イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

振り返るな朗々

2011-09-28 00:34:52 | 海外ドラマ

前の記事では韓国製ドラマのプチ総論みたいなことを書いたので、『赤と黒』のドラマ本編をもう少し各論で掘り下げようと思いますが、その前に、サウンドトラックCDがなかなか愉快です。

まずジャケ写=歌詞ブックレットの表紙が、まあ型通りなんだろうけど、ドラマ完走したあとで見ると、えらく楽しいことになってますよ(←←←左柱←)。ゴヌクは下のほうでがっちりジェインの手をとっているし、テラさんは反対側からゴヌクの腿に掌を載せている。ぬほー。フトモモ。脚の付け根に近いフトモモ。何テンション上がってるんだ。テソンがゴヌクと反対側でジェインと向き合い背後から腰に手を回している。テソンの背中には、モネちゃんがもたれて軽く腕を組みにっこりグラビアスマイル。こらこら、微笑んでる場合かと。最終話のアレはどうしてくれると。

んで、全員カメラ目線でキメ。ぬぉぉぉー、ドラマであんなにさんざんくんずほぐれつしたのは何だったんだ。なぜここにホン家夫人、テソン継母にしてテラモネママのシン女史がいないのか。いてほしかったなあ。存在がでかすぎて背景が埋まってしまうか。

主要人物勢揃いでキメ顔決めポーズ、というこの構図は、韓国ドラマのサントラCDDVDBOXのパッケージでよく見かけます。この国製ソフトらしい、根性の入った作りモノくささで、上等上等。

日本のドラマサントラだと主役ひとり映りや、主役カップルの2ショットはよく見かけますが、勢揃いカメラ目線決めってあまり見ないような。スーパー戦隊のなら、結構あるか。変身前素顔ヴァージョンの勢揃いも、ジャケ写裏あたりでは結構見ますな。仮面ライダーシリーズのそれだと、勢揃いしても、わりとてんでんばらばらな方を見ていたりする。

日本でも『白い巨塔』なんかこれ式にすればおもしろかったのでは。オベリスク背景に浪速大医学部勢揃い。くれない会も。ジャケ面積が狭すぎるか。西田敏行さんの陰に何人か隠れるな。財前が身長を気にして「安西くんは離れて」とか言うかも。出来上がり写真より、撮ってる最中のほうがおもしろそう。

話がそれた。いままで視聴した韓国製ドラマの劇伴音楽と言えば、大半ヴォーカル曲、しかも歌手のヴォイスが前に出まくった楽曲ばかりで「ここぞというところで朗々」という印象だけしかなく、視聴中も音楽が入ると音を絞っていました。ここは人物の気持ちになって余韻を…といきたい抱擁シーンや、忍び泣く後ろ姿のロングなどで、勝ち誇ったように♪サランへ~だの♪宮根よ~だの来ると、正直、引くし、醒めますもんね。

でも今作『赤と黒』は12話の段階で、初めて視聴する現代ものだからそう聞こえたというだけでもなさそうな新鮮な才気を感じたし、上半期〆の時期とあって、ささやかな地元商店街の買い支えとばかり贔屓にしていた本屋さんから、スタンプ満杯の感謝券壱千円ナリもいただいたところなので、だまされたと思ってとにかく購入。

上述の、見てるとニヤニヤしてくるおもしろジャケのフタをあけると、盤面が真っ赤。それもツヤありの、クリスマスツリーの飾りつけに使うカラーアルミホイルのような、浮かれた真っ赤。真っ赤に黒のアルバムタイトルロゴ。いいですねえ。『赤と黒』は日本放送時用のタイトルで、母国での原タイトルは『悪い男』だそうですが、このロゴもそっちなのかな。光り赤地に黒ロゴの「悪い男」。劇中のゴヌクよりも、テソンよりも、この盤面のほうがエロくて軽薄でワルそう。

23曲中、半分の13曲が歌もの。感動系・切なさ押しのバラードが多いのは、やっぱりね…という感じですが、歌っている歌手の皆さんの顔触れ…はわからないけれど“声触れ”がなかなか多彩で、意外と飽きません。

