イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

月ましては、また来年

2009-12-31 12:32:41 | 昼ドラマ

年の瀬、最終話まで見届けたドラマの“触れ残し”がまだありますね。Xmasの奇蹟』29日(火)に全41話を終了。

運命の交通事故から1年、最初で最後のコンサートを開いた健(窪田正孝さん)、予定外の『青の月』演奏後「ボクは林田健ですが、心は堤浩志です」「命を賭けて直(高橋かおりさん)を愛してる」と聴衆の前で宣言、意識を失います。奇跡的に息を吹き返したものの、浩志としての記憶は無く、直を見ても博人(大内厚雄さん)に話しかけられても反応なし。「浩志は自分の意志で、この世から去った」と孤独感に沈む直に、二度めの満月=ブルームーンの夜の奇蹟が訪れ…

ブルームーンに元の姿の浩志と直のひとときの再会がかなう、という“奇蹟”は予想できたし、“クリスマスの”奇蹟と言うより、“青の月の”奇蹟と言ったほうがいい結末の迎え方になりました。

結局このドラマ、素直に前のめりで嵌まれたのは序盤の博人ゼノなりすまし事件(←“偽者”“詐称”モチーフは月河の大好物です)と、それに続く浩志母・多恵(泉晶子さん)とのエピソードまでで、本筋となるべき直と、健の姿になった浩志との、名乗り名を呼んで結ばれることができない悲恋のパートはあらかたまわりくどくて退屈でした。

自分は浩志だと明かせば息絶えてしまう健の秘密を知って、遠ざけようと柏木(火野正平さん)と結婚しようとするなど、浩志の生存を願うのはわかるけどちょっとズレてない?やり過ぎ?と思える直の行動は白けることが多かったし、どうにか健の心をつなぎ戻そうと、努力しても努力しても健が直の方にそわそわ向いてしまい、苛立ったり悲しんだりヌカ喜んだりの仁美(水崎綾女さん)は痛すぎた。

ラスト、浩志の魂は「新しい人生を歩き出してくれ」と直を励まして今度こそ旅立って行きますが、自分が彼岸に去れば、本物の健の魂が健の身体に戻って、健に健の身体と人生を返せると、浩志はどこで、何を根拠に確信したのか。そんな理屈っぽいことは追求しないほうが愛のファンタジーを十全に味わえるのかもしれないけれど、“亡き最愛の恋人の魂が、見知らぬ男の姿で現われる”というお話にとにかくはめ込むために、健という人物を便利使いし過ぎだった気がします。

最終話の健は、一昨年のクリスマスのバイク事故時点の記憶に見事に帰り、浩志の魂を宿したことはもちろん、直とのことや音楽のこともまるっと覚えておらず、元のサッカー好き大学生の無邪気な笑顔を見せて、母親(中村久美さん)も仁美も、友人・光(千代將太さん)も大喜び…が最後の登場場面になったのですが、浩志の魂でにせよ、直は一度は健の“身体”に抱かれたということの意味はどこへ行ったのか。切なさの中でも“健がらみの切なさ”が終始扱いが軽かったように思います。

放送開始前の謳い文句は「とことん切なく、とことん儚く」でした。多少韓流もどきになろうと、皆が好きな“切なさ”に特化しようという、その意気やよし。ただ、どうも企画会議の机上でこね出された切なさ、儚さにとどまった感は終始ぬぐえませんでした。

この枠の昼帯、ヒロイン役3度めの高橋かおりさんも、前2作(脇レギュラーだった『愛の迷宮』も入れると3作)に比べて、高橋さんなればこそという場面が少なかった。直って、年中息せき切って、テンパってものを言ってるようなせからしい女性で、ちゃんとしたことを言おうとすると、武田鉄矢のモノマネをする人みたいにやたら顔サイドの髪をかき上げていたイメージしかない。まぁ、勇を鼓して恋人と勤務先を脱サラ、会社を立ち上げ→間もなくその恋人事故死→倒産の危機→恋人と自称するヘンな大学生出現→恋人の旧友がピアニスト宣言→売り出した途端ウソとわかり再び倒産の危機…(以下略)と、2年少々の間にこれだけ盛りだくさんな人生では、年中過呼吸みたいな喋り方になってしまうのも自然なことかもしれませんが。

