イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

テレビは何処へ行った2020 ~麒麟はこないが異論がくる~

2021-01-19 22:45:05 | テレビ番組

 年明けもう半月過ぎてからいまさら前の年を振り返るのもなんですが、去年は本当に、稀に見る“テレビを見なかった年”だったなぁと思います。

 春先からのステイホーム推奨で、うちの高齢組がTVを占拠し、お任せ降伏状態の期間が長かったせいもありますが、それにしても、それならそれで、十年ほど前の韓国史劇ドラマ渉猟期のように、“脇から横目で見ていて、レコーダーの操作など手伝ってるうちに、誘い込まれて沼”となるコンテンツやジャンルが、ひとつふたつあってもよさそうなもの。

 どんだけテレビから低体温になっていたかの証左として、年末年始からのハードディスク録画。高齢組に頼まれて録って編集してブルーレイディスクに焼き中のタイトルのほか、自分で思いつきで録画リストに入れたのもあるのですが、再生せず放置になってるサムネの多いこと多いこと。

中でも、毎年正月恒例NHK『新春テレビ放談』改め『あたらしいテレビ 2021』(1月1日放送)が、焼いたまままるっきり放置。こんなのは近年初めてです。

 なんでだろう?ようするに、昨年のテレビがどのジャンルも、どこの局もあまりに逆境過ぎ、苦闘過ぎ、暗中模索の手探り過ぎたことがわかっているので、いち視聴者として“もう振り返りたくない”“振り返ってもらってもどうせシンドイの二乗”という気持ちがどこかにあるんでしょうな。

 本当に昨年は、「これだけは絶対見逃さない!」と思える番組が現れない一年でした。

 『いだてん ~東京オリムピック噺~』の後を受けて、放送開始直前撮り直しの危機にもめげず2週遅れスタートした『麒麟がくる』だけは未だ高齢組が忘れず見放さずに追尾していますが、誰からも言い出さないけど放送中断を挟んでの8月再開後はシロウト目にも明らかなテンションのばらけようで、湧水が小川になり何本も合流して巨大な流れになるていの“大河”どころか、個々の役者さんたちの“頑張った場面を並べてつないだ”だけの電気紙芝居と化しています。

 考えてみればドラマ、特に一本の話を多話数つかって起承転結させて行く連続モノにとって“中断”は、大工殺すにゃ刃物は要らぬ級の致死性です。NHKの組織力と大河ブランドの風圧で、よく役者さんたちを束ね切り集中力をもたせ切ったと、むしろ褒めてあげていいくらい。

 月河は完走できませんでしたが手堅く盛り付けた朝ドラ『エール』が、この年の連続ドラマの全局通じての最優秀作でしょう。キャストも演出も隙がなかったし、朝ドラの慣例“一週で一エピ完結”の刈り込んだ見やすさも効き、何より“戦争を生きて乗り越えて、戦後成功したとわかっている人の話”という点が、コロナに翻弄されるお茶の間に底知れない安心感を与えました。この点は、企図不明の謀反の挙句非業の死とわかっている明智光秀主役の『麒麟~』とは対照的。やっぱり、いまの日本人みんな、幸せに終わるお話を見たいんですよ。

 コロナで思いもよらず遺作となってしまった志村けんさんの出演もあずかってチカラ大だったと思います。やっぱり、1カットでも多く、動いてしゃべる志村さんを見たいよね、みんな。月河もネットで情報拾って、志村さんの出演回だけは忘れずに見ようと思ったもの。事件を起こして出演作を撮り直しや再編集余儀なくさせたり、お蔵入りにしたりする俳優さんも近年目立つ中、こんな形で作品を照射してくれた志村さんは人徳と言うべきか。

 3年前の『探偵が早すぎる』(前後編SPは一昨年)みたいな、人を食ったスマッシュヒットや、はなから半笑いで見始めたら意外や豪胆リメイクだった一昨年のテレビ朝日版『白い巨塔』のような、出合いがしらの拾い物も見当たらなかった一年でした。

 10月半ばから始まった『危険なビーナス』は久々に番宣で引っかかるものがあり、東野圭吾原作とは相性悪いんだけど・・の懸念を抱えつつとりあえず最終話まで来ましたが、最終話の録画をCMカット編集しているうちに、どうにも結末が楽しみと思えてない自分に気づいて、一応ダビってそのまま放置。