異色作もあって、男声のM2『オニバスの花』は80年代前半の、マーティ・バリンなんかがホウフツとなる、AORそのもの。AOR、エーオーアール、なんと懐かしい響きよ。ギターソロバックに、サビでするするっとファルセットになる辺り、なんかカフェバーで飲んでるような気にもなれますぞ。ひゃー、カフェバー。どこまで懐かしくしてくれるんだ。

また、女声のM10『馬鹿』は、思いもよらぬ恋のときめきに自分を叱咤したり、相手にすねたり甘えたり、ダメダメ…と逡巡したりする、ういういしくもこっ恥ずかしい少女の気持ちを、かわいいメジャーコードにのせた、たぶんモネちゃんをイメージしたのであろう曲で、日本でも、歌唱力あるほうの女の子アイドルの、シングルCWに入っていそうな好作です。たとえば、そうですねぇ、往年の山口百恵さんがB面で歌っていたら、25年後ぐらいに半田健人さんが「こんな可愛い声だったんですよ!」と昭和歌謡番組で力説しそう(伝わってるのか)。

月河はやはり後半のインスト曲のほうのヘビロテ率が高いです。さあこっから韓流ターイム!というくすぐり感とともに空気の湿度、粘度、甘味度を上げ、お話世界にぐぐっと前のめりにさせるM13main title』、M14sub title』は繰り返し聞いてもイメージ喚起力が褪せないし、M19『郷愁』のタイトル通りノスタルジックな三拍子はモノクロのヨーロッパ映画のよう。刺激的なパーカッションが背後で煽るM21『スタントマン』や、ストリングスの闇の中をホーンの息づかいが切りひらいていくようなM20Tatoo』は、これまた80年代の井上鑑さん編曲のJPOP群をしばし思い出させます。

『スタントマン』と来れば70年代末期アイドルの渋谷哲平さんも思い出すな。末期は失礼か。80年代に入ってもサンデーズで活躍してたか。

……書いているとつい喩えに“80年代”という言葉を出したくなってしまうのですが、「いつか聴いたことがあり、好きだったことも確実にある音色、声質、音並び節まわし」、これがこのサントラの魅力の本質らしい。

ドラマ本編の持ち味ともシンクロしている。親の恨みの仇討ちモノ、階級違いの恋愛モノは言うに及ばず、生き別れ親子の再会を目指す放浪モノ、連れ子再婚や妾腹庶子が作る“ビッグファミリーの光と影モノ”も、ある時期はさかんに制作されて、大勢の日本人が前のめりで観たり読んだりしたのでしょう。でもいつからか、「もうみんな飽きただろう」「いまさらこんなんやったら、観てたら、時代遅れと笑われる」と、誰も手をつけなくなった。

でもやっぱり、どこかで耳目に触れると、やはり、ある程度確実に、心の琴線に来るのですね。取り返せない幼少時代、家族との平和で温かな日々、奪って行った者たちへの憎しみ。あるいは欲しても、渇しても手の届かない、眩い世界、憧れの人。

「いつか観てた、好きだった、嵌まってた」という懐かしさ、帰郷感、タイムスリップ感が、韓国製ドラマを日本の視聴風土に馴染ませている要因だと思います。おかしな言い方だけど、真っさらさらの、いま生まれて初めて目にし耳にするような新鮮さや独創性があまりないからこそ、韓国製ドラマは心地よいのです。

…なんだかリスペクトしてるんだかディスってるんだかわからなくなってしまったな。とにかく『赤と黒』サウンドトラックは好盤です。「どうせ“ここぞ朗々”だから」と毛嫌いしないで聴いてみてよかった。107日(金)からBSプレミアムで日本語吹き替え版も放送されるそうで、韓国製劇伴にもこの際、スポットが集まってくれるとおもしろいことになりそうです。