高橋さん、直の何倍も長期にわたって数奇な運命をたどった『危険な関係』ではずっと落ち着いた演技を見せてくれていたのですから、今作は演出の責任が大きい。“年少組”の仁美や、妹キャラの実花(蒲生麻由さん)もいたことだし、いま少し大人のムードが欲しかった。

35歳のピアニスト兼作曲家の魂が宿るサッカー大学生という難役を、フレッシュな解釈でこなした窪田正孝さんの魅力と努力でもっていたようなドラマでしたが、だからこそあえて書きます。岡田浩暉さんの魂が入るのが、窪田さんでよかったのかなと

もっと岡田さんのヴィジュアルやイメージから距離のある若手俳優さんのほうが、物語の切なさが際立ったのではないでしょうか。スレンダーで知的、やや気が弱くデリケートそうな岡田さんと並べると、窪田さんも結構シュッとしていて、童顔ではあるけれど色白で繊細そうで、学校の成績はともかく思慮深く賢そうにも見えるし、「到底ピアノなんか弾きそうに見えない」感じではなく、地で結構重なるのです。

たとえばがっしりして短髪の汗くさ&脳味噌筋肉体育会学生とか、逆に茶髪の遊び人風、教養のカケラもなさそな「まじかよー」「うぜーし」しか言わないみたいなチャラ男くんタイプだったらどうだったでしょう。「こんなバカそうな小汚い、粗野な若者が浩志なわけはない」「でもこのピアノタッチ、この音、あの口癖、どうしてこんなに心惹かれるの?浩志を思い出させるの?」という落差が、切なさのベクトルを強化しないでしょうか。

窪田さん程度に演技力のある俳優さんなら、体育会orチャラ男ヘアメイク、ヴィジュアルのまま浩志の魂でセリフを発し、視聴者も直とともに「目を閉じると浩志が話してるように聞こえる!」と“奇蹟”を体感できたかも。正反対の外見で、正反対のパーソナリティを演じるという、それこそ若手俳優さんのチャレンジの見せどころです。大枠は変えずに、毛先や眉のニュアンスで浩志人格らしさを出す、ヘアメイクさんにも絶好のチャレンジ舞台。

窪田さんの演技力に文句はないのですが、高橋さんの直と向き合ったときに、結構、普通にお似合いで、禁断感とか“えらいことになっちゃった感”が薄かったのも残念。窪田さん、童顔ですが落ち着いているんですよね。リアル世界でも、女性35歳ベテラン社会人、男性20歳大学生、ってカップル普通にそこらに……ってことはないにしても、目の色変えて戒め、避けなければならないことではないようにも思う。「とことん切なく」をぶち上げたにしては、切なさの補強が緻密さを欠き、中途半端でしたね。

全体的には“俗っぽさ担当”の柏木社長役・火野正平さんの底力を見直した作品でもありました。直や実花、博人といったところが年中テンパっている分、火野さんの柏木が終始ぶっきらぼうな平坦な口調と表情を押し通し、結果的に非常にドラマ世界の錘として機能した。感情や打算をおもてに表さない、読ませない、表しても最小限な人がひとりはいないと、本当に学芸会になってしまう。

最終話、ミツコママ(白石まるみさん)より先に婚姻届を用意し「どっちか先にくたばったほうが、あの世で俊和(=ピアニストだった、ミツコの死んだ恋人)に話そう」と、遅いにもほどがあるプロポーズをする場面は、不思議なことにこの回でいちばんグッときました。直&浩志のブルームーン抱擁キスよりずっとグッときた。ピアニストだったミツコの恋人・榊俊和の挫折・早世と、共通の友人でレコード会社の担当だった柏木とのいきさつは、劇中ほんの少ししか触れられず、詳細はわからないことも多いのですが、多少わからなくてもグッとこさせる、これはもう100%火野さんの力量ですね。脚本家さんたちも、書きながらだんだん火野さんの柏木に惚れてきて、行き着いたのがこのプロポーズのセリフだったのではないかな。脚本家さんクレジットでは2名(吉澤智子さん國澤真理子さん)、ともに女性です。さすが火野さん。腕は衰えていないと申し上げておきましょう(?)。

………まぁ、不満は多々あるものの、今年から始まったこの枠の“2ヶ月クール作”、3本放送された中ではこの『Xmasの奇蹟』がいちばん破綻が少なく、短話数だからと舐めずに、まじめに作られた作品だったと思います。欲を言えば切りはないけれど、どうしてこの役にこの人?と首をかしげる、あるいは失笑モノのミスキャストも無かったし、音楽家のお話らしく成立するために、コーニッシュさんの音楽の力も貢献しました。「とことん切なく」という目標は、年越しの宿題ということにしましょう。

