イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

こんなカッコウで失礼します

2018-02-24 21:19:51 | 海外ドラマ

 「韓国ドラマ“復讐系”が好きなら」と、ベテラン韓ドラウォッチャーの知人に聞いて昨年暮れから視聴始めたDlife『カッコウの巣』も2月26日で終了です。

 全74話。ふぅ~。ほぼ録画後追い視聴でしたが、2週に1回ぐらいリアルタイムで自宅視聴できるときがあって、月~金曜PM1:30~という放送時間は、東海テレビ制作昼帯ドラマにはまっていた頃を思い出して、なんだか懐かしい自分に再会したような気がしました。いやはや。TVドラマが懐かしい、出演している誰某が懐かしいのではなく、TVでドラマをリアタイで見ている自分が懐かしく思える時代になったわけです。

 それはともかく、知人が言っていたセールスポイント「復讐が単線でなく複線だから(面白い)」が、結論を言えば残念ながらそのままこのドラマの欠点になりました。

 女復讐鬼イ・ファヨンは強烈で威勢がいいのですけれども、本当のところ誰の、何に復讐したいのか、話数を重ねるごとにぼやけてしまうのです。

①    家族の希望の星だった最愛の兄を死なせた社長令嬢イ・ヨニとその家族を不幸に落としてやりたい。

②    学生時代、合コンで自分を引っかけ、遊んで捨てた財閥御曹司チョン・ビョングクを本気にさせ仕返ししたい。

③    母の放蕩で路頭に迷った自分を札束で頬桁叩いて代理母にし、腹を痛めて産んだ息子に会わせも抱かせもせず奪い去った財閥一族を崩壊させたい。

④    全体的に負け組人生だったのを逆転して、勝ち組気取っていた金持ち連中をへいこらさせてブイブイ言わせたい。 

 ②と④はともかく、①の兄の死は事故でありヨニを恨むのはほぼ逆恨み、③はもともと本人が金欲しさに引き受けたことで契約書も取り交わし報酬も受け取っているので、産んだから自分の子だと後から言い張るのは屁理屈にすぎません。

 ちなみに復讐の動機に理がない事は復讐ドラマの瑕疵にはなりません。復讐される側に立つと、理がないほうが恐ろしいしどうしていいかわからない。通常は、復讐されるほう、このドラマではヨニ側のほうが真っ当な市民的倫理観や遵法精神をそなえていますから、最初は「あなたのは逆恨み、私には悪意はないし責任もない、証拠もある、法律でもそうなっている」と何とかして説得して納得させようと試みるのですが、理なき復讐者にはそれが通用せず、どうすれば矛先を収めてくれるのか見当がつかないという怖さがある。

 しかしこうも目標が拡散してしまうと、見ていて「ファヨンって結局何がしたいんだろう」と思ってしまう。いろいろあるけどこれだけは絶対奪取したい、コイツだけは亡きものにしたいという焦点が鮮明に絞れないために、話が散漫になりました。紛争地点を増やし過ぎて、戦線が延びきってしまったのです。

 “代理母”という“つゆだく”なモチーフを敢えて持ってきたのだから、最終的に「金も、財閥御曹司夫人の地位も本当は要らない、兄の死もどうせ取り返しがつかない、ただただお腹を痛めた息子をこの手に欲しい、母になりたいママと呼ばれたい」に収斂したほうが、いっそ(エグイなりに)綺麗にまとまったのではないかと思うのですがね。

 ファヨンが一世一代仕掛けていた卵子すり替えという地雷がまさかの不発とわかり、息子の親権がめでたくヨニさんに戻ったところで一巻の終わりでよかったのに、ファヨンが実は代理母の前に行きずりの男との間に子をもうけてひそかに養子に出していた・・なんて伏線が俄かに出てきて、そこから先は息子から離れて別の話になってしまい、えらい蛇足感がありました。

 代理母は、自然分娩を一度も経験しない女性が引き受けることは通常認められないはず(ついでに、自分の実子を持っていない女性にも認められないはず)なので、特に驚く伏線ではありませんが、代理で産んだ息子に執着するファヨンの情熱が、このせいで薄まってしまいました。「やっぱり“財閥継孫の母”になりたかっただけかよ」「お腹痛めても血筋のない子は要らないって言う女なんだ」と、女の風上にも置けないクズ感が強まっただけでした。

