イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

虹だ。

2017-04-30 00:46:09 | 

 東京・赤坂すずふり亭(@『ひよっこ』)シェフこと佐々木蔵之介さんの「オレ、これいいや~」という、さりげなくものすごいチャレンジングなフレーズに惹かれたわけじゃありませんが、最近SUNTORY  ALL-Free(オールフリー)をリピートしています。

 これがリリースされた当初、確か6~7年前で三浦友和さんと榮倉奈々さんがCMをやっていた頃だと思いますが、アルコール0.00%のみならずカロリーも糖質もゼロって健康的過ぎるだろ、健康的なモノが美味いわけはないわいと、タカをくくりながら試飲してみたら(試飲自体タイヘンだったんですよ。世の中健康的を好きな人がよほど多かったと見えて、発売早々ソールドアウトで一か月ぐらい店頭から消えたんです)、案の定というか月河としては「そうだよそうですよ、健康的とくりゃこうでなくっちゃ」と心から安堵する、あからさまな直球な不味さ。いやいまとなっては失礼な話だけど、うすら甘いわ化学薬品臭いわ、泡はすぐへたれるわで、こりゃいくら世間で人気でも熨斗つけてお返ししますという感じしか持てませんでした。

 しかしその後月河も周辺も環境が激変。アルコール0.00%のありがたみが切々と身にしみる様になり、一昨年ぐらいから、それまではSUNTORY金麦かKIRIN淡麗生グリーンを飲んでたような場面で、アサヒドライゼロ一択になりました。飽きるとときどきドライゼロブラックにしたり。同ジャンルの中では、化学薬品っぽさの少ない素直な味で、ブラックのほどよい”濃エグ”味も含めて、あまり”健康的の押し売り”感がないのが結構気に入ってました。

 そんなとき、上述のすずふり亭シェフの「これ”で”いいや~」を聞いて、おぉ何と大胆に”攻めてる”CMだろう!と思って再度試飲しました。缶の左肩に「旨味アップ!」の赤いタスキがけ。白地基調の缶の質感も、もとはつや消しマット仕上げだったのがツルッとなってます。

 飲むと・・アレ?あのうすら甘みがない?後くちがホロ苦く本物っぽくなってる?アレレ、泡もしっかり立っててサイダーみたいにプチパチ消えなくなってるよ??と、想定外の驚きの連続。

 ソールドアウトで軽く騒ぎになった頃から、月河のように興味本位の「どうせ」とタカくくったヨコシマな客の所感にも耳傾けて、聞けば6度めか7度めの製法リニューアルだそうです。ソールドアウトになるということは、「美味ければ飲みたい」という潜在リピーターが多かったという事で、期待に応えて洗練に洗練を重ねて、この月河をして「これだけ味レベル上がってるなら、もはや健康的である必要なくね?」と思わせる出来になりました。

 満足すると満足なままずーーっと行けばいいのに、”泡系”飲料に関しては根が滅法ヨコシマな月河は今日、ライバルのSAPPORO+(プラス)を買って浮気してみました。同じ0.00%、カロリー糖質プリン体ゼロ。

 ・・・・やっぱり浮気は浮気でした。旨味もホロ苦さも薄っすーい。この分野ではやはりALL-Freeに一日の長があるようです。リニューアル前に、発売いきなりソールドアウトは伊達ではなかった。

 しかし、すでに「Alc0.00%を前提にした生活」に慣れてしまっているからふだんは何とも思いませんが、カロリーも0、糖質も0、プリン体も0ってなると「自分は、いったい何に100円少々のおカネを払っているんだろうか」と、ふとした拍子に妙な疑問を感じる事もあります。そんなに火を噴いて死に物狂いでゼロにしなきゃならないほど悪者だったのか、カロリー糖質プリン体。あとAlc。これらがぜんぶゼロで、そしてなおかつそれらをこってり含んだビールと遜色ないそっくりさん味って、「いったいコレ何で出来ているんだ?」と微妙に薄気味わるくなったりして。そっくりに似せる化学技術に払う100円少々なのか。

 それから、例のCMですが、「これでいいや~」の佐々木蔵之介さん1968(昭和43)年2月生まれ、「これがいいや」とフォローする黒木華(はる)さん1990(平成2)年3月生まれ、CM動画中では何関係の設定なんでしょうか。22歳差ですから普通に考えれば”自由なお父さんと独身の娘”ですが、「魚だけさばいてくんない?(鯛と)目が合うんだよ」と言うときの蔵之介さんが、どうも娘に頼むテンションじゃないんだな。