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顔(がん)字がらめ

2009-12-30 17:23:20 | 夜ドラマ

劇中の役名を表示する字体の、昔の映画ポスターみたいなプチアンティックさに惹かれて、NHK『松本清張ドラマスペシャル 顔』292100~)を出会いがしら視聴しましたが、良かったですね。今年は松本清張さんの生誕100年ということでいくつか新作SPドラマの企画があった中では、出色の好篇だったと思います。

 清張さんのこの原作短編、記憶に誤りがなければ生誕90年に当たる10年前、1999年にもSP枠でドラマ化されており、そのときは主人公は女優志願の女性に設定が変えられ、戸田菜穂さんが演じていました。本放送の数年後再放送で見ましたが戸田さんも健闘だったものの、やはりこの作品は原作通り男が主人公のほうがずっと迫力がある。

“顔を広く知られれば破滅だが、しかし有名にはなりたい、裕福になりちやほやもされたい”というアンビヴァレンツは、女性より男性のほうが先鋭だと思うのです。女性なら、化粧や髪型で別人になれる余地に男性よりはるかに恵まれているし、そもそも女性はかなりの部分“人生そのものが演技、なりすまし”ですからね。

 “この世でたったひとり、僅かな時間だけ顔を見られた目撃者に、もう一度見られたらオールオーバー”のワンテーマでここまで人間の葛藤ドラマとして膨らませることができたのには、主人公・井野良吉役の谷原章介さんの、意外なと言ってはあまりに失礼な好演がある。

劇中、小劇団の端役だった井野に惚れ込んだ映画監督(塩野谷正幸さん)が「これからは顔がきれいなだけの役者の時代ではない、あなたの持つ雰囲気、独特なマスクに賭けてみたいと思う」と抜擢の弁を述べる場面、谷原さんこそ顔がきれいな……“だけ”と言うべからず、一度見たら強烈な印象を残す、クセのあるマスクとは対極の、涼しげな、お公家さん系端正なお顔立ちですから、逆に説得力があった。この監督は、マスク自体ではなく、井野のどこか冷血な、温かい感情を封印し他人との心の交流を拒否する空気感に惚れたに違いないのです。

貧しいながらも印刷屋を営む両親、4人きょうだいの明るい家庭に育った井野でしたが、召集され南方で生死の境をさまよいます。負傷しマラリアに冒され死期の近い戦友に「死なせてくれ」と請われて扼殺の手を下す極限状況も経験し、部隊でたったひとり復員を果たしたものの、帰郷した長崎の実家は原爆で焼け野原となり、家族の遺骨さえ拾うことがかないませんでした。

ヤミ物資の担ぎ屋となって糊口をしのぐ毎日、ある日検問に遭っている若い可憐な女性・ミヤ子(原田夏希さん)を助けて交際が始まり、ミヤ子は結婚を望むようになりますが、井野は進駐軍キャバレーで酒色を売る彼女に嫌悪感を抱き始めていました。

ミヤ子に「妊娠した、あなた以外こういう関係は持っていないのだからあなたの子に間違いない、これは運命、一緒になって、捨てないで」と迫られ、東京で人生をやり直したい井野はやむなく彼女を島根の温泉に誘い、人目のない山林に連れ出して手にかけます。しかし温泉に向かう列車内で、ミヤ子がキャバレーの常連客・石岡(高橋和也さん)と偶然出会って会話、そのとき顔を見られたことが上京後も井野の唯一の不安でした。ミヤ子の遺体発見後、石岡は警察に「ミヤ子と温泉に同行していた男を見た、犯人に違いない、もう一度見たら判る」と話しており、井野は8年間現地の興信所を通じ、石岡の現況を調べさせて警戒していました。

端役に1カット映っただけでも、「映画見たよ」と担ぎ屋時代の仲間が電話をよこした。まして大役でのアップの顔が全国に配給されたら、石岡も必ず見る。認めて警察に訴え出られたら、自分は終わりだ。追い詰められた井野は、石岡の機先を制しようと一計を案じます。しかし、ミヤ子の縁戚を名乗っての井野からの手紙を受け取った石岡は警察に届け出て、事態は井野の目論みとは違った方向へ…