 こうも話が希薄になってしまった原因はと言えば、ようするに102話(Dlife放送では74話)の長尺をもたせるため、これに尽きるでしょう。何がやりたいのかわからないくらいファヨンにいろいろやらせ、あっちにもこっちにも攻めさせていかなければ、ファヨン叔父チャンシクとビョングク叔母ジンスクの出会いがしらラブコメなど織り交ぜてもこの話数は回せない。脚本家さんも大変だったと思います。

 どうにかもたせ切れたのは、脚本のチカラワザよりもむしろヨニ役チャン・ソヒさんを筆頭に俳優さんたちの健闘のおかげに他ならない。最初じれったくて頼りないんだけど不思議に壊れない強靭さを持ったヨニという女性は、ソヒさんが演じたから絵空事にならずにすんだ。最初っから最後まで鬼みたいな表情で通したファヨン役イ・チェヨンさんも、女優としてこれほど“ビタ一文可愛げのない役”に挑戦する勇気はあっぱれだし、ブチ切れてるかヤケ酒で酔っ払ってるかしか見せ場のないアホ御曹司ビョングク役ファン・ドンジュさんもお疲れ様でしたと言いたい。終盤急にキイパーソンとして出番の増えたファヨン妹ソラ役チョン・ミンソさんは、7年ほど前にNHKで放送された『赤と黒』の子役さんでもありました。2014年制作の今作ではずいぶん身長が伸びていますが、涙芝居が多すぎて、水分補給が大変だったのではないかな。

 欠点はありましたが、こういうチカラワザ拡張系・役者さんの力量展示会系の連ドラ、かつての昼帯ウォッチャー月河としては嫌いではないです。26日放送が最終話となりますが、人物たちを惜しんで後日譚に妄想膨らませたいドラマではなかった代わり、別の全然違うテイストの作品で、違うキャラでこの俳優さんたちを見たいという気になるドラマではありました。 

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月河のトンデモフィギュアスケート論

2018-02-21 21:33:09 | スポーツ

 1972年の札幌冬季オリンピックはもう四十六年前ですから、「日の丸飛行隊の表彰台独占ね、当時ノーマルヒルじゃなくて、“70㍍級”だったよね」「ジャネット・リンちゃん可愛かったね」とはっきり記憶のある人はもう五十代~半ば以上のはずで、四十代でももう記録媒体でしか知らないんだな・・と思うと隔世の感があります。

 女子アルペン2冠のマリー=テレーゼ・ナディヒ(スイス)、彼女の台頭で銀二個に終わった女王アンネマリー・プレル(オーストリア)(←後にプレル=モーザー)、男子アルペン大回転金・回転銀のグスタボ・トエニ(イタリア)、はたまた男子スピードスケート中長距離4冠アルト・シェンク(オランダ)、女子クロスカントリー(当時はもっぱら“距離”と呼ばれていました)2冠ガリーナ・クラコワ(ソ連)等まで記憶している人は相当熱いウィンタースポーツ愛好家でしょう。

 フィギュアスケートのジャネット・リン選手は覚えていても、彼女を負かして金メダルを獲得したのがベアトリクス・シューバ(オーストリア)選手だったと記憶している人は少ないと思う。当時はもちろん“トリプルアクセル”や“トリプルルッツ”なんていうワザ名が実況アナウンスや解説で流れることはありませんでした。

 「ダブルアクセル!」はギリ、聞いたことがあったかな。調べてみると札幌オリンピックに先立つこと十九年前の1953年に、アメリカのキャロル・ヘイスが女子選手初のダブルアクセルジャンプを成功させています。

 大雑把に言うと、いまテレビ解説で大活躍の佐野稔さんが現役で、ジャンプを武器に国際大会で10位以内にコンスタントに食い込むようになった1970年代半ばぐらいから、放送実況でも活字媒体でもジャンプの技名が具体的に採り上げられ、“ジャンプが成功してこそのフィギュアスケート”というイメージが定着したように思います。もっと前からのスケートウォッチャーなら別の所感があるかもしれない。