 家族の失跡や事故死の謎など真相探しのミステリ要素、資産家一族の財産を巡る“親の因果が子に報い”的なドロドロ、そして謎の美女に心乱されるラブ・サスペンス要素と盛りだくさんなんだけど、虚構感・非日常感のまぶし方のバランスがいまいちでした。所々に挟まれるコント風なコメディ要素もまったく笑えずに浮いていたし、なんとなくこのドラマの制作陣が、主演の妻夫木聡さん吉高由里子さんはじめキャスト陣に対するほどには、原作のお話に惚れこんでいなかったような気がします。

 ドラマ自体がしらしらとしていたわりには、役者さんたちは贅沢なくらい持ち味全開でミスキャストがひとつもなかった。「“謎の”“美女”ってガラじゃないだろう」と一部で不評だった吉高さんの楓も、いちいち先回りで目端が利くところなどぴったりだったと月河は思いました。1話見ただけで“探偵捜査のプロだな”と誰にでもわかるじゃないですか。古い話ですが07年の東海テレビ制作昼帯ドラマ『金色の翼』における、高嶺ふぶきさん扮する自称女流小説家を思い出しました。「演技でトボけてるだけだな」「トボけてるせいでかえって怪しまれてるな」と、劇中の誰にわかられなくても視聴者がわかればいいのです。こういう見え見えの書割り感、虚構臭さを楽しめればそれでいいのですが、どうも最後まで視聴者側の周波数に合ってなかった感。コロナ下でこのTBS日曜劇場枠の放送日程もだいぶ揺れ動いたようで、撮影も三密回避を課されるなど、いろんな意味で熱っつい集中力を掻き集めるのが難しい現場だったかもしれません。長丁場の『麒麟~』のバラけっぷりにも端的にそういう空気が現れていますね。

 ・・そんなわけで、去年は既視聴作の『刑事コロンボ』シリーズなど、リバイバルものばっかり見ていたような気がします。面白いとわかっているから、絶対裏切られない期待はずれにならないという、盤石の安心感がありますよね。いまやドラマにも、と言うよりドラマにぐらいしか“安心”が期待できない時代になったわけです。続きはこの次。

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今度こそ最後の『いだてん ~東京オリムピック噺~』 ~達成者なるも勝者ならざる者~

2020-02-08 19:24:10 | テレビ番組

 主要キャストのよもやの不祥事交代劇で二週遅れのスタートになった2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』もどうにか走り出して、巷間待望の戦国大河でもありそこそこ人気のようです。月河家の高齢組も「画面がカラフル過ぎて韓国時代劇みたい」「堺駿二の息子、まちゃあき?年取ったねーシワシワだ」とか何とか、自分の年取ったのを棚に上げていまのところ結構食いついています。

 そんな中、我ながらいまさらしつこいっちゅうか未練がましいというか、でもやはり『いだてん ~東京オリムピック噺~』とその敗因について考えることは、ひいては「私たちは何を求めてテレビドラマ、特に連続ドラマを視聴するのだろう」を考えることに他なりませんから、いま少し続けましょう。

 毎年恒例の『新春テレビ放談』(NHK)、記憶の限りだと前年にヒットした番組、数字は平凡でも一部で熱く人気を集めた番組、出席パネラーさんが「面白かった」と言及した番組、あるいは逆に、大炎上して世に問題提起した番組については、曲の垣根を越えて結構掘り下げますが、逆に、前宣伝のわりに人気が出なかった番組や、大コケした番組については、同業としての武士の情けかほとんど触れないのがつねです。

 我らが(だから誰らがだ)『いだてん』は当該局NHKの看板商品たる大河ドラマですから、この通年の伸び悩み低迷っぷりは局内だけでなくテレビ界全体でも、好むと好まざるとにかかわらずかなり話題になり、その原因追及や、ああすればいいんじゃないか、こうすればいいのに・・の仮想対策も取り沙汰されたはずですが、『放談』内で正面切って話題にされることはさすがにありませんでした。

 ここで間接的に注意喚起してくれたのがやはり、さすがに『いだてん』ファンを自任するテレ東・佐久間P。

 ドラマ・youtubeのあとバラエティ番組の話題になり、人気ランキングで前年25位から2019年には3位と、大きくジャンプアップした『ポツンと一軒家』(ABC―テレビ朝日系)に注目があつまりました。

 アシスタントMC杉浦友紀アナウンサーが(NHKアナであるにもかかわらず)「うちの両親も大好きで、毎週見てるって言ってます」と、期せずして強力な傍証を。

 もちろんこの番組は日曜8時、『いだてん』の真裏番組。大河ウォッチャーからは「大河が『いだてん』になって落ち込んだ数字(通年平均ベースで4パーセント前後、単回ではそれ以上)の大半は『ポツンと~』に持って行かれた」と自虐混じりに指摘される、“仮想宿敵”とも言える存在です。