 年の差カップルとしたら、12歳はアリでも22歳差はちと問題なくないこともないんじゃないですか(どっちだ)。49歳蔵之介さんはべらぼうに若く見えるわけじゃないし、27歳黒木さんがどえらく所帯じみてるというわけでもない。そこらへんの腑に落ちなさ、SUNTORYのCMらしいっちゃらしいですが。

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六なもんじゃねえーー

2017-04-29 00:08:45 | ニュース

 元・衆議院議長で元・文科大臣その他歴任の伊吹文明さん、この前の衆議院解散での「バンザイはここでやって下さい」が印象的で、あんまり印象的だったので月河もこのブログのエントリタイトルに使わせていただいた記憶がありますが、その後もたとえば教育現場での体罰の可否や働き方改革についてなどのコメントを仄聞するにつけ、いろんな意味で非常に現実主義なかただと思います。

 理想と現実が背反したら迷わず現実を取る、けれども取りながら顔色一つ変えずきちっと理想を述べる、みたいな。いや二枚舌だとか偽善だとかいうのとは違うんですよ。なんか、この人の発言は身もフタもないんだけど、その身もフタもなさを「身もフタもないよね」と腹の中で評価しているような独特の醒め方があって、結論から言えば、好きか嫌いかで言えば月河はかなり好きです。

 その伊吹さんが、同じ二階派の例の失言リピーター今村雅弘復興大臣の”再犯”と更迭について、「政治家が失言しないために注意すべき六つの”た”がある」という、これまたすがすがしいまでに現実的なレクチャーを、同派の会合で展開してくれました。

 伊吹さんいわく、1.立場を弁える 2.「正しい」と自分が思っている事を言うとき 3.多人数の前 4.旅先 5.他人の批判をするとき 6.たとえ話をするとき ・・・と、この6つのオケージョンで”ひと呼吸”おいてからクチを開く様に気をつければ「そうおかしなことは起こらない」とのこと。

 確かに、講演会等のステージに立って大勢の聴衆を前にすると、全員が自分の支持者なわけないのに妙にテンションが上がって余計な事を言ったり、議事堂や選挙区を離れて外遊すると気が緩んだり、ぶら下がり記者団や討論番組の相手を下に見て「難しい話を頭のいいオレ様がわかりやすく砕いてやろう」ついでにウケよう、なんてヘタな小噺的たとえ話をしてダダ滑りしたりはよくある事だし、第一項の「立場を弁える」にいたっては、わきまえられないヤツが選挙で受かってる自体選挙民もおかしいよって話ですが、この中でいかにも伊吹さんらしいなあと思うのは2.の”正しいと思っている事を言うとき”ってところです。

 伊吹さんの言わんとするのは、「”正しい”にもいろんな考え方があり、人によって違う。自分にとって正しくても、そう思わない人もいる」ということのようです。3.の”多人数の前”と一部かぶるところもありますが、人は自分が正しいと信じるところを述べるときには、我知らず居丈高になったり、同意しない者に断罪モードになったりしがちで、政治家というものが志(こころざし)あって成立する職業であることを前提としたうえでの戒めと言うべきでしょう。

 しかし政治家ではない我々が伊吹さんのこの現実的助言を聞いててなんだか釈然としないのは、「”正しい”にもいろんな考え方がある」、つまり政治家にとっての正義と、一般人にとってのそれとが乖離するのも”ままあること”と認めたうえで”乖離がバレないように政治家がクチに気をつけろ”と、政治家向けオンリーの助言をしている、なおかつそれが政治家以外の人のほうが多数見聞するTVや新聞で報道されている、ということです。

 これ、プレスに公開されている派閥会合じゃなく、それこそ隠れ家的な料亭かどこかに”やらかしそう”な議員をピンポイントで二、三人ぐらいずつ呼んで、芸者さんとか居たら席外させて「・・以上、六つの”た”だからな、ここだけの話くれぐれも口外するなよ」と肩を叩いて(叩かなくてもいいが)因果を含めるべきところじゃなかったんでしょうか。