 女子では70年代を通じて渡辺絵美さんが健闘していましたが、日本で、フィギュアで女子よりも男子のほうが大きく扱われる現在のような時代が来ると当時は誰も想像しませんでした。

 思うに、札幌オリンピックの頃のフィギュアスケートには、フリーを披露する前に“規定=コンパルソリー”という種目が巌とそびえ立っていたので、観戦するほうの脳内で“技術”の要素はそちらに寄せ集められ、フリーを“ワザまたワザの成否”として見ていなかったのだと思います。リンさんのようにひたすら流麗に愛くるしく滑れば高評価で、でもコンパルソリーが苦手だから、コンパルソリーで大きく稼いだシューバさんに総合的に勝てなかったんだな、と皆が理解していました。

 この規定=コンパルソリーというのは、音楽もなく淡々と、地味な練習着姿の選手が順に定められた課題の図形を右足、左足とスケートエッジでリンク上に描いていき、審判は至近距離でじっと滑走時の姿勢やエッジの確かさ、氷上の図形の正確さを見て帳面に点をつけていくという、当事者以外の遠目では何をやっているかわからないスーパー退屈なもので、オリンピックでもテレビの実況中継があった記憶はありません。だいたいフリーの前日か前々日の午後3時とか4時とか、中継しても視聴できる人が少なそうな時間帯に人知れず終わっていて、翌日の朝刊に順位と点数が載っているのがつねだったように思います。札幌オリンピックでもオーストリアのシューバさんのコンパルソリーは群を抜いていて、カナダのカレン・マグヌセン選手とアメリカのジュリー・ホームズ選手(←オリンピック前年のプレオリンピックで優勝、札幌ではリンさんに劣らぬ人気の美人選手でした)が続き、リンさんはコンパル終了時点ではその下でした。

 複数の競技経験者や指導者が言っていることですが、コンパルソリーとフリーははっきり選手によって得意不得意が分かれ、フリー、特にジャンプが好きな選手はコンパルが苦手で、反対にコンパルどんと来いの選手はジャンプが不得意な事が多かったそうです。

 札幌オリンピックの1972年時点ではコンパルとフリーの配点比は50/50でしたが、あまりにも放送映えせず観客を集められないにもほどがあるため徐々にフリーの比重が高められていき、1989~90年シーズンをもってコンパルソリーは世界選手権からも外されました。

 すると不思議なことに、本来“ワザ”のほうは不得意だったはずの、伊藤みどりさんタイプの多回転ハイジャンパーのほうが「高い技術」と見られるようになってきました。

 思うに、コンパルの廃止は放送権料や入場料収入に結び付きにくく、競技人口の拡大に貢献しないというおカネの問題だけではなく、“身体能力技量の向上を競う競技としてドン詰まり”だからだったのではないかと思います。5年前、10年前の選手に比べて今大会の選手の能力が向上しているかどうか、昔から決まった図形を、昔から決まった姿勢で歪みなく描いているだけではまったくわからない。選手個人が、現時点のライバル選手あの人この人より高得点を出そうという向上心を持つことはできるけれども、競技そのものの未来が見えないのです。

 1970年代は二回転が普通だったジャンプを、90年代にはほとんどの上位選手が三回転跳ぶようになった。その中でも秀でた選手は三回転半を跳び、いまや三回転→三回転のコンビネーションが上位では必須になった。明らかに進化が読みとれます。

 「昔に比べて進化した」、こう思わせるのがいまのフィギュアスケートのトレンドなのだと思います。フィギュアという競技は、この“トレンド”というものに良くも悪しくも左右されるスポーツで、そういう“時代(←“それぞれのお国の事情”も併せて)とのシンクロライブ感”が魅力と言えば言えるのですけれども、選手も、サポートスタッフも、応援するファン、広く言えば外野席野次馬も、いつもこれに振り回されてきた気がしないでもありません。

 滑りがきれいで、且つ瞬発力に富み多回転ジャンプを失敗なくこなす選手が勝つのはどんなトレンドが来ても変わらないでしょうが、とにかく回転数回り切るのが有利なのか、一回転少なくても着氷が正確なほうが有利なのか、序盤に跳ぶのと終盤に跳ぶのとどっちが有利なのかいつ跳んでも同じなのか、微妙な違いでトクしたり損したりが常について回る。

