イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

沢尻容疑者逮捕 ~肉を食わせてヤクを断つ~

2019-11-18 19:19:20 | 芸能ネタ

 わがまま気ままに振る舞って周囲を翻弄したりフリーズさせたりはしているけれど、なぜか“自由奔放”“やりたいようにやってる”という感じは受けなかった。

 むしろ、内なる何かに触れられたくない守り通したい一心で必死に、硬質で豪奢な鎧を着て、常時戦闘態勢でアドレナリン出してバチバチ火焔を放射しているようにも見えました。

 沢尻エリカさんが“~容疑者”になったため、デビュー当時から今日に至る「波乱の軌跡を振り返る」的なVがさんざんリプレイされたのですが、ご本人がまだ十代の頃から、からむインタヴュアーやレポーターや司会者が、当然彼女より年上で業界歴長いはずなのに、何で?ってくらい誰もかれも、初っ端からオドオド、ビクビク、顔色うかがいモードなのに改めて驚きます。

 当時はまだ年端も行かない若手で、確かに小顔で目ヂカラある美人さんではあるけれど、身体的には細身で華奢で、圧迫感などどこにもない、女の子らしい女の子なのに、相手を圧倒し気後れさせ低姿勢にさせずにおかない何かが、もともとあったらしい。

 別になんのプレゼンでも会見でもなく普通に街を歩いているところを突撃されたときの私服姿ですら、ことさらシルエットを強調し大仰なアクセをはべらせ、肌出すとこ出した“肉食”ファッションなのも、所謂自由、自然体とは対極なイメージを印象付けました。人に見られる所ではすべて“演じている”、天性が女優と言えば言えるのかもしれない。

 わがままで強気で言動がシャープで、スタッフやマスコミを戸惑わせ振り回す女優さんと言えば、1970年代から人気だった秋吉久美子さん、桃井かおりさん、80年代になるとちょっと焦点がズレるけど“プッツン”気分屋キャラの藤谷美和子さん、石原真理子さんなどを思い出しますが、彼女たちのほうがずっと“思いのままに生きて自分を押し通している”という、「いい気なもんだよ」の中にも一抹の爽快感、痛快味があったと思います。芸能界独特の、流行先端を行ってるようで実は古色蒼然たる徒弟制度的上下関係がまかり通り、女優さんを含めて働く女性の地位が低いことにかけては、令和のコンニチの比ではなかった昭和の芸能界でも、“自由”な女優さんはいたし、自由そうに見えることを興がられ称賛されてもいた。

 沢尻さんの、一見やんちゃで奔放にやってそうなのに漂う空気がえらく窮屈で、見る人を快適にさせず、衆目の一致する美貌で高そうな服を着ているのに羨ましく憧れたくならないのは何故なのか。

・・・今般の逮捕で“複数種類の違法薬物の長期常習、長期隠蔽”“依存症体質”という、原因なのか結果なのかわからないけれど一つのでかい“回答”が出てしまったことは確かです。

 同性から見ると、この人ほどメイクが見るたびむちゃくちゃな女優さんも珍しい。今日びの女子なら誰でも羨むはずの頭身の小さい輪郭にパーツの配列が整い、とかく軽視されがちな歯列の矯正もホワイトニングも行き届いているのだから、塗りモノ載せモノは最小限でいいのに、なぜか十代の頃からいつもいつもオーバーメイクなんですな。何度も放送された例の「・・別に」の舞台挨拶時のものすごいキラキララメのギャル風だったり、おミズ風だったりモード系だったり、その時々のプロモする作品や役柄に合わせてサービスしてくれたり、逆に「役とワタシは違うのよ」アピールだったりもするのかもしれませんが、ある時など眉頭が完全に鼻筋の内側に入っちゃってることもありました。人間の顔面における“眉”のバランサー力、発火力は圧倒的で、眉をこれにするとどんな美人さんでも国籍・時代不詳の不気味顔になるものなのに、恐ろしい事にこの人はそれすら一応サマになっていた。

 よく、体型容姿が貧相で日頃地味慣れしている人が一世一代のおめかしで高価な服で決めると、見るからに着慣れていない風采を「服に着られている」なんて言われがちですが、沢尻さんは“メイク”において“着られない”強さをお持ちでした。こういうの何て言うのかな「メイクにメイクされない」?・・何かしっくりこないけどまぁ言いたいのはそういうこと。

