イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ロイヤル思いやる

2011-04-30 22:51:12 | ニュース

昨日29日)夕食前からなんとなく流していたイギリスのロイヤル・ウェディング。近年、ここの王室発の話題が出るときには決まって誰かかれかの離婚か不仲のゴシップばかりで、ほかならぬ自国民にソッポ向かれまくってんじゃないかと思うんですが、王室側の当事者たちも結構気つかってたようで「華美にしないぞしないぞ」「国民の反感買わないぞ買わないぞ」と、受け止める国民側の「不況のさなか王室に贅沢なことはさせないぞさせないぞ」「目光らせるぞ光らせるぞ」「でも久々のめでたい話だし、あんまケチくさいことも言いたくないぞ言いたくないぞ」とが微妙に綱引き合って、回り回って「…やっぱりパーッといきたいよね!ね!?」とはじけたみたいな、お国柄の古めかしさとプチ不器用な質実剛健感が相俟った、結構好感持てる寿イベントだったんじゃないでしょうか。

ウィリアム王子28歳。あと2ヶ月足らずで29歳。もうあの故・ダイアナさんのお子さんがアラサーなんですねぇ。こっちも年とるわけだわ。父君チャールズ皇太子62歳。祖父君エディンバラ公89歳。遺伝の発現が、頭髪具合においてひときわ早い。

偉大なるグランマ、エリザベス女王陛下85歳。山吹色のスーツがバリお似合いで、ヒールはいて夫君とともにピンシャン玄関タラップも上るし、かわいい孫の晴れの日に満面のスマイルで、目つきも涼しく気力体力まだまだ衰えておられない様子。同国内世論では、不倫と離婚で大いに王室の顔にドロを塗った皇太子を飛び越して、「次の王位はウィリアムに」との声もあるそうですが、なんとなくわかる気がします。チャールズさんの素行による不人気だけが原因ではないと思う。 

女王陛下、もう5年や10年余裕で生きそうですもの。彼女が天寿を全うされる頃には、現皇太子は70近いか、ひょっとしたら越えてるかもしれない。“老人の跡目を老人が継ぐ”のは、イギリス国民もあまり見たくないのではないでしょうかね。

日本の皇室も大して状況変わらないですよ。今上天皇今年御年満78歳。皇太子殿下もなんだかんだで51歳、“年の王子さま”です。天皇陛下が美智子皇后とともに震災被災地を訪ねられて、専用ヘリから下りてくる動作など見ていると、そろそろいっぱいいっぱいかなという気もしないでもありませんが、摂生されているのだろうし先代昭和天皇と同じくらい、アラサーならぬアラ“ナイ”まで保っちゃうかもわからない。

そうなると年の王子さまが、民間なら定年退職をとうに過ぎる年齢で継ぐことになる。その頃には妃殿下の適応障害なるものもアトカタもなく快癒し、内親王さまも無事学校を卒業されて、一点の曇りもないご家族になっていることを期待したいですが、問題含みのまま継いじゃったら、ものすごくフレッシュさや元気さのない皇位継承になる公算が大です。

お元気で長生きな君主の治世が長く続けばとにかくいい、てえわけにもいきませんね。ロイヤルファミリーの未来、あちらもこちらも、どうなることやら。

そんなことより新婦ケイト・ミドルトンさん、ドレスも本人も美しかったですね。ダイアナさんのときのように、空気孕んだら飛べそうなバブリーなトレイン引いたりしてなかったし、29歳、オトナな花嫁にふさわしく肌の露出はレースで抑えめなクラシック調。光線加減やカメラの映りの影響もあるかもしれませんが、真っ白白ではなくほのかなアイボリークリームを帯びた地色の素材もシックで、ウェストミンスターの渋いステンドグラス越しの光に映えて良かったと思います。

本名キャサリン・エリザベス・ミドルトンさん。式場入りから宮殿バルコニーお出まし恒例のロイヤル・キスまで、終始ダンナより落ち着いておられましたな。同級生で、5ヶ月ほど姉さん女房という字ヅラ以上に賢そうに、て言うか余裕かまして見えましたよ。貴族階級ではなく平民中流の、お父さんはネット通販社長さん、お母さんは元CA、“世慣れ方”がアラサー王子さまなんかとはだいぶ違うかも。

