イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

『いだてん ~東京オリムピック噺~』 ~不思議無き敗者、最後の考察~

2020-01-30 19:16:23 | 夜ドラマ

「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」

 引退した野村克也監督がいろんな場面で発言しておられた言葉ですが、野球の試合の勝ち負けだけでなく、競馬でも、選挙でも、芸能や芸術のコンクールでも、およそ勝負事と名の付くすべてのカテゴリーにあてはまる至言です。

 客観的にも主観的にも、力量やパフォーマンスが抜けていたわけではないしトレーニングも人一倍死に物狂いで積んだとはいえず、なんなら勝ちたい意欲もそんなになかったにもかかわらず何となくうかうかと、気がついたら勝っていたということは、しょっちゅうではないが、忘れた頃に一回や二回、確かにある。

 一方、負け試合には必ず敗因がある勝つときには理由なく不思議に勝てても、理由なく負けることはないものなのです。最初は自他ともに「何で負けたんだ、わけがわからん」「判定ミスじゃないのか」ぐらいに思うんだけど、時間がたち冷静に、虚心坦懐に最初っから分析かえりみてみると、ちゃんと負けるべくして負けているんですな。 

 我らが(誰らがだ)『いだてん ~東京オリムピック噺~』は何故負けたのでしょうか。

 『新春テレビ放談』パネラーの佐久間Pは、コンテンツ視聴者・ユーザーの“世代間分断”という背景を踏まえて「冒険作でありながら“大きく取り込んで”いくためには、(ヒットした)『あなたの番です』がやったように、ありとあらゆる手を打っていかないといけない」「ぜんぶやらないと、ヒットコンテンツは作れない」と、ネットでのバズらせやSNS活用、まとめ配信などの、相撲で言う“手数(てかず)”が足りなかったから負けた(=低視聴率に終わった)、という分析を披露していましたが、これは月河あまり頷けませんでした。

 (他局=テレビ東京の社員Pでありながら、日曜夜8時の敵性商品を視聴して「めちゃめちゃ好き」と言ってくれたことには敬意を表します。佐久間さん本当は『いだてん』限定で、あるいは真裏の『ポツンと一軒家』の人気も絡めて、もっといろいろ発言したかったし実際言ったのかもしれませんが、『テレビ放談』サイドで編集したような印象も受けた)

 『いだてん』制作側も放送開始当初からネットに向かって、かなり惜しみなくいろいろやっていたように思うのです。ツイッターやSNSは月河の守備範囲に無いので直接はわかりませんが、放送翌日・翌々日あたりにはネットニュースやドラマ関係のBBSに絶賛コメントや上げあげ記事があふれていたし、視聴率が一桁転落した第6話以降もこのテンションはほとんど変わらなかったところをみると、たぶんひと握りの同じ人がリピート書き込み、投稿していたと思われる。佐久間Pの言う「放送序盤についた、体温の高いファンの発信力を利用する」に近いことはすでに試みられていました。

 第23話の関東大震災エピソードで6パーセント台にまで落ちた頃には、出演俳優さんたちのみならず制作スタッフ自身からのなりふり構わない発信も増えました。特に女子陸上の人見絹枝選手役菅原小春さんの熱演が話題になった第26話の前の週などは、演出大根仁さんも音楽大友良英さんも自画“大自賛”発信で、発信したというそのことがさらにネットニュースにもなって、これは何かが起こる気配・・と思ったら結局前回比0.数パーセント続落、なんて脱力イベントもあった。

 結局、手数が不足だったわけではないのです。笛は吹かれたけど、誰も踊らなかった踊らせることのできた人が、あまりに少なすぎた。

 かなり好意的で、低体温ではない視聴者だったと自任する月河も、1話から視聴していてこのドラマ、佐久間さんの言う「“大きく取り込んで”いってるな」という感触は、残念ながらありませんでした。自分は楽しんで観ているんだけど、自分の外っかわで、見えない誰か彼か不特定多数を引き込んでいってる、そこはかとないざわめき、たかぶりのようなものは感じられなかった。真空の中で興がっているようだった。

 月河はテレビに関してはどう考えてもマジョリティでない感覚の客なので、完走したドラマで世間的に成功したとされる作品はごく少数なのですが、『ゲゲゲの女房』や『カーネーション』、『あさが来た』あたりには、自宅でひとりで見ていても「・・あ、いま掴んだな」「掴まれたな」とグッと引っ張り込まれる場面、台詞が、毎話は無くても、週6話の中で三~四度は確実にある。乗ってくると、次週予告、次回予告にもある。今日は無かったなと思って終わっても、「明日は何かしらあるかも、あるだろう」と思うから、同じ時間帯にほかのチャンネルに回すことはない。

