イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

さすがに金屏風はなし

2009-01-31 23:34:18 | バラエティ番組

あれだな、歌手とか演奏家とか、俳優とか特定分野の芸能能力を職業にする人じゃなくても、TVに出るのには資格審査、オーディション的なものに合格しなければいけない」というルールを設けたほうがいいな、TV界。

 真剣にそう考えたのは、久々に目が腐るようなシロモノをTVで見てしまったからです。『クイズ$ミリオネアSP』(130日フジテレビ系1900~)の泰葉さん。一昨年の離婚騒動の後、湿気った花火みたいにいろんなところでブチブチくすぶってるのは知っていましたが、いやあ、これほど百害あって一利ない物件とは思っていなかった。

この番組、クイズ番組にしてはテンポがないにもほどがあるのでいつもは見ないのですが、ビートたけしさんがゲスト回答者として出演するとスポーツ紙番組表で見て、かなりダッシュで帰宅したのに、TVつけるとすでにたけしさんの出番は終わっていて、やってたのが生放送での泰葉さん出演。

以前、泰葉さんとは関係ない或るゲストトーク番組について“指定の場所に着席した状態で、上半身の動きが激しく絶え間ないと、それだけでバカっぽく見える”と書いた記憶がありますが、絶え間ないに事欠いて、泰葉さんて耳目に入るすべてのことにリアクションするんですね。みのもんたさんの出題フレーズ、選択肢の提示(一問につき4コあるからリアクションも4回)、問→答間のつなぎトーク、答えの正誤、獲得賞金額コール、自分のリアクションに対するみのさんや客席の反応にさらにリアクションして、それに反応されればまたもリアクション。まるで自分の尻尾を噛んでグルグル回ってるヘビ、というより、“リアクションのリアクションにリアクション”ってコレ“幼児”そのものではないでしょうか。幼児なら万人が見て「可愛いー」とならなければいけないのに、それをやってるのが48歳の、さして童顔でも若々しくもないのにやたら露出したブリブリファッションのオバちゃんだから果てしなく空しいだけ。

しかも、現時点で唯一、この人がTVに出てもいい理由であるところの“離婚がらみ”に関しては「話したくない」「訊かないで」。

何より犯罪的だと思うのは、この番組のみのもんたさんもそうでしたが、泰葉さんと共演すると、特にホストやMCは軒並みお約束のように「お父さんの(林家)三平師匠に生前こんなにお世話になった」「こんなに良くしてもらった」「こんな場面でお会いしてこんな会話をした(←挨拶程度だったりする)」にまず言及する。なんだ、離婚も歌手活動もハッスルも関係なくて、要はコネなんだ親のコネでTV出てるんだ。

“芸能能力でも見てくれでも話の内容でも、何ひとつ視聴者を喜ばせ愉快にさせることができなくても、力のある親のもとに生まれてさえいればTV出てギャラもらってちゃらちゃら暮らして行ける”という、害悪極まりない、社会の根幹さえ腐らせかねない危険思想を公共の電波で垂れ流す元凶。暴力流血シーンやエロシーンなんかよりよほど規制が必要だと思うのですがどんなもんでしょう。一時期さんざん槍玉に上げられた、霊能力オカルト番組のたぐいより、一見天真爛漫で罪なく見える分悪質かもしれない。

娯楽としてのバイオレンス映画やドラマをこよなく愛する月河としては、この手の“無害ぶりっ子”な、「しょうがないねぇ」と苦笑でスルーされがちな物件こそ皆で寄ってたかって、目クジラ立てて撲滅して行くべきだと思うものです。

…『相棒season7』先々週(1月21日)放送“逃亡者”について今日は書きたいと思っていたのに、余計なものを見てしまったおかげでなんだかヘタってしまった。最近のバラエティってのは“逆福袋”みたいなもので、うっかり開けるととんでもないものを掴まされますね。次回リベンジ。

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コメザワ?

