イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

スッと触れる ~百均チークの文月~

2019-07-30 21:51:11 | コスメ・ファッション

 今年の正月明けに、百円ショップDイソーのパウダーチーク《BKT》(←キティちゃんの図柄)、《エスポルール》(←透明フタがキャンメイク風の花型カット)にハマって、色から色へと追っかけていましたが、先週から、同じDイソーオリジナルの《スフレチークD》のトリコになっています。

 生クリームをカーッと泡立てて、ツノが立つくらいの固さにしてまんまかためたような質感の“スフレ”タイプのチークカラーといえば、ドラッグストアや大手チェーンで見かけるのがSUGAO(←目薬・胃薬でおなじみロート製薬の化粧品ブランド)の《スフレ感チーク》がポピュラーかな?個人的には、頬にのせる色モノといえばブラシで刷くパウダータイプしか使ったことがなく、正直どうやって付けていいのかわからないため、この年(どの年だ)まで敬して遠ざけていました。

 Dイソーのコスメ・メイクグッズコーナーの中では珍しい200円アイテム。他の色モノとは違い透明じゃないフタのケース(クリーム状のモノを旅行用に詰め替えるときの容器風)が、水平の状態でおさまるようシーリングされた透明袋に入って、フックに吊るし陳列。百均コスメで200円ってなんとなく闘志をかき立てられるじゃないですか。られない?・・・まったくそっくりなパッケージングで先日他店で見たSUGAOのスフレ感が税込四ケタ値段だったのを思い出し、200円でほぼ同サイズならダマされたと思って!と、3色中いちばん“コントローラブル”そうな《ピンク》にチャレンジ。

 コスメとの付き合いの中では、一年に3回ぐらい、いままでの人生からオミットしていたアイテムをむらむらと試してみたくなる場面がめぐってくるものなのです。

 試した結果、定着リピートに至ったモノと、“むらむら損のくたびれ儲け”で終わったモノとでは、吉本じゃありませんが1:9・・てことはさすがになくて、四分六ぐらいで若干、定リピのほうが下回っているかも。やはり、長年遠ざけていたり、視界に入らずにきたモノは、本質的に本人にあまり縁のない、相性のよろしくないアイテムであることが多いようで。

 一方、定リピ化したモノは、少数派とはいえ、たとえば繊維入りのマスカラとか、ダマ化・束化を防ぐ睫毛コーム、スクリューでない歯ブラシ型の眉刷毛など、いまや“道具箱”に無くてはならないポジションを占めています。これらに関しては出会えた奇跡に感謝。

 今回も期待しつつ試しました《スフレチークD》ピンク。開封して見た製品色第一印象は「こ、濃い・・」

 今年の梅春期にハマったキティちゃんのBKTチーク《コーラルピーチ》(←同シリーズいちばんの濃色ビビッド)ぐらい濃い。 

 しかし!“スフレ”=Soufflé (仏)「膨らんだ」という意味のネーミングで、もともとは泡立てた卵白を加えて熱し膨らませる調理法の料理やデザートのことなので、このチークも、色は濃く見えるけれども、パウダーをギュギュッと押し固めたタイプよりは空気がたっぷり含まれているのだから、付けて伸ばしたらちょうどいい濃度になるはず、と勇気を出して薬指のハラにちょっとつけてみて、まずは手首にムニュッとこすりつけてトントンしてみます。

 おぉなんと!製品色からは想像もつかないほどほのかな上品な色づきです。顔にのせるときも、薬指に一回とって、頬骨の出ばっているところを狙って、叩き込み気味にこすりつけてトントン、もう片方の頬っぺたも薬指もう一回、以下同文、で完成。

 やっぱりスフレのエアー含み効果ですかね。ややローズ寄り濃ピンクの粒子と粒子の間にたっぷり空気が含まれていて、皮膚の上に付着させトントンすると自然とふわぁと拡がるんですね。圧縮パウダー状だと、このふわぁをブラシで能動的にやってやらなきゃならない。

 そう、それで思い出しましたが、このスフレ状は、パウダー状をブラシにとるときどうしても多少付きまとう“粉飛び”粉散り”と無縁です。

 特に先述のBKT《コーラルピーチ》や、キャンメイクパウダーチークスPW38《プラムピンク》同PW41《アンティークローズ》、セザンヌナチュラルチークN16《カシスローズ》などのドス赤黒いもしくはドス赤紫な濃色のパウダータイプは、毛量たっぷりのブラシに大胆にとって、手のひらで落として粉含み均一化してから顔に行かなければムラ塗りのリスクが大なので、結果、無視できない粉量がムダになります。

 スフレ仕立てのチークはこれをほぼ免れます。最初に薬指のハラにとった色が、頬にトントン叩き込むと薄まって、かなり高精度で頬面に完全移転してくれます(但し、作業の前には指先をキレイに洗って水けを拭き取っておくのは必須)。

 注意すべきは、月河は台所作業とキーボードタッチのため爪はギリギリまで短くしていますが、器からの取り方に気をつけないと、爪のカドに入り込んでしまいトントン移転しにくくなります。

 それから製品自体、色素のヌシである粉分と、粉を結合させる油分、それからスフレをスフレたらしめている“空気”分との絶妙な三位一体で成立しているモノなので、乾燥と、対局の“水濡れ”が大敵です。容器のフタはきっちり締める。締めた状態でも、直射日光はいけません。

 指にとって人肌の温もりで伸ばすので、大事を取り過ぎて冷蔵庫保存てのも、やりたくなりますがおすすめしません。塗り始める前に室温に戻しておかないといけませんが、その過程で結露しそうです。結露は水分ですから、結局は劣化を早めます。