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太にして濃だが短ではない

2011-09-25 13:48:53 | 海外ドラマ

NHKBSプレミアム『赤と黒』94日(日)から2週間にわたった連続放送、どうにかこうにか録画視聴しました。

17話。ふぅー。韓国製連ドラ(一応“日韓共同制作”のカンムリはついているけれど、日本ロケシーンが若干と、日本人俳優さんが23人出演しているだけ)現代ものの通し視聴は初体験ですが、50話超の作が普通にある史劇と比べるとコンパクトなのに、はどうしてこう、焼肉の後チーズケーキみたいに腹にこたえるのか。

OP・次回予告込みだとフル59分、NHKなのでCMも無しのぶっ通したたみかけヴォリューム感もさることながら、韓国製ドラマの場合、サブストーリー、サイドストーリーらしいものがほとんどないことも原因かと思います。

とにかく主役主役、ひたすら主役押しで、主役の考えていること、欲すること、主役が出会う人、憎む人、愛する人、主役が求めて、あるいは遭遇して紡ぎ出すメインストーリー1本かぶり59分なら59分が終始する。単純、シンプルと言えばそれはもう単純でシンプルなのですけれど、いささか息が詰まるし、一方向しか見ていない状態が続くわけだから、心理的に“首が凝る”感じもある。

んで、ストーリーがひとつっきりですから当然、劇中もネタがなくなって、主役の目指すところが恋愛であれ、犯罪であれ、立身出世であれ、大きくは建国や王位継承、戦勝による領土拡張であれ、頓挫したりまったりしたり、観るほうも疲れてきたりするときが何回かあるわけで、特に何の伏線というわけでもなければ、当然前の伏線の回収というわけでもなく漠然と主役が街を歩いたり、空を見上げたり川面を見つめたりするシーンが何回かはさまって、そういう時間も含めて尺をもたせるのがあちらの流儀らしい。

日本で連続ドラマがこれ式だったら、速攻「かったるい」「間延びする」とチャンネルをかえられてしまうのではないかと要らない心配をしてしまいますが、思い出すのはこの5月にNHKで放送された『イ・ビョンフン監督の世界』で同監督がインタヴューに答えて言った「韓国人はドラマに“取り憑かれた”国民」という言葉です。

曰く、韓国は昔から周辺の諸強大国に圧迫を受け続け、植民地支配や朝鮮戦争で苦痛に耐えて来た歴史があるので国民にとってドラマは辛い実生活をひととき忘れさせてくれる“夢”であり“無しでは生きていけないもの”…というような意味のことを監督は語っておられました。

そうだ、人はパンのみにて生くるに非ず。バターをつけて食べるべきである。んなバカな。それはさておき、TVドラマ監督として20有余年のキャリアを持ち『ホジュン』『チャングム』など数々のヒット作を手がけてきたビョンフン監督の診立ては重みがある。「無しでは生きていけない!」というなみなみならぬ食いつき欲が視聴者側にあるなら、ドラマのほうも“食いつかれ負けしない”コシの強さが無ければならないのです。王位につくと決めたら絶対つくし、最高尚宮になると決心したら、花も嵐も踏み越えて何が何でもなる。恋のため復讐のため、誰某を殺ると誓ったら、最終話まで誰某を殺ることしか考えないし、誰某を殺るための行動と思考以外何もしない。国民の熱っつい、前のめり受信体温に呼応して、制作=発信サイドもとことん野太く、プリミティヴなまでに熱血剛球一直線で、いったん客のハナヅラをつかんだら、一方向にぐいぐいチカラワザで引っ張って行き、途中で放してラクにさせて、サブストーリーなんぞに目移りなど死んでもさせない勢い。

今般の『赤と黒』も、ストーリーはきわめて単純で、主人公シム・ゴヌクの、財閥ヘシングループ一族への復讐企図と実行、それが両者の過去及び現在に呼び起こす波紋と顛末、これあるのみほかにドラマらしきお話は、ところどころに気配だけちらつきはするもののほとんど皆無に等しい。