 こういう”地位を守りたい政治家のための秘密レクチャー”が堂々と肉声動画で報じられちゃってる事まで含めて、伊吹さんとしては「読みの範囲内」なのかな。

 そもそも「政治家が”失言しないため”の六つの・・」って、失言しなけりゃそれでいいと思ってんのか!とツッコんだ国民が全国に相当数いると思われます。ただ、月河は、この点に関しては伊吹さんは75パーセントぐらい読みに入れてる気がする。勘ですけど。

 あと、ひとりで騒動のタネを蒔きまくって自分でえっさこらさと墓穴を掘った今村雅弘前・復興相。こういう人に限って燦然と、歴然と東京大学法学部卒なのはいまさら驚きもしませんが、1947年(昭和22年)1月生まれだそうで。

 どっかで最近聞きましたよ。いや聞いたんじゃなく書いたのか。月河が。

 昭和22年の早生まれといえばまさにみね子(@『ひよっこ』)の同学年ではありませんか。東京五輪の年の高3。「新しい世代の幕開けだっぺや、な?」(by宗男叔父さん)。今村さん佐賀県生まれ、県立高校出身で、東大法に入ったときは”わが校の誉れ、希望の星”と呼ばれた事もあったでしょうに。叔父さんに「すげーな、かっこいいなー」と感嘆された”みね子ら”世代の、全国レベルの出世頭だったはずが、あれから半世紀余り年月は流れ巡りめぐって、こんな”議会制民主主義のツラヨゴシ”になり下がってしまいました。みね子は今日(28日)放送分で同級生の時子、三男とともに東京に旅立っていきましたが、同時期卒業でずっと頭いいグループにもこんなのもいるんだから、安心して(安心しちゃダメか)自分の道を見つけてほしいものです。

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それがきみの日々

2017-04-28 01:22:24 | 芸能ネタ

 神田沙也加さん。一時期、SAYAKAとアーティストっぽく英字で名乗っていたこともありましたが、TVではアイスか何かのCMで初めて見て”あの元カップル”の娘さんなんだって、お父さんのほう似かな?なんて言ってたのがついこの間の事のような気がしていたら、ご結婚だそうです。

 結婚されることより、活字報道で”神田沙也加さん(30)”と年齢表記を見てびっくり。もうover30でしたか。そりゃ結婚ぐらいするわなあ。

 沙也加さんのお母さんは、もちろんあの一世を風靡したアイドルですわ。んで、他の有名どころともいろいろあったそののちに、急転直下あのお相手と結婚したと思ったら、わりとすんなりご懐妊、出産して復帰したのもわりとすんなりで、なんかずーーーっと前線に立っていたような気がするので、沙也加さん本人がいつお生まれになったんだかあまり印象がないのです。三、四年前アメリカ製アニメの吹き替えで大ヒット、親御さん関係は抜きにご本人の実力も証明したらしい(”らしい”って失礼か。でも未見なので。TVCMで十秒ぐらいの動画は見ましたが、あちらのアニメの少女キャラってヘンな顔で全然可愛くないし萌えないですね)ですが、その時点ですでに新人とか若手とかアイドルとかいう年齢じゃなかったわけです。そりゃ実力もついてるわなあ。

 それよりもっとびっくりしたのはお相手です。沙也加さんの。MITUUこと村田充(みつ)さん。まさか『仮面ライダー響鬼』の童子ときどきクグツのちにスーパー童子が、松田聖子さんを「お義母さん」と呼ぶことになろうとは。『響鬼』の後も仮面ライダーシリーズにはゲスト敵役で、いいインターバルで出てくれていたので、特に東映スタッフには愛されてるんだろうなと思っていました。出るたび相変わらず年齢不詳、国籍不詳な感じでカッコいいな・・と思ったらこちらは(39)だって。

 アイドルも、イケメンもみんな一年に一歳ずつ年を取るもんなんですね。当たり前か。

 平成ライダーシリーズの中でも屈指の”荒海”の航海だったと思われる『響鬼』ですがその分スタッフキャストの仲はいい・・・はず・・と思いたい。細川茂樹さんからお祝いメッセージは来ているかしら。

 関係ないですが、有名人が有名人のお子さん、所謂二世タレントと結婚すると、なんか想像すると豪華におもしろい”義理の親子””義理のきょうだい”が誕生するもんですね。MITUUさんが聖子さんを「お義母さん」と呼ぶとしたら、とっくに東出昌大さんが渡辺謙さんを「お義父さん」と呼んでいるだろうし、いまはもう年数経っているからどうかわかんないけど当初は本木雅弘さんも樹木希林さんを「お義母さん」と呼んでいたはずです。