 なぜ『いだてん』が、多くの人にとってそうならなかったのかと考えると、思うに、皮肉なようだけど「“完成度”が高すぎたから」とは言えないでしょうか。低調に終わったドラマに“完成度”という言葉が適当でなければ、“自己完結度”と言ってもいい。

 歴史もの大河の宿命もありますが、ネットでバズろうにも、考察で侃々諤々盛り上がる余地がないのです。「あの人この後どうなるんだろう」と思ったら、スマホで友人・親族と意見交換するまでもなく、検索かければいい。唯一の正解がすぐ読める。スポーツもの、アスリートもののフィクションなら最も多くが気になるのは“勝敗の行方”“アノ人とこの人どっちが勝つか”ですが、“何所そこオリンピック 何野誰某”とググれば、何種目に出場して何位だったか、完走したか棄権したか、速攻わかってしまう。実在の人物が実名で出て来るドラマだから、負けたものを勝った話には書けないし、或る年に没した人をその後の時制のストーリーに、存命人物として登場させることもできません。

 劇中、死去場面や葬儀シーンもなくいつの間にか登場しなくなった人物に「大竹しのぶ出なくなったけど?」・・調べると「幾江ばあちゃん、太平洋戦争開戦の年に八十で死んでるわ」、そうか・・で止まって終了です。ネットでざわつく=興味持たれるのも、がちゃがちゃ延々盛り上がるざわつきと、すぱっと静まって後を引かないざわつきとがある。『いだてん』は、近代オリンピックという、実在し記録も鮮明に残っている勝ち負けイベントを題材にしたために、否応なし完成度高く、ツッコミ異論余地なくまとめなければならなかった。いろんな負の材料はあったにしても、主因はこれだと思います。ヒットさせるために講じた“手数”に関しては、佐久間Pが言うほど疎かではなかったと思う。

 それにしても、「史実で決まっていて考察の余地がない」を言うなら、毎度関ヶ原も、川中島も、大坂夏の陣も冬の陣も勝敗が教科書に書いてあって動かせないけど、何作も何作も大河ドラマになっていて、その都度凸凹はあれど『いだてん』からすれば夢のような数字を取っているじゃないか?と疑問を投げかける向きもあるでしょう。

 しかしこれもフェアではないのです。たとえば織田信長や豊臣秀吉や、その一族、家臣、有名どころの誰彼ほどに、金栗四三や三島弥彦や田畑政次が認知されキャラ付けされ、一般視聴者の脳内で立体的に脚色されていたか。ヤツらはなんたって義務教育から教科書に載っているのです。百も二百も承知、結果は隅々お見通しでも「小早川裏切るよ、裏切るよ、ホラ裏切った」「じ~ん~せ~い~ごじゅうううねんん~って歌うよ、ホラ歌った」と半笑いで見る人があっちにもこっちにもいれば、それなりに毎度バズりは尾を曳く。

 対するに我らが(誰らがだ)金栗さんや田畑“河童の”マーちゃんは、1912ストックホルム五輪1920アントワープ五輪などと同様、ぐぐった結果の中にしか存在しない。ぐぐって結果を見ればそこで止まってしまう。一年間放送される連続ドラマの主人公として、放送前からの深耕度が、あまりに水をあけられ過ぎです。

 一部で盛り上がらないでもなかった“架空人物の関係性”については、これは盛り上がるまでもない、難易度低レベルに組みすぎたと思う。第39話、満州エピで“すべてのピースが嵌まる”ずっと前、五りんが「親父の遺言で行水は欠かさない」発言した時点で、五りんの父は金栗に師事した人物だな・・と誰が見てもわかるヒントが提示されてしまった。種明かしされる前から「だったとして、それがどうだっていうんだ」との声さえかなりの多数派になっていました。それより、母親の代から本筋にからんできたりく(杉咲花さん)の最後が描かれず、美川(勝地涼さん)が終戦後日本に帰国できたのかもわからないままで、全般に作り手が客に食い下がってほしくてプレゼンしてきたところと、客が気になってしょうがないところとが最後まで噛み合わずに終わった感がある。

