イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

畏(かしこ)まり

2017-11-29 15:51:28 | スポーツ

 今般の大相撲横綱暴行傷害事件と、まつわって取り沙汰されてきた話題あれこれ、大勢が納得する着地になるかどうかは今日(11月29日)現在未だわかりませんが、思うのは「昭和天皇が御存命の間でなくてよかった」

 昭和天皇は本当に心底好角家で、国技館の桟敷席に香淳皇后と並んで天覧されているお姿がよく似合っておられました。昭和の陛下が今日の、モンゴル勢上位独占の大相撲界をご覧になったらどう思われたか。ちょっと手元で調べてみたら、昭和30年(1955年)から開腹手術を受けられた昭和62年(1987年)まではほぼ毎年国技館で観戦されていたそうです。昭和62年の大相撲では、年6場所のうち3場所は横綱千代の富士が優勝、2場所は北勝海(ほくとうみ=現在の八角親方)が優勝して、もう1場所は大乃国(=現在の芝田山“スイーツ”親方)が大関として優勝し、次の場所の後、横綱になっています。もちろん全員日本人。前の年(=昭和61年)に横綱になった双羽黒が一度も優勝なく引退なんてこともありましたが、のちに横綱二人を輩出するハワイ勢では、草分けの小錦が名古屋場所で大関昇進している段階で、のちの“日本出身力士10年間優勝なし”“日本人横綱14年間不在”なんて事態は誰も予想していませんでした。

 それでも、昭和天皇のお人柄から推して、外国人がぞろぞろ上位独占という状況を目の前にしたらしたで、日本人力士の奮起を願いつつも外国人大関や横綱の強さは、それなりに楽しんでリスペクトして下さったのではないかとも思うのです。機会があれば土俵の外で面会して祝福や激励のお言葉を下さったりして、モンゴル人力士の皆さんも「日本のエンペラーに謁見の栄誉を賜ったよオイ」「改めて大相撲って日本では凄いんだな」「エンペラーも注目されている中で優勝とかしちゃったオレどうしよう」と緊張感をもって、その後の素行や言動も変わってきたかもしれない。

 やっぱり、“畏れ多い存在”があり、折に触れてその存在を意識することって人間、芯の所で大事なことじゃないかと思う。特に若く、血気盛んで、腕っぷし身体能力が人並外れて強力であることを自任する格闘戦士たちなんかは、“神”的存在、神聖なるものには、意外に滅法弱いはずです。

 報道されているように相撲協会の中に各部屋がありそれぞれに師匠=親方が統括しているほかに、“モンゴル人力士会”なるサブシステムが水面下で存在していて、親方も協会もアンダーコントロールにできない、ほとんどアンタッチャブルな上下関係や横のつながりや阿吽の呼吸がある(らしい)現況は、「日本古来の最も“神”に近い存在=エンペラーが大相撲を常にウォッチしていて、オレらはその大相撲の一員」という意識が彼らモンゴルの皆さんにあればかなり避けられたのではないでしょうか。

 故・昭和天皇がお元気だったらば、戦前の現人神時代から戦争~占領時代を経て人間宣言に至る波乱万丈の人生経験を生き抜いて鍛え上げられたいぶし銀のようなキャラと、自然や植物を愛するナチュラルなお人柄のオーラで、無駄に権威ぶることもなく、部屋制度や公益法人なんちゅう後付けの括りを超越した、大相撲界の精神的な心棒となり、後ろ盾となってくださったような気がします。

 平成にかわってからも今上天皇と皇后両陛下が、昭和天皇の御遺志を継ぐように、相撲協会に不祥事が相次いだ時期と陛下御療養中の期間を除いてほぼ毎年一回は観戦にお越しになっていますが、むしろ内親王愛子さまのほうが大相撲好きだったのではないでしょうか。平成18年(2006年)9月秋場所、当時の北の湖理事長を先導案内役に、桟敷から身を乗り出すようにして満面の笑顔の内親王のお姿はご記憶のかたが多いと思います。この年に幼稚園に入園されたばかりで、よくまああの大きな、入道雲のような理事長を目の前にして泣きもビビりもしなかったもんだなあ、将来の女帝もじゅうぶんいけるじゃないかと、月河も高齢家族らと話しどこかに書きもした記憶があります。