 直射の当たらない、照明器具のそばでもない化粧台の引き出しの中ぐらいでちょうどいいと思います。ここんとこ急な猛暑ですが、窓際でもない限り人肌=体温36~37℃以上にはならないでしょう。

 耳かき半分ぐらいの量で顔1コ両頬っぺた足りるので、200円1個で、月河のメイク頻度なら何年ももちそうです。逆に、経年劣化しないうちに使い切れるか心配だったりする。ちょっと和風に、目尻にアイシャドウとして付け足してみてもいいかもしれません。ヘタすると歌舞伎の隈取りの失敗版みたいになるから難しいけど。伏目になったとき、アレちょっと紅みある?と一瞬見える程度に。ブラシやチップ等のツールじゃなく指一本の加減=指のハラの正面に取る/側面に取る程度でできるので、ぜひお試しを。

 気がつけばこの、薬指に触れたときの空気っぽい質感と、軽い血行マッサージ効果もあるトントン伸ばしが快感になってきたので、次回は違う未体験色に挑戦してみようかと思います。

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反社の闇からお家騒動へ ~長いものにはグダグダ巻き~

2019-07-26 22:23:51 | ニュース

 反社会勢力への芸人直(ちょく)闇営業問題、迂回し過ぎた台風みたいに、ブワンとほどけてゆるんできましたな。“👁(目)”もスカッとくっきり澄んでなくなって、モヤモヤどこにあるのかわかんなくなってきた。

 20日の宮迫・田村亮揃って謝罪会見は、司会進行もなく当事者みずから仕切りの手作り感、TV地上波なしネットのみの生中継という非日常感が見ているほうにも伝わってきて、彼らとテンパりの波長合わせて見聞きしたからそれなりにシリアスでしたが、これを受けての22日の岡本社長のヨレヨレマラソン会見の後は、あまりのアレさに松本人志さんがツイートする、明石家さんまさんもラジオで言及する、極楽とんぼ加藤浩次さんは自分のMC番組で「経営陣一新しないなら辞めてやる」と啖呵切る、亮の相方田村淳さんは、宮迫相方蛍原徹さんは、宮迫とも極楽加藤とも長年共演してるナイナイ岡村さんは、大先輩オール巨人さんは、おおかたが存在すら忘れてた清水圭さんは・・・・・・とどんどん蜂の巣突っついたみたいに発言者、発言のそのまた分析論評者が増えて行って、もう一昨日ぐらいからは「誰がいちばん影響力あると思いますか皆さん」と、各TV局がおもしろがって煽ってるような地合いになっています。

 また、“消長の激しいお笑い界でのマウンティング・派閥動向”“誰が誰と仲いいか、誰が誰を快く思ってないか”系の話題って、反社がどうだこうだどころじゃなく年じゅう視聴者の大好物だから、各局、退職した吉本マネOBOGなんかまで引っ張り出してきて論評させる喋らせる。吉本のアナログ汗かき時代のサクセスストーリーなら、これまたなんぼでもしゃべるネタがあるんですね。

極めつけは、もう8年も前に芸能界自体から退いたはずの島田紳助さんが、「宮迫がもともとは悪いけど、辞めたらあかん、ここは冷静になって、偉(えら)なってからもういっぺん喧嘩せえと」「大崎(会長)クビにしたら吉本潰れんで」「松本(人志さん)とはやりとりはしてないけど、言わんでもアイツわかってくれてるやろから、男気あるし」等とオマエどんだけ大所高所よ!なクチぶりで、しかも“カメラ回さない条件”という、開いた口が塞がらない大物感まる出しでコメント出し始めました。

 もう無茶苦茶。世も末。そもそも、“芸能界、お笑い界の黒い交際”“反社とのつながり”問題は、この人からあの時期端を発して、この人をきっちり黒白つけられずにドサクサおクチチャック引退を許してしまったから、こんにちのこのモヤモヤにつながっているんでしょうに。

 この人のキャラからいって、独占インタビューですとマイク向けられればきいたふうなことの週刊誌数ページ分ぐらいはスイスイクチから出て来るに違いないのですが、よくまあ聞きに行くもんだし、聞いたら活字にするもんだと思う。

 しかも「(宮迫に)吉本に腹立つことはあるやろけど、ここは長いものにはぐるぐる巻きやと」と、本当に言ったのか知らないけどちょっとオモロクないこともないのがますますイラッとくる。

 現役時代の活躍が華々しかっただけに、引退したいまも、黒い交際の件はコッチに(どっちに?)置いて、成功した先輩芸人として私淑する若手が少なくなく、何かしら発言すれば注目もされるのはしょうがないし個々の自由ですが、なんかみんなツラの皮が厚いし、簡単にものを忘れるし水に流すなあ。 

 結局は、吉本の、分を過ぎた急成長→肥大化やガバナンスの不行き届き云々を指摘しているような振りをして、媒体の皆さんはやっぱり1980年代のMANZAIブームや『ひょうきん族』時代の空気感が忘れられず懐かしいのでしょう。あの頃お笑い界を牽引した名前が出てくると飛びつくし、「あの頃は芸人の仕事、マネージャーや事務所との関係、ギャラ、ああだったこうだった」「いまでもあの頃一緒にやった誰某とはこんな関係だ」の話をさせたがる。

 結局皆さん“お笑い界と反社の関係の実態解明”“完璧クリーンにするには”なんて真剣に危機感持って考えてはいないし、期待もしてないんでしょうね。ビートたけしさんが言っていたように、芸人にクリーンとか品行方正を求めても虚しいし、何もおもしろくならないと、媒体も視聴者も皆だいたい見当がついている。

 名のある芸人誰某が退社したとしても、代わりがどこかから出てきて、誰某はどこぞに移籍して同じことになるだけだし、この件で初めて見た様な社長や会長が辞めて、輪をかけて見たことない誰ぞに交代しても、吉本の株でも持ってる人以外には何の影響も恩典もない。

