イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

涙なんていらねえよ、夏

2008-08-25 21:16:19 | 四季折々

日本の過半数の小さいお友達が、いまごろ夏休みの宿題追い込みにターボかかってる頃と思いますが、北国の当地では例年81820日頃に二学期が始まるのがつねです。

夏の名残を空や雲の色にとどめながら、風や空気の匂いが先んじて秋を運んでくるようなこの“8月の学校”の約10日~2週間ほどが、中高時代は結構好きでしたね。空気に力が抜けた感じ、無色透明感、いい意味の虚脱感とでも言うのでしょうか。

9月に入ると学校祭だの体育祭だのが近づいて来て、“ひとつの目標に向かって大勢の体温が上がってわっせわっせと集中している雰囲気”の中にいるのが苦手な月河にとっては、学校がますますイヤな日々が来るのです。

もちろん北国でも、お盆過ぎてからもしばらくたっぷりこってり残暑な年もあり、そんなときは「本州の学校はいいな」と思わないでもありませんでしたが、「でもあっちは冬休みが短いんだから結局同じか」…とにかく“学校始まったらいきなりイベント攻勢の9月”じゃ息苦しくて耐えられなかったでしょう。

今日の当地は、当時の月河の、一年間でも本当に僅かな“ストレスレス・シーズン”にふさわしい晴天清風の日でした。

でも、今日ラジオでお昼のニュースを聴いていたら、最近は週休二日制で授業時間が減った分を補い、昨今とかく言われる学力低下を挽回するために、東京の公立学校でも夏休みを数日短縮し、二学期スタートを繰り上げるところがあるらしいですね。今日の東京は雨で、暑さは一服でしょうが、小さいお友達はやはり「なんでまだ8月なのに学校なんだよー」と思ってるんじゃないかな。学力低下は夏休みのせいではなくて、カリキュラムの工夫のなさや教員の能力不足に大半の責があるのに。

『白と黒』は第9週、40話に。

先週20日(水)放送の37話、ストーリーとしては“3年後”幕開けから、脚本が遠藤彩見さんに交代しています。複数ライターによるリレーローテーション書き継ぎ方式は帯の連続ドラマではごく普通のことですが、当然ながら方法論として長所も短所もあります。

お話の根幹が太くしっかり決まっており、かつ各脚本家間の力量にばらつきが少なく、世界観の共有がじゅうぶん成立していさえすれば、複数制はアイディアの方向性が広がり、ひとりのライターが煮詰まりながら絞っていたのでは思いつかなかったユニークな視点のエピソードで作品をいろどることができる。

反面、どうしても個々の脚本家さんごとに“得意ワザ”や“お気に入りキャラ”が違うため、局面的にふとした不整合も生じがちです。

例えば…と言っても月河の場合特撮しか自信を持って出せる例がないのですが、『スーパー戦隊シリーズ』などは1年間の本放送に夏休み劇場版も入れると45人、多い時は6人以上の脚本家さんが参加し、脚本家さんによって「つい重要な働きをさせたくなる、おもしろい台詞を言わせたくなる」キャラが微妙に違うことは結構あります。ある脚本家さんの担当回で強くカッコよかったキャラが、別の脚本家さんの回ではほとんど耳に残る台詞がなかったりもする。「あれ?今日の黒、なんかヘタレてたよな」とか、「あそこで鋭い台詞言うのが緑の担当なのに、なんでフレームの中に入ってないの?」とかね。

先週からの『白と黒』を受け継いだ遠藤さん脚本はどうでしょうか。

8週前半までの坂上かつえさん→岡崎由紀子さん→坂上さん、とリレーされてきた脚本を熟読して発酵させて、よく膨らませたなと思う箇所がかなりあります。

たとえば39話で、章吾(小林且弥さん)礼子(西原亜希さん)夫妻を、一葉(大村彩子さん)と聖人(佐藤智仁さん)が自分らの新居=青の館に招いての夕食の場面、一葉が「さあ食べて、頑張ったのよ」「心して食べてね、愛がこもっているから」と、本来応接用の小さなテーブル狭しと料理を並べ聖人にしなだれかかる場面は、明らかに15話の一葉「もうすぐ章吾の妻になるのだから、研究所の皆さんの健康管理も私の仕事」と一方的に大量の弁当を研究所内に広げた場面を下敷きにしています。手のこんだ豪華料理を“見せつけたい相手たち”に仰々しく披露する行動は“一葉という女性の思い込み体質”の象徴として使われており、視聴者の中にある15話の記憶を踏まえての見事な演繹です。

料理と言えば同じ39話で、結婚の決まっている若手研究員・小林(白倉裕二さん)に珠江(斉川あいさん)が「アーン」「…おいしい?」と“餌付け”するお昼休みシーンも、話数は忘れましたが序盤の小林が、章吾への礼子の差し入れを羨ましがったり、「また○○軒のラーメンに逆戻りかぁ、一葉さんのお弁当美味しかったな」と漏らして珠江にたしなめられる場面が下敷きになっています。

若手2人のイチャイチャ餌付けの前のデスクでは先輩研究員で恐妻家らしい中村(久ヶ沢徹さん)が「ったくコイツら(苛)」とばかり固まりながら、食べているのはやはり仕出しや出前ではなく布ナフキンに包んだ愛妻弁当。玄関ロビーでは研究所事務員として働き始めた一葉が、手作りサンドイッチを片手沿えた“お嬢様食べ”で頬張っており、“手作り弁当”が“(他人が見て評価する)幸福な家庭・結婚生活”の象徴として、これまたうまく前半のちょっとした場面を手がかりに敷衍されていると思う。