…設定は昭和31年。現代なら犯罪容疑者としては似顔絵捜査というのがあるし、駅の防犯カメラなどで顔バレ放題。俳優ともなれば、ちょっと注目されただけで、雑誌や新聞のインタヴュー掲載を待たず、ネットで速攻画像が全国に流布しますから、井野も悩んだり不安がったりする間もなくお縄になったことでしょうが、この時代はまだ“自意識”に関して、もやもや弄んだり躊躇したりする余地があったのでしょうね。

石岡を呼び出した京都で、変装する前に飯屋でばったり刑事連れの石岡と遭遇してしまい、万事窮すと思いきや石岡は井野を認識できませんでした。「こんなに怯えていたのに、あいつはオレの顔を覚えていなかった」…飯屋を出て脱力笑いが止まらない井野。

もう怖れるがものはないと東京に戻り、抜擢された映画の撮影に専心しますが、あるシーンで「ここのセリフは、煙草を吸いながらのほうがよくはないか」と演技プランを出したのが運の尽き。大スクリーンで、煙草を指にはさみ紫煙越しのアップの井野を見た石岡は、一発で思い出しました。8年前の温泉行きの列車でも、井野は煙草を持ちくゆらしていたのです。

同じ顔でも、場所と時間が違うと一致しないことがあるが、同じものを持つ同じ手つきが加われば一致する。人間の記憶、認識能力のこうした凸凹の皮肉は清張さんの真骨頂ですね。やはり何度かドラマ化されている『聞かなかった場所』も、“顔だけなら見られてもバレなかったのに、走って逃げる後ろ姿でバレた”という皮肉篇でした。

“田舎で女と別れそこねて手にかけ、東京に逃げて別の人生を歩み出すも、事情を知る人間の出現で罪を重ねる名声志向の男”という枠組みは『夜光の階段』を思い出します。

大づかみに言えば『砂の器』『ゼロの焦点』などにも通底する、“暗い過去からの逃亡の足掻き”と“殺すまでしなくてもいいのに”の痛恨物語。

谷原さんのどこが上手いって、涼しげな清らかな顔の下の、血肉のかよった感情の封印っぷりが見事。優しそうなんだけれど、どこか気を許せず油断がならない。戦場や復員前後に眼前で地獄絵図を見、自分でも手を汚して加担して来た生き残り組の男たちの中には、こういう精神状態のまま、平和の戻った日本で抜け殻のように暮らしていた人たちがかなりいたのではないでしょうか。幸薄くけなげに夜の商売をするミヤ子を愛しく思う気持ちも皆無ではないのでしょうが、人間、地獄を見過ぎると心の一郭が永久凍土化し、あるいは壊死して元に戻らない。

貧しいながらも愛はある家族の中で育った井野の、そのままなら終生おもてに出なかったはずの冷血性が、自分が生きるため他を死なせねばならぬ従軍体験で、表土を払われ露出萌芽したということもあるかもしれません。

上京を果たしたもののミヤ子遺体発見・事件発覚を気にして毎日地方新聞を読んでいた井野が、偶然喫茶店で見かけた劇団女優・葉山瞳(原田夏希さん二役)を「ミヤ子そっくり!」と驚き、逃げるどころかふらふらとその劇団に入ってしまうというのもおもしろい。結局ミヤ子が「運命なんよ」と言っていたように、この容姿が井野のストライクゾーンなんですな。のちにスクリーンで煙草持ち井野を認めた石岡が、同じフレーム内で共演の瞳にはノーリアクションだったように、“そっくり”に見えたのは井野だけで、他の人には“似ているでしょうと言われればそうかも”程度の似かただったに違いありません。つまり、原田さんの二役起用は“井野目線”の絵づくりなわけです。

監督に色仕掛けで映画主役をかちとってきたと思しき瞳が、井野の抜擢で扱いを軽くされ、今度は井野に接近して女優延命を図ろうとする。高級レストランに瞳を誘えるようになって満更でもなさげな井野ですが、よくよく“軽く接近した女に本気になられて縋りつかれる”運命と見える。そんな矢先に石岡に過去を暴かれ逮捕。たぶん、かりに石岡に認識されず映画スター街道を驀進したとしても、今度は間違いなく瞳と厄介なことになって罪を重ねていたでしょう。8年逃げたわけですから遅きに失したけれども、捕まって逆に助かった。そこまでは気がついてない井野の脱力笑いで終わるラストもよかった。