 皆さん、どうでしょう、本当は“もっとずっとすごい超大物の反社交際真っ黒ネタ”がヒョウタンからコマみたいに出てくるのを、心の底ではいちばん待望してたりしませんか。

 ・・・でも、掛け値なしに媒体の向こう側もこっち側も全員ぶっ飛ぶような大物なら、反社なんかよりそれこそもっとずっとすごいチカラと結びついているだろうから、ヒョウタンもコマも出る前にまるごと粉砕されて終わりでしょうね。結局宮迫クラス止まりか。

 やっぱり状況を牛耳るには「偉なってから」ですか。なんともモヤモヤ。もひとつ台風来て吹き払ってくれないかな。

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ロングナショー ~サル者は追わず~

2019-07-23 18:59:02 | ニュース

 21日の参議院選挙の投票率が低かったのは『ワイドナショー』(AM10:00~)のせいだったのではないでしょうかね。

 ・・なことはない?朝起きて「今日は投票日か・・待て待て、今週は(例の問題を受けて)異例のナマ放送らしいから松っちゃんが何て言うか、ちょっと見てからにしようか」となり、「わぁ東野まで泣いてるよ」とか言ってるうちに「このあとアッコも(『アッコにおまかせ』AM11:45~)絶対何か言うぜ」となってチャンネルを回し、そのまんま『噂の!東京マガジン』をつけっぱにしておいたら遅い昼メシになり、ひと休みしていたらうつらうつらして「あ、そういや今日名古屋場所千秋楽じゃん、鶴竜かなやっぱり白鵬かな」→「笑点始まるよー」「円楽師匠が脳腫瘍だってね」→「終わったら『いだてん』(BSプレミアムPM6:00~)入れてね」「今日やってなくない?」「なんで?」「NHKの地上波が8時から選挙特番で休止だから」・・あ、そうか今日選挙だったわー!!という人が、ざっと・・・・0.8%ぐらいは投票率を押し下げたような気がします(気のせいか)。

 月河はここ3年ほどは公示から間を開けずなるべく暑すぎず足元も悪くない天候のラクな日に期日前投票していますが、今回も公示の四日後に行ってきました。並ぶほどではないけど結構、切れ目なく投票者が訪れていましたよ。

 いつも思うのですが会場に何人も選挙人名簿確認係・投票用紙渡し係・立会人・警備員・・とぐるっと輪のできる人数のスタッフがいて、“選挙”って本当に人手が要るし、人が動かなきゃならないってことは、おカネもかかるんだろうなと実感します。その挙句選挙のたびにジリ貧で投票率が下がっていくんじゃやってられないですね。投票率だけじゃなく、選挙のたびに毎度毎度、「こんなヤツに誰が投票したんだ、何を考えてたんだ」「いや当選したから地金が出て来たんじゃない」と思うような失言議員やパワハラ・セクハラ議員が何人か必ずまんまとバッジを手にしてしまい、有権者の選挙に行く気を大幅に削いでいく。

 先々週放送『いだてん』で田畑まーちゃん(阿部サダヲさん)が朝日新聞で大活躍スクープ・・・・ではなく、字が悪筆過ぎて何も関係なかった大正14年の“普通選挙法”から90余年。先人の血と汗と言論で勝ち取ったわりには、勤続疲労なのかメンテ不良なのか、最近、めっきり有難みがうすく輝きがないと思います“国政選挙”

 ・・とにかく、世間では「選挙?知らねえよ」と思わず思ってしまうくらい、どぎつい事件や話題が次々に勃発したり噴出したりしている。

 20日の雨上がり宮迫博之さん&ロンドンブーツ田村亮さんの謝罪会見など、インターネットTVでしか中継されていなかったにもかかわらず、当日夜の『新・情報7days』を皮切りに、翌日も朝から晩まで次々と情報番組でリプレイされたので、昨日の昼間のどこの番組のVだったかな?宮迫「・・・・・岡本社長が“社員、弁護士全員(部屋から)出ろ”と言って、社長と僕ら(宮迫田村ほか当事者芸人)5人だけになりました。そこで社長が最初に言ったのは」で、まさかのCMまたぎになった途端、月河家の高齢・非高齢組、声をそろえて「“オマエらテープ回してないやろな”!」と、百人一首かイントロクイズみたいに答えてましたからね。

 ここでCMまたぐ編集も狙い過ぎであざといけど、記憶力の怪しいことには定評のある(?)高齢家族でも、二日間で上の句・下の句よろしく覚えちゃったんだから、すごいTV放送時間占有率、アピール刻印力ですよ。

 まぁ、高齢者ほどTVにクギヅケ率が高いし、同じ話題、同じ顔同じセリフの繰り返しにも抵抗がないということもあります。

 昨日(22日)の、その岡本社長の超ロング会見はさすがに完走した人は少ないでしょう。午後2時過ぎに始まったらしいのですが、月河がPC起動した7時過ぎにもまだやってた。昼間の録画リプレイ?と思ったらまだナマだったという。 なんだか、2008年にこのブログでも書いた、北京オリンピック開会式を思い出しました。“岡本社長”ってスペアが3体ぐらいいて途中でタッチ交代してたのかしら。いやホントに。高齢組が視聴していたら、たぶん合間で二回くらい仮眠してたと思います。

 以前のエントリでも書いた“闇営業”=所属事務所をとおさないナイショの営業、に端を発したこの話題、「営業先が反社会勢力だった」「それを知ってた知らなかった」「ギャラもらってたもらってなかった」「もらったのにもらったと認識してなかった」「もらったのに事務所のヒアリングでもらったと言わなかった」・・等々とフローチャートのように問題の問題たる所以が枝分かれしていき、結局誰の何がいちばん悪だったのかが見えにくくなっていますが、要するに“事務所が大きくなりすぎて、(人員的にもノウハウ的にも)タレントたちをグリップできなくなっているのに気がついてない”んだろうと思います。

