イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

見ざる言わざる着飾る

2018-01-29 18:13:25 | デジタル・インターネット

 このブログの大家さん=gooブログの編集画面にログインすると現れる『にほんブログ村』『人気ブログランキング』のバナー、自分には関係ないやどうせネットの辺境のド田舎の限界集落の弱小零細泡沫無名ブログだし・・と思ってスルーしていましたが、平成も三十年ということもあり(何の関係あるんだ)、今年は少し飾りつけしてみようかと思って貼ってみました↓↓↓↓。

 貼ったところでどう役に立つのか、どう使えば何のメリット/デメリットがあるのかさっぱりわかってませんが、何事も経験だし。

 2014年5月の突然のお知らせで、開設当時の大家さんのOCNブログ人というブログサービスが終了と聞かされ、ドサクサドサクサとこちらに引っ越して来る前は、お気に入りの書籍やCD、単楽曲のタイトルを左柱に並べて、amazonの該当ページに飛べるようにもしてたんですが、引っ越したらカウンターパート的な受け皿サービスがないので、雲散霧消しました。

 意に沿わない引っ越しだったこともあって、継続させて充実させていく意欲もなくなり、ブログパーツって言うんですか?いろんな飾り物にも興味が失せていました。ブログ人の頃は時計パーツも三~四種類くらい交代で取っかえ引っかえしたりしていたんですけど。いま何時何分か見にわざわざ弱小零細(中略)ブログに飛んでくる酔狂者もいないでしょうし。

 gooブログになったことで、えーと、なんでも“gooブログ変換”っちゅうことをしないと外部の無料パーツを自由に貼ることはできないみたいなんですが、何なら飾れるのかな。少しは勉強してみたいと思います。

 いまプレヴューで、上記の2バナー貼ったところを見てみたらトップページの裾のほうに表示される様なので、アクセサリーで言えばアンクレットですかね。

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いまこそドラマ最強論

2018-01-28 12:22:12 | テレビ番組

 放送から一か月近く過ぎて月もあらたまろうというところでいまさらですが、ちょうど改編期でもあるしもう一回くらい話題にしてもいいでしょうNHK『新春TV放談 2018』(1月2日放送)。全編正味78分の前半33分を“ドラマ”に充ててくれたのは嬉しかった。

 33分過ぎからは“ワイドショー”、休憩と名刺交換(何だそれ)をはさんで41分過ぎから“バラエティ”、66分過ぎからAbemaTVや動画配信サービスといった“インターネットテレビ”、73分過ぎから地上波テレビの“未来”、最後の2分で今年の期待とまとめ、という構成の中でこれだけ“ドラマ”に費やす熱量が高いのは、皆さん「詰まるところテレビに求められているのはドラマだ」ということがわかっておられるからではないかと思うんですね。

 脚本があって俳優が演じるドラマだけがドラマではない。ワイドショーの政局ネタや不倫ネタに食いつく客も、バラエティの芸人の体当たりやアイドル・俳優のトークに興じる客も、女子アナの抜擢・降板に興味津々の客も、見たいのは“ストーリー”“裏話”“人間関係、人と人の好悪、衝突、絡み合い”・・要するに“ドラマ”なんじゃないでしょうか。

 AbemaTV代表のサイバーエージェント藤田晋社長が、(地上波ドラマ苦戦の)いま敢えて連続ドラマを制作する動機は?と訊かれて「ドラマは一発当たる(=ヒットする)と大きいから」「(ドラマは)キラーコンテンツ、キラーコンテンツってみんな、ボクもずっと言ってるんだけど、ドラマが当たるっていうのは、サッカーW杯やオリンピックぐらいの価値がある」と答えていましたが、この発言、“ドラマがキラーコンテンツとしてW杯・オリンピックに匹敵する”ではなく“W杯・オリンピックがキラーコンテンツなのは、ドラマだからである”と読み替えるべきでしょう。