反対に「?」と首を傾げたくなり、どうしても「書き手が代わったからだよな」としか絵解きのしようがない違和感がたまさか感じられるのも事実。

例えば仮釈放され更生して大貫(大出俊さん)のワイン輸入販売会社で働き始め、一葉と結婚もした聖人が、かつて実母・彩乃の住まいだった青の館に住んでいる。大貫が身元保証人であり雇い主でもあるから辻褄的には合ってないことはないのですが、一葉が夕食後「家の中を案内するわ」「まだ引っ越したばかりで殺風景で」と礼子を招じ入れた寝室も含め、こういう境遇のカップルにどうなのよと思うくらいリッチゴージャス。

彩乃が有閑別荘族夫人たち相手のホストクラブまがいサロンを開いていた頃に比べれば確かに“殺風景”かもしれないし、両親に結婚を反対され連絡を絶っているとは言え社長令嬢の一葉ならこれくらいの暮らしはできて当たり前かもしれないものの、章吾礼子夫妻の東京事務所兼セカンドハウスのマンションより“質素でない”ってのはちょっと喉につかえる。

それよりいちばん承服看過しかねたのは、38話で入院した和臣(山本圭さん)に見舞いを拒否され、拒否する言葉を廊下で立ち聞きしていた聖人が「許してもらえるとは思っていない…」と涙ぐむのを見て章吾と礼子が驚きを露わにする場面でした。章吾などは研究所に帰ってからも「しッかし驚いたなー、あの聖人が泣くなんて」と駄目押し。

聖人の涙の扱いが“不当に重い”。正直、「そう言えば泣いたこと…なかったんだっけ?」と首を左右にひねりました。

前半の聖人が、“冷血鉄仮面型”の、たとえば97年『ストーカー ~逃げ切れぬ愛~』や99年『ラビリンス』辺りの渡部篤郎さんのようなタイプの悪に造形されていたら、そりゃキラッとでも涙を見せれば章吾礼子とともに視聴者月河もおーっと思い胸を打たれたことでしょう。

しかし前半の聖人は、ワルはワルでも本能踏み外し型、感情の振幅も表出も豊かなホットな不良で、家政婦路子さん(伊佐山ひろ子さん)やカノジョのサリナ(桂亜沙美さん)相手には身振り手ぶりジョークも披露して笑いを取り、一葉に悪戯仕掛けた後も「一葉も悪いんだぜ、美しい女性は存在からして罪なのさ」でご機嫌直させるような愛嬌上等な“男の小悪魔”の一面があり、「アイツが涙を見せるとは!オイ!大変だぞコレ!」と思わせるようなキャラとはちょっと違っていた。

『炎神戦隊ゴーオンジャー』で言えば、ガイアークのヨゴシュタイン様が汚泥の涙滂沱と流して号泣しても、客はアハハ面白がりこそすれずしんと胸にはこたえない。しかしヒラメキメデスがキラッとさせれば、それだけで一週間考え込んだでしょう。涙で観客を揺さぶろうと思うなら、“泣かないキャラ”造形に相当周到に時間・話数を割かなければ活きません

そうはあまり考えたくないのですが、新脚本の遠藤さんが、前半のチャラ風味暴れ小悪魔型の聖人をあまり好きでなく、それゆえ理解してもおらず、そっち方向にふくらませたくもないのかな?と思ってしまう。今作前半までの聖人の延長線で“礼子らが瞠目し「あの聖人がねぇ…」と当惑するほどの改心更生ぶり”を印象付けたいなら、むしろ泣くとか微笑むとか感情表出を封印して、もちろん一葉であれ誰であれ結婚なんか絶対にせず、「いいだろ?新婚なんだから」とのろけたりもせず、章吾にも礼子にも研究員や路子さんにも敬語で話し、それこそ丸刈りにして和臣快癒のための百日水垢離させるなど、“ストイック”“不言実行”“修行僧のような”反対角度の要素を詰めて表現すべきだった。

さらに言えば、いったんこうした感情封印鉄仮面方向に更生させ固めたままややしばらく走らせ、しかるのちに礼子に例のオルゴールを開かせ、「昔、聖人さん私に美味しい桃持ってきてくれたことがあったでしょ、ほら、こうやって剥くんだって教えてくれたわよね」てなひと言に聖人グラッ、キラッとさせて見せれば、それでこそ客も礼子も瞠目し哀切に胸を打たれるのです。

“悪役・仇役の涙”はそれくらい周到に、抑制的に使ってこそ底力を発揮する。

長丁場の連ドラ、脚本家交代がなくても、たとえば奇怪な仕込み料理や、普通だった人物の突然の泣き喚き狂乱を差し挟んだために、数十秒・数分で音を立てて瓦解するていの崩壊作品もあれば、今作のような“喉につかえる程度の不整合”が少しずつ重なって、静かに敗退していくタイプの失敗作もあります。

まだ5週残しているし、このままおめおめ負け勾配で行ってしまうとは考えたくありませんが、前半のほとんど大半を支えていた“聖人のダークな屈折の魅力”がここへ来て集中力を失いちぐはぐになってしまったのはもう取り返しのつかない事実。巻き返しはあるのでしょうか。

コメント
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