 事務所を通さずに、売れてもいない後輩の得体のしれない人脈つながりで来た営業におめおめ顔を出すというのも、そもそも事務所が芸人にナメられていて、頼りにされていないからでしょう。岡本社長「(ギャラは受け取っていないと言っていたのがウソで)本当は受け取っていたと聞いてパニックになっていた」というような意味の、天理大アメフト部出身コワモテ体育会系トップとは思えないような軟弱なことを言っていましたが、ウソの件だけではなく「ここまで芸人にチョロまかされてたのか」と改めて痛感、どうここから操縦桿取り戻していいのかわからなくなって本気で内心アワアワしていたのではないでしょうか。「全員クビやぞ」とかの一連のパワハラ発言も、言った言わないの真偽はともかく、虚勢でごまかすためともとれる。

 『ワイドナ』で松本人志さんが「オレら(ダウンタウン)が東京進出した頃(=1980年代後半)=なんか、東京吉本いうたらマンションのワンルーム一室だけやった」と言っていました。ダウンタウンが東京キーの全国区で成功した頃は、まだ大阪土着の伝統的なやり方が通用して、スタッフも松っちゃん浜ちゃんら芸人たちもアナログに汗かいて、頭下げて頑張って結果を出してオッケーだったでしょうが、彼らに憧れてドーンと多数入って来た世代がボキャブラやオンバトや M-1で成功しそれぞれにレギュラーを持ちメインMCを張るようになったあたりから地合いが変わってきたはずです。

 もう事務所が何もしなくても、お笑い志願の若いシロウトの子たちが売れっ子芸人を夢みてどんどん集まってくる流れができてしまった。勝手に流れて来るものを“学校”のかたちで受け入れれば、アタマカズの掛け算で授業料がガンガン入って来る。合わない子やついてこれない子は脱落しますが、そこそこ才能のある子、才能は足りないが根性だけはある子は完走するので、それを“芸人予備軍”として囲い込んでおけば、ローリスクで次世代の“ゼニの稼げるタマ”を選抜できる。

 一定の“商品の物量”が確保された頃から、ひとりひとり、一組一組の芸人と四つに組んで、金銭感覚や趣味嗜好、家族・異性関係などの私生活や交友関係などまで把握したうえで、それぞれの特異な才能を世に出す、輝ける場所を見つけて送り出すという、アナログで汗臭い仕事ではなくなって来たと思う。以前もここで書いたけどなんたって6000人です。“芸人の芸”レベルに達してないほうが圧倒的に多いのは想像がつく。ひとりひとりに惚れ込んで、人柄ごと把握して二人三脚というわけにはいかない。できるわけがない。

 今回の件も「原点に返れば結局闇をやらかしてずるずる百万円もギャラもらっておきながら自覚もなく、“もらってない”でごまかそうとした、あのメンバー中では吉本最古参で後輩に押しの強い宮迫が、やっぱり震源地的に悪い」という意見が多数を占めていて、月河もまったく異論ありませんが、ごまかし切れるとタカをくくられていた吉本は、やっぱり宮迫氏世代のブレイク(99~2000年頃か)辺りから、根本的に芸人になめられてきたツケがここへきて露呈していると思わずにいられません。

 二人の会見当日(20日)夜の『7days』で、こちらは東京・浅草団塊世代芸人の生き残り代表ビートたけしさんが「オレがしゃべると放送禁止(用語)ばっかりになっちゃうけど」と、いつになくマジで「芸能事務所ってのは人買い事務所、“女衒(ぜげん)”と一緒。サル回しなら俺ら芸人はサルだから。サルが悪いことしてさ、お客さん噛んじゃったら、サルに謝らせるわけにいかない、飼い主が謝るだろ」「お笑いのやつが、泣きながら謝ってる姿見せちゃったら、もう彼ら見て誰が笑うんだって。だからこういう姿は見せちゃいけないんだ。それをやらなきゃいけなくした事務所はおかしいって」と、喩えは極端ながら“芸能事務所の役割”について熱弁をふるっていました。

 「家族がいて食えない、闇(営業)やらなきゃ食えないようにしたのはいったい誰なんだって。だったら雇うなよってこと。そんな事務所は何だって。最低保証ぐらいしろよ」と、“ギャラもらう、いち芸人”と、軍団をかかえて“給料与えて食わせる”立場と両方経験のあるたけしさんでないと言えない発言も。

 「あとさ、芸人に社会性とか品行方正求めちゃダメだって」とも。「そういうのがイヤでダメだからおいらなんかこう(芸人に)なったんだから」。でも「んじゃ品行方正なタレントがいいのかっつったら、今度は“最近(芸人として)つまんない”“危険度(=毒気)がなくなった”とか平気で言われる。どっちなんだって。綱渡りみたいにやってんだよ」。

 たけしさんの浅草時代とは様変わりしましたが、やはり芸人もしくは芸人を目指す人には世間的には変わりモノで、アクが強く、良く言えば型にはまらない、破天荒な人が多い。そういう荒ぶる個性をどうにかグリップしてコントロールして、TV等の媒体にのせられる形にまとめ、広く好感もたれ興がってもらえる“芸能人”“タレント”に仕立て上げて表舞台に送り出し、独特の持ち味が“おカネの取れる、生業になる芸”として末長く実入りを生み出せるようにするのが“芸能事務所”の腕の見せ所のはずです。