 四十六年前の札幌で、深紅のコスチュームで開花したジャネット・リンさんの華は記憶から色あせることはありませんが、やはり“時分の花”でした。1972年、日本では昭和47年という時代だから、輝いた。

 フィギュアスケートは“技術”と“芸術”のミックス、コンビネーションとして捉えられることが多いけれども、むしろ、映画や演劇と同列の“芸能”、もっと言えば音楽性やファッション性、ショー性、話題性も包含した“総合芸能”と見るべきではないかなと思います。“トレンド”という、うつろい流れゆくものに振り回されてナンボ、なのではないかなと。

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心ザワめく

2018-02-20 13:33:45 | スポーツ

 たとえばフィギュアスケートなら、技(ワザ)の名前がスーパー戦隊並みにありますから、繰り出されるたびワザ名を挙げてるだけで4分ぐらいすぐ過ぎてしまいますが、ただ走ったり滑ったりしてるだけで、最終的に出たタイムだけで決着するような競技の場合(そういう競技のほうがまた圧倒的に多い)、実況アナも実況席サイドの解説者も、実際問題、しゃべることがそんなにないわけです。応援しているファンや観客も「いいから黙って画面見せろ」と言いたいでしょう。

 ところが、競技だけならスタート前のウォームアップやコース整備入れても正味30分かそこらで終わるものを、放送時間が2時間近くあったりするから、どうにかして間を持たせなきゃならない。民放の場合特に、30分じゃスポンサーを入れ込めないからでしょうが、はっきり言って殺生です。生殺しです。

 そこでスポーツ専門でないキャスターや、ド素人同然の元アスリートレポーターが、無い知恵を絞った苦しまぎれの、あるいは何も考えない与太話延長線での“余分なひと言”がボロボロ出て、暖かい日本のお茶の間や、片手スマホで見ている暇な視聴者がいちいち食いついて、片っ端から炎上する。

 いいじゃないですか小平奈緒選手が「獲物を狙う獣の様な瞳」だって。生きとし生けるものが一点に全神経を集中すると人間も動物もなくなるんですよ。前に進む。ひたすら速く、より速く前に進む。ものを考えちゃダメだからね。考えたら考えた分だけ、前に進む以外の神経にブドウ糖その他が行くから。これは獣の世界です。36.94秒間、奈緒さんは獣になったのです。獣を獣と表現して何の文句があるのでしょう。ぶっちゃけそんな事でも言って胡麻化してないと時間が余ってしょうがないんですよ。

 開会式を「閉会式」と言い間違ったからってどうだって言うんでしょう。その前2時間半以上も見てりゃサルでもわかるでしょうよ、これは開会式だって。“開”“閉”って似てるじゃないですか、夜目で見ると。活字原稿あったんだかわからないけど。とか、とか、とか、ぱっと見で大勢間違える漢字なんぼでもあるわ。スキーの荻原選手だって、初めは何度も「ハギワラさん」て呼び間違えられたはずです。しかも彼ら双子だから、下の名前まで間違えられっぱなしだったはず。それは別の問題か。

 ようするに、無くもがなの言葉実況なんかにいちいち目くじら立ててないで、虚心坦懐に選手の競技っぷりだけを堪能したらどうですか、ということを言いたかったのでした。

 ちなみに、羽生結弦選手と宇野昌磨選手のワンツーフィニッシュ成った17日の男子シングルFSは、月河はフィギュアスケートでは初めて、ラジオ(NHK第一)のナマ実況で聴いてました。夜、帰宅したらTVでも飽きるほどリプレイ観られる前提でしたけど、コレなかなかいいですよ。サッカーのラジオ実況よりいいかもしれない。動いてるのが一人だし、とにかく技名が豊富で、絶えずワザに次ぐワザで、ワザとワザの間も音楽がずっと流れていますから、間が持てないという事と無縁です。

 アナが技名を言う→女性解説者「きれいに決まりました」「着氷踏ん張りました」「二回転になりました」「シングルでした」「体が開いてしまいました」「両足(着氷)になりました」「転倒です」「(体の)軸が斜めでした」等と技の成否・首尾を言う・・の流れで、バックに観客席の反応も入るし、“とりあえず、羽生選手なりお目当ての選手の出来は良かったのかダメだったのか”はつぶさにわかる。

