イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

平成最後の日 ~押すなよ!絶対押すなよ!~

2019-04-30 13:39:32 | ニュース

 トレンドにのっかってというわけじゃありませんが「平成のうちに」書いておかなきゃと思っていたことがいろいろあるのに、当地ではもろもろの花だより、芽吹きだよりが今年に限ってやけに早いため、あっちの様子を見に行ったりこっちの知らせに飛んで行ったりで、あれよあれよと今日は“平成最後の日”になってしまいました。 

 この一~二週間ほど、報道で何が驚くって、平成天皇皇后両陛下が“今上天皇として最後の〇〇”にお出ましになるたび、行く先々で人、人、人の映像。

 まぁ出てくるわ出てくるわ、並んだわ並んだわ、記事を読むと地元じゃなく遠方から「両陛下のラスト御来訪」と聞きつけて、撮影用機材と日の丸の小旗を持って集ったという人たちもいて、また陛下が事前に空気を読んで、いやお読みになって、車の窓全開でお手振りしてくださったりするもんだから、沿道なんのイベントよ?どこの大スター降臨よ?って騒ぎになっている絵をずいぶん見ました。 

 アイドルだったら、「オレこんなに人気あったのか、見たとこ手振ってくれてる人たちまだ現役だし、あと五年や十年いけんじゃね?だったらやめるのやめよっかなっ」てなってもおかしくないレベル。 

 まことに失礼ながら、地方の老舗百貨店の閉店セールかと思いました。店舗も老朽化したし、カネかけて改築リニューアルしても、客も高齢化して右肩下がりだし社会的使命を終えたろう、と「長年のご愛顧有難うございました、〇月〇日をもって閉店、営業終了いたします」と触れを出した途端、「なくなるんだって」「祖父母の代から日曜日にお子様ランチ食べに行ってたのに」と長蛇の列、あっちのレジもこっちのレジも押すな押すなの大騒ぎで商品補充が追いつかない、みたいな。

 閉店と発表したらこんなに来るなら、普通のときにもっと来てくれれば右肩下がりにならなかったよ!と店側は痛し痒し。 

 まぁ、もちろん陛下は営業利益や財務諸表のために天皇やってたわけじゃないので。大きな災害のたびに、いちばん被害甚大だった人たちの最悪の状況の中へみずから足を運ばれて、肉声でお励ましを惜しまなかった、言わば“足で稼いできた”、働く陛下であったかたです。「あのお姿が同じ地面で、リアルに拝めるのもあと〇〇日か」と思うと、一気に有難み、今だけ感が増して、老若男女みんながみんな有難く思うとたちまち大行列大群衆になってしまうというのは、自然で、むしろ、おおかたの日本国民がものすごく、イヤんなるくらい健全だということを表しているような気がします。 

 さて月河個人的には、“平成”は、大人、いま流にいえば“生産年齢人口”に数えられる大人として迎え入れ、大人として送り出す、始まりから終わりまで体感し見届けた初めての(あるいは唯一かもしれない)“時代”です。

 大正生まれのエッセイスト山本夏彦さんがいくつかの著作で何度も書いておられた「月日は勝手に来て勝手に去る」という命題を、身にしみて感じさせてもらったのも“平成”でした。 

 バブル崩壊とか失われた十年とか二十年とか言われますが、経済が上向きだろうと下向きだろうと、一日は二十四時間、一日があっという間なら一か月もあっという間で、それが12回続けば一年終わってしまう。一年がうかうか、あれよあれよなら、十年だって大差ない。その間に天災に見舞われて慌てて対処したり、個人的家族的な病気や怪我でも負ってへこんだりしていたら、うかうかしている間すらないうちに二十年ぐらい背中の彼方に消えてしまう計算です。 

 折に触れ自分で自分に言い聞かせていたのは「やろうと思うのではなくやる」「今度そのうち近いうちでなくいまやる」「誰かがみんなが世の中がでなく自分がやる」。 

 ・・・・言い聞かせていたわりには、恐ろしくできなかったことの方が多い時代が“平成”でもありました。 

 月日が勝手に来て勝手に去るなら、こっちも勝手にやる、あるいは勝手にやめる。思っても考えても、やらないでいたら、月日に来られて去られて年だけとって終わりです。平成の三十年プラス四か月は、そんなことを改めて念押ししてくれた気がします。 

 明日は早起きして、昭和~平成と、受験に就職、家族の快癒祈願と、人生のプチ節目に何十回も訪れた神社に、朝いちばん参拝に行ってみようかな。行こうと思うじゃなく行く。みようかなではなく行く。

 でも今夜日付と元号をまたいで当地はの予報なんだなぁ。同じこと考えてる人で混んでたらイヤだし。参拝前後に知ってる人と顔あわせたりなんかしたら御利益が減る気がするし。

 連休の騒ぎが終わって世間平常モードになってからにするかな。・・それじゃ特別感がないじゃないか。

 