 竹下登元総理など、長生きしていたら北川景子さんに「おじいちゃま」と呼んでもらえたのに。惜しい事をしました。

 『相棒』で未だに”叱ってくれる”嫁に恵まれないままの川原和久さんなんか、九代目松本幸四郎丈を「お義父さん」と呼ぶ立場になったのみならず、松たか子さんから「おにいさま」なんて呼ばれているのかもしれない。もう役柄の嫁は要りませんな。贅沢だ。イタミンに嫁が来たら、有無を言わさずシリーズ終了と言うことで。

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帰れソレトトントへ

2017-04-27 01:06:11 | 世相

 『ひよっこ』が始まってから改めて知ったのですが、オリジナル脚本の岡田惠和さん(惠和と書いて”よしかず”さんなんですね。これも今作で初めて知りました。ずっと”しげかず”さんだと思っていたので。何でだろう)は、月河とほぼ同年代なんですな。もっとずっと若いと思っていました。朝ドラ脚本イコール長丁場の体力勝負、だから若くなきゃ無理だと決めてかかっていたからかな。

 ともあれこれで話が早い。同年代なら、脚本家さんが幼稚園の頃見たものはだいだい月河も幼稚園児として見ているし、たとえば小学校3年生のときこんなニュースが大人たちの間で騒ぎになっていたという記憶が岡田さんにあれば、月河も概ね小学校低中学年の頃大人たちの同じ騒ぎを小耳にはさんでいたはずです。『ひよっこ』は昭和39年初秋からドラマが始まっていますが、昭和39年という年がどんな年だったかの記憶も、脚本家さんと月河でそんなに差は無いと思います。

 この年といえばドラマでも取り上げられたようにまずは東京オリンピックに尽きるでしょうね。奥茨城よりもっとはるかに東京から遠い地域に住んでいた月河も、雑誌の特集ページで参加各国紹介地図やグラビアで何となく「おりんぴっくってのがあるんだ~」と、ワクワクともそわそわともイライラとも(よく意味がわかんなかったので)つかない感覚を持っていたのは覚えています。それ関係の媒体で当時の月河がいちばんお気に入りだったのは各国の国旗を見開き2ページにずらっと並べたどこかの雑誌で、クレヨンでチラシの裏にマネして描きまくっていたそうです。「”ぽーらんど”と”もなこ”のコッキ、にてるね~」なんて言ってたとか。赤白天地逆なだけだし。自分で描くのがムリだと思うこみいったデザインのやつは、親戚のおじさんや年上の従兄弟に「これかいてー」とせがんで、随所で「セイロン!?どこだそれ」「なんだこの三角つないだのは!?ネパール!?」と嵐を巻き起こしていたらしいです。

 あと、小学館の学年誌の巻末に”保護者のお父さんお母さんに読んでもらう記事ページ”が必ず毎号あったのですが、そこにあの三波春夫さんで有名な『東京五輪音頭』の、「こうやって踊ろう」「踊って見せてお子さんに教えてあげよう」という主旨の振り付け連続写真が載っていたのも覚えています。小学館じゃなかったかもしれない。そこらへんこの年頃の記憶のつねでウロなのですが、とにかく子供向けじゃなく、大人向けの、と言うか親向けの、親だけが読む、通常ならグラビアも漫画もないページに載ってたの。結構細かいコマ割りで。一時期『明星』とかに新曲のたびに載ってたピンク・レディーの振り付け分解写真みたいの。あれ見て、灰皿かなんか文鎮代わりにして見開き開いて一生懸命踊って覚えてたお父さんお母さん、彼らに手ほどき受けて教わった子供たち、多いのかな。ソレトトントネ。それはそれでまた微笑ましい、戻りたくても(戻りたくなくても)戻れない昭和の一断面ではあります。

 ちなみに月河の実家両親はふたりとも、お祭りの盆踊りを始め”踊り”と付くものをいっさい受け付けない人たちだったので、幼い日の月河も親から五輪音頭を教わる事はありませんでした。地元東京だと「幼稚園で習って皆で踊った」という同年代もいるようです。雑誌にTVにラジオ、すでにマスメディアの時代になっていたとは言え、東京とそれ以外との体温差、距離感は五輪をきっかけにますます開いて行ったと言えるかもしれません。