 W杯にせよオリンピックにせよ、大勢が引きつけられ夢中になり、次の展開が見逃せないと釘付けになるのは、個々の試合や競技ではないのです。どことどこが対戦して何対何でどっちが勝ったとか、ドコソコ国の何某選手が何秒ナンボで走ったとかだけに集中するなら活字媒体の数行で足り、こんなつまらんものはありません。一斉に何百万人何千万人もの人が熱狂する中には、競技のルールも戦術戦法もよくわかってない向きも相当比率いるはずで、それでも熱狂するのは、実はサッカーやフィギュアスケートや柔道や100メートル走に熱狂しているのではなく、そこに期せずして湧きあがるドラマに熱狂しているのです。

 スポーツにはあらかじめの台本がありませんから、画面で起きたことには客が自由にドラマを読み放題、膨らませ放題盛りつけ放題です。新人選手の抜擢キラキラシンデレラストーリーでもいいし、国境を越えた男と男の萌え萌え友情物語でも、汗と涙の師弟愛物語でも、メダルを争う美人選手同士の嫉妬と意地のドロドロ劇でもいい。ワイドショーやバラエティがオフの選手を争奪してトークスタジオでお手盛りに仕上げるよりずっと先に、客が自分で好みのストーリーを自由奔放に織り上げて、好きなタイミングで歓声をあげヤジを飛ばすことができるから、大きなスポーツイベントはキラーコンテンツたり得るのです。

 逆に言えば、近年のドラマにヒットが少なくなっているのは、客の想像力の贅沢さに、既存の地上波ドラマ枠がついていけなくなっているからとも言える。スポンサー圧力やら放送コンプラやら芸能事務所とのしがらみやらに二重三重に縛られた窮屈な脚本キャストでは、先の展開を誰も知らないスポーツイベントの無色透明開放スペースに自由にストーリーを読み出し彩色していく楽しさに到底勝てません。

 ドラマで高視聴率をコンスタントに取っている数少ないタイトルが『ドクターX』『相棒』など軒並み数年~十数年以上続くシリーズものに限られてきたのも「TVのドラマに“想定外”を期待しなくなった」→「いつも同じパターンで先がわかっているから安心して視聴できる」という、言わば客側からの主体的な逆張り均衡策と言える。

 日本テレビの小田Pが『放談』最後の今年2018年の展望と抱負で「(スマホ世代の若者でもそれ以外でも)誰でも入って来れる、誰でも楽しめる“極上の暇つぶし”を、一生懸命作っていきたい」と語っておられましたが、テレビ制作者、特にドラマに携わる人は自信を持っていいし肝に銘ずるべきだと思います“テレビはドラマがあるから、ドラマになるから面白い”

どんなにバカバカしい動画だろうと不埒な情報だろうと、“意味”が一分一厘もない、腑に落ちるところが微塵も無いものならば人間はそんなに暇つぶしできません。若い人が友人とのコミュニケーション中にお手上げになるとよく「イミわかんね」と言いますが、人は“意味”が大好きで“意味”なくしては生きていけないのです。意味があって腑に落ちるものには、すべからくドラマがある。ドラマになるタネ(ネタではなく)が宿っている。政治も外交も経済もさっぱり先行きが見えない、腑に落ちない時代は、実はいちばん熱烈に“ドラマを求めている時代”なのではないでしょうか。

  もひとつ最後にこれは訂正。前の前の記事でテレビ東京伊藤P「池の水毎週抜くかどうか前向きに考える」と書きましたが、月河の聞き違い。正確には「毎週抜くかどうかはわかりませんが、毎週(局上層部に)怒られるとは思います」と仰ったのでした。抜いても抜かなくても怒られる。辛いね。でも冥利に尽きますね、バラエティPとしてね。

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ヨコ目に非(あら)ずと書いて

2018-01-21 19:17:09 | 芸能ネタ

 “無期限休養”じゃダメだったんでしょうか。

 宣言するにしても“引退”はないだろうという気がしますけどね、小室哲哉さん。

 作曲家、編曲家、プロデューサー、ユニットのVo.&キーボードといろんな顔を持っていますが、基本“アーティスト”でしょうに。

 アーティストとなると、望んで努力して就く“職業”でなく“業(ごう)”ですから、たとえ一本もオファーが来なくなっても、作った曲や演奏が一銭の金にも代えられなくなっても、アーティストに生れついた人がアーティストであることを“やめる”=“引退”は、命ある限り不可能だと思うんですが。