 佐久間P、これにすぐ反応し、「高齢のかたは本当に好きですね」「企画として面白いのもあるけど、僕が見た感じ、とにかくスタッフが“丁寧”取材対象の一般のかたたちへの接し方が、いままでのテレビバラエティでいちばん丁寧」。と、本件のカギとも言えるワードを析出。

 佐久間Pの観察によると「(対・取材対象だけでなく)スタッフ同士の会話も(マイクで拾われるといつも)敬語そういうマナーの徹底したところが、視聴者としては気持ちよく見られるってことは結構あると思う」。

 続いてヒャダインさん「時間帯としては日曜8時(=日テレ『イッテQ!』の真裏)めちゃめちゃ数字取りにくい所ですよね」「世代の棲み分け、ってことなんですかね」。

・・・このくだりでは誰も何も、ひとことも直接は触れなかったにもかかわらず、『いだてん』について裏取り分析したに等しくなりました。

 これもひとえに佐久間さんの『いだてん』愛の然らしむるところ。昨年までは、中長期にわたってジリ貧とはいえ大河ドラマを継続視聴していた高齢者がぞろっと引っ越して『ポツンと~』リピート視聴者になった理由=“『ポツンと~』にあって『いだてん』にないものは何だろうか”を、おそらく佐久間Pは何度も考えながら見たので、これが掴めたのではないかと思います。

 杉浦アナが「(スタッフが丁寧ということは)優しい、んですね」と噛み砕いてくれましたが、『ポツンと一軒家』に移った高齢視聴者たちは、スタッフの礼儀正しさや言葉づかいに“自分たちが育てられ躾けられてきた価値観の健在”“そんな価値観を持って生きて呼吸していられる空気”を見て、居心地よさをおぼえたのではないでしょうか。

 高齢者高齢者と言っても、二十年前はまだ現役世代でした。働き盛り世代・管理職世代から高齢者扱い、ヘタすりゃ老害扱いを余儀なくされるに至る、特に世紀の変り目前後からのここ二十余年ばかりは、IT革命だのデジタル化だのが次々に襲いかかり、この年代の人たちにとっては見たことのないモノ、馴染みのない用語、雲をつかむような取説、ピンとこないシステム、理不尽なリストラ等の洪水に突き流され、踏ん張れど抗えど勝ち目がなく、揉み洗いまくられるような年月だったはずです。

 考えてみれば、山林山野の、航空写真で検索しないと特定できないような人里遠く離れた一軒家に“ポツンと”暮らすということは、多かれ少なかれいま風の便利さ、お洒落さ格好良さに、真っ向背を向けないまでも、それこそ距離を置いて、時流に乗らないことをみずから選んで生きるということです。取材対象になった一軒家住人のかたがたはそれぞれの事情や希望や展望や、ときには一抹の不満や諦念をかかえながら、或いは“第一希望”ではないかもしれないけれども、少なくとも唯一ではなかったはずの選択肢の中から“ポツンと”一軒家で暮らす人生をチョイスした。

 高齢視聴者たちは彼らの物語の中に“時流になすすべなく流されないこと、時流に遅れてはならないと焦って足掻かないこと”の居心地よさを見たのです。マイクやカメラやいま風の機材を持ち込みつつも、彼らに丁寧な敬語で接する番組クルーの物腰に「こういう人生が、いまどきの(東京のテレビ局で働くような)若い人たちからも、ちゃんと尊敬され大事にされている」という心強さをおぼえたのです。

 我らが『いだてん』には、いま思えばそれが見事になかった。

 前のエントリで「“完成度の高さ”に殉じた」という表現を月河は採りましたが、面白くても、伏線が周到でも、居心地の良さを与えてはくれなかった。競技としての陸上に目覚めて日本初の近代五輪出場を果たしたが戦績は三回出場して14位が最高、あと二回は棄権に終わった金栗四三しかり、幼時に病気で水泳を禁じられ、指導者・競技団体役員として日本競泳の五輪参加に尽力したが念願の東京大会本番前に組織委から事実上放逐された田畑政次しかり、両主役を筆頭に『いだてん』は全篇これ“誰も未だ達成したことのない事に挑んで、達成できなかった人たち”の物語でした。