 幕内力士全員の四股名のみならず、本名もフルネームで諳んじているとお父上の皇太子殿下も脱帽されていた愛子さま、とりわけ朝青龍関の大ファンだったそうですが、その横綱は本場所中の民間人暴行で引責引退してもう7年、母国で大実業家となり、莫大な資金力を背景にモンゴル政府特使の要職にも就いています。昭和天皇亡きあとどころか、平成13年生まれの愛子さまが幼稚園から高等部2年になるまでの間にすら、これだけの激変があったのです。

 最近はツイッターで結構な毒も吐いているようで。まさかと思いますが愛子さまはチェックしておられるかしら。就学前の時期に夢中になったゲームとかアイドルとか遊びモノって、思春期頃になると「そんなの誰か別の子の話でしょ」ぐらい興味なくなることが多いですが、できれば内親王にもうまいこと卒業しててもらいたいなと思います、こればっかりは。

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Lunatic

2017-11-26 20:16:08 | 海外ドラマ

 ・・・・・ま、それはさておき『ルビーの指輪』(BS12、月~金16:00~)次回が待ち遠しい事に変わりはない。これ、韓ドラの王道“全てを奪われた者が奪った者から奪い返して地に落とす”復讐譚の形を借りて、“外見”“アイデンティティ”との乖離←→統合という問題も切り取っている、ひそかに野心作です。

 ルビーの“外見”とともにキャリア、地位、婚約者も奪ったルナですが、ルビー本人が内蔵している能力や経験は奪えませんから、周囲の人々にルビーとして遇され、ルビーならできて当たり前の仕事を期待されることに耐えられず、「人が変わったようだ」とみるみる評価が下がって、ピンチになると気絶したフリで乗り切るしかありません。一方、昏睡状態から覚醒するとルナにされていた本物のルビーのほうは、或るきっかけで自分は本当はルビーなのに・・とここに至るまでの記憶を取り戻し、すべてを仕組んだルナに復讐心を燃やしていますが、持ち前の知性教養や仕事能力、愛される性格は内蔵したままですから、「ルナさんにこんな適性があったとは」「(本物ルナ時代の)悪い噂で先入観を持っていてごめんなさい」「人を引きつける魅力があってTV映えがする」と、本物ルナが死ぬほど羨んでいた評価を、今度はルナとして勝ち取って行く。

 結局、外見がいくら変わっても、人は持てる人間性の本質というか、性根(しょうね)の通りに、他人から値踏みされていくしかないのかなと思えてきます。この辺り、ドラマ的にはルビーとルナを演じる女優さんのルックスに、天と地ほどには美醜差がないのでわかりにくくなっている(ルビー役イ・ソヨンさんは前のエントリでも書いた通りお目目ぱっちりの典型的華やか美人ですが、ナチュラルなイム・ジョンウンさんのほうが好み、特に太腿が・・とかいう人も少なからずいるでしょう)けれども、ズルして自分のグレードを上げ、人も羨む境遇を得たはずのルナがひとつも安穏とできず、本来のルナ時代にもましてガツガツ、ピリピリしていて、逆にルナのレベルに突き落とされたほうのルビーが順風を受け多くのチャンスをつかみ取ろうとしているのが面白い。