 昨日のまさかのマラソン会見を視聴して、もしくは視聴しながら、現・所属芸人たちがてんでにSNSで、大半は「違うだろ」「がっかりだ」「ますます信用できなくなった」という趣旨の感想を不特定多数に発信して、翌日のTV情報番組でいちいち拾われて、スタジオコメンテーターたちに概ね共感されています。こういうことがまかり通ってしまうのも、どれだけサルたちにリスペクト払われてないサル回し、飼い主なんだと思わざるを得ない。

 会見では宮迫・田村両氏に「処分は撤回する」「もう一度同じテーブルで話し合いを」と呼び掛けていましたが、この際“会社・経営陣ごと謹慎”して、吉本まるごと“閉店してシャッター閉めてシートで覆って内部大改造”したらどうでしょう。

 正直、当分、「この人も吉本だったっけ」と思う芸人さんのネタ見せもMCも、ひな壇で振りを待っている姿さえも見たいと思わなくなりました。

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ジャニーさん逝く ~あなたがいたから僕らがいた~

2019-07-15 22:26:05 | 芸能ネタ

 先月の中旬「救急搬送で入院したらしい」「重篤らしい」との報が流れて、それで初めて「ジャニーズ事務所のジャニー社長ってこんな顔の人だったんだ」と知った向きも多いのではないでしょうか。月河も同様。

 晩年まで積極的にライヴ等の現場に出張っておられたらしいし、知っている人は知っていたんでしょうけど、媒体に流れないよう画像の管理が周到だったということなのでしょうね。状況押し詰まってやおらボチボチ出てきた画像も、頭髪具合とか顔肌のつやシワ加減とか、ざっと10年単位で撮影時点がマチマチ。でもま、ざっくり感想を言うと「意外と普通なご老人だった」

 ・・・ジャニー(“ジョニー”じゃなくて)〇〇という通称や、「ユー、~~しちゃいなよ」というクチ癖(伝聞)からいって、なんかこうバタくさい、金髪に染めてるような、プラスおネエっぽいヴィジュアルの人を想像してませんでした?月河は正直、してました。たいへん失礼申し上げました。

 公式に訃報がNHKでもアナウンスされた10日の夜7:00のラジオ第一のニュースでは、四年前に収録されたという蜷川幸雄さんとの対談番組(蜷川さんは2016年5月に亡くなられているので、その前の年ということになります)での肉声が流れましたが、「(所属タレントを)“ユー”って呼ぶのは、名前が覚えられないから」等と脱力な話をするジャニーさん、結構、入れ歯ユーザー特有のフガフガした発音で、普通の80代のおジイちゃんでした。

 いまさらですが芸能ネタ世間話のメイン大道具とでもいったポジションで“ジャニーズ事務所”という固有名詞が認知され定着したのはいつごろからになるのでしょうかね。ジャニー喜多川さんが手がけた男性アイドルグループの嚆矢となった元祖“ジャニーズ”をリアタイで記憶しているのも月河の年代でギリでしょうか。昭和40年代初期、ひとまわりほど年上の高校生のおねえさんたちが愛読していた『週刊マーガレット』や『りぼん』の表紙や巻頭グラビアによく載っていた四人組。動く姿はあまり見る機会がなかったのですが、いつ頃だったか石原裕次郎さん主演の劇場映画に客演していたのは見ました。クレージー・キャッツの映画でも見たと思う。当時のジャニーズ事務所は、まだクレージーを擁するかの渡辺プロダクションと競合敵対はせず、仲良しの提携関係だったのです。

 当時としてはたいそうモダンだったのであろう、四肢を大きく伸ばして息を合わせた、ブロードウェイミュージカル風のダンスが売りで、おねえさんから「どの人が好き?」と訊かれて、月河は何となくいちばん小柄でひときわ目のクリッとしたメンバーが可愛く見え「アノ人がいい」と答えましたが、ダンスより歌が得意らしく歌のシーンでソロを取る事の多かったその人が、“あおい輝彦”さんと知ったのはずっと後のことです。昭和42年=1967年にジャニーズが解散してからは演技の道を歩み、木下恵介監督には特に気に入られて数々のドラマで活躍、歌手としても『あなただけを』はロングヒット、月河の上司のオジサンたちにもカラオケ得意ナンバーにしている人が多かった。TVでの当たり役はやはり10年以上つとめた『水戸黄門』の助さんでしょうが、市川崑監督の映画『犬神家の一族』でのホンモノ佐清役も印象深い。

 一方、メンバーの中で、子供の月河が見てもわかるほど抜きん出てダンスがキレッキレな人がいて、こちらは飯野おさみさん。解散後は木の実ナナさんとデュエットで歌い踊っているのを一、二度見た記憶があります。

 あとの二人は顔も名前も一致しません。ご容赦を。1967年解散ですから、当然、現在アラフィフより下の人は未知でしょう。

 ジャニー喜多川さんの訃報をつたえ追悼する各局の番組で、よくキャスターが若い女子アナやコメンテーターに「ジャニーズ事務所のタレントと言えば?」と質問し、答えの多様さから、同事務所がカバーする年代の幅広さを強調していましたが、月河にとっての“ジャニーズ事務所”のイメージは、たのきんでもシブがきでも光GENJIでも、もちろん嵐でも、もちろん元祖ジャニーズでもなく“フォーリーブスと郷ひろみ”さん一択です。セットで一択。

 元祖由来のミュージカル風シンクロダンスと、GS風エレキサウンドを取り入れた青春ポップス歌謡のフォーリーブスは、ジャニーズと入れ替わるように昭和43年=1968年にデビュー、折よく退潮したグループサウンズブームのあと、70年代初頭の一時期は“若いオンナノコたちのアイドル”の座をほとんど独占していました。月河はいまだ小学生坊主でしたが、同級生たちの中にもおませで背伸びしたいタイプの子は結構いて、いまで言う“押しメン”を競ったり、おねえさんたちの真似っこに余念がなかった。あの頃はまだ一家にきょうだいが2人から3人は普通で、姉ちゃん兄ちゃんたちの話題や流行りを見てマネして、同い年のクラスメートに自慢したりきいたふうな情報を披瀝するという文化が小学生坊主の中にもあったものです。