 過剰メイクでも“地顔”が負けないということはそれだけ美人度が高いということでもありますが、若くして「塗り慣れてる」「化け慣れてる」「オーバーメイクに臆面がない」感じ、やはり“鎧を着て刃を剥いて、相手を劣勢にしていないといたたまれない”心性の人だったのかな?といまにして思います。直感ですが、こういう心情で生きてる人はすごく薬物に距離が近いと思う。最初に思い出したのがプロ野球の清原和博元選手と江夏豊さんです。

 事がクスリとなると、どうすれば世間的に“償った”“禊が済んだ”と納得してもらえるかわかりません。思いつきで昨日今日魔が差して・・じゃなく長年にわたる常習だとすると縁を切るのも一生ものになりそう。彼女の“地顔”があれば、芸能界・広告業界が受け入れられなくても、演技など“芸能”のスキルを披露するステージが与えられなくても、なんだかんだで生きていけそうな感じがするのも逆に厄介

 とりあえず、来年正月から放送開始予定だったNHK大河ドラマの制作チームはてんやわんやでしょうねえ。個人的には贔屓の、絶賛(・・・・・・)放送中『いだてん ~東京オリムピック噺~』のメイキング、ウラ話など、一か月くらいみっちり放送して時間稼いでもらっても構わないのですけど。

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東池袋暴走老人 ~厳気があれば何でもできる~

2019-11-13 21:40:02 | ニュース

 こういう加害者に、「厳罰を」と願った場合、いったいどうするのが適正かつ過不足のない、きっぱりと納得性のある“”罰と言えるのでしょうか。 

 ・・・・・今年4月19日の午後は出先の待ち時間で、共有スペースのテーブルで遅めの昼食をとる人、早めのおやつの人たちも混じって、なんとなく正面の40インチのテレビを見ていた記憶があります。

 チャンネルは日テレ系の『ミヤネ屋』だったのかな?東池袋の現場レポート映像が流れていましたが、まだ事故の全貌がつかめていなくて、正味のところ何人怪我して搬送されて、死亡確認されたのは何人なのか、事故起こした張本人の運転手は何処の誰で生きているのか、自分も死亡したのか等々、人的な情報をまだ集めきれていなくて、引き取ったスタジオでもどうアンカリングしたらいいのか戸惑っているような放送だったと思います。

 待ち時間のテーブルでながら視聴のこちらでは、「白昼で明るいし、いい天気っぽいしスリップとか有り得ないから、薬物でラリッたやつか?」「テロか?」なんて言っている人もいました。

 当地は地方なもんで、東京の都心にほど近いところでの大きな事故映像が来ると、とかく、むやみに「テロ?」視しがち。それは認めます。当時は6月に大阪サミットなんてのも予定されていまして、そっちに注目が集まり保安警備資源も偏ってるタイミングを狙うなんてのもありそうだし。

 だんだん捜査が進んできて、“張本人”が、八十八歳のご老体の運転する乗用車で、軽傷で搬送されたご本人の事情説明の言葉からしてどうもブレーキとアクセルの踏み間違いらしい・・とうすらぼんやり判明してきたときは、不謹慎ながら「またかよアチャー」と思いました。高齢者の運転問題、ここ何年もずっと通奏低音のように巷間問題視され続けているのに、いざ人身事故が起き、なまなましい映像が流布してからじゃないと焦点が合って来ない。この辺り、夏休み時期に俄かに多方面から火の手があがった“煽り運転”事案群と似ています。

 昭和の耐久消費財3K、“Myカー”ブームから半世紀余り。クルマを持つということの敷居が下がり、誰もがハンドルを握り、街に海に山に繰り出して行けるようになった世の中にも、勤続疲労と耐用年数超過の季節がやって来たということでしょう。昭和30年代~40年代初期に、胸ときめかせて自前のキーを初めて持ち、恋人や友人をこぞって乗せて鼻高々だった若者たちも、すでに視力低下や動脈硬化や神経痛をかかえる認知症予備軍です。