 看板掲げて→オファーを受けて→納期までに仕上げて→ギャラもらう、という経済活動を当面休みます、復帰の時期は決めません、とだけ宣言すればいいと思うんです。アーティストなら、体調が悪かろうが身辺がゴタついていようが、どのみち何を見ても何を聞いても、オッと閃いて楽想を得て曲にするという行為を、ずーーーっとしないでいられるとは思えない。皮膚感覚も脳神経系統も、それをするようにできているんですから。

 この会見の二日後にビートたけしさんが『7daysニュースキャスター』で「客が一人でもいたらそこ行って(芸を)やるんだよ」「芸人に引退はない」という意味の事を言っていて、小室さんの宣言にはネガティヴでしたが、芸人よりもしんどい、客が一人もいなくなってもやめられないのがアーティストという業(ごう)です。「バカは死ななきゃ治らない」と言いますが、アーティストも死ななきゃアーティストでなくなることはできない。

 人一倍華やかで羨まれても、その分、苦難の多い星を背負って生まれちゃったんだから小室さんしょうがない。引退したっていまさら、誰にも道で振り返られない、写真も撮られない無名の一般民間人に戻れるわけはないんですが、それでも“休養宣言”よりは“引退宣言”のほうがマークがゆるくなると思ったんでしょうか。たぶん今ごろ「引退とか言うんじゃなかったかなぁ」と少し後悔しながら、その後悔が♪いうンじゃなかったかなァ~~と曲になったりしてるんじゃないでしょうか。いやわからないけど。

 あと、月河はちょうどTKサウンド全盛の頃がいちばん邦楽ヒットチャートを聴かない時期だったので、個々の楽曲をいちいちチェックしていないんですが、当時から小室さんの歌詞って日本語がちょっとおかしくない?「時代はあなたに委ねてる」って文法がヘンだよね?と一部で(一部でですよ)言われていた通り、この人、話し言葉もやはり日本語が微量おかしいですね。間違ってるという意味のおかしいじゃなくて、何というか、組み立てるネジが曲がったまま押し込んじゃったので全体がゆがんでるような、建物に例えると床にパチンコ玉を置いたら自然にころがる欠陥住宅みたいな、言葉数を連ね増築に増築を重ねるほどヘンな隙間が増えて風が吹くたびミシミシいうみたいな、ゆるくて建てつけの悪い日本語を話す人ですな。

 基本、語彙があんまり無いんでしょう。鉄骨も角材もモルタルも絶対量がない。ないのに増築する。一時間四十分喋り通し。「この機会に音楽の世界から退くということが、ボクの罪なのかなと」は一瞬聞き間違えたかと思ったけど字幕でもそうなってた。そこに“罪”はないでしょう。“贖罪(しょくざい)”で硬ければ“償い”って浮かばなかったかな。

 それから、今回の小室さんの件で彼のファンの皆さんからは「潰れろ」「廃刊しろ」と叩かれまくっている週刊文春砲。砲は要らないか。いろいろな考え方はあるでしょうが、月河はよくやったと思います。ここのところ有名人の不倫報道のたび、外野の言論が「不倫良くない」「人として許せない」「ご家族やお子さんがかわいそう」以外言っちゃダメみたいな雰囲気にある中、敢えて「これでも不倫許せないと断罪できるか?」ギリギリにかなり近い事案を、伏せることなく表沙汰にしてぶつけてきた。