よかったと言えば、二役の原田夏希さんもナイスキャスティングだったと思います。敗戦後の匂い濃い北九州の場末の女給、そして小劇団上がりの、垢抜けなさまる出しの映画女優。端麗ながら若干古めかしめの目鼻立ちがよく役に合っていたし、“けなげで一途なのはわかる、でも、男からしたら重いよね”と、見てて思わせる湿気っぽい挙措が実にうまい。“戦後もの”“昭和もの”には欠かせない女優さんに、今後なっていきそうです。

不満を言うとすれば、ミヤ子殺害事件担当刑事(大地康雄さん)の部下役、『夏の秘密』の瀬川亮さんの見せ場がほとんどなかったことぐらい。『超星神グランセイザー』の頃から、疾走姿がカッコいい瀬川さんなのに、今回は走らなくても捕まっちゃいましたからね。京都名物“芋棒”は旨そうだったけれど。

考えてみれば、俳優・女優が主役のお話で、唯一目ぼしい登場料理が“イモ”で“棒”ってのも結構な皮肉ですね。原作通りかしら。

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害じゃのう

2009-12-29 19:26:56 | 夜ドラマ

長年続くTVシリーズにおけるレギュラー出演者の加齢問題と言えば、第15話を絶賛(か?)放送終了した『坂の上の雲』

5話終了後のED前に「第2部撮影快調!」なんて予告が出てましたが、蒸し返すようだけど、再来年暮れの第3部終了まで、本当に皆さんお元気で撮り終えてオンエア見てほしいですね。

5話まで視聴してみてわかったのは、3部を11ヶ月ずつ間をおいて3年がかりなんていう無茶な放送スケになった理由。要するにおカネがかかりすぎて、NHKの単年度に予算がおさまりきらないんですな。「山より大きなイノシシは出ない」と言いますが、「出したイノシシがあまりにでかいため後から山を三つに増やした」みたいな感じ。

費用対効果、商業効率を至上とする民間放送局では、死んでもこんな真似はできないでしょうね。11ヶ月間、何もないんですから。イノシシがおさまりきらないとなったら、山には手をつけず、ウサギにでもネズミにでも、なんならネズミの糞にだって作りかえます。

受信料が黙ってても入ってくる放送局ゆえの鷹揚さと言えば聞こえはいいですが、第1部で食いついた視聴者が、何もない11ヶ月間、ドラマ世界に興味持ち続け、登場人物を愛し続けて第2部を待ってくれるに違いないという、その自信はどこから来るのか。視聴者は『不毛地帯』の壹岐妻か。あっちは11年間か。取り下げ。

歴史ドラマファンにはこの3年間で平均寿命を跨ぐ年頃の高齢者も多いでしょうし、その中には少なからぬ比率で地デジ未対応世帯も存在するはず。やはりお役所的、中央官庁的傲慢の匂いを感じずにはいられません。

野沢尚さんも、山三つ増やさなければいけない遠大さ、視聴者へのアンフレンドリーさを苦悩して死んだんじゃないのかな。んなこたぁないか。その時点ではまだ山ひとつで足りる企画だったのかな。

まぁ、この、人をコケにするにもほどのある放送スケを脇に置けば、大きな話を風呂敷広げっぱなしにせず、堅実に作っているドラマだとは思います。

ただ、“明治の下級士族出身青年たちの熱き青雲の志が、当時の世界情勢と接遇して奇蹟的な化学変化を生じせしめ、当時の開国日本に奇蹟的な成果をもたらした”“しかし、後世の日本はこの成果を無駄に食いつぶし蕩尽した”という司馬遼太郎さんの史観は、第1部終了前にいささか聞き飽きました。世界の渡辺謙さんを顔出しさせず贅沢に使ったナレーションの、孜孜たる実直な口調のため、ますます早く聞き飽きた。

松山弁で“大きい”“すごい”を意味するらしい、ガイじゃのう!ってのはいいですね。5話で渡米留学生となった秋山真之(本木雅弘さん)が、ニューヨーク渡航の甲板上では隣席の客を意識して、スメルオブオーシャンどったらこったら英語で独り言言ってたのに、自由の女神を見た途端に「ガイじゃのう!」とお里まるだしになる場面が良かった。

真之は松山から東京に出てきたときにも鉄道馬車を見てこう言ってたし、中国大陸を見たけれど病に勝てず東京は根岸の寓居に逼塞して、旧友たちの雄飛を地球儀で追尾することを喜びにする正岡子規(香川照之さん)も言っていた。