 パートナーとの心理関係も複雑になります。ルビーはかねて財閥御曹司で会社の上司でもあるギョンミンと、留学帰り交際ラブラブ復活中でした。事故後、顔面形成手術で容貌ごとルビーになりすましたルナと、ギョンミンはそれと知らずに結婚してしまいましたが(←ボンクラ)、欲深で虚栄的で猜疑心や僻み根性の強いルナの本性が、当然ながら徐々に透けて見え始め、ついには彼女が会社のマーケティング予算を横領していた事実も判明して家族からも責められて「僕が愛したルビーはどこに行ってしまったんだ」と悩んで酒に逃げる日々です。一方では、ルナとして裏方の仕事についた義妹が、昔の悪評(遊び人、狡い、ケチ、性格が悪い・・)とは裏腹に有能で気立ても良く、意外な企画力や調査力(ルビーですから)も発揮して社内コンペで優勝したりもするので、二人で打ち合せしながら、義兄の域を超えて妙な気分になったり迷い道くねくね。

 ルナのほうは、客観的に見る限り、ギョンミンに切実に片思いして片思いしてルビーから略奪したかったという感じには見えません。ルビーの外観になって、シルクのガウンでギョンミンをベッドに誘う姿に、どうも色気が匂い立たないのです(この辺り、事故前はギョンミンとお似合い光線キラキラのルビーを演じていたイ・ソヨンさんのツンケンギスギス偽物演技が巧い)。ルナにとってはギョンミンも“ルビーが所有して幸せそうにしているモノ”のひとつ、だから奪わなきゃ、という対象らしい。ギョンミンが自分を愛しがり大切にしてくれるのは、もともとの恋人ルビーの外観をして、家族からも部下からもルビーとして扱われているからにすぎず、“自分”を愛してくれているわけではないのですが、ルナはそこには疑問を抱いていない様子。

 一方、ルナになったルビーには、もともとのルナの恋人インスPDが距離を縮めてきます。インスはギョンミンとは違って、ルナの嘘を当初から知っています。かつての恋人ルナがルビーの姿になってギョンミンと結婚し、大企業の室長兼財閥後継者の嫁として権勢を誇りつつ、嘘の綻びにおびえて苛立つ姿を苦々しくも悲しく見つめる傍ら、妹の嘘に嵌まってルナとして生きることを余儀なくされたルビーに愛しさを感じていきます。ルビーが事故前の記憶を取り戻してルナに復讐心を燃やすと、「君がまた傷つくのを見ていられない」と必死に止めたりしますが、ルビーは「あなたが私を愛するのは、私がルナの顔をしているからでしょう」と言い放ちます。

 ルビーは事故までの人生で、自分の持てる才能(容姿も含めて)と努力で、ルビーとして評価され道を切り開いてきた自信があるので、逆に“呪われたルナの仮面”を被らされている限り、愛されても褒められても、本当の私としてではないという虚無感がぬぐえない。この点、自己評価が低くて、姉の物を何でも羨み妬んで奪ったり掠め取ったりを平気でする、“ルビーになりさえすれば何でもうまく行く、日の当たる人生を歩める”と思い込んでいるルナとは違う気位(きぐらい)の確かさが、ルビーを苦しめています。

 いま全62話の40話まで来ていますが、コレ、どうやったらハッピーエンドっちゅうか、腑に落ちる結末になるんだろう?といまから気がもめます。韓ドラの50話以上の長尺ものだと、ラスト4話くらいの間に、2回は余裕でドンデン返しがありますから、20話以上残ってる段階で心配してもしょうがないのですが、まずは整形入れ替わりの事実を、関係各所に知ってもらわない事には。