 90年代中盤頃の、飛ぶ鳥落とす勢いでブイブイ言わせてた頃の小室さんに同じ報道が出たら、「許せん、小室この野郎」一色になったはずです。往時の勢いは失せ、カネ詰まりで詐欺まで犯し、三人めの奥さんは病気の後遺症に苦しみ、自分も音楽家生命にかかわる聴力の疾患をわずらい、弱り目に祟り目のかつてのスターが、モデルでもアイドルでもキャバ嬢でもない、一般人の看護師さんと自宅お泊まり、これでも「不倫だから悪い、許せない」って決めつけられますか皆さん?という問題提起を、事案にふさわしい、客層にも似つかわしい、非常にゲスな、品下がった手法で実行してくれた。

 たぶんすでに編集部に脅迫電話や爆破予告など殺到していると思いますが、こういう報道は身体はって、命がけでやらなきゃいけません(自分の命じゃないから簡単に言ってますが)。ゴシップ報道はとことん悪質でないと。当事者が引退宣言してしまったことでムダな達成感などゆめゆめ持たずに、続報、頑張っていただきたいものです。

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餅も電波も活動も

2018-01-15 23:05:11 | テレビ番組

 『新春TV放談 2018』(NHK総合、1月2日放送)の中で、もうひとつ、特に個人的に刺さった話題に“ドラマ最終回いきなりメディアミックス”の件があります。

 昨年7月期の日本テレビ地上波のドラマ『愛してたって、秘密はある。』の最終回の後、有料配信サイトHulu(フールー)の「本当の結末はこちらで」という意味の告知が流れ、視聴者から抗議の電話やメッセージが殺到して大荒れ・・という事案が昨年実際あったらしいのです。

 月河はリアルタイムで見てないのですが、このドラマは基本、事件真相究明・真犯人捜しのサスペンスに恋愛ラインの成否もからむ作品だけに、結末が「いま見終わったテレビで完結しない」というのは、客にはかなりショックです。テリー伊藤さんに言わせれば「キャバクラ行ってさ、“次のサービスは別室(別料金)で”って言われる様なもんだよ。これしか金持ってないのにちょっと待ってって」。

 ・・例えるに事欠いてという話ですが。オレぁそんくらいキャバクラにカネつぎ込んでんだよと、個人消費活性化貢献自慢をしたかったのか。

 ・・それはともかく、このたぐいでいちばん先に思い出したのが、2009年8月の『仮面ライダーディケイド』最終回です。ものすごく“着地感”の少ないラストシーンだった上に、同年12月公開予定の劇場版の告知が間髪を入れず流れたため「“結末は映画館で”ってことか」「映画館に連れてってくれる親の居ない子供や貧乏な子供は結末を見られないのか」と非難の嵐で、バラエティのやらせ演出や差別発言事案の際におなじみの放送倫理・番組向上機構(BPO)が審議出動する騒ぎにまでなりました。

 制作側としては『愛ある』も『ディケイド』も、地上波放送の最終回でドラマとしてはきっちり完結していて、ディケイド劇場版はドラマ世界観と旧作諸ライダー+次作『仮面ライダーW(ダブル)』を包括してプレゼンするための全く独立した作品、愛あるHulu配信続編は“ストーリー性のある特典映像”みたいなものだったのだけれども、“映画館に行かなければor有料サイトに加入しなければ本当の結末は見られない”かのような誤解を招く広報のし方に問題があった・・という認識を示しています。

 “誤解を招く”とは言い条、半分は確信犯で“狙って”誤解させたふしも大いにあるとニラんでいるのは月河だけではないと思いますが、テレビという自宅のお茶の間から入場料払う映画館へ、月額定額払う配信サイトへという“おカネ”の敷居の高低をどう評価するかは別として、“テレビでやる事はテレビの中で完結させる”ほうが仕事として綺麗ではないだろうか、と改めて思ったのでした。

 たとえば東映製作の子供向けアニメ、特撮ヒーロー等は昔から夏休み春休みに『東映マンガまつり』と銘打って劇場版オバQやサイボーグ009を公開し「テレビのお気に入りキャラを大スクリーンで見たい」という小さなお友達の夢に対応していましたが、月河の記憶する限り、大スクリーンに映って、尺もいつもの放送より拡大してはいてもやっぱりテレビのアニメでありヒーローでした。ウツワが違っただけでテレビ番組でした。劇場版制作に携わったスタッフも、あくまでテレビ番組のキャラであり世界観なんだということを尊重して、小さなお客様がお茶の間に帰ってまたチャンネルを合わせてくれることを願って作ってくれていたと思います。