2009-01-30 19:36:45 | 夜ドラマ

放送が前後しますが、『相棒season7128日のほうの“超能力少年”は、往年の『怪奇大作戦』をちょっと思い出す味でした。何せ、幽霊とゴシックの国・英国はロンドン帰りの右京さん(水谷豊さん)が「お化けと超能力はボク、信じています」とみずから任ずるほど、オカルト親和性の高い人ですからね。一歩間違えばホラー色おどろおどろしい、終わってもすっきりしないような話に堕してもおかしくなかったのに、理系技術のプロでありつつオタクマインドを兼ね備えた、鑑識米沢さん(六角精児さん)の仕事ぶりと存在感がいい緩衝材になりました。

虫歯に被せた異種の金属が接触して、盗聴電波をキャッチし脳内に音声として伝達していた、という謎解き。そんなこと実際有りかぁ?と思うけど、有りか無しかより、少年の経験した現象が母親をはじめとする周囲の大人たちに投げかけた波紋や動揺のあやのほうが重要。ここらも『怪奇』に似ています。

実行犯が偶然、盗聴器の仕掛けられた(前の住人がストーキングされていた)アパートに住んでいたため、クラブママと犯行の打ち合わせをする電話を少年の口中“受信機”が傍受してしまったことで事件が思わぬ展開となったのですが、母親の主張する“息子の超能力”と、銀座クラブ強盗殺人事件、あくまで前者をベースにしながら後者の捜査部分もなおざりにしない好バランスで、“どちらかがもう一方のための牽強付会”という感をさせなかったところが良かった。

少年(or少女)時代の一時期、わずかに持っていた超能力で世上もてはやされたために、成人後の人生が歪むというモチーフは、『古畑任三郎』“殺人公開放送”を思い出さずにいられませんが、大人に褒められたい、「他の子が誰も出来ないことを、キミはできるね」と評価されたい盛りの年代の、特に男の子にとっては、母親に褒められる感覚、「お母さんがボクを誇りに思って幸せそう」「いつもより強く抱き締めてくれた」という所感は際立ってスペシャルな、失いたくないものなのでしょう。

「でもゲームもやりたいし、学校でいじめられるのはイヤだし、ヘンな声が聞こえるのも、本当は気持ちが悪い」“普通のガキ”の感覚も備えている“超能力少年”拓海くん役を、名子役田中碧海(おうが)くんが好演。サルウィンに旅立った亀山くん(寺脇康文さん)も右京さんよりは子供の扱いを得意としていたけれど、今回の拓海くんはヤンチャ、反抗的方向の悪ガキではなく、母親(濱田マリさん)のプレッシャーで心折れかかっているおとなしい子な分、やはり米沢さん向きでした。

一時チヤホヤされたのに、能力不足や境遇の巡り合わせで地に落ちた少女期の挫折感をずっと心の奥で眠らせ、結婚後、子供の代で取り返さんとして再覚醒、子の望まぬ、適性も無いお稽古事を強いる母親は多いと聞きます。濱田マリさんが演じたおかげで、“めでたしめでたしの後もいろいろ難問ありそうだけど、深刻なだけでなくちょっと笑える”キャラになったのも良かった。シャレにならない言動の人物を演じても、微量笑いを催させるというのはいまのドラマ界で俳優さんに望まれる資質のひとつです。

少年が傍受した近所の夫婦の離婚相談会話も、並外れて嫉妬深い夫が妻の不貞を疑って自宅内に仕掛けた盗聴器の作用だったし、少年自身の家にも、息子の育て方の対立から離婚した前夫が息子の声聞きたさに盗聴器を設置していた。“本来は聞けない、知り得ない他人の会話や事情をこっそり知りたい”願望は普通人が普通に幾許かは抱くもので、盗聴とはそういう人間のせこい、思うだけなら罪にならない欲が編み出した“超能力のニセモノ”とも言える。

ニセモノが起こした副作用が、“我が子に超能力あれよかし”と切望してやまない母親の受信アンテナに捉えられて、ホンモノとして喧伝されてしまった皮肉。まるっきりのカラ騒ぎで、母子ともに傷ついて退場ではなく、池に捨てられた凶器の銃発見の役には立ち、少年はご褒美のチョコレートにありついたという、身の丈に合った救いを設けてあったのも良きバランス感覚だったと思います。