 それぞれのフィールドでフロンティアたらんとして、黎明の鐘を鳴らす者の役を命じられて悪戦苦闘、でもその過程を自らは楽しみながら前へ前へと進む人たちを、応援しつつも全体的には概ね笑いながら鑑賞するという態度は、面白うてやがて落ち着かないものだった。手元でちょっと検索すれば、彼らの苦闘のゴールが“第一希望達成”でなかったことはわかってしまいます。台詞、演出の隅々笑える仕様で作ってあるのに、頑張っている人たち、頑張っても満願成就とはいかなかったとわかっている人たちを、娯楽として笑うのは何かしら申し訳ない、気の毒な気がする。

 アナログの昭和からバブルと崩壊の平成を、「時流の先端に居ろ、取り残されるな」「流されるな」の両輪で頑張ってきた令和の高齢者にとって、“先端でなくていい、時流に乗っていなくていい”ポツンと一軒家暮らしを、笑いものにするではなく優しく、自分たちが親たち教師たちから教わった通りの敬語喋りでリスペクトしてくれるチャンネルのほうが圧倒的に居心地良かった。

『放談』の、ドラマについてのパートの後半で“フィクションだからこその癒し”“あるある、わかるわかる、という登場人物への共感”が2019年のドラマには多かった・・と、おもに女性パネラー(日テレ鈴間P、テレ朝弘中綾香アナ、広告業界出身のクリエイティブ・プランナー陳暁夏代さん)がクチをそろえていましたが、共感にせよ癒しにせよ、行き着く所は居心地の良さなのです。毎週誰かしらがアッと驚く展開で死体になる『あなたの番です』のような、あざとさに特化したドラマでも、友人知人や遠くの実家家族と「誰が怪しい」「次週はこうなるんじゃないか」と、有り得ない事、いるわけない人物についてメールチャットで盛り上がれれば、それは居心地良さの提供なのです。

 我らが『いだてん』にはそれがなかった。面白かったけれど、居心地良くはなかった。完成度は高かったけれど、完成度の緻密な囲いからはみ出して、分断された世代にまたがって巻き込むベクトルは生まれなかった。

 志ん生の若き日からの、浅草演芸界・落語界物語と日本近代オリンピック草創話との両輪建てにしたことや、個々のキャストや、時系列ごとの尺の割き方といった方法論の問題ではなく、言わば物語世界のグランドデザイン、それも図面レベルでなく“空気の組成”みたいなところから来るものですから、制作スタッフにはいっそ敗戦感、「あそこをああじゃなく、こうすればよかった」的な後悔はないかもしれない。

 面白いけれど居心地良くはない、毎度笑わされながら毎度微量チクッと来てゾワッと来る、“隠しブラック”な味を愛する月河にとっては、『いだてん』が2019年、全方向に「当たった!」と言えるドラマにならなかったことはやはり残念ではあるのですが、どこかで「そりゃそうだろうし、それもまた良し」と思ってもいる。こんな月河のような客をファンに持ってる時点で、『いだてん』はそれなりの結果に終わっても仕方なかったなと思うものです。

 誰も言わないと思うので、月河だけはここで言っておきましょう。

 「『いだてん』は負けとらんったい!大勝利ではなかばってん、金メダルったい!」

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まだまだ『新春テレビ放談』 ~“大きく取り込む”は目標か結果か~

2020-01-28 21:31:26 | テレビ番組

 思い返せば、月河がTVBros.の購読をやめたのが約二年前の4月です。「コラムやグラビアがいくら充実しても、テレビ番組表の載らない雑誌になるならとる意味ないな」と、通算すると二十年近く読んでいたのに自分でも意外なくらいあっさり打ち切れました。

 もう2018年春の時点で、テレビ番組は「何曜日何時何分からどこチャンネルで」と決まった“番組”ではなくなって、VOD、youtube、サブスク、レンタル・・とさまざまな媒体で消費される“コンテンツ”へと変容しつつあり、Brosの番組表オミットは的確な判断だったのだなと、いまにして思います。『新春テレビ放談』の中身が、半分は“テレビでないもの”についての話になるのも自然の流れではありました。

 前のエントリに書いたように、物心ついた頃から青春の傍らにテレビがあり、テレビの成熟爛熟とともに齢を重ねてきて、ネットが日常に入って来た時には中年になっていた世代としては複雑な思いもありますが、進化の過程には、変容することで生存競争を乗り切るという側面がありますから、テレビ“番組”の変容、これもまた良しと言っておきましょう。絶滅する、なくなるよりはずっといい。

 さてそんな中でも、“世代間の分断”という、たとえばyoutube利用率を指標としたキイワードがひとつ浮上したおかげで、“ヒットした番組がヒットした理由”はさくさく読み解きやすくなりました。

