イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

おまえ超えたやろ

2011-11-27 23:53:22 | パワーストーン

 目覚めからしてなんとなーーく身体が突っ張ったようでヘンだな?寝違え?でも首だけでなく背中も脚の付け根も、アゴの開閉もいっぺんにコキコキおかしくなる寝違えって、どういう寝相した自分??と思いながら、まさかと思って昼過ぎ体温を測るといきなり37.7℃。

 まぁ一般的には微熱の部類でしょうが、平熱が午前も午後も36℃そこそこの体質にはかなりの“熱ある感”。

 何事か。くしゃみも出ないし、扁桃腺も腫れていない。さむけもいまのところあんまり自覚なし。

 ただ、熱あるんだ、と認識したらにわかに、帳尻を合わせるかのように、頭痛がしてきた

 38℃超えたらイブA錠を服もうか、ロキソニンにするか。風邪らしき症状が一個も伴わない以上は、エスタックイブやベンザブロックというわけにはいかないしな…とドキドキ考えながら再度、再々度測ってみたものの、嘲笑うがごとく37.8℃でピタッと止まっておる。

 パワーストーンで熱を下げる効果があると言われているのは、単純なようですがやはり冷んやりした水色の石でして、ターコイズ、ブルートパーズ、アクアマリンが代表選手。ターコイズならひと頃、かなりはまって集めていて、ブレスレット中心にいろいろ持ってますが、最近、不精して箱にしまったままなので、パワー落ちてるかもなぁ。

 薬にも石にも頼らず黙って静かに寝ててみるか。週末~日曜だけぶっ倒れて、週明けになったらけろっと出勤できちゃう、貧乏サラリーマン病のような気もするけれど。

 それとも、心おきなくイブAかロキソニンか、その辺が服めるべく、そこらの寒空少し走って、微熱の域を超えさしてこようか。

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此処は?

2011-11-26 01:10:43 | 小説

昭和9年時点ではまだ、岸和田商店街唯一の、現代風喫茶店であるらしい“Café 太鼓”、メニューはコーヒーとぜんざいと、カウンターに短冊POP貼られてる“ダイコクビール”のほか何があるのでしょうか(@『カーネーション』)。

ぜんざいがあるなら、とりあえず昆布茶はありそう。いや、なきゃいかんでしょう。夏場は心太(ところてん)。

ぜんざいは小豆つぶ餡ですが、漉し餡の御膳しるこのほうが月河は好みなんだがおいてるかな。関西では“御膳”つけなくても、単に“しるこ”と言えば漉し餡のそれが出てくると聞いたことがありますが実態や如何に。劇中の昼番ウェイター平吉くん(久野雅弘さん)に、ヘタに「ごぜんシルコある?」なんて訊いたら、「午後もやってます」とかボケられるか。

食べ物が登場する場面ではいつも、お年頃の娘とは思えない豪快な食べっぷりの糸子(尾野真千子さん)はざっくり言うと甘党のようで“太鼓”でも2度ぜんざいを注文しています。イブニングドレスのお礼もかねて踊り子サエ(黒谷友香さん)が持ってきたバタークリームショートは妹たちより先にお箸でいただき、神戸のお祖母ちゃん(十朱幸代さん)宅でのバウムクーヘンも「おいしいなぁ」とモリモリ、女学校時代はクラスメート持ち込みの芋ケンピ袋ごといただきの食欲。まだ昭和9年、戦争の影は迫って来ていませんが、食糧難、砂糖不足はどう乗り切る、人妻・糸やん。

糸子が神戸で味を覚えたのであろうココアは、まだ岸和田の“太鼓”では置いていません。ココアと言えば思い出すのは三島由紀夫の『潮騒』。漁船に乗る18歳の主人公・新治が、可愛がってくれている燈台長の家へ、いつものように漁獲物の魚を届け、我が家へ帰ると、母と弟がいます。父親は戦死して、新治と弟は海女の母の女手で育ちました。

「台長さんは喜んどったやろ」

「おお、家へ上れ上れ言うて、ココアちゅうもん、よばれて来た」

「ココアたら何や」

西洋の汁粉みたいなもんや」

……『潮騒』と言えば何度も映像化もされている三島文学の名作のひとつなのですが、初読のときから覚えているのはこの一節だけだったりします。個人的にココア党なもんで。確かに、ミルクでドロッと溶いて混ぜるあの製法、こっくり乳っぽくてほのかに粉っぽくもある舌ざわり、ノドざわり、惜しみない甘さ、汁粉に近くなくもない。