 んで、あ、そうだ、忘れてました。ルナがここまで根性曲がりになった原因として、中学生ぐらいのとき、母親と叔母さんの会話を立ち聞きして、“お母さんがいつもルビー姉さんより私に厳しく冷たい(気がする)のは、お母さんの本当の子でなく、別の女性から引き取られた子だから”と知ってしまったから、という伏線もあるのです。ちょっとだけ少女子役さんを使っての回想シーンもあり、同じ事をしても叱られるのは姉じゃなく自分、私にはくれないお小遣いを、姉さんにはあげてる・・と、思春期に入ったルナが不満をつのらせていたところへこの立ち聞きで、ルナにしてみれば「これでわかった」と思った事でしょうが、見ようによってはお母さんがルビーに甘いというより“気を遣ってる”ようにも見える。どっちがお母さんの実子なのか、そうでないほうは誰の子なのか、ここに韓ドラ得意の“出生の秘密”でもうひとひねり必至。整形で顔を変えるより、出生のほうがはるかに決定的な、ラスボス級の“アイデンティティの危機”ですから、絡むべくして絡んでくるはず。

 どっちにしても、いまはルナへの復讐に気を取られて平常心を失っていますが、ルビーには罪はないので、ルビーとして幸せになる”エンドにしてあげたいけれど、最愛のギョンミンに「見た目がどうでもキミはルビーだよ」と抱きしめられる・・のは、ルビーにとって、いまとなっては本意かどうか。

 すべてが露見すればルナは当然、ギョンミンの家族からは放逐され、なんなら横領詐欺で警察に引っ張られるしかないでしょうが、出生の真相も含めていま一度、ルビーとお母さんと和解する機会が持てれば少しすっきりするかなと思います。

 ただ、こういうドロい系の韓ドラって、いままでの視聴経験上、“すっきり”とはいかない終わり方が多いんですよねぇ。どうなるか・・そうだ、もうひとつ忘れてた。ルナがね、40話で、妊娠しちゃったんですよ。ひぇー。ギョンミンは財閥跡取りだしご両親からも、「昔、廃品を売って今の会社の資本金を作った」と武勇伝していたお祖母ちゃんからも、子作り圧力、確かに強かったんだけど、いつの間に作ってたんだ。この子の運命や如何に。ギョンミンの種なことは間違いないので、財閥家の孫として相続権は発生するでしょうけど、ルナにとっては今でさえいっぱいいっぱいな嘘の上に、さらに守らなければいけないものが増えることになるし、ルビーとしては最愛の人が“私の顔をした妹を、私と思って抱いた”結果、妹が身ごもったわけですから、もう何処に怒りをぶつけていいんだかわからない気持ちでしょう。ますます“すっきり”の難度が高まってきちゃいましたよ。

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改善カンコク

2017-11-25 21:15:31 | テレビ番組

 日中、TVの“国産”番組を見ると大相撲横綱の暴行問題ばっかり(しかし所詮、上も下も“酒の上の失態”やらかしたってだけの話をよくまあこれだけ膨らませるもんです)だからというわけでもないんですが、先月から、久々の個人的韓ドラブームが再来して、ふと日中のチャンネルをザッピングしてみると、そこらじゅうで新旧の韓国ドラマ花ざかりなんですな。特に民放BSは、朝から、夕方深い時間まで、ほとんど韓ドラとTVショッピングと言ってもいいくらい。国産の時代劇や2サスの再放送もありますが、多勢に無勢。

 試しに、24日(金)の『TV Bros.』のTV番組表から拾ってみたら、地上波BS合わせて25本、韓ドラやってました。25本ですよ。WOWWOW、CSなど有料チャンネルを入れたらもっとあるでしょう。

 平日でなければ、BS11には週末土・日だけの韓ドラ枠が二つあるし、日曜夜9:00~にはNHKBプレでも一本、土曜朝にも再放送で一枠あるはずです。

 これ凄くないですか。というより、怖くないですか。BS限定ならドラマ枠の過半が外国製、それも韓国製いつからこんな按配になったんでしょう。たまたま興味持ったから調べてみたんですけど、興味持たなかったら知らずにいるところでした。