強盗殺人パートでは、売上不振のため不仲の夫の生命保険金を狙ったクラブママ(岩本千春さん)と、偶然夫婦間のトラブルを知った、元起業家のおしぼり配送マンとの間に、共謀はあったが男女関係はなかったというのが、そりゃそうかもしれないけど、なんかちょっとよかったですね。ムダに感情臭くないというか、ドロドロしてなくて。ママ役岩本さんは、1985年の映画『ひとひらの雪』の頃の美貌をじゅうぶんとどめているし、元起業家役の佐藤B作ジュニア佐藤銀平さんも、イケメンではないけれど水商売の年増女性が構ってあげたくなるタイプ。なのに2人とも“銀座で店を盛り返したい”“もう一度起業したい”と、自分&カネのことしか考えてないのが軽く苦笑ものでした。

寄席の出囃子になってる米沢さんの着信音(しかしまあこの人は落語にゲームにギターに女子アナ、どんだけ趣味広いのかと)とか、コンビニより魚屋さんかいっそブックオフ向きな捜一ヤング芹沢(山中崇史さん)「いらっしゃいまセエ~」とか今週も惜しみなくネタ満載。コンビニのスタンドにも“キリン芸能”の最新号あったし、“漫画ヨンデー”ってのも売ってたな。“週刊習慣”は休刊したかな。

射殺された夫に保険はかかっていたが、犯行時クラブママは縛り上げられていたからシロ、でも「共犯がいた可能性もあるだろう?」と最初にズバリ指摘したのは、なにげなく中薗参事官(小野了さん)でしたね。今期は小野さん『非婚同盟』東亜製鋼の幹部(←宴席で結構上席)もあるし、この人の場合、新しい役柄のたびに、持ち上げなきゃならない上司が増えて大変そう。

そう言えば、水谷豊さんが28日深夜にご自宅内で、開いていたドアの角に頭部をぶつけて流血、自力で病院に行って額の真ん中を8針縫う処置を受けたという報もありましたっけ。「おやおや」。役者の商売道具である顔面に負傷とは、水谷さんも役柄とは別に結構ソコツですね。『相棒』の撮影には影響無しとのことですが、普通に8針縫うって、麻酔も要るだろうしかなりな重傷感ですよ。跡が残らないように、早く癒合するようにとお医者さんも気を遣っての縫合だったんでしょうが、今season中、一話ぐらい、ブラックジャックみたいな“前髪あり”の右京さんが見られたりしないかな。

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人と超人

2009-01-29 17:23:07 | 夜ドラマ

124日(土)土ワイ枠(2100~)の松本清張生誕100年スペシャル『疑惑』、気にかけてはいたのですが録画に手が回らず、帰宅が2120過ぎでとりあえず片付けながら中途入場&背中で音声だけ視聴。

たぶん発端であったはずの、雨の夜埠頭から車ダイブ→夫を車中に残し球磨子ひとり救出さるの説明描写をまるっと見ていないのですが、キャストを知ったときいちばん心配だった沢口靖子さんの球磨子が、意外になかなかだったのは、嬉しいほうの期待はずれ。82年の松竹映画版『疑惑』では桃井かおりさんが、したたか3乗ぐらいの、叩いても踏んづけても燃やしても死ななそうな球磨子を表現していましたからね。

沢口さんは、声がさすがにどうにもドスがきかない感じではあったけど、“いっぱいいっぱい感”“瀬戸際で生きてきた感”がはしなくも滲み出て、違った意味で怖い球磨子になっていたと思います。着飾って記者会見の席上TV中継の最中に逮捕される場面から見たのかな。もともと華奢なのにさらに減量したのか、肩とか首とかスジが立つくらい痩せて、コメカミの髪の生え際にも血管が浮いているし、ほとんど幽鬼のよう。92年に火サス枠でもドラマ化されており、このときはいしだあゆみさんが球磨子に扮したので、沢口さんはこちらをイメージして役作りしたのかもしれません。

実は役名なしの出演者リストを番組表で見たとき、てっきり球磨子役は若村麻由美さんが演るものだと思っていたんですよ。んで沢口さんは田村正和弁護士に思いを寄せる亡妻の妹かなんかで、真矢みきさんが対立する女検事ね。180°とまではいかないけど、140°ぐらい違いましたね。“シロウトが考えそうな配役”をわざと外していったのも狙いのうちだったのか、ちょっと若村さんの登場シーンの少なさはもったいなかった。

嬉しくないほうの期待はずれは、今作、球磨子の強烈さより、鬼クマ憎しの世論の逆風に屈せず真相に迫らんとする人権派弁護士を演じる田村正和さんフィーチャー、プロモーションV的な味付けも散見され、そのためにくっつけた“依頼人の逆恨みお礼参りで妻殺害”“以後ひとり娘が離反、音信不通”“それでも正義と人権の信念をまげないお義兄さんリスペクトな義妹”などの後付け設定が軒並み嘘くさで不発。

行きつけのジャズ・バーがあって、カウンターに片肘ついてバーテンダーと話してる後ろ姿なんかは完全に古畑入ってるし、リクエストで玄人はだしのピアノを披露、常連客(ババアばっか)に「先生ステキ♪」なんてうっとりされてたり、ひとっつもドラマの本筋を面白くしてない。

義兄をリスペクトし誠心誠意サポートするけれど、亡き姉への慮りと道義心から恋愛感情は封印している義妹役に、元ヅカ男役でキャリアウーマン役など得意としている真矢みきさんを配したのも、湿っぽい男女ムードを匂わせず“仕事で信頼し合うパートナーシップ”を表現するためのキャスティングかもしれませんが、思いのほかミートしなかった。田村さんと真矢さんの“質感”が合わないのでしょう。

スクープ乞食の新聞記者秋谷(室井滋さん)が逃げ出した後、単身車ダイブ実験を敢行するくだりなど、ほとんどヒーローものみたい。田村正和さんと言えば昭和40年代の木下恵介アワーぐらいからTVでお顔を見ていますが、いつの頃からか職業や境遇設定とは別建てで“超人的”という属性を背負ってしまわれましたな。眠狂四郎』シリーズの頃からかしら。お若い頃から役者としての欠点と言うより“特徴”として定着してしまった“年中鼻詰まり”な台詞回しに、最近は“シャガレ”まで加わっていますが、場面と台詞によってはまったく気にならないこともあり、撮影中の体調が斑らだったのかな。とりあえずそんなこともほぼ吹っ飛ばす勢いの超人性全開です。

洋画や洋ドラでもよくありますが、事件ものにおける刑事や、法廷ものの弁護士、医療ものの医者などの主役の、家庭・家族の事情を本筋の事件と並行させたり匂わせたりする作りは、やりがちだけど、難しいですね。アメリカの刑事映画なんかだと、たいてい奥さんが愛想尽かして出てってるし、そのために薬物やアルコール依存症で休職してカウンセ受けるなど家庭が崩壊しているのがデフォルトにすらなっている。

『疑惑』も松竹映画版では岩下志麻さんの女流弁護士がやはりひとり娘に月一しか会えないバツイチ、結審前後には前夫伊藤孝雄さんから「この人と再婚したい、娘もなついている」と楚々たる(←当時)真野響子さんを紹介されて憮然…なんて場面もあったと記憶しています。

勇気ある女弁護士が果敢に真実を突き詰めたら悪女にも五分の魂ありの勝訴になったけど、女性として、妻として母としての幸せには縁がなく模索中、ということを言わんとしたのかもしれませんが、だから何なんだという話。桃井さんの球磨子のように、男を次々誑して這い上がり生き残る才ひとつの女と“どっちが幸せ?”という問題提起だとしたらあまりにも無理があるし、あのバツイチ描写部分は、今作の田村弁護士の亡妻がらみ以上に、そっくり不要ノ介でした。

どうも日本のドラマや映画は、特に警官・法曹・医師・財閥総帥など“リスペクトされ畏怖されるのが仕事のうち”の主人公を設定した場合、どうにかして生身の人間として“感情移入”させようという後付け小細工に走りがちで、なくもがなの色恋や家族ネタ、幼時体験等をくっつけてはスベる傾向がある。話さえおもしろければ、主人公が中途半端に血のかよった普通人なキャラである必要はまったくないのですがね。

さて、私生活色恋要素マスキング、感情移入を謝絶する“非・普通人”主人公と言えば、2009年日本のTV界では何と言っても、たったひとりの特命係・杉下右京警部殿(水谷豊さん)(@『相棒』)です。2週ほどレヴューを休みましたが、121日、28日放送分、ともになかなかの興趣作でした。次週は放送休止で、次回放送は211日(水・祝)だそうなので、個別にゆっくり振り返る時間があるかな。

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ヘイ!カメン!!

2009-01-28 00:41:33 | 特撮・ヒーロー

『仮面ライダーディケイド』1話(25800~)、『キバ』終了後の今年のライダーは例年のようにまる1年、約50話ではなく30話で終了らしいという話だけは聞いていたので、期待より「予算不足見え見えのショボ作まる出しだったらどうしよう」と心配が先行しつつ録画視聴。ま、第1話は例年通りのパイロット版ということもあり、ショボ感はまったくなかったですね。いろんな意味でむしろ豪華でした。

何と言ってもアバンタイトル“夏ミカン”こと夏海(森カンナさん)の悪夢の中の、平成ライダー全員入り乱れての大戦場面は、ライダーファン、ウォッチャー、朝から全国で大興奮だったのではないでしょうか。月河は何と言っても「ファイナルベント。」の声(@『龍騎』)が久方ぶりに放送で聴けたことにエキサイトしましたよ。0203年、残業時、コンビニで夜食調達担当の仲間と、何回コレ言いあったことか「ファイナル弁当。」

殺し合いの果てすべてのライダーが倒れた場面で、555のライオトルーパーもちゃんと横たわっていたのも、庶民的っつかなんつうか、とにかく手抜かりない感じで嬉しかった。『アギト』以降、一作に3体以上のライダーが参戦するのは当たり前になっているし、中にはあまりおいしい見せ場がないまま退場したヤツもいましたが、『ディケイド』ではそんなマイナーライダーもまめに掬い取ってくれるのではないかと、かなり期待がふくらみました。

9つのライダー世界の存在と融合について士(つかさ。井上正大さん)に説明し、バトルへと促す神崎士郎みたいな役回りに『キバ』の渡(瀬戸康史さん)はちょっとカンロクというか、神秘性が足りなかったかな。井上さんの士と向き合うと、どうも渡のほうが年下でイノセントで、士のほうが訳知りオレ様に見えるんですよね。

これは、直近ライダーだった義理で、渡にとっては残業みたいなものだから仕方がないか。

歴代ライダーのスーツがしっかり生き残っていた(改修もしくは新調に近いものもあるか?)ことも感激ですが、約30週ちょっと、ざっと9月頃までこれらおなじみライダーで商売すんのかと思うと、若干ズルい気も。誰しも、既作9作の中で“ご贔屓ライダー”が必ずいるはずで、ソイツがいつ出るか、どんな扱いか見せ場はあるか、絶対見逃したくないから、出ないうちから網張っておくじゃないですか。視聴率上がらないわけがない。

月河なんか、「『アギト』G3とアナザーと、『龍騎』のライアと王蛇とタイガとインペラーと、『555』はライダーより、ホースオルフェノクとスネークとゴートと…」と、“必須科目”いまから数え上げてる始末。「『カブト』はカブトとガタックと、頭にウニョッとついてるヤツと(サソードだサソード)、正面顔がトンボのヤツと、首から上が金平糖みたいな兄弟と…結局全部か」

フィギュアや玩具も、すべてではないけれど一部はリバイバル発売されたり、既発ヴァージョンにプレミアがついたりするかも。シロウトが考えてもビジネスチャンスの山また山。テンション上がらずにはいられませんぞ。

キャラクターもさることながら、変身前の俳優さんのほうに、より前がかりだった向きは、あの作の世界にはアノ人が出そうだ、アノ人は無理そうだ等、予測と期待綯い交ぜでもう大変なことになっているに違いありません。

10年以上昔ですが、ある運命学研究家の話を聞く機会がありました。易占の類いはどっちかというとスルーしている月河ですが、話として印象的だったのでいまだに覚えているのです。

曰く、人間には“初代運”“二代目運”“末代運と、3種類の運の持ち主がいるそうな(「二代目の次がいきなり末代かい!」と、聞いた当初は思いましたが、“売り家と唐様で書く三代目”というくらいですから、マクロに見れば三代目=末代なのかも)。

初代運の人とは、所謂創業者、パイオニア。裸一貫から事業を立ち上げたり、中近世、戦国時代なら荒地を一国にまとめ上げ城を築いたりする人。当然生まれは貧しく、子供時代は物質的にも恵まれず、高等教育にも縁がなく低学歴のままの人も多いけれど、補って余りあるカリスマ性と先見力があり、年長者からは変わり者ウツケ者と白眼視されたり叩かれたりもしがちですが、誰も注目しない商材やビジネスチャンスを見出して「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」式に業界の開拓者となります。リスクも逆風もこの運の人たちには栄養であり、心地よい刺激。繁殖力も旺盛で多くの子宝も授かり、「オレに比べてデキが悪い」「言うことを聞かない」など悩むのもまた楽しみのうち。

戦国武将や、幕末維新など時代の変わり目に多く表舞台に登場し、平和になってから子供や少年たちに「尊敬する歴史上の人物は?」と質問すると、名前の挙がるのはたいていこの初代運の人々です。

二代目運の人は、生まれ育ちは初代運の人より恵まれています。生まれたときすでに平和で裕福で、高等教育も受けられ、親に力がありますから周囲の人たちもお坊ちゃん、お嬢さん扱い。ただ長じてからはお父さん、お母さんとどうしても比較され、ひ弱とかウツワが小さいとか言われて悔しい思いや窮屈な思いをすることも多い。財産や事業、家名を損なわず、無傷で守って「当たり前」。特に青少年期は、オレの、ワタシのやりたいことは親の真似ッこじゃない!と反旗を翻したくなり、現実に翻してしまう人もいますが、“いまだかつて誰も考えた、実行したことのない”オリジナルなことをやるには資質が適さず、先人のやったことをしっかり習得してきっちり踏襲し、洗練を加える才能のほうにはるかに恵まれているのがこの運の人。

事業も会社も、芸術芸能などの或るジャンルや一門も、初代運の人の後、“良き二代目運”の人が何人か続けば繁栄するのですが、二代目運の人の最大のリスクは、初代運の人に過剰に憧れ、あるいはコンプレックスを抱き過ぎて、「何でもいいから開拓創業的なことをやってみたがる、オレがコレを始めたと名や物を残したがる」ということ。この性向さえ封印すれば天運を全うし、初代以上にリスペクトもされます。

さて末代運の人は、生まれたときには二代目運の人以上に裕福で恵まれています。気がつけば生まれながらにして頂点、若くして出世し部下を持つなど人の上に立たされることが多い。が、長じるにつれあたりを見回すと状況が厳しくなっている。あんなに繁栄していた会社も国も一門一族も、気がつけば何やら旗色があやしいし、一歩外に出れば世情はもっと混乱している。

蓄積し爛熟した先人の遺産をそっくり受け継ぐ末代運の使命は“有終の美”。受け継いだすべてのものを、ある分野ではきれいに遣い切り、ある分野では目下の者に分け与える。回顧録や家系図など、言語、文章表現によって後世にノウハウを伝承する才能に最も長けているのもこの運の人たちです。自分ひとり遺産を抱え込んで勝ち逃げしようとしたり、初代運の真似をして新しいことを興そうとしたりせず、世のため人のために尽くし、無策の策を貫いて静かに完全燃焼する精神さえ持てばよく、この人が天寿を全うした後から、まったく新しいものが生まれ育つようにもなる。

2009年の『ディケイド』はまさに“末代運”の仮面ライダーという気がします。2000年、元祖仮面ライダー1号世代のお父さんたちと現役チビっ子、両方を楽しませるべく『クウガ』からスタートした平成ライダーシリーズ。当時のチビっ子たちはもう高校生、大学生になっているでしょうし、1号を知って平成に入ってきたお父さんたちは、ヘタしたらリストラ世代。オダギリジョーくんカッコいいわ、葛山信吾さんステキだわと胸ときめかせていたママさんたちのほうがいまは元気かも。

ファンの裾野は広がり、ブランドも確立し、先代たちの築いた遺産は山のようにある。蕩尽はせず、無駄にはせず、しかしディケイド、テメエひとりがカッコよくもてはやされることにこだわらないで、“平成ライダー”第一期の有終を飾ってほしい「『ディケイド』は名作だったね」と言われるより、「『ディケイド』のおかげで平成ライダーの先行作ぜんぶDVDで見たくなったよ」と言われるような、そういう作品になればジャストミート大成功だと思います。

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パセリ政治ローズマリー&タイム

2009-01-27 00:11:41 | 世相

オバマ大統領の就任式の模様や、直後の世論調査での支持率報道など見るにつけ思うのですが、オバマさんよりずっと前、特に1992年にクリントンさんが当選した頃でしょうか、「どっち党の誰が当選するにしても、国民が自国のトップを、セカンド(=副大統領)とセットで、直接選んで投票して決めて、決まったら満場の喝采で誇りを持って迎えるんだから、アメリカは進んでいるよなあ」とイノセントに思った時期が月河にもありました。

当選時クリントンさん46歳、アル・ゴアさん44歳、2人とも長身で体格がよく(白人男性としては普通なのかもしれませんが)、まあ二枚目と言ってもよく、ひるがえって当時の日本のトップと言えばヨーダ…ではなく宮沢喜一さん73歳だったことも相俟って、“アメリカ(の民主主義政治)はいいなぁ”の感がひとしおだったのだと思います。

実際には大統領&副大統領候補に有権者が直接投票するわけではなく、各州上下院議員数と同数の“選挙人”を選ぶことになっているそうですが、とにかく「国民が自分の意思でトップを選び、選んだら、ミーハーなくらい賞賛しリスペクトしヒーロー、スター扱いする」というところが見事に日本と対照的な気がしたのです。

日本でも、就任当初の安倍晋三さんや、最初の総裁選の頃の小泉純一郎さんなんかは地元の街頭だけでなく、地方遊説でも結構な人気がありましたが、“国民がみずから選んだ”ということに裏打ちされた人気というより、“TVで話題のアノ人をナマで見たい”という物見遊山的な気分が半分は混じっていたと思う。

それ以外は、○○さんが総理になりましたと聞いても、国会に登壇しても「へぇー」「ふーん」ならまだましなほうで、ヘタしたら半笑い、「けっ」としか世間の人は反応しなかった。リスペクトや、ましてや熱狂とは真逆です。

日本では、衆参両議会議員をそれぞれの選挙区から選ぶまでは確かに直接投票で、その結果でどこの政党が過半数を取るかを決めるまでは関与できますが、その先、トップを決めるのは議員たちの互選で、総選挙当時の党のトップが党規約の任期や何やらで降板すると、あれよあれよと言う間に「こんな人が総理大臣になっちゃうの?」「聞いてないよ」となることも多い。少なくともここ10年ぐらいの歴代内閣総理大臣で、名実ともに、磐石に“日本国民の選択と付託”に基づいて就任し勤め上げたと言える人は、一人か二人か、あるいはそもそも居るかどうかも疑わしい。

