イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

桜を吹雪にする会 ~散るときは一重なりけり~

2019-12-01 15:29:27 | 国際・政治

 令和元年も師走に突入しましたが、国会は最後くらい正常運転に戻るのでしょうか。“桜を見る会”の追及はまだ続くのでしょうか。はっきり言ってもううんざりです。最近はTVでこの話題を、めくりボード作ったりしてごちゃごちゃ言ってるのが映ると積極的にスイッチ切ります。出先のテレビで映っていたら待ち場所変えます。

 野党の皆さんは仕方がない。いつでも何政権でも、時の政権の落ち度、いたらない所いただけない所を探し出してあげつらうのが野党の仕事ですから。

 うんざりなのは政府与党のだらしなさ、騒動を決着させるについての無能無策っぷりです。

 だいたい、付き合いで招んだり招ばれたりする季節宴会なんてのは、油断してるとどんどん際限なく増えていくもんです。何も驚くこっちゃない。自慢できることじゃなく褒められたことでもない、えらいダサい話ですが、当たり前と言えば果てしなく当たり前です。もうまる7年近く政権やってるもんだもの。桜も七回見てるんです。

 そこらの中小企業の社長さん専務さんはもちろん、雇われの課長係長だって、或る年お世話になった人あの人この人に年賀状を出す。翌年「今年は昨年ほどお世話にならなかったから」って出さないわけにはいかないじゃないですか。さらに翌年「この一年電話の一本もかかってこなかったし今年はやめるか」と一瞬思っても「近況確認の意味だけでも出すだけ出すか」って結局出すじゃないですか。その年から新たにお近づきお世話になった人には、もちろん出すから、新旧合算すると単純に倍倍になります。

 こんなこと7回も続いたら、あっという間に百人が二百人に、二百人が五百人に、五百人が千人になります。ましてや国のトップです。「お世話になったわけじゃないけど、絵ヅラ的に賑やかになるから」なんつって芸能タレントなんかにまで声かけて行ったら、事務所つながり師弟舎弟つながり、さらにはご家族や実家の親戚まで雪だるま式に増えて行くに決まっています。

 反社だって、そりゃ来るだろうさ。中には。これまた褒められた話じゃないし開き直る話でもないけれど、一万八千何百人ですよ。人口一万人超えるか超えないかの田舎の自治体にだって、“地廻りの親分さん”は居るんです。映画に出てくるように子分引き連れてふんぞり返ってのして歩いてるじゃなく、一見普通のブルゾンやジャージ着て、特に愛想良くはないけど普通の顔して、地元のバイク店や理髪店、お寺や郵便局にまでちゃんと定期アイサツに回って目端を利かせている。まして、何度も言うけど、国のトップの主催する宴会です。出たくて出たくて、写真うつりたくてうつりたくてしょうがないはずです。何とかツテはないものかと思案投げ首、裏技横技使ってでも招待状手に入れようと腐心したはずです。よっぽど一件一件、一通一通に信用調査、係累調査裏取り、厳重にしてない限り、彼らの裏オモテの人脈力を駆使してこじ開けて紛れ込んでこられないはずがない。

 “ジャパンライフ”なんて肩書だったら、「生命保険会社の人かな」と思って入れちゃったスタッフがいたかも(さすがにいないかそんな与太郎は)。

 ・・・問題は、こうして7年でべらぼうに膨れ上がった招待客リストを、客観的に外から見て「なんぼなんでも招び過ぎじゃないか」「この人とこの人とこの人は、招ばないほうがいいぞ、ヤバいやつだぞ」と駄目出しストップかける働きが、内部から機能しなかったということ。これぞ“長期に同じトップが続くことによる驕り・緩み・たるみ・野放図”「去年もおととしもこれ式で通用したんだから、今年も通用するべ」と看過を繰り返し、誰も待ったをかけなかったわけで、この点はくっきりはっきり猛省して頭まるめるなり腹切るなりして出直さなければなりません。「次回から招待客選定にこういう規則を作って、総数総予算に天井かけます」「破ったら罰則も設けます」と大書墨書して明示していただかなければなりません。

 逆に言えば、それだけバシッとやって見せてくれれば、一日で決着するです。自分でやらないで、気のきかない、こんな仕事気が進まない感ありありの役人を矢面に立たせて時間稼ごうとするから、何週間も蒸し返されるし野党がつけ上がる。