もうちょっと早い時期の放送開始だったら、流行語大賞ノミネの目もあったかも。“法外”“規格外”“想定外”のガイなのか、「大概(たいがい)にしなさい」のガイなのか、はたまた“凱旋門”“凱歌”のガイなのかはよくわかりませんが。英語で言えばterribleとか、remarkable、いっそunusualぐらいのニュアンスでしょうかね。

アメリカで、かつての英語教官だった高橋是清(西田敏行さん)と偶然再会してナイアガラ瀑布を見たり先住民族の末裔と接触したりは史実にしては出来すぎな感もありますが、日清戦争従軍記者・子規が森林太郎(=鷗外)と偶然出会ったりもするドラマなのでいまさら驚かないか。あと11ヶ月、続くかな、興味。

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加齢ドスコープ

2009-12-28 19:03:30 | 夜ドラマ

藤田まことさん、心配ですね。先週土曜、26日夜は『はぐれ刑事純情派 最終回SPを家族が観ていて、「元気そうだよ」「痩せてないし」とか口々に言ってましたが、遅めの夕食のあと大画面TVのほうに移動すると、やっぱり絶句もののシワ消しクマ消しメイク。これに足元からライト当たってたら黒柳徹子さんだろうぐらいの勢い。しかも、たぶん『仁 ‐JIN‐』降板の前の収録です。

二度めのリカバリー、役者業復帰が成るといいのですが。飄々とした持ち味でここ20年ぐらいほとんどトシとらないようなイメージのあった藤田さんも来年77歳、めでたくカムバックしたとしても現役警察官設定の安浦さん役や、『京都殺人案内』の音やん=音川音次郎さん役は、共演者とのバランスからいってももう無理かもしれません。

しかし『剣客商売』の秋山小兵衛役は、やっぱりまだまだ藤田さんがいいのですけれどね。1998年からスタートしたTV版、当初はジュニアの大治郎役が渡部篤郎さんで、渡部さんがNHK大河『北条時宗』に専念するためだったのか、2001年からは山口馬木也さんに交代しましたが、小兵衛役に藤田さんに代わるイメージの中高年俳優さんが見当たらないのです。“厳父”で“剣豪”で、“娘と見間違われる若い嫁持ち”。質実に暮らしているけれど、なにげに食通。殺陣もできて、酸いも甘いも噛み分けて、エロ気もなくちゃ。

長年にわたるTVシリーズは本当に主役脇役、レギュラー俳優さんの健康状態との相談なところはありますね。お元気で演り続ける気満々でいらしたとしても、加齢という問題がある。「この年格好で手下役、部下役じゃおかしい」「単発ゲストで組ませる、階級上の役のほうが若い顔してる」みたいなことになる。

38歳で『相棒』の亀山巡査部長を演じ始めた寺脇康文さんは、熱血お人よし部下キャラがキツくなってきた46歳でギリ卒業し、(加入時)39歳の及川光博さんと交代して事無きを得(?)ましたが、気がつけば上司の右京さん役・水谷豊さんも来年は58歳、そのまた元上司・小野田公顕役の岸部一徳さんに至っては正月早々に63歳で、「いつまで警部殿だ」「いつまで官房長だ」という話になってきつつある。

観るほうも、演じて見せるほうも、平等に1年に1歳ずつトシとっていきますからね。“ドラマ、お芝居という名のウソ”をじょうずにつき通すのも、つかれ通すのも、足かけ何年もということになると大変。同じタイトルの、同じしつらえのウソ世界なら、できれば終了まで同じ顔に騙され続けていたいのですけれど。

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ピア“ニッシュ”モ

2009-12-26 20:22:45 | 国際・政治

昨日の記事に若干の補足を加えると、鳩山総理が野党時代に「議員秘書の金銭処理不始末は議員の責任、議員職辞すべし」という意味のことを言ったのに、自分の秘書が起訴されるとなると「知らなかったことで、私腹を肥やすためじゃないから」と辞職を否定したのは手前勝手だ、(当節流行りの)ブレだ、怪しからんみたいな話になっていますが、これに関しては鳩山さんを責めるにはあたらないと思いますね。