日本のTV局で日本人Pや脚本家が日本人視聴者向けに作るドラマなら、『赤と黒』の場合たとえばジェインの美術展ディレクターとしての成長覚醒物語とか、東部署の叩き上げオヤジ刑事とモバゲー好き新人刑事との相棒コンビ熟成とか、わがまま女優に仕えるダサい付き人少女がゴヌクの諌言を支えにリベンジとか、いっそジェイン妹ウォニンのイケメン男子高生逆ナン泣き笑い顛末とか、17話あれば(当初20話予定が大人の事情で短縮されたらしいが)、主人公のメインストーリーと対比させたり絡み合わせたりしたくなる物語要素がごまんとあるのに、ちらつかせるのみでまったく掘り下げず、主人公の周りに配置して接点を持たせ反応させた程度です。

ドラマのストーリーは一本かぶりに限る。韓国製ドラマ現代もの初視聴で、何やら同国の制作哲学というか、信条というか、そんなものもおぼろげながら見えたような気がしました。

そう言えば前出のビョンフン監督特番に、インタヴュー時(=2009年)快調撮影・本放送中だった『同伊(トンイ)』が、初めて時間帯視聴率首位を陥落…というくだりがありました。そんな状況で監督が編集作業の傍ら言ったのが「調査や推理が長く続く展開だと、視聴者は離れてしまう」

…字幕でこう表現されていたので、韓国語でどういうニュアンスだったのかいまひとつ鮮明でないのですが、あながち「韓国人は謎解きモノが苦手」というだけの意味ではない様に思います。「(韓国のドラマ視聴者は)わかりにくいのが嫌い」「主人公が何を思いどう考えているのか表現されないまま、設定上の事情や事実が順列提示されていくだけでは、つまらないと思われる」と、同監督は言いたかったのではないでしょうか。

主人公ゴヌク役キム・ナムギルさんをはじめ、仮想ライバル?ホン・テソン役のキム・ジェウクさん、ホン一族長女テラ役オ・ヨンスさん、次女モネ役チョン・ソミンさんら、OPに主題歌つきで顔出し紹介される主役陣は揃って小顔でスレンダーで、衣装もヘアも、あくまで韓国視聴者基準ながらスタイリッシュそのもの。役柄的に“庶民代表”で丈夫そうに見えるジェイン役のハン・ガインさんも、脚などモデルさんのようです。しかし一見華奢でオシャレな絵ヅラに反して、内容、作りはあくまで“太”“濃”“直”

そして“情”どこまでも“情”。

ともすれば“淡”“軽”“散”に、そしてなんちゃらかんちゃら“理”や“知”に逃げようとしがちな、昨今の日本製ドラマに不満な客の一部がそっくり韓国製のそれに流れていってしまっているのも、あながち、例の日本人俳優さんのツイッターで非難された一部TV局の偏向のせいだけではないかもしれません。

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夫婦の器器

2011-09-21 01:13:00 | 朝ドラマ

ここで書こうかなと思うと、見澄ましたように決まって本編がとんでもない唐突展開になって、「これこれこんなになりましたねー」と書こうと思っていたことがあらかた書けなくなるのがつねの『おひさま』。先週も来ましたな、唐突爆弾。

和さん(高良健吾さん)陽子(井上真央さん)、まさかの“夫婦の危機”。おしどり夫婦ライフには浮気“疑惑”→雨降って地固まるエピの1回ぐらいはないと、やはりいかんのでしょうか。一児(=日向子ちゃん)を成した健康な若夫婦にしてはあまりにオスメス臭がないので、終盤、少しは帳尻合わせの意図か。

同隊でいちばん気が合った戦友が、肺を患い死の床にあるという。実家が多治見の美濃焼窯元である友は、「生きて帰れたら、おまえ(の実家の蕎麦屋のため)に、どんぶりと蕎麦猪口を焼いてやる」と約束してくれていた。果たせそうもなく逝くのは無念であろう、せめてひと目見舞いたい………ベタですがいい話です。人の家の嫁となってもやたら独身時代の友人・教え子付き合いこまやかな陽子に比べ、男同士の付き合いらしきものがほとんどなさそうだった和さんの“侠気”を見せるエピに仕立ててもよかったし、昔からよく欠けたどんぶりを接いでいた和さんがモノづくり=陶芸に目覚め、「蕎麦屋として親父にはできない、オレだけにできることがひとつ見つかった」と、店で使う器のすべてを手づくりで焼き上げるまでに至るプチ成長小説にしてもよかったのに、ひたすら“亡き友の未亡人に情がうつったか?夫婦の危機疑惑”で塗りこめてしまいました。