しかも、その議員を選ぶ(までしかできない)選挙の投票率も、紅白歌合戦じゃないけど憲政史始まって以来少しずつ、しかし一本調子に下げ続け、平成に入って以降は70%を超えたことがなく、概ね60%台なかば、ヘタしたら50%台に落ちています。

話が変わりますが月河実家の祖父は、生前、選挙と名のつくものに一度も投票したことがないと公言していました。

地方の家業を継ぎ、東京に進出して本家は長男に預け、東京で次男以下42女を育て(長男も入れれば52女の子福者でした)、男の子は全員大学、女の子もそれに準じる高等教育まで進学させ、子供たちにも「選挙なんてのは思想かぶれした、学校の教師や学者連中がやることで、オレたちはまじめに働いて妻子を養い、余裕ができたら貯金する、それに専念することだ」「真っ当な人間は政治なんかに興味持つものじゃない」人は政治で幸せにはならん」と口癖のように言っていました。或いは地元にいた若い頃、政治・選挙に関わって不幸になった親しい友達でもいたのかもしれないし、自分も家業の職域か町内会がらみで手伝って大火傷でも負ったのかもしれない。そこらへんは聞きそびれました。もう少し存命でいてくれたらと思います。

とりあえず祖父のその言葉を長い間聞いて育った息子たち(月河の伯叔父たち)も、「選挙で一票入れたって何も変わらないし、良くならない」と自分たち流に翻訳して、やはり今日まで区議会町議会レベルの選挙も投票に行ったことがないそうです。

(ちなみに2女のうちのひとりである月河実家母は、結婚して実家を離れるのが早かったので、旦那のほうにより影響され、「投票日が暇で天気も体調も良ければ行く」「選挙公報や政見放送は“耳目に飛び込んで来れば”見るし読む」という姿勢でした)

民主主義、主権在民の憲法精神に則れば、決して褒められたことではないけれど、「参政より、それぞれが自分の天職に専心して、働いて貯蓄」という、祖父のような考え方は、それはそれで有りなのかなとも思う。

 「人は政治で幸せにはならん」という祖父の口癖は、“人は医者やクスリで健康にはならない”という月河の最近の所感と相似のような気がします。国会質疑や予算委員会中継、ぶら下がり会見で毎日のように見る政治家、議員たちの顔を見、喋りを聞いていると、オバマブームのUS発のニュースと引き比べるのとは別の意味で「政治(家の力)で日本が良くなるわけじゃないよな」とつくづく思う。

国民ひとりひとりがそれぞれの職分においてまじめに働き、家族や近しい人たちを幸せにするよう努力する。国が良い方向に向かうためには結局それしかありません。総理大臣が何党の誰になるかなんてことは、関係ないわけではないけれども、飽くまでその扶助、サポート、もっと言えば“邪魔しない”役にしか立たない。

選挙をやるたびに投票率が下がっていくのは、“自分の一票で政治が変わった”“変わった政治のおかげで自分の幸福度が上がった”という実感を誰も持てないからでしょう。「実感がなくても投票するのが主権在民、民主主義国家というものだ」「一票の権利もなく独裁者の恣意で弾圧される国になったほうがいいのか」なんて言説は、“政治が自分の幸福につながらない”という圧倒的な現実の前には屁理屈に過ぎません。

次の選挙は昨年からちらついては消え、またちらついては消えしていますが、オバマさんのような“選ばれて喝采を浴びるリーダー”がさっぱり現れないことより、直接政治に関わることのできる唯一の機会である選挙の投票率が、いくら広報宣伝してもジリ貧なことのほうが問題なのかもしれない。

そういうことを考えるたびに祖父の「真っ当な人間なら政治を考えるより働け」「人は政治で幸せにはならん」という言葉を思い出し、ヒーローのようにもてはやされなくてもいいから、せめて自分と家族のためにまじめに働く国民を、静かに邪魔せずサポートしてくれる政治家、総理大臣が出てこないものかと思うのです。

もちろんそういう人がトップに立つにも、国民が投票に行かないと始まらない。

自分の尻尾を咥えた蛇のように、どうにも堂々廻りが続きます。

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