繊維組合長三浦さんの鞄持ちに雇われていましたが、糸子の店から引き合いがもらえて、ようやく久しぶりに背広を仕立てる仕事ができてほのかに嬉しそうです。

地元・岸和田大好き、家族大好きで、善作お父ちゃん(小林薫さん)が築いてくれた近隣お馴染みさんの人脈と、持ち前の土地勘の中で修業し仕事をしてきた糸子、“地元産”でない人と仕事上の接点を持つのは、東京から来たミシン教室の根岸先生(財前直見さん)以来です。

戦争で疲弊し元気を無くした女の人らのためにとにかく服を縫いたいと、闇市にかよい詰めてやっと見つけた水玉模様の生地、さまざまなバリエーションのドレス。周防さんは「格好よかし、綺麗か」と褒めてくれました。周防さんもピカドンで故郷を焼き尽くされて、悲しく悔しいその日暮らしに希望を失いかけていた一人です。自分の作った服が、男の人にも元気を与えていた。しかもその男の人は、亡くなった婿の勝さん(駿河太郎さん)と同じ、服作りを専門とする職人同士。馴染みの女性客たちに褒められ、笑顔で感謝されるのとは違った深い喜びで、糸子の心は満たされたに違いありません。

紳士服屋さんらしく、ペールでグレイッシュな、でもやわらかい暖かみのトーンでまとめた、シボのある夏素材シャツとベストの組み合わせがお似合いの周防さんは、地元に根をおろし働き詰めだった糸ちゃんに、新しい地平を臨ませてくれそうですが、長崎被爆経験者という、なんとなく薄命そうな属性が気になります。お気に入りの舶来革靴を、ピカの中から運び出して逃げてくれたというけなげな奥さんもおられるようだし、糸子にはいずれ切ないお別れも待っているのかも。長く暗かった戦争が終わったばかりだし、もう糸子の大切な人との永訣は見たくない気もしますが、人生ってそういうことの積み重ねですしね。

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サトイモ

2012-01-12 01:13:58 | 朝ドラマ

丁寧に描き込み映像作り込むところは込むけど、ばっさりいくところは痛快に切って飛ばしますなあ、『カーネーション』は。先週(第14週)、焼け跡も生々しい昭和2010月の東京へ、生地買い付け出張(←仕入れ資金浮浪児に盗まれて無駄足)からヘロヘロで帰ってきた糸子(尾野真千子さん)に「お母ちゃーん!」と抱きついてきた長女優子ちゃんと次女直子ちゃんでしたが、週を跨いだ9日(月)、「来年はもっといい年になりますように」と同年暮れ、やっと戦争の影のない年越し蕎麦を家族で囲むときには子役さんが一段“成長版”に交代していました。

「うちはもうあきません~ウッ」の戦時小芝居と、おかっぱに髪切られて「こんなん絶対イヤや!」と逃げ回ってた(でも木岡履物店での言伝はちゃんとお母ちゃんに伝えに帰ってきた)姿が印象的な優子ちゃんは花田優里音さんから野田琴乃さんに、「うちもだんじり曳きたい!」とわっせわっせ準備運動して本当に曳いちゃった直子ちゃんは心花さんから、子供糸子役の快演も記憶に新しい二宮星さんに。

 場面変わって同じ年越しの髪結ひ安岡家でも、泰蔵兄ちゃん(須賀貴匡さん)の遺児たち太郎・次郎・三郎くんが一斉に“脱皮”。いやね、幼稚園や小学校の子供って、ちょっと見ないと3ヶ月か半年ぐらいでびっくりするほど身長も顔つきも成長していたりは普通にありますが、まとめて一気呵成に大胆にリニューアルしましたな。劇中時間、正味のところ2ヶ月ちょいですからね。“年明けてから”ではなく、「今年ここまで、大勢の大切な人たちが亡くなり、疎開したり帰ってきたりいろいろあった、来年こそいい年に」の段階で、『紅白音楽試合』をラジオBGMに子供たち成長版へ…というところが『カーネーション』らしい。

 そして糸子をずっと温かく見守ってくれたハルお祖母ちゃん(正司照枝さん)の永遠のさよならを、次女静子(柳生みゆさん)の晴れての花嫁姿を見送った場面でナレーションだけで伝えました。昭和21611日、静子の嫁入りのひと月後だったとのこと。画面に映った最後の姿が、糸子に支えられて2階の窓から白無垢の静子を見送る姿。窓の外からではなく座敷の入口から窓のほうをのぞんで撮ったので、“つづく”の字幕が消えた後、お祖母ちゃんが糸子の手を離れて天にふわっと飛んで行くかのようにも見えました。