それより興味深いのは、戦後数年経過した『潮騒』の世界でも、ココアには『カーネーション』の世界同様“西洋渡来”“富裕家限定”“贅沢”のイメージがあることです。戦中の貿易封鎖と戦後の貨幣経済混乱を経て、国内産のできないココアは、昭和9年時点よりさらに、はるかに珍しく有難い嗜好品になっていたかもしれません。

『潮騒』の新治の家は貧しく、海女一代の母は身体はまだまだ頑健で意気も軒昂な現役ですが、「料理を何も知らない。」息子が獲ってきた魚を刺身か酢の物か、さもなければまるごと焼くか煮るかするだけです。海魚をろくに洗わないで煮るので、食べると内臓の中の砂を一緒に噛むこともある。

海に潜って稼ぐたくましい母の手になる、そんな素朴すぎる食事に、新治が不満を言う描写はありません。新治も海育ちで、海から禄を食む若者です。でもこの燈台長さん宅でココアをよばれた日は、それに先立って、近隣で見かけたことのない、涼しい目の少女との出会いがありました。

台長さんに上れと熱心に誘われても、一日の漁の後でほどほど疲労もあるし、他の日なら固辞して家路をいそいだかもしれない。台長さんか奥さんかのクチから、あの少女の名か素姓が出ないものかの期待が足をとどめさせ、出されたココアにも恐る恐る口をつけてもみたのでしょう。砂入り煮魚に慣れた18歳新治にはどんな味がしたことか。

我らが糸やんなら破顔一笑、「おいしいなぁ~」のココアデビューだったでしょうが。

神戸の正一伯父さん(田中隆三さん)が思いがけず訪れ何やら外で話したいとカフェに連れて来てくれたので、大威張りでオゴってもらえるなと算段したのでしょう、ココアを注文してみたら、ウェイター平吉は「おこわ???」。

期せずして、これまた何やらいつになく三つ揃いのスーツでばっちり決めた、紳士服店勤務時代の先輩職人川本(駿河太郎さん)も待機していて、伯父さんとともに漂わせる、意味ありげな、持ってまわった空気。

結果としては岸和田が西洋由来のココアの未だ届かない未開(?)の町だったため、ぜんざいに化けましたが、“ちょっと贅沢”“今日だけ特別”な、スイートなときめきと、地続きにココアはある、というところで『潮騒』の一節を思い出した次第。

25日(金)の放送で、糸ちゃんはめでたく川本さんと夫婦になったので、“善哉”でよかったのかな。

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糸奈津の経験

2011-11-19 00:29:03 | 朝ドラマ

『カーネーション』の作家さんは、あるいはヒロイン糸子(尾野真千子さん)より、糸子の元同級生の奈津(栗山千明さん)のほうが、キャラとして好きなのかなと思うことがあります。決して登場場面は多くないし、糸子メインの本筋を左右するほどの強力な動きはしていない奈津ですが、出てくれば必ず、その時点の物語の地合いの中で印象的な点景となるシーンや台詞のやりとりがある。

14日(月)からの、“移りゆく日々”という美しい週サブタイが付された第7週の前半は、意に沿わぬながら雇われ商売修業に邁進中の糸子とは違った形で“少女期との訣別”を経験する奈津を丁寧に描いていて胸を打ちました。

べたべたきゃっきゃと年じゅう戯れたりおしゃべりしたりする、女学生気分の延長ななんちゃって親友ごっこは一度もしない、それどころか寄るとさわるとポンポン言い合い、言い返し合い「なんや」「ふん」と顔をそむけ合う仲の糸子と奈津。

それなのに、辛いにつけさわやかにつけ、「私はこうよ、こうするのよ」という、何らかの意思表明というか旗幟を明らかにしたいとき、近くにいて、垣間見でもいいから見とどけ、聞いてない振りしてつぶさに聞き、忌憚ない感想なり難癖のひとつも投げかけてくれんかなと思う相手が、糸子には奈津であり、奈津には糸子であるらしいのです。

それでいて、自分が自分について気にしていることを、意識なくずけっと指摘されたり、弱気になっているところを見られたりするのは互いにたいそう嫌であるらしい。思うに、老舗料理屋の跡取り娘としての誇りと責任感で女磨きを当然のように積んで来た奈津と、女子だてらにだんじり舞いの大工にあこがれる糸子、方向性は180度異なれど、“意地の総量”が「アイツとはいい勝負になる」と本能的に感じ取ったのでしょうな。180度違うが故に、同じフィールドで競い合い、足の引っ張り合いドロドロ仕合におちいることはなく、“清らか”な火花の散らし合い。別方向を向きながらときどき横目で偵察し合っている。お菓子や美容や芸能スターの話題にあけくれるクラスメートたちとは、悪くはない意味で歴然と浮いている同士でもあった。