 読み解きの因数は「大きく取り込む」。=分断された中でも複数の世代、多くの層をつかんで巻き込んだドラマは番組冒頭で紹介された人気コンテンツランキングでも好位につけています。

 この“大きく取り込む”というフレーズの含む中身にはいろんな切り口があって、まずは“当たった組代表”日テレ鈴間Pの『あなたの番です』で採られた、“遮二無二ネットバズらせ”(←秋元康印のアッと驚かせる展開と見せ方、SNS上で考察論議する初期高体温ファンの拡散利用、ツッコませに特化したまとめ動画配信)と“序盤の低視聴率ものかは微動だにしない2クール押さえ”(←幅広く安定した数字を目標にしない。刺さる、エッジの立った、中毒性のある企画でマルチプラットフォーム展開を前提。「暗い怖い胸糞悪い」との反響もB級ホラー調のタッチを貫き“いねーよこんなヤツ!”と言いながら見てもらえるように作る)。

 さらには、

・性的マイノリティの生きかた生き場所など重いテーマに、笑えるあるいは萌えられる要素をスウィーツのように散りばめ口当たりを良くする(『おっさんずラブ』『きのう何食べた?』)

・ヒロインを巡る男性に、対照的なタイプの旬の男性俳優を充てて比較観賞させ“ヒロインが最終的にどちらとくっつくか”見逃がせなくさせる(『凪のお暇』)。

・90年代後半~2000年代に一世を風靡したザ・“キムタク”ドラマの要素に、気鋭の若手演出家の斬新なカメラワークで料理プロセスやレストラン内幕もののリアリティを配し、いま風の新鮮さを出す(『東京グラン・メゾン』) 。

複数クール複数シーズン取ってとにかく多話数、長く放送し、レギュラーキャラを描き込んでいってお馴染み感、思い入れを持たせる(『ドクターX』『相棒』『まだ結婚できない男』、前述『あな番』も)

・・・など、つまりは “複数の面白がりどころ、楽しみどころを仕込み、いろんな趣味嗜好の層がてんでに食いつき、長期間にわたって流入して来られるようにする”というのが、『テレビ放談2020』パネラーの見る当節テレビのヒットの法則だったようです。

 言い換えれば、少し昔のように「高齢者向け」「主婦向け」「20~30代のシングルOL向け」等と、見てほしい客層を絞り込んで、その層が好む要素・手法だけで固めて作るとまず当たらない。『あな番』のように、放送後東京在住の若い視聴者が地方の実家の家族と電話で考察を話し合うような、世代と層を跨ぐトレンドにならないし、狙って絞ったその層がそもそも見てくれなければ悲惨なことになる。絞った通りの客だけどうにか掴めたとしても、ひとつひとつの層のパイはひと昔より軒並み縮小している(絶対的人口減少)ので、枯れ木も山の賑わいになるだけ。客を絞れば絞るほど、あらかじめ負けを認めたに等しくなるのが、いまのテレビなのです。

 テレ東の佐久間Pが「大好きだったし特に後半はめっちゃおもしろいと思ったのに(低視聴率で)ショックだった」と、他局のドラマなのに実感をこめて振り返っていた『いだてん ~東京オリムピック噺~』の敗因もこの近辺にあるような気がします。・・いや、「ような気がする」じゃなくて、ドンズバここだな。ここ近辺にすべてがあるな。(この稿『いだてん』にフォーカスして次も続く)

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『新春テレビ放談』三たび ~テレビでないものを見ないとテレビを語れない矛盾~

2020-01-21 22:56:20 | テレビ番組

 もう1月も後半戦、通常国会も開会したし(関係ないか)、“新”春でもなんでもなくなってますが、まぁ旧正月(25日)ってのも残っているし、行きがかり上NHK『新春テレビ放談』(2日放送)の話を続けます。

 話のスタート台に持ってきた視聴者アンケート調査のタイトルが『2019年の人気番組ランキング』ではなく『~人気“映像コンテンツ”ランキング』に変わったことが端的に示しているように、今年のこのテレビ放談は、“テレビ”放談というタイトルを冠されてはいるけれど、放送時間の半分くらいは“テレビ放送されていない、テレビと別フィールドで広まり視聴されたタイトル”について、パネリストもMCもしゃべっていたような気が。

「2019年、何を見て面白かったか」を語ってもらおうとすれば、Pや局アナなど現役テレビ業界人、“テレビでやってることを論評しておカネをもらうプロ”の皆さんも、いまやテレビ以外の有料配信サービス、youtube(ユーチューブ)動画をはずして語れなくなっている。もうそういう時代に、否応なく、なっているということです。