ちょっとダークな髪色肌色のブルネット美女。ダイアナさんのような金髪碧眼、血色が透けるピンク白肌のフェア・ビューティより、本当に嗜好だけの問題だけど月河はこちらの系統が圧勝でタイプです。目元のクールな感じが、ルキノ・ビスコンティ監督の『イノセント』や、デイヴィッド・クローネンバーグ監督の『スキャナーズ』に出ていた頃のジェニファー・オニールを思い出させる。あの目で見つめられたい。なじられたい。叱ってほしい。おまえは伊丹刑事(@『相棒』捜査一課)か。オニールさんは“オ”の付く姓が物語る通り父方がアイリッシュでしたが、ケイトさんもあるいはケルトの血が入っているのかもしれない。

29歳、年があらたまれば30歳、『霧に棲む悪魔』のミス白狐ことロータスの依子さん(中田喜子さん)風の表現で言うと「ママになるのが早過ぎるというお年ではないわよネ?」なので、王室ウォッチャーの皆さんの次の興味はすでに“ご懐妊はいつ?”に移っているかもしれませんが、まあ、急いてはコトを仕損じる。ゆっくりマイペースで仕込んでいただきましょう。

姉上のドレスの裾やら、天使役の子供たちのお世話やらで大わらわだった妹さんのピッパことフィリパ・シャーロットさんも、姉上のクールさを薄めて母性的に丸くしたような、やはりブルネットの知的ビューティで、マーメイドラインの白ドレスがとてもよくお似合い。相当、身体の線に自信がないと選べないデザインでしたよ。

“地顔”が微量はにかみ顔、案じ顔なのが、姉上とはちょっと違う“客層”の琴線をふるわせそうです。姉上よりふたつ若い、当然独身。マスコミの興味はこちらにも半分流れるか。『霧に棲む~』のせいか、どうも“白い女”づいておるなあ。

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好かれて実って

2011-04-28 20:43:23 | ニュース

田中好子さん55歳没、田中実さん44歳没。早過ぎ若すぎる訃報が続きました。

スーちゃんのほうは、中年過ぎた既婚の女優さんががつがつ露出しないのは家庭生活が満ち足り不自由してない証拠…と月河などむしろ、好ましい方向にとらえていたのですが、やはり仕事をセーブしたり、逆にやりたい仕事をあきらめたりの近年だったのでしょうか。日差しが初夏っぽくなりお中元の準備を考え始める季節恒例の“揖保の糸”のCMオンエアをみないうちに、壮絶な最期が報じられることになってしまいました。

キャンディーズ時代からピチピチ健康的なイメージの人だったので、10数年にわたる乳がんとの闘病とは意外も意外。前述の揖保の糸CMも含めて、月河がご出演を認識している、1990年代中葉以降のお仕事は大半がん闘病との併走だったことになります。ご家族やごく親しい筋にしか、発症自体を知らせていなかったというところに、“女優=夢を売る仕事”に徹した潔さ、外柔内剛ぶりが窺える(芸能人として現実的には、病名が知れるとイメージが暗くなりオファーが減るかも…の危惧だったかもしれませんが)。

出棺前の肉声テープの公開は、つらい癌治療に長年月耐えた好子さんに、せめてもの自己アピール、思いのたけ吐露の機会を与えてあげたいとの、ご家族の気持ちのほうを強く感じました。ご自身映画監督でも、制作関係者でもないのに「スタート!」「カット!」とカチンコ使ってのパフォーマンスで亡妻の執念に添おうとするご主人・小達さんが痛々しかった。実姉・夏目雅子さんをも血液のがん=白血病で早くに失っている身としては、衆目の前でクサいパフォでもしてないと心が折れそうだったかも。

結果的には自分がセンターから退き、ランちゃん=伊藤蘭さんに譲ったことで重石が取れたように売れたキャンディーズを、最後まで「大好きでした」「(蘭さん藤村美樹さんと)一緒にいられて幸せでした」と愛しみ続けてくれたところには、女優魂というよりアイドル魂を感じます。アイドルがアイドルだった自分を愛していてくれないと、若い日々声援を送ったファンの立場がない。