女の友情というより、男子同士の“仮想・好敵手”的感覚に近い。勝ち負けつける必要などない、むしろつきようがない状況でも、なぜか“アイツにだけは負けたくない”と思い、“アイツも同じことを自分に対して思ってるだろうな”と感じると、ちょっと嬉しかったり。そのくせ面と向かうと「オマエのことなんか眼中にない」素振りをしたりも。

それでも、何か知りたい、わからないことがあって、向こうのほうが得意分野そうだなと思ったら、ためらわず訊きに押しかけるし、訊かれたほうは知っていればトクトクとレクチャーしてやり、知らなければあっさり突き放した上で、耳に痛い忠告もかます。

料理屋店主である父親(鍋島浩さん)が急逝し、さぞかし自慢だったであろう豪華婚礼も自粛になって、沈んでいるかと案じた奈津が「元気」「相変わらずぽんぽん言う」「心配ない」と出入りの芸妓さんから聞いた糸子は、「…元気、なぁ」と奈津の意地を慮り「喧嘩のひとつも吹っかけて泣かしちゃる」「泣きよ、奈津」と、かつて見物の沿道でやり合っただんじりを、今年はひとりで眺めながらつぶやきます。鍛え上げた女の美学で精一杯強気を装っていた奈津の意地は、糸子の居合わせないところで思いがけぬカタルシスのきっかけに恵まれ、明日には式も宴も無く人の妻になるという結い替えの日に、人目にさらされずさめざめと泣くことがやっとできるのですが、これも人づてに知って「ほうか、泣けたんか奈津、よかった」と糸子は安堵の表情をします。

強気のやり場が無く泣くしかなく、泣いて立ち直る契機をつかんできた糸子だからこそ、泣けない奈津の痛みがわかる。何となく、若き剣豪同士の武士の情け物語のようでもあります。

この辺り、同枠前作『おひさま』と、同級生女子同士の付き合い描写が対照的なのが面白い。三者三様育ちも性格も違う3人が、卒業しても就職しても、嫁いでも母となっても、熟年になってまで同じノリでうふふキャッキャと惚気たり褒め合ったりしていた白紙同盟は、男性の脚本家さん(岡田惠和さん)の手になり、一方、びしばし押したり突いたりが相互リスペクト表現な糸子と奈津は、女性の渡辺あやさんによって活写されています。

ヒロイン糸ちゃんは紳士服店に続き生地屋でもオリジナルな販売法で長蛇の列を引き寄せましたが、娘と分け合う意地っ張りDNAを最近めっきり酒で嵩上げするようになった善作お父ちゃん(小林薫さん)が目下の壁。一方、糸子と同じ二十歳そこそこで、男手のほしい家業に婿養子を迎えて事実上の女将となった奈津には、これからどんな人生が拓けるのでしょうか。

ドラマ開始当初は、男まさりで色気抜きの夢追い仕事ひと筋、人生および時代のパイオニアとなる男性的キャラの糸子の好一対として、きらきらキャピキャピ可愛く色っぽく男にモテて、良き妻、理想の母となる“オンナの優等生”担当かなと思った奈津ですが、“端整だけど曲者顔”の栗山さんの、熱さと冷たさを併せ持ったヴィジュアルも相俟って、もうひとひねり、ふたひねりありそう。

いままでのところ一度も画面に登場していない婿養子さんについて、生前の大将が「ちぃと頼りないけどな、奈津が面食いやさかい」と苦言をもらしていたのが気になりますが、糸子とは違う形で、奈津にも“こんな幸せもあるのよ”というゴールが来るよう願わずにはいられません。奈津の有り様は、単に対比としてだけでなく、糸子メインの物語を別角度から照射し、他の同時代女性とは一線を画する個性、異彩を際立たせるのに素晴らしく貢献していると思うのです。

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倒壊せず

2011-11-14 00:04:08 | 昼ドラマ

巻き返し著しいNHK朝ドラに負けじと、個人的には『霧に棲む悪魔』以降放置まんまになっている月~金昼帯枠も、例の東海テレビ赤っ恥放送事故以降の大逆風でハラをくくったらしく、来たる2012年、年明けからのクールはいままでにない渋い企画をぶつけてきました。