 この事故では痛ましくも3歳のいたいけない女の子と若いお母さんが犠牲となり、一度に二人の家族を失ったお父さんが中心になって「加害者に厳罰を」の署名が39万筆超を集めたと、9月にも報じられていて、被害者遺族の心情を思えばさもありなんですが、なにしろ加害者八十八歳、パーキンソン症候群とやらで両杖でも歩行おぼつかなく、カメラの前での受け答えも失礼ながら完全に的をはずれていて“空気が読めてない”の域ではなく、よくこんなボケボケで(詐病の疑いは拭えないものの)車運転してたよなア、させておいて同乗までしてた家族もどんだけ無神経だよという映像を見るにつけて「この人をどうすれば、『よっしゃ“厳罰”に処したった』と皆で溜飲が下がるのだろうか」と疑問に思ってしまいます。

 亡くなられた方々には本当にお気の毒ですが、あらかじめ殺意を持っての計画殺人ではないから極刑にはならないでしょう。重大な過失致死、しかも危険運転という視点で考えれば、どう厳しく見積もっても懲役○○年とかいう“実刑”判決がせいぜいです。

 しかし八十八歳、放っておいても数年から10年程度以内に自然死待ったなしな年齢で、すでにあの通りヨレヨレのボケボケです。刑務所に収容したってろくな役務なんかできるわけがない。むしろ所内での介護の手間と費用がかさむだけです。

 しかも、この人の運転を許して黙認していた怠慢きわまりない家族が、この人の服役によって、将来から終身“介護免除(=刑務所にまる押っつけ)”されるのは返す返すもオモシロクない。

 不注意か驕りか甘えか、とにかく途方もない不心得で罪なき母娘の命を奪い、ご家族の平和な日常及び将来を潰した重大な罪状を、この人に応分の痛みとして叩き込むには、どういう刑の与え方が“厳”罰と言えるのでしょう。

 母娘にお父さんも加わった、事故前の日々の団欒の動画など見せられると、「加害者が残りの一生、楽しい事も心浮きたつ事もいっさい無しの真っ暗な日々で終わればいい」なんてこちらも真っ黒な、鬼の様な気分になるわけですが、鉄格子の独房に押し込んだところで、どのみちクルマが無く付き添いの奥さんなり付かなければ、シャバの自宅でもお出かけらしいお出かけもままならないに決まっているご老体です。結局はぬくぬくと三食介護付き、おそらくは散歩やリハビリ入浴付き、体調のいいときだけ軽作業・・の刑務所生活になるはずで、それで“厳”罰に処したと言えるのだろうか。理不尽に家族の命と団欒の幸せを永久に奪われたご遺族が納得できる結末になるのか。

 ・・月河家内では、まぁいろいろ差し障りがあろうかと、高齢組抜きで、非高齢家族とだけ会話して、結構まじめにあれこれ考えたのですが、どうでしょう、こんな刑法が日本には令和元年の現在無いだろう事は承知の、純粋な頭の体操として、“資産の没収”というのは。

 報道によると中央官庁の要職にかつてあった人らしいし、現在の年齢に至るまでの間に、慣例に則って複数回の天下りと、その都度の退職金を受け取ってかなりな資産をお持ちのはずです。まるはだかのカラッケツにならない程度にこれらを削り取って国庫に納付せしめる。これは、加害者のいままでの数十年にわたる人生の職歴キャリアや、それに伴って営々と築いてきたであろう名声や人望の相当部分を、処罰としてメリメリと剥ぎ取ることですから、かけがえなき命と将来を理不尽に奪われた方々の痛みに、完全には釣り合わなくてもかなり比肩させ得るのではないでしょうか。

 最低でも、実質“刑罰”の体をなさない有期懲役刑の実刑なんかよりは“痛み”を搭載していると思います。

 すでに、こういう事態を想定していなくても普通の高齢者の相続対策として、配偶者や子女に贈与したりして本人名義の資産は圧縮済みかもしれませんが、そこはそれ、この人の運転を黙認という“不作為の罪”が家族にもしっかりあるのです。天網恢恢疎にして漏らさず。速攻動け法改正に。超党派で。『桜を見る会前夜祭』ごときでやんややんや盛り上がってる暇はないですよ。

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