 月河が物心ついて、大人の見ている番組をチラチラ見て、意味が分かって興がれるようになった昭和40年代前半頃は、NHKも含めて、アメリカ製の、日本語吹替所謂“アテレコ”のTVドラマや劇場洋画がかなりの枠を取っていた記憶がありますが、まだUHFもない頃でチャンネル数が少なかったにせよ、“朝から夕方までどこかしらで必ずやってる”ほどの占有率ではなかった。春夏冬休みや風邪で休んだ日の記憶だと、平日はたいてい、昔ながらの、昼“メロ”というほうがぴったりくるベタな昼ドラ、それとワイドショーが主体だったと思います。さもなきゃちょっと前の、夜やってた番組の再放送。何しろ子供だったもんで夜9:00以降はTVはダメという決め事があった時期、この時間帯にチャンバラとか、血糊も有りお色気もありの系統が正々堂々と(?)垣間見られたのは有難かった。

 ともあれ、日本人が日本で制作した、日本人が日本語でしゃべる番組が、TVをつければいつでも放送されていた。それが当たり前でした。洋ものドラマや劇場映画も吹替で、ジョン・ウェインもアラン・ラッドも、ゲイリー・クーパーもグレイス・ケリーもオードリー・ヘップバーンも日本語で台詞言って、言い争ったり啖呵切ったり、甘く口説いたりしていました。いま放送されている韓ドラって普通に字幕放送で、画面から目を離せば韓国語の会話がぎゃんぎゃん叫んだり号泣したりしているだけのテレビになるのです。日本のテレビ局なのに。

 なんかヘンだなぁと思うだけで、いいとか悪いとかの問題ではありません。面白くて日本の視聴者の趣味嗜好に合っていると思ったらどこの国の何国語のドラマでもソフトでも放送して構わないし、こちらも面白いと思えば視聴するし、つまらなかったり不快だったりすれば見ないだけです。

 ただ、ここ数年、日本のドラマ界は目立って低調なのです。ヒット作がなかなか出ないし、人気漫画原作や旬のアイドルを起用したりで鳴り物入りでスタートした作品でも、地上波プライムタイム・ゴールデンタイムのいちばん敷居の低い枠で視聴率が10パーセント行かない事が多い。制作費・宣伝費がかさむわりに数字が取れないから、連続もの、単発ともに、ドラマ枠自体どんどん減ってきていて、かなり有名どころベテランクラスのドラマ俳優さんたちがぽっと出の雛壇芸人に混じってバラエティで面白い事を言わされていたり、TVショッピングでサプリや健康器具のデモンストレーションをしていたりは珍しくなくなりました。

 なぜ低調になってしまったか。原因はいろいろ言われていますが、視聴者がドラマというソフト形態に倦んできた以上に、制作側がドラマの作り方を見失ってしまったということはないでしょうか。数字が取れないもの、数字のわりにコストがかかるものを避け、暴力やセクシーなど放送コードに抵触しそうな要素を避け、スポンサーに気を遣い、長い付き合いの芸能事務所の顔を立て、昔に実績あった老トル作家に頭を下げ、バラエティでブレイクしたてのお笑い芸人を引っ張ってきたり大手所属のアイドルをはめこんだり、あっちを曲げこっちを縮めて無理くり絞り出しているうちに、本当に視聴者が待望し喜ぶドラマってどうやって着想しどう作るんだったかわからなくなっているのではないでしょうか。そして、そういう志の低い作品ばかり見せられているうちに、視聴者も「ドラマなんて所詮こんなものだ」と期待しなくなっていくし、ドラマに夢もリスペクトも持たなくなっていく。これではクォリティも数字も無限デフレスパイラルから脱出できません。