 ランキングとしてはベスト20の17位にUSドラマ『ウォーキング・デッド』が入っていただけですから、“ネット配信専門コンテンツにテレビが押されている”という現況では未だないのですが、テレビを生業とする人たちがこれら“テレビ以外”のコンテンツを語らなければならないについては、数字以上の理由がある。

 と言うのは、テレビ関係者全員、言葉は同じではないけれども現在のテレビ番組界の直面する問題として挙げるのが“世代の分断”“高齢化”

 世代・年代によって見ている番組、ウケる番組がくっきりきっぱり分かれていてほとんど接点がない、別の世界に等しい、ということがひとつ。

 そして、どの番組もどの局もどの時間帯も、見ている人がそっくり加齢し高齢化しているということ、言葉を変えれば、いいトシになった人しか見ていない、ということがひとつ。

 これを端的に表現するひとつの指標が、youtubeの年代別利用率で、番組内で紹介された調査結果では、10代~40代では81~90%台あるのに、50代では73%に下がり、60代では40%とさらに急落しています。

 決して「若者しか利用しない」というわけではなく、たとえば手芸品自作の参考にしたり、防災訓練のやり方を見学したりと、テーマにそって検索して見られる“動画”ならではのわかりやすさを実生活に役立てている中高年の声も紹介されていましたが、“50代から目に見えて減り60代で半分を切る”というデータを見せられると、まさにその年代にいる月河には「やっぱりね」と腑に落ちるふしがあります。

 一言で言うと、この世代は、人生にネット汁(じる)がしみ込んでいません。月河家にひかり電話とインターネットが開通したのは2006年=平成18年でしたが、自宅専用としては決して早い方ではないけれども、驚かれるほど遅かったわけでもない。ネットがおしゃれで進んだ会社のオフィス専用ではなく、インテリカタカナ職業の皆さん専用でもなく、一般人の寝起きするお茶の間に入って来たのは、ざっくり言えば世紀の替わり目より前ではないでしょう。

 いま40代の人たちは、この時期に20代です。大学生か新社会人か、あるいは仕事に慣れてプライベートの幸福度アップ=結婚、婚活、あるいはキャリアアップや転職を意識していたかもしれない。

 いま30代の人たちは中高校生。部活にうちこみ受験を心配しながら、クラスの意中の異性にどうアプローチするかこっそりワクワク考えたりもしていたでしょう。新しいものに興味津々、学びたい習得したい、先んじて使ってみたい意欲満々です。

 いっぽう50代以上の、youtubeとあまり親しくない年代の人たちは、この時期に、大袈裟に言うと青春がすでに終わっていました。この年代で初めて向き合うネットとは、面白い興味深いより先に「仕事上“使えないと困る”と、人から最近言われるようになった、よくわけのわからないもの」であり、「無けりゃ無いでどうにかなるし、現に、無しでずっとやってきてた」ものです。

 新しく出現した物や人やシステムに初めて接触したとき、“年齢何歳だったか”“社会人だったか学生だったか”“思春期後だったか前だったか”は重要です。いま50代以上の人は、ネットが生活圏内に来たときすでにおじさん、おばさんでした。

 そして、この年代は“生まれたときからウチにテレビがあった”“物心ついたらカラーテレビだった”最初の世代で、テレビが娯楽の王道、夢と華の玉手箱だった時代をいちばん長く知る世代でもある。40代以下が“ネット汁”、就中20代以下が“スマホ汁”としたら、“テレビ汁”がいちばん感性知性、生活態度にしみ込んでいるのは、50代以上なのです。

 『テレビ放談』パネリストの一人で(かつ、いちばんクチカズが多かった)テレビ東京P佐久間宣行さんが「(youtube利用率が急落する)60代以上が、テレビ視聴者のボリュームゾーンなんですよね」と、問題提起とも慨嘆ともつかない指摘をするのはこの件です。

 “中高年と若者”という単純な世代分断なら大昔からあった。世代による価値観や趣味興味、嗜好、行動パターンの違いも絶え間なくありました。

 いま、“テレビ”を定点にして眺める世代分断は意味合いがだいぶ違います。“青春の傍らにあったもの”がテレビだった世代と、ネット、スマホだった世代。

 テレビ番組制作側は、どうにかして後者に見てもらいたくて感性、興味関心の周波数を後者に合わせるべく、ネットで意識調査などして番組を作るのですが、テレビのスイッチに親しいのは前者が圧倒的ですから、後者に合わせた周波数にはさっぱり乗ってくれません。