『鈴子の恋』…って風俗嬢モノ?とタイトルだけだと思ってしまいますがさにあらず。“鈴子”とは昭和の偉大な女芸人・故ミヤコ蝶々さんの本名=日向鈴子のことで、旅芝居座頭の娘として生まれ、厳しい稽古を積んで、恋に生き芸に生きの波乱の一代記だそうです。

くはー、そう来たか。ついにこの枠も。

NHK朝ドラでも、成功しているのはたいてい昭和の女性一代記、それも実在人物の実話ベースだし、帯で多話数となるとやはり昼も“これ系”しかないという結論になったか。蝶々さんの人生ですから、妻子ある男性との許されぬ恋あり、パートナーの浮気あり離婚あり事実婚ありと、“芸のことはコッチにおいといて”の男女関係絡みだけでも“無い要素が無い”くらいのてんこ盛りになるはず。NHK朝ではいろいろ内部コードに抵触するエピも、何でもありの昼帯ならほぼ全セーフだろうし、ネタ切れの心配だけはまずないでしょう。

蝶々さんは芸能史上大きな物件でしょうが、失礼ながら個人的にはさしたる思い出も思い入れもありません。『太陽にほえろ!』のボン=田口刑事(宮内淳さん)のオカンとしてちらっと出てべらぼうに味を出していた記憶程度。あれは見事だった。どこがボンボン刑事?と思えた浅黒長身の宮内さんが、蝶々さんとからむと本当に浪花のぼんぼんに見えましたからね。

個人的にはまったく興味のない人物伝でも、ドラマとしておもしろい出来なら虜になり得ることは現行『カーネーション』で日々実体験中です。

主演の、蝶々さん=本名鈴子役に映美くららさん。宝塚歌劇団の娘役トップOGさんですね。かなり浅い学年でのトップ抜擢で当時話題になっていました。BSの番組で何作か拝見しましたが、相手の当時のトップ男役さんがカリスマ感カンロクたっぷりのダンス名手・紫吹淳さんで学年差も大きく、“可憐に添っているだけ”であまり印象がなかった。卒業後は『相棒』の2008年元日SPと、昨季season 9、右京さんがオーベルジュに客として入り込むエピ(『招かれざる客』)でお見かけしました。ヅカの優等生姫役らしく、清楚系のきれいなかたですが、卒業後のTV界での活躍は、本数結構出てるわりに浸透がいまいちなのか、媒体で“映見”と表記されてることがたまさかある。下の名前がコレの女優さんが長くご活躍ですから、emiで変換打つと出てきちゃいますからね。もう少しアピールがんばってほしいところ。

新聞発表のスチールだと、映美さん32歳で横一直線前髪に三つ編みお下げ姿の鈴子はかなり厳しいですが、『カーネーション』でも撮影時29歳の尾野真千子さんがお下げの14歳女学生役を好演したばかりだし、演技力と演出スタッフの腕の見せどころ。鈴子幼少時役は、ちょっと前までアイドル子役の代表格だった美山加恋さんだそうで、どうにかうまいことつないでもらいましょう。『僕と彼女と彼女の生きる道』の凛ちゃんから7年、実写版ちびまる子ちゃんからでも5年半。子役さんに流れる時間は早回しなので、どんなヴィジュアルのローティーンになっているのかちょっとドキドキものですが。

ただ、最大の問題は、このドラマ、脚本が大石静さん。残念なことに、2011年現在、作品タイトルや概要を知る前から「無理」ときっぱり言える数少ない脚本家さんのひとりが大石さんなのです。90年代の『おとなの選択』『ヴァンサンカン・結婚』『長男の嫁』『私の運命』など、最初から無視だったわけではなくチラチラ試し見はしているけれど、初回でも途中でも、どこか1話見て続きが見たくなった、あるいは最終回を見とどけたいと思った作品がひとつもない。1996年の朝ドラ『ふたりっ子』は当時の家族が結構熱心に見ていましたが、三倉マナカナちゃんが本当にそっくり双子さんだなぁという以外、どこに興味持てばいいのかさっぱりわかりませんでした。

何で「無理」と思うのか、分析する気にもなれない。たぶん、ストーリー、設定、人物像、何がおもしろくて、何がおもしろくないかという座標がこっちのそれと噛み合わないのでしょう。大石さんは4年ほど前に、久本雅美さん主演で2時間枠単発の『ミヤコ蝶々ものがたり』を書いておられるので、そのへんを買われての登板と思われます。