 糸子が子供の頃、アッパッパを縫いたいとせがめば「布(きれ)にも肌に近いもの、遠いものがある」と教えてくれたお祖母ちゃん。善作さん(小林薫さん)が店を譲って別居してからもずっと糸子と、結婚してからは婿の勝さん(駿河太郎さん)とのそばにいて家事をとりしきってくれました。

糸子と勝がやっと寝室を共にするようになって、「お祖母ちゃんもたいがいトシやしな」「まぁええもん食べさして長生きしてもらお」と話していたのが昭和10年の年明け頃ですから、それから10年以上がんばってくれたわけです。

かしまし照枝姉さんが演じてくれたからか、特に持病もなくて丈夫そうなお年寄りに見えましたが、昭和17年暮れ、勝さんが赤紙の受け取りに判捺そうとしているのを偶然出会いがしらに見て腰が抜けたあたりから、善作失火→火傷と疥癬で寝込み→温泉旅行で客死と、家内にアクシデントがあるたびにじわじわ老け込み衰えていく(でも持ち前のオヤジばあちゃんキャラは保っている)のがよくわかりました。

「うちはこの家で死ぬんや!覚えとれよー!」と無理くりリヤカーに乗せられた疎開先では梅雨と暑さとムカデに殺されそうになりながら、縫い子トメちゃん(吉沢紗那さん)も特に親切にお世話してくれたのでしょう、終戦まで持ちこたえて無事帰宅、優子直子ら孫娘たち成長版と年越し蕎麦を囲めたし、糸子が棒に振った高級花嫁衣装を静子が着て嫁ぐのも見られたし、何よりの念願「この家で死ぬ」が叶って、思い残すことはない大往生だと思ってあげたいですね。悔いのない、寂しいけれども不幸ではない、安らかな他界の表現、窓からのやわらかい逆光と、顔の見えない四分の三後ろ姿であらわしたのはお見事でした。ハルさん、あちらへ行ったら善作さんに「親より3年も先て、早う来過ぎや」「あれからごっついしんどかったんやで」と顔見た途端に小言言うかも。

そして翌回(11日)の冒頭では同年7月。ハルさん何事もなかったかのように遺影になって仏壇に善作さん、勝さんと並び、静子が嫁いだ途端に縁談が決まったという三女清子(坂口あずささん)に手を合わされていましたね。送り出すべき人を送り出すと、重石が取れたように下も決まって行くというのが人の縁のつねではあります。

いままで黙々と糸子の店の仕事を手伝うだけに見えた妹らに恋人やら縁談やらいつの間に?と思いますが、なあに、色っぽい、娘っぽい話題に無関心、朴念仁なのは糸子だけで、それぞれちゃんとやることはやっていたのね。一生のお願いで着せてもらった水玉模様のワンピースで恋人復員を待つ静子を、店先で見守る女性陣の中の千代さん(麻生祐未さん)の表情でだいたいわかりました。たぶん妹娘たちからそっちの話や報告を聞かされるたびに「ひゃ~」「いやぁ~」とクネクネ笑いが止まらなかったのだろうな。ドラマ内で正面切って“妹らの恋バナ、縁談”エピが取り上げられなかったのは、“視点”であるところの糸子がひたすらそっち方面に“ドンカンちん”だからなのでした。

あと残るは四女光子(杉岡詩織さん)だけか。静子が「うちももう30(歳)や」と言っていましたから、あまり年齢差のない姉妹だったし末妹も256歳にはなっている可能性が高い。終戦後間もなく来店してくれた元・踊り子のサエ(黒谷友香さん)によれば「若い男が戻って来てる」そうですが、光っちゃんと似合いの男子って、誰か登場したかな。今度は少しはアンテナ持てよ糸子。

ヒロインの青春~キャリア進水期を支えた人たちが続々退場。これからは戦後の右肩上がり日本で本格的な洋裁業、デザイン業の看板持ちとして乗り出して行く糸子、新しい出会いのタネも11日(水)にはたくさん撒かれました。丹念に高密度に描いたら描いたことで、ばっさりいったらいったことによってさらに情報量、行間イメージ喚起量が増す『カーネーション』、満開へ、ますます快調です。

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