 『テレビ放談』でも指摘された「ドラマの人気上位がここ10年かそれ以上変わっていない(依然『ドクターX』『相棒』)」「バラエティの新番組が定着しない」等のテレビの苦境の原因はここにあります。来てほしい客と、現に来ている客とで、見えている風景、住んでいる世界、吸っている空気の質が違う。

 『テレビ放談』では、昨年一年間でヒットした番組の実例として『あなたの番です』(日本テレビ)の手法にかなりな時間を割いて紹介していましたが、番組の成否・勝敗を分けたのは、詰まるところこの世代分断、“青春分断”への対処の巧拙にほかならなかった・・というのが大結論と言っていいかもしれません。この項続く。

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新春テレビ放談 再び ~バズるバズるときバズればバズれ!~

2020-01-05 20:06:37 | テレビ番組

 正月恒例のこの番組も今年=令和2年、2020年で数えて十二回目だそうです。メイン司会の千原ジュニアが「消費税(率)何パーセントだったんや」と、“いかにも大昔”感を強調していましたが、第一回が2009年ですから、言うほど昔でもない、すでにネットもあったしお笑いブームも何次めか通り過ぎた後だし・・と思う一方、2009年からここまでの間には東日本大震災があり、アナログ放送完全停波と地デジ完全移行があり、『笑っていいとも!』が終わり、SMAPが解散し・・と、結構、テレビ界も、テレビを取り巻く人的物的環境も変わっているもんです。

 今年いちばん番組内で大きく変わったのは、昨年までは一般視聴者アンケート“人気ドラマランキング”“人気バラエティランキング”だったのが、「2019年に視聴したテレビ番組・ネットの有料/無料動画を含めた、すべての映像コンテンツ」にまで対象を広げてランキング発表したことでしょう。一般人1000人に訊きましただったらしいけど、これ、集計するのも大変ですよ。

 2015年(平成27年)の第八回ぐらいからだったと記憶しますが、すでにテレビの人たちから「ネットっちゅうもんをどうするか」という問題意識は常に提起されていました。最初は“娯楽のパイを奪い合う新興の競争相手”視して、「ネットに負けないコンテンツ・ソフト作り」「ネットよりテレビを選んでもらえるように」という姿勢だったのが、17年(同29年)の第十回頃からは“ネットとの共存”をポジティヴに考えるように完全に転じ、今年はさらに、見る視聴者側からでなく制作者側があらかじめ“ネットを利用して番組の面白さの切り口を増やし、楽しみ方を重層させる”仕掛けを、前がかりで考え実践していく発言が目立ちました。

 実際、今回のランキングでもベスト10はすべてテレビ地上波の放送番組で、出揃った瞬間ヒャダインさんが「ネットいない・・!」と拍子抜けとも安堵ともつかないリアクションを示したのが印象的。どんな基準で選んだ1000人かわかりませんが、この程度のサンプルならやはりまだまだ地上波が優勢なのは納得がいきます。

さらに今年は台風・大雨など天災も相次ぎ、「災害時はNHK」の定説通り、即時性同時性にはすぐれるけれどもフェイクニュースも多いネット情報より、テレビ地上波の確実性を再認識した視聴者が多かったようです。これは当たり前っちゃ当たり前だけど、視聴者の皮膚感覚が正しい。

 ランキング8位に入り流行語大賞にもノミネートされたドラマ『あなたの番です』の日本テレビ鈴間広枝Pがパネリストの一人で、「鈴間さんの番です!」(ジュニア)とばかり、前半の放送時間12分余り、“どうやってヒットドラマにしていったか”の話に集中しました。

 昨日の記事タイトルの通り、月河はこのドラマも、放送中1話も、1秒も視聴していませんから、あくまで“世の中の話題の一端”“通り過ぎた風景の一郭”としてこのパートを聞いていましたが、SNSを駆使したトレンド醸成や、鈴間さんの言う“ツッコまれ”に特化したまとめ映像の配信などのデジタル戦術もさることながら、ヒットのいちばんの要因は「とにかく2クール(4月~9月、全20話)やる!」と決めて漕ぎ出し、出だしの数字が悪くても何しても折れなかったこと、これに尽きると思いました。

 これが可能だったのは、日テレの10時代を含む夜時間帯がここすでに他局に比べて強いからなのか、企画原案秋元康さんの政治力と人脈力の圧のゆえかは微妙。しかし、“小ぶりに控えめに試し打ちしてみて、ダメだったら即撤退か方向転換”という消極的な姿勢ではヒットは生み出せないことは確かだと思います。