 フォーリーブスの中では、あまい声質とマスクで歌唱力いちばんの“ター坊”こと青山孝史さんと、驚異のバック転にほとんどアクロバティックなダンス、エキセントリックでトッポい雰囲気もただよわせる“コーちゃん”=北公次さんが双璧だったように思います。ちなみに2019年現在、お二人とも故人。

 郷ひろみさんは、たしか昭和47年=1972年の春クールから現・千葉県知事森田健作さん主演の青春学園ドラマなどに客演して、「女の子みたいに可愛い男の子が出てる」と、フォーリーブスとは別建てで話題になっていましたが、同じジャニーズ事務所から、フォー=“4”リーブスの弟分として、4の次だから5=ゴーがいいだろうと“郷”ひろみの芸名をもらったと、当時はいろんな媒体にも流布されていました。

 月河が「ジャニーズ事務所のタレントと言えば?」と訊かれて速攻「セットで一択」答えるポイントはここです。先行するタレント、もしくはグループの“弟分”“先輩後輩”という関係性でアピールするという売り出し方。ジャニーズ事務所が軌道に乗りジャニー喜多川社長の商法、よく言われる“選球眼”がクリーンヒット・タイムリーヒットを打ち続けられた要因もまさにここにあるような気がしてならないからです。

 グループ・ユニットの中でも“〇〇担当”“▽△キャラ”のような棲み分けで個々の個性を際立たせいろんな嗜好のファンを巻き込んで雪だるま式に人気をふくらませていくやり方、遅ればせながらハロプロや、秋元康さんプロデュースの諸グループが、女の子アイドルでこの手法をとっていますが、古くは宝塚歌劇団などもまさにこういうプレゼン、消費のされ方をしていました。可愛い子、歌ダンス等芸能のひいでた子を単体で提示するよりも、上下関係、ヨコのコラボや競合選抜関係でストーリーを作り、読んだり深読みしたり妄想をたくましくしてもらった方が、より強靭で太い商品になる。

 郷ひろみさんのフェイスや日本人離れした腰高で四肢の長い体型や、独特の声質・歌いまわしは当時から単体でじゅうぶん商売になるものでしたが、すでに成功しているアイドルであるフォーリーブスの“お兄さん”たちが四人こぞって弟を可愛がり、「イジったりサポートしたり、イイことも悪いことも教えてあげている」という図式は、10代女子たちにはなんともくすぐったくそそられるフィクションでした。

 確か毎週日曜日の夕方6時台だったと思います。『プラチナ・ゴールデンショー』という30分枠の音楽バラエティ番組があり、フォーリーブスがデビュー間もない頃からレギュラーで出演していた枠でしたが、ソロのアイドルとしてレコードセールスではすでに先輩をしのぐポジションになった郷ひろみさんが1973年秋から満を持してレギュラーに加わり、末弟キャラ全開で歌メインの寸劇やコントっぽいものまでこなしてくれるとファンは大うけでした。郷さんが売れたせいでリーブスが押しのけられたなんて不満は聞いたことがありません。郷さんは先輩たちを立てる振る舞いを、少なくとも媒体の中では一貫して見せてくれていました。郷さんが前年のデビュー曲『男の子女の子』でNHK紅白歌合戦に初出場したこの73年は、すでに歌い終わっていたフォーリーブスの四人が騎馬戦の様に郷さんを担ぎ上げて入場させてくれました。

 ユニットもしくはグループを複数作って“先輩後輩・擬似兄弟・擬似ファミリーの関係性で印象付け、認知を定着させていく”という手法に、ジャニー社長が無限の可能性を見た最初が、フォーリーブス+郷ひろみさんの成功だったのではないかと思います。

 それだけに昭和50年=1975年の郷ひろみさんの事務所退社は大きな痛手だったのではないかと察します。当時はまだセキュリティとかおおらかな時代で、『明星』などの10代向け芸能誌のグラビアページや付録の唄本の柱や裾に、掲載アイドルの“ファンレターの宛先”が普通に載っていたのですが、『誘われてフラメンコ』の頃だったか、結構突然郷さんの“宛先”がジャニーズ事務所ではなく“バーニングプロ”になっていて、郷さんの熱いウォッチャーとはいえなかった月河もかなり驚愕しました。

 当時粘っこいファンだった女子ならある程度事情を知っているかもしれない。そこらは月河の任ではないので掘り下げません。

 この件はかなりジャニー社長にもダメージを残したようで、76年から79年ぐらいにかけて(バンドや楽器を伴っての自作曲を歌ういわゆる“ニューミュージック”がヒットチャートを席巻した時期です)、ユニット形式でもソロでも、“ジャニーズアイドル”らしい大物アイドルが出ない時期があったのですが、ほどなくたのきんトリオ、シブがき隊、少年隊といったグループ形式、“キャラ立ち棲み分けスタイル”でのプレゼンがふたたび三たび実を結びました。ツンデレ王子様風、ちょいワルやんちゃ系、二枚目半の天然キャラ・・と、グループでありながら統一感に拘泥せず個性をぶつからせ協奏させていく手法。

