この一両日、帰国メダリストたちが地元、出身校・職場などで帰朝報告のニュースを何度か見ましたが、人前に出るたびいちいち“証拠物件”みたいにメダル首からぶら下げてかなきゃいけないってのもしんどい話ですな。
競泳の北島選手なんかは2個下げなきゃならないから、『ジャンクSPORTS』の浜ちゃん流に言えば「上も金2つ、下もキン2つ」でバランスはとれているけれど(何のバランスだ)、結構、首が疲れるでしょうね。
アメリカのマイケル・フェルプス選手にいたっては8個ですよ。あちらでは日本のような凱旋メダル御披露興行ツアーみたいのはないかもしれませんが、まともにいったら頚椎損傷だね。ますます顔が長くなっちゃう(失礼だ)。
『白と黒』は第43話。身元保証人となった大貫(大出俊さん)を抱き込んでの聖人(佐藤智仁さん)の研究所機密に関する企み、最初に知らされてショックを受けた一葉(大村彩子さん)ですが、“自分にとって苦痛なこと、受け容れがたいことは、無いものとして扱う”“自分に都合のいい虚構に作り変えてアナウンスする”という、得意の方法論で対処すると決めたよう。「破滅型なんて人間はこの世にいないわ、愛で人は変われる、変われないのは愛が足りないからよ」と強弁して、更生などしていないとわかった聖人に“私の愛で更生させるんだから、もう更生したも同然”という理屈で服従し、頼まれていた契約書の盗撮を試みます。
しかし、ファイルロッカー開けるだけでガタガタ音たてて怯えまくり、デジカメ持つ手も震えまくりのトウシロ工作員・一葉の犯行のバックに流れていたBGMは、本編中どっちかと言うとお間抜けなシーンに多用されていた系の曲で、ストーリー的にも、聖人の目論見としても“主眼”ではないのだろうなという気がします。むしろ聖人は、一葉がどこまで自分の手駒になりきってリスクを冒す勇気があるか、瀬踏みしてみたかったのでしょう。
ただ、父・秋元の言葉として一葉が引用した「破滅すると自分でわかっていてもそっちにしか突き進めない、破滅型の人間というものがこの世にはいる」はちょっと生煮えでいただけなかった。“聖人というのは世間一般的にはこう捉えられる人物です”と説明し過ぎなように思いました。こういうことは客が観て感じ取り、頭の中でしばらく転がしているうちに初めて“破滅型”という言葉に行き着くようでなければいけない。感じ取る前に「コレです、コレ」とばかりアンチョコが差し出されてしまっては台無しです。坂上かつえさんほどのベテラン脚本家でも、やはりこういう解説台詞使ってしまうかな。
『白と黒』というタイトルですが、第二部に入ってから、“白”については“理想や目標に向かって勤勉に努力すること”“家族や恋人を尊敬し大切にすること”等と、第一部以来の定義が一貫して明確ですが、“黒”ってのはどうイメージされているのか、何をもって“黒”と表現したいのか、もうひとつはっきりしてきません。
第一部では“社会規範や倫理を踏み外し、他人を傷つけても己の欲望に忠実に生きる”が黒とされていたようなのですが、毒殺未遂以降の聖人は“白に充足する人々の価値観を蹂躙し平和を乱し、不幸にする”という、もう一歩進んだ黒を体現しているようでもあります。
もちろん、一歩進もうが百歩進もうが、すべてが聖人にとっては“本能的欲望の充足”であることには違いがないのでしょう。
昨日42話からの続き、聖人がわざと礼子(西原亜希さん)の寝室に落として行った上着の釦をめぐる攻防の語り口はエピソードとしては見応えがありました。
章吾(小林且弥さん)に問われて“聖人の仕業”と直感し、「玄関先で拾った」と咄嗟に言い抜け、ちょうど大貫を案内して来訪した聖人が、これ見よがしに脱いだ上着を見て確信し、急いで台所に駆け込み、お茶を出す手伝いにかこつけて部屋の掃除をした家政婦路子(伊佐山ひろ子さん)にも同じ嘘を言いつつ、どこで見つけたか聴取。
大貫との応対の間じゅう聖人に問い質し釦を押し返す機会を探る礼子。礼子が気づいたなと察して弄ぶように反応を見る聖人。「寝室のCDコンポを見てくれないかしら」「俺が?電気なら兄貴のほうが詳しいよ」と互いにガン飛ばし合う。ここのイヤ~な緊張感がたまりません。