 ところで、前のエントリで月河が書いたのと同じ趣旨の事を、先週、宗男叔父さん(峯田和伸さん)が奥茨城聖火リレーの回で言ってくれましたね。

 「すっげーなみね子ら、かっこいいなー、日本の新しい世代の幕開けだっぺや、これ、な!」・・昭和40年3月高校卒業見込みの”みね子(有村架純さん)”は、くどいですが昭和21年4月2日から22年4月1日までの間に生まれた子たちで成る学年。つまり”生まれた時にはもう戦争中でなかった””だけ”が集まった、最初の、皮切りの学年なのです。

(ついでにまたくどく付け加えれば、本当の意味での”団塊世代”は、この時点で高2か高1として同じ校舎にいる、もしくはこの年の春に中卒で就職してすでに働いている子たちが主力となります)

 「戦争に行って帰ってきてから(人が)変わった」と兄の実さん(=みね子たち3人きょうだいのお父ちゃん)にも言われている宗男さんとしては、やはり自然に世の中のいろんなことを”戦争の前か、後か”で分けて考えずにはいられない。ワンカットだけ背中の大きな戦傷痕らしきものが映りましたが、国内のまま終戦を迎えた人でも、大半の日本人がそういう思考回路を植え付けられたことでしょう。彼らにとっては”まるごと戦後生まれ”の”みね子ら”こそが、まっさらで、無傷で、眩いばかりの希望の象徴だったのではないかと想像できます。

 存命ならば90歳代に足を踏み入れていると思われる宗男叔父さん。2年ぶり来日中のポール・マッカートニー(74歳)の公演には行ったかな。杖ついたりして。

 みね子が、昭和39年を幼稚園児としてではなく高校3年生として過ごしている分、脚本の岡田さんにとってはたとえば『おひさま』のような”史料と取材でしか知りようがない時代”を舞台に書くより微妙に難しくて骨が折れるのではないかと思います。”オリンピック”というモチーフひとつとっても、頑是ない幼稚園児の記憶や皮膚感覚と、卒業を控え進路に迷い家族の事情に心騒ぐ高校生のそれとでは大幅に違いがあり、間を埋めるために想像力と取材力にかなりターボかけなければならない。トランプ大統領がマスメディアを叩くときによく言う”alternative fact”(もう一つの真実)じゃありませんが、”自分も覚えている時代の、別の側面””同じものを見ても自分は感じなかった、別の感じ方”を、みね子を書く事で日々発見していく作業かもしれません。

 フィクションを作るのが作家の仕事ですが、作家が”自分”を直截にフィクションに吐き出すと、概ね、と言うかほぼ例外なくスベります。その意味では今作は岡田さんにとって、良作にできる条件が揃っている。戦後生まれ皮切り世代のみね子が、ひと回り下世代の岡田さんにどう造形され、どう成長し、どう泣き笑いどんな人生を手にするのか。見守るとしましょう。

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39(サンキュー)昭和

2017-04-17 01:34:29 | 朝ドラマ

 久しぶりに戦争を跨がない昭和ものということで『ひよっこ』、早くも”昭和39年あるある””あったあった”で盛り上がってますね。いま日本でいちばん人口シェアの大きい団塊世代が、多感で好奇心旺盛な思春期を過ごしていた時期ですからそりゃもう小道具のひとつひとつ、劇中人物が口ずさむ歌の一節一節まで、引っかかって「いまのはねー・・」と語り出したら果てしがないという。

 たぶんドラマの背景・時代設定としては現時点で最強のハズレのなさでしょうな。なんたって、愛されてます。白黒テレビや手押し式スイッチの炊飯器や小麦粉から炒めて作る真っ黄色いカレーが懐かしいだけじゃなく、あの頃の自分、いまなら当たり前以下でしかないすべてのものが目新しく、有り難くてしょうがなかったピュアでイノセントな自分が愛おしい。みね子(有村架純さん)の笑顔や涙を通して、イージーでエゴくて人工的な時代に毒された自分を洗い流している様な気分になります。

 ヒロインが”東京五輪を高校最後の年に見る”という点がドラマ上重要です。

 放送時制で昭和39年の秋にいるみね子は、翌昭和40年3月高校卒業見込みですから、ドラマが始まる前の時制で病気休学でもしていない限り昭和21年4月2日から22年4月1日までの間に生まれているはず。もちろんド戦後生まれですが、のちに広く称される所謂”団塊の世代”とは微妙に違います。