 「餅は餅屋」じゃありませんが、テレビ番組はテレビで見てこそいちばん輝くように、いちばん魅力的になるように作ってほしい。テレビを見る以外の時間を捻出して映画館に行く、ネットをつなげて配信ソフトを買うをプラスしなければ輝きが十全にならないのであれば、それはもうテレビ番組であることをやめた別の何かです。

 逆に言えば、ネットでできる、映画館でできるのと同じ事はテレビでやるべきではないと思います。べきではないと言うより、やっても仕方がない。

 『新春TV放談』の中で日本テレビの小田Pが「若い子に訊くと“テレビっていつも途中からやってる”“アタマから見たいのに何で見れないの”と言う」とご自身の新鮮な驚きをまじえて話していましたが、完全に自分の生活サイクルで、自分の恣意で再生したりリピートしたりできる動画サイトは“見たいものだけを、見られる時、見たい時に”という利便性があるのに対して、テレビは逆に言えば“見るつもりではなかったのにたまたま見てしまう”“見せられてしまう”というチャンス、糸口がたくさんある媒体です。

 ちょうど、電子辞書だと調べたい単語・言葉“だけ”がピンポイントで調べられるが、紙の辞書だと目指す言葉の前後の言葉にも自然と目が行って、調べるつもりではなかった言葉の意味まで覚えてしまうようなもの。見る気で見た番組のあと何となくつけっぱなしにしていたら、次の枠で思いがけない面白い番組やってた、という経験は誰にもあるはず。NHKなどは民放の様な時間帯スポット販売のCMがありませんから、レギュラー番組の合間に自局の番宣をとっかえひっかえ流すことができ、ここで相当な客をつかんでいるはずです。

 “テレビでしかできないこと”“テレビだけができること”は、原点に帰ればまだまだ数多あるはずです。「テレビに“テレビ以外の何か”を継ぎ足したり抱き合わせたりしないとスマホに太刀打ちできない、少子高齢化市場を生き延びられない」なんて事は、テレビの作り手に努々思ってほしくない。何かをプラスすることでテレビが輝きを増すとすれば、ネットでも映画でもない、まだこの世に存在しないまったく新しい何かだと思います。

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脳味噌ぜんぶ抜く

2018-01-04 19:46:42 | テレビ番組

 NHK総合『新春TV放談 2018』(1月2日22:55~)、毎年、年末年始仕様の“おせち番組”に飽きて「もういいやテレビは当分」となった頃、「まだまだ!」と叩き起こす様に放送されるこの番組、数えてもう10年目だそうです。そんなんなるんだ。

 テレビを愛する面々が局の垣根を越えてぶっちゃけトーク78分(半端だ)!と銘打たれても、所詮テレビが職場で、テレビで衣食して、テレビの盛り上がりが収入に直結する生活の人たちがテレビを語るのを聞いてもなぁ・・と毎年思うのですが、やってるとやっぱり見てしまうし、やはり“テレビ汁(じる)”のしみ込んだメンツが揃うだけに、見れば必ず誰か彼かが、面白い事の一つや二つや三つは言ってくれるんですよね。

 今年はテリー伊藤さんカンニング竹山さん“内幕も知るご意見番”に高橋真麻さん“同じく内側にも居たミーハー”に、テレビ界マスコミ界のデータバンク担当として日経BP研究所の品田英雄さん、“いままさに作ってる人”として日本テレビお仕事ドラマP小田玲奈さん、ニッチを行くテレビ東京バラエティP伊藤隆行さんに、ネットドラマフロンティア最前線サイバーエージェント藤田晋社長(月河の認識としては奥菜恵さんの元旦那さん)、音楽プロデュースのヒャダインさんも加わってMCが千原ジュニア、首藤奈知子アナ。 