楚々としたミキちゃん、プチ色っぽいお姉さんランちゃんに混じると比較の問題でぽっちゃりキャラに見えたけど、顔の小作りさのわりに腰回りに安定感のある、実はいちばん昭和の女の子アイドルらしいヴィジュアルの持ち主でした。思うにキャンディーズがスーちゃんセンターで売れあぐねていた1970年代前半は、スーちゃんっぽい“うぶな妹”系のアイドルがピンでいっぱいいたから、かぶっちゃって突き抜けきれなかったのでしょう。出棺時流れたデビュー曲『あなたに夢中』を筆頭に、アイドル歌謡としての良曲はスーちゃんメインヴォーカル時代のほうが多かったような気も。異論は認めます。

苦しい闘病の末の歿年55歳に、「早過ぎる」なんて言うのは酷かもしれない。ゆっくり休んでください。

田中実さんのほうの死去には、びっくりというよりあっけに取られています。いろんなTVドラマで、ほぼ切れ目なくお顔を見ていたような気もしますが、よく考えれば数年前、あるいは10年以上前のドラマの再放送だったりもして、本当のところご活躍だったのか、ご活躍のピークを過ぎて下り坂だったのか、伸び悩んでいたと言ったほうが当たっているのかわかりません。

仲代達矢さんの無名塾出身と聞けば、2サスなんかよりもっとメジャーな大作で主役を張っているべきだと思う向きもあるかもしれませんが、卒業した俳優さんがみんな主役級になっているわけではなく、脇で渋く輝いている人が数人からせいぜい10人前後か。実際問題、名実ともに“無名”になった人のほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。田中実さんは堂々、成功した部類だと思います。

ただ、ドラマでも映画でも、主役だとそれなりのギャラだけれど、脇となると歴然と安くなり、なおかついったん脇に下がると、危険なアクションなども必要な重要な役と、ちょっと出てそれだけの文字通りのチョイ役とで、それほどの差がなかったりすると聞いたことはあります。だから、『○○の事件簿』の様な主演のシリーズを持てればしめたものだが、脇役専門で中堅かその下クラスの、“単価の低い”俳優さんは、本数をこなさないことにはやっていけないのだと。

田中さん44歳、長身で童顔で、この10年近くほとんど変わらず若々しく見えていましたが、それゆえ設定年齢の若い役を、若い後輩俳優に回されることもあったかもしれない。“本数をこなす”重圧がつねに念頭にあったとすると、先月より、昨年のいま頃より、オファーが少ないのでは…と、不安にかられることもあったかもしれません。

8年ほど前、同じような形で訃報を聞いた古尾谷雅人さんのことも思い出しました。やはり体型や顔つきが30歳前後からあまり変わらない人で、切れ目なくドラマの刑事役やクールな役、渋い役でお見かけしているような気がしていたけれど、2002年の秋に『太陽と雪のかけら』という伊藤裕子さん主演の昼帯ドラマに、得意の“ちょっとクセ者”役でレギュラー出演されていたのを見たとき「やっぱりそれなりに、再放送で見るよりは老けた顔になってるなぁ」とちらっと思った記憶があります。仰天の悲報がつたえられたのはその半年後でした。

“切れ目なく見かけるけれど再放送のことも多い”という状況自体、現在を走る役者さんには肯定し難いことなのかもしれない。新作ドラマの枠は時間的にも予算的にも縮小されてきています。再放送の枠さえも、気がつけば韓国製ドラマにとって代わられている。当然、役のオファーも、顔と名前を認知してもらえる機会も減る一方でしょう。

没した時点で古尾谷さん満45歳、田中さん44歳。役者でなくても、男四十を過ぎれば見えていなかったものが見えてきて、見たくなかったもののほうが多かったりもする。生きている者の一方的な視点で、生きないほうを選んだ人の選んだ理由を詮索するのもむなしいけれど、ともに妻子を置いての自裁というのが、俳優さんという属性をはずして痛ましい。