 招待者名簿を出せと言われたら、出せばいい。上述のように、人数が多すぎ基準が甘すぎること、反社が紛れ込んでいることそれ自体は、何度も言いますが褒められたことじゃないけれど、ここまで続いた長期政権ならままあること、ありがちなことであって、「出せない」「データ復元できない」と逃げまわらなきゃならないほど性の悪いことではないと、月河は思っています。公私混同なんて、組織の上に立ったら、言っちゃ悪いがどんな有能で廉潔な人でも、多かれ少なかれやります。本人がやらなければ、組織なら側近がやる。個人なら家族親族がやる。いま追及糾弾に余念ない野党の諸先生方も、自分が政権に就いたら二年目からはこれ式の鬼でしょう。専制政治や特権階級の権益独占を糾弾したはずの共産主義者の皆さんが中国をどういう国にしたかを見れば一目瞭然です。

 誰を招んだ彼を招んだ幾ら国費をつかったではないのです。突っつかれて突っつかれてやおらしぶしぶ答える腰の引け方、「そうじゃなくてこうだよ」をみずから開示しない度胸のなさ、醜悪さこそが民心を離れさせていることに、なぜ気がつかないのか。

 むしろ耳をそろえてだね、黒塗り海苔弁なんかにせず「おうよ、出せ出せうるせえな、これでも食らえ」とばかりにバー―ンと出してやればいいんだよ。何をビクビクすることがあるのかと月河はそこに呆れます。悔しかったらこんな大勢のお客様が喜んで集まるくらいの長期安定政権うちたててみれぐらい言って、野党の心を折りにいけばいいじゃないですか。国政選挙6連勝ぐらいしてみさらせって。

 ・・・・・好感度ますます下がるかもしれないけど。

 しかも、日本がこんなことやってる数週間のあいだにも世界は大きく動いているわけです。

 北朝鮮はますます飛翔体飛ばしてるし、香港では一国二制度の引き攣れについに破綻が来て丸腰の一般民衆が決起しつつある。新疆ウイグル自治区で教育の名のもとに中国指導部が長年にわたりおこなってきた暴虐人権無視もすでに世界の知るところとなり批判が沸き起こっています。こんな中国に対し日本が習近平主席を本当に国賓招待するのか、両陛下に謁見を許すのか、世界の注目が集まる中、終わった花見の宴会の招待客何人集めた誰が入ってた、幾ら会費取った取らない差額どうした、客の名簿出せ出せないで国会が空転してるなんざぁ、こっ恥ずかしくて諸外国に顔向けがならないですよ。中曽根康弘大勲位が「改憲論議はどこ行ったんだ」って化けて出て法螺貝吹くよ、ムォ~~ッて。ご本人のやったことアレやコレやは棚に上げてさ。死んだ人はだいたい棚に上げるもんだし。

 安倍晋三総理は近年の総理大臣の中でも“仕事やってる感”があって、好きか嫌いかで言えば月河は好きな部類の総理ですが、肝心なところで意気地がないのはやっぱり“世襲戦隊ボンボンジャー”なんだなと改めて思います。あと一か月。令和初の年越し、すっきりいきたいじゃないですか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピーマン、タマネギ、タマネギタマネギ・・タマネギ

2019-09-08 23:58:11 | 国際・政治

 ↑↑↑↑チュートリアルの懐かしのネタから記事タイトルをいただいてしまいました。あの頃の彼らはキレッキレでしたねぇ、うるさかったけど。「ニューヨークスタイル」「近代バーベキューの父トーマス・マッコイ」。また見たいなぁ。

 ・・韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の側近にして次期法相候補の曺国(チョ・グク)さん。「剥いても剥いても疑惑が出て来る」とのことで、人呼んで“タマネギ男”だそうです。

 なしてよりにもよってタマネギなのか。北国のうちの地元近郊にはタマネギ農家さん、多いんですけど、こんなとこでダシに使われて、収穫ピークを前に大いに迷惑してますよ。タマネギのイメージが悪くなるじゃないですか。なにも「怪しい」「いかがわしい」「信用できない」ことの喩えに引き合いに出さなくても。血液サラサラ成分たっぷりなのに。“ケルセチン”とかポリフェノールとか、よくわからないけど。とにかく洋風料理には欠かせない名脇役なのに。

 「剥いても剥いても・・」なら“ラッキョウ男”でよかったじゃないか。ラッキョウ=辣韭農家さんからクレームがくるか。当のご本人が、女子学生からキャーキャー言われてそうな、長身の都会的な学者さんタイプで髪もわざとらしいくらいフサフサなので、“タマネギ”のイメージがつながらないんですよ。かの国には“疑惑のデパート”“疑惑の総合商社”なんて概念は無いのかな。