 日本の両選手のメダルはあっぱれめでたいの一言ですが、それにしてもフィギュアスケートっていつからこんなに“ワザまたワザ”の競技になったんでしょうか。

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そこで氷解かすな

2018-02-17 11:50:39 | スポーツ

 もはや流行語でもなんでもなく会話でも活字媒体でも普通に使われていて、聞いて読んで意味は解るけれど自分では使えない言葉、自分が表現しようとするときの語彙の選択肢として脳内に並ぶまでにはなっていない言葉というのが、常時幾つかあります。

 もう十年以上前、このブログを開設して間もない頃ですが、「“萌え(る)”という言葉が、人の書いた文章の中に出てくるとなんとなく解るまでにはなったが、自分でドラマや特撮を見ていて、そうそうこれぞ“萌え”だ!という感覚にならない」という意味の事を書いた記憶があります。たぶんもう“萌え(る)”がバリバリ市民権獲得済みだった2006年暮れぐらいだったと思います。 

 最近の自分内で同じような位置にある言葉のひとつに“ドヤ顔”があります。

 おもに関西出身の芸人さんたち発の言葉で、ネタやギャグがウケたときの「どんなもんだい」「やってやったぞ」「ざまぁ見さらせ」という気分を顔面表情化したもののことを言うんだな・・と、ここまではわかるんですが、人物の顔を見ていてそういう表情になったとき「あ、いま“ドヤ顔”になった」と脳内語彙の中からスッと浮上してこないんですな。オーバーに言うと、月河の住んでいる言語文化の中にはない言葉なんです“ドヤ顔”。

 「勝ち誇った」「有頂天」「プライド」「達成感」、プラス「自己陶酔」「人を下に見ている」「冷静に他人視点で見ると微量滑稽」・・等の様々なニュアンスを包括してくるくるっとひとまとめに“ドヤ顔”の一言で言い表す文化の中に、日本中がすでに居ても自分は居ないな居ないな・・と、ずっと思ってきました。

 昨日(17日)の平昌五輪フィギュアスケート男子シングル、羽生結弦選手のSP演技後の顔を見て、一気に氷が解けました。

 これぞ“ドヤ顔”

 あのすがすがしく気高くも傲岸不遜な、故障もリハビリも世間の雑音もぶっちぎってやり切った感に満ち溢れ、いっそ小憎たらしいシャラくさいくらいの表情を一気に言い表すには“ドヤ顔”が、残念だけどいちばんふさわしい表現のようです。もう認めよう負けを。何に負けたんだ。

 羽生選手が見てのとおりの細身の優男で、競技外だとむしろナヨッとして、負傷あがりじゃなくても「大丈夫かしら」と常に思わせる風情で、そのビジュアルのわりには(自身でも言ってる様に)「おい!」と思うくらいビッグマウスなのも“ドヤ顔”性を際立たせ明快にしてくれました。叩いても蹴っても死ななそうないかつい、寡黙でコワモテの大男だったら、ドヤ顔と平時顔との区別がつきにくくてしょうがない。

 いまさらですが羽生選手を“ドヤ顔王子”と呼ばせてもらいましょう。“王子”は古いか。次のFSでは陰陽師に扮するそうですから“ドヤ顔博士”か。

 あと二~三時間少々で、現地では結果が出ると思いますが、夜、NHK‐BSで再放送ありますよね。もう一度ぜひ目視確認したいですね。まずはアクシデントなどなく、思う存分やり切れますように。よく知らないけどライバル勢も力を出し切って、後を引かない勝負でお願いします。

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あなたを振り向かせる

2018-02-13 21:47:12 | ニュース

 朝刊の一面の裏、政治面のいつも最下段のどっちかの隅に、『首相官邸』という日録があります。

 新聞によっては『首相動静』もしくは『動静』というタイトルになっていることもあります。

 毎日、首相が朝起きて出動してから、帰って寝るまでの箇条書きです。

 何時何分にどこへ行って誰に会ったか、何時何分に何の会合やイベントに出席したか、官邸や公邸に居続けの場合は誰が何時何分に会いに来て何時何分に出て行ったかを淡々と書いてあるんですが、コレ結構面白い。