 「東京2020の前年だから、日本近代オリンピック事始め話をやろう」と最初に企画立案したのが、NHK側だったのか、NHKのどこセクションの誰だったのか、逆に脚本宮藤官九郎さん側だったのかは月河、寡聞にして知りませんが、「こういう(史実スポーツ勝ち負けごと)題材で、この程度の認知度の人物を主人公にしたら、こうなりがち」の轍にはまってしまったようです。

 皮肉にも、“ぐぐればわかる”“ぐぐってわかって止まって、バズる余地なし”というのは、“単身世帯”“独り暮らしの高齢者”に多いテレビ視聴態度で、ある意味『いだてん』は大河固定客である高齢者層に最もフィットした作りのドラマだったかもしれないのですが、その高齢者がこぞって裏の『ポツンと一軒家』に行ってしまったのですから、やはり「“大きく取り込む”でなく、見てほしい客を絞って作ると当たらない」を実現したお手本のようでもあり。前述のように、題材への取り組み、“完成度”に殉じた感もあるので、宮藤官九郎さんにはまた朝ドラ『あまちゃん』のような作品を通年枠で書いてほしいと思います。

 最後に、佐久間Pも触れていませんでしたが、“ありとあらゆる手を打つ”ことに関して、月河が唯一不満に思うのが、“落語界・演芸界の巻き込み”が放送期間中、まったくと言っていいほどみられなかったことです。これはNHKともあろうものが、どうしちゃったのと思うくらい無策だった。放送中の、視聴者側からの否定的な意見のほとんどが「落語パートが邪魔」「入ってくるたびにいま明治?昭和?と時制が混乱する」「志ん生役たけしの台詞発声がもさもさして聞き取りづらい」「オリンピックの話が盛り上がろうというところでいつも流れが途切れる」と、落語パートに対する厳しいものだったのに、これをひっくり返す策がひとつもなかった。“落語ってこんなにおもしろいんだよ”“志ん生ってこんなユニークな人だったんだよ”をアピールして、“志ん生と一門の人たちが出てくるのが楽しみ”と感じてもらおうとする企画が、放送日や前日に地上波で全然打ち出されてこないので、客が「本筋に邪魔」と感じるのもある程度当然です。

 あまりに放置なので、クドカン、落語協会に嫌われてるのか?NHKは協会との付き合いのほうが圧倒的に長いから間を取り持つ気が無いのか?等と余計な想像をしてしまいました。顔も知らない亡き父親のたった一通のハガキを頼りに志ん生の門を叩いてきた若者が、実は・・とオリンピックに寄せて行く構成は素晴らしかったのに、そのパートがここまで嫌われてはしょうがない。打ってきた布石がすべて協奏し、構成の妙がみごと開花する前に、布石期を見てくれた客は大半いなくなっていた。ここもまた“完成度を高めることに殉じた”と言えなくもないですが、こここそ、NHKの、NHKでなければ打てない“ありとあらゆる手”の出番だったのに返す返すも残念無念です。

 「負けに不思議な負けなし」。野村克也監督の言に戻れば、敗戦は勝ち試合の何十倍、何百倍も学習材料をのこしてくれます。『いだてん』も、将来に遺したものの物量では大河ドラマ史上最高でしょう。2020年、いい節目になりました(いいのか)。

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まだまだ『新春テレビ放談』 ~“大きく取り込む”は目標か結果か~

2020-01-28 21:31:26 | テレビ番組

 思い返せば、月河がTVBros.の購読をやめたのが約二年前の4月です。「コラムやグラビアがいくら充実しても、テレビ番組表の載らない雑誌になるならとる意味ないな」と、通算すると二十年近く読んでいたのに自分でも意外なくらいあっさり打ち切れました。

 もう2018年春の時点で、テレビ番組は「何曜日何時何分からどこチャンネルで」と決まった“番組”ではなくなって、VOD、youtube、サブスク、レンタル・・とさまざまな媒体で消費される“コンテンツ”へと変容しつつあり、Brosの番組表オミットは的確な判断だったのだなと、いまにして思います。『新春テレビ放談』の中身が、半分は“テレビでないもの”についての話になるのも自然の流れではありました。

 前のエントリに書いたように、物心ついた頃から青春の傍らにテレビがあり、テレビの成熟爛熟とともに齢を重ねてきて、ネットが日常に入って来た時には中年になっていた世代としては複雑な思いもありますが、進化の過程には、変容することで生存競争を乗り切るという側面がありますから、テレビ“番組”の変容、これもまた良しと言っておきましょう。絶滅する、なくなるよりはずっといい。