 総合すると今年は前向きで、聞いてて腑にも落ちる話が多かった。

 

①    テレビの視聴率が伸びない、ヒット番組が出にくい原因を“視聴者がインターネット・スマホゲームやSNSに時間を取られているから”と、ネットを仮想敵視しパイを奪い合う思考の時代は終わった。

②    もう「なんとかしてスマホを置いてテレビの画面に集中してもらおう」と悪戦苦闘してもはじまらない。視聴者はスマホを持って、スマホを見ながらテレビの前に来る、そういう種族がすでに日本に相当比率いるんだということを前提に番組を作る必要がある。

③    テレビを見ながら内容やセリフや展開についてツイッターでつぶやく、実況がバズって盛り上がるという興じられ方が一般的になっているのに、依然としてテレビ番組の人気度・成功度は“リアルタイムの視聴率”でしか測られず評価されないのもすでに時代に合わない。新しい指標を編み出す時期に来ている。

④    たとえば月曜9時からのドラマを、月曜9時に帰宅してテレビの前に座って見なくても、録画して深夜や休日、自分の都合のいい時間に見ている視聴者も多い。若い人たちに「テレビどう?」と訊くと「テレビっていつも途中からやってる。アタマから見たいのに」と答える。パッケージ映像ソフトや動画サイトに慣れた層は、テレビの放送タイムテーブルに自分の生活を合わせるのではなく、生活にテレビ番組視聴を合わせるのが当たり前。

⑤    とは言えリアルタイム視聴ならではの、たとえば見ている人同士が同時進行でネット上で感想やリアクションをつぶやき合い、共感し合うという楽しみ方も、放送局は意識していったほうがいい。昔からテレビの前で「何言ってんだよ」とブツブツツッコんだりする見かたはあった。同じ番組を見ている他の人はどんな所にブツブツ言ってんだろう、自分のブツブツと同じ人はいないかな?あ、いたいたここにも・・と共感したい人は多い。もちろん、送り手主導でお膳立てしすぎると逆に引かれてしまうけれども。

⑥    動画サイトの普及で、若い人は3分から5分、長くても10分未満の短い動画を幾つも、スマホでずーーっと見続けている、一本が長いものだと途中で飽きられる。1話3~5分の動画を毎日配信して、新しい朝ドラのような形にできないかいま考え中(お仕事ドラマは「4話でキスさせて引っ張る」日テレ小田さん)。

⑦    バラエティ企画はとにかく保険をかけないこと。実績タレントを引っ張ってくるとか過去に当たった演出手法とか“これなら数字が見込める”と局の上層部が納得するような後付けがないと前に進めない、こういう思考ではいつまでたってもダメ(池の水ぜんぶ抜き続けるテレ東伊藤さん)。企画書が1行で済む、これも重要(テリー伊藤さん)。

⑧    凋落低迷続くフジテレビだが、2014年の『いいとも』に続き『めちゃイケ』『みなおか』の2大看板バラエティを終了させたことで局内の危機感の念押し共有はできた。いまだに80年代から90年代初頭までの成功体験を払拭できない上層部が生き残っているが、若いスタッフは優秀な人がいるしこれからは期待できる。

⑨    テレビに関しては、タレントは出てナンボ。とにかくテレビに出続ける、数多く出る。「あいつ去年全然見なかったけど正月に(この番組に)出てきてテレビがどうだらこうだら言ってる」って言われたら終わり(カンニング竹山さん)。

⑩    新しい年のテレビへの展望としては、とにかく大谷と清宮に活躍してほしい。彼らが活躍すればテレビ見たいという気になるから(テリー伊藤さん)。

⑪    池の水を(4月からレギュラー番組にして)毎週抜くかどうか前向きに考える(テレ東伊藤さん)。

 