 絶対やるし、やれば当たるんだと作り手が信じて作り抜くことが肝要。この辺り、ジャイアンツのバリバリエースだった頃の桑田真澄さん(いまは“Mattの親父”として有名?)が、雑誌の対談で(相手は現役引退し解説者になって間もない頃の東尾修さんだったと記憶)、「絶対打たれないと思って投げたら、ど真ん中に(球が)行っても不思議と打たれないですよ」と語っていたのを思い出しました。

 もうひとつ、これも月河がこのドラマを未見だったから一段と強く感じたのかもしれませんが、2クールを通じて“座長”と目された主演田中圭さんの持てる魅力が与ってチカラ大だったと思います。この日も別撮りVTR出演で、撮影時の所感やこぼれエピを語ってくれていました。

 「(『おっさんずラブ』に続いて『あな番』も序盤低調から後半跳ねるスロースタータータイプのドラマ主演で)オレ、“持ってる”のかなと思ったり、でもたまたまだと思う」と語る田中さんの起用無ければこの枠のこの作品の当たりは無かったはずです。鈴間P曰く、この日曜夜10時台の枠は「地上波のリアルタイムで安定した数字を取って行くことを目指すんじゃなく、エッジの立った、中毒性のある企画で、マルチプラットフォーム展開できるものを作る」のがミッションだそう。そこまで尖鋭に“ネットで沸騰”に絞って狙い撃ちに行くプロジェクトに、田中圭さんの何と言うか、おっとり感、尖んがらない感、ある種の透明感は願ってもない個性だったのです。このドラマ未見だけど、あざとく“エッジを立てた”肌合いのストーリー、映像に、田中さんの主演は視聴者が見て「がんばれ、生き残れ」「ワタシが見てるよ、味方だよ」という気持ちにならずにいられないものだったのではないでしょうか。

 ジャンルは違うけど、平成『仮面ライダー』諸作品に相通じるものがあると思う。ライダーの主演は、ほとんどが演技経験のうすい若手俳優のオーディション抜擢です。よく言えばフレッシュな、悪く言えば“イケメンでかっこよくて身体の切れがいい以外、芝居的には何も取り柄がない”ド新人くんです。こういう子を東映伝統の特撮現場に主役として投入すると、当然当人は焦りまくります。現場にセリフ入れて来るだけで精一杯、監督は怖いわ、脇役やスーアクさんはベテラン揃いだわ、事務所からは期待されてるわ、いったいどうやれば乗り切れるんだよーーという戸惑い、苛立ち、プレッシャーは、脚本でライダーに変身する運命を課された主人公の苦悩そのものなのです。ここがシンクロして画面から伝わるから、視聴する小さなお友達も、かつてライダーウォッチャーだったお父さんも、イケメンならとにかくなんでもいいお母さんも、思わず手に汗握って応援する。

 田中圭さんは、同じ日曜の“夜の、変身しないヒーロー”の役回りに唯一無二のキャストでした。他の俳優さんではちょっとこのポジション代わる人が思いつきません。

 企画の豪胆さ図太さと、主演のド嵌まり。やはり「当たるべくして当たった」ドラマだったんだなと思いました。くどいけど、一話も視聴しなかった月河でも、この番組の情報だけでわかる「そんなに当たったんなら、見ればよかった」と思うかどうかは全く別

 鈴間P「キャストの皆さんも私も、大変なはずのスタッフも腐ることなく頑張ってくれて、ホンットーに幸せな現場でした」・・・・羨ましく聞いた他局のドラマ制作班、多かったでしょうね。

 この『新春テレビ放談2020』についてはまだ投稿するつもりですが、内容のほかに気になってしょうがなかったのは、司会のジュニアと杉浦友紀アナの席の後ろにでかい水槽があって、海月(くらげ)さんたちがスイスイホヨホヨ泳いでるの。スタジオの照明半端ないはずですが、水温の管理、大丈夫なのかしら。しかも、今回のスタッフは相当な“海月押し”だったらしく、番組中で視聴者のアンケート回答などがテロップで画面に出るたびに「チャポッ」みたいな水音の効果音と、テロップ横に海月のイラストが。パネリスト紹介やランキング表示画面のバックもぜんぶクラゲ。何だったのかなアレ。『あな番』絡みの話題のあと、『凪のお暇』『同期のサクラ』『私、定時で帰ります』等、いまどきヒロインのドラマの話になり、“がんばらない”がキーワードになったりしたからかな。

 クラゲさんなりに、ああ見えても頑張って水圧に耐えて(=浮上したら気圧でお終いだから)ホヨホヨしてるんじゃないかと思うんですが。

(この稿続く)

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