 当時は“やおい”“BL”なんていう概念もジャンルも存在しませんでしたが、アイドルの客になるマインドを持つ年頃女子たちが“カッコいい男の子同士、アノ子とアノ子は仲がいい、あの子とアノ子はライバルで一目置いてる”“アノ子はチョット実技が見劣っていたけど、先輩の誰さんが目をかけて最近うまくなった”“いちばんうまかった誰クンもうかうかしてられない”・・等という妄想混じりの関係性深読みをいたく好むのを、ジャニー社長は直感的に理解していたのでしょう。すでに売れっ子人気者に、“予備軍”としてバックダンサーのチームをはべらせ実戦で踊らせて上達具合や客席の反応を見るという転がしにも、この“グループ商法”は相性がいい。

 これは異論やお叱りを受けるかもしれませんが、ジャニーさん自身の嗜好が“若く綺麗な男の子好き”というもっぱらの風評も、むしろ男子アイドルを大勢抱えてプレゼンプロデュースし世に送り出すについてプラスに働いたような気がします。ファンは一方で気遣いつつも“女=雌(メス)のフェロモンが容喙しない世界”として純粋に観賞したり萌えたりしていられた。大きな“男子校の寮”の芸能版みたいなイメージを抱きやすかったのでしょう。

 2010年代に入ってメジャーどころのグループから志願脱退者が出たり、薬物事犯その他微罪で済まされない不祥事が起きたり、グループごと解散や活動停止など、さすがに時代の変化、ジャニー社長の加齢だけではなく、タレントたちも“アイドル”維持が困難な人生後半戦にさしかかっていることを歴然と映し出す事象が相次ぐ中での他界となりました。

 当然ながら、半世紀以上にわたる芸能界・芸能プロデュース歴において、プラスの功績ばかりではないとは思います。「この人がこんなに長々と重きをなしていなければ日本の芸能界・放送界・音楽ソフト界、もっと刷新したのに」と思われる要素もある。たとえば、「ジャニーズ事務所と袂を分かって、引退や転業せず芸能界に残った人で、軋轢をのこさず嫌がらせされなかったのは郷ひろみだけ」「他はみんな、共演拒否とか、干されたり、メディアを使ってバッシングされたりで伸び悩んだり消えたりしてる」という定説もそれ。

 当初は誰も踏み込まない無人の野を行く一匹狼のパイオニア、冒険者だったものがいつの間にか“既成のパワー”“権威”になってしまうと陥りがちな弊かもしれません。それでも、擬似“家族”葬に、構成員・・じゃなく所属タレントが“息子”たちとして150人余り参列、なんて報を聞き集合写真を見ると、男ばっかりこれだけのアタマカズを抱え、管理監督し、食わせていたかと、改めて感嘆します。偉業と呼ばずして何と呼ぼうか。功罪相半ばするのは確かでも、「そうじゃなくてホラ、こうすべきだったんだよ」を誰か後進の同業者が目にもの見せてくれるまで、“功”は残り続けるでしょう。

 ジャニーズ時代に小学生坊主だった若輩から言われたくないかもしれませんが心よりお疲れさまでした。古い事を思い出すのもなかなかえらいことで、月河も疲れました。ふぅ。

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ジ、ムショ帰り ~やみやみ闇営業止まず~

2019-07-12 13:51:50 | 芸能ネタ

 ざっくり先月後半からは吉本興業所属お笑い芸人の“闇営業”と反社勢力との関係問題、今月に入ってからはジャニー喜多川さん緊急入院と容態情報(フライングもあり)に続く先日の逝去の報で、ここのところの芸能ネタは、ドラマや楽曲、或いは俳優さんアーティスト単体のリアルな話題より、“事務所(じむしょ)”なるものの存在に主役を持って行かれた感があります。

 いつの頃からでしょうかね。一般人シロウトがTVやネットや雑誌で拾った芸能ネタを日常の世間話にするときに「この人やたらCM出てんな、事務所が押してるから」「あの役者は前の事務所辞めるとき揉めたから仕事来なくなったらしいよ」「あの子、ちょっと前誰某と熱愛じゃなかった?続報ないけど事務所に別れさせられたんかな」・・等々、普通にクチにのぼせるようになった。

 月河がTVの芸能番組を大人のマネして、あるいは目を盗んで見はじめた頃、昭和40年代前半~中盤は、“事務所”ではなく“プロダクション”とよく称されていました。

 日曜夜の『シャボン玉ホリデー』をはじめいろんな番組を「押さえて」いたナベプロこと渡辺プロダクションが斯界随一の勢力で、クレージーキャッツや後輩のドリフターズ、クレージーの付け人からピンになった小松政夫さんやなべおさみさん、“三人娘”こと伊東ゆかりさん中尾ミエさん園まりさん、もちろんザ・ピーナッツ等、当時の歌謡曲や洋楽カバー、コントにコミックバンド、およそ「歌とオケと喋りとダンス」でカバーできるエンタメ界全般の有力どころをほとんど傘下に入れていて、まー、こう言っちゃなんだが、概して評判悪かった。

 歌手やタレントの誰某さん単体、もしくは全体的な芸風が嫌いだというのではなく、プロダクション=「タレントに歌わせ働かせて、彼らの才能や人気を商品にしてカネ吸い上げて、タレント本人にはちょっぴりの給料しか払わずピンハネしてる」=人のフンドシで相撲を取って儲けてるヤツらの集まりで「タレントたちは寝る間もなく酷使されて気の毒」という文脈でした。

 素質ありそげな若い子をリスクとってスカウトして、寝る所食費交通費支給してレッスンさせギャラのとれるタレントに育て上げ、大枚の宣伝費つぎ込んで売り出してやる“芸能人・芸能ソフト育成システム”としてのプラスの部分は、残念ながらシロウトの一般視聴者には評価されていなかった模様。