 さてそんな中でも、“世代間の分断”という、たとえばyoutube利用率を指標としたキイワードがひとつ浮上したおかげで、“ヒットした番組がヒットした理由”はさくさく読み解きやすくなりました。

 読み解きの因数は「大きく取り込む」。=分断された中でも複数の世代、多くの層をつかんで巻き込んだドラマは番組冒頭で紹介された人気コンテンツランキングでも好位につけています。

 この“大きく取り込む”というフレーズの含む中身にはいろんな切り口があって、まずは“当たった組代表”日テレ鈴間Pの『あなたの番です』で採られた、“遮二無二ネットバズらせ”(←秋元康印のアッと驚かせる展開と見せ方、SNS上で考察論議する初期高体温ファンの拡散利用、ツッコませに特化したまとめ動画配信)と“序盤の低視聴率ものかは微動だにしない2クール押さえ”(←幅広く安定した数字を目標にしない。刺さる、エッジの立った、中毒性のある企画でマルチプラットフォーム展開を前提。「暗い怖い胸糞悪い」との反響もB級ホラー調のタッチを貫き“いねーよこんなヤツ!”と言いながら見てもらえるように作る)。

 さらには、

・性的マイノリティの生きかた生き場所など重いテーマに、笑えるあるいは萌えられる要素をスウィーツのように散りばめ口当たりを良くする(『おっさんずラブ』『きのう何食べた?』)

・ヒロインを巡る男性に、対照的なタイプの旬の男性俳優を充てて比較観賞させ“ヒロインが最終的にどちらとくっつくか”見逃がせなくさせる(『凪のお暇』)。

・90年代後半~2000年代に一世を風靡したザ・“キムタク”ドラマの要素に、気鋭の若手演出家の斬新なカメラワークで料理プロセスやレストラン内幕もののリアリティを配し、いま風の新鮮さを出す(『東京グラン・メゾン』) 。

複数クール複数シーズン取ってとにかく多話数、長く放送し、レギュラーキャラを描き込んでいってお馴染み感、思い入れを持たせる(『ドクターX』『相棒』『まだ結婚できない男』、前述『あな番』も)

・・・など、つまりは “複数の面白がりどころ、楽しみどころを仕込み、いろんな趣味嗜好の層がてんでに食いつき、長期間にわたって流入して来られるようにする”というのが、『テレビ放談2020』パネラーの見る当節テレビのヒットの法則だったようです。

 言い換えれば、少し昔のように「高齢者向け」「主婦向け」「20~30代のシングルOL向け」等と、見てほしい客層を絞り込んで、その層が好む要素・手法だけで固めて作るとまず当たらない。『あな番』のように、放送後東京在住の若い視聴者が地方の実家の家族と電話で考察を話し合うような、世代と層を跨ぐトレンドにならないし、狙って絞ったその層がそもそも見てくれなければ悲惨なことになる。絞った通りの客だけどうにか掴めたとしても、ひとつひとつの層のパイはひと昔より軒並み縮小している(絶対的人口減少)ので、枯れ木も山の賑わいになるだけ。客を絞れば絞るほど、あらかじめ負けを認めたに等しくなるのが、いまのテレビなのです。

 テレ東の佐久間Pが「大好きだったし特に後半はめっちゃおもしろいと思ったのに(低視聴率で)ショックだった」と、他局のドラマなのに実感をこめて振り返っていた『いだてん ~東京オリムピック噺~』の敗因もこの近辺にあるような気がします。・・いや、「ような気がする」じゃなくて、ドンズバここだな。ここ近辺にすべてがあるな。(この稿『いだてん』にフォーカスして次も続く)

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『新春テレビ放談』三たび ~テレビでないものを見ないとテレビを語れない矛盾~

2020-01-21 22:56:20 | テレビ番組

 もう1月も後半戦、通常国会も開会したし(関係ないか)、“新”春でもなんでもなくなってますが、まぁ旧正月(25日)ってのも残っているし、行きがかり上NHK『新春テレビ放談』(2日放送)の話を続けます。

 話のスタート台に持ってきた視聴者アンケート調査のタイトルが『2019年の人気番組ランキング』ではなく『~人気“映像コンテンツ”ランキング』に変わったことが端的に示しているように、今年のこのテレビ放談は、“テレビ”放談というタイトルを冠されてはいるけれど、放送時間の半分くらいは“テレビ放送されていない、テレビと別フィールドで広まり視聴されたタイトル”について、パネリストもMCもしゃべっていたような気が。

「2019年、何を見て面白かったか」を語ってもらおうとすれば、Pや局アナなど現役テレビ業界人、“テレビでやってることを論評しておカネをもらうプロ”の皆さんも、いまやテレビ以外の有料配信サービス、youtube(ユーチューブ)動画をはずして語れなくなっている。もうそういう時代に、否応なく、なっているということです。

 ランキングとしてはベスト20の17位にUSドラマ『ウォーキング・デッド』が入っていただけですから、“ネット配信専門コンテンツにテレビが押されている”という現況では未だないのですが、テレビを生業とする人たちがこれら“テレビ以外”のコンテンツを語らなければならないについては、数字以上の理由がある。

 と言うのは、テレビ関係者全員、言葉は同じではないけれども現在のテレビ番組界の直面する問題として挙げるのが“世代の分断”“高齢化”

 世代・年代によって見ている番組、ウケる番組がくっきりきっぱり分かれていてほとんど接点がない、別の世界に等しい、ということがひとつ。

 そして、どの番組もどの局もどの時間帯も、見ている人がそっくり加齢し高齢化しているということ、言葉を変えれば、いいトシになった人しか見ていない、ということがひとつ。

 これを端的に表現するひとつの指標が、youtubeの年代別利用率で、番組内で紹介された調査結果では、10代~40代では81~90%台あるのに、50代では73%に下がり、60代では40%とさらに急落しています。

 決して「若者しか利用しない」というわけではなく、たとえば手芸品自作の参考にしたり、防災訓練のやり方を見学したりと、テーマにそって検索して見られる“動画”ならではのわかりやすさを実生活に役立てている中高年の声も紹介されていましたが、“50代から目に見えて減り60代で半分を切る”というデータを見せられると、まさにその年代にいる月河には「やっぱりね」と腑に落ちるふしがあります。

 一言で言うと、この世代は、人生にネット汁(じる)がしみ込んでいません。月河家にひかり電話とインターネットが開通したのは2006年=平成18年でしたが、自宅専用としては決して早い方ではないけれども、驚かれるほど遅かったわけでもない。ネットがおしゃれで進んだ会社のオフィス専用ではなく、インテリカタカナ職業の皆さん専用でもなく、一般人の寝起きするお茶の間に入って来たのは、ざっくり言えば世紀の替わり目より前ではないでしょう。

 いま40代の人たちは、この時期に20代です。大学生か新社会人か、あるいは仕事に慣れてプライベートの幸福度アップ=結婚、婚活、あるいはキャリアアップや転職を意識していたかもしれない。

 いま30代の人たちは中高校生。部活にうちこみ受験を心配しながら、クラスの意中の異性にどうアプローチするかこっそりワクワク考えたりもしていたでしょう。新しいものに興味津々、学びたい習得したい、先んじて使ってみたい意欲満々です。

 いっぽう50代以上の、youtubeとあまり親しくない年代の人たちは、この時期に、大袈裟に言うと青春がすでに終わっていました。この年代で初めて向き合うネットとは、面白い興味深いより先に「仕事上“使えないと困る”と、人から最近言われるようになった、よくわけのわからないもの」であり、「無けりゃ無いでどうにかなるし、現に、無しでずっとやってきてた」ものです。

 新しく出現した物や人やシステムに初めて接触したとき、“年齢何歳だったか”“社会人だったか学生だったか”“思春期後だったか前だったか”は重要です。いま50代以上の人は、ネットが生活圏内に来たときすでにおじさん、おばさんでした。

 そして、この年代は“生まれたときからウチにテレビがあった”“物心ついたらカラーテレビだった”最初の世代で、テレビが娯楽の王道、夢と華の玉手箱だった時代をいちばん長く知る世代でもある。40代以下が“ネット汁”、就中20代以下が“スマホ汁”としたら、“テレビ汁”がいちばん感性知性、生活態度にしみ込んでいるのは、50代以上なのです。

 『テレビ放談』パネリストの一人で(かつ、いちばんクチカズが多かった)テレビ東京P佐久間宣行さんが「(youtube利用率が急落する)60代以上が、テレビ視聴者のボリュームゾーンなんですよね」と、問題提起とも慨嘆ともつかない指摘をするのはこの件です。

 “中高年と若者”という単純な世代分断なら大昔からあった。世代による価値観や趣味興味、嗜好、行動パターンの違いも絶え間なくありました。

 いま、“テレビ”を定点にして眺める世代分断は意味合いがだいぶ違います。“青春の傍らにあったもの”がテレビだった世代と、ネット、スマホだった世代。

 テレビ番組制作側は、どうにかして後者に見てもらいたくて感性、興味関心の周波数を後者に合わせるべく、ネットで意識調査などして番組を作るのですが、テレビのスイッチに親しいのは前者が圧倒的ですから、後者に合わせた周波数にはさっぱり乗ってくれません。

 『テレビ放談』でも指摘された「ドラマの人気上位がここ10年かそれ以上変わっていない(依然『ドクターX』『相棒』)」「バラエティの新番組が定着しない」等のテレビの苦境の原因はここにあります。来てほしい客と、現に来ている客とで、見えている風景、住んでいる世界、吸っている空気の質が違う。

 『テレビ放談』では、昨年一年間でヒットした番組の実例として『あなたの番です』(日本テレビ)の手法にかなりな時間を割いて紹介していましたが、番組の成否・勝敗を分けたのは、詰まるところこの世代分断、“青春分断”への対処の巧拙にほかならなかった・・というのが大結論と言っていいかもしれません。この項続く。

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新春テレビ放談 再び ~バズるバズるときバズればバズれ!~

2020-01-05 20:06:37 | テレビ番組

 正月恒例のこの番組も今年=令和2年、2020年で数えて十二回目だそうです。メイン司会の千原ジュニアが「消費税(率)何パーセントだったんや」と、“いかにも大昔”感を強調していましたが、第一回が2009年ですから、言うほど昔でもない、すでにネットもあったしお笑いブームも何次めか通り過ぎた後だし・・と思う一方、2009年からここまでの間には東日本大震災があり、アナログ放送完全停波と地デジ完全移行があり、『笑っていいとも!』が終わり、SMAPが解散し・・と、結構、テレビ界も、テレビを取り巻く人的物的環境も変わっているもんです。

 今年いちばん番組内で大きく変わったのは、昨年までは一般視聴者アンケート“人気ドラマランキング”“人気バラエティランキング”だったのが、「2019年に視聴したテレビ番組・ネットの有料/無料動画を含めた、すべての映像コンテンツ」にまで対象を広げてランキング発表したことでしょう。一般人1000人に訊きましただったらしいけど、これ、集計するのも大変ですよ。

 2015年(平成27年)の第八回ぐらいからだったと記憶しますが、すでにテレビの人たちから「ネットっちゅうもんをどうするか」という問題意識は常に提起されていました。最初は“娯楽のパイを奪い合う新興の競争相手”視して、「ネットに負けないコンテンツ・ソフト作り」「ネットよりテレビを選んでもらえるように」という姿勢だったのが、17年(同29年)の第十回頃からは“ネットとの共存”をポジティヴに考えるように完全に転じ、今年はさらに、見る視聴者側からでなく制作者側があらかじめ“ネットを利用して番組の面白さの切り口を増やし、楽しみ方を重層させる”仕掛けを、前がかりで考え実践していく発言が目立ちました。

 実際、今回のランキングでもベスト10はすべてテレビ地上波の放送番組で、出揃った瞬間ヒャダインさんが「ネットいない・・!」と拍子抜けとも安堵ともつかないリアクションを示したのが印象的。どんな基準で選んだ1000人かわかりませんが、この程度のサンプルならやはりまだまだ地上波が優勢なのは納得がいきます。

さらに今年は台風・大雨など天災も相次ぎ、「災害時はNHK」の定説通り、即時性同時性にはすぐれるけれどもフェイクニュースも多いネット情報より、テレビ地上波の確実性を再認識した視聴者が多かったようです。これは当たり前っちゃ当たり前だけど、視聴者の皮膚感覚が正しい。

 ランキング8位に入り流行語大賞にもノミネートされたドラマ『あなたの番です』の日本テレビ鈴間広枝Pがパネリストの一人で、「鈴間さんの番です!」(ジュニア)とばかり、前半の放送時間12分余り、“どうやってヒットドラマにしていったか”の話に集中しました。

 昨日の記事タイトルの通り、月河はこのドラマも、放送中1話も、1秒も視聴していませんから、あくまで“世の中の話題の一端”“通り過ぎた風景の一郭”としてこのパートを聞いていましたが、SNSを駆使したトレンド醸成や、鈴間さんの言う“ツッコまれ”に特化したまとめ映像の配信などのデジタル戦術もさることながら、ヒットのいちばんの要因は「とにかく2クール(4月~9月、全20話)やる!」と決めて漕ぎ出し、出だしの数字が悪くても何しても折れなかったこと、これに尽きると思いました。

 これが可能だったのは、日テレの10時代を含む夜時間帯がここすでに他局に比べて強いからなのか、企画原案秋元康さんの政治力と人脈力の圧のゆえかは微妙。しかし、“小ぶりに控えめに試し打ちしてみて、ダメだったら即撤退か方向転換”という消極的な姿勢ではヒットは生み出せないことは確かだと思います。

 絶対やるし、やれば当たるんだと作り手が信じて作り抜くことが肝要。この辺り、ジャイアンツのバリバリエースだった頃の桑田真澄さん(いまは“Mattの親父”として有名?)が、雑誌の対談で(相手は現役引退し解説者になって間もない頃の東尾修さんだったと記憶)、「絶対打たれないと思って投げたら、ど真ん中に(球が)行っても不思議と打たれないですよ」と語っていたのを思い出しました。

 もうひとつ、これも月河がこのドラマを未見だったから一段と強く感じたのかもしれませんが、2クールを通じて“座長”と目された主演田中圭さんの持てる魅力が与ってチカラ大だったと思います。この日も別撮りVTR出演で、撮影時の所感やこぼれエピを語ってくれていました。

 「(『おっさんずラブ』に続いて『あな番』も序盤低調から後半跳ねるスロースタータータイプのドラマ主演で)オレ、“持ってる”のかなと思ったり、でもたまたまだと思う」と語る田中さんの起用無ければこの枠のこの作品の当たりは無かったはずです。鈴間P曰く、この日曜夜10時台の枠は「地上波のリアルタイムで安定した数字を取って行くことを目指すんじゃなく、エッジの立った、中毒性のある企画で、マルチプラットフォーム展開できるものを作る」のがミッションだそう。そこまで尖鋭に“ネットで沸騰”に絞って狙い撃ちに行くプロジェクトに、田中圭さんの何と言うか、おっとり感、尖んがらない感、ある種の透明感は願ってもない個性だったのです。このドラマ未見だけど、あざとく“エッジを立てた”肌合いのストーリー、映像に、田中さんの主演は視聴者が見て「がんばれ、生き残れ」「ワタシが見てるよ、味方だよ」という気持ちにならずにいられないものだったのではないでしょうか。

 ジャンルは違うけど、平成『仮面ライダー』諸作品に相通じるものがあると思う。ライダーの主演は、ほとんどが演技経験のうすい若手俳優のオーディション抜擢です。よく言えばフレッシュな、悪く言えば“イケメンでかっこよくて身体の切れがいい以外、芝居的には何も取り柄がない”ド新人くんです。こういう子を東映伝統の特撮現場に主役として投入すると、当然当人は焦りまくります。現場にセリフ入れて来るだけで精一杯、監督は怖いわ、脇役やスーアクさんはベテラン揃いだわ、事務所からは期待されてるわ、いったいどうやれば乗り切れるんだよーーという戸惑い、苛立ち、プレッシャーは、脚本でライダーに変身する運命を課された主人公の苦悩そのものなのです。ここがシンクロして画面から伝わるから、視聴する小さなお友達も、かつてライダーウォッチャーだったお父さんも、イケメンならとにかくなんでもいいお母さんも、思わず手に汗握って応援する。

 田中圭さんは、同じ日曜の“夜の、変身しないヒーロー”の役回りに唯一無二のキャストでした。他の俳優さんではちょっとこのポジション代わる人が思いつきません。

 企画の豪胆さ図太さと、主演のド嵌まり。やはり「当たるべくして当たった」ドラマだったんだなと思いました。くどいけど、一話も視聴しなかった月河でも、この番組の情報だけでわかる「そんなに当たったんなら、見ればよかった」と思うかどうかは全く別

 鈴間P「キャストの皆さんも私も、大変なはずのスタッフも腐ることなく頑張ってくれて、ホンットーに幸せな現場でした」・・・・羨ましく聞いた他局のドラマ制作班、多かったでしょうね。

 この『新春テレビ放談2020』についてはまだ投稿するつもりですが、内容のほかに気になってしょうがなかったのは、司会のジュニアと杉浦友紀アナの席の後ろにでかい水槽があって、海月(くらげ)さんたちがスイスイホヨホヨ泳いでるの。スタジオの照明半端ないはずですが、水温の管理、大丈夫なのかしら。しかも、今回のスタッフは相当な“海月押し”だったらしく、番組中で視聴者のアンケート回答などがテロップで画面に出るたびに「チャポッ」みたいな水音の効果音と、テロップ横に海月のイラストが。パネリスト紹介やランキング表示画面のバックもぜんぶクラゲ。何だったのかなアレ。『あな番』絡みの話題のあと、『凪のお暇』『同期のサクラ』『私、定時で帰ります』等、いまどきヒロインのドラマの話になり、“がんばらない”がキーワードになったりしたからかな。

 クラゲさんなりに、ああ見えても頑張って水圧に耐えて(=浮上したら気圧でお終いだから)ホヨホヨしてるんじゃないかと思うんですが。

(この稿続く)

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新春テレビ放談 ~ベスト20を何も見てない~

2020-01-04 19:17:38 | テレビ番組

 正月恒例の特別番組の中でここ数年落としていない『NHK 新春テレビ放談』、2020年も1月2日PM10:00~の放送。

 女優松本まりかさんのローで熟で微ハスキーなナレのおかげで?今年は心なしかアンニュイに、ミスティな雰囲気でスタートしましたが、個人的に振り返れば2019年は本当に近来稀にみる、テレビ番組をしっかり見なかった年でした。

 同番組の人気コンテンツランキングでも「あぁ、これは毎回もしくは、ほぼ毎回、見てたわ」と思うタイトルが“話題になったベスト10”の中にひとつもない。

 辛うじて、2位『相棒』はいまだ見てるか。Season17ぐらいから録画溜めては足かけ三日か四日がかりで再生視聴が多くなってるけど。

 自分でも信じられないんですが、放送前かなり期待していた『仮面ライダーゼロワン』も3週、2月からの『騎士竜戦隊リュウソウジャー』にいたっては1週でダウンしました。

 2018年度の『快盗戦隊ルパンレンジャーvs.警察戦隊パトレンジャー』に、関連書籍を含めて精も金も尽くし果てたということもあるんですが、ここへ来てテレ朝スーパーヒーロータイムの朝9時台移行というのが、2017年10月からの2年あまりで、ジャブ累積のようにこたえてきたなぁと正直思います。7時台のほうが、早起き身支度が確かにちょっと大変だけれど、家族や世の中がフル回転する前に自分だけの時間としてポケットに入れられた。

 9時からだと、『リュウソウジャー』が終われば10時です。日曜の10時、特に日没の早い11月頃以降の感覚だと、すでにお昼待ちです。もう自分の時間ではなくて、家族の時間、ひいては社会・世の中の時間です。あぁいま放送してるな・・と思っても、すでに“社会的”にエンジンかかっちゃってるものを、個人の享楽のポケットに滑り込ませるのはすごいエネルギーがいる。

 編成としてもどうなんでしょう。より感覚的でシンプルで明朗な就学前向けスーパー戦隊の前に、主知的でSFっぽく小劇場的でもある、コンプリケーテッドな令和ライダーが来るというのは。枠移動して2年そのままということは、特にクレームの嵐も、視聴率や玩具・お菓子等の売り上げ落ち込みもなく受け入れられているんでしょうかね。

 まぁ、最近の右肩上がり(下がりか)の少子化の流れからみて、ドンズバ小学校中~高学年のお兄ちゃんと、幼稚園の弟くんがテレビ前の特等席をタッチ交代する家よりも、二次元何でもオーライな大きなお友達がひとりで8時半の『プリキュア』シリーズからまるっと1時間半かじりついてる世帯のほうが優勢で、制作側もそういうお客さんを想定して作っているかもしれない。

 こんな、とっくに既定の現実になった状況が、いま頃になってこたえてきてテレビ視聴が仮死状態化するのは、なんだか“テニスの二日後に筋肉痛”のようでもあり、要するに個人の加齢変化にすぎないのでしょう。自覚症状がくるのに時間がかかる。

 アナログ人間でおウチ志向の月河でさえこんなに摩擦係数高まっているんだから、テレビ番組、特にスポーツイベントや時事ネタ、災害やアクシデントのニュースでブーストの恩恵のない、連続モノの制作者の皆さんは苦心惨憺でしょうね。

 ・・・・とはいえ、こんな中でも、完走したタイトルはちゃんとあるから我ながらしぶとい。「忙しい」「時間がない」は「やる気がない」とイコール。テレビ番組においては「面白くない」「興味がない」とイコール。おもしろいと思えば、寝る時間削ってでもやっぱり見るんです。続きは『テレビ放談2020』の感想も含めてこの次。

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