どうも、このドラマの作家さんは、和さんを、ヒロインから見ての“理想の夫”であるにとどめ、男として陰翳がある、味があるとか、学問や人生経験に裏打ちされた人間的な深みがあるというふうには描写するつもりがないようです。高良さんの和さん、ルックス的にはもちろんカッコいいし、やることなすこと性格のよさはにじみでているんだけれど、なんだかどっかから降って湧いた様な、天使のようなカッコよさ、性格のよさなんですよね。こういう環境で育ったから、こういう書物を読み、こういう人たちとこんな交流をして来たからカッコよくて性格が良いんだろうなという、拠って立つもの、原因や根っこが見えない。ただただ自然発生的に、あらかじめ、性格がいいのです。

“茂森宏介”とフルネームの役名がつき、どんなにいいヤツで妻子を愛していたかを、和さんからウル目で語らせたわりには、この戦友さん回想でも一度も画面に登場しませんでした(920日現在)。こういう、台詞内の説明でしか存在および言動が語られない(しかも説明自体は妙に具体的・個性的だったりする)人物が、何人いたことか。この茂森さんのほか、丸庵ご近所でいちばん陽子と年が近かった啓子さん(初音映莉子さん。懐かしかった)の夫=建造さんも、和さんを「弟みたいに、良いことも悪りいことも教えてくれた」そうですが一度も登場なく戦死公報が届き啓子さんが泣き崩れたのみ。あと育子(満島ひかりさん)の実家=本屋の父ちゃん、東京大空襲の日列車に乗っていて犠牲となった杏子ちゃん(大出菜々子さん=国民学校当時)のご両親も。

桐野のお祖母さま(渡辺美佐子さん)のご主人にして紘子お母さん(原田知世さん)の実父=故・桐野子爵などは、陽子からも立派に血のつながったお祖父さまであるにもかかわらず、育子勾留の件で陽子がはるばる上京しお祖母さまに頼みごとをしたときにも、仏壇にお線香を手向けるシーンもなく遺影すら出ませんでした。紘子さんが良一お父さん(寺脇康文さん)と駆け落ち同然に結婚してから親子の縁を切って一度も会わずにいた子爵さまですから、陽子的にも他人でオッケーということなのか。畏れ多くも華族で、格式もプライドもあったはずの旦那さんが幻のような存在のせいで、お祖母さまの妙にイビツな寛容さ、勧められれば疎遠にしていた孫娘の嫁ぎ先に長逗留さえしてしまう、鷹揚を超えた図太さにも、根っこや原因が見えず“降って湧いたよう”です。

和さんが“天使のよう”になったについては、陽子と同い年で、6歳で病没してしまった妹・雅子の存在がかなり影響があるのではないか(当時和さんは9歳)と思うのですが、これまた遺影すら見せていただけません。徳子さん(樋口可南子さん)が自転車女学生姿の陽子を記憶にとめたきっかけも、雅子ちゃんの追憶からきていたはずなのですけれど。

まぁ、人物のクチから語られるすべての人物を、回想フラッシュ作ったりして顔出しで見せる必要はありませんが、たとえば和さんという人物の“性格の良さが自然発生的”であることと、“語られるのみで顔かたちが提示されない人物の多さ”とは同じ地平でつながっているような気がします。

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最後の花ざかり

2011-09-17 01:19:02 | 昼ドラマ

『おひさま』後半戦に入ってからの、これはめでたいニュースと言っていい、のでしょうな。劇中では、海軍医として搭乗した潜水艦で太平洋の藻屑と消えてしまった春樹兄さん役・田中圭さんが結婚。それも出来婚というか授かり婚というかオメデタ婚というか後先婚というか、早まり婚と言うか、いや言わないか。要するに“2倍めでたい”パターンだそうで。

一応、劇中では真知子さん(マイコさん)への想いを胸に秘めたまま逝った役回りなので、出演回の放送が完全に終了するまで発表を控えていたのかも。妊娠5ヶ月。微妙だ。いろいろと想像を掻きたてられますが回り回ってめでたいんだからまぁいいか。