 当時の月河周辺の大人たちの会話を思い出すにつけ、ざっくり第二次大戦以前生まれの、特に女性は、“芸能”“プロダクション”という言葉と概念に、往年の“芸者置屋”、あるいはさらに“巡回サーカスの団長”、いっそ“角兵衛獅子の親方”に近いイメージを重ね合わせて眉をひそめていたのではないかと思います。ふっるーーい!とお笑いめさるな。だいたい東京オリンピック(1964)のちょっと後~大阪万博(1970)の前後の話ですから、団塊世代のおにいさんおねえさんたちがハタチそこそこの若者で、その親世代がまだバリ現役、矍鑠たるおジイちゃんおバアちゃんたちは明治中葉、ヘタすりゃ(しなくても)19世紀の生まれです。戦争が終わって(正確には敗けて)からニョキニョキ俄かに出現して流行り出した、特にカタカナ名前のモノは“ちょっと昔にあった〇〇と同じようなもの”というタームで脳内翻訳しないと受け入れられなかったのでしょう。

 当時はいまほどTVエンタメ番組がお笑い芸人に占有されておらず、月河一家が日本の東~北半分から出なかったこともあって、吉本興業、もしくはその前身の存在感はあまり意識されていませんでしたが、今般の“闇営業”騒動を連日見せられていると、当時の大人たちが(個々の番組やタレントには興じながら)揶揄していた“プロダクションなるもの”のマイナス部分がどうもそのまんま刷新もモデルチェンジもせずに平成~令和と持ち越されてきていたような印象です。

 喜劇の事務所だから喜劇人、お笑い芸人を抱えていろんな舞台や放送番組やイベントに派遣して、芸を披露させてウケさせギャラを取らせるのが主力業務でしょう。それはわかるわ。しかしだよ、抱えるに事欠いて6000人って。絶対、ギャラ取れるレベルの芸に達してないほうが多いわ。シロウトが想像してもわかる。通りすがりの横目立ち聞きじゃなく、わっざわざおカネを払ってでも観たい芸、観たい芸人なんて、そうそう居ないし見かけないもの。

 芸がないんだから食えないのは当たり前で、「自前で食える芸のレベルに、努力して達するまで食わせてやる」という奇特なシステムでもない限り、“闇”を頼りにしなきゃ人として生きてすらいけないのもまた当然。今回は、雨上がり宮迫やロンドンブーツ亮といった、闇じゃなく“オモテ”で十分食えてる面子まで反社への闇営業に加わっていたことが特に問題視されましたが、依然徒弟制度の昔とかわらず“入門が先の先輩から声かかったら義理上断れない”という前近代的な人間関係まで白日の下にさらされました。

 ♪義理がすたれりゃ この世は闇(やみ)だ~  という歌もあります。“義理”の気配がちらつくと、“闇”も闇と認識されなくなってくるのかもしれない。“事務所”を通さないかわり、“義理”をつたって「何日何時にドコソコの店に顔出してくれ」と来たら、なんか、二つ返事で引き受けるほうが人の道にかなっているような気がしてしまうのかも。

 「義理」を辞書で引くと「自身の利害にかかわりなく、人として行うべき道。」「特に、交際上、いやでも他人に対してしなければならないこと。」(三省堂『新明解国語辞典』第七版)と出てきます。

 とりあえず、抱える芸人の数絞ったらどうでしょう。このニュース、続報、何回か聞いた人なら皆言ってると思うのでいまさらですが。引っ張りだこまでいかなくても、月に何本かでも吉本の名前でちゃんと仕事がもらえるレベルの人だけ所属させて、食うに足りない分はバイト世話してやる。努力が実ってお笑いの仕事が増えてきたら、徐々にバイトを縮小させていけるような勤め先を開拓してキープしておくのも事務所の仕事じゃないでしょうか。大阪なら、喜劇演芸好きで若手芸人のサポート引き受けてくれる社長さんも少なくないはず。なんなら傘下の売店や事務員や配達員だっていいと思う。「会社は自分を買って、芽が出ると信じてるからここまでやってくれるんだ」と若手くんも奮い立つはずです。

 あと、言葉の正しい意味通り“manage”できるマネージャーも育てなければいけませんね。芸人と一緒に現場について行って見張ったり監督ディレクターに挨拶顔つなぎだけじゃなく、事務所と芸人と現場=仕事先との回し役になれる、気働きとフットワークのある人。不規則だし激務になるだろうけど、デスクでパソコンとにらめっこしたり、数字の足し引きパーセントいじくったり、物言わぬ商品の箱詰め輸送したりは肌に合わず「芸能の動く現場に居たい」「ユニークな芸人と出会いたい」「芸人が芸をみがいて上に行くのをサポート見届けたい」という若者は、いまの視聴者や観客の中にも必ずいると思う。

 芸能人になってスターになって、一旗揚げたい、華やかにチヤホヤされたいという向きはいつの世にも居て機会をとらえ絶えず参入してきて、養成育成を待たず勝手に自然淘汰されていきますが、“manageのプロ”ばっかりは“事務所”が乗り出さなければ育たない。売れっ子芸人、数字持ち俳優、メガヒットアーティストやアイドルを何人輩出するかも“事務所”にとって死活問題ですが、使える、稼げる“manager”を育てられるかどうかに、これからの“事務所”の存亡はかかってくるような気がします。

 個人的には、この件を契機に、“ほんとうにおもしろい芸のできる芸人”だけが生き残って、芸人起用の番組の質が上がってくれればと望んでいます。『爆笑オンエアバトル』全盛の頃は、“おもしろいネタってのはこれくらい笑えるものだ”“このネタよりさっきのコンビのあのネタのほうがkb多かったのはなんでだろう?”と、観るほうも考えていた。

 なんとなく街歩き、お店探訪、スタジオでクイズ珍回答やアイドル局アナいじりなど、本業の芸のレベル進化度がまったく問われない番組が増え過ぎたことも、芸人の意識を低くし、義理に負けさせていっているように思います。

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