         人生の一日降(ふ)りて花の雨                        たびと

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高齢ドライバー考 ~歯に令和の令と書いて~

2019-04-25 16:06:06 | ニュース

 “平成”も残り〇日!のカウントダウンに入って、ここんとこニュースの主役にover 80が多い。

 訃報は仕方ありませんねコレ。季節の変わり目、芽吹き時・花ほころび時は、高齢者、特に持病アリ既往症アリにはこたえますから。

 『ルパンⅢ世』のモンキーパンチさん、陸上の小出義雄監督、セニョールセニョリータグラッチェグラッチェのケーシー高峰さん、歌謡曲作詞の有馬三恵子さん(一作挙げるなら小川知子さん歌唱『初恋のひと』)、このへんの方々は「もうそんなお年だったんだ」と改めて驚きます。全盛期のイメージ、作品がいまだ印象鮮明で、あの頃からもう〇十年以上たってるんだから、あの頃三十代四十代の働き盛りだったとしたら・・「確かに八十過ぎててもおかしくないな」「自分だってこの年齢だもんな」とようやく納得する。

 しかしこちらはどうでしょう。先週19日金曜日午後2時過ぎ、出先の待合スペースのテレビはこの速報とレポートばかりでした。東京・東池袋の暴走プリウス運転87歳元・通産官僚氏。

 死亡したのが若いママさんと、チャリ同乗の就学前の幼い女の子だったことと、加害者が中央官庁幹部天下りOBで、同年代の夫人同乗だったせいでいろいろ色がつきまくり、物の本質が見えにくくなっていますが、高齢ドライバー問題、運転免許自主返納の問題って、昨日今日俄かにじゃない。もう十年以上前から問題になっていたのではないでしょうか。

 テレビよりも、ラジオのほうがリアルタイム受信者のドライバー率が高いですから、話題にのぼせるのが早かったと思います。「免許更新の会場、車で来て、駐めたとこまではいいけど、降りたら“つかまり歩き”してるお年寄りドライバーがぞろぞろ」という、笑えない笑い話を聴いたのは確か平成10年~12年頃、西暦「2000年問題」なんて言葉がホットだった頃です。

 現在から逆算すれば、暴走通産省OB氏と同年代の人たちはこの時期、まだ70歳を超えたか超えないかです。ぽつぽつ現場から聞こえてきていた情報を“我が事”とはとらえていなかったのでしょう。

 これ、テレビ番組特に民放では、長年大手スポンサーである自動車メーカーに遠慮があるから、「いまの最新モデルは事故回避のためのいろんな機能を搭載していて・・」なんて逃げ道紹介に終始し本質を衝けないのかもしれませんが、普通に考えて、高齢者の“自主”返納を待ってたって進むわきゃありません。

 現に手にしている権利を自分から手放すことは、人間、しないものです。したらバカです。選挙で選ばれた政治家、議員、それこそ官僚のありようを見ていても一目瞭然です。まして一般高齢庶民においてをやです。

 結局若い層、現役世代層がだらしないのです。七十も超え八十も超えて、杖がないと自分の二本脚で歩けないどころか、ブレーキとアクセルの踏み間違えも自覚できないレベルまで老耄した人に「クルマが運転できないと不便だ」「生活できない」と言わしめる様な社会のシステムが間違っているのです。間違ったまま無為無策で続いているから、高齢者に返納を渋られたとき反論できない。

 高齢者は車のハンドルなんか握らなくても、なんの不自由もなく何処へでも好きな時に行けるような仕組みを、現役世代が率先して作ってあげなきゃいけない。そのうえで「返納してください」だと思う。

 「返納させるにはご家族からの説得が・・」なんて聞き飽きた。要するに、家族も免許なし老人が何処へ行くでもなく家の中でゴロゴロされてたらうんざりなわけです。病院だ、歯医者だ、老人会の集まりだ、パークゴルフだのたびに車出して送迎して、乗せて帰ってきてやらなきゃならないのがウザくてしょうがないわけです。そのへんで白昼、見ず知らずの通行人を二~三人轢き殺してくるリスクが多少あっても、年寄りに免許持たせて野放しにしておくほうが、自分たちの時間もカネもカラダもラクだと思っている現役世代が多数派だから、いつまでたっても免許返納が進まないのです。

 高齢ドライバー問題は、詰まるところ“非高齢者による高齢者放置問題”であり、児童虐待問題の中における“ネグレクト”と相似です。

 「家族ゆえ、おじいちゃんのプライドを傷つけてはまずい、気の毒、という遠慮がある」「同居だし言い合いになって家の空気が暗くなっても・・という危惧があるから、強く返納を求められない」・・ざっとこんな当事者の声も飽きるほど紹介されましたが、なに、傷つける暗くなるのリスクを取りたくない、平穏無事に、ラクしてこの何年かをやり過ごしたいだけです。

 成長する児童と違って、高齢者なら、そう遠くないうち、マスコミに騒がれる級の大事故を起こさないうちに死ぬだろう、寝たきりになるだろうと思うから、誰も真剣にリスクを取りに行かない、マスコミもネットも含めて。

 ことが“高齢者”になると、みるみるうちに論調から熱さ、尖鋭さが鈍って、遠巻きに半笑い苦笑いのうすらぬるいムードになる。たぶん、いま現在の高齢者を想定してビシッとした厳格ルールを作ったら、ものの10年かそこらで自分たちがその規制対象になるとみんなわかっているから、本気で緊張感あるルールを作れないのでしょう。 