だって、野党ならどうとも言えるもの。実際、政権交代だ交代だ、政権寄越せと大騒ぎして、めでたく政権政党になって、しかも総理になって、目の前に予算だ税調だ控えてるときに「秘書が金銭処理しくじりました辞めます」じゃ、そのほうがよほど無責任この上ない。同じバッジつけた国会議員でも、ヒラと大臣、野党と政権与党とでは、見えている風景が、同じ山の頂上から、南を見てるのと北を見てるのぐらい違うと思うのです。

たとえば壁に穴があって、そこから一本の綱がぶら下がっている。握って同じ方向に、同じ力で引っ張ったとしても、野党議員が引っ張ったのと政権政党の大臣が引っ張ったのでは、鳴る音が違う。野党なら鈴が鳴る程度でしょうが、政権政党なら銃砲隊の一斉砲射ぐらい轟く。

鳩山さんは、今般の件について本当に自分があずかり知らず自ら咎めるところが皆無の自信があるなら、野党時代の発言を逆手に取られる言われはありません。気にしないでしっかり、いま目の前の総理の仕事に専念すべし。マスコミがどう言おうが書こうが、見る国民はちゃんと見ています。辞めるならいつでもできる(“潮時”ってのはある)けど、優先してやってもらわなければならないことが山とあるのですから。

さて、この週末にクリス…じゃなくてクライマックスを迎えたXmasの奇蹟』、サウンドトラックCDの買い時かなと思いCD店に寄って見たところ、未入荷。先月18日リリースですから、売り切れたかな。

旧盤売場のほうに足を向けると、邦画サウンドトラックの棚で同じコーニッシュさんの『花衣夢衣』のサントラを見つけました。昨年46月のドラマ放送時は、ドラマそのものがいまいち、いま二、いま三ぐらいの出来だったこともあって、音楽も「和風喫茶のBGMみたい」と思えてしまい、購入までする気にはなれなかったのですが、先般、各曲45秒ずつ試聴できるサイトにアクセスしてみたら、ドラマのいまいちさの記憶が遠のいているせいか、結構、惹きつけられたんですよ。旧盤ながらジャケも綺麗だったので即決。

昼帯ドラマ向きの、心地よい重さと、手ごろな湿気の含み方がコーニッシュさんの魅力だと思い、←←←左柱のオールタイムベストにも『愛の迷宮』を載せているのですが、『花衣~』に関しては、ちょっと薄かったかなというのが一聴した感想。より正確に言えば、薄いと言うより、“譲った”と言うのが近いか。

何を、何に譲ったかというと、持ち前の“湿り気”のスペースを空けて、“和”を容れた。

ですから、アイリッシュかスコティッシュか、エミリ・ブロンテ『嵐が丘』の世界をも思い出させる『愛の迷宮』に比べると、あっさり風味かもしれません。この作品は和楽器ユニットRin`とのダブルクレジットになっていることもあり、コーニッシュさん、“和”の音色を前に出すことを優先して、若干個性のツノをおさめた。

和風喫茶のBGMみたいに聞こえたのは、劇中のことさらな切なさ・悲傷さ強調な使われ方のせいだけだったようで、シュールレアリズム絵画を想起させるタイトル『燃える麒麟』『これはリンゴではない』『晩鐘に基づく、屈辱のコンポジション』などは昼帯劇伴の域を超えた底力を感じる佳曲です。

昼帯の音楽から贔屓になった岩本正樹さん、寺嶋民哉さん、岩代太郎さんらと一線を画するコーニッシュさんの曲の魅力は、“苦さを怖れない”ところだと思う。昼帯というととにかくドロドロ、ジェットコースターの世界ですから、劇伴の役割としてはどうしても甘美さや、センチメンタル、スムージーな“耳触感”のよさが重視されがちです。コーニッシュさんは結構、トゲトゲを秘めていて、辛口なんですよね。これがいい。

しかも、『愛の迷宮』以来毎作思うのですが、いつも、ぎちぎちに作っていない。空気感がある。風通しがいい。だからいろんなものを容れ、また送り出し、再び容れ…と、出し入れが自在。『愛讐のロメラ』では、スパニッシュな情熱、イベリア半島的土俗感を出し入れしました。

現行放送中、来週前半に結末を控えている『Xmasの奇蹟』も、ピアニストとピアノのお話だからそれなりに…と思いきや、ピアノピアノしてない曲もかなり劇中流れました。この寛容さこそコーニッシュさんの真骨頂。財政上の問題で購入は放送終了後になりそうですけど、マストですな。

もう一度出ないかな、定額給付金。……政権交代したんだった。

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