 ・・・日本の政界で“疑惑の総合商社”の異名をとった(←一部の野党女性議員が言っただけだが)、先の参院選で当選国政復帰した議員さんのほうがよっぽどヴィジュアルが“タマネギ”ですけど(・・すいませんタマネギ農家さん、追い討ちかけてしまいました)。

 思うに、かの国マスコミの皆さんも、チョ・グクさんのあの殊更にフサフササラサラした頭部を見ていると、むしょうに「ひん剥いてやりたく」なるんでしょうな。

 それでも、記者懇談会で質疑を受ける際メモを取っていたペンが、かの国で不買運動リストアップされてる日本製品“ジェットストリーム”だった件でまで叩かれているのはちょっとお気の毒。

 三菱uni。かの国で、日本による植民地支配時代の積弊(せきへい)がウンヌンカンヌン・・とナーバスになっている向きには、戦前の財閥時代から変わらない三菱の商標もゲキリンに触れたんでしょうな。日本人でも誤解している人が多いんじゃないかと思うんですが、ジェットストリームやSignoなどオフィスにも学校にも欠かせない筆記具ブランドを持つ“三菱鉛筆株式会社”は、あの岩崎弥太郎翁が築いた“三菱財閥”とは無関係、というか三つの菱形のマークを先に商標登録した、まったくの別会社ですから。チョさん叩きの皆さんも日本製品ボイコットの皆さんもそこんところはご理解を。

 ジェットストリーム、書きやすいですもんねぇ。月河も何年前だったか、出先で筆記具を忘れて来たのに気がついてコンビニに飛び込み何の考えも選択もなく“黒ボールペン!キャップなくさないノック式のやつなら何でもいい!”と出合いがしらに買って以来、この書き味に「魅了されている」と、このブログでも書いた記憶があります。超・低摩擦インクのさらさらなめらか感にボールの回転の自在さがもたらす書き味だけではなく、軸のグリップ部ラバーの、持った指がしっくり嵌まる微妙な凹みや滑り止めの斜めトレッドパターン、インクの減りが要注意水域に入ると目視できる透け具合など、設計上欠点が見つかりません。

 何より安い。買いやすい。月河の様に緊急避難でコンビニに飛び込んでも、百円ショップでも、本屋さんや大手家電量販店の文具・事務用品コーナーでも、たいてい置いてる。軸色も結構バリエがあるし、

 韓国では1,900韓国ウォン台で売っているそうです。日本円だと170円ちょっとになりますから、日本で買う場合の1.5倍強かな。まぁそれくらいの価格なら、たぶんもっと安い自国産品があっても、韓国の学生さんサラリーマンOLさんも我らがジェットストリームを買うでしょうね。これを上回る品質・コスパのボールペンを、かの国が自国生産できるとしたら、もうとっくに、少なくともアジア市場はそれで席巻されてるはずです。

 チョさんも、反日のボス・文大統領の側近さんなら世の中日本製品ボイコットだってことぐらい認識していたとは思いますが、ドサクサでたまたま手近にあったやつを持って懇談会場に入ったら、あとから手元がアップにされて、ご本人初めて気づいてアワワってところではないでしょうか。逆に三菱uniにとっては、期せずして宣伝になりましたね。何かと摩擦の多いかの国でさえ、注目の政権要人が野次馬マスコミの環視の前に思わず携帯してきてしまうくらい浸透しているんだと。

 両国の関係もこのインクぐらい超・低摩擦でいければいいのにね・・って、おあとがよろしいようで(よろしくないか)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トラさんヒラさん

2016-12-28 23:34:28 | 国際・政治

 えー、こんな↑↑↑↑ふざけたタイトル↑↑↑↑になっているのは、そもそも、先月のアメリカ大統領選挙の直後に書き始めた記事だからです。

 トランプさんヒラリーさん。ちょっと縮めてこう書くとなんか70年代の『みごろ!食べごろ!笑いごろ!!』の"ピンぴんピンん体操"みたいだなあ・・ってわかる人どれくらいいるかしら・・ヒッテさんとハッテさんがまちがえて~ケンカしてケンカして逃げてって~・・と、世界を揺るがした選挙にまじめな考察のひとつもするでもなくあらぬことを思いめぐらしているうちに、タイトルだけで放置のまま一か月半経ってしまったという。このままだと年越しで放置になりそうなのであわてて起動させました。

 例によって自分のブログにログインするパスワを忘れかけてまた難儀しました。ぜんぶで幾つあるかまともに集計したことすらないパスワの数々を紙リスト化しようという目標も達成できずに終わりそうな2016年よ。