 この件に限らず、「先が無い日本」「右肩下がり必至の日本」という、口にはしないが皆が共有している諦めの眺望を、はしなくも切り取って見せているのが、この、いつまでたっても抜本策の示されない高齢ドライバー問題だと思います。

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さらば平成 ~末広がりに歩こう~

2019-04-23 11:46:32 | ニュース

 「新元号は“令和”であります」と菅義偉官房長官が額を掲げて、手話のワイプとかぶってるぞ~と大騒ぎになった(それはどうでもいい)、2019年4月1日、お昼前のあの時間、皆さんはどこでこのニュースを知りました?

 月河は11時過ぎから地下鉄で移動中で、新年度スタートとはいえ平日の朝のラッシュ終了後ですから普通に車内はすいていて、それにしてはいつもに増して、大人がスマホに見入っている率が高いな?と思ったら、そうだそうだ家を出てくる前有識者会議召集で、久々の宮崎緑さんがなんか国籍不明なお着物をお召しで入って行ったぞ!?んじゃそろそろ発表か!?と、非スマホユーザーの月河、わざわざ構内に大型ヴィジョンのある駅で「下車しよう」と同行者に持ち掛けます。「NHKで(発表)やってるかも」。ちなみにこの人も非スマホユーザーでデジタル化に抗う民のひとり。

 んで改札口から宝くじ売り場を通りセブンイレブン、ミスタードーナツを通り・・それが12時少し回ったところだったかな。ヴィジョンの方からこちらに向かって来る通行人の皆さんが、てんでに手を筆にして、漢数字の“八”みたいな、左右両はらいの動きをしながら歩いてくるんですよ。地下鉄駅構内の設計上、支柱がぶっとくて視界を遮るので、まだヴィジョンは見えてきません。

 なんかみんな、末広がりっぽいアクションですよ?“八”の形になる字で始まるのかな?何がある?「完全、十全、全(まっと)うするの“全”じゃないかな」と月河が言うと「絶対ない」と同行者。

 「“全”とくれば速攻、軍事政権時代の“全斗煥”大統領を連想するだろ」「速攻って、しないよ」「する人たちがすぐそこの隣にいるだろ」「隣って・・」・・同じ理由で、文化文政の“文”も絶対ない、次の元号の次のそのまた次ぐらいならあるかもしれないけど、と。「そこまでお隣さんに気をつかわないとダメ?」「なんだかネトウヨみたいな会話になってるな」。

 「それはそれとして、これ(左右両はらい)ですよ」・・月河はこの二~三日、“合”がいいような気がしていたので、「意表をついて“合合(ごーごー)”かも。ごーごー元年」四年後にはごーごー五年。「ないな」。

 同行者は「“命”だったりして」「だったら手だけじゃなく足もコレ(←ゴルゴ風)にしないと」と適当なことを言いながらヴィジョンの近くまでたどりつくと、もう腕がだるくなって(ってわけじゃないでしょうが)額を下ろした菅さんの顔アップだけが映っていて、向かって右肩に「新元号は“令和”/出典は万葉集」との四角いテロップが半分くらい見えていた、という次第。

 なんで半分くらいかというと、出てきたわ出てきたわ、当地のローカルTV局が全局集合したと思われるハンディカメラさんとガンマイクを芯にした、街頭インタビューの人だかりがヴィジョン前広場のあっちにもこっちにも、手巻き寿司か、おにぎらずの様な形状で発生していて、「“令和”、どう思いますか?」の嵐。

 「こんな所ウロウロしてるとどっかの局のカメラに見切れて、サボってたって生中継でバレるぞ」「長居は無用ね」もう少ししたら新聞各社が号外配り始めるかも?縁起モン的に、もらいたくない?と提案したのですが、手巻き寿司どころの騒ぎじゃなくなりそうなので退散しました。

 帰宅してから人に聞いて知ったのですが、この日は、最初っから号外狙いで新聞社の玄関前に早い時間から並んだ暇な方も山の様にいたそうで、決定の第一報を聞いてからそれっ!と印刷にかかる号外の部数も、いつ比、何の件との比か「控えめ」だったとのこと、あのまんま駅構内をウロウロしてても確実にもらえたわけではないので、退散して正解でした。起立、令、着席ちょっと何いってるかわからない。

・・・あとね、驚いたのは、この日のうちには、Wordでれいわ=reiwaと入力すると、それこそ速攻「令和」と変換されるようになっていたこと。「例話」でも「零羽」でもなく、とっぱじめに「令和」。

 まあ、Wordが賢いからじゃなく、月河が、令和だよ令和!令和だってさ!という原稿を打ちまくったから否応なし覚えただけかもしれません。月河の高齢親戚には、昭和の初期の、まだ庶民に戦争の影が無く日本上り調子で景気が良かった頃の生まれの人が多く、下の名前に“昭”“和”の付く率が高いのですが、これから令ちゃん系、和くん系の名前、増えるかしら。

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