 ドラマの居場所がどんどん狭くなってきているこんな状況で、韓国ドラマが一日25本って、どこか間違ってないですかね。その枠の半分か三分の一でも、自前の、国産ドラマ制作実験&育成枠に使えないものでしょうか。新人脚本家にチャンスを与えて、長尺の連続モノの書き方を覚えてもらえば、次の次の次ぐらいに地上波プライムでの放送に耐えるホンが出来るかもしれないし、そのまた次の次ぐらいには大河ドラマやテレビ小説を半年一年任せることができるかもしれない。ブレイク前の俳優さんを多数起用すればギャラ人件費も安く済みます。「そんな無名役者ばっかりじゃ数字が取れないよ」という向きもあるかもしれませんが、韓国ドラマの俳優さんは大多数の日本人視聴者は知らないわけで、本国では有名でも日本では無名と一緒でしょう。ストーリーにひかれて二作、三作と続けて視聴していると、あ、あの俳優さんが前見た時と全然キャラ違う役どころで出てる!ということが何度かあって、だんだん俳優さん単体にも興味がわいてファンになって、次の出演作を待望するようになる。役者さんだってファンが増えてくれば演技にも熱が入って、出演作を重ねるごとに風格も華もついてくる。こういう流れを国産ドラマで普通に作れるはずです。

 韓ドラの番組BBSはどれもそこそこ賑わっていて、ストーリーや個々のキャスティング、時代背景やセット小道具などにも興味津々でツッコみが入ったり展開についてのシロウト予想が繰り広げられたりしています。“TVのドラマ”の、いろいろな切り口を楽しみたいお客さんは、数字の字ヅラほどには激減していません。作り手が熱意もって発想して形にしてくれないから、諦めて離れているだけです。「出来上がった韓国ドラマ買ってきて枠に嵌め込むほうが労力も予算も安上がり」なんて思わないで、日本人が日本人の客のためにモノを作る気概を、もう一度取り戻してもらいたいものです。

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トラよ、トラよ!

2017-11-22 19:45:26 | デジタル・インターネット

 このブログの大家さん=gooブログの“編集画面”に毎度ログインしていて、ふと見ると10月26日付で「トラックバック機能終了について」という告知が載っているのに気がつきました。

 “ご利用者数の減少”と“スパム利用が増大したこと”が理由、とのこと。

 月河がインターネット環境になったのは2006年1月、このブログを始めたのが同年、えーと、確か10月です。なんなら右柱→→のいちばん下にある“バックナンバー”をスクロってドン突きまで行って見てください。もう11年以上やってるわけだ。ひぇー。意識しませんでしたよ。あらためて微量の感慨。

 06年当時はプロバイダOCNの提供する“ブログ人(じん)”というブログサービスが大家さんで、大家さん製の“ブログのトリセツ”的なページには「ウチのブログサービスでこんなこともできます、アンナこともできます」といかにもたのしげな説明がいろいろ載っていて、そのメインのひとつがこの“トラックバック”、略して“トラバ”でした。

 人のブログの記事を読んで興味を持ったり知識情報を得たりして、それに基づいて自分のブログに記事を書くことで、他人のブログと自分のブログを繋げることができる。相手のブログを読んだ人がトラックバックを通じてこちらの記事に飛んできてくれるかもしれないし、その人がこちらの記事を読んで、そちらのブログに書いてくれれば三者が繋がることができる。・・間違っていたらすみません。ざっとこんなような宣伝お薦め文でした。

 当時はいまより何倍もネット向学心が旺盛だったし、身辺的にもちょうど検索の頻度が高く、個人ブログも侮れない情報源と思っていたので、こちらが書きたいと思った事と近接しているなと思う記事を他所で見かけたら、何度かトラックバックURLをコピペして・・ってマニュアル通りにやってみましたが、そのうちいつのまにか自然消滅しました。

 弱小無名ブログでも、一応自分で運営しているうちに、ブログ検索で得られる情報の信頼性がどの程度かわかってきたし、他のブログを“参照して”記事を書くという場面も、月河の様なものぐさ精神のブログには、皆無ではないけれども非常に少ないことがわかってきたからです。

 そしてまた、スパムだけは、まぁよくぞ・・と思うくらい来ました。ブログ人からここgooブログに移転してからはスパム遮断機能のおかげで助かっていますが、遮断・削除作業を行なう大家さんにしてみればえらい手間でしょう。