 日本で言う団塊世代とは、アメリカで言う”ベビーブーマー”とはちょっと色合いが違い、昭和20年8月15日の終戦後、同10月頃から始まった復員ラッシュで、いままで軍にかり出されていた成人男性たちが、女性たちの待つ本土に大量に戻ってきたことでもたらされた子供たちの事を言います。ですから誕生日で言えば早くて21年8月頃。もう少し後の、22年~23年生まれが、いつでも国勢調査で人口ピラミッドのピークを成します。

 みね子の誕生日は現時点では劇中で明かされていませんが、もし21年7月までの生まれならはっきり統計上も、意味合い的にも”団塊”からは外れています。お父ちゃんの実さん(セクスィー農業沢村一樹さん)は農家の長男で家長ゆえに召集を免れた可能性もあるので、みね子は玉音放送が流れる前、ひょっとすると、20年6月の静岡に続いて7月には千葉が仙台が宇都宮が・・と本土都市部の空襲が続いていた戦争末期に身籠られた子かもしれません。少なくとも、みね子と同じく昭和40年春の卒業を待つ学年の仲間にはそういう、”純粋な戦後”生まれではなく”たまたま戦後になった”生まれの子が、多くはないが居たはずです。

 そもそも”団塊世代”という表現は1970年代も後半に、堺屋太一さんのベストセラーにもなった著書のタイトルで使われてから定着したものであって、昭和39年時点ではそんな言葉も概念もありませんでした。

 月河の実家両親とそのきょうだい(伯叔父母)たちは、生まれた年代が大正終わりから昭和一桁世代に集中していますが、彼らはよく所謂”戦後のドサクサ”の中でタネを仕込まれ、あっちこっちでドサクサドサクサと生まれまくった子たちのことを”終戦っ子”と呼んでいました。

 彼らに言わせれば、昭和21年の、特に前半生まれは”戦後生まれ”ではあり、歌のタイトルにもなった”戦争を知らない子供たち”ではあっても、”終戦っ子”ではないのですな。団塊が生まれ終わったずっと後に生まれた月河なんかから見ると、なーんだかゲスい話ではありますが、戦前戦中をも知ると自負している彼らにとっては、玉音放送を聞く前にお腹の中に居た子か、聞いてからホッとして(しなくてもいいが)やおら仕込んだ子かの違いは、ひそかに重要らしいのです。

 みね子と同じく昭和39年の秋に高校3年生として東京五輪の喧騒に接し、翌40年春に卒業を迎えた皆さんの中には”戦争末期仕込み”と”終戦ホヤホヤ仕込み”の2つのカテゴリが存在する。後者の後半グループ、特に昭和22年の早生まれ組は微妙に”団塊”に半身突っ込んでいますが、みね子学年は社会に出ても、自分たちの”一期二期下”でたいへんな人間洪水が起きるのを一段”陸(おか)”で眺めるようなところがあったのではないかと思います。まだ人数の圧力で扉が開かれていない、道がついていないだけに、パイオニア・先兵としての苦労もあれば、逆に自由で高揚感も大きかったかもしれません。

 『ひよっこ』も、ドンズバ団塊世代の青春譜というより、東京五輪をひとつの契機にふくらんでいく時代の”先触れ役”としてみね子たちを見たほうがいいのかもしれない。大きな流れに巻き込まれたり押し流されたり、逆にラクして乗っかったりするのではなく、流れの先陣にいて、あらゆる風景を真っ先に見て、感じて、反応していく、そういう物語になって欲しいと思います。

 ところで、そんなことを考えていたらふと思い出しました。日本はその後めでたく再び戦争を経験することはなくここまで来ていますが、西暦1989年に”昭和”から”平成”に元号が変わるという、これはこれで大きな節目イベントがありました。

 なので、同じ一つの学年に”昭和63年(4月2日~12月31日)生まれ”と”昭和64年(1月1日~7日)生まれ”と”平成元年(1月8日~4月1日)生まれ”の3カテゴリが共在したわけです。2007年=平成9年3月に高校を卒業した皆さん。今年から来年にかけてそれぞれのお誕生日を迎えて満29歳になりますね。有名人芸能人にも数多いと思いますが、変り目、節目の生まれってどんな時代にもあるものです。

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