贔屓のチャンネルとは違ったけれど、昼帯の定番『温泉へ行こう』シリーズを惜しむファンも多いでしょう。月河としては、できれば天国で『刑事貴族2』の話に、団優太さんと花を咲かせててほしい。ご冥福をお祈りします。

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めあ

2011-04-27 00:20:20 | 朝ドラマ

『おひさま』25日(月)放送回から、キャストクレジットに中原丈雄さんのお名前が見えたので、陽子(井上真央さん)のお祖母さま(渡辺美佐子さん)登場週だしひょっとしたら回想シーンか何かで若き日の紘子さん(原田知世さん)のお父さま役?(←渡辺さんと現在時制でのご夫婦役ではさすがに年齢差が)と思ったら、お祖母さまのお抱え運転手役でした。ツンデレすぎる子爵マダムに仕える、ダンディすぎる使用人。制服制帽がまたよくお似合いで。

そう言えば昨年のいま頃、『ゲゲゲの女房』では、ダッシュで挙式後上京したしげるさん(向井理さん)と新妻布美枝さん(松下奈緒さん)を東京駅から調布のボロ家に送り届けてくれた運転手さん役が、当時『娼婦と淑女』で婿養子子爵を爆演中だった岸博之さんでした。朝ドラにおける運転手さんの“昼率”は高いようで(サンプル数が少ないにもほどがあるが)。

富士子お祖母ちゃんが「どこか(お話のできる場所は)ないのかしら?」と、例によって親友3人娘とのキャンディーズ布陣で下校中だった陽子ちゃんに要求したため、なじみの飴屋村上堂での会談となりましたが、「(ペロ)こんなモノ、クチに入れてたら(ペロ)、しゃべれないじゃありませんか(ペロペロ)」と、どこまでも意地ッ張りなお祖母ちゃん、最初は奇怪な物でも見るようだった水飴も、召し上がってみるとお気に召したと見え、完食。て言うか完舐め

お相伴にあずかった運転手さんが運転席で食べ辛そうにペロペロしててて、車外を通りすがる女学生たちにちょっぴり失笑されてたのも微笑ましかったけれど、女将カヨさん(渡辺えりさん)が「おクチにあいますかどうか」と箸に掬っている間、飴の甕持って直立不動のご主人(斉木しげるさん)がまたそこはかとなく可笑しかった。映らなかったけどあの後、「運転手さんもどうぞ」とカヨさんが玄関先に出ていってお給仕し、その間もご主人、車の外で甕支えてたんだろうなあ。この場面で流れたテーマ曲の“こっそり大冒険”みたいなアレンジヴァージョンも楽しかったですね。

このドラマは、メインストーリーの、いま現在焦点のあたっているところよりも、脇の端々に拾い物の様な味があることが多い。運転手さんが通りかかった茂樹兄ちゃん(永山絢斗さん)に深々と一礼したり、「中、ご覧になりますか」と、話しかけるのも敬語だったりするのは、富士子さんが話してくれた茂兄ちゃん養子騒動の際の春樹兄さん(中山大志さん)の捨て身の行動を、運転席からつぶさに目撃し聞いていたため、結婚して実家と絶縁した紘子さんが築いていた須藤家と、家族思いの優しい子たちに育った兄妹へのリスペクトをずっと持っていてくれたからなのですね。

上から下より、下から上のほうが多くを見ることもある。人に仕える立場の人間は、往々にして仕えられる側より人間の人となり、ウツワの大小を読んでいるものです。読んでも指摘はしないし、対応を変えることもしないだけ。運転手さんは茂樹くんを“主家の跡取りになったかもしれないが、ならなくてよかった、出来たご家族に恵まれた息子さん”と頼もしく見ていたのでしょう。

中原丈雄さんといえば『白い巨塔』の東都大学教授にして日本外科学会会長船尾教授である以上に、月河にとっては女優大好き宗方先生(@『女優・杏子』)であり、無頼派楠田先生(@『風の行方』)なのですが、富士子マダム帰京前に、もうひとつぐらい運転手さんの見せ場来ないかな。富士子さんもどんな家からどんなご縁で子爵家に嫁いだか、跡取りの男子を産めず授かったのは女子ひとり。その紘子さんも誕生時医者に「この子は(育つのは)無理かもしれない」と警告されたほどの病弱で、しかも婿を取らせる間もなく恋愛結婚して家を出てしまったのでは、後継者作りが責務の華族の嫁としては、居心地のいい正妻生活ではなかったはず。