 土壇場で帳尻合わせるわけじゃありませんが、今回の大統領選挙は、なんだかんだ言ってもU.S.Aの底力というかフトコロの深さと言うか、なんちゅうか民主主義の極北、ダークサイドを惜しげなく世界の展覧に供してくれた結果と言えるのではないでしょうか。誰かもしくは何かを称揚し賛美し、惚れて憧れウットリさんで、ホイホイキャーキャーほめそやすエネルギーよりも、何かしらおもしろくなくてムカッパラ立てて不平不満ぶーぶー言いつのり、罵倒し否定しこき下ろし倒そうとするエネルギーのほうが、目覚ましく票を集めることがある。アホくさくてもこっ恥ずかしくても、それが民主主義。人間が人間を選ぶ民主主義というものなのです。

 腐っても鯛、後退しても沈殿しても色あせてもアメリカンドリームの国U.S.A。身をもって民主主義の何たるかを示してくれました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虎よ虎よ

2010-08-10 13:39:04 | 国際・政治

気がつけば、昨年の夏の終わりの総選挙→民主党政権誕生から1年になろうとしていますね。光陰矢のごとし。あたふたしてもダラダラしても、必死にものを考えても考えなくても、汗だくで働いても働かなくても、24時間経ちゃ1日過ぎるし、7日終われば一週間過ぎるし、12ヶ月過ぎれば1年経っちゃってるわけです。

国民の多くが大いに期待して成ったはずの政権交代だったにもかかわらず、鳩山由紀夫前総理が短期間で面白いように下げた内閣支持率。菅直人総理に交代してほどほど持ち直し、かと思ったら参院選前後の例の消費税発言からまた一本調子で下げ勾配となり、早くも支持・不支持逆転の局面を迎えていますが、ここへ来て「日本の総理大臣が1年ももたずにころころ変わるのは問題だ」「腰を据えた政策が何も打てないうちに立ち消えになる繰り返し、嘆かわしい」「トップがこう安定しないのでは、国対国のグランドプラン的な話が日本とはできないと、アメリカはじめ先進諸外国からも指摘されている、カッコ悪い恥ずかしい」みたいな論調が目について来ているのはどうなんでしょう。

トップがころころ変わる、つまり内閣ないし政権の短命化は、前の政権与党の所謂“55年体制”にかげりが見えはじめた1990年代前半から、もっと言えば中曽根康弘さん以降からすでに歴然としているのに、何ゆえそれから10数年、無為無策ころころ変わるにまかせたのちの2010年になってやっとこさ「ころころ変わっちゃイカンのだ」なんて、あっちの媒体でもこっちのメディアでも言い出すのか。

“いままでは我慢してきたが、もう堪忍袋の緒が切れた”という地合いでのこの論調ではないように思える。堪忍袋のせいにするには、いささか遅すぎ、溜めすぎです。

つまりは、思いっきりプリミティヴな言い方をすれば“上のほうからの圧力”が発生しているのではないかと思えてならないのです。

“世論が逆風でも、不支持率が支持率を下回っても、とにかく次の総選挙までの任期いっぱい、ひとりの総理大臣が踏んばって政策にあたるべきだ”と言わせたい、思わせたい、そういう空気にしたいという作為が、現政権から、もっと言えば菅総理とその周辺からはたらいているのではないか。

月河が民主党をいけ好かないのは(←逆に、他党にない好ましい、興趣尽きないところもありますが)、一事が万事こういう具合に“世論の風”に過敏で、神経質で、なおかつ、反対に「世論の風をどうにかすればどうにかなる」と思っているふしが濃厚なことです。

世論の風、国民の気分の風向きにヘコヘコちょろちょろし、かつ、なめてかかってもいる。

政権を任せ、リスクもコストもメリットも、この人たちの舵取りにゆだねて日本丸の乗客として生きて行こう…というハラを据えさせてくれる頼り甲斐、論評のし甲斐、ハッパのかけ甲斐から、これほど遠い政治家集団もない。

先頃の参院選で返り咲き当選された片山虎之助さんは、媒体での初見では「山上たつひこ『こまわり君』と同じ顔の輪郭の人って実在するんだなあ」という印象しかありませんでしたがそれはさておき(誰が何て言おうとさておき)、自治省官僚としてあるいは総務大臣としての在職中の業績とは別に(て言うかほとんど知らないし)、あまり政策や政局に直接影響を及ぼさない、一歩引いた距離からのコメントにおける表現力が実にユニークなかたで、いつだったか「民主党は風力発電だから、風が吹いている間は威勢がいいが、風がやむとたちまちガス欠になる」というような意味のことを言っておられました。