 月河も昨年2月頃から始まったモリ・カケ事案の頃から毎日読むようになったんですが、昨年の総選挙前頃に一度「紙の新聞もうとるのやめようか」と軽い家族会議になったとき、「イヤ毎朝あれ見るのとりあえず楽しみだから」と、結局存続を決めたのもコレのためでした。

 たまに他所でウチのと違う新聞を読む機会があるとわかりますが、各紙ほぼ横並び調整があるらしく、うちの新聞に載ってた項目が他紙で記載されてないとかその逆はまず無い。

 ・・ってことはどこまで信用して読んでていいのかという疑問も払拭できないわけですが、ここ二~三日外務省アジア太平洋局と防衛省と国家公安委員会が多いな・・と思ったら「平昌五輪開会式やっぱり行く」報道が出たり、確かに毎日読んでると何かしら読み取れますな。経産相、財務相も頻繁に会いに来られます。財務相はお友達だけに、来られると毎回、目立って長い。私邸に戻る前の最後の来客が財務相だと、9時10時になることもしばしば。

 週末土曜日は六本木のホテルのジム&SPAで運動されてることが多いようで。“14:20に入って18:07私邸着”って、3時間半もびっしり運動ってこたぁないだろうから、途中サウナも入ったねビールも飲んだろうね、ストレスたまるだろうし結構結構、と、こっちもなんだかくつろいで来ちゃいます。一国の総理ですから週一ぐらいは英気を養ってほしいじゃないですか。

 うちの非高齢家族は「ジムで運動と見せかけて、こっそり医者を呼んで点滴とかやってもらってるかもしれない」「病院へ行ったなんて報道されたらここぞとばかり政局になるからな」と言ってますが、こうなるとそれこそ悪魔の証明。

 散髪に御用達の理髪屋さんもこの動静で把握。翌日の予算委員会では確かに“アフター”感なヘアスタイルになっておられましたね。

 9日昼前出発で平昌開会式とレセプションその他でいろんな意味で冷え切って、10日に帰国された翌11日(日曜)は「終日私邸で過ごす。」でしたが、今日(13日)掲載の12日(月曜・祝日)の動静はなかなかふるっていました。

「10:54 私邸周辺を散歩。」

「11:59 散歩中に会った防衛相と立ち話。」

「12:20 私邸。」

・・・何なんだ“立ち話”。総理と防衛相。目袋コンビいやそれはどうでもいいけど、偶然会うようなロケーションに防衛相も住んでるってことなのか。休みの日の散歩中に出くわすって、ラブコメみたいじゃないですか。古いか。

 如何様にでも深読みできますぞ。「出てこないかなァ総理・・」と松任谷由実さんの歌詞みたいに“まちぶせ”してたのか。いや「正午前にドコソコ辺りを通るから近くで待機してくれたまえ、偶然ぽく、目立たない様に」と携帯に事前に指示があったのか。寒波の路上どんなイデタチで待機してたのか。黒キャップに黒ジャージに皮手袋にグラサンか。偶然に会う前に職質されるか。時間と面会者名だけじゃなく、服装も載せてほしいぞ『動静』。

 それに“立ち話”って。「いい天気ですね」「寒いですね」「平昌よりマシだよ」なんて範囲であるはずがない。なんたって一国の総理と防衛相です。ICBMの準備か。こないだの佐賀県の墜落陸自ヘリ調べたらとんでもないものが仕掛けられてたとかか。

 歴史を揺るがす重大なやりとりが警備厳重な密室でなく、路上で偶然の様にさりげなく交わされてたかも・・って『24』や『パーソン・オブ・インタレスト』の見過ぎかな。 

 「スマイルジャパン五輪初勝利ならず残念でしたね」「激励会のT梨S羅ちゃんのが可愛かったよ」「整形説出てますけど」「言われればそうも見えたね」・・・・まさか、これじゃ月河と非高齢家族の会話だし。そもそも立ってする話じゃないし。

 とりあえずT梨選手銅メダルおめでとう。ってフォローになってないし。前のパラグラフはフィクションです。ていうか月河の妄想です。悪しからず。

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