ダンディな運転手さんは、そんな孤独なマダムを無法松のように……ってなんか『偽りの花園』化してしまうな。どんだけ昼帯の観過ぎだ。ともあれ現在外遊中との子爵様も、外にお妾を囲ってご落胤のひとりも孕ますでもなく、女学校進学を帝国ホテルで祝ったという目に入れても痛くない愛娘と、体面に殉じて絶縁を通されたのだから、ご夫婦揃って、運転手さんも含めて、黙々と意地を張る家風と見えます。

ところで飴屋村上堂の暖簾や日除けのデザイン、独特の字体と色使いが、いつもちらっとしか映らないけれど現代にも通用するくらいモダンですよね。軒先のつなぎ提灯?など、飴屋というより和風キャンディショップという感じ。女学校はあるけれども、ちょっと遠くから自転車通学の陽子の家の周りは完全な農村で、決して大都会ではない地方の町の、カヨさんたちご夫婦だけで切り盛りするお店にしては、とてもお洒落です。

これから劇中の時代は戦争一色になっていくのでしょうけれど、まだ「日本はすごい」「強い」「いい国だ」と、少なくとも若い娘たち、少年たちは信じていられた、最後の輝ける一瞬だったのかもしれません。

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安全パイの実

2011-04-24 23:35:06 | CM

『霧に棲む悪魔』、キャストについても中間考察しておきましょうか。せっかく番組公式サイトトップがオールスター方式のデザインになってることですし。

顔触れをざっと見たところ、斉藤暁さんが2週終了時点で未登場かな。逆に56話でかなり重要そうな出かただった、矢島健一さんと駒塚由衣さんの“夫婦役”がお顔を列ねてないか。ここらへんのベテランどころは、どこにどんな役で入れ込まれても入れ込まれただけの味はきっちり出してくれるので心配ないでしょう。

心配と言えばいちばん心配だったのが、ほかならぬヒロイン圭以役の入山法子さんだったのですが、初主演作、しかもひとり二役の難役にしては、大変に失礼な言い方を許してもらえれば、予想外に“見られる”なという印象です。モデルさん出身なので頭身が小さく、乗馬服でもロングドレスでも、とりあえずそのへんにあったから羽織ってきましたみたいなカジュアルでも、何を着ても野暮ったくならないのは大きな強みですが、思った以上にアップで見せる表情がいい。美人かブサかで言えば圧倒的に美人さんなんですけど、正統派系ではなくどちらかと言えばファニーフェイス。人なつっこい笑顔にも恐怖の混じったびっくり顔にも、せつなく涙をこらえる顔にも漂う、庶民的なようでどこか浮き世離れした不思議さ、“妖精感に、キャスティングした制作サイドは賭けたのだと思います。いまのところその賭けは当たりに出ている。

演じる入山さんと同じくらい、演出のほうも頑張っています。頑張っているというより、考えている。思うに、入山さんのように、容姿雰囲気は文句ないけれども演技は経験値的にも磐石とは…な不安の残る女優さんを、主役や出ずっぱりの重要な役で起用するなら、今作の圭以のような、“世間知らずの富豪令嬢”役に置くのがいちばん安全パイ。

多少セリフ言いや立ち居が硬くても、ベテラン共演者たちが作る芝居の流れから浮き気味でも、“深窓育ちで物慣れていないキャラだから”ということで、観るほうが斟酌できる。心身ともにピュアな天使のようなお嬢さまでもいいし、逆に、昔の少女漫画によく出てきた、驕り高ぶって意地の悪い、貧乏人をいじめる金持ち娘に作ってもいい。

現場での演技経験の浅さを、そのまま人生経験の浅さ、人の機微を読みあぐねる人間性の未熟さ、頼りなさとして“利用”してしまうわけです。2年前の同枠『夏の秘密』の山田麻衣子さんもこれ方式でうまいこと絵にしました。

