イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

亀山くん、急ぎましょう ~相棒は愛より出でて~

2023-02-28 22:03:21 | 夜ドラマ

 『相棒』Season 21から亀山薫くん(寺脇康文さん)が復帰した件は、もっと早く、何本もここで書こうと思っていました。

 しかしながら・・前任の、放送開始から通算四人め相棒=冠城亘くんが法務省に戻ってSeason 20が2022年3月に終了、次の相棒未定のまま約3カ月が経過して、6月に“亀山薫が帰ってくる!”の報が流れたとき、最初に思ったのは、「あぁ、終わりの始まりだ」ということでした。

 「いよいよグランドフィナーレへの布石来たか」

 ・・“嬉しい驚き”も、もちろん皆無だったわけではないのですけれど。

 まったく新規の、通算五人め相棒役が発表されなくてよかった、という安堵も20%ぐらいあったかな。ネットで取り沙汰される次代相棒候補、大泉洋さん、妻夫木聡さん辺りから櫻井翔さんまで、イヤそりゃ話題性はあるけどどんだけ荒れるよ?と想像しただけで心拍数が乱れるような名前がチラチラ交錯してましたから。

 そしてまた、帰ってきた亀山くんが、南アジアのサルウィン(リアル地図で言えばインドシナ半島のミャンマー辺りに設定立地)帰りらしく日焼けにターボかかってた以外、変わらないにもほどがある。

 体型や髪型だけじゃなく、キャラも空気感も十四年前の2008年暮れ、Season 7 中盤の、退場時のまま。十四年経ってこんなに変わらないんだったら、逆に、なんで十四年前に退場させたかなぁ?と不思議なくらい。

 たぶん、スタッフの皆さんもいろいろ考えたんだろうと思います。この十四年、『相棒』ワールドは、右京さん(水谷豊さん)はいつまでも若々しく、変わらず変人で、取り巻くレギュラーの皆さんも極力“退場しない人は変わらない”を旨としてメンテナンス管理されてきました。

 ここへ亀山くんだけが独走で“十四歳、年とって帰ってきた”となったら、“逆・浦島太郎”状態でしょう。退場時が、推定“もうすぐ不惑”だったとしたら、十四年が経過したいまは堂々のover還暦ですよ。

 見回せば“お隣さん”の組織犯罪対策課も、十四年経っても課長が角田課長(山西惇さん)。同じパンダカップでコーヒー飲みに来て、ベストの色柄は雰囲気同路線のままバリエーションが増えてる。

 上の刑事部長も十四年前のまま内村莞爾部長(片桐竜次さん)、付き添う中園参事官(小野了さん)も参事官のまま。こんな、人事無風の警視庁あり得ませんよ。

 “あり得ませんよ”が堂々罷り通っているということは、逆に、“フィクションとしての純度”は高まった、と言うべきなのかもしれない。

 画面に映らないところで、亀ちゃん「課長、そう言えば、いつもこっち覗いてた大木さんと小松さん、見えませんけど転勤したんすか?」角田課長「あー、あいつらなぁ、実はね・・・」となんらかの“裏設定ストーリー”を語る時間もあったのかな。映さなくていいです。

 “縛りの中で考えて設計された虚構”に、ところどころ急ごしらえや継ぎ接ぎを見つけても見ない振りで乗ってやる、騙されてあげる。

 おもしろうてやがてさびしき“作り話”。

 良き面白寂しさを堪能する時間、いま少しは許されそうです。

 

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総集編もくる ~ならば是非もなし~

2021-02-20 19:59:11 | 夜ドラマ

 もう終了して後番組も開始した作品にいまさらですが、大河ドラマ『麒麟がくる』はよく持ち直してまとめた、敢闘賞ではないでしょうか。

 少なくともコロナ休止中断をはさんで再開してからの、「あれ?・・あれれ?・・」という、毎話の肩すかし感、端折り感を、終盤4話の“月にのぼる樹”の比喩で信長ー光秀主従の関係性に再度フォーカスを戻し、きれいに収斂した、その着想と集中力は歴代の大河の中でも上位だったのではないかと思います。

 大河に限らず長尺連続ものはとかく、最終話近くになると、テンポを巻きにして勢いを作って既定の着地までなだれ込ませるか、逆にここまで“宿題”になっていたイシューをひとつひとつ取り上げてつぶしていくような、どのみちやっつけ仕事になりがちですから。