 5ヶ月といっても、当然ながら田中さん本人がではありません。だったらニュースヴァリュー一億倍だが。お相手はさくらさん。“上原”も“横峯”も、“まや”も付かない、ただのさくら。アルファベットでもカタカナでもない、平仮名のさくら。

 名字レス芸名なところをみると、世界のコレクションを転戦するショーモデルさん?と思ったら、なーんだ、2005年秋のTBS系昼帯『貞操問答』の“女郎蜘蛛”新子ちゃんじゃありませんか。うわぁ、なんだか懐かしい。放送当時は、“野良猫”いとうあいこさんとあまりに顔かたちもヘアメイクも酷似していたために、出ずっぱりヒロインにもかかわらずさくらさん単体の印象があまりなかったのですが、『貞操』の少し前、『瑠璃の島』で金子昇さんの妹役だったのを思い出すと、少し印象が補強されました。モデル系というほど派手じゃなく、もう少し日本風で控えめなルックスの、美しいかたです。

 それにしても、話が変わりますがあの2005年の秋は、振り返れば実にえらいことになっておりました。1300からTBS系でこの、文豪・菊池寛原作『貞操問答』、1330からは昭和―平成を跨ぐ少女漫画の巨星・一条ゆかり原作『デザイナー』。同枠真ウラのフジテレビ系ではフランスのキリスト教文学の巨匠アンドレ・ジッド作『田園交響楽』を原案とする『緋の十字架』。昼帯に、純日本製の、新作のドラマ枠が3枠というだけでいま思えば夢のような話ですが、“(一見)デカくて、(テーマより仕立てが)重くて、(そこはかとなく)クサいお話”をこそ昼帯に待望する月河にとっては、盆と正月とクリスマスがいっぺんに来たようなクールでした。

 『貞操』はヒロインさくらさんに軽く恋敵ポジションのいとうさん、ほか大浦龍宇一さん、山下容莉枝さん、筒井真理子さん、原田篤さん窪寺昭さんの特撮OB。『デザ』は国生さゆりさんを花芯に、松本莉緒さんを花弁に、塩谷瞬さん天野浩成さんとこちらも特撮ヒーローOB、それも“赤組”。

 『緋の』に至っては、主人公がヒロインではなくいきなり特撮ヒーロー西村和彦さん。その息子役がこれまた特撮出身竹財輝之助さん。取り巻く女性陣が喜多嶋舞さん越智静香さんつぐみさん橘実里さん……もう、こうして、豪華なんだか多彩なんだか、単純に時間帯相応なだけなんだかよくわからないキャスティングを回想列挙していくだけで、当時の高揚感がよみがえります。

高揚感。そう、たとえば湖面にうつる富士山の全景とか雲海とか、そういう広壮でセイクリッドなものを見晴らす高揚感ではなくて、押入れで見つけた、かつて誰かの愛蔵品だったらしい中古のミニチュア玩具箱の中身をひとつひとつためつすがめつするときのような、ある種秘密めいた、インドア的高揚感です。

当時の月河家のTV環境は当然純アナログですから、ビデオデッキ2台を週5日フル回転させて、録るのも再生するのも大忙しで、よく体力も、ヒマも続いたものだと思います。

いや、趣味とか道楽とか言われるものは何でもそうですが、はまってる最中の、はまってる本人にとっては、「しんどい」「メンドくさい」というワードが、ある期間辞書からきれいに消失するんですよね。

残念なことですが、この2005年秋をもって、そういうシーズンは二度と来なくなりました。来ても“盆”、あるいは“クリスマス”単独で、しかも“きっちり盆の期間だけ”“クリスマスイヴと当日だけ”で、名残りを惜しむでもなくそそくさと去っていく。