それでも危なっかしい、セリフ入れて噛まずに言うだけでいっぱいいっぱいみたいな女優さんなら、雪おんなとか夕鶴のつうとかかぐや姫のような、この世のものならぬ精霊やゴースト役にしてしまうか。そう、今作で言えばまさに“白い女”のようなね。

つまり今作のヒロイン、二役と言えども、ドンズバ“演技が未知数な人を起用するならコレだよこの手”というキャラ設定にしてある。

“登場場面が少ないけれども出れば印象的”な脇役なら結構な数こなしている入山さん、スタッフのこの頭脳プレーのおかげで、ずいぶん肩の力が抜け、昼帯のつねで拘束時間的、体力的にはきついでしょうけれども、心理的にはかなりラクになっていると思います。そのせいか、“苦しければいっそ棒読みでもいい”白い女の場面でも、意外なほどこまやかな陰翳が見られる。この世のものならなさと、人間っぽい息遣いとのバランスがいい。前者に偏ると漫画チックになって「CGでもいいじゃん」となってしまうし、逆に後者寄りに頑張り過ぎると下世話でうるさくなる。

“人間世界で人間として生きるのが不得手な女の子が、人間と意思疎通しようと必死”な感じがよく出せていると思います。これもまた入山さんの演技者としての若さを逆手に取った制作の勝利(まだ勝ち負け決まったわけじゃないですが)。

………そんなことを考えていたら、栄養ドリンク“リゲインSTYLETVCMで、春らしいコーラルピンクのワンピースで螺旋階段をシャキシャキ上ってグ美ッと飲み干す、余裕な入山さんが見られました。白い女としてはもちろん、圭以としてもまだ100パー全開は見せていない笑顔がここでは惜しげなく全開。暢雄さんと共演中だからというわけではないでしょうが、リゲインSTYLE生“エキス入りだそうです。

…………関係ないにもほどがあるな。その姜さんほかのキャストについてはまた追って。帯ドラマは週5、放送があるので、ともすればチェックに手いっぱいになり、レヴュっている時間がなかなかないのですよね。

まず走る、走りながら考える。それが帯ドラマの魅力でもあるんですけど。

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現在進行ケイ

2011-04-23 21:04:55 | 昼ドラマ

さて、やっとじっくり書ける時間が来た。贔屓枠・東海テレビ制作昼帯の4月期新作『霧に棲む悪魔』、予定より1週遅れの11日(月)スタートで、第2週まで進みました。

近年は20054月期『危険な関係』に始まる“背徳三部作”を筆頭に、昼帯伝統の“ままならぬ恋愛”ストーリーをあくまで芯に据えながら、ドキハラサスペンスと謎解き・真相探しに知略計略犯罪ものの味をもからませた一連のシリーズで、一定の評価を得ている風岡大Pチームによる作品です。

狭い人間関係の中でのドロドロねちょねちょ、湿気っぽく高粘度な、利害情念からみ合いのイメージが強いこの枠の昼帯の中では、比較的“乾燥”した、異色な作品をいつもプレゼンしてきた同チームが、さらに敢えて「まったく新しい昼ドラ」と前宣伝してきただけあって、本作、かなり特異です。背徳三部作や、その系譜作と比べても歴然と特異。

何が特異って、22日(金)までですでに210話を消化したにもかかわらず、事件と言える事件がまだ何も起こっていないのです。

誰も死んでいないし、もちろん殺されてもいない。過去時制での病死や事故死が人物のクチから語られてはいるものの、事件性は仄めかされていません。財産狙いや復讐の計略もひとつも張りめぐらされないし、不倫、密通関係もなし。

そもそも、ヒロイン圭以(入山法子さん)が独身でやっと婚約してるのしてないのという段階で、両親もともに亡く、異父姉の晴香(京野ことみさん)などは独身プラス、男っけの片鱗すらまるで無し。完成安定したカップルというものが物語のセンターに出てこないので、不倫三角関係を軸にしたドロドロになりようがない。

「昼ドラ初の本格的ミステリー」という前宣伝が売りのドラマで、冒頭210話にわたって事件らしい事件が起きないというのは、作品として相当に特異だし、何より、大胆です。