 月河の様に“自由に書ければそれでOK”という薄めのブロガーがこの10年で急に増えたというわけでもなく、たぶん“何かを参照して記事を書き投稿する”より、とにかく“人と繋がる、繋げる”に特化したサービスがほかにたくさんできて繁栄してきているから、「“ブログでトラックバック”は社会的使命を終えた」との判断だったのかもしれません。

 個人的にはあまり影響はありませんが、ふと思い返すと、2014年の確か5月に、当時の大家さんブログ人からまさかのサービス終了のお知らせが飛び込んできたとき、「そういえばここ1年ほど、新しいテンプレデザインの追加や新機能はめっきり途絶えて、連携や提供終了のお知らせばかり続いていたなぁ」と、溯って少しだけ思い当たるふしがあったものです。

 今回のトラバ終了が“もっと大きな終わりの始まり”でないことを切に願いますが、ネットの世界はどちらかに走り出すと一気に加速しますから、どうなることでしょう。

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女子下宿生

2017-11-19 20:14:43 | 海外ドラマ

 朝ドラ視聴の縛りから撤退して朝8時台に余裕が出来たと思ったら、また余分なものにはまってしまいました。

 BS朝日8:30~『私の心は花の雨』。韓国ドラマふたたび。どっひゃー。これは『ルビーの指輪』のように、出先で、他作品で見覚えのある俳優さんを見かけたからというわけじゃなく、うちでうっかりBSと地デジの5チャンネルを間違えて(当地の地デジ5は日テレ系です)しばらくつけていて、なんか韓国語のやりとりになってるなと思ったらコレだったのでした。

 舞台になっているセットのひとつが映画館らしく、昔、駅の周辺や沿線に立て看板であったような、最近だと『ひよっこ』で時子や川本世津子さんの回想、もしくは脳内イメージショットで出てきたような、古めかしい映画のポスターが外壁にも館内にもいっぱい飾ってあって、いつ時代のドラマなんだろコレ?と画面に引き付けられたのがきっかけ。

 この↑↑↑↑記事タイトルの通りの、漢字タイトルのポスターもあるんです。廊下や社長(ドラマ中では“代表”。時代劇で何度もお見かけしたキム・ミョンスさん)の部屋に。うーん気になる。見たとこ、なんかねエロそうなの。

 時代設定は、「ソウルが朝鮮戦争の戦火に包まれてから二十年が過ぎた」というところらしく、ヒロインのコンニムが養子となっているクッパ店一家の壁に“1971 辛亥年”のカレンダーが貼ってあります。

 しかしすごいね。初めて入って行ったのが第3話でしたが、民放BSってとにかくCMが大胆に、重厚長大に入るんですよ。CMが長いからもうドラマ終わったのかなと思ったら終わってなくて、またCM長いな本当に終わ・・いや終わってなかった、って何回か繰り返したら、コレ10:00までやってるのね。朝8時台に、90分枠ってすごくないですか。調べたら、お国での本放送時は全128話だったのを、2話ずつ編集して90分枠に入れて、全64話として放送しているようです。

 録画して合間の重厚長大CM(健康系多し。朝だけに)を編集カットすると毎回66分になります。贅沢だ。無駄が多いだけか。

 『ルビー~』もそうですけど、月河はやっぱり、ドラマは“毎日、放送があって何かしらの展開がある”リズムが合っているようです。一週間、同じ物語世界が来ないと、飽きちゃうというか萎むんでしょうね。

 NHK朝ドラを、おもしろくても、さほどでなくても追尾するようになったのが2012年頃ですが、ちょうどこの時期が長年“ドラマ視聴のベースキャンプ”だった昼帯ドラマの退潮期と重なります。調べてみたら、手元に残っている昼帯の録画で一番新しいのは2013年秋の『潔子爛漫』でした。たぶんこれ以降、録画ででも追尾したいと思える作品がなかったんでしょうね。2016年3月で枠自体が廃止になっています。いま“ひるおび”と言えばTBS系のホンジャマカ恵俊彰くんと八代英輝弁護士の“正論バラエティ”ときどき森朗予報士の“気象プレゼン美術さんバラエティ”になっちゃいました。