“風”次第、“風”に汲々、右往左往。“風”に目クジラ、本気で喧嘩。

片山さんのこの発言は今年の菅政権誕生に先立つこと何年も前でしたが、菅さん個人どうこうではなく、民主党自体の体質、志向、人となりならぬ“党となり”を言い当てて妙でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

♪レンレンホー レンレンホー(←@『与作』)

2010-07-02 17:32:42 | 国際・政治

いまさらですが菅内閣の仕分け大臣…ではなくて行政刷新担当大臣の蓮舫さん。民主党女性パワーの一方のハタガシラとして、母親目線・消費者目線を兼ねそなえた、TV・マスコミ向き才色兼備&能弁のやり手さんとして依然期待は高いのだろうと思うのですが、おなじみの仕分け作業風景も、2日めぐらいになるとドッと、カスカスのお疲れヴォイスになってしまう点が、政治家としてどうなんだろう?といつも思うのです。

水着キャンギャル出身のグラビア上がりとは言え、一応報道スタジオキャスターまがいの、ベシャリがメインの仕事もされていた人とは、ちょっと信じられない疲れの表れ方です。

政治家は叩いても死なないどころか、絞めても撃っても毒盛っても死なない頑健さでナンボ、健康不安説が流布したら政治生命は事実上終了という、“止まったら死ぬ”世界ですが、死ぬほどではないと誰もがわかってくれる程度の、ちょっとした疲れ、働き過ぎ、“いまカラダさすがにしんどいです”のサインが、顔つき目つき、体型よりも、真っ先に声質のクオリティダウンという形で表れるタイプの人は、基本的に政治家に向かないと思う。

昨日(71日)だったか今日だったか、朝900台のNHK『あさイチ』後の参院選各党政見放送で、たちあがれ日本の与謝野馨さんと平沼赳夫さんがしゃべっていて、一方が民主党政権の公約違反や外交内政無能ぶりを指摘し一方が「その通り」「そうです」「やりましょうハイ」とか合いの手入れてるんだけど、お二方とも病み上がり(上がってなかったりして)ということを割り引いても、漫画ならネームがぜんぶ点線になってる級のひどさでした。

しかも直後に応援団長と称して石原慎太郎さんも出てきて、こちらも年々歳々、加齢が精神の青さ(アタマでっかちとも空気読めなさとも言う)と声音とのギャップという形で露呈して来ている人なので、TV音声をラジオで聴いている月河としては朝からもんのすごく“日本終わってる感”にひたされました。

身体の膂力、健康さを外に向かって表現するツールとして、“声のクォリティ”は一般的に考えられているよりずっと重要だと思うのです。別にプロのアナウンサーやナレーターや声優さんみたいな、ツヤツヤローローとした美声である必要はない。張り、というかチカラです。ハラにチカラがちゃんと込められている感じ。

『笑点』で司会の桂歌丸師匠が、おもに六代目三遊亭円楽師匠から「死にかけ」「もう死んでる」ネタにされていますが、痩せこけて禿げててスジっぽい体型で、数々の病歴・手術歴もカムアウトしている歌丸さんも、声だけはまだパリパリしてる(最近めっきり噛むけど)からネタとして通用するのであって、あれで声がシオシオにしおれていたら、もう誰もネタにできないはずです。

記憶にある最古の例なので引き合いに出させてもらって申し訳ないのですが、田中角栄さんは政治家として伸び盛りでフレッシュな頃から声はしゃがれ気味な人で、今太閤として期待されて総理総裁にのぼり詰め、ロッキード疑惑で一転、一敗地にまみれてイメージ最悪に退陣する間を通じて、しゃがれ気味のまま声の張りやハラヂカラが衰える気配はなかった。晩期に、いま思えば脳梗塞の予兆的な顔面神経のどったらだったのか、顔の下半分が90°ぐらいねじれてしまったのが唯一の退潮の表れでした。つまり、“顔がねじれるまで疲弊しきっても、声は持ちこたえた”わけで、これぞ政治家、政治家になるべく生まれついた人のありようだと思うのです。

まぁ、民主主義の国、民主主義の世の中。“政治家になるしかない”人以外、普通の、サラリーマンでも作家でもタレントでもスポーツ選手ででもいくらでも生きていける人が、あえて政治家になって政治を動かして行く可能性を封じてはいけない、自由意志による参入を止めてはいけないとは思いますが、毎度毎度「きっついなぁ」と思う声を聞かなきゃならないってのも、ちょっとね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする