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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

片手サイズの宇宙 ~78パーツにすべてがある~

2024-11-24 22:09:36 | 日記・エッセイ・コラム

 タロットカードの読み方占い方を指南する情報はネット上にも、本屋さんにも数多(あまた)あふれているんですけど、占い=広く“カードリーディング”の、外っかわでの“こういうときどうするんだ?”と思う細かい疑問が、意外とどこにも正解書いてないということがある。

 たとえば、本日のリーディングレッスン、実占トライアルセッションこれにて終了、と、カードを撤収するときの“しまい方”

多くの文献では「枚数を数えて」78枚フルに揃っていることを確認して、一度シャッフルして、占いで集めた“気”をはらってから、ケースに戻すなり布に包みなおすなりして仕舞いましょう・・とあります。

 “枚数を数える”というのは、一見、要るか?と思いますけど、自分で実占リーディングを何セッションか重ねてみると、無視できない頻度で、カードが一枚とか時には二枚、テーブルからこぼれて床に落ちていたり、クロスの下に入り込んでいたりして、「・・76・・77・・アレ?」って番町皿屋敷みたいになります。

 そこで、遠足の帰り途につく前に先生が“班ごと”に人数数えさせて、班長くんに報告させるように、大アルカナ22枚→小アルカナ4スーツ各14枚、と、分けてそれぞれ数えて、ヨシ全員集合、と確認することにしました。

 どうせ分けてそれぞれ数えるなら、セッションでばらけた正逆も正に揃えて、上から大アル→ワンド(棒)→カップ(“カリス”とも。聖杯)→ソード(剣)→ペンタクル(“コイン”とも。金貨)と、お迎えして開梱したときの順に戻す。

 もちろん各スーツの数札はエース(1)~10の順、コートカードはペイジ(小姓)→ナイト(騎士)→クィーン(女王)→キング(王)の順。

 ・・デッキによって、デフォルトがキング→クィーンと、女王様がトリを飾っている場合もあるし、スートもソードで始まったりカップで締めたりする場合もありましたが、月河は指南本でいちばん平均的に多い順に従うことにしてます。

 22年の正月の、月河“タロット事始め”で初めて手にしたライダー・ウェイト・スミス(RWS)版デッキが、梱包も解説書もこれ順だったので、やっぱりもうカラダにしみこみましたからね。

 こうやって、分けて数えると、前述のように一枚、どこかに飛んでいたり落ちていたりすれば、何スートの何札がソレか、すぐ判明します。

 分けるときに間違えて、違うスートに入れちゃったりしても、「アレ?15枚ある」と、すぐわかります。

 月河は、レッスンやセッションのあとのこの手間が、カードに“お疲れさん”“明日もよろしくね”と、クチでなく手で伝えているような気分で、結構好きなんですけど、多くの先輩占い師さんたちが言う「シャッフルして(“気”をはらって)から」仕舞うというのがわからない。

 シャッフルすると、次の占いタスクに向けてのスタンバイさせる感じで、言わばカードに緊張状態を強いたまま仕舞うような気が、ちょっとするんですよね。

 レッスンを重ねるほどに、タロットってカードのカタチをしてはいるけど、“自分の感覚器官”の一部の様な気がしてくる。「お疲れさん」「おやすみなさい」のときには、まだリーディングにも、実占にもデビューさせていなかった“初期”状態に、なるべく近づけて休ませてあげるほうが、カードに優しいし、逆に占いでたまった疲れを“はらって”あげられるような気がするんですけど、あまり関係ないかな.。

 でもなんとなく、締めのこのルーティンをしっかりやると、翌日のレッスンやセッションの一回目が、何のテーマでどんなスプレッドを使っても、スッキリ読みやすく並んでくれるような気がします。

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早くも残すところ・・

2024-10-29 21:14:58 | 日記・エッセイ・コラム

‥二日しかありませんが10月!

今年の10月の感想、というか発見は“朝ドラ観ないをルーティンにすると、朝にやれる事が10倍になる!”

・・昨年以来、久々に朝ドラ、というよりTVのスイッチを入れない毎朝は、出来る事がいっぱい。

NHKラジオ第一『マイあさ!』を流しながら、タロットカードのセッションと、腰痛体操+ストレッチのミックス、そして健康茶4種類のローテーション煮出し。

“今日は何の日”のコーナーが、5:00台と、6:00台前半の2回あって、ときどき微妙に内容が違う事があるんですが、両方聴くのが結構たいへん。

ちなみに今日=10月29日は“1945年(昭和二十年)の今日、第一回の宝くじが発売された日”だとか。

昭和二十年の秋と言ったら焼け跡時代ですよね。当時は銀行の初任給が80円、宝くじは一枚10円。一等賞金は十万円で、ニセモノが出回るくらいの人気だったそうですよ。

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オラオラ来る来る ~ドーカそこんとこ~

2024-01-06 21:17:17 | 日記・エッセイ・コラム

 タロットカードの勉強している過程で存在を知った“オラクルカード”、こちらにもちょっと一時、寄り道しました。

 タロットカードは大アルカナ22枚、4スート各14枚からなる小アルカナ56枚、計78枚とフォーマットががっつり決まっていて微動だにしませんが、オラクル(=“神託”、天からのお告げ、くらいの意味)カードというのは作りが自由で、デッキによって30枚のもあれば、70枚のもあります。一枚ずつテーマに沿った絵柄に、単語やメッセージフレーズがついていて、カード本体に印刷してある場合もありますが、デッキ一体の解説ガイダンスブックにまとめて載っている場合もあります。

 月河はタロットの勉強を始めるときに、「タロット=占いツール、と固定してとらえないように」を念頭におくようにしていました。占いグッズとしてだけ眺めちゃうと、絵の意味取りとか、読んだストーリ―の組み立てとかどうしても狭くなってしまうからなんですね。

 もともとは占い専用に企画発祥したものじゃないというところがタロットのおもしろさ、奥深さですから。

 なもんで、シャッフルして任意の一枚を引いてメッセージを受け取る専用のオラクルカードはどうも性に合わないというか、自分とは別の世界のアイテムだと思って、あえて踏み込まないつもりだったんですけど、上述のようにフォーマットが自由なので、作家さん画家さん、あるいは写真家さんの思想性やアイディアが濃く、鮮明に出ます。

 これが面白いんですよね。民話、神話、伝説、天文学、植物学、鳥類学、鉱物学、古美術、ファッションやミュージックシーン、シネマ、テレビドラマシリーズなど、いろんな世界の切り口がある。

 タロットのように、2枚から10~12枚、複数枚引いて、質問ごとに配置するポジションを決めて、めくって開示する順番も決めて読んでいく、“約束ごと”に縛られないので、何か決めたいときにササッと出してシャッフルしてスッと引いて読める敷居の低さもあります。

 タロットのように、天地さかさま=“逆位置(リバース)”で出たら意味が変わってきたりネガティヴになったりという事もありませんうん、これはストレスがない。占いとして見ようとすると、だいたいみんなあのリバースってやつで頓挫するんだよね。

 月河が贔屓になった、古代の夢占いをベースにした或るオラクルカードデッキの画家さんは「(ダ・ヴィンチの)『モナ・リザ』はさかさまでも、誰もが『モナ・リザ』とわかる。」(大意)と解説ブックの前書きで書いておられました。・・確かに。

 とはいえ、毎度毎度メッセージを受け取ると依存しちゃって、本来の勉強が進まなくなるので、いまはオラクルカードは“テーマ画集”“写真集”として、眺めて気分転換する用に特化させてます。

 メッセージを受け取るつもりはなくても、眺めている中で或るカードだけ手触りが違って感じられたり、ほかより色が鮮明に見えたりすることもあり。

 そういう時はこっちが疲れているだけかもしれませんが、意識せずとも日々、いろんなものからいろんな“お告げ”を雨のように浴びながら人間、生きているのかもしれない。オラクルカードも、占い用として臨むときのタロットカードも、人間のそういう無意識の知覚を、昔の人がどうにかしてシステマタイズしようとして編み出し、コンニチに至っているのでしょう。

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キャラたちは人間を目指す ~もしくは思考のグッドはな丸~

2020-04-13 17:16:02 | 日記・エッセイ・コラム

 消しゴム版画家でTV番組コラムニストの故・ナンシー関さんが、90年代後半から2000年頃にかけて或る雑誌で『記憶スケッチアカデミー』という連載企画をされていました。

 シロウトの読者一般に毎回、たとえば“カエル”“ウルトラマン”“ギター”等のお題を出し、読者は実物や写真などの“お手本”をいっさい見ないで、「カエルといえばこんな輪郭で、こんな特徴があったはず」という自身の“記憶”だけに基づいてハガキに描き投稿する、次回は関さんがその応募作品のかずかずを見て、ユニーク作珍作怪作を採り上げて講評する、という内容。

 まぁシロウトの絵ごころを実作実況公開して見世物にする企画はそれこそテレビ番組でも昔から幾つもあったと思います。この名物連載はのちに単行本化され、02年に関さんが惜しくも急逝されてから文庫化もされていますから詳述はしません。今般印象深く思い出したのは、“サル”“ラクダ”“牛”等の動物お題が出ると、動物の顔の眼の上に明らかに“眉毛”と見える物を描き込んでしまい、結果、全体的にサルならサル感、牛ならウシ感がきわめて稀薄になった作品の比率が毎度異常に高く、嘆いた関アカデミー理事長が「繰り返す!動物の顔に眉毛を描くな―!」と全体講評で再三お叱りを発していたことです。 

 ・・・さて、改めて、このほど月河のデスク横に定着した“バッドばつ丸”くんを、ホクホクむにむにしつつ全身しげしげと眺めて思うのは「キミ、ペンギンじゃないだろ」

 つかどこがペンギン?確かに、ナンシー関理事長を慨嘆させるようなシロウト描きの眉毛は、さすがにありません。トレードマークの黄色いへの字クチバシと同じく黄色い足はリアルペンギンに近いし、ツンツンヘアーも野生環境の中でときどき出来する“外ハネクセ毛”て言うか羽毛、のデフォルメだと思えば思えなくもない。

 しかし、あとは頭部と背中が真っ黒でお腹から足元にかけてだけが白い、燕尾服風の染め分けぐらいしか“ペンギン要素”は無い。

 何よりキミ、胴がくびれ過ぎだ胴が。腕っぽい黒いみじかい翼が生えている所と、見れば見るほどまるっこくて鳥類離れした頭部との境目が、キュッとなり過ぎている。いないわこんな人間っぽいペンギン。

 人間。そう、結局、キャラクターをひねり出して愛でる心の本質は、人間が好きなのだと思います。ナンシー関さんも、投稿作品の動物眉毛率の高さから、人間の視覚的記憶力の法則を“人間化”と結論付け、続いての進化(?)を“和モノ化”→“知人の輪化”、ひいては“自分化”と体系づけています。この連載の特別企画で常連投稿者さんのお宅を訪問し対面インタビューしたら、作品の動物の面影と、ご自身の風貌が酷似していたという写真付き(←雑誌掲載です。いい時代だった)記事もあります。

 人間は人間が好きだし、就中自分が好きなのです。馴染みのない、記憶の定かでない動物にも、宇宙のどこにもいない架空の生き物にも、人間を投影し、人間の中でもいちばん付き合いの長い愛着の深い“自分”に寄せてイメージを構成し、定着しようとする。

 でも、キャラクターですから、人間ではない。ここは彼ら、ばつ丸もハンギョドンぐでたまKIRIMIちゃんも、もちろん歯ぐるまんすたいる(以下略)・・・も譲れないし、譲ってもらったらこっちも困る。人間に対してだったら当然のように遠慮も礼儀も義理も必要ですが、人間じゃないからね、こーやってこうやって、揉んだりむにむにしたりむぎゅむぎゅしたりふにょふにょしたり、好きなだけイジれるし、好き勝手話しかけたり、放置したりもできる。

 でも楽しいことに、目つきクチつき風貌や風采は限りなく人間っぽいのです。なんなら人間が着る様なTシャツやパンツ(←ぐでたま「殻だし~」)も身に着けて、歯ぐるまんに至っては歯の主と一緒に満員電車に乗って会社でプレゼンとかもして、「ボクも、オレも、ワタシも人間になりたいよ~」みたいな気配も垣間見せてくれたりする。容姿も表情も雰囲気も“人間寄り”だからこそ、愛でたいと思う気持ちも、購入したいという意欲も湧いてくる。おカネを稼いでくれる“商品”として成立するのです。

 人間が、(実在のペンギンや卵黄や生鮭の切り身よりも)人間が好きだという心理を商品化したシステム。それこそが“キャラクター”と言えるのではないでしょうか。よっし、きれいに決まった。

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歯てしない歯考 ~3密でなくサンリオ~

2020-04-11 16:51:43 | 日記・エッセイ・コラム

 “不要不急”の外出は無期限延期でステイホーム推奨、という世の中になると、これはもう素直にみずからに「ハウス!」と命じ、不要不急は不要不急でも、思考の不要不急=つねづね考えて見たくてしょうがなくはあったが「いまそんなこと考えてるヒマはない」と押しやっていたことどもを、延々トコトン心ゆくまで考えて時間を過ごすに限るではないかと思い、

 “人は、なぜキャラクターにはまるのだろうか”

 ・・この件を追求してみようと思い立ったのです。さぁ奥深い。惜しみなく奥深い。

なぜ単純に黒いペンギンのぬいぐるみではなくて“バッドばつ丸”なのか。

なぜ単純に半魚人のフィギュアではダメで“ハンギョドン”なのか。

なぜ単純に白いアヒルの剥製では面白くなくて“あひるのペックル”を創造するのか。

なぜ単純にタマゴの白身と黄身のオブジェでは物足りずに“ぐでたま”と名付けて興がるのか。

なぜ単純に鮮魚水産加工物店に並んでいる生鮭の切り身では飽き足らずに“KIRIMI・・・・

・・・と果てしなく脳内でカラフルににぎやかにャラクターたちを渦巻かせているうちに、毎年恒例のニュース。

 『サンリオキャラクター大賞 2020』数えて第35回!!!のファン投票が昨日、始まりました。

 さっそく愛しのぐでたまを筆頭に、贔屓のKIRIMIちゃんこぎみゅん(小麦粉の精コギムーナの女の子。お仲間にエビフライ、ギョーザくん、うどんさん、から揚げ兄弟、たこ焼きシスターズなど粉もんいっぱい)の“食べキャラ”勢にまず投票したのですが、昨年ツイッターに偶然出くわして以来、その次くらいに可愛がってきた歯ぐるまんすたいるが存亡のがけっぷちみたい。

 今回のキャラ大で総合33位以内に入れなかったら翌日からツイッター急死、もとい休止だそうです。わーーー。ハードル高いじゃないですか。33位って。

 ツイッター、結構人気だと思うのに。フォロワー2.6万人もいるのに。

 2016年4月にピンで公式ツイッター開設して、その年の第31回では総合55位、以後第32回は41位、第33回も同じく41位と手堅かったのに、昨年の第34回で51位だったのが問題視(?)されたのか。まだサンリオショップで前面展開されるようなグッズ見たことがないけど(ショップのフロントがぜんぶコレだったら歯科材料業者のプレゼン会場みたいですごいインパクトだがそれはともかく)、出たら買いまくろうと思っていたのに。

 月河は基本、動物が苦手(或る条件を満たした状況の或る品種のウマを除く)なので、ネコとかイヌのキャラにはあまり強く惹かれないのですが、食べ物系の次にこういうキモかわ系は好きなんです。特撮のヒーロー単体より敵怪人の造形にはまりやすい体質の然らしむるところか。

 動画もあります。よく見てやってよ。歯にクチだけついてるのって、かわいいじゃないですか。キモい!?

 総勢80キャラがエントリーで、5月25日(月)12時の締め切りまで毎日投票できますから、全国的にステイホームでお暇な向きは、なんとか盛りあげてやってください。この機会で月河も初めてまじまじと投票方法とルールのバナーを読みましたが、1日に80キャラまで投票できるんですって。エントリーが80キャラですからなんのこっちゃねえ毎日全キャラに1票投じてたって良いわけ。それじゃ差も順位もつかないか。

 おなじみキティとかプリンとかシナモン、マイメロにキキララあたりの人気どころはほっといても上位にいくと思うので、崖っぷちの歯ぐるまんすたいるをなにとぞ褒めて伸ばしてやって。あのフォルムでフェイス(?)で、手のひらサイズの『もっちりマスコット』や身長12センチぐらいの立体『むにゅぐるみ』がリリースされたら、手でむにゅむにゅ、ぎゅーってしたら・・と想像してみたまえ。そんな軟体ってどんだけカルシウム不足の歯だよって話ではありますが、サルバドール・ダリの絵画に出て来る時計の文字盤の様な、その非日常性にわくわくするではないか。新コロナ?なにそれ、新型のセダン?とか思えてしまうではないか(思えないか)。

・・・歯無しを、もとい話を元に戻して“人は、なぜキャラクターにはまるのか”

 さっくり次回にしましょう。考える時間はなんぼでもある(これも困ったものだが)。

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