 何より、明智光秀という日本史上一、二を争う“結果を出せなかった人”を主人公にしながらも、希望につながる“開いた”終わり方にしたのが良かった。

 十兵衛光秀、悩み抜いて乾坤一擲本能寺で主君信長を急襲、天下を取ってめでたく麒麟が来て太平の世を築き上げましたとさ・・ではファンタジー、アナザーワールドになってしまいますが、「天下を取ったと見えたのもつかの間、(味方と思われた)諸国武将は追随してくれず、山崎の戦で敗走し落命」は他の人物のクチから伝えつつ、「しかし志(こころざし)は残り」、いまも太平を望み麒麟を呼ぶため、この国の何処かで広野を駆けめぐっている・・を表現した、開放感に満ちたラストシーンは、途中何度もこのドラマをあきらめかけた月河でも胸が熱くなりました。

 馬上の十兵衛が武装でなく、太平の世にふさわしい着流しで、馬装だけが出陣時の旗幟と同じ水色=アクアブルーだったのも良かった。なんとなくハンギョドン@はぴだんぶいを思い出しました(この色のグッズ、アパレル多いです)(ちなみにバッドばつ丸のグッズはラベンダーアメジストが多く、あひるのペックルはひまわりイエロー、タキシードサムはマリンブルーチェリーピンクが半々ぐらい。脱線脱線)。

 ほとんど惰性で、でも月河よりはよっぽど几帳面に見ていた高齢家族のほうが、「なに?本当は(光秀が)生きてました、ってこと?そりゃないよ、最後の最後にマンガになっちゃった」と落胆を隠せませんでした。彼らの年代だと、ドラマや小説や人の身の上話を評するときの“マンガみたい”は、イコール“ちゃっちい”“幼稚”“ウソくさい”の意味ですから。

 うちの高齢組のようなオールオアナッシングな感性の視聴者には、あのラストシーン、背景をCG処理するとか、馬ごと『軍師官兵衛』のOPみたいにするとかして“これは心象風景ですよ”という了解を取りつけたほうが良かったのかもしれません。月河としては、“リアルの天地に、人間のカタチで生き続ける理想”の表現として、あのラストシーン、“完”の出し方を、断然支持したいと思います。

 このブログで連続ドラマに触れるたびに何度も書いてきた事ですが、連続モノは、「毎回、“次回が楽しみ”“早く続きを見たい”と思わせる」ことと、「この人物たち、この物語世界をずっと見ていたい、見ていられないときでも、どこかに存在、存続していてほしいと思わせる」こととが最大の成功要件です。最終話が終わって“完”が出たあともしばらく「あの後はどうなったのだろう」「終盤、生死帰趨が触れられなかったアノ人物この人物はこうなったんじゃないか、ああなったんじゃないか」としばらく余韻に胸がさわぐのが連続ドラマの良作です。

 『麒麟~』は、道中、特に斎藤道三(演・本木雅弘さん)退場後、ではかなり、もう修復不能かなと思うくらいブレましたが、終盤、において大きく巻き返した。長谷川博己さん染谷将太さんの“ツイン主役(←敢えて)”の回転数の上がり方もさることながら、テレビドラマ初レギュラー降臨の坂東玉三郎さんが与ってチカラ大でした。或る時点までは「本能寺の変=朝廷黒幕説で着地かな?」と思わせながら、こういう影の落とし方もあったかという見事な脚本。結果、光秀・信長・朝廷の、どれをもディスることなく、めでたく(?)本能寺をクライマックスに持って来ることができました。玉三郎さんをこの役に起用かなわなかったら、終盤の充実はなく隙だらけのまま終わったかもしれない。ひとりのキャスティングで一気に大勢逆転、連続ドラマが生きモノであるがゆえにこういうこともあるという教科書的ミラクルです。NHKは玉さまに当分頭が上がりませんな。

 もう一人、これは少数意見かもしれませんが、月河は佐々木蔵之介さんの羽柴秀吉に助演賞を差し上げたい。キャスティングの一報を目にしたときは「信長(染谷さん)よりノッポの秀吉って、おもしろいけど奇策にでたな」と思っただけだったのですが、主役光秀のライバルポジにしては秀吉に美味しさのない脚本に、蔵之介さんがよくぞこれだけ息を吹き込んだと思う。成り上がりゆえの増長感、こすっからさ、無防備なほど赤裸々な野心に加えて、自らの底辺な出生を振り返るときだけに見せる、血も凍る冷徹さ。