序盤に食いついて継続視聴されてナンボの、多話数の帯ドラマの作り方としては「向こう見ず」とすら言ってもいい。

10話の間、すべては事件としてではなく、人物の心の中で起こっている。骨折しバレエダンサー生命を絶たれて自殺企図、深い森に踏み込んだ弓月(姜暢雄さん)が、全身白い服の謎の女(入山法子さん二役)と遭遇、傷の手当てをきっかけに束の間のキス抱擁。病院関係者と思われる男たちに追われて逃げ去った彼女が言い置いた言葉をたよりに、圭以の生家=龍村家が代々オーナーとなっている農場“龍の眠る丘”にたどり着いた弓月が見聞する事ども。圭以が白い女と瓜ふたつの容姿をしていたことがまず弓月を龍村家に引き留め、彼女の病没した父の希望で婚約者となったIT実業家御田園(戸次重幸さん)、亡父の双子の兄という引きこもり変人の玄洋(亡父遺影と二役榎木孝明さん)、農場と併設チーズ工場の支配人克次(逢坂じゅんさん)と出戻り娘で家事担当の美知子(広岡由里子さん)親子、出入りの運送業者鹿野(弁護士兼業?山﨑邦…ちゃうわー本村健太郎さん)らと知己を得るうち、圭以が継ぐ莫大な財産についても知る。

その一方、農場周辺に白い女の影がちらつき、彼女が圭以に宛て通りすがりの子供に託した手紙の「人の姿をした悪魔」という字句が圭以を動揺させ、亡母のメモリアルコンサートのため海外から帰国した御田園との関係にも波紋が。一方、白い女を忘れられず農場にとどまって働くようになった弓月に、ダンサー時代からファンだった晴香はひそかに恋心を抱き………

“白い女”という、弓月以外の人物は誰もまだ実在の人間として目視認識していない、この世のものですらあるかなきかの正体不明の存在を引き金として、一見平和で満ち足り何も問題なさげだった資産家一族と静かな山間の農場に、水面下でざわめきが起きていく。やがて過去の経緯や、人物たちの隠されていた欲望、情動をも明るみに出す。

しかし未だあくまで“水面下”。こんな方向に、こんな波紋が起きるのではないか、こんな人間関係や経緯が隠れていて、こんな案配に暴露されるのではないか…という気配をただよわせるだけで、この2週は終わっているのです。

客観的に見て、これは普通に騒がれるわと強いて言えば言えるのは、冒頭説明的に提示された、“新進ダンサー北川弓月、主役デビュー初日に舞台上で骨折、公演続行不可能に”“代役起用の後輩ダンサーが大成功をおさめ海外進出、弓月は表舞台から消える”という一連の出来事ぐらいでしょう。このへんはワイドショーや女性週刊誌程度なら食いつきそう。負傷前の北川弓月は、晴香やコンサート招待客の一部がファンを自称するぐらいには名を知られた存在で、デビュー公演の当日券が売り切れるほどの人気があった様子ですからね。

語られたことでこれ以外は、ぜんぶ当事者たちの“心の中”。他人が外から見て「そりゃ大変だね、問題だね」と言えるものではありません。白い女にかかわる弓月や圭以たちの思いわずらいは、ほとんど「思い過ごしだよ」のレベル。葛藤や衝突の種はかなり豊富にくすぶっていますが、ドラマのメインになるほどの確たる手ごたえはありません。

逆に言えば、これだけくっきりはっきり、作劇や脚本にドシロウトのいち視聴者でも心配になるくらい見事に“何も起きてない”状況を、10話の話に引っ張り維持した度胸、心意気はこのチーム大したものです。“昼ドラ初”“まったく新しい”を主張するだけの何ものかはある。

22日(金)放送の第10話で圭以が、御田園に婚約解消を申し出、「(具体的に他に思う人がいる等ではなく)私の心の問題なの」と言う場面がありましたが、この言葉がいままでのこの作品の世界を象徴しています。