父親役が片岡鶴太郎さんでタイトル題字も書き、育ての母役が浅野ゆう子さんで、主題歌が松任谷由実さんで…と読み進むと、あまりの“中高年感”というかフレッシュ感のなさにどんどん気持ちが下向きになって行きますが、かつて個人的に“積極的に勘弁してほしい俳優さん”の代表選手だった水谷豊さんを主演に据えた『相棒』がいつの間にか贔屓シリーズになったように、ドラマ本体さえおもしろければキャストの好悪、得手不得手は比較的簡単にクリアできるものです。

しかし、脚本となると。限りなく“ドラマ本体そのもの”に近いだけに。20年近く「無理」なまんまの脚本家さんが、一作で、食いつける方向にひっくり返り得るものかどうか。

“昭和実在女性の一代記”“恋あり情けありの芸道ビルドゥングスロマン”という、帯ドラマならではの原点食材に、この枠もついに回帰したという一点は評価したいし注目もしたいけれど、実視聴はどうするかいまだ二の足三の足。これ系なら、他の、月河よりもっと適性の向いてるお客さんがかなりいそうなので、そちらにウォッチングお任せしたほうがいいような気もしますし。

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感感ホール

2011-11-13 01:25:52 | 朝ドラマ

最後に春太郎(小泉孝太郎さん)がおいしいところをぜんぶ持ってった今週(117日~12日)の『カーネーション』

小泉さんは、気がつけば10年余の俳優人生で、ひょっとするといちばん美味しい役をもらっているのではないでしょうか。糸子(尾野真千子さん)の剛直な意地に、まずは中堅芸妓・駒子(宮嶋麻衣さん)のひそやかでいたいけな意地が触れて蕾がほころび、次いでダンスホール踊り子・サエ(黒谷友香さん)の華やかでせつない意地がガッシャン衝突、火花を散らした後さわやかにほどけて着地した、濃くて熱い週を締めくくるのがコイツって。

“何としても一週まるごとシリアス重厚系の感動には塗り込めまいぞ”という、作家さんの含羞というか、いっそそれこそ意地のようなものを感じました。ふざけたくだりほどクソまじめに書く、みたいな、こういう作風、好きですねぇ。

オサレ端整なたたずまいで出てきただけで地合いが可笑しくなる、こういう“二の線出オチ要員”って、ちょっと前なら谷原章介さんが一手に引き受けていた。その前なら沢村一樹さんか。沢村さんはいまや、別にオサレで登場しなくても可笑しくできる級に出世(なのか?)しましたが。いつもまじめで好青年然として、いっぱいいっぱいな感じを濃厚に残したまま十年選手になった小泉さんも、この春太郎役が大きな転機になるやもしれません。

古くさい着物エプロンをごっつ上物のイブニングドレスに着替えたからと言って、中身が速攻変わるわけはない。サエの、鄙にはまれなスタイルとダンスセンスに目をつけていた春太郎は、遊び慣れた男だからそのサエに、天賦の資質に見合った気張りがないのに失望して指名しなくなったのです。見返してやりたいと糸子に注文したドレスが、愛嬌を売るだけの明け暮れに埋もれていたサエのプライドを覚醒させ、男たちの視線を集め、かつてない匂い立つ色香で春太郎をふたたび惹きつけたのです。

女心をもてあそぶ、見てくれだけのにやけプレイボーイなようで、春太郎、結構、違いのわかる男だった。オペラとともに歌舞伎も愛好される父上が「感動したっ」と言ってくれるかどうか。

「それなりの道で大成している立派な玄人」とサエに言わせ、黒塗り外車からステッキ持ち白麻スーツで降り立った足元のアップ。どっちかというと髪に白いものが混じるくらいの年代の紳士を想像させ、でもカンカンホールのタラップを上る背中は、ちょっと若いかも?と見るうちに、サエのドレスデビューを見届けに来店していた糸子の脇を素通り。サエを囲む男たちをスターのオーラで追い払って、差しのべた手もわざわざ血管が浮く手の甲のほうをアップで撮り“年配感”でミスリード。これは最後まで顔を映さずに、象徴的な“運命の人”で終わらせる演出かなと思ったその最後の最後に、ニヤケッ面(つら)全開。演出もクソまじめに、汗かいて遊んでます。

もちろんサエさんは、春太郎を振り向かせたことを自信に、ダンス修業を積んで糸子のドレスに釣り合う一流の踊り手になって、もっといい男をつかまえ幸せの階段を昇るのでしょうな。次はどこへ行く、どこに現われる、春太郎。

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