あまり考えたくないけれども、存分に“デカ重クサ”で、かつ“後をひく”連続モノは、もう韓国製にしか期待できないのかもしれません。

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月だから 月だから

2011-09-15 00:09:56 | 海外ドラマ

えらいことになってまいりました。先週から、月河がせっせと後片付けと浴室掃除をしている時間帯に、BSプレミアム『赤と黒』2200~)をチラ視聴している高齢家族が、「おもしろい」と言い出したのです。ついに月河家も、一時代遅れて韓流の波に席捲されるか。しかも年齢が高い順に。家の外に街宣車が来たりすまいね。

主役ゴヌクの俳優さんを「なんか、いい」とか言い始めたし。『善徳女王』のピダム役で初めてこの人を見たときは、さほどの好感もなさげだったのですがね。『赤と黒』ではズラなしナチュラルメイクの、オフ日のホストみたいなラフスタイルでの登場なのがヒットした模様。毎話アバンタイトルの、ジャケ袖ロールアップで裏地を見せたスタイルを見ると、月河なんかは「マッチ(近藤真彦さん)…」と毎度、心の脳裏をよぎるのだが。

あまつさえ高齢組、「実家の上の姉の、最初の(=離婚した)ダンナがこんな(容姿の)感じだった」と、世界中で34人にしか意味通じないことまで口走り始めたではないか。いつの話だ。戦争前か後か。存命人物か。これはどんヅボの気配。

芸名キム・ナムギル“金南佶”さん。確かに、“いかにも韓流イケメン”という、型に嵌まったイメージとはちょっと毛色の異なる二枚目さんで、“かぶる”俳優さんが同国に見当たらないので、監督やプロデューサーらに惚れ込まれ特異な役にいろいろ起用されそうなタイプですね。ヨン様以来の日本のディープな韓流ドラマファンにも新鮮に映りそうです。ヨン様など所謂“四天王”系にはない、いい意味の山だし感がある。

製作側のこの人への嘱望体温と、この人が持てる芸能力量で観客に掻き立てる体温とが、まだバランスしていないような気もしますが、大人の事情によるとこの『赤と黒』撮了と同時に速攻兵役入りとなり、来年春まで軍にいるそうで、役者としての全面開花、真価が問われるのは除隊後かもしれません。

しかしながら、月河はアンテナの周波数が違うのか、監督やホン書きさんがなんぼこの人で“萌やしにかかって”来ても、うっとりとか胸キュンとかの範疇にどうしても行かないんだよなあ。どこが物足りない、何が気に入らないという問題ではない。理屈じゃないんですね。

ただ、この人の背後で、この人に惚れ込んで一生懸命ライトアップしようとしている企画者、スタッフさんたちのなみなみならぬ熱気は、チラ見レベルでもびんびん感じます。

洋服やアクセの店でも、今季はコレで客の財布を開かせるぞ!とチカラの入ったアイテムの陳列棚を通ると、好き嫌いは別として独特のオーラに当てられ、自腹の財布開く気は微塵も無くても、確実に気分は高揚しますよね。高揚しついでに、通り過ぎたその先の店で軽く散財したりする。

ゴヌクが何かするたび、何か誰かに目をやるたび、日本のどこかから「うっとり」「キュン」「じゅわん」という“音”が聞こえてくる。コレ、素直じゃないけど結構愉快な視聴体験です。録画完了・一気通貫が楽しみになってきました。

日韓共同制作というカンムリで、主題歌は日本人の歌う日本語楽曲です。フォトからレディコミ風の描線になって、配役紹介というより役者さん紹介のグラビア風ポーズで決まるOPも、韓国製ドラマならではの“臆面のなさ”が炸裂していていい感じ。

気がつけば、主題歌も知らず知らず耳の奥で静かにリフレっていたりする。韓国では、いろいろと歴史的な経緯があって日本語の楽曲は放送できないので、同国で人気の日本人歌手も、韓国語でセルフカバーしないと持ち歌を披露できないと長いこと聞いていましたが、2011年現在はどうなのでしょう。このドラマ本放送時は、やはりカバーヴァージョンだったのかしら。

あるいはこの曲の歌い手さんも、日本語っぽく聞こえないような歌唱法であえて歌っているのかも。

……そのせいか、なんとなく歌詞を聴き取りミスっているような気もしないでもない。……気のせいか。

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