 ・・・ほかにももう少しあったかな。ここ数年の中ではポジティヴなトークの多い新春TV放談だったと思います。少子高齢化で、モノ売り業サービス業どこでもどん詰まり感が漂う中、テレビの皆さん依然懲りていないというかめげていないし、猫も杓子もスマホスマホならスマホも込みでテレビの娯楽に取り込んでしまおうという姿勢に、「オレらが、ワタシたちが、負ける気がしないわ!」という、いい意味で傲岸な、したたかささえ感じました。ネットテレビ、ネットドラマと言っても製作スタッフは既存の局・制作会社から来ているし、サイバーエージェント藤田社長が満を持してこの1月から配信するアベマTVオリジナルドラマ第一弾の脚本は小劇場の人だそう。

 ドラマ、バラエティに続いて2017年のワイドショーを振り返るコーナーでは、暴言音声、不倫動画などの素材を週刊誌や写真誌が撮影録音して、それがテレビに朝・昼・晩と番組ごとに貸し出されていちいちお金になるので、ここのところ書籍が売れない雑誌が休刊したと低調を託っていた紙媒体が、実は昨年いちばん儲けたのではないか?という話も出ました。「暮れのボーナスも相当出たと思いますよ」(テリーさん)

 ・・・・・昔ほど見なくなったとは言え月河もスマホと未だ無縁なテレビだけっ子なので、テレビに携わる人たちがネガティヴなよりはポジティヴなほうがいいですが、ちょっと気になったのは⑥の“若い人たちが長時間のものを見続けることに耐えられなくなっている”という話。要するに、幼児化してるってことじゃないですかね。そのわりには人気ドラマベスト10に大河『おんな城主 直虎』や月~土帯の朝ドラ『ひよっこ』という日本を代表する長尺タイトルが堂々ランクインしているのは、NHK番組だからか。

 日テレ小田さんのアイディアの様に、短時間の動画をつないで連続モノにして提供するというのは、こういうご時世のひとつの突破口かもしれませんが、“長尺に耐えられない脳”の客ばかりが量産されるのもまた由々しき事態ではないかと、かつての昼帯ドラマウォッチャー月河は懸念するものです。

 長尺を敬遠する客、長尺を見せても消化できない客が増えた結果、長尺の話を書ける脚本家、長尺のシリーズをコントロールできるPが育たなくなった。月河が昼帯をレギュラー視聴していた14~5年前でもすでに「後半になるといつもヒロインの子供たちの進路やら恋愛結婚話になっちゃってテンションダダ下がり」としらける声がよくBBSで上がっていました。年頭の大河ドラマスタート時、前期後期の朝ドラ交代時には“前作より数字どうだ”“前作が高かった(or低かった)影響がどうだこうだ”というお決まりの比較が必ず出ますが、長いとついてきてくれない客に作り手が合わせて行く流れが続く限り、大河も朝ドラも“良くて横這い”でおさまってしまうのではないでしょうか。大河や帯の作り方、半年~一年にわたる本の書き方をわかっている人が減って行く一方なのですから。もう朝ドラも10年以上前から“一週6話で1エピソード”“土曜に問題解決”を半年続けるのが精いっぱいになっています。

 いちばんゾッとしたのが⑤。そんなに“共感”ってしたい、されたい人多いのか。たかがテレビ放送見てての時々刻々の所感で。自分が面白い、自分が泣けた、自分がハラハラドキドキしたキュンとしたでいいじゃない。なんで自足できないの。ここに居もしない、どこかしらの見も知らない不特定多数の人がどう思ってるかどう感じてるか、そんなに気になるのか。自分と似た感想持ってる人がどこかに何人かいたら、大勢いたら、そんなに嬉しいのか。

 普通に気持ち悪いよ。思ったんですけど、こういう“共感乞食”みたいな感性の人ばかりの日本だったら、いま“安倍一強”なんて言われてますが、誰かヨコシマなやつが、いや、すごく高潔な人でもいいけど、うわーっと独裁政治に持っていこうと思ったら、もう簡単ですね。赤子の手をひねる様だね。わかっててそこまでやってないんだとしたら、安倍さんもまだ全然人がいいよ。小池百合子さんがそれに近い事をやりかけたけど途中でポシャっちゃったし。おもしろうて、やがておぞましきTV放談でした。

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