 『私の心は花の雨』、韓国ドラマの日本語タイトルはときたま、この内容で何でコレ?と思うものがあるのですが、とりあえず今作は、タイトルだけで長い。なんとなく松任谷由実さんの曲タイトルの様です。

 マイナー調のフォークダンスの様なOP曲に合わせて、登場人物がクレジット順に淡彩の線画で出て、カメラ目線キャストの写真動画になる、韓ドラでおなじみのOPスタイル。NHK共同制作の『赤と黒』を思い出しました。タッチは違うけどあのOPも、線画で出て写真に変わるスタイルでした。もう6年前か。このタイプのOPを見ると韓ドラだなぁという実感がある。我が日本製のドラマではもうこういう、顔出し紹介つきOPめっきり見ないですね。

 メインストーリーが1971年時制の、若者たちの甘酸っぱいラブなのでちょっと薄らくすぐったいけど、おもしろいですよ。微妙に先が気になる。たぶん、お国の本放送(2016年)でも月~金のイルイル、それも朝の時間帯で放送されていたと思うので、2話を1話に編集されてもお話や演出のリズムがオビ向きなんでしょう。

 韓ドラお得意の、「ここで泣いてください」「ここでハラハラしてください」と付箋立てるような大袈裟なBGMもあまりないし、何より70年代初期の街路を再現したオープンセットが、エキゾチックでもあり日本のプレ高度成長期を思わせるところもあって和みます。なんでもソウル郊外に、ドラマ撮影用に固定的に建設された、日本で言えば太秦みたいなセットがあるらしい。もちろん近代的なビル等はなく、市場の靴店や洋品店も狭い軒先に平台を置いて商品を並べた露店スタイル。ヒロインが壜の牛乳を自転車に積んで、お屋敷の門扉の前に置いて配達していたり、一方、地元で大手と称されるヒロインの(本当の)実家(←まだ本人は知らない。お約束の出生の秘密があるんです)が経営する製菓会社では、機械から焼きたて菓子パンがラインに乗ってスポスポ出てきて工員さんたちが手袋はめてバットに並べていたり、欧米風の喫茶店やレストラン、生バンドの演奏スペースらしき所もそなえたナイトクラブ(←こっちはむしろ日本風)もちらちら出てきたりして、戦国・王朝期の時代物韓ドラにはない興趣があります。

 1971年と言えば昭和46年、大阪万博の翌年、札幌冬季オリンピックの前年です。ドラマの中でも体制に反対する学生運動(朴正熙大統領の軍政時代ですね)やデモがちらっと出てきて、日本での東大紛争など想起させますが、映画館の看板や、発券窓口の外にモギリのおにいさんが立っていたり、街燈の柱にも家の壁にも求人ビラがべたべた貼ってあったりするところはむしろ、せいぜい昭和30年代前半じゃない?と思う、素朴というより“荒廃からやっと立ち直ったばっかり”なふしもあり。ヒロインの出生の背景にもなっていますが朝鮮戦争がソウルに残した爪痕は大きかったということなのでしょう。本放送を見た現代の韓国の視聴者の皆さんはどう思ったのかな。当時のリアルな記憶ある年代の人なら「そこは違うだろ」と思う所もあったかもしれない。

 でも、平日朝の帯ドラマが“戦後の復興期とヒロインの夢への道程を重ねる”という設計になっているのは、日本の朝ドラとそっくりですね。NHK朝ドラも「“戦争を挟んだ昭和”を材にとれば鉄板」とかなり前から言われています。毎朝見たいお話、大筋ではどこも同じなのかもしれません。  

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