心の問題で、現時点でいちばん深く描かれ噛み応えのある余韻をのこしているのは、僅かの時間を森の小屋で共有した白い女に惹かれ続けている弓月の思いでしょう。彼の白い女ラブには、どこかあの有名な“吊り橋理論”に似たところがある。人生に絶望し、ダンスの夢を追うために勘当状態な郷里の両親に宛てた遺書だけをバッグに入れて、いままさに縊首せんとしたところを、白い女に声をかけられて死に損なった。言い換えれば再び生き直す機会を、彼女こそが与えてくれたのです。

しかも彼女は負傷し足から流血していた。“足の怪我”にはことのほか繊細にならずにいられない弓月は、「何もしないよりはましだ」と自分の服を脱いでテーピングを。命にかかわるほどではない、女自身も気づいていない程度の傷ではありましたが“死ぬつもりだったのに人を助けてあげた”経験は、弓月に期せずして生きていることの重さ、貴重さを思い出させたに違いありません。生きているから痛みも感じるし、血も流す。人の痛みを想像することもできる。

自分に言わば、二度めの命を吹き込んでくれた女性が、何かを伝えたがっているなら聞いてかなえてやりたい。追われているなら匿ってあげたい、狙われているなら守ってあげたい。命の瀬戸際で味わった思いが、そのまま白い女への恋愛感情に変位して弓月の中に残ったのです。揺れる吊り橋を渡る最中のドキドキ、高テンションが、そばにいる異性へのそれと脳内翻訳されて、渡り切っても残ってしまうのとちょっと共通している。

相手が入山さんの扮するような神秘的なはかなげな若い女性でなくて、なんぼ真っ白な服を着ていてもそこらの小汚いおばさんだったらそうはならなかっただろう?とか野暮なツッコみは無しにしましょう。

しかも彼女の言葉に引かれて探しあてた“龍の眠る丘”で出会ったのは、同じ顔をした圭以。なおかつ白い女の影が近隣に出没、その圭以を案じる言動を残すに至って、弓月の心に“守るべきは白い女なのか圭以さんなのか?”“圭以さんを守れば白い女の意にも沿えることになるけど…”“何が心配なのか、どんな事情で何を言わんとしているのかやはりあの女にもう一度会って訊きたい”という、二重三重にもつれ合った焦がれが生まれたのです。

白い女と圭以の容姿が同じであること、しかも、無事かと案じ気にかけるベクトルが、弓月自身からと同じように白い女からも圭以に向いているらしいことで、弓月の漠然たる恋愛感情は、体温だけが高まって、輪郭や方向は彼自身もしかとはとらえがたいものになっています。

そんな弓月と、俄か住み込み牧夫と農場オーナーというかりそめの関係で身近に接するうち、「あなたが興味があり執着しているのは私ではなく白い女なのね」という苛立ち=(人も羨む資産家美人令嬢、恐らくは生まれて初めての)嫉妬を覚えはじめる圭以。

“一度死んだ人間”である弓月が、白い女がもたらしてくれた“第二の生”の中で、ヒロイン圭以の本当の意味での相手役にふさわしい心の姿勢、情熱のベクトルを持つのはいつ、どういう過程を経てか、これは大きな眼目となるでしょう。

何かが起こりそうだが現実には起こっていない。起こりそうと思う人間の心の綾、心の襞だけで2週。これだけ堂々と引っ張る、ある意味傲慢なくらい野心的なドラマ作り。見逃せませんよ帰趨が。

元・主役級バレエダンサーにしては、弓月役・姜さんの立ち姿や歩き格好がいまだ何かゴウライ…もとい格闘技系で、どうもエレガントでないとか、「見渡す限り」級の広大な農場で相当頭数の乳牛を飼育、全国からのネットお取り寄せ注文に応じるほどの物量のチーズを自家生産しているのに、牧草栽培から柵の修理まで克次さんひとりが一手に仕切っていて、職員の人数が異常に少ないとか、細けぇことは例によって寛大に脳内補完して、まずはこの特異さ、近来稀に見るアンビシャスな制作姿勢とともにじっくり玩味しましょう。

月河の年来の贔屓のこの枠、最近は「自分が嵌まってウォッチしなくても、こういうのを好む人が他にいっぱいいそうだからお任せ」と思うドラマが多くなっていましたが、久々に“作品に呼ばれる”と言うか、「自分が観なくて誰が観る!」と熱くなれるヤツが来ました。

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