続いて和臣(山本圭さん)が入室して同席すると、もう礼子は手もクチも出せません。辞する間際に送って出ようとすると和臣に「部屋のノートを取って来てくれ」と頼まれ、聖人と2人だけで接触することは結局できずに終わる。
一方章吾も玄関先で聖人の上着の釦がないのに(礼子同様、見せられて)気がつき路子さんに「あの釦どこで拾った?」と尋ねます。路子さんはもちろん「寝室のベッドの下に落ちていたんです」と答えますが、ついさっき礼子に「研究所の玄関先で拾って章吾さんのものだと思い部屋に持ってきたんだけど、どこに置いたかわからなくなっていたの」と聞かされていますからその通り言い添える。章吾は一応納得。大貫来訪の間だけ3人が隔てられていたことで、路子さんを抱き込んだ礼子の嘘がタッチの差で辻褄が合った。
気の毒なのは、安心して「そろそろ子供を」なんて寝室でやる気を出している章吾のほうで、礼子はある意味聖人より狡猾な嫌な奴なんだけど、この数分間のくだり、なぜか礼子の身になり“切り抜けられますように”と思ってしまうんですね。言わば観客視聴者の“黒”部分を触発するような語り口になっている。
礼子は釦の件でシメることができないまま聖人に帰られて、章吾との寝室に入っているわけですが、章吾からの子作りの誘いにためらわず応じている。聖人への“見せないあてつけ”のようでもあります。
CM明け、一夜明けて聖人からの盗撮指令を帯びて出勤した一葉に「聖人の上着の釦、なくなってないか、うちの母屋の寝室で見つけたんだ、研究所の前で礼子が拾ったって言うんだけど」と章吾が訊く。一葉は「聖人がこの辺で落としたらしいと言っていたけど、探しても見つからなかったの、礼子が拾っててくれたのね、よかったわ」とすんなり答える。ちょうど来合せた礼子に章吾が「あの釦聖人のらしいよ、一葉をここへ送ってきた時にでも落としたんだろう」と言えば礼子は何食わぬ顔で「ソウナノ?じゃ後で持って来るわね」…いろんなことが整合して章吾ホッと顔を撫でる。「志村、うしろ、うしろー!」じゃないけど、“お人よしの章吾さんに本当のこと教えてあげたい”と観客の大半が歯がゆく思ったでしょう。
「母屋の寝室?」と一葉が引っかからないのが不思議と言えば不思議ですが、この時点では一葉、盗撮指令で頭がいっぱい。もしもこっちの方向へ行けばこうなる、あっちの脇道に入ればああなるといろんな展開こじれの可能性を示唆しながら、章吾ホッへ落とすまでの語り口はなかなかスマート。さすがに事件もの・刑事ものを書き慣れている坂上かつえさんです。
聖人にしてみればこの釦、さほどの“命中確率”は期待せずに放ったダーツの矢だったかもしれません。一葉を研究所に送ったあとドア越しに手でおはよう挨拶交わしたしたときの章吾の屈託ない表情で“命中はしてないな”と悟ったはず。後から「そう言えばあのときの釦…」と思い出されて、章吾なり一葉なりに毒が効いてくればめっけもの、ぐらいのハラだったのでしょう。当面、礼子を刺戟し、意識的に章吾に嘘をつかせ隠し事を持たせることさえできれば、聖人としては第一段階クリアです。
こういう形でしか自己表出、自己解放のできない聖人に、礼子はこれからどう対応していくのか。「お願い目を覚まして」なのか「あっちへ行って邪魔しないで」なのか、はたまた「私も一緒に行くところまで行くわ」なのか。
釦一個でこれだけ腹の探り合い。もうこうなるとどっちが白でどっちが黒…なんて世界じゃないですな。人間ってしょうもない存在だなと思うばかり。
なんかね、かつて昭和40年代、高倉健さんらの仁侠映画が人気だった頃、「映画館から出てくる客がみんな肩いからせて左右に揺すって歩いて来る」というジョークがありましたが、このドラマ、観た後は、観る前より確実に人相悪くなってそうなんだな。“黒”の淵を覗き込むと言うか、覗き込んでいる人を物陰から盗み見るというか、そんな隠微な“禁断感”が何とも言えないんですけど。
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