 かつて大河で出ずっぱり主役=日の出の勢い秀吉を演じた竹中直人さんが、18年後に『軍師官兵衛』で再び、今度は“主役と絡む重要脇役”としての秀吉で来演し、晩年の没落終焉までを見せたとき、その“秀吉感”の出し入れ調節に驚嘆したものですが、今作の蔵之介秀吉は“本能寺まで限定”だからこそ出せた生臭さと怪しさがあって、いつの間にか画面に出てくるのが楽しみなキャラになっていました。本能寺の一報を聞いて中国大返し、“秀吉感”はこれからが全開というところでドラマが終わってしまい、その代わりボーナスのように、高松城水攻めは打ち切って帰るぞ?おもしろうなってきた!・・「はっ」と受ける黒田官兵衛役が『軍師~』で官兵衛最側近栗山善助役だった濱田岳さん、というお土産つき。アレ?「御運が開けましたぞ!」は無し?と思った視聴者が少なからずいたでしょうな。

 この後栄華を極めてやり放題になり赤色巨星の末路の様に萎んでいく、秀吉らしい秀吉ロードも見たかったですが、そこまで蔵之介さんでやるとトゥーマッチになるんでしょうね。と言うより、別のホンが必要かな。なんだかんだで、室町幕府末期~戦国~織豊政権~天下統一に向かうこの時代、何度ドラマ化されても、やっぱりその都度見どころが尽きないし、面白いんですね。

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『いだてん ~東京オリムピック噺~』 ~不思議無き敗者、最後の考察~

2020-01-30 19:16:23 | 夜ドラマ

「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」

 引退した野村克也監督がいろんな場面で発言しておられた言葉ですが、野球の試合の勝ち負けだけでなく、競馬でも、選挙でも、芸能や芸術のコンクールでも、およそ勝負事と名の付くすべてのカテゴリーにあてはまる至言です。

 客観的にも主観的にも、力量やパフォーマンスが抜けていたわけではないしトレーニングも人一倍死に物狂いで積んだとはいえず、なんなら勝ちたい意欲もそんなになかったにもかかわらず何となくうかうかと、気がついたら勝っていたということは、しょっちゅうではないが、忘れた頃に一回や二回、確かにある。

 一方、負け試合には必ず敗因がある勝つときには理由なく不思議に勝てても、理由なく負けることはないものなのです。最初は自他ともに「何で負けたんだ、わけがわからん」「判定ミスじゃないのか」ぐらいに思うんだけど、時間がたち冷静に、虚心坦懐に最初っから分析かえりみてみると、ちゃんと負けるべくして負けているんですな。 

 我らが(誰らがだ)『いだてん ~東京オリムピック噺~』は何故負けたのでしょうか。

 『新春テレビ放談』パネラーの佐久間Pは、コンテンツ視聴者・ユーザーの“世代間分断”という背景を踏まえて「冒険作でありながら“大きく取り込んで”いくためには、(ヒットした)『あなたの番です』がやったように、ありとあらゆる手を打っていかないといけない」「ぜんぶやらないと、ヒットコンテンツは作れない」と、ネットでのバズらせやSNS活用、まとめ配信などの、相撲で言う“手数(てかず)”が足りなかったから負けた(=低視聴率に終わった)、という分析を披露していましたが、これは月河あまり頷けませんでした。

 (他局=テレビ東京の社員Pでありながら、日曜夜8時の敵性商品を視聴して「めちゃめちゃ好き」と言ってくれたことには敬意を表します。佐久間さん本当は『いだてん』限定で、あるいは真裏の『ポツンと一軒家』の人気も絡めて、もっといろいろ発言したかったし実際言ったのかもしれませんが、『テレビ放談』サイドで編集したような印象も受けた)

 『いだてん』制作側も放送開始当初からネットに向かって、かなり惜しみなくいろいろやっていたように思うのです。ツイッターやSNSは月河の守備範囲に無いので直接はわかりませんが、放送翌日・翌々日あたりにはネットニュースやドラマ関係のBBSに絶賛コメントや上げあげ記事があふれていたし、視聴率が一桁転落した第6話以降もこのテンションはほとんど変わらなかったところをみると、たぶんひと握りの同じ人がリピート書き込み、投稿していたと思われる。佐久間Pの言う「放送序盤についた、体温の高いファンの発信力を利用する」に近いことはすでに試みられていました。

 第23話の関東大震災エピソードで6パーセント台にまで落ちた頃には、出演俳優さんたちのみならず制作スタッフ自身からのなりふり構わない発信も増えました。特に女子陸上の人見絹枝選手役菅原小春さんの熱演が話題になった第26話の前の週などは、演出大根仁さんも音楽大友良英さんも自画“大自賛”発信で、発信したというそのことがさらにネットニュースにもなって、これは何かが起こる気配・・と思ったら結局前回比0.数パーセント続落、なんて脱力イベントもあった。

 結局、手数が不足だったわけではないのです。笛は吹かれたけど、誰も踊らなかった踊らせることのできた人が、あまりに少なすぎた。

 かなり好意的で、低体温ではない視聴者だったと自任する月河も、1話から視聴していてこのドラマ、佐久間さんの言う「“大きく取り込んで”いってるな」という感触は、残念ながらありませんでした。自分は楽しんで観ているんだけど、自分の外っかわで、見えない誰か彼か不特定多数を引き込んでいってる、そこはかとないざわめき、たかぶりのようなものは感じられなかった。真空の中で興がっているようだった。

 月河はテレビに関してはどう考えてもマジョリティでない感覚の客なので、完走したドラマで世間的に成功したとされる作品はごく少数なのですが、『ゲゲゲの女房』や『カーネーション』、『あさが来た』あたりには、自宅でひとりで見ていても「・・あ、いま掴んだな」「掴まれたな」とグッと引っ張り込まれる場面、台詞が、毎話は無くても、週6話の中で三~四度は確実にある。乗ってくると、次週予告、次回予告にもある。今日は無かったなと思って終わっても、「明日は何かしらあるかも、あるだろう」と思うから、同じ時間帯にほかのチャンネルに回すことはない。

 なぜ『いだてん』が、多くの人にとってそうならなかったのかと考えると、思うに、皮肉なようだけど「“完成度”が高すぎたから」とは言えないでしょうか。低調に終わったドラマに“完成度”という言葉が適当でなければ、“自己完結度”と言ってもいい。

 歴史もの大河の宿命もありますが、ネットでバズろうにも、考察で侃々諤々盛り上がる余地がないのです。「あの人この後どうなるんだろう」と思ったら、スマホで友人・親族と意見交換するまでもなく、検索かければいい。唯一の正解がすぐ読める。スポーツもの、アスリートもののフィクションなら最も多くが気になるのは“勝敗の行方”“アノ人とこの人どっちが勝つか”ですが、“何所そこオリンピック 何野誰某”とググれば、何種目に出場して何位だったか、完走したか棄権したか、速攻わかってしまう。実在の人物が実名で出て来るドラマだから、負けたものを勝った話には書けないし、或る年に没した人をその後の時制のストーリーに、存命人物として登場させることもできません。

 劇中、死去場面や葬儀シーンもなくいつの間にか登場しなくなった人物に「大竹しのぶ出なくなったけど?」・・調べると「幾江ばあちゃん、太平洋戦争開戦の年に八十で死んでるわ」、そうか・・で止まって終了です。ネットでざわつく=興味持たれるのも、がちゃがちゃ延々盛り上がるざわつきと、すぱっと静まって後を引かないざわつきとがある。『いだてん』は、近代オリンピックという、実在し記録も鮮明に残っている勝ち負けイベントを題材にしたために、否応なし完成度高く、ツッコミ異論余地なくまとめなければならなかった。いろんな負の材料はあったにしても、主因はこれだと思います。ヒットさせるために講じた“手数”に関しては、佐久間Pが言うほど疎かではなかったと思う。

 それにしても、「史実で決まっていて考察の余地がない」を言うなら、毎度関ヶ原も、川中島も、大坂夏の陣も冬の陣も勝敗が教科書に書いてあって動かせないけど、何作も何作も大河ドラマになっていて、その都度凸凹はあれど『いだてん』からすれば夢のような数字を取っているじゃないか?と疑問を投げかける向きもあるでしょう。

 しかしこれもフェアではないのです。たとえば織田信長や豊臣秀吉や、その一族、家臣、有名どころの誰彼ほどに、金栗四三や三島弥彦や田畑政次が認知されキャラ付けされ、一般視聴者の脳内で立体的に脚色されていたか。ヤツらはなんたって義務教育から教科書に載っているのです。百も二百も承知、結果は隅々お見通しでも「小早川裏切るよ、裏切るよ、ホラ裏切った」「じ~ん~せ~い~ごじゅうううねんん~って歌うよ、ホラ歌った」と半笑いで見る人があっちにもこっちにもいれば、それなりに毎度バズりは尾を曳く。

 対するに我らが(誰らがだ)金栗さんや田畑“河童の”マーちゃんは、1912ストックホルム五輪1920アントワープ五輪などと同様、ぐぐった結果の中にしか存在しない。ぐぐって結果を見ればそこで止まってしまう。一年間放送される連続ドラマの主人公として、放送前からの深耕度が、あまりに水をあけられ過ぎです。

 一部で盛り上がらないでもなかった“架空人物の関係性”については、これは盛り上がるまでもない、難易度低レベルに組みすぎたと思う。第39話、満州エピで“すべてのピースが嵌まる”ずっと前、五りんが「親父の遺言で行水は欠かさない」発言した時点で、五りんの父は金栗に師事した人物だな・・と誰が見てもわかるヒントが提示されてしまった。種明かしされる前から「だったとして、それがどうだっていうんだ」との声さえかなりの多数派になっていました。それより、母親の代から本筋にからんできたりく(杉咲花さん)の最後が描かれず、美川(勝地涼さん)が終戦後日本に帰国できたのかもわからないままで、全般に作り手が客に食い下がってほしくてプレゼンしてきたところと、客が気になってしょうがないところとが最後まで噛み合わずに終わった感がある。

 「東京2020の前年だから、日本近代オリンピック事始め話をやろう」と最初に企画立案したのが、NHK側だったのか、NHKのどこセクションの誰だったのか、逆に脚本宮藤官九郎さん側だったのかは月河、寡聞にして知りませんが、「こういう(史実スポーツ勝ち負けごと)題材で、この程度の認知度の人物を主人公にしたら、こうなりがち」の轍にはまってしまったようです。

 皮肉にも、“ぐぐればわかる”“ぐぐってわかって止まって、バズる余地なし”というのは、“単身世帯”“独り暮らしの高齢者”に多いテレビ視聴態度で、ある意味『いだてん』は大河固定客である高齢者層に最もフィットした作りのドラマだったかもしれないのですが、その高齢者がこぞって裏の『ポツンと一軒家』に行ってしまったのですから、やはり「“大きく取り込む”でなく、見てほしい客を絞って作ると当たらない」を実現したお手本のようでもあり。前述のように、題材への取り組み、“完成度”に殉じた感もあるので、宮藤官九郎さんにはまた朝ドラ『あまちゃん』のような作品を通年枠で書いてほしいと思います。

 最後に、佐久間Pも触れていませんでしたが、“ありとあらゆる手を打つ”ことに関して、月河が唯一不満に思うのが、“落語界・演芸界の巻き込み”が放送期間中、まったくと言っていいほどみられなかったことです。これはNHKともあろうものが、どうしちゃったのと思うくらい無策だった。放送中の、視聴者側からの否定的な意見のほとんどが「落語パートが邪魔」「入ってくるたびにいま明治?昭和?と時制が混乱する」「志ん生役たけしの台詞発声がもさもさして聞き取りづらい」「オリンピックの話が盛り上がろうというところでいつも流れが途切れる」と、落語パートに対する厳しいものだったのに、これをひっくり返す策がひとつもなかった。“落語ってこんなにおもしろいんだよ”“志ん生ってこんなユニークな人だったんだよ”をアピールして、“志ん生と一門の人たちが出てくるのが楽しみ”と感じてもらおうとする企画が、放送日や前日に地上波で全然打ち出されてこないので、客が「本筋に邪魔」と感じるのもある程度当然です。

 あまりに放置なので、クドカン、落語協会に嫌われてるのか?NHKは協会との付き合いのほうが圧倒的に長いから間を取り持つ気が無いのか?等と余計な想像をしてしまいました。顔も知らない亡き父親のたった一通のハガキを頼りに志ん生の門を叩いてきた若者が、実は・・とオリンピックに寄せて行く構成は素晴らしかったのに、そのパートがここまで嫌われてはしょうがない。打ってきた布石がすべて協奏し、構成の妙がみごと開花する前に、布石期を見てくれた客は大半いなくなっていた。ここもまた“完成度を高めることに殉じた”と言えなくもないですが、こここそ、NHKの、NHKでなければ打てない“ありとあらゆる手”の出番だったのに返す返すも残念無念です。

 「負けに不思議な負けなし」。野村克也監督の言に戻れば、敗戦は勝ち試合の何十倍、何百倍も学習材料をのこしてくれます。『いだてん』も、将来に遺したものの物量では大河ドラマ史上最高でしょう。2020年、いい節目になりました(いいのか)。

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バッハじゃなかろか ~いろいろ・オッチョコ・チョイ略してIOC~

2019-10-25 20:53:42 | 夜ドラマ

 この前久々に『いだてん ~東京オリムピック噺~』に触れたのが災い(?)したのか、TOKYO 2020も、ドラマもなにやら不穏な空気になってますよ。

 開幕まで残り300日を切っていきなり札幌って。男女マラソンと競歩。バッハIOC会長「暑さを避けるため」って、東京の8月が暑い事なんか招致の時点から明々白々だったんですけど。

 まさか招致プレゼンでの「この時期のトウキョウは気候温暖でスポーツに最適で・・」という、安倍総理に高校生並みの英語力があったら原稿読んでてよく噴き出さなかったなと思う大ウソスピーチを、IOCの皆さん真に受けてたわけでもあるまいね。お医者さんも学校の先生もお母さんも「外出て運動なんかしちゃダメ!」とクチをそろえる猛暑炎熱地獄で42.195キロって、死人が出なかったらラッキーぐらいなもんだったんですけど、何が悲しくて、この期に及んで言いだすかなぁ。

 「すいません、どうしても招致したかったんで、すごく快適な気候だみたいに盛って言いましたけど、本当はマラソンとかできるようななまやさしい暑さじゃないんす東京って」と、東京側から白旗降参して出るのを待ってたんだけど、待てど暮らせどなかなか来ない、ええいバッハいきます!ってなっちゃったのかしら。

 札幌は札幌で、2030冬季大会招致立候補予定(市民的には盛り上がってない。おカネかかるしね)ですけど、こんな按配に東京が暑すぎることの尻拭いみたいに棚ぼたで花形種目だけ転がり込んでくるのは、むしろ痛し痒しじゃないでしょうかね。どこ発でどこにゴールするんだろう42.195キロ。北海道マラソンの開催で慣れてるったって、こちらはオープン市民マラソンです。オープンエアーの大通公園からスタートして、豊平川渡って、北海道大学の構内をとおって、道庁旧庁舎赤レンガ前をとおって、また大通公園でゴール。何のこっちゃない、2サスの浅見光彦さんシリーズとか、西村京太郎さんの鉄道旅ミステリーの札幌ロケコース巡りみたいなもんですよ。緊張感、おごそかさ皆無。限りなく北海道的。のどかでナチュラルでのんびり。警備なんかザルですザル。

 おまけに、この大会は毎年、8月の最終週の日曜日です。お盆休みを過ぎると北国の夏は一気に撤収して初秋っぽい空気になり、“(毎大会夏開催になる)オリンピックのマラソンを目指す選手の、手頃なトライアル機会”と“健康被害を出さずに完走できる”とをギリ両立させられるってことでこの時期に続いているので、同じ8月でも第一週に持って来られると、かなりバッハさんのご期待を裏切ると思います。温暖化の波はすでに北海道にも襲って来ていて、いまや札幌だって夏のピークはじゅうぶん高温多湿なわけです。

 大騒ぎして東京から会場を移して、「なんだ、これなら東京でそのまんまやったって大して変わらなかったよ」となる公算も大です。

 バッハさんが今更のエクスキューズに言う“アスリートファースト”に照らせば、「とりあえず東京よりゃ暑さがマシなのは確実なところに移す」と切り出されりゃ、いや東京がいい!絶対いい!と異を唱える人、唱える勇気のある人は少ないでしょうけど、そんなに選手の健康や競技しやすさを最優先に考えてくれてんのならナンデ8月よ?8月の猛暑のど真ん中にじっとりムンムン、台風ムクムクの温帯モンスーンの東京でやると、なして了解したのよ?ってことですわ。

 本来ならいちばん運動フレンドリーな気候の秋を避け年明け春先初夏も避け、プロスポーツシーズンの端境期にコンテンツが欲しいUSAテレビ局ネットワークにとっくに魂売っ払ったくせに何をいまさら、どのクチが言うアスリートファーストかと。はなっからUSA様のテレビ局様ファーストじゃないかと。

 毒食わば皿まで。ここまでカネまみれ欲得ずくで固めたイベントに、好きこのんで自分から噛んで、挙手して「やりたい!やらせろ!」と乗っかっていった東京です。小池百合子知事も「一番最後に聞かされた」と憤懣やるかたないようですが、すでに乗りかかって漕ぎ出した舟です。IOCにどれだけ、どっち方向に鼻づらつかんでヒョイヒョイ引き回されようが、最後までしがみついて追っ放されないよう踏ん張っていくしかありません。土壇場で鼻先から札幌に持ってくか。上等じゃないか。「変更の経費は出せよIOC!」ぐらい啖呵きってほしいものです。

 それにしても哀しきは『いだてん』、せっかくの東京2020協賛大河だったのに、フィナーレを飾る男子マラソンで金栗四三の遥か後輩たちが走り、メインポールに日の丸を揚げ君が代の響きを夢みる大舞台が大東京じゃなくなったら、企画1年半の汗と努力が水の泡・・とまでは行かないまでも、盛り上げ甲斐がなくなったにもほどがありますね。

 ドラマのストーリー自体が、とかく国際情勢や集金問題、派遣人選など“スポーツ以外”の難題山積で、オリンピックを愛しリスペクトする選手たちも役員・裏方さんたちも振り回されててんやわんや右往左往の連続・・というお話ではありましたが、まさに目の前の、令和のオリンピックへ向けてのリアルてんやわんやのほうが、ドラマのテンションスケールを期せずして上回ってしまったようです。

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日曜プライム『深層捜査』 ~シワ、そして2サスの明日~

2019-09-09 16:51:51 | 夜ドラマ

 昨日(8日)夜10:00過ぎにテレビ朝日『深層捜査スペシャル』を途中乗車視聴したら、久しぶりに吉行和子さんのお姿が。

 旧作の再放送じゃなく動いて演技している吉行さんを見るのは、月河はNHK朝ドラ『ごちそうさん』(2012~13年)以来じゃないかな。劇場映画にはTVより積極的にオファーにこたえておられるようで、山田洋次監督のインタビューで『家族はつらいよ』シリーズのどれかのトレーラー動画は見た様な気がしますが山田監督のあれ系の映画は苦手なもので。

 ある時点から“いつ見てもあんな感じ”な吉行さんも1935年(昭和10年)生まれ今年84歳、お元気で独特のハスキーヴォイスも健在でなにより・・とまじめに画面に目を向けたら、・・アレ?なんかお顔が微妙です。目鼻立ちの配置はそのまま、表面張力だけがブーストアップした感じ。事件のキイパーソンたる市民派女性市長松下由樹さんの、わけあって生き別れた実母という重要な役どころなのに、心なしか撮影も顔アップを避けている。

 どうもその、顔面シワ除去術を受けられたらしいのね。欧米女性がよくやるリフトアップっていうの?伸ばして引っ張って耳の後ろに集める、故人となった大女優さん(必殺!で三味線弾いてた)が耳の形変わるまでやり倒してた系の施術か、あるいはもっと敷居の低い、ヒアルロン酸とかボトックスっての?そういう成分を注射するたぐいか、とにかく、直近でアップで見たお顔とは確実に違う、人工的な、技術的なツルツルパンパン感です。

 女優さんも八十路半ばで現役で顔晒し続ける選択をすれば避けがたいことなのでしょうが、なんとなく、吉行さんってその手の人工造作とは距離置いてる人だと思っていました。

 そこはかとなく猫っぽいルックスと、お若い頃から独特のハスキーヴォイス(幼時から喘息の持病をお持ちだそうです)で、月河が顔と名前と、芸風と言うか持ち味が一致して記憶できたのは1976年の大河ドラマ『風と雲と虹と』の怪老女・螻蛄(けら)婆ぐらいからかな。すでに・・と言っていいか、当時40歳。老女と言っても、通常の人間とは別の時間軸で齢を重ねて来たような役どころだったので、以来、勝手に“実年齢不詳”なイメージを抱いていました。作品によって役柄によって、すごくあだっぽく女っぽくも見えるし、逆にオンナ捨てちゃったような悟りすましたり開き直った感じも出ていたり。

 朝ドラでは『ごち』の前に『つばさ』でヒロイン多部未華子さんのお祖母ちゃん(にして高畑淳子さんの母)を演じておられて、こちらでは結構、イイ感じに気難しくて扱い辛い、こだわりおばあちゃまでした。劇団女優志願の頃からの盟友・富士眞奈美さんも、ヒロイン実家の和菓子屋を買い取ろうともくろむ剛腕女社長の役でゲスト出演、最終的に和解して談笑する場面もありました。

 いつ頃から“誰かのお母さんor義母(姑)”“誰かのお祖母ちゃん”がしっくりくるようになっていたのかな。『愛していると言ってくれ』の豊川悦司さんのお母さんも良かったけど、もっと前、『スチュワーデス物語』のヒロイン堀ちえみさんの毒母も吉行さんだったんじゃなかったかな。どっちかというと、快活でたくましいお母ちゃんより、「“母親”ってめんどくさいよな」と思わせるタイプの母親像を得意としていたイメージもあります。これまたなんとなくですけど。

 2サスの松本清張原作ものでも欠かせない人でした。挙げてけばキリがないし月河もウロになってる作品もありますが、互いのアリバイ証言を成立させるため、わざと近隣住民たちに聞かれるように嫁との不和を演じる俳人老女役『喪失の儀礼』は印象深かった。嫁と姑、血縁のない他人であっても家族内の証言はアリバイとして証拠能力がないとされますが、「日頃あれだけ罵倒し合って仲の悪い嫁姑なら、庇い合う証言はしないだろう」と警察に認めさせるのが目的の、長期にわたる壮大な布石。何度もドラマ化された原作ですが、吉行さんは1994年と2016年の2度、同じ役を演じておられます。

 ・・・まぁ、ねぇ。女優さんも、自分の加齢と、演じる役柄・作品と、“女優としてこう見られたい、こうは見られたくない”理想イメージとの間で揺れ動いているのでしょう。吉行さん級のキャリアでも。

 それに、令和の現代は昭和には無かった技術やツールやおクスリがあって、なんぼでも手に入るし使えますからね。そこらの「そんなにオマエの顔に興味ねーよ」ってレベルの、一般人ドシロウトでも給料と相談してそれなりに、有名大物芸能人ともなればもっとそれなりに使える。使えるなら使うという選択肢がある。

 ただ、顔面限定で表皮がツルパンだと、ナチュラルにシワシワな頸部・喉部とのギャップが露骨すぎて、今作のようにカメラさんが非常に悩ましいことになる。生き別れた娘役の松下由樹さんも、いまはかなり体格的に遠ざかりましたがもともとはしなやか猫系ルックスの人なので、実の母娘設定が似合わしいキャスティングだし、世界遺産富岡製糸場跡でのロケだし感動の場面になる筈が、いろいろ気が散って余計な事を考えてしまいました。

 ところで、テレ朝の『日曜プライム』って、元来、一話完結ワイドドラマ枠ではなかったですよね。『TVタックル』や『激レアさん』の拡大スペシャルをやっていたこともあるし、高校野球のレジェンド特番みたいな、朝日新聞系のテレ朝らしい企画ものをやってたのもちらっと見かけました。横目で素通りしましたけど。

 もう、素直に『土曜ワイド劇場』復活させてくれないかな。同じ9:00スタートなら、土曜の夜のほうが圧倒的に2サスに向いているのに。昨日の『深層捜査』も、もともと土ワイ用のシリーズだったはずです。裏の主題になっている詐病サイコ殺人とか大嶋ドクターの箱庭療法とか、テイストがやっぱり、明日も休みの土曜夜志向なんですよ。

 土ワイ用に企画制作した“在庫”一掃のため、ニチアサヒーロータイム後のAM10:00~の『日曜ワイド』なんてとんでもない時間帯に事件もの刑事ものをぶっこんできた時期もありました。日曜の朝ですよ。再放送かと思ったら新作だったという。しかもシリーズ化する気満々だったり。

 TVドラマの一時期を主力選手として支えた“2サス”は、そもそもはテレ朝の土曜ワイド劇場から育ってきたのです。後発で民放他局がどこも真似するようになり、枠が長時間な分スポンサーをたくさん入れられるから、企業が活況な時は局の稼ぎ頭だったでしょう。

 いま、ドラマが軒並み苦戦している時期こそ、原点に帰って土ワイですよ。江戸川乱歩でも横溝正史でも松本清張でも、山村美紗でも、あるいは実録事件ものでも何でもアリな作風に、いちばん向いているのが土曜夜です。日本のTV界が誇る(?)ジャンル“2サス”に、テレ朝こそもっと愛を持って欲しいと願うものです。

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